”不思議”にこだわる小林健二さん

静かな町並みを通って、彼のアトリエに一歩入ってビックリ。

ノミ、カンナ、ヤスリ、絵の具など、いろんな道具が所狭しと並んでいました。

作品を自分の手で生み出すことにこだわっているうちに、自然に集まったものだとか。

「人間と作られたものとの関係って、永遠に変わらないような気がする。千年以上前に作られたものでも、手で彫られた彫刻は、訴えてくるものがある(円空を小林は好きだと以前語っていたのを思い出す)」

「道具っていうのは、それが作られた国の文化を反映しているんだよね。もっと日本のことをよく知れば、インターナショナルになれるって気がする」

彼の今回の出品作品には「古事記」からテーマをとったものもあります。展覧会のタイトルである「黄泉への誓(うけ)い」と不思議な響きをもつ。

「黄泉への誓(うけ)い」会場写真

「ぼくは下町育ちだから、どちらかというと気が短い方かも・・それでも今の色々なことが進むスピードは異常な気がする。

喉がカラカラに乾いた時に飲む水のうまさを味わう暇さえないような・・・ほんとうに美味しい水を飲む時間を奪われているよう。それってある意味不幸だよね。」

それで時間のゆっくり流れていた昔を取り戻そう、って意味合いの「古事記」ですか?

「古代に帰りたいって意味ではないです。「黄泉の国」ってどうして黄色い泉って書くんだろう?とか、不思議なことを考えるのはとっても面白い。例えば「ヨモツカド」って作品では白い空を描いたんだ。空が白い曇りの日に、影が一つもできないことを発見して、そこで”存在する”っていうのはどういうことかな?って考えたりする。ぼくは”不思議”っていうことに興味があるんだよね。いろんな不思議に興味を持って、それをゆっくり考えることに。」

「ヨモツカド」1990
木に油彩、鉛
2230X2250X160mm

「ヨモツヘグイ」1990
木、合成樹脂、幽閉物、松ヤニ、鉛
112X177X90mm

「KRAKEN- 魚の日」1990 木に混合技法、鉛 1800X4050mm

「離宮珀水」1990
木、油彩、アクリル、合成樹脂、他
1120X1420X390mm

そういえば私たち、いろんなことに追われて”不思議”を考えることってなかなかしない。感覚を研ぎ澄ませて身の回りの不思議に敏感になれば、もっと豊かな時間を過ごしていけるかも知れません。

「アートって人同士理解したい、理解されたいって気持ちから起こったものじゃないかな?だから自分を見直すきっかけにもなってくれたりする。」

下町に生活する人々の元気で温かい雰囲気をそのまま呼吸して大人になったような小林健二さんだった。

*1990年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

 

現代によみがえる鉱石ラジオ

さぐり式鉱石ラジオをつくる(銀河通信社製鉱石ラジオキット『銀河1型』)

ではさぐり式とはいったいどんなタイプのものかというと、まさに鉱物結晶が目に見える形としてあって、そこに針状の接点をまさに感度の良いところをさぐりながらラジオを聴く、という式のものを言います。

今まで国産で作られたキットは、固定式鉱石検波器と言われる太さ1cm前後、長さ3-5cmくらいの筒状のものなどを使用したものもあったようです。

鉱石ラジオは、やはりこのさぐり式が鉱石ラジオたる醍醐味と言えるでしょう。

1、キットの内容は写真の通りで、サンドペーパーや小さなドライバーも入った完全キットとなっています。オマケにはゲルマニュームダイオオードが付いている説明書も入っているので、基本的にはこのままで組み上がるようになっています。しかしさらに小さめのドライバー(ブラスとマイナス)やハンダゴテ、しっかりとナットなどをしめるためのプライヤーなどがあると組み立てやすいでしょう。

2、作業はまずスパイダーコイルを巻くことから始まります。このスパイダー枠箱のキットの特性部品の一つで、まさに大正時代の製法によって黒色特殊絶縁紙を型抜後、一枚一枚高周波ニスで塗り固め田というもので、ファイバー製のものよりも手製の時代をしのばれるような感じを受けます。
手順や方法については、解説書に詳しく書いてあるので、ここではそこに書いていない部分に絞り、述べてみます。スパイダーコイルを巻くコツはとにかくゆっくりとあぜらず一巻き一巻き、きっちりとつめて巻いていく方が良いでしょう。かといって紙製の枠が壊れ流程力を入れてはいけません。回数を数えて巻くのは結構めんどうなものですが、このキットの場合、巻き切れればいいように設計されているので、お茶でも飲みながら楽しんで巻き上げていけます。方向は右回りでも左回りでもお好きな方をどうぞ。

3、中間のタップになるところは、赤と緑の線を10-15cmくらい絡めてから、また同じように同じ向きに巻いていきます。ゆっくりと同じくらいの速度と強さできっちりと写真のような感じで巻き上げましょう。この赤と緑のエナメル線も懐かしい感じがします。

4、コイルの巻き終わりは穴のある羽のところを1−2回ぐるっと線を回してから穴に通すとしっかりします。巻き始めの線、中間のタップの線、巻き終わりの線が、片方の面(同じ面)に出るようにしましょう。

5、ターミナルを付けます。これらはカラーベークのまさに鉱石ターミナルとかつて呼ばれていたものです。もうあまり見かけません。後ろから裏側で線を絡めるため、取り付けるときあまり固く締めないようにしましょう。(この画像は記事を複写しています)

6、バリコンを付けます。もしこのポリバリコンが金属製のバリコンだったら、まさに昔の鉱石ラジオのパーツが全て揃うところです。しかし今日では難しいでしょう。(銀河通信社では単連のエアーバリコンを使用したキットをいずれ発売予定とか)
ただポリバリといっても、すでに線もハンダ付けされているので工作は楽にできます。コツとしては線はいつも時計回りにターミナルに巻きつけること(締めるときに緩まない)と、線はピンと張らず少々たるむように配線することです。

7、バリコンにシャフトを付けます。この際、右にいっぱい回してしっかりネジ込みます。またネジロックや瞬間接着剤で固定した方がいいでしょう。ただ接着剤はくれぐれもはみ出さないようにしましょう。

8、ツマミを右にいっぱいに回した位置で、ツマミの後ろ側から小さなマイナスのドライバーでネジを締めて取り付けます。もっとしっかり取り付けたければさらに大きめのドライバーを用意して締めた方がいいでしょう。

9、鉱石検波器の鉱石の部分を取り付けます。裏側からナットを締めて付けます。まさにこのラジオの心臓部です。あまり鉱石の表面を素手で触るのはやめます。ここには方鉛鉱が使われていますが、方鉛鉱なら全て感度がいいという事はありません。このキットでは銀を多く含んだ特別に選んだ鉱物を使用しています。またその土台にも特殊な合金を使用して、一つ一つ手作業で仕上げています。

10、さぐり式の探る針はタングステンでできています。画像右上のように仮に取り付け、あとで調整します。

11、10の部分を裏から見たところです。S字の銅線ですでに配線されていたり、ベークのスペーサーでコイルを付ける台としているのがわかります。

12、サンドペーパーでそれぞれの線の端と、赤い線の中間部分の配線をどうするのかよく理解した上で、エナメル線のエナメルを剥がします。色のついたエナメルなので銅の色が出てきたらOKと分かりやすくなっています。

13、スパイダーコイルを取り付けようとしています。大きなワッシャーで挟み、ナットをプライヤーなどでしっかり締め、取り付けてください。

14、配線が終わった状態を裏側から見たところです。線の末はタマゴラグの穴に絡めてあるだけですが、この場合はハンダ付けが必要です。ハンダ付けしない場合は、ナットでしっかり他の線と一緒に強く締め付けてください。

15、タマゴラグの穴に線を絡め付けた後、ハンダ付けをした状態です。

 

16、鉱石ラジオ「銀河1型」完成です。

イヤフォンをつけ、アースとアンテナ(アンテナ1とアンテナ2)は感度の良い方を選んでください。鉱石の感度の良いところを探しながら、またバリコンで多少局の分離もできます。色々楽しんで作り、そしてまた本当の鉱物結晶から音が聴こえてくるような不思議な感覚を楽しんでください。(アンテナとアースについての記事を参考までに下記します)

アンテナとアース

これらは鉱石ラジオに使用される天然鉱物です。左から黄鉄鋼、方鉛鉱、黄銅鉱、紅亜鉛鉱。
ぼくは、自著の「ぼくらの鉱石ラジオ」の中で紅亜鉛鉱が一番感度が良いと説明していますが、とてもバラツキがあって実は一概に言えません。全体的に方鉛鉱が無難だと思います。しかし、このキット中のような感度の良い石ばかりではないと思います。下にあるゲルマニュームダイオードで、昔風の感じのものを選んでいます。銀河通信社の「銀河1型」キットについているものとは異なりますが、鉱石と針の部分につければ、ゲルマラジオに早変わりです。

 

*2000年のメディア掲載記事から抜粋し編集しております。

「オーディオクラフトマガジン創刊号」

KENJI KOBAYASHI

 

 

鉱物の魅力

「鉱物の結晶は本来この世に全く同じものは二つとないわけですよね。そうした事実をぼくたちは思い起こしてみるといいんじゃないかな。

明礬で作る結晶の実験なんかでも、本を読んでいると枝のような結晶が付いてできたら取るようにと書いてある。それはとりもなおさず、決まった形に育成していくことがいいと言っているようなものだよね。でもそうじゃなくて、それぞれに美しいと感じられる形があるし、天然現象としてその結晶自身が持っている方向のようなものがありんじゃないかと思うんです。

同じ鉱物が二つとないという鉱物の世界のようにね。そしてそれは、まるで人間がそれぞれの個人の魅力を自由な形で表現できる世界というのが理想だと思うようにね。

同じ種類の鉱物を並べても同じようには見えない。しかも一つの鉱物の中に数種類の鉱物がお互いを排除しないで共存しているものもある。鉱物、いや天然かな、そこには無駄や差別という概念がなくて素晴らしい。人間の世界もこんな風に、お互いを認め合えていけたらいいよね。

黄鉄鋼に褐鉄鋼がくっついていたり、透石膏に褐鉄鋼がくっついて、その後に中が溶けて空洞ができ外形だけが残っているものとかも洗う。珍しい標本だけど、これなんかもある意味で遺影の結晶とも言えるよね。

中心が透石膏でそのまわりに褐鉄鋼が仮晶した後、内部の透石膏が溶去して褐鉄鋼の部分だけが残ったもの。
Santa Eulalia,Mexico

示準化石や示相化石のように、化石だと全てではなくともその年代を同定できる場合があるけど、鉱物結晶はできるものに何千年かかったのか何万年なのかなかなか分かりづらい。それらは大抵光も当たらない場所で、ただただ変化し成長し続けていたわけですよね。

ここに海緑石化した貝だけど、どういう条件が揃えば貝のところだけが変化したり置換したりするのか、とても不思議なことだと思う。

腹足網の化石。外殻が海緑石(Glauconite)に置換されている。(記事を複写)
[Turritella terebralis]
Nureci,near Laconic,Central Sardinia,Italy

そんな神秘的なことがぼくたちの前にあらわれてくる。それを思うと、人間の世界から少し離れて自由な気持ちになれるわけです。

子供の頃から人と同じように物事ができなくて寂しくなったり孤独を感じたりしたことがあったけど、いまはそんな自分を変だと感じないでスムシ、心が落ち着いてきたと思う。

日常で大抵の人が感じる軋轢(あつれき )って、基本的には人間関係ってことが多いんないかしら。そんな時、鉱物の世界は一つの架け橋になってくれるような気がしますね。」

柱状の緑泥石を核とした、ザラメ砂糖のような水晶の結晶
Artigas, Uruguay

ー見た目に美しい鉱物ですが、精神性にまで影響があったりするんですね。ところで、人工の鉱物や宝石についてはどう思われますか?

「鉱物と宝石を趣味にする人ではタイプが違う場合があるように感じます。宝石で偽物を摑まされたとか嘆く人がいるけれど、その人がそれがガラス玉出会っても分からないかもしれないでしょ。それなら、あるがままに存在する天然のコランダムのルビーやサファイヤをあえてカットして磨くより、ガラス玉を付けても見た目には問題ないいじゃない(笑)。

硬度に違いがあるくらいで、もし赤くて透き通っているものとしてだけそれを見るのであれば、天然の鉱物である必要はないかも知れないね。

聞いた話ですが、最近の技術はすごくて、天然のエメラルドにはそれぞれに包含物やスがあるけど、人工のものにはそれがなくて均一だから見分けられていたんだそうです。それが今や、いかにして人工のエメラルドに天然に似た包含物やスを入れるかということになってきて、なかなか鑑定する人も大変だと思うけど、それはそれで天然の鉱物が少しでも助かるならいいなと思うんですけど(笑)。」

ー小林さんは色々な表現活動をされていますが、鉱物をテーマにしたものは作られているのですか?

「ぼくは怪物とか模型飛行機や星を見るのが好きだったし、絵の題材として怪物や透明なものや光ったりするものはよく出てきたし、高校の頃には水晶とか描いていたこともあった。

それは作品として仕上げ用というよりも、ただ好きなものを描いていた感じですね。みんなもそうかも知れないけど、今自分のやっている仕事と、そうなりたいと思っていたことが必ずしも一緒でない時期ってあるよね。でも表現方法は色々だけど、子供の頃から好きだったものってそんなに変われるものじゃないと思うんです。」

ー鉱物に対する思いがだんだんと作品と融合してきたわけですね。

「ぼくはこれまで生きた年と同じくらいこれからも生きているとも思えない。そうすると、だんだんと自分の素性に近いところで生きるようになってきたと思うんです。今までは作品を作ることと鉱物を見るということは意識として別のものだったけど、だんだんと近づいてきた部分があるような気がする。だからい色の変わる水晶の作品とか、鉱石ラジオとか人工結晶を作るようになったんです。

日常の中で記憶って時とともに薄らいでいくようなことがあっても、変わらないで蘇ってくるんです。それで、やっと自分のやりたいことが少しみつかてきたというか、昔のぼくと同じように不思議や鉱物が好きで、鉱石ラジオや人工結晶みたいなものまで興味がある人のために、何かできないかというのが今の興味なんです。

「ついにアブナイ博士の仲間入りをしたな!」とか言われたけどね(笑)

kingdom-kristal from Kenji Channel on Vimeo.

*2002年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像や動画は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

鉱物との出会い

アメティスト(紫水晶)表層の、まるでシュクル(アメ細工)のように小さな濃い紫やオレンジ色の結晶がついた標本。
Amatitlan,Guerrero,Mexico

ー小林さんの鉱物との出会いというのはいつ頃ですか?

「小学校の低学年の頃に、ちょっとした事件というかある出来事があって、そのことがショックとなってひどい対人恐怖症になってしまったんです。

その頃ぼくは恐竜などが好きで、友だちとよく上野の国立科学博物館に行って担ですよ。今はレイアウトがかなり変わってしまったけれど、その時に鉱物標本室というような展示室があって、随分と印象的なところでした。

傾斜になった古い木でできたガラスケースの中に、整然とたくさんの鉱物標本が並んでいて、子供の頃からクラゲや石英のような透明なものが好きだったので、水晶のような透き通るものにはとりわけ目が行ったし、また藍銅鉱や鶏冠石(けいかんせき)といった色のはっきりとしたものもたくさんあって、とても綺麗でしたね。そんな中で、何回か通ううちに、たまたま学芸員の人が鉱物を色々説明してくれるようになって、鉱物に対する興味が一段と湧いてきたし、だんだんと鉱物を介して人とコミュニカーションを取ることができるようになってきたんです。

実は先ほどの事件というのは、大人の男性から受けたもので、大人の男性に対して恐怖を感じたことに端を発していたんです。その学芸員の人と、ひいてはその鉱物と出会うことがなければ、一体今頃どうなっていたかと思うんです。

今は多少笑いながら話せますが、当時は命を奪われるほどの恐れを抱いたので、それが少しづつほぐされていったのが、本当にありがたいです。」

ドイツ・ボンの博物館は、昔(小林健二が小学ー中学生の時に通っていた頃)の上野にある国立科学博物館の鉱物標本展示室にどこか似ている、と話す。

ー35年以上前の話ですけど、鉱物との出会いは小林さんにとって貴重なものでしたね。ところでミネラル・ショーのようなものはなかったんですか?

「池袋や新宿で年に一回開催されていますね。当時は今のように鉱物をまとめて見る機会はほとんどありませんでした。神保町に高岡商店というのがあって、矢尻とか土偶と一緒に水晶のような鉱物標本がいくつか売られていたぐらいかな。

ぼくが成人した頃には、千駄木の凡地学研究社で鉱物を買うことができるようになりましたね。小さな木の階段をギシギシとスリッパに履き替えて上がっていってね。今となっては懐かしいね。」

ー海外ではバイヤーが集まるミネラル・ショーが行われたでしょうし、ショップもかなりあったんでしょうね。

「海外ではミネラル・ショーは以前から盛んで、特にツーソンやミュンヘン、デンバーなどはとりわけ有名ですね。今でもショップは数多くあります。日本では最初に「東京国際ミネラルフェア」がはじめられた時に、出店していた人たちもその後あんなに続くとは思わなかったんじゃないかな。でも当時に比べたら、鉱物標本を扱う店は増えたと思います。」

ー昔の標本屋さんはどんな感じでしたか?

「ぼくが子どもの頃ってほとんど日本で採れた鉱物ですよね。そうするとどうしても地味なんです(笑)。それに結晶性のものよりは石って感じのものが多かったですね。時々綺麗な鉱物があったけど、いいと思うものは当時のぼくが買えるような値段ではなかった気がする。

そういえばぼくが22-23歳の頃、凡地学研究社に半分に切断されたアンモナイトの一種が置いてあったんです。それは表面が真珠色で断面がよく磨かれていて、隔壁や外殻本体は黄鉄鋼化して金色で、さらにそれをうめる全手の連室はブラック・オパール化しているもので、もうそれは素晴らしかった。とりわけその中心から外側の方へ青色からピンク色へと変移していくところなんて、もうデキスギとしか言いようがなかった。」

ーそれ以降、同じようなものは見たことがないですか?

「ありませんね。その時は本当にこんなものが自然にできるのかと思ったくらいで、人間の技術や造形意識を超えた、天然の神秘な力を感じないわけにはいかなかった。今となって考えてみれば、天然を超える人間の美意識なんていうものを想像する方が、難しいと思うけど(笑)。

あとは無色の水晶に緑簾石(りょくれんせき)がまるで木の枝のように貫いて、その端が花のように咲いて見える大きな標本とか、細かい針状の水晶の群晶の中央に、真っ赤に透き通る菱マンガン鉱の結晶とか、言い出したらキリがないけど、色々な標本屋さんとかミネラル・ショーに行くと、博物館でも見られない標本を見ることができるのは素晴らしいことだと思うんです。」

 

「地球に咲くものたちー小林健二氏の鉱物標本室より」
岩手の石と賢治のミュージアムで開催された、小林健二の鉱物標本の展示風景

「地球に咲くものたちー小林健二氏の鉱物標本室より」

「流星飲料ーDrink Meteor」
石と賢治のミュージアムにある石灰採掘工場跡、そこに期間限定で不思議なお店が現れました。

「流星飲料ーDrink Meteor」
石と賢治のミュージアムにある石灰採掘工場跡。小林健二が作ったレシピによる ドリンクを、彼の土星作品に囲まれて楽しむお店です。とくに光る飲料水「流星飲料」を光るテーブルにて飲む瞬間は、時空を超えて流星が体内を通り過ぎ、気がつくと星々に囲まれているような錯覚を覚えた記憶があります。

小林健二個展「流星飲料」。期間限定で現れた不思議なお店、そこのレジの横には不思議な光源で光る鉱物の数々。

「流星飲料ーDrink Meteor」

石と賢治のミュージアム(石灰の採掘場に宮沢賢治が何度か訪れ、馴染みのある工場跡、そこに併設されて作られたミュージアムです)で開催された展覧会。その洞窟の奥にある小さな池に、小林健二は水晶作品を展示。
現在は地震の影響もあり、この洞窟には立ち入りが禁止されています。

*岩手の一関にある「石と賢治のミュージアム」では、鉱物展示用に設計された什器の中に、数多くの小林健二が選んだ鉱物が展示されています。

*2002年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

アーティストのアトリエと道具

小林健二に道具や材料、技法のことを語らせると、そのまま本が何冊かできてしまうほど。古道具屋や工具店をのぞくのが気分転換にもなるという。

”道具マニア”だが、ただ集めているのとは違い、実践が伴っている。使い込まれた彫刻刀、ノミ、かんな・・・懇意の職人さんから譲り受けたものもあれば、道具屋で発見した江戸のもの、自分で作ったものもある。「『藤白』と書いて”とうしろ”銘を持つ刃物もある。その洒落気が心憎い」と話す。

入り口から奥を臨む。この場所は小林健二が20代に文京区に構えた最初のアトリエとなります。

小林健二最初のアトリエ

旋盤などの機械や、金属加工用の様々な工具が置かれたアトリエにて。小林健二

金属をけずったり磨いたりするグラインダー類。「ぜひ、田端新町へ行って欲しい」と語る小林健二。明治通り沿いに、中古の電動工具を扱う店が並んでいて、いいものが格安で手に入る。新品1台の値段で写真のグラインダーが全部買えるくらいだ。「特にモーターを使った工具はいい。淘汰されている。モーターの周波数とベアリングがなじんできて、新品より音がうるさくない。」という。何台も揃えておくと、いちいち砥石を付け替えなくても済むので便利。

まるで作品のように美しい金工用のゲージ。やはり中古を購入。

絵の道具一式。絵の具を意味なく無駄にしたくないので、パレットはいつも綺麗にしておく主義。描くというより塗るに近い状態になると筆より指が活躍する。先端に曲玉のような石のついたスティックはバニッシャー(テーブルの上)。本来は金箔を磨くものでメノー棒と言われるが、小林健二は主として鉛の艶出しに使用。細いピンはブロックス社製アンバーニス(テーブルの上)。フランドル絵画の堅牢な絵肌を作ったと言われるもの。「真偽はわからないが夢があるから」と手に入れた。

小林健二の道具の引き出しの一部。かんなやノミ

小林健二の道具。彫刻刀の引き出し。

*1991年のメディア掲載記事より抜粋編集し、アトリエ全体の画像以外は記事より複写しております。現在、小林健二のアトリエにある道具の数もかなり増え、美しく手いれされた古今東西の道具たちは、今でも大切に扱われています。

記述にある田端新町に関する記事も下記にリンクしておきます。

ぼくの遊び場

現時点ではかなりお店の数も減っているようですが、興味があれば自転車などでまわってみるのも面白いかもしれません。というのは明治通り沿いに点在しているため、歩くには少々道のりがあるようです。この取材当時は、中古の機械を扱うお店が並んであったそうです。

KENJI KOBAYASHI

 

初めての模型用工作機械

ベルメックスのショールームを訪ねて

ベルメックスインターナショナルのショールーム内部

ベルメックスで紹介している工作の洋書。小林健二は[WORKSHOP PRACTIS SERIES]をほとんど揃えている。

ぼくがはじめてベルメックスインターナショナルへ行ったのは、かれこれ20年近く前になります。それまでは経済的事情から中古機械を入手していました。ところが仕事上どうしても棒状の挽物を作らなくてはならなくなり、いつもペンチやドリルなどを売ってもらっていたお店に「それくらいのサイズの木工旋盤なら」と日本橋のベルメックスを紹介されたのです。

ベルメックスは今も当時も高級そうな立派な工作機械が整然と並んでいて、その頃お金にあまり縁のない人間にとって、場違いな気がするほどでした。

その素人のぼくに丁寧に対応してくれたのが、何を隠そうそこの社長であったというわけです。一時間後ぼくは工作機械購入の初体験をしたのですが、それはまさに機械と呼ぶのにふさわしく、芯間1100mm、振りが350mmの鋳鉄製で、重量200k議場の木工旋盤でした。にもかかわらず、とても廉価だった記憶があり、それ以来勝手にゴヒイキという次第です。

ぼく自身その後バンドソー、グラインダー、12Vの溶接器、ベンダー、ベルトサンダー、動力用ベルトサンダー、小型高速ボール盤などなど・・・細かいものを入れると数十に及ぶ機械を購入させていただきました。

小林健二が初めて手にした大型木工旋盤。ベンダーも下に見える。

小林健二の木工旋盤が置いてある壁に設置された自作の棚に、バイトなどが使い勝手がいいように並べられている。

ここのショールームの良さは、興味ある機械や工具を直接試すことが」できるということです。まだ機械にあまり慣れていない初心者にとっては、このことはとても重要で、大抵購入した後でもう少し大きかった方が・・とか、その逆とか・・、あるいは違うタイプのものの方が良かったと気づくことがあるからです。また金工系の洋書も扱っていて、内容を確認してから買うことができるのも嬉しいことです。

多種色々なキットや小型から大型の機械もあり、廉価なので近くに行かれた折には立ち寄られるといいでしょう。なお、ホームページも充実していますから、こちらものぞいてみてください。独自オークションも行なっています。

 

ベルメックスインターナショナル

地下鉄日比谷線小伝馬町駅近く、江戸通りに面している。http://www.bellmex.com

 

*2005年のメディア掲載記事を抜粋編集し、上から2枚目までの画像は記事の複写、それ以外の画像は新たに付加しています。

 

KENJI KOBAYASHI

[鉱石ラジオの時代]+[不思議な鉱石ジンカイト]

[健二式鉱石受信機] 小林氏が作る歴史的には存在しなかった最も原理的な鉱石ラジオ。束ねられた二重絹巻き銅線をコイルとし、白雲母の板に錫箔を貼ったバリコン、そして検波鉱物が共生している水晶などで構成されている。

[健二式鉱石受信機]
小林健二氏が作る歴史的には存在しなかった最も原理的な鉱石ラジオ。束ねられた二重絹巻き銅線をコイルとし、白雲母の板に錫箔を貼ったバリコン、そして検波鉱物が共生している水晶などで構成されている。

[鉱石ラジオの時代]

鉱石ラジオはアンテナとアース、バリコンとイヤフォン、コイルといった、いたってシンプルな材料によって成立する。電池もいらないが、ただ検波可能な方鉛鉱、黄鉄鉱などいくつかの結晶鉱物がなければ聞こえないという、不思議なラジオ。

ー鉱石ラジオは小さいときに作ったりしてたんですか?

「ぼくが小さい頃にはすでに鉱石ラジオのキットなんてなくて、やっぱりゲルマラジオでしたね。それでさえうまく作るとこはできませんでした。歴史的に見てもラジオって無線を傍受したりできるわけだから、戦争時代には抑制されたと聞きます。しかも鉱石ラジオって電源を必要とせずに聞けるわけですから、戦争後にまた鉱石ラジオは売り出されるけど、それらは戦前戦後を通じて固定式という型で、基本的な性格はゲルマラジオをあまり変わらないものと言えるんですね。昭和30年頃からそのゲルマニューム・ラジオにとって代わられるし、テレビ放送まで始まるし、時代は段々とラジオから離れていく。そして小型でアンテナやアースを設置しなくてもよく聞こえる トランジスタ・ラジオも製品化されるわけですしね。」

[PSYRADIOX(遠方放送受信装置)] 1993年以降に登場する作品は、一見アンティークに見えるが、筐体やアンテナ、ツマミなどの各部品、およびコードに至るまで小林健二氏自作による。

[PSYRADIOX(遠方放送受信装置)]
1993年以降に登場する作品は、一見アンティークに見えるが、筐体やアンテナ、ツマミなどの各部品、およびコードに至るまで小林健二氏自作による。

[BLUE QUARTZ COMMUNICATOR(青色水晶交信機)] 内部に閃ウラン鉱(ウラニナイト)が組み込まれており、そこからでる放射線(人体には無害な微量)をガイガーミューラー菅で検知し、それを特殊なフィルターがモールス信号のように変換している。筐体には入りきらないほど大きいはずの水晶がゆっくり回転し、その音とシンクロして白く明滅する作品。

[BLUE QUARTZ COMMUNICATOR(青色水晶交信機)]
内部に閃ウラン鉱(ウラニナイト)が組み込まれており、そこからでる放射線(人体には無害な微量)をガイガーミューラー菅で検知し、それを特殊なフィルターがモールス信号のように変換している。筐体には入りきらないほど大きいはずの水晶がゆっくり回転し、その音とシンクロして白く明滅する作品。

[CRYSTAL TELEVISION(鉱石式遠方受像機)] 中央のウレキサイトの画面に映像が浮かび出る受像機。音声は遠方から聞こえてくる。エジソンが構想していた霊界ラジオならぬ霊界テレビを連想させる作品。

[CRYSTAL TELEVISION(鉱石式遠方受像機)]
中央のウレキサイトの画面に映像が浮かび出る受像機。音声は遠方から聞こえてくる。エジソンが構想していた霊界ラジオならぬ霊界テレビを連想させる作品。

ー短波やハムの世界よりマイナーな訳ですね。

Crystal-Television from Kenji Channel on Vimeo.

「今となっては短波やハムもかなりマニアックだけどね。今でも続けている人たちはいるわけだけど、さすがに鉱石ラジオを作って聞いている人はあまり知らないね(笑)。」

ーゲルマニューム・ラジオや真空管ラジオの前に、鉱石ラジオしかない時期があったんですか?

「いや、逆に真空管ラジオの方が早いんです。ただ鉱物い検波作用があることが発見されたのは放送局ができる前だから、それが後で鉱石ラジオとして使えることになったわけです。しかもその頃はクリスタル・イヤフォンなんてなくて、それはトランジスタ・ラジオの頃にできたものですから、鉱石ラジオはハイインピーダンス・ヘッドフォンを使って聞かれていました。だから、鉱石ラジオを クリスタル・イヤフォンで聞くというのは、あまり例の多いことではなかったはずです。

[不思議な鉱石ジンカイト]

「最初に作品として鉱石ラジオを作った時には、鉱石ラジオといえば何か透質な結晶でできたラジオというイメーがありました。しかも蛍石や水晶、方解石とか透明な鉱物が好きだったから、実際に電波を受信する、つまり検波に使われる方鉛鉱とかイメージできなかったわけです。水晶や蛍石でどうやってラジオができるんだろうって思ってました。

それで、調べるとだんだんと本当の鉱石ラジオというものが分かってくるわけですけど、最初のイメージが払拭されるわけではないので、透明な鉱物が頭についたラジオを考えたんです。」

鉱石ラジオという言葉のイメージから小林健二氏が製作した[PSYRADIOX]

鉱石ラジオという言葉のイメージから小林健二氏が製作した[PSYRADIOX]

ー水晶や蛍石みたいな透過性のあるものでは実際は検波できないんですか?

「実際どの鉱物が一番感度がいいんだろうって調べてみたんです。だいたい透明な鉱物に電気が通るって想像つかないですよね。基本的に絶縁体では検波はできないわけだし、電気が通るということは自由電子があるということで、大抵の場合金属光沢を持っているものですからね。

ジンカイトは、まだ ソ連がある頃、ポーランドの亜鉛精製工場の煙突に結晶化して付着していたものを一年に一回カキ落とし、西側に流通させたものだと言われています。逸話何ですけどね。ぼくが買ったのは80年だから、当時は謎の鉱物ジンカイトとして買い求めていたんです。

ジンカイトって紅亜鉛鉱(ZINCITE)と同じスペルなんですね。ジンサイト(紅亜鉛鉱)というのは、ニュージヤージーにあるフランクリン鉱山以外にはほとんど産出されない珍しい鉱物で、紅いのはマンガンが含まれているからなんです。

ジンサイト(紅亜鉛鉱)。アメリカのニュージヤージー州にあるフランクリン鉱山以外にはほとんど産出されない珍しい鉱物で、赤色部分。マンガンが含まれているためこの色になる。

ジンサイト(紅亜鉛鉱)。アメリカのニュージヤージー州にあるフランクリン鉱山以外にはほとんど産出されない珍しい鉱物で、赤色部分。マンガンが含まれているためこの色になる。

その紅亜鉛鉱は鉱石ラジオの検波に使える感度のいいものの一つなんですね。それで、ある日『まてよ、ジンサイト(紅亜鉛鉱)とスペルが同じなら、ひょっとして感度が出るんじゃないの!』と思ったわけ。透過性があって全然似てないけど同じZINCITEなら検波できるかもしれないと。ジンカイトは紅亜鉛鉱と同じ酸化亜鉛なんです。で、ちょっと実験してみると、透明なジンカイトでもちゃんと電気を通すことがわかったんです。ジンカイトは通常入手できるものの中では、唯一、透過性があって検波に使える鉱物ですね。」

透過性のある結晶ジンカイトで通電の実験をしてみる。

透過性のある結晶ジンカイトで通電の実験をしてみる。豆電球が光っているということは、電気がこの不思議な結晶鉱物の中を通っている証拠です。

オレンジ色に透き通ったジンカイトと人工ビスマス(蒼鉛)の結晶検波器。とても感度がいい。

オレンジ色に透き通ったジンカイトと人工ビスマス(蒼鉛)の結晶検波器。とても感度がいい。

赤色のジンカイトと方鉛鉱の検波器。やはり感度大。

赤色のジンカイトと方鉛鉱の検波器。やはり感度大。

 

*2002年メディア掲載記事より一部抜粋編集し、画像は上の二点は記事からの複写、そのほかは新たに付加しております。

KENJI KOBAYASHI

 

ART FURNITURE

子供の頃、家のそばに小さな町工場(まちこうば)というか、大きめの土間というか、そんな感じのところがあった。そこは、仲のいい同級生の家に向かう道の途中にあったので、まるで毎日のようにその前を行き来していた。そんなある日、その中から叫びとも掛け声ともつかぬ声とともに、やたらドカドカと音がする。好奇心に駆られて中に入ってみると、中年の男性が脚のある、どうやらイスのようなものに、スプリングや何かバンドらしきものをつけているか何かしていた。思ったよりすぐそばで目があっていたし、その汗まみれがニヤリと笑ったものだから、思わず「おじさん何作ってるの?」なんて聞いてしまった。すると男性は「カグダヨ」と言った。はっきり言って怖かったし、意味もよくわからなかったので、大急ぎで逃げるようにして家に帰った。家族に「あそこは何の家?」と尋ねたら、「あそこは自転車屋だよ」とのこと。「カグ」が「家具」とわかるのにも時間がかかった次第だし、ただの変わり者かもしれないおじさんとの出会いによって、中学の頃までイスは自転車屋が作るもtのとぼくは思っていた。

今にして思うと、気取り屋であったぼくにとっては、奇妙な建て増しや改造によってさながら妖怪屋敷の風であった我が家は、何にも増して悩みのタネであった。

そんな中では、突然3日ほどで内ブロが完成したりすることは日常茶飯事なのだが、倉庫の奥の端につくられたこれは、真昼でさえ懐中電灯を持たなければ、そこまでたどりつくことはできないと言った具合で、暑い夏の日の午後に、蝋燭を立ててそこで行水する母は、奇々迫るものがあった。

家がこんな感じだから、その中にある家具がどのようなものか想像してもらいたい。大体においてチャントシタ物、新品の物名ぢないわけだから、イスにしても机にしても小学校のうちに一通り作る機会に恵まれてしまったぼくに取って、家具を作るということは、アートとかデザインとかに関わらず、最も日常的なものになった。

小林健二製作の植物と一体化した家具。根が植えられている状態で展示されています。

小林健二製作の植物と一体化した家具。根が植えられている状態で展示されています。

小林健二の家具の部分。根のしっかりと付いた状態で水やりを忘れなければ、展示中に花も咲き実もつけた。

小林健二の家具の部分。根のしっかりと付いた状態です。水やりさえ忘れなければ、展示中に花も咲き実もつけた。

話は急に飛んで、その後美術に関係する仕事を始めてから最初に家具に関わったのは、1987年だった。”家具のオリジナリティ”という内容を持ったイベントであったので、”共存”をテーマとして植物と一体化した家具を作った。それは、テーブルやイスの中に水回りやメンテナンスを考えて、土や保水剤を使い、実際に根をはらせ、一ヶ月以上の展示の間にも枯れたりすることのないよう計らったもので、植物は花を咲かせ、小さな実もつけたりしてくれた。

しかし、製作の依頼や注文といった具体的なことになったきっかけは、ある時、期限が一ヶ月もない急ぎの仕事を友人から受けた後のことであった。その時の内容は「製品として売れること目的としながら面白いもの」というやたら漠然としたもので、一瞬ヤバイかもと思ったが、簡単な家具や照明器具ならイケルと製作に入ったものの、照明器具に凝りすぎたため、家具の方は一週間ほどしか時間が無くなってしまった。ところがかえって、それで悩んだりせずに作ることに専念でき、気分転換にまでなったりした。

その時に作ったイスやテーブルの製作工程は、まず注文が出ないように、なるべく手持ちの材料と技術でできることを念頭に置いてエスキースを描き、その中から作るものを選ぶことから始めた。次に座るという目的のために、大体の各部位の寸法を出した。基本的には鉄と木が中心になり、装飾のため、石、樹脂石膏、布、松脂を使った。鉄部の板材は4.2ミリ厚で、ガスとプラズマ・カッターで溶断し、その切断面をサンダーで整え、脚となる直径16ミリの鉄棒などを溶接し、木部や他の素材や、ノックダウン(各部剤を接着剤などで固定せずに、取り外し可能な状態にする)するところなどには8ミリ六角レンチを使用するため、あらかじめタップ(ネジで固定できるように、あらかじめネジ穴を作ること)を立てておいた。

プラズマカッターで鉄板を切断している小林健二

プラズマカッターで鉄板を切断している小林健二

また、防蝕を兼ねた表面処理は時間がなかったため、酸洗いで黒皮を取った後、簡単に黒染めをして調子を整え、その上にウレタンを塗っておいた。ただこのままでは面白くないと思ったし、錆が出ていた時の鉄の感じも好きだったので、鉄粉とPVA(ポリビニールアルコール)とで絵の具状のものを作り、部分的に塗って、その上にオキシフルをかけサビを出した後、蠟を塗って落ち着かせた。物によってはその上に溶かした松脂と蜜蝋で麻の布を張ったり、石灰の粉を漆と混ぜて塗ったりした。木の部分は木の商いをしている友人が、ワレやネヂレためにはねられ、捨てなければならない木があるからと譲ってくれたジョンコン、マコーレ(南洋材)、タモなどの木を用いた。以前より持っていた釿(ちょうな)を使い、大きくハツッタ(ハツル=木をちょうなで大まかに剥ぎ取ること)後、トクサ(トクサ科の植物、茎は珪酸を含み、堅いので細工物などを磨くのに用いる)とウズクリ(茅などを束ねて荒縄で縛ったもの。木を磨くと木目を出すことができる)で仕上げた。当初は石を彫ってつけたりしたところもあったが、その後型を作って樹脂石膏に置き換えたりした。

このようにして作られた家具が、その後70個あまりになるとは思いもよらなかった。

ぼくはこれからも仕事をしていてものが見えなくなったり、疲れてしまうことがあったら、趣味として家具は作ってみたいと思う。なぜなら、ぼくの作ったものを持っていてくれる人たちが「あれ結構愛着湧いたりして具合いいよ」なんて言ってくれる時は嬉しいし、かつて、石のテーブルに咲いた花が小さな実をつけた時に、とても感動したことがあったから。

小林健二

小林健二製作の家具。左から[ALIE] [FOUPOU] [DUMEX]。このイスたちは寝具専門店Al-jabrの依頼により製作されたもの。

小林健二製作の家具。左から[ALIE] [FOUPOU] [DUMEX]。このイスたちは寝具専門店Al-jabrの依頼により製作されたもの。

寝具専門店Al-jabrの内装や什器製作の依頼により製作された小林健二の家具たち。

寝具専門店Al-jabrの内装や什器の依頼により製作された小林健二の家具たち。

小林健二の道具の中でも、木工のための工具は多い。このイスの木の部分は、釿(ちょうな)と言われる道具使用。

小林健二の道具の中でも、木工のための工具は多い。このイスの木の部分は、釿(ちょうな)と言われる手道具を使用。

ウズクリ(茅などを束ねて荒縄で縛ったもの。木を磨くと木目を出すことができる)と小林自作の多分細い木を束ねてかtがめてある道具で堅木などは茅よりもこちらの方が強く磨ける模様。

右がウズクリ(茅などを束ねて荒縄で縛ったもの。木を磨くと木目を出すことができる)と左は小林健二自作の、多分細い木を束ねてかためてある道具で堅木などは茅よりもこちらの方が強く磨ける模様。

小林健二の手道具の中でも木工用のものは充実している。画像はその一部。

小林健二の手道具の中でも木工用のものは充実していて美しいものが多い。手入れが行き届いた道具の数々。画像はその一部。

Tools vol.3 from Kenji Channel on Vimeo.

*1990年のメディア掲載記事から編集抜粋し、画像が新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

 

[鉱石ラジオを楽しむ]後編

*「無線と実験(1998年2月)」の記事より編集抜粋し、画像は記事を参考に付加しております。

鉱石ラジオの心臓部とも言える鉱石検波器用の鉱物。上段両端は自作のケース入り。

鉱石ラジオの心臓部とも言える鉱石検波器用の鉱物。上段両端は自作のケース入り。

3,

鉱石ラジオの心臓部は何と言っても鉱石検波器です。そして、その主人公はやはり鉱物の結晶でしょう。若い頃に鉱石受信機を作り、しかもそれがさぐり式のように鉱物を外観からも確認できるタイプのものを体験されている方なら、すぐに方鉛鉱や黄鉄鋼といった鉱物の名称が思い浮かぶでしょう。確かにこれらの鉱物は一般的に入手しやすいし、またちょっと採掘や石拾いの経験の持ち主ならば、山歩きの時などに手に入れたことがあると思います。しかしながら、例えば方鉛鉱についていえば、国産のものには銀の含有量が必ずしも多くないので、感度についてはあまり望めないというのが実情です。ただ現在は各地でミネラルショーが行われたりする関係上、かえって昔より確実に入手できるルートも開け、またずっと安価となりました。

方鉛鉱ーGALENA(ガレナ)。フランクリン鉱山(アメリカ)産。 方鉛鉱はハンマーで軽く叩くと、完全な劈開(方向性のある割れ方をする)があるので、サイコロ状に割れます。

方鉛鉱ーGALENA(ガレナ)。
方鉛鉱はハンマーで軽く叩くと、完全な劈開(方向性のある割れ方をする)があるので、このようにサイコロ状に割れます。

もし鉱石検波器を自作しようとして鉱物をお探しになり、ミネラルショーや鉱物専門店にお出かけになるなら、私としては紅亜鉛鉱(こうあえんこう)”Zincite”ジンサイトという酸化亜鉛の鉱物をオススメします。この鉱物は地球上では北アメリカのニュージャージー州のフランクリン鉱山でしか現在は産出しないものですが、安価であるばかりか、感度も飛び抜けて安定しているからです。

紅亜鉛鉱(こうあえんこう)ZINCITEZ(ジンサイト)。北アメリカのニュージャージー州のフランクリン鉱山しか現在は産出しない。

紅亜鉛鉱(こうあえんこう)ZINCITEZ(ジンサイト)。北アメリカのニュージャージー州のフランクリン鉱山しか現在は産出しない。標本の赤い部分がそうです。

もちろん一見そんな特殊な鉱物が手に入らなくても、驚くような感度を期待しなくても良いならば、サビびた針や釘でも検波はできます。ただサビといっても赤サビでは直流抵抗も高く安定しないので、俗にいう黒サビのものでなければ具合は悪いのです。黒サビのついた針はあまり正確な方法ではありませんが、コンロなどで赤く焼いて自然冷却したような方法で用意します。あるいは本当は電池と抵抗体で2ボルト以下のバイアス電圧を印加すると、古くなったカミソリと鉛筆の芯でも優れた検波器を製作できます。

カミソリと鉛筆の芯によって作られた検波器を使った鉱石受信機。1940年代の米国の記事から小林健二が復刻したもの。W148xD98xH40mm

カミソリと鉛筆の芯によって作られた検波器を使った鉱石受信機。1940年代の米国の記事から小林健二が復刻したもの。W148xD98xH40mm

少し風変わりな検波器といえば、表面に金属を蒸着して、アクセサリーの一部とした販売されている水晶やガラス製品、あるいは2本のシャープペンの芯などに縫い針を渡した構造のものでも検波できることがあるのです。検波する原理はダイオードを発明する以前よりアンダーグランドにあったことは歴史的に説明されていて、その原点となるのは鉱石検波器であることは明白なことと思います。(*現在の電気の歴史上あまり重要とされていない)

右は鉛筆の芯とその間に置かれた縫い針とで検波する変わった検波器。(小林製作) 左はおもて面に酸化チタンを蒸着メッキした水晶。小林によると使い方で検波も可能とのこと。

右は鉛筆の芯とその間に置かれた縫い針とで検波する変わった検波器。(小林健二製作)
左はおもて面に酸化チタンを蒸着メッキした水晶。小林によると使い方で検波も可能とのこと。

しかしながらその作動原理ということになると、ダイオードはまさに半導体のPN接合による理論体系の上で製作されており、正孔や自由電子の振る舞いによって淀みなく説明でき流のですが、鉱石検波器及びそれに準ずる検波器については必ずしもこの方法論だけでは説明仕切れないというところがあります。私にはそれもまた鉱石受信機の魅力の一つとなっています。

私としては鉱石受信機全体について虜になった人間として、その魅力についてもっと語りたいのですが、現在オーディオ雑誌である「MJ 無線と実験」誌上であまりくどくど説明するとかえって逆効果になりかねないのでこの辺にしておきましょう。

ゲルマニュームダイオード今昔。下方が比較的新しいもの。

ゲルマニュームダイオード今昔。下から5本目はその上のものと同じで、プラスチックのカラーを外したもの。下方の2本が比較的新しいもの。

米国シルバニア社製のゲルマニュームダイオード。1940年代の製品としてはもっとも初期のものの一つ。

米国シルバニア社製のゲルマニュームダイオード。1940年代の製品としてはもっとも初期のものの一つ。

ただ最後に鉱石ラジオの音について少し述べさせていただくと、それはまさに小さくとも透き通った音なのです。私の製作した鉱石ラジオを聴いた方は、まずみなさん開口一番このことを話されます。「もっと聴きづらいかと思った」。

確かに三球レフレックスや五球スーパーをお作りになった方はハムやフィードバックのノイズがあることを経験されているので、もっと旧式なものだからきっと聴きづらい、と類推されるようです。1987年に製作した「サイラジオ」と名付けた私のラジオにいたってはその「ピー」とか「ギャー」という一連のそれらしい音をトランジスター回路にサイリスターのノイズを入れるようにして作ったほどです。

もちろん単純にコイルとコンデンサーそして検波器だけで製作した鉱石ラジオは分離特性が悪いため、異局の混信は免れませんし、バリコンを動かしてみたところで、常に他局の放送が被っていて同調器をいじってみたところで主客が入れ替わる程度の分離状態です。

ところがどうでしょう。数分もラジオに戯れていると、少しづつ放送が聴こえてくるではありませんか。頭を冷静にして考えてみるとラジオは特に何も変化はなく、変わっていったのは自分の耳の方だと気づいたのです。無意識のうちにノイズとサウンドの主客が認識されると、自分の中の感性がラジオの足りなかった分離特性を補っていたのです。

小林の生家の全身。当時、神田にあった「蓄晃堂」

小林の生家の全身。当時、神田にあった「蓄晃堂」

これは私がかつてある日の実験中に感じた出来事の一つですが、その時私は昔母や父から聞いたいくつかのエピソードを思い出していました。それは戦争中の話にさかのぼりますが、実家はその頃、新橋で『蓄晃堂』というレコード店を営んでおりました。昭和19年から20年にかけて空襲は本土へ日ごとに多く、また激しくなっていったそんなある寒い朝、家からそう遠くない場所にある日本楽器(現ヤマハ)に直撃弾が落ちのです。その時の空襲は火災は思うほどではないのに空が暗くなったと見上げると、空一面におびただしい楽譜や譜面が飛び交っていたそうです。そしてその現場に当時貴重であったそれらの譜面を一枚でも水や火に当てまいと母たちは走っていった時、まるで嵐のように風に舞い散る現場に着くと、すでに数十人の人たちが早々と防空壕から出てきていて手分けしてそれらを拾い集めていたというのです。母は「この国には本当に音楽好きが多いんだね」と感動し、自分もすぐにその仲間に加わったとのことでした。

その頃本当に物がなくて、入手ルートから粗製のレコード針が入ってくると、空手警報の最中でも情報を知った人々が集まりすぐに売り切れになったそうです。母の自慢はそんな時でも、誰も彼もが一箱づつしか買っていかなかったということでした。ちなみに母がいつも笑って言っていたのは、そのレコード針の箱絵には『RCAのラッパと犬』ではなく「あんな時代だからラッパと招き猫だった」とのこと。まさに音楽が生きるためにあった時代だったのですね。

私がやがてバンドに夢中になった頃「全くSP盤って雑音だらけだね」というと、父はよくそれはお前の耳が悪いからだと言っていました。昔の人は何かと昔を懐かしがる、だから雑音だってここと良いんだと言わんばかりにしか思わなかった私ですが、鉱石ラジオを作るようになってから、少しづつ考えが変わりはじめるようになったのです。

確かに今までの自分はいつの間にか機器にばかり凝ってかえって音楽よりノイズばかりを気にして聴いていたのではないのではと思ったりもしたからです。それ以来、私はあえてノイズを付加したようなラジオを作らない代わりに、ノイズに対してやたら反応する耳ではなくて雑音の海の中の音楽をすくいだし、そして楽しめる耳と心を持ちたいと考え始めたのです。

そしてそれはあの命がけの音楽の時代に生きた、今は亡き父と母から一つの通信を鉱石ラジオによって受け取ったのではないかという、そんな気もしてならないのです。

小林健二

[鉱石ラジオを楽しむ]前編

KENJI KOBAYASHI

[鉱石ラジオを楽しむ] 前編

*「無線と実験(1998年2月)」の記事より編集抜粋し、画像は記事を参考に付加しております。

小林健二製作の鉱石ラジオやゲルマジオ、鉱石ラジオキットや代表的なコレクションなど。

小林健二製作の鉱石ラジオやゲルマラジオ、鉱石ラジオ部分品、鉱石検波器、鉱石ラジオキットや代表的なコレクションなど。

1

通巻900号おめでとうございます。現れては消える昨今の雑誌状況の中で通巻900号、’74年の続刊はまさに『継続は力なり』を感じさせ、また同時にどれほど多くの読者に親しまれ支持されて来たかを彷彿とさせてくれます。

私の実家も以前蓄音機やレコードを扱う仕事をしていたためか、子供の頃店に常に数冊の「無線と実験」があったことを思い出します。おそらく親子三代に渡り愛読されている方々もあるかも知れません。私のようにこの雑誌のファンの一人としてあった者が、通巻900号の記念号に記事を寄せることができたというのは誠に幸せなことであります。

創刊時に於いてはその発行の辞にあるように『無線科学普及の目的を以て本誌を創刊せり』とあり、まさに『無線と実験』の銘が示すとおり、高周波系の内容であったことは周知のとおりであります。そこでとりわけ戦前の記事の中に登場した鉱石ラジオなる、半ば幻想的な受信機について少々述べさせていただき、まさに我が国の電子世界の幕開けの時代を、当時を知る方々に回想を持って、そして、未知の方々には一種の追体験をしていただけたらと思う次第です。

「鉱石受信機」とは、検波部に鉱物の結晶を用い、電池や家庭交流電燈などからの電源を用いなくても作動する受信機のことです。(感度を上げるため、電池で検波器にバイアス電圧を印加するタイプも一部にはありました)

この受信機の活躍した期間はそれほど長くはなく、最も象徴的な構造を持っている『さぐり式』に至っては、実質10数年と言っても過言ではないほど短命でありました。歴史的な存在としてそのような『さぐり式鉱石ラジオ』を知っておられる方々も時々お会いしますが、実際にその受信機で放送を聴いていたという方はすでに稀になっていると言えるでしょう。

製品としての当初の鉱石受信機は、高価な割には工作法さえ知っていれば原理的な事柄を熟知していなくても製作することができるため、当時の科学少年たちによっていたるところで作られました。JOAK開局当時はまだ一局しか放送所がなかったわけですので、同調回路も基本的には省くことができ、検波用鉱石とハイインピーダンスのヘッドフォン、それに空中線と接地線をつなぐことですぐに放送を聴取できたのです。それらは実用的な側面が中心であったことは確かですが、事実彼らラジオ工作少年たちの背景を考えれば、聴こえるはずのない『魔法の声』との出会であったということです。

現代に生活する私たちにとってテレビやファックス、携帯電話は日常的な機器です。しかしながら「無線と実験」が創刊されたり、ラジオ放送が始まった時代では、ただの箱に見えるものから人の声が聴こえてくるということは、まさにそれだけで驚きであったのでしょう。その不思議さからその後電気の世界に入り、やがて電気製品の開発や普及をする現代の電子企業の礎を創った人々も多いと聞きます。

何事も巨大化し複雑になっていくように見える現代、鉱石受信機のような素朴で親しみやすい ラジオを作ることで、いろいろな方々が趣味の工作を楽しまれるということを、私は望んでいるのです。

JOAK開局から間もない頃、当時のVIPに贈呈された珍しい鉱石受信機。固定式鉱石検波器が使用されている。(小林健二蔵) W140xH67xD102mm

JOAK開局から間もない頃、当時のVIPに贈呈された珍しい鉱石受信機。固定式鉱石検波器が使用されている。(小林健二蔵)W140xH67xD102mm

国産の鉱石受信機

国産の鉱石受信機

検波器はまだ完全にはレストアされていない。内部はしっかりとしており、表の検波器と並列に内部に「フォックストン」と呼ばれる古河電気の固定式の検波器がついているのが面白い。下部の引き出しには受話器が入っている。(小林健二蔵)W260xD227xH270mm

検波器はまだ完全にはレストアされていない。内部はしっかりとしており、表の検波器と並列に内部に「フォックストン」と呼ばれる古河電気の固定式の検波器がついているのが面白い。下部の引き出しには受話器が入っている。(小林健二蔵)W260xD227xH270mm

私自身はゲルマラジオを含めると、自作した鉱石式受信機は数十台あって、その一つ一つ形状や大きさ、回路や部品など、それぞれを色々に変化させてりして楽しんでいます。オモチャっぽいもの、昔式の重厚なもの、歴史的には姿を現さなかった創造的なものなどです。回路自体がとてもシンプルなため、その時の思いのままに製作できて工作の楽しみを味わうのにこの上ないテーマを与えてくれます。鉱石ラジオやゲルマラジオというと、やはり子供っぽい玩具的なイメージがあるようですが、初期の鉱石式受信機というと必ずしもそうではありません。そんなタイプの昔風の鉱石受信機について少し述べてみたいと思います。

[昔風鉱石受信機] つまみ、ターミナル、ノッチスイッチ、検波器の金属ホルダー、コイル、バリコン、木製筐体まで全て小林健二の手製。W340xD203xH185mm

[昔風鉱石受信機]
つまみ、ターミナル、ノッチスイッチ、検波器の金属ホルダー、コイル、バリコン、木製筐体まで全て小林健二の手製。W340xD203xH185mm

昔風鉱石受信機の内部 小林健二手製のバリコン、バリオメーター、バリコカップラーなど

昔風鉱石受信機の内部
小林健二手製のバリコン、バリオメーター、バリオカップラー、接合型鉱石検波器など

バリコンの製作

バリオメーターの製作

バリオカップラーの製作

ガラスケースに収めた接合型鉱石検波器(小林健二製作)

ガラスケースに収めた接合型鉱石検波器(小林健二製作)

接合型鉱石検波器の製作

 

*鉱石ラジオの部分品の製作記事をリンクしておりますので、参考にしてください。

写真にありますように外観は何か測定器のような感じで、子供の頃のなつかしい思い出と照らすとちょっと異なって感じる方もおいででしょう。しかし、鉱石受信機とは当初このようなものでした。構造的にはゲルマラジオとほとんど同じく、同調回路と検波部、そして受話器や空中線、接地線といった構成です。このタイプの鉱石受信機を製作する楽しみは、高い電源電圧が印加されないパーツにおいて、安全に各部品の工作をすることができるということです。

通常バリコンのような精度を要求される機械的構造を持つパーツは、アマチュアには製作できないと言われていますが、コンデンサーの原理を考えれば簡単なところから始めていくと工作的には難しいことはありません。

そして段々と工作技術が進んでいけば、写真のような機械的にも安定し、見栄えもそう悪くないエアバリコンを製作することも想像よりはるかに楽しんでできると思います。私自身仕事の上で金属加工をすることはありませんし、このバリコンを作るにあたっても旋盤などの専門的に見える機械はほとんど使用しないで作業を行いました。もちろんボール盤があると工作全般、何においても便利ですが、あとは糸ノコとヤスリくらいで製作可能です。

これらのバリコンを作る技術がありますと、今ではほとんど入手不可能となったタイプのバリコンも自分の望んだように製作できますし、壊れてしまった部分品を修理することもできます。また下辺を必要としないコンデンサーであれば、さらに色々とつっこんだものも製作可能です。

もし外形がメーカー製と比べて大きめになってしまっても構わないならば、様々な方法で容量、特性、体圧のものを作ることができるでしょう。

次にコイルですが、鉱石ラジオといえばスパイダーコイルを連想される方もいると思いますが、実際はソレノイドコイルかそれに準じたタイプのものが多かったようです。ただ今日の自作コイルと比べると特性の良いコイルの理論が確立していなかったのと、手作りでは量産向きではないものや、少々特性などを犠牲にしても機械的に作りやすいものとかがいりみだれていて、まさに様々な形状のコイルがありました。たいていの場合、工作的に考えればどれも興味深く色々と作ってみたくなるものばかりです。

小林健二自作のコイルの一部。左上から二番目の黄色い線を使用しているコイルは小林健二設計による名付けて「クラウンコイル」

小林健二自作のコイルの一部。上の左から二番目の黄色い線を使用しているコイルは、小林健二設計による名付けて「クラウンコイル」

海外ではこの黎明期のコイルを、ちょうど真空管をコレクションするのと同じように集める人も多いと聞いたことがあります。実際私自身も色々な文献などで変わったコイルの記事や写真を見て、とりあえず実験的に作ってみると、確かにだんだんとコイルだけでも面白くなって、今までに随分とたくさん作ってしまいました。鉱石ラジオのコイルを作る理論上では、基本的に線間に発生するコンデンサー成分をなるべく少なくすることでQ(クオリティー)の向上を図るようです。そんなわけで昔はやった女の子たちのリリアンのようにバスケットコイルやパンケーキコイルを作るのは楽しいものです。

コイルでも可変インダクターとして使用されるバリオメーターやバリオカップラーについては、高度なバリコンを作るのと同じように相当する技術が必要になりがちです。しかしながらバリコンやバリアブルインダクターにしても、ピンからキリまで対応できるというのも鉱石ラジオの特性のひとつでしょう。

小林健二

1986年に小林健二が夢の中で見たラジオを最初に作った「サイラジオ」第1号、音量とともに頭部の色が変わり明滅する。

1986年に小林健二が夢の中で見たラジオを最初に作った「サイラジオ」第1号、音量とともに頭部の色が変わり明滅する。

故渋澤龍彦氏へのオマージュとして’87年に作られたサイラジオの第2号。「悲しきラヂヲ」と名付けられている。一号機と同じく上部の結晶の色は明滅して変わる。下部には青色に光る環状列石のような石英が配されている小部屋がある。「サイラジオ」は鉱石ラジオではない。

故渋澤龍彦氏へのオマージュとして’87年に追悼のための本が作られた。存命中「サイラジオ」一号が小林健二個展に展示され、氏が訪れた時に展示場所が地下で電波がうまく受信できずにいた、そんな思いからか本の記事にさいし、サイラジオの第二号を小林は製作。「悲しきラヂヲ」と名付けられている。一号機と同じく上部の結晶の色は明滅して変わる。下部には青色に光る環状列石のような石英が配されている小部屋がある。「サイラジオ」は鉱石ラジオではない。

*以下、小林健二の不思議な電気を使用した作品を紹介します。

すでに1000人ほどの人がこの不思議な受信機から「過去の放送」を聴いたと言われる。 [IN TUNE WITH THE PAST TENSE]と名付けられた作品。

すでに1000人ほどの人がこの不思議な受信機から「過去の放送」を聴いたと言われる。
[IN TUNE WITH THE PAST TENSE]と名付けられた作品。

小林健二作品[IN TUNE WITH THE PAST TENSE] 「地球溶液」と言われるアース部分。

小林健二作品[IN TUNE WITH THE PAST TENSE]
「地球溶液」と言われるアース部分。

小林健二作品[IN TUNE WITH THE PAST TENSE] 透きとおった鉱物にタングステンの針を当てて検波すると、クリスタルイヤフォンで放送を聴くことができる。

小林健二作品[IN TUNE WITH THE PAST TENSE]
透きとおった鉱物にタングステンの針を当てて検波すると、クリスタルイヤフォンで放送を聴くことができる。

小林健二作品[夜光結晶短波受信機] 後ろの箱は電源。ディテクター(左)、スピーカー、本体(右)

小林健二作品[夜光結晶短波受信機]
後ろの箱は電源。ディテクター(左)、スピーカー、本体(右)

小林健二作品[夜光結晶短波受信機] 高さ18.5cmの小さなスピーカー。金属の鋳造によって作られている。

小林健二作品[夜光結晶短波受信機]
高さ18.5cmの小さなスピーカー。金属の鋳造によって作られている。

小林健二作品[夜光結晶短波受信機] ディテクター(検波部)、中の発光し透き通る赤色と緑色の石を、青色に光っている金属に当てるとヅピーカーから音が聴こえる。

小林健二作品[夜光結晶短波受信機]
ディテクター(検波部)、中の発光し透き通る赤色と緑色の石を、青色に光っている金属に当てるとスピーカーから音が聴こえる。

 

[鉱石ラジオを楽しむ]後編

KENJI KOBAYASHI