[銀河通信事業]という幻

銀河通信社製の鉱石ラジオなどを作るための部分品

銀河通信社製の鉱石ラジオなどを作るための部分品

[キット開発者から見た側面]

ぼくが子供時代を過ごした昭和三十年代は、今と比べるとそれほど慌ただしくなく、一般的に貧しくありながらも子供にとってはワクワクしたりできる事がたくさんあったように思います。

ビー玉やメンコ、カンケリ、駄菓子屋通いといった遊びはもちろんでしたが、ぼくにとっては科学博物館や模型店に行くことは特別でありました。ただ今と比べれば当時は多かれ少なかれ誰しもが、模型や工作に接する機会が割合あったのです。それは文房具店や本を扱う店でも模型材料を置いているところが多く、また大人用の専門的な模型店もかなりありました。

それ以外にも少年雑誌などには、切手コレクション、天体望遠鏡や顕微鏡、自転車等の広告と共に、必ず模型や科学キットの関係も載っていたものです。ぼくが高校へ通う頃の昭和四十年代も後半になると、理由はいろいろと考えられますが、急激にそれらの店は少なくなって行きました。その頃時々訪れる「友人の誕生日」などのプレゼントを贈る時に、ちょっとしたキットを作ったりすると思いのほかウケがよく、一種の通信販売をする会社のようなスタンプを消しゴムで作ったりしていました。キットと言っても紙ヒコーキであったり、簡単なモーター、あるいは厚紙で作る筆入れや箱といったたわいの無いものばかりでしたし、説明書は手書きやガリ版刷りといった具合です。

屋号は「コバケンコメット社」というように、やはり子供の頃より好きで作っていたプラスチックモデルの日本の飛行機名である、「彗星」「流星」「銀河」といったものをその都度使っていたと言うわけです。

これら美しい名前の飛行機が実は悲しい時代に造られ、そしてたいそうつらい任務に付いていた事も知っていたことが、ぼくにとってそれらの呼称に対して一種の感慨を込めさせていた次第なのです。

鉱石ラジオキット「銀河1型」

鉱石ラジオキット「銀河1型」

やがていつのまにか二十代も後半になった頃より鉱石ラジオに興味を持つようになり、いろいろとオモチャのようなものを作ったり、友人へのプレゼントに「銀河通信社謹製」といった立派な社名?を使ったりするようになったのです。

この半ば冗談のようなママゴトのようなホビーは、十年程前鉱石ラジオの本を書く頃にはすでに結構友だちの中では人づてに伝わっていて、いっそのこと本当にキットを作ってみようと、無謀な考えがよぎることが多くなって行きました。

気持の中では遥かな無いはずの世界に引きずり回されていたわけですから、どうしても空想のお店でありはしてもいろいろと想像してしまう事もあったわけです。

それはまるで子供の頃の模型店のようなあの一見雑然としながらも、木製の引き出しや ガラスケースの中に事細かに木や金属、プラスチック等の材料、モーター、トランス、プラモデルや組み立て工作の数々が整然と並んでいて、そんな中で日永一日店主としていろいろな子供たちや専門的な工作好きと話をしたり、時間の空いた時には自分も工作に熱中する、店自身は古くて小さな木造の小屋のようでも、売り場と住居は別れていて清潔で好きなものばかりに囲まれている、そんな日常を想像して勝手に悦に入っていたのです。

時より届く遠方からの少年たちの注文や質問に手紙を添えて通信販売をする、もしそんな暮しができるのだったらいったいどんなだろうと、まるで余生の生き方を考えるように思い巡らしていたのです。しかしながら何せ合間を縫ってのホビーの延長で今に至り、中々アイテムを増やすことができません。日々の時間の中から最も優先的に注文に答えてゆくのは、想像していた昔の模型製作会社のイメージとは随分異なりますが、時々中学生から励ましの便りをもらったりすると、やはりうれしくなるものです。

既にキットらしきものを作りはじめて三十年余りが経過してきましたが、もしぼくのようなものを「キット開発者」と呼んでもらえるとしたら、この方向の製品を実際的に作ってゆくという事は、なかなか難しいところもあるのは事実です。たとえばキットを木やベークライトの材質で作りたいと思ったことによるパーツの入手不足、あるいは自作しなければならないものも随分とあって、ワークショップなどから急に数百もの注文が入ったりすると、それはもう昔の家内工業のような状態に落ち入る事もあるでしょう。それと発足時より採算をあまり考慮していなかったのが、開発困難さを決定的にする事もあるのです。

只、出来る限り合理性や科学原理の説明的なキットではなく、また一時代に対する懐古的なだけでもないようなものを目指しながら新しいキットを作り足して行きたいと願っています。

インターネットウェブに銀河通信を立ち上げて今年でおよそ七年になります。隠れているようなサイトなのにどこかから訪れる人々たちがいて、そのためこれからもキット開発?の継続を考えています。

本当は「風のフジ丸」から「分け身の術」を教えてもらえればとも思うのですが(笑)、今まで通りゆっくりとやっていこうとも思っています。しかし、いつかは何処かの町の片隅にて駄菓子屋とも模型屋とも見える風な木の造りで、小さなショーウインドウと硝子の入った引き戸の建具のある幻のお店を作ってみたいと夢みています。水色のトタンの看板には青色のペンキで「少年少女向模型各種 不思議製品多数」等と書かれてあり、その横には小さく「銀河通信社」と書いてあるような・・・。

2006年春

(一部当初の原稿を編集しています)

当初の頃などはガリ版刷りの説明書が多かったので、今でも多少その感じを残した手書きのものにしている。しかしぼく自身、字が下手なので、読みづらそうなものにはタイプ文字に変えてある。

当初の頃などはガリ版刷りの説明書が多かったので、今でも多少その感じを残した手書きのものにしている。しかしぼく自身、字が下手なので、読みづらそうなものにはタイプ文字に変えてある。

 ゲルマニウムダイオードとバリコンのセットにはエナメル線が付いていて、トイレットペーパーの芯などに巻いてコイルにしたり、それぞれ工夫して作るようになっている。右下は作例の一つ。

ゲルマニウムダイオードとバリコンのセットにはエナメル線が付いていて、トイレットペーパーの芯などに巻いてコイルにしたり、それぞれ工夫して作るようになっている。右下は作例の一つ。

キットのパーツ類などを整理したりダミー作りのための場所。自分が[キット開発者]という幻想に入り込むためにあるような一角かもしれない。

キットのパーツ類などを整理したりダミー作りのための場所。自分が[キット開発者]という幻想に入り込むためにあるような一角かもしれない。

実際にキットを製作する上でいろいろな自作した道具が必要と成る。例えばエナメル線を一定の長さに巻き取るための治具の一例。

実際にキットを製作する上でいろいろな自作した道具が必要と成る。例えばエナメル線を一定の長さに巻き取るための治具の一例。

パネルに多数の違った径の穴をあける時にも治具は必要となる。

パネルに多数の違った径の穴をあける時にも治具は必要となる。

[銀河1型]と名付けた製品のプロトタイプ。厚紙や色紙、あるいは手で描いたりして様子をみる。

[銀河1型]と名付けた製品のプロトタイプ。厚紙や色紙、あるいは手で描いたりして様子をみる。

最終的に細かな部分まで決定したら、印刷所に出す原稿や製函屋への金型の発注、そして部品の調達を確認してキットを製品化してゆく。

最終的に細かな部分まで決定したら、印刷所に出す原稿や製函屋への金型の発注、そして部品の調達を確認してキットを製品化してゆく。

[銀河1型]の内部。スパイダー式コイルの巻き枠に色の違ったエナメル線で巻の異なる部分を平易にと考えたが、段々と色エナメル線の入手が難しくなってきた。

[銀河1型]の内部。スパイダー式コイルの巻き枠に色の違ったエナメル線で巻の異なる部分を平易にと考えたが、段々と色エナメル線の入手が難しくなってきた。

[彗星1型]のキットは鉱石ラジオが生まれた当時のように黒ベークライト製のパネルやツマミなどを使用し、筐体は木製にしている。

[彗星1型]のキットは鉱石ラジオが生まれた当時のように黒ベークライト製のパネルやツマミなどを使用し、筐体は木製にしている。

彗星1型の検波器は真鍮とタングステンのスプリングでできている。

彗星1型の検波器は真鍮とタングステンのスプリングでできている。

鉱石ラジオキット[彗星1型]

鉱石ラジオキット[彗星1型]

鉱石ラジオキット[彗星2型]

[彗星2型]は当初ある博物館でのワークショップのために作ったものなので、作る人たちにもなるべく楽しんでもらえるようにとフロントパネルはベニヤ板にし、好きに色を塗って仕上げてもらうようにと考えた。

検波器をいかにして簡単に作れないかと工夫した例

検波器をいかにして簡単に作れないかと工夫した例

鉱石ラジオキット[銀河3型]

鉱石ラジオキット[銀河3型]

銀河3型の内容

銀河3型の内容

[銀河3型]の出来上がり

[銀河3型]の出来上がり

銀河3型のプロトタイプの裏側、穴の位置決めのケガキ線などが見える。

銀河3型のプロトタイプの裏側、穴の位置決めのケガキ線などが見える。

[銀河2型]のキット内容

[銀河2型]のキット内容

[銀河2型]を作ってみる。まずはサンドペーパーでコイルを巻くための紙筒のフチや板の表面や角をなめらかにすることから始める。

[銀河2型]を作ってみる。まずはサンドペーパーでコイルを巻くための紙筒のフチや板の表面や角をなめらかにすることから始める。

コイルの巻き始めや巻き終わりの固定のため、穴を開けているところ。すでに位置は鉛筆で印しがしてある。写真では見やすくするために大きめの穴があいている。

コイルの巻き始めや巻き終わりの固定のため、穴を開けているところ。すでに位置は鉛筆で印しがしてある。写真では見やすくするために大きめの穴があいている。

ニスを巻き筒に塗っているところ。このようにすることでベークライト製の筒のような感じにもなり、強度が出る。薄く何回もウラオモテを乾かしては塗るようにする。 キットに筆は付属していない。乾かす間、筆はラップで包んでおき、洗浄には燃料用アルコールを使う。

ニスを巻き筒に塗っているところ。このようにすることでベークライト製の筒のような感じにもなり、強度が出る。薄く何回もウラオモテを乾かしては塗るようにする。
キットに筆は付属していない。乾かす間、筆はラップで包んでおき、洗浄には燃料用アルコールを使う。

木の板にもそれぞれ3回塗ってもまだ少しニスが残っている。とにかく時間をかけてニスを塗り終えてから、最低1日以上置いてから次の作業に入る。じっくり仕上げていきたいキットである。

木の板にもそれぞれ3回塗ってもまだ少しニスが残っている。とにかく時間をかけてニスを塗り終えてから、最低1日以上置いてから次の作業に入る。じっくり仕上げていきたいキットである。

エナメル線を巻き始める。方向はどちらでも構わないが、ゆっくり丁寧に巻くのがコツ。このコイルはソレノイドコイルと呼ばれるタイプで一見スパイダーまきのものよりありふれて見えるが、特性はよく、ただ巻くことも思いのほか難しい。ほぐしたエナメル線は写真のように手に通したりして絡まないように注意する。

エナメル線を巻き始める。方向はどちらでも構わないが、ゆっくり丁寧に巻くのがコツ。このコイルはソレノイドコイルと呼ばれるタイプで一見スパイダーまきのものよりありふれて見えるが、特性はよく、ただ巻くことも思いのほか難しい。ほぐしたエナメル線は写真のように手に通したりして絡まないように注意する。

図のようにタップを作る。その後もう一度タップを作り巻き上げてゆく。

図のようにタップを作る。その後もう一度タップを作り巻き上げてゆく。

残してあるニスを塗って巻きを固定する。そして1日以上乾燥させる。

残してあるニスを塗って巻きを固定する。そして1日以上乾燥させる。

コイルの出来上がり

コイルの出来上がり

コイルを板に取り付ける位置に付属の接着剤でスペーサーの厚紙を貼る。

コイルを板に取り付ける位置に付属の接着剤でスペーサーの厚紙を貼る。

バリコンボックスの底板を外して画鋲で固定し(この時にボンドの残りを併用しても可)、検波器となる部分も穴にはめ込む。

バリコンボックスの底板を外して画鋲で固定し(この時にボンドの残りを併用しても可)、検波器となる部分も穴にはめ込む。

ターミナル部分へのためにリング状にエナメル線を加工したり、ハンダ付けして余分な線をカットしておく。

ターミナル部分へのためにリング状にエナメル線を加工したり、ハンダ付けして余分な線をカットしておく。

検波器の針となる部分はすでに出来上がっているので、説明図にしたがってあらかじめ曲げておく。

検波器の針となる部分はすでに出来上がっているので、説明図にしたがってあらかじめ曲げておく。

検波器はアンテナやアースを指定通りにした後、クリスタルイヤフォンで聞きながら細かな調整をする。

検波器はアンテナやアースを指定通りにした後、クリスタルイヤフォンで聞きながら細かな調整をする。

[銀河2型]の完成の一例(左)とおよそ10年前に作ったプロトタイプ

[銀河2型]の完成の一例(左)とおよそ10年前に作ったプロトタイプ

これからはもっと本格的なキットも開発してみたいと考えている。例えば金属製の鍛連エアバリコンや鉱石ラジオの初期に付いていたダイヤルを使ったものなど。

これからはもっと本格的なキットも開発してみたいと考えている。例えば金属製の鍛連エアバリコンや鉱石ラジオの初期に付いていたダイヤルを使ったものなど。

二重絹巻線などといった材料を用いたキットも考案してみたい

二重絹巻線などといった材料を用いたキットも考案してみたい

二重絹巻線は裸銅線の上に二重に絹糸を巻いて絶縁しているものだが、もはや国内ではバリコンやダイヤルと同様、まとまった量を確保するのは難しい。

二重絹巻線は裸銅線の上に二重に絹糸を巻いて絶縁しているものだが、もはや国内ではバリコンやダイヤルと同様、まとまった量を確保するのは難しい。

検波器用にと考えている透質な鉱石は、品質や大きさを一定に保つのは難しい。しかし、それほどの数は製作できないが求める方の声が多く、限定でいずれ発表したいと考えている。

検波器用にと考えている透質な鉱石は、品質や大きさを一定に保つのは難しい。しかし、それほどの数は製作できないが求める方の声が多く、限定でいずれ発表したいと考えている。

結晶のキットなどを計画する時には、なるべく安全で美しく誰にでも作れるようにと考えるため、たくさんの薬品を試すことになる。新品の試薬は保持性の高いポリ容器に入って売られているが、自分の趣味でわざわざガラス製の壜に入れ替えて使用している。 (もちろん薬品お特性に応じて密閉性を考慮している)

結晶のキットなどを計画する時には、なるべく安全で美しく誰にでも作れるようにと考えるため、たくさんの薬品を試すことになる。新品の試薬は保持性の高いポリ容器に入って売られているが、自分の趣味でわざわざガラス製の壜に入れ替えて使用している。
(もちろん薬品の特性に応じて密閉性を考慮している)

[赤色結晶育成キット] (ルビーのように光に透かすと赤色に輝く結晶が育成できる)

[赤色結晶育成キット]
(ルビーのように光に透かすと赤色に輝く結晶が育成できる)

[硝子結晶育成キット]の内容

[硝子結晶育成キット]の内容(現在で攪拌棒はプラスチック製のスプーンに変わっている)

説明書にしたがって湯と白色の粉を容器で溶かす

説明書にしたがって湯と白色の粉を容器で溶かす

小瓶に入った「色の素」と呼ばれる薬品を入れる。多ければ針状に、少なければ塊状に結晶する。

小瓶に入った「色の素」と呼ばれる薬品を入れる。多ければ針状に、少なければ塊状に結晶する。

急冷しないようにタオルなどをかけ、温度変化の少ない場所に静かに置いておく。

急冷しないようにタオルなどをかけ、温度変化の少ない場所に静かに置いておく。

1日以上放置する途中で、あまり容器を動かしてはいけなが、母岩に結晶が出来始めたところを撮影してみた。

1日以上放置する途中で、あまり容器を動かしてはいけなが、母岩に結晶が出来始めたところを撮影してみた。

ペットボトルの底で結晶した硝子結晶の一例

ペットボトルの底で結晶した硝子結晶の一例

硝子結晶と言っても硝子そのものではないが、ガラスの容器の中で育成を続けてもおもしろい。

硝子結晶と言っても硝子そのものではないが、ガラスの容器の中で育成を続けてもおもしろい。

*2006年のメディア掲載記事より抜粋し一部編集しております。

reblog:銀河通信より転載「幻的銀河通信事業」

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「懐かしい」って不思議な言葉

懐かしいと言ったら、ぼくはやっぱり駄菓子屋さんかな。安いけど工夫された楽しさが溢れていた。いつもお店は子供たちでいっぱいで、知らない同士でもすぐ友達になれたものだった。それから模型屋と科学博物館だね。

模型は飛行機で、日本やヨーロッパのものが好きだった。透明な風防の中を覗いていると、誰かが座っていそうで、中から見える風景を想像してワクワクしていたんだ。学校をズル休みして時々行った科学博物館は古めかしくて重厚で、それがまたなんとなく神秘的で素敵だった。

一人一人の懐かしい思い出はそれぞれに個人的なことが多いけれど、雑誌やテレビ番組なんか同世代だと共通していたりするよね。ぼくは昭和32年生まれだから、鉄腕アトムやウルトラQの時代かしら。

健二製作のプラスチックモデル(スケール1/72)

健二製作のプラスチックモデル(スケール1/72)

雑誌なら「少年」そして「マガジン」や「サンデー」も懐かしい。でもテレビの「恐怖のミイラ」や「マリンコング」「アウターリミッツ」や「世にも不思議な物語」なんかはどうだろう。ぼくは不思議なことがとりわけ好きでよく見ていた。

そういえばこの「懐かしい」って言葉も不思議だね。なぜかっていえば、それは記憶や思い出の中でもきっといいもの、あるいは今となってはいいものばかりなんだ。英語や仏語でも思い出を表す語は色々あると思うけど、思い出すのは必ずしもいいことばかりでないから、いい感じの思い出、素晴らしい記憶といったように、一語で「懐かしい」といえる言葉って他の国ではあまりないようだものね。

「懐かしさ」って全てを肯定しているからこそ口をついて出てくるんだと思う。

そんな文化を持っているぼくらの国なのに、今は何もかもが早く過ぎていき、少しみんな疲れているんじゃないかしら。だから今よりも時間がもっとゆっくり流れていた昔見たような風景なんかに出会うと、思わずそこでしばし休息したくなるんじゃないかしら。

小林健二

*2000年のメディア掲載記事を編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

*下記は富山県立近代美術館での展覧会図録に寄せられていた文を抜粋し、これも画像は新たに付加しています。

「TOYAMA ART NOW-ポーランドと日本」の図録

「TOYAMA ART NOW-ポーランドと日本」図録の小林のページの一部

子供の頃読んだ本の中に、片方の目にだけある不思議な薬を塗ると、普段ならみえないたくさんの宝石が見える、というような内容のものがありました。結局その主人公は、もっとよく見ようとして両目に塗ってしまい、何も見えなくなってしまうのですが、その本の挿絵を見てはしゃいでいるものがありました。ぼくはとりわけその絵が好きでした。

ぼくはまた、古代の世界やそんな時代に書かれたものかもしれない書物とはいかなるものかと考えたり、ある日机の引き出しを開けるとその中で青い発光体が静かに浮かんでいるといった幻について想ったりしていることが好きです。

ぼくはそのような隠れたとこや見えにくい場所に、何か素敵な宝物があるような気がしてなりません。そして、そんな目に見えない透明な通信で交わせる世界があることを信じているのです。

小林健二

2000年に開催された別の個展での展示

2000年に開催された別の個展での展示。この時は広い会場が3部屋に分かれていて、第一室は小林健二のアトリエを彷彿とさせる展示内容になっていました。

小林健二作品

小林健二作品「セフェルイエッジラーの書」シリーズ

小林健二作品「ゾハールの書」

小林健二作品「ゾハールの書」

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人工結晶を作る

ロッシェル塩(酒石酸ナトリウムカリウム四水和物)を使ってクリスタルイヤフォンを作ることはかなり難しそうですが、ロッシェル塩の大きな単結品を使って、この結晶がピエゾ電気効果(正確にはピエゾ圧電気逆効果)によってほんとうに音を発することを確かめることはできます。それにはまずロッシェル塩の単結晶を作る必要があります。実はこの結晶作りだけでも十分に興味深く楽しいものなので、ごく簡単に紹介してみたいと思います。

市販されている酒石酸ナトリウムカリウムは透明な1mm弱のザラメのような感じのもので、なめると塩っぱいような少し苦いような味がして、溶けるときにちょっと冷たさを感じます。

市販されている酒石酸ナトリウムカリウムは透明な1mm弱のザラメのような感じのもので、なめると塩っぱいような少し苦いような味がして、溶けるときにちょっと冷たさを感じます。

水100gを30℃ にしてそこに200gのロッシェル塩を入れ、溶けるだけ溶かしてシャーレなどの平たいお皿に溶けた上澄みだけを入れ、それを発泡スチロールなどの箱に入れ静 かにおいておきますと、四角い平たい結品が析出してきますので、その中から形のよいものを選びます。

水100gを30℃ にしてそこに200gのロッシェル塩を入れ、溶けるだけ溶かしてシャーレなどの平たいお皿に溶けた上澄みだけを入れ、それを発泡スチロールなどの箱に入れ静かにおいておきますと、四角い平たい結品が析出してきますので、その中から形のよいものを選びます。

この際気温が高い夏期などには、40℃ の水にもっとたくさん溶かしてもよく、共にほぼその温度における飽和溶液にして使います。少し時間がかかりますが、室温と同じ温度の水に少しずつロッシェル塩を入れて溶け残りが出てきたところで飽和溶液と見なしてもけっこうです。ただ、あまりにも溶液温度と保管する所とに温度差があったり、保温して徐々に温度を下げていかないと過冷却の状態になってしまい、一気に細かな細品が析出してしまい、失敗となります。この場合はもう一度溶かしてやり直します。

小林健二「ぼくらの鉱石ラジオ」

この作業でいい形のものが最初10個くらい見つけられたら溶液をガーゼなどで漉して、 キラキラしたとても細かい結品があればほんの少し暖めてこれを溶かして熱がとれた後、さっきの結晶(種結品と呼びます)をその中に入れ、また成長させてゆきます。

そしてだんだんと大きくして、欠けたり、小さな結品がくっついてしまわないものを選んで繰り返してゆきます。

そしてだんだんと大きくして、欠けたり、小さな結品がくっついてしまわないものを選んで繰り返してゆきます。

このように入工結晶を作っていく方法には基本的に飽和点を下げることで結晶を析出させていく冷却法と、溶媒を揮発させ溶質濃度を上げながら結晶析出をうながす蒸発法とが代表的です。

ロッシェル塩については種結品を冷却法で作り、その後を蒸発法で行うとぼくはよいと思います。うまくなると10 cmくらいの大きなものも作れると思いますので、いろいろ工夫してやってみてください。

ロッシェル塩については種結晶を冷却法で作り、その後を蒸発法で行うとぼくはよいと思います。うまくなると10 cmくらいの大きなものも作れると思いますので、いろいろ工夫してやってみてください。

冷却法で成長を促進する場合も、できる限り少しずつ温度が下がるようにしないと失敗します(理想的には1日で0.1度くらいの下がり具合)。そして大きな結晶を作るには何日もかかります。温度管理に自信がない場合は蒸発法で大きくすることをすすめます。この場合は種結晶があらかじめ3~ 5 mmくらいになったものを使い、結晶を作ろうと思うところの室温と同じ温度の飽和溶液を育成母液として使い、ゴミやチリが人らないように心がけで気長にやることです。育成母液に種結晶を入れ10時間~ 1日おきに観察して、種結晶のまわりのところなどにたくさん小さな結晶が析出してくるようならガーゼなどで漉して、きれいになった母液に再び種結晶を戻すことを繰り返します。

大きな結晶ができました。

大きな結晶ができました。

そして大きな結晶ができたら布などで液を拭いよく乾かしたあと、いちばん広い向かい 合う両面に錫箔あるいはアルミ箔を貼り、そこにトランジスタラジオのイヤフォンからの線、あるいはステレオのヘッドフォンやスピーカーの端子からの線をそれぞれに接触させて、少しづつ音を大きくしていくと、結晶から音が出てくるのを確認できるでしょう。

そして大きな結晶ができたら布などで液を拭いよく乾かしたあと、いちばん広い向かい合う両面に錫箔あるいはアルミ箔を貼り、そこにトランジスタラジオのイヤフォンからの線、あるいはステレオのヘッドフォンやスピーカーの端子からの線をそれぞれに接触させて、少しづつ音を大きくしていくと、結晶から音が出てくるのを確認できるでしょう。

そして共鳴箱やピンと張ったグラシン紙(ブーブー紙)に取り付けるともっと大きくなります。

もしできるなら、結晶を薄くスライスしたりさらにはそのスライスしたものを貼り合わせたりすると効果的です。もしスライスして貼り合わせることができるなら、 2枚のロッシェル塩の板のあいだにも錫箔を入れて貼り、その端と両側の箔をショートした部分にオーディオ信号を印加するといいでしょう。

ぼくはダイヤモンドのブレードのついた石やガラスを切るバンドソーでロッシェル塩の飽和溶液をかけながら切りますが、こんなことは一般的ではありません。しかし時間をかけるなら、水でしめらせた糸を張った糸ノコで少しずつカットすることができ、この方法がいちばんきれいに切ることができます。

写真6は左から単結品がいくつか群品となったロッシェル塩の大きな結品、まん中は 人工水晶(自作ではありません)、そして右は育成母液のなかに石やなにかの塊(この場合はアンチモンの塊)を入れておくときれいな鉱物標本のようなものを作ることができる例です。

左から単結晶がいくつか群品となったロッシェル塩の大きな結晶、まん中は人工水晶(自作ではありません)、そして右は育成母液のなかに石やなにかの塊(この場合はアンチモンの塊)を入れておくときれいな鉱物標本のようなものを作ることができる例です。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

reblog:銀河通信より

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小林健二の”光の詩学”

小林健二の表現領域は、タブロー、オブジェ、イベント、インテリア、ビデオ、写真、音楽、、、とジャンルを問わず活動を広げてゆく。小林のアトリエには、彼が少年時代から集めたり、自分で製作した道具類が2万点余、さながら錬金術士の工房のように詰まっている。父親が刀鍛冶だったので、子供の頃から道具は身の回りに溢れていたという。

ー道具は文化そのもの

「道具って、素材や作るものに対して自分がどう関わるか、自分なりのイメージがないと意味がないんですよ。道具を考えるということは、いわば自分を考えるということなんです。そして自分を考えるということは、結局人間を考えるということなんです。

たまに古道具屋でぼくも見たことのない道具に出会うんです。それでしばらく使っていると分かり始めてくるんです。そうすると、こういう考え方もあるんだと感じるわけです。道具を理解することは、文化そのものを理解することなんです。

今は電動工具に代表されるように道具が世界的に簡便化されてきていますよね。道具が簡略化されるのは、ある意味では目的意識がはっきりするけど、目的に対してになっていくものが少なくなっていくことですね。自分自身が手を動かし、自分自身が味わったりする一番大切な領分が簡略化されるから、結果的には作業が早く終わるし苦労も少ない。その分喜びも伴わないかもしれないから愛着もわきにくいかな。

文化というものの基本は、機能や実利や合理だけでは説明できない、人間の一番大切なものを担っていると思うんです。そういうものを基本に置かないと、美術も何もない、、、やっぱり作るという行為と人間と作られるものの関係は、太古から原理的に全然変わってないわけですよ。」

[UTENA]special edition 1984 小林健二が高校生の時に見た”光の夢”を元に作られた本(自家製本)

[UTENA]special edition  1984
小林健二が高校生の時に見た”光の夢”を元に作られた本(革装による自家製本)

[UTENA]edition of 20 1984 すべての森羅万象は光より生まれ光に還ってゆくという、小林独自の宇宙創造に対する発想による詩集。この画像は20部限定で作られた。その後2008年にIPSYLONより限定50部で再販されている。

[UTENA]edition of 20 1984
すべての森羅万象は光より生まれ光に還ってゆくという、小林独自の宇宙創造に対する発想による詩集。この画像は上の特装本と同じ内容で20部限定で作られた。その後2008年にIPSYLONより限定100部で再販されている。

小林健二のART BOOK

ー光より生まれ、光へと還る

小林は以前「UTENA」という詩画集を作ったことがある。そこには”光の詩学”とでも呼べる宇宙生成論が綴られている。

「ぼくには宇宙ビックバン(大爆発)説というのはにわかに信じられない。ぼくはこう思っている。

宇宙にはかつて光が蔓延して光しかない状態があった。そういう状態であれば、時間もなければ距離もない。そしてそういうものが自分を知りたいと思う気持ちを抱いたとします。自分とは一体なんだろう。こう言う気持ちが集まって光子化していく。やがて量子化が始まり、素粒子なども作っていく。そうやって宇宙の物質化が始まる。

人間という存在も、光が物質化して人間になった。人間が何で森羅万象に興味を抱いているかといえば、人間は宇宙が自分を知りたいと思ったから生まれた現象だからです。光というのは自由だった。なぜなら無限だから。無限であって永遠だから。ぼくたちはどんな時でも永遠の自由を求めるじゃないですか。なぜかといえば、光の残存した意識があるからだと思う。すなわち、ぼくたちが夢見ているのは光であって、逆に言うと、ぼくたちは光が見ている夢かもしれない。光の見ている夢だってことになれば、実はぼくたちがここで感じる森羅万象は「夢なのかもしれない。そして、やがて光という最も安定した形に帰着するものが、」いうならば涅槃なのかもしれない。

ぼくの思考の根底にはこういうヴィジョンもあるんですよ。」

少年時代から天文学、考古学に熱中した小林の語る”光の詩学”は、宮沢賢治やノヴァーリスと同質な世界を夢見る資質を感じさせて魅惑的だ。

小林健二掲載記事

1991年頃の取材記事の一部。

 

ー生き方で夢を与えることもできる

「今は、ぼくたちが文化や理想を考えた時、そもそも人間は何のためにいるのかを考えなければいけない時代になってきている。

歴史を学ぶとしても、なぜ人間は過ちを繰り返すのか、、、何でこんな過ちを目の前にして無力でしかないのかという苛立ちを考えなければ、すべての文化は始まらないと思う。

文化とは人間が生きるための術(すべ)ですからね。

生き方で夢を与えるってのもできると思うんです。ぼくはあと何年生きていられるかしれないけれど、生きているうちにとにかく一生懸命、イキイキと仕事をしていくこと、そういうことが唯一、自分ができることなんじゃないかなと思っています。」

小林健二という現象は、現代にとって何を意味するのだろう。膨大な道具と技術を背景に製作に励む小林の情熱は、空疎な二種に分極した工芸と芸術を新たな統合へ回帰しようとする営みにも見える。

小林が十代でみた夢の記憶は、やがて2003年、福井市美術館での個展「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」開催へと繋がってゆく。

小林が十代でみた夢の記憶は、やがて2003年、福井市美術館での個展「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」へと繋がってゆく。

「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」

「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」

*1989年のメディア掲載記事を抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

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