月別アーカイブ: 2017年5月

「光さえ眠る夜に」をめぐる覚え書き

「ひかりさえ眠る夜に」福井市美術館での小林健二個展(ポスター)

「ひかりさえ眠る夜に」福井市美術館で2003年開催された小林健二個展。手前に見える結晶は小林健二自作のレシピにより、会期中に水溶液の中で結晶は少しづつ成長を続ける。

宇宙を満たしていた光から物質や時間が生まれ  、惑星や生命が誕生する。やがて自分自身の存在理由に疑問をもつ生き物の意識が、 肉体を離れ、物質を解体し、すべてが光へと回帰していく・・・。

アーティストである小林さんが過去にこの話を作品 の題材として表わしたことはないが(*その後福井市美術館での個展のタイトルとなり、作品製作に取り組んでいる)、その夢は、 彼にとって現在までずっと意識 のなかにあり続けている大きな体験なのだという。

以下、夢をめぐるあれこれを聞いて見た。

「実際見たのは、  高校1年の夏休みだったと思う。生物や人間だけの夢は付録みたいにそのあともちょこちょこ見たけれど(笑)、宇宙の光の夢は一度きりだった。とてもリラックスできて、本当に充実した夢で、いまでも当時の修学旅行とかの体験より、よっぽどはっきりと思い出せるよ。目が覚めたときには、逆にからだが重くてだるくて、周りの景色がぼやけて、水底(みなそこ)にいるような感じだった。

最初は『すげー夢見た』って興奮して、友だちに電話したんだけど、話しようがなかったから結局言うのやめてしまったんだ。

その夢を見たら、現実ってすごくつまらないような気がして、『また見ないかな』って、2-3日部屋から出ないでベットの中にいたように思う。人によっては山にこもって宗教家になっちゃったりしたかもしれない(笑)。それほどすごい体験だったから。

今回 のはスケッチブックに簡単に描いたイラストと文だから(*今回の記事では掲載していませんが、いつかこのサイトでも紹介したいと考えています。)、かえって説明的で、  物語としての流れがあるようだけれど、本当はすごく映像的な夢だった。

光が集まって、そしてそれがまた集まって、とっても、眩しく美しく ダンスをしているみたいに繰り返されてゆく。夢のほとんどはそんな気持ちのいいシーンの連続。

話してしまえばそれだけだけど、なにか、ぼくにとっての一つの確信のようなものを感じたんだ。こういうことをいうと、とかくあいつは宗教がかっているっていう人がいるかもしれないけど、ぼくは、ぼくらの星の上で本当に幸福や平和であるってどんなことなのかを考えていたいだけなんだ。」

人の一生も 生命の誕生も光のみた夢に過ぎない、夢とはいえそんな大宇宙の物語を決定的なものとして見てしまった前と後では、意識の上でも、変化があったに違いない。

「ひかりさえ眠る夜に」福井市美術館での小林健二個展会場

「それからは、物理にとても興味が出てきて、それまで以上に図書館や 神田の古本屋に行くようになった。そのくらい、ぼくの日常というか、ぼく自身の興味や意識に直接影習を与えたと思う。ただ、そのときはちょっと自閉的になっちゃったりした。だって、人に話したってうまく伝わらないと思っていたしね。高校二年の時、童話のような文章を書いて、その一番最後の章で、『ひかりさえ眠る夜に』という話を書いた。  でもそれが夢で見たものだな んて、  みんなにはいわなかった。二十歳をすぎた頃からかな、親しい人に酒の上の話なんかで時々話すようになったのは。」

「ひかりさえ眠る夜に」福井市美術館での小林健二個展会場。手前に見える結晶は日々少しづつ成長しているため、来場者には観察できるようなパスを美術館で発行したとのことです。

「ひかりさえ眠る夜に」福井市美術館での小林健二個展より。展覧会の最終日近くに撮影された結晶の状態。溶液で満たされた容器いっぱいに結晶が成長している。

夢をきっかけとしあらゆる物理現象への関心は、その後宇宙創生にまつわる小林さんなりの一つの仮説を導き出すことにもなった。

「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」より

「夢から率直に感じたことを言えば、物質は光からきているんだという宇宙観は、ビッグバンが宇宙の初めだとする考えよりもある意味ですごく合理的に思えるんだ。だって相対的に比較するものもないコズミック・シーズをイメージするのは難しいし、いつだって宇宙の内と外という概念にとらわれなければならないからね。それにぼくらが見聞きし感じるこのできる世界が光の変化から始まったとすれば、核力や重力の関係、電磁波や素粒子も説明しやすいと思うんだ。」

「ひかりさえ眠る夜に」福井市美術館での小林健二個展会場。美術館はとても広く、何部屋かに分かれていて、別の一室で青く発光する作品中心に展示していた。

「ひかりさえ眠る夜に」福井市美術館での小林健二個展会場。発光する作品中心に展示した部屋を上から撮影したもの。

日常の世界から宇宙空間へ。彼の見た夢そのままに時空を自在に跳躍するその視点は、話すうちに、ふたたび現在の地球にもどってくる。

「非常に危うい状態にある地球について、考えたいことは山 ほどあるよ。人間だけが地球に住んでいるわけではないのに、資源も環境も独り占めしている。地球の永い一生のほんのわずかのスポットを占 める人間界は、自らの招いた不安で渦巻いていて、さらにその速度は加速しているんだ。まるでブレーキのない自転車に乗っているようなものだよね。下り坂に差し掛かった時、コントロールを失えば、もはやだれにも止められなくなてしまう。」

「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」より

最近の夢について聞いて見た。

「2-3日前にオニギリ畑の農夫になる夢を見たけど・・・今ちょっとダイエットしているからかな(笑)。

ぼくの夢は、ぼくらの町や国 や星のことや、いろいろな生き物たちが いること、きっとみんな愛されたいんだということ、そんなことを照れないでみんなで話し合える社会が来ること。そして、がむしゃらに自然をなぎ倒して大きくなった人間社会が、すこし 立ち止まって考える時代が来ること。」

人が自分自身であるために、全ての生命 の心が一つになれるように。かつて彼の夢のなかで光がそっと夢見た理由が、そして彼がそれを私たちに伝えようと思い立った理由が、少しづつわかり始めたような気がした。

「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」福井市美術館発行(展覧会の図録)

「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」福井市美術館発行(展覧会の図録)

on-a-night from Kenji Channel on Vimeo.

*1995年のメディア掲載記事より抜粋編集しており、画像は新たに付加しています。(* )の部分、画像キャプションはこちらで書いています。

KENJI KOBAYASHI

 

少年技師

小林健二の書庫の一角

少年技師

この聞き慣れない昔風の言い方に、ぼくはわくわくすることがあります。大正から昭和の初めころの少年雑誌に時々登場するこの言葉に、「小国民」のように軍国的な時勢に通じるものを感じる人もいるかもしれません。でもぼくはここに挙げるような広告にこころを通わせていたそのころの少年たちのことを考えてみたいと思います。

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より

たとえばこの「模型の国」のところには「電気機関車、モーター、モーターボート、蒸気模型、模型部分品、顕微鏡、天体望遠鏡、カメラ、映写機、ラジオ、模型工作用用具その他模型に関する一切を収めた写真満載四六判三十頁余のとでも素晴らしいカタログ」と説明してあり、「模型飛行機と組立」のところには「四十余頁の飛行機模型に関する三百数十の部分品と三十余種の飛行機模型とを収めたカタログ」と書いてあります。ともに郵便代を送れば無料で進呈されるとも書いてあります。これは昭和8年の「子供の科学」に載った広告の一部ですが、このほかたくさんの少年や子供に向けた工作関係の広告が出ています。

そしてこれらの記事や本を目を輝かせて読んでいたのが「少年技師」たちだったのです。

昭和8年の「子供の科学」の巻末。文中のものとは違うが『模型の国』の紹介ページです。

昭和初期からの「子供の科学」。小林健二の蔵書から何冊か抜粋しています。

昭和の初め頃の「科学画報」や「科学知識」。多くの科学雑誌が発刊された。

昭和初期頃の科学雑誌の巻末ページ

たとえばモーターを作るとしましょう。簡単なものなら輸のように数回巻いた導線と永久磁石によって作ることができます。これを電池につないで最初に指で回転を助けであげると、パタパタと回り始めます。いかにも頼りなく、そして何の役にも立ちません。でもいかにも回転して当然に思える市販のモーターとは違って、天然の神秘の力がそこに息づいているのが感じられます。

現代においてこんな役に立たないモーターを作っている少年技師たちはいるのでしようか。

実はぼくはそんな効率や結果ばかりにとらわれない少年技師と出会いたいために、この本を書いているのです。モーターや鉱石ラジオ、顕微鏡や天体望遠鏡をとおして天然の持っている力と出会うことで、たましいの本来持っている好奇心を人間の世の息詰まるような規則や限界から開放してくれると信じているからです。

モーターにしても鉱石ラジオにしても、原点に近づいていくほど構造はシンプルになっていき、作るものがそれぞれの多様性を感じさせる出来映えになるのは不思議です。小さくてきちっとしたもの、大きくてゆるやかなもの、その人の個性や価値観が反映したからにほかなりません。

自分とは違った魅力、自分には思いつかなかった考え方、いろいろなものと出会っていきながら、どれもその人なりの面白さにあふれていることに気づくことでしょう。そして本当は「美しい色」という特別なものがあるのではなくて、さまざまな色があるからこそ、そのハーモニーによって生み出される美しさがあることに気づいていくのでしょう。

ですから時には回りもしないモーターやできそこないの望遠鏡を作り、聞こえもしないラジオに耳をかたむける・・・少年技師の目は天然の神秘に触れるまで、いやその不思議な力を知った後にも、輝きを失うはずはありません。そしてそんなまなざしは「孤独の部屋の住人」を誰一人として置き去りにしたりしないのです。

小林健二の書棚には昔の工作本などが見える。

少年工作全集。昭和初期に資文堂(東京麹町)から出版された少年に向けて書かれた工作本。
(小林健二の蔵書より)

少年工作全集「図解やさしいラジオの作り方(小泉武夫著・資文堂・昭和6)」の巻末ページ。心惹かれるシリーズのタイトル、さらに工作材料の提供など実際の工作に役立つフォローも嬉しい。
(小林健二の蔵書より)

小林健二がしばしば紹介している本「少年技師の電気学」(科学教材社・山北藤一郎著)

初期の「無線と実験」はラジオ工作には欠かせない雑誌で、現在、内容は時勢にあったものになり「MJ」という雑誌名で発行されています。(小林健二の蔵書より)

大正・昭和初期から中期頃の雑誌には、『鉱石ラジオ』の記事も時々登場していました。

図解ラジオ文庫。昭和28年前後に誠文堂新光社から出版されたラジオ専門の工作本。(小林健二の蔵書より)

*小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しており、画像は新たに付加しています。なお、画像のキャプションはこちらで付け加えております。

KENJI KOBAYASHI

ネームプレートを作る

「オーロラ通信社製鉱石ラジオ(小林健二作)」プレート部分

鉱石ラジオのような工作をするときに、小さくてもネームプレートなどがついたりすると、急に本格的になったような感じがします。ネームプレートは金属の板や樹脂板に文字を彫ったりする方法もありますが、ここでは金属の板を腐食して作る方法を紹介してみたいと思います。

材料は銅、あるいは真鍮、アルミ、亜鉛などの0.5~ 2 mm厚くらいの板を硝酸、第二塩化鉄で腐食して作ることが多いのですが、ここでは1mm厚の銅板を第二塩化鉄で腐食する方法を示します。

表面をよく磨いた(商品名ピカールなどのメタルポリッシュで)1mm厚の銅板を用意します。銅板は七宝材料などを扱うお店や銅版両などの材料を扱う画材店で入手できます。

上がアクリル板などを切るのに使用するPカッター(替え刃式)・下が銅板などを切るための道具。ともに定規を当ててV字に切り込んでカットしていきます。

すでに必要な大きさに金ばさみや金鋸、あるいは鋼板切りといって銅版画材料店にあるプラスチックカッター(Pカッター)のような工具でカットしておきます。

端は少しなだらかになるようにヤスリで面を少しとっておきます。そして裏側には腐食止めをするために粘着テープかカッティングシートなどを貼っておきます。そして文字として出っ張らせたいところにはインスタントレタリングを貼り、マークや絵は油性のマジックインキを使ってなるべくしっかりと防食できるように重ね書きをしてよく乾かしておきます。自分が満足できるデザインに仕上がったらなるべく指紋や油を腐蝕する部分に付着しないようにして作業を進めます。

腐食しないように金属板の裏にはカッテイングシートを貼っておきます。

腐蝕しようと思う銅板が十分に入る大きさで2~ 3 cmくらい深さのあるプラスチックやガラス製のお皿かバットを用意して、中に第二塩化鉄の腐蝕液を入れておきます。この液はやはり画材店の銅版画のコーナーや電子工作のパーツなどを扱う店のプリント基板の製作材料コーナーで人手できます。用意ができたらその液の中にさきほどの銅板を静かに入れ、ときどき様子を見ながら自分の思う深さまで腐蝕が進んだかどうかを5~ 10分おきにみながら作業してください。もし途中でインスタントレタリングやマジックの線がはがれてくるようなら、液からあげて水洗いをし、乾かして修正をして、作業を続けてください。

このようにして何度か練習をすれば、すぐにうまく作れるようになります。

腐蝕液は何度も使えますが、そのうち腐蝕力が落ちてきて使いづらくなってきたら、そのまま下水などに流したりせずに、炭酸カルシウムで中和してから処理してください。この処理の詳しい方法は、入手するときに店の人が教えてくれるはずです。

このようにしてプレートができたら、文字をもっときわだたせるために低い部分に塗料を塗ります。黒のつや消しのスプレーなどを全体にかけて、80~ 100番くらいの粗い耐水サンドペーパーで水をつけながら磨くと、文字などの高く残ったところが浮き出てきますから、そのあとをメタルポリッシュなどで磨き、ビスや釘でプレートを取りつけるための穴をあけたりして出来上がりです。色も自分の好きなものを選んでください。

この作り方を知っておくといろいろなことに利用できると思います。また、文字や数字を刻印する方法(工具は彫金材料店で人手できます)や、写真焼き付けで字や絵の防触層を作る方法(この材料はさきほどのプリント基板の材料コーナーで入手できます)もありますので、いろいろ試してみてください。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

*小林健二の作品にも自作プレートが使われていて、その中の何点か紹介してみます。

「1965年3月27日午前」
木、鉛、電気、風景
1991
(通電すればその時だけ約一時間ほど1965年3月2日の風景が箱の中に現出するとのこと。不思議と人によっては心の中にそれが浮かんでくることもある) *プレートは鉛板にタイトルが刻印されています。

「サイラジオ-透質結晶受信機-」
木、合成樹脂、電子部品、他
1993
(透明結晶が青く光りながら回転し、同時にラジオも受信する)*金属製のプレート

KENJI KOBAYASHI

アーティストインタビュー:小林健二さん

小林さんは絵画や立体造形を広く手がけている一方、科学、物理、電気、天文、鉱物学などの自然科学をアートと融合させたような、ちょっと懐かしくて、しかも不思議な仕掛けのなる作品を数多く発表しています。今日、訪ねたアトリエにも薬品や鉱物の標本のようなものがいっぱいあって、実験室のような雰囲気もします。おそらく、小さいころは科学少年であり、工作少年ではなかったと思うんですが、いかがですか?

アーティスト小林健二(文京区のアトリエにて)

「科学少年」や「工作少年」であったかはぼくにはわかりませんが、工作や科学は子供の頃から好きでしたね。今でもそうなのですが、ぼくの中では科学や図画工作、それから音楽と美術というように、どれも分野で分けられているものではないんです。もし、自分の中で多少区別があるとすれば、好きなことと苦手なこと、あるいは興味があるかないかということだろうと思うんです。むしろ美術ならそれ自体が、他の分野から全く独立して存在しているということは考えにくいですよね。

油彩画を描くにしても、木を彫刻するにしても、あるいは電気を使ったり、ぼくのようにある種の結晶を作ることにしても、いつだって何がしか他の専門分野の知識や技術と切り離せないことは多いと思います。光を使った作品を製作する上でも、電気的な構造の部分や工学的なところ、またはそれに伴う金属加工などの作業や、あるいは樹脂などの化学的変化についても、知らないでいるよりはある程度理解していた方が、よりイメージに近い状態に近づける可能性があるわけですからね。

この国がとりわけその傾向が強いのか、ぼくにはよくわかりませんが、ある意味で、いろいろなことをまずはカテゴライズしないことには気が済まないような国民性があるんじゃないかな。

ぼくは絵を描いていたりするけど、作曲をしたり文章を書くこともあります。そうしていると、『どうして美術だけではなくて、音楽や文筆活動やいろいろされるのですか』と聞かれることがあるんです。でも、伝えたいメッセージやそのイメージに何が一番適しているかで表現方法は変わってくるし、そのことに自由でいたいと思うんです。ですから、ぼくにとって技術的な表現の分野を分けることはあまり意味のあることではなくて、何をしたいかといったその内容や必然性の方が重要に思えるんです。」

小林健二作品「夏の魚」
油彩画(自作キャンバスに自作絵の具)

小林健二作品「LAMENT]
(木彫と鉛などの混合技法)

小林健二作品「MINERAL COMMUNICATION-鉱石からの通信」
(作品の内部に設置された小さな鉱物(ウラニナイト)から発する微量の放射能をガイガーカウンターが感知し、モールス信号とも取れる発信音が作品から聴こえてくる)

小林健二結晶作品
(自作の人工結晶)

小林健二結晶作品「CRYSTAL ELEMENTS」
(透明なケースに封じられた水晶液中の結晶が、季節を通して成長や溶解を繰り返す。画像は展示風景)

小林健二作品「IN TUNE WITH THE INFINITE-無限への同調」
(窓から見える土星が青く光りながら浮いていて静かに回っている作品。内部はおそらく電子部品に埋もれている)

小林健二動画作品「etaphi」

小林健二音楽作品「suite”Crystal”」
(ミニマルミュージック。個展会場などで流すことが多い。現在ではCD化しているが、当初は降るように音が脳裡に浮かび、急いでアトリエにあった録音機(テープレコーダー)に、これもアトリエにあったピアノで収録。)

小林健二著書「みづいろ」
(実話を元に綴られたもの。活版印刷で、装丁も小林がしている)

様々なことに興味があるというのは、小さいころの体験によるのではなかと思います。遊びとしてはどんなことをしていたのでしょう?

「みなさんと同じで、いろいろとしていたと思いますが・・・(笑)。ただ熱中していたことはいろいろあります。例えば恐竜や鉱物について調べたり、飛行機の模型やプラモデルを作ったり、プラネタリウムに行ったり・・・。自分の大事な思い出は、その大部分が子供の頃にあるように感じます。ですから、例えば文章を書いたりすると、『子供の頃は・・・』という書き出しになってしまうことが多いんです。それから、昔の友達にあったりすると、『ケンジ、お前は子供の頃と全然変わってないな』ってよく言われちゃう。これは進歩がないということでもあるんでしょうが、おそらく、ぼくの中ではまだその頃と変わらないものがずっとあって、ぼくには子供の時に感じたたくさんのことが今も大きく影響しているところがあるんでしょう。多分これからもそうなのかもしれません。そもそも人間なんてそう簡単に変われるものでもないだろうし、『三つ子の魂百まで』なんて言うでしょう。」

小・中学校での美術教育の体験について尋ねたいんですが、何か記憶にあることはないでしょうか?

「学校時代に図工・美術の時間ではとにかく、放っておいてくれたという感じでしたね。でもだからこそ自分のやりたいことがはっきりしていた場合、とても楽しかったし、やりたいことが見つかるまでは待っていてくれたように思います。そして少なくとも描き方を強制されるようなことはありませんでした。

『子供のころに何に影響されましたか?』とか『どんな画家が好きですか?』ということを時たまインタビューでも聞かれるんですが、ぼくが影響を受けた美術の作家というのは、あまりいませんでした。絵を描くこと自体は好きでしたが、画家になるんだって気持ちで描いていたわけではないように思います。その一方で自然科学には子供のことから興味がありました。もちろん子供にとって『自然科学』なんていう概念はありませんけど、これは一つの資質だと思うんです。とにかく、星や鉱物、要するに天文学や地学に関することや恐竜などの古生物に関することが好きでした。それで小学生の時には、上野の科学博物館に行ってそういうものを見るのが何よりも好きだったんです。」

小林健二のアトリエ
(色々な道具に混じって望遠鏡が写っている)

小林健二アトリエの一角
(机には顕微鏡や鉱物も見える)

また美術の話に戻してしまいますが、絵としてはどんなものを描いていたんでしょうか?

「実は今でもそうなんですが、とにかく怪獣とか恐竜の絵が好きでした。それで、図工の授業でどんな課題が出ても何かとこじつけて怪獣や恐竜を描いちゃってました。例えば、虫歯予防デーのポスターを描くなんていう課題は、ひょっとしたら今でもあるかもしれませんが、そんな時にも、ブロントサウルスが歯磨きをしている絵なんか描いたんです。でも、ブロントサウルスというのは手が首ほどには長くないので口まで届かない(笑)。それでうんと長い歯ブラシにしたりしました。これは結構先生にもウケましたけど(笑)。でも、それはもちろん例外で、いつも怪物ばかりしか描かないで、おそらく先生も困られていたと思います。」

小林健二作品「描かれた怪物」
(板に油彩、紙、木、他)

ごく普通に考えると、美術や音楽が好きなことと、自然科学に関心を持つことは、子供にとってはやはり意味が違うのではないかという気もします。電気や天文や昆虫に興味を持つことには、それらについて新しい知識を獲得していくという喜びがあり、それは絵を描いたり楽器を演奏する楽しみとは異質なのではないでしょうか?

「ぼくはそのように分析して考えたことはないですね。初めにも言ったように『自分にとって好きなことと苦手なこと』という基準が何よりも大きいんです。『好きなこと』とは自分にとって『楽しいこと』、あるいは、『感動できること』と言い換えてもいい。夜空を見て星が綺麗だなと思ったことや、冷たく光っている水晶の結晶に見とれてしまうような感覚が最初にある。電気というのはもちろん物理学の一つの分野ですけれど、ぼくにとっては、フィラメントが光って綺麗だというのは、星が輝いていることの美しさとどこか通じているわけだし、あまり違いはないんです。

ものが光る理屈にはいろいろあります。星やホタルも、LEDや月も雷もそれぞれ異なった方法で発光しています。でもぼくにとっては重要な問題じゃない。肝心なことは、それを見てどう思えるか、そこへすうっと気持ちが引き込まれていくかどうかということなんです。でもその後さらにその不思議な現象にまるで恋でもするように深く知りたく、また近づきたくて科学の世界に足を踏み入れたとしても不自然なkじょととはぼくには思えないけど・・・。

だって、考えてみれば、もともと子供にとっては、そういう分野わけはないわけですよ。だからこそ、そういうことを教える必要があるという立場も一方はあるでしょうけど。たとえがホタルが光るというのは、一見、物理的現象でしょうが、実はあれはルシフェリンとルシフェラーゼという物質によって発光しているわけで、有機化学の問題になってきます。これはLEDが通電により電子のぶつかり合いによって発光したり、太陽中の水素がヘリウムになるときに熱核融合反応により発光していることと、それぞれに違っている。だけど、そういうことはあくまでも理論であって後からくる。まずはそのことを知っていなければいけないということではないし、そういう知識がなくとも、子供たちは、ホタルが光ることを綺麗だと感じたり、不思議だと思ったりするわけでしょう。

これは、おそらく美術の場合でもまったく同じだろうと思うんです。例えば、名画というのは、あらかじめ認められた価値のあるものだから尊いのではなくて、子供の目から見ても、そこに面白さや美しさが感じられることに意味があるのだという気がします。いくら値段の高い絵だって、『これは価値があるから感動しろ』というのはおかしい。作品を受け取る子供達の中に興味や関心が培われていなければまったく意味がないだろうと思うんです。」

おっしゃることはよくわかります。ただ、教育の主要な目的として、文化遺産の世代間伝達ということはあると思うんです。ですから、まず知識を持津ことで、一層興味を喚起されたり、深い感動につながるということもあるように思うんですが・・・。

「それはあるでしょう。でも、ぼくは感動することの本来の意味についてお話ししているわけです。ホタルの発光がルシフェリンとかルシフェラーゼという物質の反応によって起こっているということは、さっきお話ししましたけれど、それで全てが説明されたことになるでしょうか。DNAの主要な物質であるディオキシリボ核酸は、アデニンやシトシンやグアニンやチミンといった物質によってヌクレオチドを形成していますけれど、どれが分かったからといって、生命現象が解き明かされたとは誰も思わないでしょう。同じように仮に人のゲノムが完璧に解読されたとしても、それによって人の心が理解できるというものじゃない。ですから、知識によってわかるといったところで、それはあくまでもごく狭いフィールドにすぎません。でも大人たちはそこでいかにも分かったような気にならなければいけないと思っているんじゃないでしょうか。」

小林さんの作品は子供達にも人気があるのではないかと思うんですが、展覧会などでの子供達の反応はどんな感じですか?

「ぼくの作品がどれくらい子供達に人気があるのかわかりませんけれど、興味を持ってくれる子供は結構いるという話は聞きます。自分が面白いと思ったものにじっと見入ってくれている子を見かけたことがあります。そういう様子を見ていると、子供の頃ぼくが博物館の陳列物に惹かれたのと同じように、自分の心の中の何かを探そうとしてくれているような気がしますね。」

小林健二展覧会「PROXIMA(ARTIUMにて)」の一室風景

今、話を伺っているこのアトリエには、鉱物の結晶や化石、星座板とか昆虫の標本やおもちゃのようなもの、それから薬品やいろいろな道具がたくさんありますよね。また書庫の方には、化学実験や自然科学に関する書物を始め、ありとあらゆる本が並んでいます。『おもちゃ箱のよう』という表現はありきたりかもしれませんが、とにかくここにいると小林さんの個性的な世界を感じます。これは、言わばモノが何かを語っているのではないかとも思えます。ただ、モノの世界というのは実はアブナイところもあって、最初の興味から離れて集めることが目的になってしまうことが、子供のコレクションなどではよくありはしませんか?

「それは、例えばチョコエッグのおまけで1番から3番と5番と6番が揃っていると、抜けている4番がどうしても欲しくなっちゃうようなことでしょ(笑)。ぼくにはそういうことは全くないですね。また本や鉱物標本などは、見る人によっては物質としのモノに見えるかもしれませんが、ぼくにとってここにあるもののほとんどすべては、いわばこの世とは一体何かを知る、あるいはそれに近くための手段だとも言えるんです。ですから、本たちの中にある見えないはずの風景や標本たちから感じる不思議な存在の意味のようなものがぼくにとってはとても大切なのです。それが結果的に集まってくるだけのことなんです。ここにある鉱物の中には、現在は世界のどこでもほとんど採掘されていないため希少価値がある、かなり高価なものもありますけれど、その反面、夜店で売っているようなものもあります。それはその時『どこか心を惹きつける』と思うからつい買ってしまうんです(笑)。

ただここで大事なことは、美しいと感じるものに出会うという体験はとても大切だということです。なぜならそれは人によって全く違うものであるか、あるいは共通する部分があるのかを感じることでもあるからです。子供でも大人でもその人がどこに惹かれたり気になったりする事柄や出来事に、その人の個性や核心に触れるヒントみたいなものがあるんじゃないか。また現代のように便利や効率が求められると不思議な世界と出会いながら、科学や美術に接してきた歴史もだんだんと経済に取り込まれてきたという感じは否めないと思うし、人間や力のあるものを中心に考えが進んでいくという傾向があると思うんです。

大切なのは、天然の神秘に出会うことによって、ぼくたちがその美しさを感じて生きていく、そういう生き方を決して無意味とは思えないからです。」

小林健二の書庫
(2005年「STUDIO VOICE」記事からの複写)

小林健二アトリエの一角
(薬品や樹脂などの棚)

小林健二アトリエの一角
(実験中の自作結晶などが見える)

一般に私たちは、美術の教育というのは、絵を描いたり彫刻を作ったりする製作体験をもとにした表現行為だと理解している気がしますが、今のお話からすると、美術や美術教育の意味はもっと広く捉えられるというわけですね。

「美術というのは、そこにあるもののことではなく、作品とそれを作る人、それを見て感じる人との関係や、その人の生き方だろうと思います。一方、Educationというのは、ラテン語の『道を拓く』という意味からきていると言われています。人が歩けないような荒野に道を切り拓いていくことです。ただし重要なことは、その道を歩くことを誰も強制されいことでしょう。どの道を選ぶかということは一人一人が判断していかなければならない。明治になって日本語になった『教育』という言葉も奥深い意味を持ってはいますけれども、子供たちに教え、彼らを育んでいけるような見識を持った大人たちが、今はどれだけいるだろうかということが気になります。単に自分たちの価値観を押しつけて「いるだけれはないのか。義務教育という制度にしても、全ての子供たちは教育を受ける義務があるという意味だと理解されているのではないかと思いますが、本当はそうではなくて、これは大人の側に教育制度を整える義務を課しているということであって、子供たちが教育を受ける権利を保障しなければならないということですよね。」

確かに、これまでの教育にはみんなが同じことをすることを通してある到達点を目指していくというような授業が多かったようです。けれども最近ではそれを反省して、図工・美術の授業でも、同一時期の中でも子供たちが自分に合った様々なスタイルの製作を認めていこうという方向になりつつあるようです。

「それは当然といえば当然だけども、いいことでしょうね。だってもし本当に『ある到達点』というのが存在するとしたら、それはある水準に達するという意味ではなくて、それぞれのその人自身に出会えるということだろうと思うからです。例えば、石を見て『きれいだなー』って感心している子がいるとしますよね。それを見て横から『いつまでもそんなことしてないで勉強しなさい』なんて言っちゃうお母さんがいたりしますが、これは違うと思う。そうやってものを見て感動すること、きっとこれがその子の本当の勉強なんです。だってその子はその出来事に出会うために生まれて来たかもしれないでしょ(笑)。そしてその子の人生の目標と方向を発見するかもしれないわけですよ。こう言う時の子供の目はものすごく輝いている。それが、本当に勉強をしている子供の目だと思うんです。」

*2002年のメディア掲載記事(小林健二へのインタビュー)より編集抜粋しており、画像は新たに付加しています。この記事は教育関係メディアに掲載されたため、質問内容が主に美術教育に関するものになっております。

KENJI KOBAYASHI

 

人工結晶

硫酸アンモニウムカリウムと硫酸アルミニウムクロムなどよって育成された結晶。(小林健二の結晶作品)

*「」内は小林健二談

人工結晶を作りはじめたのはいつ頃くらいですか?

「1992年くらいからですね。」

著書の『ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)』にもありましたけど、人工結晶は鉱石ラジオのクリスタル・イヤフォン用に作りはじめたんですか?

「そうですね。その時は圧電結晶を作りたくて、ロッシェル塩(酒石酸ナトリウムカリウム)を買ってきて結晶を作ってみようと思ったんです。とにかく実験ができればいいなと思っていましたから、大きいものが作りたかったですね。

その後他の物質で結晶ができないかとか、自然石を母岩として結晶がくっついていたら綺麗だろうなとか思ったりして、だんだんハマって行きました。色々研究して実験しました。でも、塊を作りたいと思っても、平べったくしかならなかったり思い通りにはならない。まあ、その平べったいのは平べったいので美しいものなんですけどね(笑)。」

母岩に結晶の素となる種のようなものを付けとくんですか?

「その場合はまず種結晶を作るところからはじめて、母岩につけ、その後育成溶液の入った深い容器におくと、大きく成長していくんですね。あるいは、容器の中に石を入れておくと、ザラザラとした母岩の表面に自然と結晶ができていたりします。その時に水溶液の成分を変えると色が変わったりするけど、それぞれの相性が合わなかったり慌ててやったりすると、大抵はシャーベット状になってダメになります。それで何度悔しい思いをしたことか(笑)。

二ヶ月ほど旅行にに行っている間に、40も50も容器の中で人工結晶を作ってたんですけど、帰ってみると一つだけ変わった色の溶液のものがあって、何も結晶ができていなかった。他のはできていたのに一滴だけ違う水溶液がポトンと落ちたから、何もできなかったんですね。それは水溶液を捨てる時にたまたま混ざって一瞬にして何もできなかった容器の水溶液と同じ色に変わったから、わかったんですけど。

そんなことの積み重ねですね。他にも温度や湿度、色々気をつけなければなりませんね。」

硫酸銅と硫酸コバルトの結晶。(小林健二の結晶作品)

クロム酸リチウムナトリウムカリの結晶。(小林健二の結晶作品)

ロッシェル塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

ー手探りの実験結果

「何でもかんでも混ぜれば結晶になるかという訳ではないんです、、、。

関係資料なんか色々調べてみました。人工結晶っていうと、人工宝石などを作るベルヌーい法やフラックス法、人工水晶などを作る熱水合成法、その他半導体結晶を製作するための資料はあるんですけど、ちゃんとした実験設備がなければ無理なものばかりです。

しかも、水成結晶育成法については、それこそイヤフォンなどの圧電結晶をつくるための資料くらいしかなくて、いかに大きなスのない単結晶のものを作るかといった内容ばかり。個人で製作するにはあまりにも大規模なものが中心になってしまいます。例えば形が美しかったり、色々な色をしたり、群晶になったりすることは本来の目的ではないわけですから、ぼくなんかが求める資料は、基本的には見つかりませんでしたね。

だから最初は圧電結晶に使えそうなものを片っ端から選んで、あれはどうだろう?これはどうだろう?と手始めに実験していきました。そうして作れる結晶を探して行ったわけです。どこにもそんな実験については載っていないから手探りです。

一つ一つの実験にどうしても時間がかかるるし、実際結果が見えてくるまで何年もかかりますよね。

でもいずれ、もっと安定した方法で結晶を育成できるようになったら、人工結晶に興味がある人に教えてあげられるかもしれない。盆栽を作るような気持ちで、好きな人には結構楽しいかもしれない。」

硫酸アルミニウムカリウムなどの結晶。(小林健二の結晶作品)

鉄系とクロム系の物質によって結晶化させたもの。(小林健二の結晶作品)

リン酸カリと黄血塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

ミョウバンと赤血塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

コバルトを含むロッシェル塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

蛍光性の物質を混入している硫酸アンモニウムナトリウムの結晶。(小林健二の結晶作品)

[人工結晶]

例えば水晶は、573度よりも低温で安定な低湿型と、537度から870度の間で安定な高湿型があるが、結晶が生まれるには、高圧、高温が必要とされることが多い。人工水晶には地球内部の環境を半ばシュミレートした高温・高圧によって作られたものもあるが、ここで取り上げている人工結晶は、常温で水成培養できるものである。

小林健二氏によって様々な薬品を使って、常温で人工結晶を作る実験が行われており、今回その成果もいくつかが紹介されている。

中には全長30cmほどの単結晶、直径20cm以上の結晶など、かなり大きなものも作られているし、色味としても様々な美しいが生まれ落ちている。

*2002年のメディア掲載記事より編集抜粋しております。

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コイルの巻き方

以前いろいろなコイルについて説明をしましたが、コイルを製作する上で参考にしてもらうために、ここではいくつかの巻枠と巻き方の実際を紹介してみたいと思います。

図はハニカムコイルのホルダーの巻枠部の展開図です。 上は単ハニカムコイル
の巻順で、図のように巻いていきます。
コイルが十分巻き上がったらホルダーからピンを抜きニス等で固めて作ります。
中は複ハニカム巻きでホルダーは同じですが、巻き方がちょうど1つおきに巻い
ていきます。 一巡巻き終わった後、 下のようにさきほどとばしていったところを
巻いていきます。

図はウェーブコィル等を巻くときのホルダーです。棒の部分は真鍮製でネジが切ってあり中心部のコアに付いていて、コイルを巻き終わった後、棒を回し取ってしまい、 コイルがバラバラにほどけてしまわないようにワイヤーが交差したところを糸等でしばってしっかりさせます。

スパィダーコイルはこのように巻枠に羽2つごとに互い違いに巻いていきます。

ハニカムコイルを手巻きで巻くホルダー

バスケットコイル等を巻くための自作のホルダー

図はバスケットコイルの巻枠で、上のものは米国で売られていたものです。コ
イルの径を変えられるようになっています。下はポピュラーなもので堅い木に穴
をあけ真鍮製の棒を抜き差しして使用します。 2列に穴があいているのはコイル
の径を変えるためです。

画像は左上・芯のついたラジアルバスケットコイル、中上・ウェーヴコイル、右上・クラウンコイル(小林健二設計)、左下・スポークコイル、中下・スパイダーコイル(大正時代のもの)、右下・ナローバスケットコイル。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

コイルについて

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