タグ別アーカイブ: 小林健二の研究資料

木工具-鉋(その2)

東京田端にある中古道具を扱う店で道具を見る小林健二

作品を製作する上でも欠かせない道具たち。小林健二は性分としても道具好きです。

旅行先の蚤の市や国内の骨董市などで入手した道具たちは、大切に仕立てられ実際に使われています。刃が錆びてしまったり、半ば壊れてしまったような中古の鉋たちを、再び使えるようにする作業は、とても充実して気分転換にもなるそうです。

今回も引き続き、小林健二の道具から鉋をご紹介します。

典型的な西洋の鉋で、台は金属製のものです。(小林健二の道具より)

上の鉋から刃を外した画像。刃(カンナミ)の刃角や刃の出具合をネジで調節できるようになっていて、とても合理的な構造です。(小林健二の道具より)

これも古い西洋の鉋ですが、台は木製です。(小林健二の道具より)

上の鉋を分解したところ。これより刃の研ぎや調整などをして、使用できるように仕立てていきます。このような作業はとても充実すると小林健二は話します。(小林健二の道具より)

鉋にも色々な種類があります。一般的には英語でいうとplaner、つまり平面に削る道具ですが、例えばしゃくるように削るための鉋や、色々な断面に削るものなど様々で、断面の名前もついています。

平鉋に関して、日本の鉋の場合は刃の研ぎや出具合、台の調整など注意が必要です。

西洋の鉋はその辺りがネジで調節するなど合理的に出来ていて、国民性がうかがえます。

また古来から使用してきた木の種類によって道具が発展してきた経緯もあるため、民俗学的にも研究していくと面白いです。

色々な日本の鉋(小林健二の道具より)

西洋の鉋(主に断面や溝を削るもの)(小林健二の道具より)

両手で左右の柄を持ち、しゃくるように削っていきます。(小林健二の道具より)

断面を削る特殊な鉋。二丁ザシ(一番左)になっているものもあります。(小林健二の道具より)

上の鉋の裏面。このような断面に削れていきます。固定してある木を定規にして削っていくわけです。ちなみにオスメスのインロー面に削れる面取り鉋です。(小林健二の道具より)

面取り鉋の色々。(小林健二の道具より)

上の鉋の裏面で、刃の形から削れる断面がわかります。一番右の鉋は、小林健二自作の鉋です。(小林健二の道具より)

木工具ー鉋(その1)

KENJI KOBAYASHI

 

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少年技師

小林健二の書庫の一角

少年技師

この聞き慣れない昔風の言い方に、ぼくはわくわくすることがあります。大正から昭和の初めころの少年雑誌に時々登場するこの言葉に、「小国民」のように軍国的な時勢に通じるものを感じる人もいるかもしれません。でもぼくはここに挙げるような広告にこころを通わせていたそのころの少年たちのことを考えてみたいと思います。

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より

たとえばこの「模型の国」のところには「電気機関車、モーター、モーターボート、蒸気模型、模型部分品、顕微鏡、天体望遠鏡、カメラ、映写機、ラジオ、模型工作用用具その他模型に関する一切を収めた写真満載四六判三十頁余のとでも素晴らしいカタログ」と説明してあり、「模型飛行機と組立」のところには「四十余頁の飛行機模型に関する三百数十の部分品と三十余種の飛行機模型とを収めたカタログ」と書いてあります。ともに郵便代を送れば無料で進呈されるとも書いてあります。これは昭和8年の「子供の科学」に載った広告の一部ですが、このほかたくさんの少年や子供に向けた工作関係の広告が出ています。

そしてこれらの記事や本を目を輝かせて読んでいたのが「少年技師」たちだったのです。

昭和8年の「子供の科学」の巻末。文中のものとは違うが『模型の国』の紹介ページです。

昭和初期からの「子供の科学」。小林健二の蔵書から何冊か抜粋しています。

昭和の初め頃の「科学画報」や「科学知識」。多くの科学雑誌が発刊された。

昭和初期頃の科学雑誌の巻末ページ

たとえばモーターを作るとしましょう。簡単なものなら輸のように数回巻いた導線と永久磁石によって作ることができます。これを電池につないで最初に指で回転を助けであげると、パタパタと回り始めます。いかにも頼りなく、そして何の役にも立ちません。でもいかにも回転して当然に思える市販のモーターとは違って、天然の神秘の力がそこに息づいているのが感じられます。

現代においてこんな役に立たないモーターを作っている少年技師たちはいるのでしようか。

実はぼくはそんな効率や結果ばかりにとらわれない少年技師と出会いたいために、この本を書いているのです。モーターや鉱石ラジオ、顕微鏡や天体望遠鏡をとおして天然の持っている力と出会うことで、たましいの本来持っている好奇心を人間の世の息詰まるような規則や限界から開放してくれると信じているからです。

モーターにしても鉱石ラジオにしても、原点に近づいていくほど構造はシンプルになっていき、作るものがそれぞれの多様性を感じさせる出来映えになるのは不思議です。小さくてきちっとしたもの、大きくてゆるやかなもの、その人の個性や価値観が反映したからにほかなりません。

自分とは違った魅力、自分には思いつかなかった考え方、いろいろなものと出会っていきながら、どれもその人なりの面白さにあふれていることに気づくことでしょう。そして本当は「美しい色」という特別なものがあるのではなくて、さまざまな色があるからこそ、そのハーモニーによって生み出される美しさがあることに気づいていくのでしょう。

ですから時には回りもしないモーターやできそこないの望遠鏡を作り、聞こえもしないラジオに耳をかたむける・・・少年技師の目は天然の神秘に触れるまで、いやその不思議な力を知った後にも、輝きを失うはずはありません。そしてそんなまなざしは「孤独の部屋の住人」を誰一人として置き去りにしたりしないのです。

小林健二の書棚には昔の工作本などが見える。

少年工作全集。昭和初期に資文堂(東京麹町)から出版された少年に向けて書かれた工作本。
(小林健二の蔵書より)

少年工作全集「図解やさしいラジオの作り方(小泉武夫著・資文堂・昭和6)」の巻末ページ。心惹かれるシリーズのタイトル、さらに工作材料の提供など実際の工作に役立つフォローも嬉しい。
(小林健二の蔵書より)

小林健二がしばしば紹介している本「少年技師の電気学」(科学教材社・山北藤一郎著)

初期の「無線と実験」はラジオ工作には欠かせない雑誌で、現在、内容は時勢にあったものになり「MJ」という雑誌名で発行されています。(小林健二の蔵書より)

大正・昭和初期から中期頃の雑誌には、『鉱石ラジオ』の記事も時々登場していました。

図解ラジオ文庫。昭和28年前後に誠文堂新光社から出版されたラジオ専門の工作本。(小林健二の蔵書より)

*小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しており、画像は新たに付加しています。なお、画像のキャプションはこちらで付け加えております。

KENJI KOBAYASHI

アーティストインタビュー:小林健二さん

小林さんは絵画や立体造形を広く手がけている一方、科学、物理、電気、天文、鉱物学などの自然科学をアートと融合させたような、ちょっと懐かしくて、しかも不思議な仕掛けのなる作品を数多く発表しています。今日、訪ねたアトリエにも薬品や鉱物の標本のようなものがいっぱいあって、実験室のような雰囲気もします。おそらく、小さいころは科学少年であり、工作少年ではなかったと思うんですが、いかがですか?

アーティスト小林健二(文京区のアトリエにて)

「科学少年」や「工作少年」であったかはぼくにはわかりませんが、工作や科学は子供の頃から好きでしたね。今でもそうなのですが、ぼくの中では科学や図画工作、それから音楽と美術というように、どれも分野で分けられているものではないんです。もし、自分の中で多少区別があるとすれば、好きなことと苦手なこと、あるいは興味があるかないかということだろうと思うんです。むしろ美術ならそれ自体が、他の分野から全く独立して存在しているということは考えにくいですよね。

油彩画を描くにしても、木を彫刻するにしても、あるいは電気を使ったり、ぼくのようにある種の結晶を作ることにしても、いつだって何がしか他の専門分野の知識や技術と切り離せないことは多いと思います。光を使った作品を製作する上でも、電気的な構造の部分や工学的なところ、またはそれに伴う金属加工などの作業や、あるいは樹脂などの化学的変化についても、知らないでいるよりはある程度理解していた方が、よりイメージに近い状態に近づける可能性があるわけですからね。

この国がとりわけその傾向が強いのか、ぼくにはよくわかりませんが、ある意味で、いろいろなことをまずはカテゴライズしないことには気が済まないような国民性があるんじゃないかな。

ぼくは絵を描いていたりするけど、作曲をしたり文章を書くこともあります。そうしていると、『どうして美術だけではなくて、音楽や文筆活動やいろいろされるのですか』と聞かれることがあるんです。でも、伝えたいメッセージやそのイメージに何が一番適しているかで表現方法は変わってくるし、そのことに自由でいたいと思うんです。ですから、ぼくにとって技術的な表現の分野を分けることはあまり意味のあることではなくて、何をしたいかといったその内容や必然性の方が重要に思えるんです。」

小林健二作品「夏の魚」
油彩画(自作キャンバスに自作絵の具)

小林健二作品「LAMENT]
(木彫と鉛などの混合技法)

小林健二作品「MINERAL COMMUNICATION-鉱石からの通信」
(作品の内部に設置された小さな鉱物(ウラニナイト)から発する微量の放射能をガイガーカウンターが感知し、モールス信号とも取れる発信音が作品から聴こえてくる)

小林健二結晶作品
(自作の人工結晶)

小林健二結晶作品「CRYSTAL ELEMENTS」
(透明なケースに封じられた水晶液中の結晶が、季節を通して成長や溶解を繰り返す。画像は展示風景)

小林健二作品「IN TUNE WITH THE INFINITE-無限への同調」
(窓から見える土星が青く光りながら浮いていて静かに回っている作品。内部はおそらく電子部品に埋もれている)

小林健二動画作品「etaphi」

小林健二音楽作品「suite”Crystal”」
(ミニマルミュージック。個展会場などで流すことが多い。現在ではCD化しているが、当初は降るように音が脳裡に浮かび、急いでアトリエにあった録音機(テープレコーダー)に、これもアトリエにあったピアノで収録。)

小林健二著書「みづいろ」
(実話を元に綴られたもの。活版印刷で、装丁も小林がしている)

様々なことに興味があるというのは、小さいころの体験によるのではなかと思います。遊びとしてはどんなことをしていたのでしょう?

「みなさんと同じで、いろいろとしていたと思いますが・・・(笑)。ただ熱中していたことはいろいろあります。例えば恐竜や鉱物について調べたり、飛行機の模型やプラモデルを作ったり、プラネタリウムに行ったり・・・。自分の大事な思い出は、その大部分が子供の頃にあるように感じます。ですから、例えば文章を書いたりすると、『子供の頃は・・・』という書き出しになってしまうことが多いんです。それから、昔の友達にあったりすると、『ケンジ、お前は子供の頃と全然変わってないな』ってよく言われちゃう。これは進歩がないということでもあるんでしょうが、おそらく、ぼくの中ではまだその頃と変わらないものがずっとあって、ぼくには子供の時に感じたたくさんのことが今も大きく影響しているところがあるんでしょう。多分これからもそうなのかもしれません。そもそも人間なんてそう簡単に変われるものでもないだろうし、『三つ子の魂百まで』なんて言うでしょう。」

小・中学校での美術教育の体験について尋ねたいんですが、何か記憶にあることはないでしょうか?

「学校時代に図工・美術の時間ではとにかく、放っておいてくれたという感じでしたね。でもだからこそ自分のやりたいことがはっきりしていた場合、とても楽しかったし、やりたいことが見つかるまでは待っていてくれたように思います。そして少なくとも描き方を強制されるようなことはありませんでした。

『子供のころに何に影響されましたか?』とか『どんな画家が好きですか?』ということを時たまインタビューでも聞かれるんですが、ぼくが影響を受けた美術の作家というのは、あまりいませんでした。絵を描くこと自体は好きでしたが、画家になるんだって気持ちで描いていたわけではないように思います。その一方で自然科学には子供のことから興味がありました。もちろん子供にとって『自然科学』なんていう概念はありませんけど、これは一つの資質だと思うんです。とにかく、星や鉱物、要するに天文学や地学に関することや恐竜などの古生物に関することが好きでした。それで小学生の時には、上野の科学博物館に行ってそういうものを見るのが何よりも好きだったんです。」

小林健二のアトリエ
(色々な道具に混じって望遠鏡が写っている)

小林健二アトリエの一角
(机には顕微鏡や鉱物も見える)

また美術の話に戻してしまいますが、絵としてはどんなものを描いていたんでしょうか?

「実は今でもそうなんですが、とにかく怪獣とか恐竜の絵が好きでした。それで、図工の授業でどんな課題が出ても何かとこじつけて怪獣や恐竜を描いちゃってました。例えば、虫歯予防デーのポスターを描くなんていう課題は、ひょっとしたら今でもあるかもしれませんが、そんな時にも、ブロントサウルスが歯磨きをしている絵なんか描いたんです。でも、ブロントサウルスというのは手が首ほどには長くないので口まで届かない(笑)。それでうんと長い歯ブラシにしたりしました。これは結構先生にもウケましたけど(笑)。でも、それはもちろん例外で、いつも怪物ばかりしか描かないで、おそらく先生も困られていたと思います。」

小林健二作品「描かれた怪物」
(板に油彩、紙、木、他)

ごく普通に考えると、美術や音楽が好きなことと、自然科学に関心を持つことは、子供にとってはやはり意味が違うのではないかという気もします。電気や天文や昆虫に興味を持つことには、それらについて新しい知識を獲得していくという喜びがあり、それは絵を描いたり楽器を演奏する楽しみとは異質なのではないでしょうか?

「ぼくはそのように分析して考えたことはないですね。初めにも言ったように『自分にとって好きなことと苦手なこと』という基準が何よりも大きいんです。『好きなこと』とは自分にとって『楽しいこと』、あるいは、『感動できること』と言い換えてもいい。夜空を見て星が綺麗だなと思ったことや、冷たく光っている水晶の結晶に見とれてしまうような感覚が最初にある。電気というのはもちろん物理学の一つの分野ですけれど、ぼくにとっては、フィラメントが光って綺麗だというのは、星が輝いていることの美しさとどこか通じているわけだし、あまり違いはないんです。

ものが光る理屈にはいろいろあります。星やホタルも、LEDや月も雷もそれぞれ異なった方法で発光しています。でもぼくにとっては重要な問題じゃない。肝心なことは、それを見てどう思えるか、そこへすうっと気持ちが引き込まれていくかどうかということなんです。でもその後さらにその不思議な現象にまるで恋でもするように深く知りたく、また近づきたくて科学の世界に足を踏み入れたとしても不自然なkじょととはぼくには思えないけど・・・。

だって、考えてみれば、もともと子供にとっては、そういう分野わけはないわけですよ。だからこそ、そういうことを教える必要があるという立場も一方はあるでしょうけど。たとえがホタルが光るというのは、一見、物理的現象でしょうが、実はあれはルシフェリンとルシフェラーゼという物質によって発光しているわけで、有機化学の問題になってきます。これはLEDが通電により電子のぶつかり合いによって発光したり、太陽中の水素がヘリウムになるときに熱核融合反応により発光していることと、それぞれに違っている。だけど、そういうことはあくまでも理論であって後からくる。まずはそのことを知っていなければいけないということではないし、そういう知識がなくとも、子供たちは、ホタルが光ることを綺麗だと感じたり、不思議だと思ったりするわけでしょう。

これは、おそらく美術の場合でもまったく同じだろうと思うんです。例えば、名画というのは、あらかじめ認められた価値のあるものだから尊いのではなくて、子供の目から見ても、そこに面白さや美しさが感じられることに意味があるのだという気がします。いくら値段の高い絵だって、『これは価値があるから感動しろ』というのはおかしい。作品を受け取る子供達の中に興味や関心が培われていなければまったく意味がないだろうと思うんです。」

おっしゃることはよくわかります。ただ、教育の主要な目的として、文化遺産の世代間伝達ということはあると思うんです。ですから、まず知識を持津ことで、一層興味を喚起されたり、深い感動につながるということもあるように思うんですが・・・。

「それはあるでしょう。でも、ぼくは感動することの本来の意味についてお話ししているわけです。ホタルの発光がルシフェリンとかルシフェラーゼという物質の反応によって起こっているということは、さっきお話ししましたけれど、それで全てが説明されたことになるでしょうか。DNAの主要な物質であるディオキシリボ核酸は、アデニンやシトシンやグアニンやチミンといった物質によってヌクレオチドを形成していますけれど、どれが分かったからといって、生命現象が解き明かされたとは誰も思わないでしょう。同じように仮に人のゲノムが完璧に解読されたとしても、それによって人の心が理解できるというものじゃない。ですから、知識によってわかるといったところで、それはあくまでもごく狭いフィールドにすぎません。でも大人たちはそこでいかにも分かったような気にならなければいけないと思っているんじゃないでしょうか。」

小林さんの作品は子供達にも人気があるのではないかと思うんですが、展覧会などでの子供達の反応はどんな感じですか?

「ぼくの作品がどれくらい子供達に人気があるのかわかりませんけれど、興味を持ってくれる子供は結構いるという話は聞きます。自分が面白いと思ったものにじっと見入ってくれている子を見かけたことがあります。そういう様子を見ていると、子供の頃ぼくが博物館の陳列物に惹かれたのと同じように、自分の心の中の何かを探そうとしてくれているような気がしますね。」

小林健二展覧会「PROXIMA(ARTIUMにて)」の一室風景

今、話を伺っているこのアトリエには、鉱物の結晶や化石、星座板とか昆虫の標本やおもちゃのようなもの、それから薬品やいろいろな道具がたくさんありますよね。また書庫の方には、化学実験や自然科学に関する書物を始め、ありとあらゆる本が並んでいます。『おもちゃ箱のよう』という表現はありきたりかもしれませんが、とにかくここにいると小林さんの個性的な世界を感じます。これは、言わばモノが何かを語っているのではないかとも思えます。ただ、モノの世界というのは実はアブナイところもあって、最初の興味から離れて集めることが目的になってしまうことが、子供のコレクションなどではよくありはしませんか?

「それは、例えばチョコエッグのおまけで1番から3番と5番と6番が揃っていると、抜けている4番がどうしても欲しくなっちゃうようなことでしょ(笑)。ぼくにはそういうことは全くないですね。また本や鉱物標本などは、見る人によっては物質としのモノに見えるかもしれませんが、ぼくにとってここにあるもののほとんどすべては、いわばこの世とは一体何かを知る、あるいはそれに近くための手段だとも言えるんです。ですから、本たちの中にある見えないはずの風景や標本たちから感じる不思議な存在の意味のようなものがぼくにとってはとても大切なのです。それが結果的に集まってくるだけのことなんです。ここにある鉱物の中には、現在は世界のどこでもほとんど採掘されていないため希少価値がある、かなり高価なものもありますけれど、その反面、夜店で売っているようなものもあります。それはその時『どこか心を惹きつける』と思うからつい買ってしまうんです(笑)。

ただここで大事なことは、美しいと感じるものに出会うという体験はとても大切だということです。なぜならそれは人によって全く違うものであるか、あるいは共通する部分があるのかを感じることでもあるからです。子供でも大人でもその人がどこに惹かれたり気になったりする事柄や出来事に、その人の個性や核心に触れるヒントみたいなものがあるんじゃないか。また現代のように便利や効率が求められると不思議な世界と出会いながら、科学や美術に接してきた歴史もだんだんと経済に取り込まれてきたという感じは否めないと思うし、人間や力のあるものを中心に考えが進んでいくという傾向があると思うんです。

大切なのは、天然の神秘に出会うことによって、ぼくたちがその美しさを感じて生きていく、そういう生き方を決して無意味とは思えないからです。」

小林健二の書庫
(2005年「STUDIO VOICE」記事からの複写)

小林健二アトリエの一角
(薬品や樹脂などの棚)

小林健二アトリエの一角
(実験中の自作結晶などが見える)

一般に私たちは、美術の教育というのは、絵を描いたり彫刻を作ったりする製作体験をもとにした表現行為だと理解している気がしますが、今のお話からすると、美術や美術教育の意味はもっと広く捉えられるというわけですね。

「美術というのは、そこにあるもののことではなく、作品とそれを作る人、それを見て感じる人との関係や、その人の生き方だろうと思います。一方、Educationというのは、ラテン語の『道を拓く』という意味からきていると言われています。人が歩けないような荒野に道を切り拓いていくことです。ただし重要なことは、その道を歩くことを誰も強制されいことでしょう。どの道を選ぶかということは一人一人が判断していかなければならない。明治になって日本語になった『教育』という言葉も奥深い意味を持ってはいますけれども、子供たちに教え、彼らを育んでいけるような見識を持った大人たちが、今はどれだけいるだろうかということが気になります。単に自分たちの価値観を押しつけて「いるだけれはないのか。義務教育という制度にしても、全ての子供たちは教育を受ける義務があるという意味だと理解されているのではないかと思いますが、本当はそうではなくて、これは大人の側に教育制度を整える義務を課しているということであって、子供たちが教育を受ける権利を保障しなければならないということですよね。」

確かに、これまでの教育にはみんなが同じことをすることを通してある到達点を目指していくというような授業が多かったようです。けれども最近ではそれを反省して、図工・美術の授業でも、同一時期の中でも子供たちが自分に合った様々なスタイルの製作を認めていこうという方向になりつつあるようです。

「それは当然といえば当然だけども、いいことでしょうね。だってもし本当に『ある到達点』というのが存在するとしたら、それはある水準に達するという意味ではなくて、それぞれのその人自身に出会えるということだろうと思うからです。例えば、石を見て『きれいだなー』って感心している子がいるとしますよね。それを見て横から『いつまでもそんなことしてないで勉強しなさい』なんて言っちゃうお母さんがいたりしますが、これは違うと思う。そうやってものを見て感動すること、きっとこれがその子の本当の勉強なんです。だってその子はその出来事に出会うために生まれて来たかもしれないでしょ(笑)。そしてその子の人生の目標と方向を発見するかもしれないわけですよ。こう言う時の子供の目はものすごく輝いている。それが、本当に勉強をしている子供の目だと思うんです。」

*2002年のメディア掲載記事(小林健二へのインタビュー)より編集抜粋しており、画像は新たに付加しています。この記事は教育関係メディアに掲載されたため、質問内容が主に美術教育に関するものになっております。

KENJI KOBAYASHI

 

ぼくのすすめたい本

生きていくということは、それ自体が人間にとって宇宙の真理を探っていくことになるのです。

ぼくのすすめたい本のなかに「宇宙をとく鍵」というのがあります。この本では宇宙の力や電磁力といった宇宙のニュアンスを知ることができます。そして、宇宙の真理が、実はどこにもないということに気づくのです。なぜなら、人間が生きていくこと自体が、宇宙の真理を見つけようとしていることだと思うし、人間の無意識の行動が、実は人間自身の感性や精神を探る現象だったりする。全ての謎解きの答えが書いてある本は、一つも存在しないと思います。

ただ、ぼくたちが何も考えないでいたら、地球の形成自体がなくなってしまう。歴史の意味も不必要になってしまうでしょう。BBC科学シリーズのこの本は、古本屋に行けば見つかるので、ぜひ読んでほしい。

宇宙の不思議と同じように、神秘や超能力があります。これらは、人間が本来生きるために備わってきたもののような気がする。人間は生命を維持しようとするがために、自分たちが証明できない能力を持っているはずなんです。これは、不思議でもなんでもなくて、事実、地球上に人間が存在していることからもわかる。

例えば、自分の細胞膜を全部解いていったとしても、自分というものを見つけることは非常に難しいし、感性や精神を取り出すことはできないでしょう。

宇宙というものは、人間や自然が全体の一部であってそれらがその中に存在しているということ。ぼくたちが想像できる善や悪も、この宇宙に、あるいはぼくらの中に持っていることでもあるわけだから。

自然が破壊されていくことが、今、自分には関係のないことではないとの認識も必要かもしれない。

ぼくたちの生命は、ただ単純に存在しているのではなく、過去のいろいろな積み重ねによってあるものだから、それをぼくたちだけで終わらせてしまうことは許されないでしょう。

ぼくたちがなぜ生きているか、なぜ生きようとしているのか。そう問いつづけることは、自分とは何かを探ることに他なりません。答えの出ない問いを、これから先の人たちに送り綱いでいく。それがぼくたちの生きている意味のような気がする。

小林健二(1989)

小林健二

「アンネの童話集」小学館
アンネ・フランク

ナチスの迫害を受けたアンネ・フランクの童話集。この物語には、物事に対する鋭い洞察力が含まれています。人間は、人種で感性に差があるとは思えないし、特殊な状況の中でしか、このような物語が生まれないわけではないと思う。戦争に生きた人の残した形を読み取ることは決して無駄にならないのです。

「空気の発見」角川文庫
三宅康雄

空気の疑問をわかりやすく、多角的に解き明かした科学の本。著者は科学教育が科学史と結びついてなされることを主張する三宅泰雄。本書は、空気をつかむまでに長い苦労があったことをエピソードを交えて優しい文章で語られている。空気の重さや色、窒素や酸素の発見など、40のテーマからなっている。

「星の王子さま」岩波書店
サンティク・ジュペリ
*画像はフランス版

幼い頃手にしたことがある「星の王子さま」は、意外と読んでいない人が多いかもしれません。読んでは見たけれど、感じ取れない人がいるような気がするのです。もう一度読んでみることをお勧めしたい。かつて子供だったことを忘れてしまう大人にならないために、「星の王子さま」は大切な一冊です。

「ゴジラ(初代ゴジラ)」東宝 *書籍ではないですが、小林健二に影響を多大に与えた映画です。

これは怪獣物語ではない。戦争の苦しみと憎しみと悲しみから生まれたゴジラは、実は被害者なのです。つまり「ゴジラ」は反戦の映画だった。海底に眠っていた恐竜が、水爆実験の影響で怪物と化し、東京を襲う。

*ほかにもこの記事の中では、おすすめ映画として「2001年宇宙の旅」をあげています。

*1989年のメディア掲載記事を抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

 

 

[鉱石ラジオを楽しむ] 前編

*「無線と実験(1998年2月)」の記事より編集抜粋し、画像は記事を参考に付加しております。

小林健二製作の鉱石ラジオやゲルマジオ、鉱石ラジオキットや代表的なコレクションなど。

小林健二製作の鉱石ラジオやゲルマラジオ、鉱石ラジオ部分品、鉱石検波器、鉱石ラジオキットや代表的なコレクションなど。

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通巻900号おめでとうございます。現れては消える昨今の雑誌状況の中で通巻900号、’74年の続刊はまさに『継続は力なり』を感じさせ、また同時にどれほど多くの読者に親しまれ支持されて来たかを彷彿とさせてくれます。

私の実家も以前蓄音機やレコードを扱う仕事をしていたためか、子供の頃店に常に数冊の「無線と実験」があったことを思い出します。おそらく親子三代に渡り愛読されている方々もあるかも知れません。私のようにこの雑誌のファンの一人としてあった者が、通巻900号の記念号に記事を寄せることができたというのは誠に幸せなことであります。

創刊時に於いてはその発行の辞にあるように『無線科学普及の目的を以て本誌を創刊せり』とあり、まさに『無線と実験』の銘が示すとおり、高周波系の内容であったことは周知のとおりであります。そこでとりわけ戦前の記事の中に登場した鉱石ラジオなる、半ば幻想的な受信機について少々述べさせていただき、まさに我が国の電子世界の幕開けの時代を、当時を知る方々に回想を持って、そして、未知の方々には一種の追体験をしていただけたらと思う次第です。

「鉱石受信機」とは、検波部に鉱物の結晶を用い、電池や家庭交流電燈などからの電源を用いなくても作動する受信機のことです。(感度を上げるため、電池で検波器にバイアス電圧を印加するタイプも一部にはありました)

この受信機の活躍した期間はそれほど長くはなく、最も象徴的な構造を持っている『さぐり式』に至っては、実質10数年と言っても過言ではないほど短命でありました。歴史的な存在としてそのような『さぐり式鉱石ラジオ』を知っておられる方々も時々お会いしますが、実際にその受信機で放送を聴いていたという方はすでに稀になっていると言えるでしょう。

製品としての当初の鉱石受信機は、高価な割には工作法さえ知っていれば原理的な事柄を熟知していなくても製作することができるため、当時の科学少年たちによっていたるところで作られました。JOAK開局当時はまだ一局しか放送所がなかったわけですので、同調回路も基本的には省くことができ、検波用鉱石とハイインピーダンスのヘッドフォン、それに空中線と接地線をつなぐことですぐに放送を聴取できたのです。それらは実用的な側面が中心であったことは確かですが、事実彼らラジオ工作少年たちの背景を考えれば、聴こえるはずのない『魔法の声』との出会であったということです。

現代に生活する私たちにとってテレビやファックス、携帯電話は日常的な機器です。しかしながら「無線と実験」が創刊されたり、ラジオ放送が始まった時代では、ただの箱に見えるものから人の声が聴こえてくるということは、まさにそれだけで驚きであったのでしょう。その不思議さからその後電気の世界に入り、やがて電気製品の開発や普及をする現代の電子企業の礎を創った人々も多いと聞きます。

何事も巨大化し複雑になっていくように見える現代、鉱石受信機のような素朴で親しみやすい ラジオを作ることで、いろいろな方々が趣味の工作を楽しまれるということを、私は望んでいるのです。

JOAK開局から間もない頃、当時のVIPに贈呈された珍しい鉱石受信機。固定式鉱石検波器が使用されている。(小林健二蔵) W140xH67xD102mm

JOAK開局から間もない頃、当時のVIPに贈呈された珍しい鉱石受信機。固定式鉱石検波器が使用されている。(小林健二蔵)W140xH67xD102mm

国産の鉱石受信機

国産の鉱石受信機

検波器はまだ完全にはレストアされていない。内部はしっかりとしており、表の検波器と並列に内部に「フォックストン」と呼ばれる古河電気の固定式の検波器がついているのが面白い。下部の引き出しには受話器が入っている。(小林健二蔵)W260xD227xH270mm

検波器はまだ完全にはレストアされていない。内部はしっかりとしており、表の検波器と並列に内部に「フォックストン」と呼ばれる古河電気の固定式の検波器がついているのが面白い。下部の引き出しには受話器が入っている。(小林健二蔵)W260xD227xH270mm

私自身はゲルマラジオを含めると、自作した鉱石式受信機は数十台あって、その一つ一つ形状や大きさ、回路や部品など、それぞれを色々に変化させてりして楽しんでいます。オモチャっぽいもの、昔式の重厚なもの、歴史的には姿を現さなかった創造的なものなどです。回路自体がとてもシンプルなため、その時の思いのままに製作できて工作の楽しみを味わうのにこの上ないテーマを与えてくれます。鉱石ラジオやゲルマラジオというと、やはり子供っぽい玩具的なイメージがあるようですが、初期の鉱石式受信機というと必ずしもそうではありません。そんなタイプの昔風の鉱石受信機について少し述べてみたいと思います。

[昔風鉱石受信機] つまみ、ターミナル、ノッチスイッチ、検波器の金属ホルダー、コイル、バリコン、木製筐体まで全て小林健二の手製。W340xD203xH185mm

[昔風鉱石受信機]
つまみ、ターミナル、ノッチスイッチ、検波器の金属ホルダー、コイル、バリコン、木製筐体まで全て小林健二の手製。W340xD203xH185mm

昔風鉱石受信機の内部 小林健二手製のバリコン、バリオメーター、バリコカップラーなど

昔風鉱石受信機の内部
小林健二手製のバリコン、バリオメーター、バリオカップラー、接合型鉱石検波器など

バリコンの製作

バリオメーターの製作

バリオカップラーの製作

ガラスケースに収めた接合型鉱石検波器(小林健二製作)

ガラスケースに収めた接合型鉱石検波器(小林健二製作)

接合型鉱石検波器の製作

 

*鉱石ラジオの部分品の製作記事をリンクしておりますので、参考にしてください。

写真にありますように外観は何か測定器のような感じで、子供の頃のなつかしい思い出と照らすとちょっと異なって感じる方もおいででしょう。しかし、鉱石受信機とは当初このようなものでした。構造的にはゲルマラジオとほとんど同じく、同調回路と検波部、そして受話器や空中線、接地線といった構成です。このタイプの鉱石受信機を製作する楽しみは、高い電源電圧が印加されないパーツにおいて、安全に各部品の工作をすることができるということです。

通常バリコンのような精度を要求される機械的構造を持つパーツは、アマチュアには製作できないと言われていますが、コンデンサーの原理を考えれば簡単なところから始めていくと工作的には難しいことはありません。

そして段々と工作技術が進んでいけば、写真のような機械的にも安定し、見栄えもそう悪くないエアバリコンを製作することも想像よりはるかに楽しんでできると思います。私自身仕事の上で金属加工をすることはありませんし、このバリコンを作るにあたっても旋盤などの専門的に見える機械はほとんど使用しないで作業を行いました。もちろんボール盤があると工作全般、何においても便利ですが、あとは糸ノコとヤスリくらいで製作可能です。

これらのバリコンを作る技術がありますと、今ではほとんど入手不可能となったタイプのバリコンも自分の望んだように製作できますし、壊れてしまった部分品を修理することもできます。また下辺を必要としないコンデンサーであれば、さらに色々とつっこんだものも製作可能です。

もし外形がメーカー製と比べて大きめになってしまっても構わないならば、様々な方法で容量、特性、体圧のものを作ることができるでしょう。

次にコイルですが、鉱石ラジオといえばスパイダーコイルを連想される方もいると思いますが、実際はソレノイドコイルかそれに準じたタイプのものが多かったようです。ただ今日の自作コイルと比べると特性の良いコイルの理論が確立していなかったのと、手作りでは量産向きではないものや、少々特性などを犠牲にしても機械的に作りやすいものとかがいりみだれていて、まさに様々な形状のコイルがありました。たいていの場合、工作的に考えればどれも興味深く色々と作ってみたくなるものばかりです。

小林健二自作のコイルの一部。左上から二番目の黄色い線を使用しているコイルは小林健二設計による名付けて「クラウンコイル」

小林健二自作のコイルの一部。上の左から二番目の黄色い線を使用しているコイルは、小林健二設計による名付けて「クラウンコイル」

海外ではこの黎明期のコイルを、ちょうど真空管をコレクションするのと同じように集める人も多いと聞いたことがあります。実際私自身も色々な文献などで変わったコイルの記事や写真を見て、とりあえず実験的に作ってみると、確かにだんだんとコイルだけでも面白くなって、今までに随分とたくさん作ってしまいました。鉱石ラジオのコイルを作る理論上では、基本的に線間に発生するコンデンサー成分をなるべく少なくすることでQ(クオリティー)の向上を図るようです。そんなわけで昔はやった女の子たちのリリアンのようにバスケットコイルやパンケーキコイルを作るのは楽しいものです。

コイルでも可変インダクターとして使用されるバリオメーターやバリオカップラーについては、高度なバリコンを作るのと同じように相当する技術が必要になりがちです。しかしながらバリコンやバリアブルインダクターにしても、ピンからキリまで対応できるというのも鉱石ラジオの特性のひとつでしょう。

小林健二

1986年に小林健二が夢の中で見たラジオを最初に作った「サイラジオ」第1号、音量とともに頭部の色が変わり明滅する。

1986年に小林健二が夢の中で見たラジオを最初に作った「サイラジオ」第1号、音量とともに頭部の色が変わり明滅する。

故渋澤龍彦氏へのオマージュとして’87年に作られたサイラジオの第2号。「悲しきラヂヲ」と名付けられている。一号機と同じく上部の結晶の色は明滅して変わる。下部には青色に光る環状列石のような石英が配されている小部屋がある。「サイラジオ」は鉱石ラジオではない。

故渋澤龍彦氏へのオマージュとして’87年に追悼のための本が作られた。存命中「サイラジオ」一号が小林健二個展に展示され、氏が訪れた時に展示場所が地下で電波がうまく受信できずにいた、そんな思いからか本の記事にさいし、サイラジオの第二号を小林は製作。「悲しきラヂヲ」と名付けられている。一号機と同じく上部の結晶の色は明滅して変わる。下部には青色に光る環状列石のような石英が配されている小部屋がある。「サイラジオ」は鉱石ラジオではない。

*以下、小林健二の不思議な電気を使用した作品を紹介します。

すでに1000人ほどの人がこの不思議な受信機から「過去の放送」を聴いたと言われる。 [IN TUNE WITH THE PAST TENSE]と名付けられた作品。

すでに1000人ほどの人がこの不思議な受信機から「過去の放送」を聴いたと言われる。
[IN TUNE WITH THE PAST TENSE]と名付けられた作品。

小林健二作品[IN TUNE WITH THE PAST TENSE] 「地球溶液」と言われるアース部分。

小林健二作品[IN TUNE WITH THE PAST TENSE]
「地球溶液」と言われるアース部分。

小林健二作品[IN TUNE WITH THE PAST TENSE] 透きとおった鉱物にタングステンの針を当てて検波すると、クリスタルイヤフォンで放送を聴くことができる。

小林健二作品[IN TUNE WITH THE PAST TENSE]
透きとおった鉱物にタングステンの針を当てて検波すると、クリスタルイヤフォンで放送を聴くことができる。

小林健二作品[夜光結晶短波受信機] 後ろの箱は電源。ディテクター(左)、スピーカー、本体(右)

小林健二作品[夜光結晶短波受信機]
後ろの箱は電源。ディテクター(左)、スピーカー、本体(右)

小林健二作品[夜光結晶短波受信機] 高さ18.5cmの小さなスピーカー。金属の鋳造によって作られている。

小林健二作品[夜光結晶短波受信機]
高さ18.5cmの小さなスピーカー。金属の鋳造によって作られている。

小林健二作品[夜光結晶短波受信機] ディテクター(検波部)、中の発光し透き通る赤色と緑色の石を、青色に光っている金属に当てるとヅピーカーから音が聴こえる。

小林健二作品[夜光結晶短波受信機]
ディテクター(検波部)、中の発光し透き通る赤色と緑色の石を、青色に光っている金属に当てるとスピーカーから音が聴こえる。

 

[鉱石ラジオを楽しむ]後編

KENJI KOBAYASHI

 

 

受話回路(ヘッドフォンやイヤフォン)

受話回路は基本的には受話器だけで、検波回路によって高周波電流から分離された音声信号を実際に耳に聞こえるようにする部分です。受話器にはヘッドフォンとイヤフォンがあります。

ヘッドフォン

ヘッドフォンの外観は現代のものと似ていますが、スピーカーなどを鳴らすほどの力のない1球式(真空管)ラジオに使用されるためにとても高感度につくられていました。 1875年にアメリカのベル Alexander Graham BELL (1847-1922)によって発明され、やがて電話の交換手の両手を自由にするため頭に乗せる受話器として改良された時計型受話器を原型としています。

JOAKの本放送が始まった大正14年当時のヘッドフォン付き鉱石ラジオ。

JOAKの本放送が始まった1925年頃のヘッドフォン付き鉱石ラジオ。

精度高く作られた当時のヘッドフォンは「素人には決して工作できない」と本にでてきますし、「初心者には片耳式で充分」と言うようにとでも高価でもありました。当時の雑誌の記事にも「鉱石ラジオは作ってみたが、受話器が高くて放送はまだ聞いていない」といったものを見かけます。

鉱石ラジオや1球式ラジオが全盛のころに最も多く作られ普及しましたが、鉱石ラジオ本体よりも高価なものだったようです。

両耳式ヘッドフォンのいろいろ

両耳式ヘッドフォンのいろいろ

ヘッドフォンの受話部分の中の状態

ヘッドフォン受話部分の中の状態

代表的なヘッドフォンの構造です。エボナイトでできたケースとその中に永久磁石、極片と呼ばれる軟鉄製の鉄芯にコイル、それに薄い鉄板製の振動板から成り立っていました。

代表的なヘッドフォンの構造です。エボナイトでできたケースとその中に永久磁石、極片と呼ばれる軟鉄製の鉄芯にコイル、それに薄い鉄板製の振動板から成り立っていました。それぞれの部品は感度を上げるためにいろいろ工夫がしてありました。永久磁石は永磁性を失わないようにタングステン綱やクローム綱を用い、振動板はスタローイ綱板にクロームのメッキをし、コイルは0.05~0.08 mmのとても細い絹巻き銅線によって6000~ 20000回くらい巻かれてありました。 これらは当時では高度な技術であったと思われます。

作動原理は、永久磁石によって磁化された鉄芯が0.2mm前後の空隙(ギャップ)をへだててうすい鉄板を常に引きつけています。やがてコイルに音声信号が入ってくると電磁石の原理でコイルには交番する強弱を伴った磁力が発生し、振動板を振動させ、それが音として聞こえるようになるのです。

1、振動板は常に永久磁石の力でほんのすこしのギャップを開けて引きつけられている。 2、コイルに交流電流が流れると電磁石の原理でコイルの鉄芯に微弱に変化する磁力が発生する。 3、2で発生した磁力が永久磁石の磁力を強めたり弱めたりすることで、引きつけられていた振動板が振動子、音が発生する。

1、振動板は常に永久磁石の力でほんのすこしのギャップを開けて引きつけられている。
2、コイルに交流電流が流れると電磁石の原理でコイルの鉄芯に微弱に変化する磁力が発生する。
3、2で発生した磁力が永久磁石の磁力を強めたり弱めたりすることで、引きつけられていた振動板が振動子、音が発生する。

振動板の厚さは普通0.1mm程度で、薄ければ薄いほど感度はよくなりますが、あまり薄いと周波数特性が悪くなり、音がよくなくなります。また固有振動数を音声の周波数より高くしないと、ビリビリしたりキンキンと共振してしまう音域ができてよくありません。またゴムの輪をパッキングにすることで共振を起こさないように工夫されていて、直径はだいたい5cmくらいです。

コイルは直流抵抗でおよそ1~ 2 kΩ くらいで(テスターなどではかる場合)、インピーダンス(Z:交流における周波数によって変化する抵抗分)は1kHzで10~ 40 kΩ くらいです。インダクタンス(L)は0.5~ 3Hくらいです。

またこのヘッドフォンには別の構造をもったものもいくつかあり、例としてはバランスドアーマチェア型とかマグネチックコーン型と呼ばれるもの(ヴォールドウィンマイカ受話器など)があります。

下が一般的なヘッドフォン、上がヴォールドウィンマイカ受話器です。

下が一般的なヘッドフォン、上がヴォールドウィンマイカ受話器です。

永久磁石の磁極(N、S極)の間にコイルを置いて、さらにその中に軟鉄片を、その中心のところを支点としその一端をレバー(ビヴォット)として、マイカでできた振動板を動かすことで音に変えるというものです。このタイプを測定してみると以下のようなスペックになりました。 R=693Ω 、 Z=29 3kΩ (l kHz)、L=1.48H またどのタイプにおいても、両耳式と片耳式がありました。

永久磁石の磁極(N、S極)の間にコイルを置いて、さらにその中に軟鉄片を、その中心のところを支点としその一端をレバー(ビヴォット)として、マイカでできた振動板を動かすことで音に変えるというものです。このタイプを測定してみると以下のようなスペックになりました。 R=693Ω 、 Z=29 3kΩ (l kHz)、L=1.48H
またどのタイプにおいても、両耳式と片耳式がありました。

イヤフォン

イヤフォンにはクリスタル式とマグネチック式があります。マグネチック式はヘッドフォンと構造が似ていて、インピーダンスが8Ω とか16Ω とひくく、もっと電力がないと鳴らすことが出来ないものが多いので、鉱石ラジオには向きません。

クリスタル式は価格的にも感度的にも、そしてクリスタルを用いるところなどもまさに鉱石ラジオ(クリスタルセット)にはぴったりのものでしょう。

ただ実際は、戦後になって鉱石ラジオがゲルマラジオに置き変わったころにヘッドフォンがクリスタルイヤフォンに置き変わっていったので、ちょっとすれ違いの感じです。このクリスタルイヤフォンも残念ながら最近では日本で生産されていないと思いますが、ジャンク屋や古い電気屋さんにきいてみるとけっこう手に入るはずです。

構造はこのようになっていますが、これはロッシェル塩Rochelle saltと呼ばれる結晶を使っています。

構造はこのようになっていますが、これはロッシェル塩Rochelle saltと呼ばれる結晶を使っています。

ロッシェル塩は酒石酸ナトリウムカリウム四水和物

(Potassium Sodium Tartrate Tetrahydrate 2NaKC4H406・4H20)で、酒石酸を中心とした水和化合物です。酒石酸は天然のブドウやその他の果実中に存在してワインを醸造する過程等で作られ、昔のサイダーやラムネの味付けにも使われた清涼感のあるすっぱい味のものです。

ロッシェル塩は1672年、フランスのロッシェルという町の薬剤師セニェットSEIGNETTEがワインを作る際に副産物としてできる酒石を原料にして精製して利尿効果のある家伝の秘薬として発売したものです。地名からロッシェル塩、あるいは創製者の彼の名前からセニェット塩とも呼ばれ、無色透明の斜方晶系半面像晶族(Rhompic-hemi-hedral class)に属する粒状結晶です。

このロッシェル塩にはピエゾ圧電気効果piezo-electric effectというおもしろい性質があります。これは水晶、 トルマリン、リチア電気石などにもあり、1880年にキュリー兄弟Paul Jacques CURIE(1855-1941)、Pierre CURIE(1859-1906)によって発見されました。

上記の結晶に機械的に圧力を加えるとある方向に電気(起電力)を発生させるというもので、 トルマリンなどが電気石と呼ばれるのはそのためです。そしてその逆に結晶に対してある方向に電圧を印加すると機械的に歪むことを、 翌1881年に同じフランスのリップマンGabriel LIPPMANN(18451921)が発見しました。これをピエゾ圧電気逆効果converse piezo- electric effectと言い、クリスタルイヤフォンはこの性質を利用しているのです。水晶は高い周波数で発振できるので水晶振動子としてクォーツ時計などに使われ、低い周波数でも最も大きく振動するこのロッシェル塩の結晶がクリスタルイヤフォンに使われています。

クリスタルイヤフォンの構造イヤフォンの構造についてもう少し説明すると、内部に入っているロッシェル塩の結晶は1cmヘーホーくらいのものを厚さ0.3 mmほどにスライスして、2枚を電極をはさむように接着してあります。このようにクリスタルイヤフォンはコンデンサーと同じ構造なので、検波回路で並列につなぐコンデンサーが必要ない場合が あると説明したのはこのためです。

またこのクリスタルイヤフォンは弱く、直流の電圧がかかるとこわれることもあるので、並列に抵抗(500 kΩ ~ 1MΩ )を入れたりします。

ロッシェル塩は音声信号によって振動して、さお(レバー)と呼ばれる支持体によってアルミの薄い0.1mmほどのコーン状の振動板を動かして発音する仕組みになっています。直流抵抗Rはもちろんコンデンサーと同じではぼ無限大、インピーダンスZは100 kΩ~ 5MΩ (メグオーム)くらいです。

市販されていたクリスタルイヤフォンも後期のものは、ロッシェル塩のかわりにチタン酸バリウムを用いて作ったピエゾ圧電素子を使っているようです。

イヤフォンの中の構造

近年のイヤフォンの構造

ロッシェル塩については人工結晶を作るでもご紹介しております。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

KENJI KOBAYASHI

 

[鉱石式送信機]と[1930年当時の鉱石検波理論]

鉱石式送信機

鉱石ラジオが全盛だったころ、鉱石ラジオの受話器に話しかけると近所のラジオに混信してその声が聞こえるという報告が当時の雑誌にいくつか紹介されています。これはもしかしたら鉱石式受信機が送信機になったということでしょうか。

ひとつにこの現象はアンテナをコンデンサーを介して電灯線から取っていたために起こったのではないかと説明されていますが、電源もない受信機から送信ができるとはおもしろいことだと思います。ぼく自身も本当にこの不思議な現象を何度か実験で確かめていますが、この事実を安定して作動させることはとても難しいと思います。そこでぼくは鉱石式電波発生器を使って簡単な信号を送る実験をしてみたいと思います。

ジャンク屋で手に入れたちょっと大型のライターなどの発火装置

ジャンク屋で手に入れたちょっと大型のライターなどの発火装置

鉱石式電波発生器とはいったいなにかというと、ライターなどの発火装置のことです。上の画像のものは、おそらくガス給湯器の発火装置なのでしょう。これらはピエゾ圧電素子を利用したものでボタンを押すとレバーとスプリングの機構によって中にある圧電素子をハンマーが強くたたいて、高い電圧が発生する仕組みになっています。この素子から出ている電線の端を導体に近づけると4~ 5 mmのギャップで火花が出ます。人体に触れるとビリッと衝撃を受けます。この線を空中線に接続してボタンを押すと、普通のAM受信機の局間などでパチッパチッという音を受信します。これは一種の火花送電です。

そしてもちろん鉱石ラジオでも受信ができます。

(ここで小林健二が電気工作に熱中するきっかけとなる出来事を、彼の著書「ぼくらの鉱石ラジオ」から拾ってみました。)

ぼくにとって、電子工作につながる道は意外なところから開けました。

10代のころから高じてきた音楽の趣味から、多重録音をしていろいろ曲を作っていたのですが、そんな時にいつもエフェクター(音質などをいろいろと変える機械)がほしくて、でもお金がないので、カタログを見てはあこがれる純情な毎日でありました。20代の初めのそんなある日、ギターやキーボードの雑誌でエフェクターの制作記事を見かけ、ビンボー人の執念とは恐ろしいもの、前後の見境もなく秋葉原に直行し、マッド・エクスペリメントの始まりとあいなったわけです。

当初の製作物のうち、いちおう音の出るものもあったとはいえ、一部は音のかわりに煙を出し、コンデンサーが爆竹のかわりになったりもしました。そしてその他はほとんど、なにより恐ろしい沈黙を守っていたのです。

秋葉原へのお百度参りは回を重ね、みんなから定期が必要とまで言われながらも、機械の作製は遅々として進まず、いつのまにか「電気いじりは日常」というアリ地獄ならぬ電気地獄にひきずりこまれてしまいました。友人を巻き込み、私財をなげうってのこの壮大な試行錯誤の日々は、またたく間に生活をおびやかしていきました。

そんな時、たまたま友人といっしょにDNR(ダイナミックノイズリダクション)を作っていると、ノイズを取るどころかほとんどハム(雑音の一種)発生器となった基盤の上で、ぼくらのシグナルトレイサー(回路の信号をチェックする機械)はなんと、ふいに飛び込んできたラジオ放送をキャッチしていました。

しかも、装置の電源を切った後でさえ、その放送はとぎれることがなく、音楽や会話を聞かせつづけたのです。一人になったアトリエで、ぼくはその省エネルギー的遊びをつづけました。こんなにラジオをまじめに聞いたことがはたしてあったでしょうか。イヤホーンから聞こえてくる小さな声の放送に、はじめてセンチメンタルで美しい、そして空が急に広くなりそよ風の吹いてくるような、あの電波少年たちの想いを受け取ったのだという確信をぼくは抱きはじめたのです。

小林健二が20代のはじめ頃に作った音楽のエフェクターの一つ。

小林健二が20代のはじめ頃の自作機材。

original-effector from Kenji Channel on Vimeo.

1930年当時の鉱石検波理論

・熱電流説―一検波器の回路の中に高周波電流が流れるたびに、細い金属と小さな鉱石との接点において局部的に熱が発生することによる、というものです。この抵抗熱と熱電流によって接点の温度が変化し、それによっておこる抵抗の増減が高周波交番電流に作用し、電流がピークを迎えたとき、発電量と抵抗値が増えることによって、タイミングが合った部分の交流分の片方が流れにくくなり、整流されるというものです。

・表面酸化説一一上記のものとだいたい同じようなものですが、やはり高周波電流によって温められた接点の金属がそのつど酸化することで、金属どうしの接点抵抗が変化し、整流されるというものです。

・熱起電力発生説ーー図のように2種の金属、たとえば鉄と銅をねじりあわせたものに、ヘッドフォンをあてて金属のねじったところをろうそくなどの火であぶると、ガリガリッと音が聞こえてきます。これは2種の金属に熱を与えたことで、電子がはじき出され、電流をおこしてヘッドフォンで聞こえたのです。これと同じように、高周波電流によって温められた2種の金属の熱起電力によって、音として検出できる低周波電流に変化するというものです。

熱による起電力の発生

熱による起電力の発生

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

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「見えない」領域が見えてくるカタチ

色とりどりの瓶、様々な形の鉱物、世界各国の工具、膨大な書籍・・・・

小林健二のアトリエは、まるで宇宙の真理を探るマッド・サイエンティストの研究室のよう。訊ねれば、瞳を輝かせて油彩絵の具の製造法から最新の電子工学、聖書や戦没者の遺歌まで話が及ぶ。

「ぼくが好きで調べているだけ」と断りを入れながら、「人間は、長い歴史の中で天然の”もの”と対峙するための手続きをひとつずつ発掘してきた。だけど現代は、便利さに目を奪われて結果しか見ない。それが、どんなに地球と人間自身を損なっているか・・・」。

安易に浪費する一方の現代社会への危機感をにじませる。

1999年頃の小林健二アトリエ(執筆するための部屋の一角)

1999年頃の小林健二アトリエ(執筆するための部屋の一角)

1999年頃の小林健二アトリエ(絵画材料の一部、樹脂や溶剤など。研究資料としても海外から取り寄せたものも並ぶ)

1999年頃の小林健二アトリエ(絵画材料の一部、樹脂や溶剤など。研究資料として海外から取り寄せたものも並ぶ)

1999年頃の小林健二アトリエ(鉱物標本も箱にしまってあるものの他に、実際に仕事場に飾ってあるものも多くある)

1999年頃の小林健二アトリエ(鉱物標本も箱にしまってあるものの他に、実際に仕事場に飾ってあるものも多くある。左側に執筆部屋が見える。)

1999年頃の小林健二アトリエ(車庫を改造して作った書庫。天井まで続く書棚には古今東西から集められた書籍の数々。)

1999年頃の小林健二アトリエ(車庫を改造して作った書庫。天井まで続く書棚には古今東西から集められた書籍の数々。)

彼は一番強い生物。何故ならものを悩んだり、企んだりする脳を持っていないから。彼は一番強い生物。何故なら光の力をそのまま自分の血や肉に変えているから。彼は一番弱い生物。思いっきり愛することのできる重いハートを、4本の足で支えなければならないから。」 小林健二(16歳の時に描いた絵)

「彼は一番強い生物。何故ならものを悩んだり、企んだりする脳を持っていないから。彼は一番強い生物。何故なら光の力をそのまま自分の血や肉に変えているから。彼は一番弱い生物。思いっきり愛することのできる重いハートを、4本の足で支えなければならないから。」
小林健二(16歳の時に描いた絵)

新橋生まれの東京人。幼い頃から博物館に通い、古本屋に出入りしていた。16歳で現在の思考の原型となるインク画を描き、20歳より本格的な創作活動に入る。

心根では人間に対する興味と敬意を抱きつつ、日常では人に会うのが苦手だという。

もの作りに精通した小林の表現は、実に多彩なカタチで現れる。

絵画、立体、大がかりなインスタレーションなど、美術分野だけでなく、詩や音楽も作る。電波を受信するとガラスドームの中の結晶がささやくように明滅するラジオは「ぼくらの鉱石ラジオ」(筑摩書房)を著すきっかけとなった。あらゆるジャンルを横断しながら、すべての作品が、確かに小林健二の手から生まれたという印象を放つ。言葉に置き換えるのは難しいが、世界の根源にアクセスするキーワードのようなものとでも言おうか。

たとえば、東京での新作展では、古い地層から発掘された土器か、未来の機械の部品のような品々が並んだ。作品として”見える”ものは、ささやかで親しみ深い姿形だが、同時に太古の物語や未知の文明など”見えない”領域へ、見るものをの想像力を無限に刺激する。

小林健二作品「夢の授業の出土品」

小林健二作品「夢の授業の出土品」

「夢の授業の出土品」 ぼくは夢の中で小学生のような授業に出席している。先生はムラサキ色とピンク色で、屋外へ出て過去を発掘する実習をするという。地面のいたるところから土器のような焼成物が出土するが、少しもいたんでいないようだ。ぼくの知らない時代や文化のものだが、文字があるものもある。先生はいつのまにかミドリ色になって「確かにその世界は存在している。ただ誰にも見えないんだ。」というような事を言って授業は終わる。

「夢の授業の出土品」
ぼくは夢の中で小学生のような授業に出席している。先生はムラサキ色とピンク色で、屋外へ出て過去を発掘する実習をするという。地面のいたるところから土器のような焼成物が出土するが、少しもいたんでいないようだ。ぼくの知らない時代や文化のものだが、文字があるものもある。先生はいつのまにかミドリ色になって「確かにその世界は存在している。ただ誰にも見えないんだ。」というような事を言って授業は終わる。

小林健二個展「6月7日物語]

小林健二個展「6月7日物語]

「大事な事は、見えないところに潜んでいる。見えるものはひとつの結果に過ぎなくて、見ようとする意志が大切なんだ。ぼくの作品に出合った人それぞれがイマジネーションを広げ、自分の中を探検し、その人なりのものを見つけられたら、そんな素敵な事はないさ。」

これは、流行や虚栄や権威に惑わされ、かえって孤独に陥っている現代人への、小林の祈りに近い想いなのかもしれない。

「アートに力があるとすれば、お互いの価値を認め合い、みんなで話し合える場になることじゃないかな。そうなれば、人は誰も独りじゃないさ。」

鉱石ラジオが受信した音のように、彼の想いは密やかに心に響く。

*1999年のメディア掲載記事を編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

Kenji-Kobayashi-Library from Kenji Channel on Vimeo.

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[見えない世界へ通じる魅力]ラジオ工作

ぼくは電子工作が好きなので秋葉原の部品屋によく出かける。家電などを扱う表通りに対して、その場所は電飾もなく、昔の「ヤミ市」とはこんな感じかと思わせるところが多い。タタミ一畳ほどのブースのような小さな店には、数え切れない電子部品が並べられていて、それと同じ数の夢まで詰め込まれているようだ。世の中に二つとないこんな不思議な世界を、ちょっと興味のある方は観光してみたらどうだろう。

東京秋葉原ラジオデパートのショップガイド、1994年のもので、CQ出版社が出している。この建物の中に電子部品を扱うブースがひしめいている。

東京秋葉原ラジオデパートのショップガイド、1994年のもので、CQ出版社が出している。この建物の中に電子部品を扱うブースがひしめいている。

しかしながら、この「電子人生横丁」に入る人の数も年々減ってきていると聞く。確かに最近、ぼくもこの場所で子ども達と出会わなくなったと思う。

そんなわけだからラジオ工作の雑誌は今ではほとんどが廃刊になったり、オーディオ雑誌へと変貌していたりするというのもうなずける。「 ラジオの製作」はそんな中、よくぞ続いているものだと感心する。早速7月号を見てみると、まず別冊付録が挟まっていて、「組み立てようぼくだけのパソコン」とある。

「ラジオの製作」電波新聞社

「ラジオの製作」電波新聞社

「ラジオの製作」1998年7月号

「ラジオの製作」1998年7月号

お金さえ出せば何でも手に入る時代になっても、かつての工作少年を思い出すようで面白い。記事には「ポケット・ラジオの製作」「タッチ・ランプの製作」「ステレオアンプの製作」と電子工作が9種も載っている。余暇の過ごし方がイマイチと感じる人がいるなら、これらの実用性?もある電子工作にふけってみるのも一考だろう。回路図が読めなくても作れるような配慮は嬉しい。

「エレクトロニクス入門」というコーナーでは、デジタル回路について、一般読者にもわかりやすい連載もある。日頃「もう少し電気に強かったら」と嘆いている方には打って付けではないだろうか。最近は「理科離れ」「手を動かさない日本人」とか言われるが、同じフレーズは戦前の本にも顔を出していた。基本的にはあまり変わっていないのだから、落ち込む前にこんな雑誌を覗いてみたらどうだろう。ひょっとするとヤミツキになるかもしれない。

電子の世界というと、難しい数式が支配する「合理性の親玉」というイメージがあるようだが、「ラジオ工作」に代表される電子工作について言うならば、それは当てはまらないと思う。むしろ詩の世界に通じるものがあって、その向こう側に、電化社会の便利さに追いやられてしまった大切なものを発見できるかもしれない。

本来、電子も電波も目には見えないものである。しかしかつて、幾多の少年たちの夢や期待を育んだ透明な通信の世界は、現代に生きるぼくたちに、便利なものだけでは見つけられないものがあることを伝えているような気がする。

小林健二

昭和20年代の頃には「ラジオ」とつくタイトルの雑誌が、いろいろ出版された。

昭和20年代(1950年頃から)の頃には「ラジオ」とつくタイトルの雑誌が、いろいろ出版された。

大正時代の電気の雑誌。鉱石ラジオに関する記事もあり、「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」を書くにあたって、古書店巡りに明け暮れた頃、何冊か昔の本や雑誌に巡り会えた。そのうちの二冊の雑誌。

大正時代の電気の雑誌。鉱石ラジオに関する記事もあり、「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」を書くにあたって、古書店巡りに明け暮れた頃、何冊か昔の本や雑誌に巡り会えた。そのうちの二冊の雑誌。

「ラジオの製作」は1954年に創刊、1999年に休刊になりました。また秋葉原の東京ラジオデパートの中では、現在営業していないお店もあります。

*1998年のメディア掲載記事を抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

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工作世界が教える身近な不思議との交感

「本を読んで心が癒されることがあったとしたら、それはとっても素敵だと思う。ぼく自身リラックスするのには、本はいつだって欠かせない。特に読む本は科学や工作や宇宙の本が好きだ。せわしない社会の中で生きるのは、人間たちが決めたルールであっても、知らず知らず身も心もがんじがらめになってることがあると思う。そんなよどんだ空気の底からサッパリとした気分で深呼吸するのに”星の世界”や”身近な不思議”は、ぼくにとっても大事なんだ。」

「昔は作る人と使う人がとても近いところにいたと思う。自分の感じた身近な不思議が好奇心となって何かを作らせる。そして使う人にもその物を通じてワクワクした心が通い合う。だからごくありふれた日常からも、物や人、作られたものを構成する木や石や金属、ひいては大地や大気に繋がって、いつでも自然と連絡する回路が確かめられるんだ。」

少年向けの工作本や科学雑誌は、今も氏の”癒しのバイブル”であり続ける。昭和初期に発行された、子供向けとは思えぬほど丁寧に取材構成され、詳細かつ美しい図解を多用した名著の数々。氏おすすめの「少年技師の電気学」(科学教材社、山北藤一郎著)、「科学する子供の為の模型航空機の作り方」(立命館、一柳直良著)、「子供の科学」(誠文堂新光社)など、古本屋で一度探してみては。

「少年技師の電気学」(科学教材社、山北藤一郎著)

「少年技師の電気学」(科学教材社、山北藤一郎著)

「科学する子供の為の模型航空機の作り方」(立命館、一柳直良著)

「科学する子供の為の模型航空機の作り方」(立命館、一柳直良著)

*1994年のメディア掲載記事を編集しております。

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