小林健二の本棚より」カテゴリーアーカイブ

少年技師

小林健二の書庫の一角

少年技師

この聞き慣れない昔風の言い方に、ぼくはわくわくすることがあります。大正から昭和の初めころの少年雑誌に時々登場するこの言葉に、「小国民」のように軍国的な時勢に通じるものを感じる人もいるかもしれません。でもぼくはここに挙げるような広告にこころを通わせていたそのころの少年たちのことを考えてみたいと思います。

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より

たとえばこの「模型の国」のところには「電気機関車、モーター、モーターボート、蒸気模型、模型部分品、顕微鏡、天体望遠鏡、カメラ、映写機、ラジオ、模型工作用用具その他模型に関する一切を収めた写真満載四六判三十頁余のとでも素晴らしいカタログ」と説明してあり、「模型飛行機と組立」のところには「四十余頁の飛行機模型に関する三百数十の部分品と三十余種の飛行機模型とを収めたカタログ」と書いてあります。ともに郵便代を送れば無料で進呈されるとも書いてあります。これは昭和8年の「子供の科学」に載った広告の一部ですが、このほかたくさんの少年や子供に向けた工作関係の広告が出ています。

そしてこれらの記事や本を目を輝かせて読んでいたのが「少年技師」たちだったのです。

昭和8年の「子供の科学」の巻末。文中のものとは違うが『模型の国』の紹介ページです。

昭和初期からの「子供の科学」。小林健二の蔵書から何冊か抜粋しています。

昭和の初め頃の「科学画報」や「科学知識」。多くの科学雑誌が発刊された。

昭和初期頃の科学雑誌の巻末ページ

たとえばモーターを作るとしましょう。簡単なものなら輸のように数回巻いた導線と永久磁石によって作ることができます。これを電池につないで最初に指で回転を助けであげると、パタパタと回り始めます。いかにも頼りなく、そして何の役にも立ちません。でもいかにも回転して当然に思える市販のモーターとは違って、天然の神秘の力がそこに息づいているのが感じられます。

現代においてこんな役に立たないモーターを作っている少年技師たちはいるのでしようか。

実はぼくはそんな効率や結果ばかりにとらわれない少年技師と出会いたいために、この本を書いているのです。モーターや鉱石ラジオ、顕微鏡や天体望遠鏡をとおして天然の持っている力と出会うことで、たましいの本来持っている好奇心を人間の世の息詰まるような規則や限界から開放してくれると信じているからです。

モーターにしても鉱石ラジオにしても、原点に近づいていくほど構造はシンプルになっていき、作るものがそれぞれの多様性を感じさせる出来映えになるのは不思議です。小さくてきちっとしたもの、大きくてゆるやかなもの、その人の個性や価値観が反映したからにほかなりません。

自分とは違った魅力、自分には思いつかなかった考え方、いろいろなものと出会っていきながら、どれもその人なりの面白さにあふれていることに気づくことでしょう。そして本当は「美しい色」という特別なものがあるのではなくて、さまざまな色があるからこそ、そのハーモニーによって生み出される美しさがあることに気づいていくのでしょう。

ですから時には回りもしないモーターやできそこないの望遠鏡を作り、聞こえもしないラジオに耳をかたむける・・・少年技師の目は天然の神秘に触れるまで、いやその不思議な力を知った後にも、輝きを失うはずはありません。そしてそんなまなざしは「孤独の部屋の住人」を誰一人として置き去りにしたりしないのです。

小林健二の書棚には昔の工作本などが見える。

少年工作全集。昭和初期に資文堂(東京麹町)から出版された少年に向けて書かれた工作本。
(小林健二の蔵書より)

少年工作全集「図解やさしいラジオの作り方(小泉武夫著・資文堂・昭和6)」の巻末ページ。心惹かれるシリーズのタイトル、さらに工作材料の提供など実際の工作に役立つフォローも嬉しい。
(小林健二の蔵書より)

小林健二がしばしば紹介している本「少年技師の電気学」(科学教材社・山北藤一郎著)

初期の「無線と実験」はラジオ工作には欠かせない雑誌で、現在、内容は時勢にあったものになり「MJ」という雑誌名で発行されています。(小林健二の蔵書より)

大正・昭和初期から中期頃の雑誌には、『鉱石ラジオ』の記事も時々登場していました。

図解ラジオ文庫。昭和28年前後に誠文堂新光社から出版されたラジオ専門の工作本。(小林健二の蔵書より)

*小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しており、画像は新たに付加しています。なお、画像のキャプションはこちらで付け加えております。

KENJI KOBAYASHI

ぼくのすすめたい本

生きていくということは、それ自体が人間にとって宇宙の真理を探っていくことになるのです。

ぼくのすすめたい本のなかに「宇宙をとく鍵」というのがあります。この本では宇宙の力や電磁力といった宇宙のニュアンスを知ることができます。そして、宇宙の真理が、実はどこにもないということに気づくのです。なぜなら、人間が生きていくこと自体が、宇宙の真理を見つけようとしていることだと思うし、人間の無意識の行動が、実は人間自身の感性や精神を探る現象だったりする。全ての謎解きの答えが書いてある本は、一つも存在しないと思います。

ただ、ぼくたちが何も考えないでいたら、地球の形成自体がなくなってしまう。歴史の意味も不必要になってしまうでしょう。BBC科学シリーズのこの本は、古本屋に行けば見つかるので、ぜひ読んでほしい。

宇宙の不思議と同じように、神秘や超能力があります。これらは、人間が本来生きるために備わってきたもののような気がする。人間は生命を維持しようとするがために、自分たちが証明できない能力を持っているはずなんです。これは、不思議でもなんでもなくて、事実、地球上に人間が存在していることからもわかる。

例えば、自分の細胞膜を全部解いていったとしても、自分というものを見つけることは非常に難しいし、感性や精神を取り出すことはできないでしょう。

宇宙というものは、人間や自然が全体の一部であってそれらがその中に存在しているということ。ぼくたちが想像できる善や悪も、この宇宙に、あるいはぼくらの中に持っていることでもあるわけだから。

自然が破壊されていくことが、今、自分には関係のないことではないとの認識も必要かもしれない。

ぼくたちの生命は、ただ単純に存在しているのではなく、過去のいろいろな積み重ねによってあるものだから、それをぼくたちだけで終わらせてしまうことは許されないでしょう。

ぼくたちがなぜ生きているか、なぜ生きようとしているのか。そう問いつづけることは、自分とは何かを探ることに他なりません。答えの出ない問いを、これから先の人たちに送り綱いでいく。それがぼくたちの生きている意味のような気がする。

小林健二(1989)

小林健二

「アンネの童話集」小学館
アンネ・フランク

ナチスの迫害を受けたアンネ・フランクの童話集。この物語には、物事に対する鋭い洞察力が含まれています。人間は、人種で感性に差があるとは思えないし、特殊な状況の中でしか、このような物語が生まれないわけではないと思う。戦争に生きた人の残した形を読み取ることは決して無駄にならないのです。

「空気の発見」角川文庫
三宅康雄

空気の疑問をわかりやすく、多角的に解き明かした科学の本。著者は科学教育が科学史と結びついてなされることを主張する三宅泰雄。本書は、空気をつかむまでに長い苦労があったことをエピソードを交えて優しい文章で語られている。空気の重さや色、窒素や酸素の発見など、40のテーマからなっている。

「星の王子さま」岩波書店
サンティク・ジュペリ
*画像はフランス版

幼い頃手にしたことがある「星の王子さま」は、意外と読んでいない人が多いかもしれません。読んでは見たけれど、感じ取れない人がいるような気がするのです。もう一度読んでみることをお勧めしたい。かつて子供だったことを忘れてしまう大人にならないために、「星の王子さま」は大切な一冊です。

「ゴジラ(初代ゴジラ)」東宝 *書籍ではないですが、小林健二に影響を多大に与えた映画です。

これは怪獣物語ではない。戦争の苦しみと憎しみと悲しみから生まれたゴジラは、実は被害者なのです。つまり「ゴジラ」は反戦の映画だった。海底に眠っていた恐竜が、水爆実験の影響で怪物と化し、東京を襲う。

*ほかにもこの記事の中では、おすすめ映画として「2001年宇宙の旅」をあげています。

*1989年のメディア掲載記事を抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

 

 

「見えない」領域が見えてくるカタチ

色とりどりの瓶、様々な形の鉱物、世界各国の工具、膨大な書籍・・・・

小林健二のアトリエは、まるで宇宙の真理を探るマッド・サイエンティストの研究室のよう。訊ねれば、瞳を輝かせて油彩絵の具の製造法から最新の電子工学、聖書や戦没者の遺歌まで話が及ぶ。

「ぼくが好きで調べているだけ」と断りを入れながら、「人間は、長い歴史の中で天然の”もの”と対峙するための手続きをひとつずつ発掘してきた。だけど現代は、便利さに目を奪われて結果しか見ない。それが、どんなに地球と人間自身を損なっているか・・・」。

安易に浪費する一方の現代社会への危機感をにじませる。

1999年頃の小林健二アトリエ(執筆するための部屋の一角)

1999年頃の小林健二アトリエ(執筆するための部屋の一角)

1999年頃の小林健二アトリエ(絵画材料の一部、樹脂や溶剤など。研究資料としても海外から取り寄せたものも並ぶ)

1999年頃の小林健二アトリエ(絵画材料の一部、樹脂や溶剤など。研究資料として海外から取り寄せたものも並ぶ)

1999年頃の小林健二アトリエ(鉱物標本も箱にしまってあるものの他に、実際に仕事場に飾ってあるものも多くある)

1999年頃の小林健二アトリエ(鉱物標本も箱にしまってあるものの他に、実際に仕事場に飾ってあるものも多くある。左側に執筆部屋が見える。)

1999年頃の小林健二アトリエ(車庫を改造して作った書庫。天井まで続く書棚には古今東西から集められた書籍の数々。)

1999年頃の小林健二アトリエ(車庫を改造して作った書庫。天井まで続く書棚には古今東西から集められた書籍の数々。)

彼は一番強い生物。何故ならものを悩んだり、企んだりする脳を持っていないから。彼は一番強い生物。何故なら光の力をそのまま自分の血や肉に変えているから。彼は一番弱い生物。思いっきり愛することのできる重いハートを、4本の足で支えなければならないから。」 小林健二(16歳の時に描いた絵)

「彼は一番強い生物。何故ならものを悩んだり、企んだりする脳を持っていないから。彼は一番強い生物。何故なら光の力をそのまま自分の血や肉に変えているから。彼は一番弱い生物。思いっきり愛することのできる重いハートを、4本の足で支えなければならないから。」
小林健二(16歳の時に描いた絵)

新橋生まれの東京人。幼い頃から博物館に通い、古本屋に出入りしていた。16歳で現在の思考の原型となるインク画を描き、20歳より本格的な創作活動に入る。

心根では人間に対する興味と敬意を抱きつつ、日常では人に会うのが苦手だという。

もの作りに精通した小林の表現は、実に多彩なカタチで現れる。

絵画、立体、大がかりなインスタレーションなど、美術分野だけでなく、詩や音楽も作る。電波を受信するとガラスドームの中の結晶がささやくように明滅するラジオは「ぼくらの鉱石ラジオ」(筑摩書房)を著すきっかけとなった。あらゆるジャンルを横断しながら、すべての作品が、確かに小林健二の手から生まれたという印象を放つ。言葉に置き換えるのは難しいが、世界の根源にアクセスするキーワードのようなものとでも言おうか。

たとえば、東京での新作展では、古い地層から発掘された土器か、未来の機械の部品のような品々が並んだ。作品として”見える”ものは、ささやかで親しみ深い姿形だが、同時に太古の物語や未知の文明など”見えない”領域へ、見るものをの想像力を無限に刺激する。

小林健二作品「夢の授業の出土品」

小林健二作品「夢の授業の出土品」

「夢の授業の出土品」 ぼくは夢の中で小学生のような授業に出席している。先生はムラサキ色とピンク色で、屋外へ出て過去を発掘する実習をするという。地面のいたるところから土器のような焼成物が出土するが、少しもいたんでいないようだ。ぼくの知らない時代や文化のものだが、文字があるものもある。先生はいつのまにかミドリ色になって「確かにその世界は存在している。ただ誰にも見えないんだ。」というような事を言って授業は終わる。

「夢の授業の出土品」
ぼくは夢の中で小学生のような授業に出席している。先生はムラサキ色とピンク色で、屋外へ出て過去を発掘する実習をするという。地面のいたるところから土器のような焼成物が出土するが、少しもいたんでいないようだ。ぼくの知らない時代や文化のものだが、文字があるものもある。先生はいつのまにかミドリ色になって「確かにその世界は存在している。ただ誰にも見えないんだ。」というような事を言って授業は終わる。

小林健二個展「6月7日物語]

小林健二個展「6月7日物語]

「大事な事は、見えないところに潜んでいる。見えるものはひとつの結果に過ぎなくて、見ようとする意志が大切なんだ。ぼくの作品に出合った人それぞれがイマジネーションを広げ、自分の中を探検し、その人なりのものを見つけられたら、そんな素敵な事はないさ。」

これは、流行や虚栄や権威に惑わされ、かえって孤独に陥っている現代人への、小林の祈りに近い想いなのかもしれない。

「アートに力があるとすれば、お互いの価値を認め合い、みんなで話し合える場になることじゃないかな。そうなれば、人は誰も独りじゃないさ。」

鉱石ラジオが受信した音のように、彼の想いは密やかに心に響く。

*1999年のメディア掲載記事を編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

Kenji-Kobayashi-Library from Kenji Channel on Vimeo.

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KENJI KOBAYASHI

 

工作世界が教える身近な不思議との交感

「本を読んで心が癒されることがあったとしたら、それはとっても素敵だと思う。ぼく自身リラックスするのには、本はいつだって欠かせない。特に読む本は科学や工作や宇宙の本が好きだ。せわしない社会の中で生きるのは、人間たちが決めたルールであっても、知らず知らず身も心もがんじがらめになってることがあると思う。そんなよどんだ空気の底からサッパリとした気分で深呼吸するのに”星の世界”や”身近な不思議”は、ぼくにとっても大事なんだ。」

「昔は作る人と使う人がとても近いところにいたと思う。自分の感じた身近な不思議が好奇心となって何かを作らせる。そして使う人にもその物を通じてワクワクした心が通い合う。だからごくありふれた日常からも、物や人、作られたものを構成する木や石や金属、ひいては大地や大気に繋がって、いつでも自然と連絡する回路が確かめられるんだ。」

少年向けの工作本や科学雑誌は、今も氏の”癒しのバイブル”であり続ける。昭和初期に発行された、子供向けとは思えぬほど丁寧に取材構成され、詳細かつ美しい図解を多用した名著の数々。氏おすすめの「少年技師の電気学」(科学教材社、山北藤一郎著)、「科学する子供の為の模型航空機の作り方」(立命館、一柳直良著)、「子供の科学」(誠文堂新光社)など、古本屋で一度探してみては。

「少年技師の電気学」(科学教材社、山北藤一郎著)

「少年技師の電気学」(科学教材社、山北藤一郎著)

「科学する子供の為の模型航空機の作り方」(立命館、一柳直良著)

「科学する子供の為の模型航空機の作り方」(立命館、一柳直良著)

*1994年のメディア掲載記事を編集しております。

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創り手を勇気づけてくれる、昔の科学本

創り手を勇気づけてくれる、昔の科学本

ぼくにとって深い思い出があるとすれば、子供の時に自分で買ってた本の中にあるんだろうね。それはきっと「少年ガマジン」や「子供の科学」といった少年雑誌で、今読みかえしても実によく出来ていて、単なる漫画雑誌や少年科学雑誌ではなかったと思う。

単行本ということになると、やっぱり「空気の発見(三宅泰雄著、角川文庫)」だと思う。この本は文庫本にもなっていて今でも手に入る。いろんな意味でぼくはとっても勇気づけられるのさ。独断で言えばね、ぼくはみんなが読んだらすごく喜んぶんじゃないかなって本、まだまだたくさんあるよ。

例えば「理化実験の遊戯」や、それにつながる少年向けの科学や工作の本のことだけど、こういう本には本当にワクワクするんだ。昔はあんなにあったのに、最近はめっきり出版されなくなった気がする。毎日曜日に一話づつ52週にわたって子供に読んで聞かせると、ちょうど一年で読み終える科学の本とか、おもちゃ、怪獣、望遠鏡、カメラ、家具、そしてラジオなんかの工作の本。「透明石鹸の作り方」や「何にでもメッキができる魔法の液体の作り方」というように、不思議な出来事を工作によって体験できたりして、興味と実際がすごく近いところにあると思う。とにかくぼくにとってはこーゆう本、読んでるのって楽しいんだ。

「最も新しい理化実験の遊戯」田村明一著、慶文堂書店プレゼント業書、1円20銭(昭和2年当時)

「最も新しい理化実験の遊戯」田村明一著、慶文堂書店プレゼント業書、1円20銭(昭和2年当時)

そして「原理応用 降神術」。この本はどちらかというと奇妙な本やあぶない本に入るかもしれないけれど、その前書きには、今の言葉で言うと「降神術とは、或る手段を用いて神の霊を招き迎え、死霊を呼び起こし、時において人類以上の優等なる生物(ビーイング)たちと過去や未来について語り合う交通をすることであり、これらは他の学術の及ばない所にある」なんて具合でしょ。そして内容はその或る手段の説明なわけ。ぼくの好きな大部分の本は、随分と古いものが多いんだ。誰かが残そうとしなかったら、震災や戦争の大火をくぐってはこれなかったこんな本に囲まれているとね、何かとっても優しく励まされてる気がするんだよね。(談)

「原理応用 降神術-スピリチュアリズム-」 渋江易軒著、大学館、35銭(大正5年当時)

「原理応用 降神術-スピリチュアリズム-」 渋江易軒著、大学館、35銭(大正5年当時)

「原理応用 降神術-スピリチュアリズム-」の内容

「原理応用 降神術-スピリチュアリズム-」の内容

*1994年のメディア掲載記事より編集して紹介しております。

 

KENJI KOBAYASHI

懐かしのプラスチックモデル(1/72 スケール)

小林健二のコレクション

[彩雲]アオシマ

若き日のプラモデル

「プラモデル」はぼくにとって工作世界に触れた最初のできごとでした。家の近くにあった「ステーションホビー」という模型店で、ハセガワの零観機を百円ほどで買ったのがきっかけでした。プラモデルという呼称は、確かマルサンが付けたものだと記憶していますが、まさにPlastic Scale Modelより日本人にとってはぴったりする気がします。プラモデルは趣味工作の中でももっともポピュラーなものと勝手に思っていますが、とりわけても飛行機のプラモは今でさえとても魅力的です。

子供のころから車や戦車、船、飛行機などと、少なからずそれぞれの好きな世界が現れてくるもので、ぼくは飛行機専門でした。今回、いくつかのプラモん箱絵を紹介したく思いますが、趣味としてはまさに一人一人、偏って当然と寛容な心で眺めていただければ幸いです。

そんなわけで、ここに揚げるものは何千、いや何万とあるやも知れぬ一滴で、しかもぼく自身、特別コレクションしているわけでもないので、昭和30年代から50年代ころの手近にあるプラモの箱絵を楽しんでください。

さて、一方的にぼくの趣味について言わせていただくと、「レシプロの大戦機でスケールは1/72」ということになります。ただ昭和30年代にあってはある意味で、同じような趣向の方も何人かはおられるでしょう。

当時の飛行機のプラモについて言えば、国産ではハセガワ、マニヤ、エルエス、ニチモ、アオシマなどが記憶に残っており、次いでタミヤ、オータキ、フジミという感じです。外国製では、レベル、エアフィックス、モノグラム、フロッグなどがポピュラーで、ウイリアム、エレール、イタレリ、デルタ、そしてリンドバーグという感じでした。

ほかにもレンウォールやオーロラなど数社はあっても、好みのタイプが出ていないとどうしても目に入りません。

最初のころは零戦をセメダインでベタベタに組み立て(?)た後、当時小さなガラスのビンに入っていた、おそらくマルサンあたりのプラカラーで(8色入りくらいの)色を塗り、さらにめちゃくちゃにしてしまい、筆がすぐに固まって、とても工作をしていたというものではありませんでした。でもそんな思い出がある方は結構多いのでは?

やがて小学校も高学年になるころには、大物にも挑戦したくなりましたが、なかなか高額で手が出ません。そんな折、13歳違いの兄がハセガワの「連山」を誕生日にプレゼントしてくれたのがダメ押しとなって、恐ろしい「プラモヶ沼」に足を沈めていくこととなりました。

その上に『モデルアート』と出会い、ああ、もはや飛行機モデルの中に埋まる暮らしがいまだに続いているわけです。もちろん和紙を貼って作るゴム動力の角胴の模型飛行機やソリッドモデルにも手を出し、神保町まで行っては『モデルアート』のほか『丸』、『航空情報』、『航空ファン』や海外のプラモ雑誌を読み漁りました。

内外のプラモデルメーカー

当時すでに二式大挺がラインアップしており、さらに一式陸攻や九七式大挺(いかにもリスクが高そうな大物)などを発表していくハセガワには、子供ながら、誰でも知っている人気のファイターばかり作っているところと比べ、並々ならない敬意を持っておりました。今はなくなってしまったマニヤやエルエス二至っては「すばらしいキットですね、説明書をください」と勝手な手紙を書いたりしました。それは風邪などをひいた時に『モデルアート』やプラモの説明書を見ていたりするのが好きだったからです。記憶ではエルエスからは有料でお分けできるとい連絡をいただき、マニヤの方はそのころ会社がなくなったようでした。

そのほかレベルやエアフィックスはずいぶん作り、フロッグやエレールも手がけました。しかしどういう因果か不明ですが、当時のアオシマやリンドバーグについつい手が伸びてしまうのです。この二社には、そのころある意味で似かよった魅力があって、ある種の人をグイグイと惹きつけてしまうのです。

それはこれらの会社しか出していないような珍しいキットが多くあり、いや、もっと言うと他社が作らないようなものばかりと言っていいくらいでした。ところがそのキットの仕上がりはというと、あるモデル雑誌によれば「せめて左右胴体のハマリの位置だけでも合わせた方がよい」とか「またしてもキャノピーは氷砂糖!」とか評されているのです。けれども箱絵がいい、まったく個人的に!思わずそのほとんどを当時作ることと相成りました。

そこへ行くと、現在のインジェクションの技術はすばらしく、そのはめ合わせ制度がたかいので、接着剤がいらないのでは?と思わせるほどで、表面のスジ、シボリ、リベットの表現、材質感にいたるまでほとんど限界に近づいていると感じます。しかしながら、その高精度なモデルを見ると、胃が痛むような、かえって作ることへのプレッシャーを感じてしまうこともあるのです。

ここに揚げるプラモの箱絵たちはとても大らかに、かつてぼくを受け入れてくれたものたちです(できるなら当時850円の緑色の「連山」なども見てもらいたかった)。趣味とはどうしても個人的な思い出の宝庫となってしまいます。そんな気持ちのまま、これらのすばらしい、ときにへんてこで魅力的なキットを作ってくださった会社の人々のことを想うと、彼らは当時、ぼくも含め多くのそれほど豊かではなかった子供たちに思いっきり夢と楽しみを与えてくれたと思うのです。

かつてあるプラモ雑誌に「工場訪問」というような記事があって、それを何度も何度も読み返しながら、そんな夢を作れる仕事を招来してみたいと願ったとこがありました。そんな工場で夢を生産していた方々にこころから感謝と敬意を込めて「ありがとう」と今ここで伝えたく思います。

小林健二

小林健二コレクション

プラモデルに付随していた説明書−1

小林健二のコレクション

プラモデルに付随していた説明書−2

小林健二のコレクション

プラモデルに付随していた説明書-3

小林健二のコレクション

[飛竜キ-67]エルエス

小林健二のコレクション

[雷電21型]ニチモ

小林健二のコレクション

[零式水上観測機]ハセガワ

小林健二のコレクション

[キ-109]エルエス

小林健二のコレクション

[震雷]タミヤ

小林健二のコレクション

[はやぶさ1型]エルエス

小林健二のコレクション

[月光]レベル(アメリカ)

小林健二のコレクション

[97式重爆]レベル(アメリカ)

小林健二のコレクション

[零式52型]エルエス

小林健二のコレクション

[銀河]レベル(アメリカ)

小林健二のコレクション

[100式重爆]レベル(アメリカ)

小林健二のコレクション

[九九式双発軽爆撃機]マニヤ

小林健二のコレクション

[一式陸攻24型]リンドバーグ(アメリカ)

小林健二のコレクション

[雁型通信連絡機-神風]マニヤ

小林健二のコレクション

[アブロランカスター]エアフィックス(イギリス)

小林健二のコレクション

[フェアリーバラクーダ]ハセガワ/フロッグ

小林健二のコレクション

[アブロアンソン1]エアフィックス(イギリス)

小林健二のコレクション

[サボイアマルケッティS.M.79MK2] エアフィックス(イギリス)

小林健二のコレクション

[フォッケウルス189]エアフィックス(イギリス)

小林健二のコレクション

[アブロランカスターB.1]エアフィックス(イギリス)

小林健二のコレクション

[ハンブデン]エアフィックス(イギリス)

小林健二のコレクション

[ドルニエDo335A-6]レベル(アメリカ)

小林健二のコレクション

[ウエリントン]エアフィックス(イギリス)

小林健二のコレクション

[ハインケルHe177]エアフィックス(イギリス)

小林健二のコレクション

[ブルームントフォスB.V.141]
エアフィックス(イギリス)

小林健二のコレクション

[ショートサンダーランド3]エアフィックス(イギリス)

小林健二のコレクション

[アブルランカスターB.3]
エアフィックス(イギリス)

小林健二のコレクション

[ドルニエDo17Z-2]
レベル(アメリカ)

小林健二のコレクション

[キティーホーク]モノグラム(アメリカ)

小林健二のコレクション

[ショートスターリングB.I/3]エアフィックス(イギリス)

小林健二のコレクション

[ポテーズ631]エレール(フランス)

小林健二のコレクション

[ポテーズ63-11]エレール(フランス)

小林健二のコレクション

[メッサーシュミット410]フロッグ(イギリス)

小林健二のコレクション

[ブロッシュ152]エレール(フランス)

小林健二のコレクション

[アミオ143]エレール(フランス)

小林健二のコレクション

[ペトリアコフPe-2]エアフィックス(イギリス)

小林健二のコレクション

[ハインケルHe-111]フロッグ(イギリス)

小林健二のコレクション

[リオレオリビエLeo451]エレール(フランス)

小林健二のコレクション

[マーチンB-10B]ウイリアムズ(アメリカ)

小林健二のコレクション

[ドルニエDo-335]リンドバーグ(アメリカ)

小林健二のコレクション

[ユンカースJU86D1]イタレリ(イタリア)

小林健二のコレクション

[カプロニCA313/317]イタレリ(イタリア)

小林健二のコレクション

[ドルニエDo17Z]リンドバーグ(アメリカ)

小林健二のコレクション

[ハインケルHe219]リンドバーグ(アメリカ)

小林健二のコレクション

[ツヴァイリングHe111Z-1]イタレリ(イタリア)

小林健二のコレクション

[ドルニエDo217K1]イタレリ(イタリア)

小林健二のコレクション

[ユンカースJU-88]リンドバーグ(アメリカ)

小林健二のコレクション

[ギガントMe323D-1]イタレリ(イタリア)

小林健二のコレクション

[PZL-37]マイクロ(ポーランド)

小林健二のコレクション

[アエロC-3A] KP( チェコ)

小林健二のコレクション

[アラッドAR-234B]リンドバーグ(アメリカ)

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航空模型少年の夢の本棚

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『ぼくらの模型機』 実野恒久 167ページ 保育社 昭和28年 保育社の昭和20年代の出版物は装丁に独自のあたたかさと好奇心をそそるものが多い。この本は小学生全集の25として出版されているが、初版は『ぼくらの模型飛行機』として昭和16年刊

未知の世界へのパスポート

航空模型について書かれた本および雑誌は、明治40年代から昭和40年代までとてもたくさん出版されています。大戦中の啓蒙のものもあれば、戦後の科学教育的なものなどいろいろです。また昭和20年代からのプラスチックモデルについても含めると、おびただしい量になります。そこであくまでも簡単なデータと解説にとどめ、その表紙や内容の一部を図版にして少しでも多く紹介し、「模型工作世界」の雰囲気を楽しんでいただければと思います。

大空への憧れー二宮忠八と木村秀政

日本における模型飛行機といえば、二宮忠八氏に始まるのかもしれません。彼が工夫を重ねて作ったカラス型模型飛行機が、夜ひそかに丸亀練兵場で初飛行したといわれるのは、明治24年4月29日のことです。これは西暦1891年のことで、ドイツでオットー・リリエンタールが鳥の飛び方を研究してグライダーを作り、滑空に成功した年であり、アメリカのライト兄弟が「ライト自転車商会」を開く1年前のことです。二宮忠八はその後、必ずしも恵まれた生涯ではありませんでしたが、まさに純粋に飛行するこころを持ちつづけたといえるでしょう。そのように考えるともう一人、日本の航空界で忘れることができないのが、木村秀政です。彼は1904年、ライト兄弟の初飛行の1年後に生まれ、その生涯を飛行機とともに生きたといって過言ではない人生を送りました。1938年にはその設計・開発に当たった通称「航研機」航空研究所試作長距離機によって当時航続距離の世界記録を樹立したり、A-26長距離機によって1940年、その記録を更新したりしました。その後1986年に逝去されるまでYS-11や人力飛行機開発など多方面で日本の航空界とともに歩んだのです。その一方で、彼はまた多くの模型飛行機に関する著述も行っています。

初期の模型飛行機の分類

実際に飛行する模型とは違って、スケールや実感に重点をおいて作る「実体模型」という分野も、飛行機が一般的にこの世に実在するものとして定着し始める大正時代から少しづつ出始めます。たとえば大正2年刊の『新式飛行機の原理および模型製作法』(井関十二郎著)では「模型飛行機は元来二種に区別するが正当である」として、飛ばすことを中心とした「模型飛行機・モデル・オブ・エーロプレーン」と、実用飛行機をそのまま縮小した「飛行機の模型・モデル・オブ・エーロプレーン」を提唱。

また大正4年刊の『模型飛行機之研究』(中川健二著)では「模型飛行機は三種に大別される」として、それぞれ原動力を具えただ飛行するもの(甲種)、原動力を持ち飛行もするが実用飛行機の縮尺でもあるもの(乙種)、そして実用飛行機の縮尺に重点を置いて飛行の能力は具えていないもの(丙種)としています。

同時代においても、グライダーを滑空機、あるいは無発動飛行機として分類しているものもあれば、大正9年刊の『模型飛行機』(安田丈一著)では縮尺と飛行の二種であったりもします。

それらはやがて昭和16年刊『模型飛行機の理論と実際』(山崎好雄著)二おいては、用途からの分類(二種)、型からの分類(四種)、材料と作り方からの分類(六種)、動力からの分類(四種)と模型飛行機が一段と多様化していく様子がうかがえます。

なかにはキリガミ飛行機から軍用実機の試作模型や風洞および強度実験までに数十種におよぶ分類にいたるものまで出てきますが、大戦後になってからの趣味として、それぞれの分野が独立して著者の思い思いの趣向によって著されるようになってきたようです。もちろん現在では飛行機模型も、速度や距離を競うものや滞空記録の競技用やインジェクションやキャスティングによるプラスチックモデルなども考えると、枚挙にいとまはありません。

大戦中に著された銃後学童向けの本についても軍事啓蒙的前書きも多いのですが、不思議とそれらの表紙は明るく、空という未知の世界が少年たちのあこがれの的であったことを反映しているのでしょう。

戦後の模型飛行機界

戦後も昭和20年代では、飛行機模型は戦中の戦争啓蒙思想につながるものとして、しばらくの間、その存在が懸念された時期もありましたが、昭和28年刊『ぼくらの模型機』前書きのなかで「長い戦争のあと、模型飛行機を学校で作ることはいけないように思われていましたが、理科の教科書にさえ、ちゃんと模型飛行機を作ろうと書かれているほどで、どしどし作ってほしいものです。一つの模型飛行機を作ることに、理科や工作やいろいろの勉強のたいせつなもとがたくさんふくまれています。少年の夢をのせたりっぱな模型飛行機があなた方の手で作られることを楽しみにしています。」と著者の実野恒久氏も語っています。

いつのまにか便利な乗物としての飛行機となってしまった感がありますが、その昔あの無限にひろがる空を見つめながら、そんな風景のなかを鳥のように自由に飛翔したいと願った少年や少女たちのこころを喧騒から放たれたところで想ってみるのも、何かと忙しさに追われている現代人にとって無意味なことではないでしょう。

文、小林健二 2003年

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