カテゴリー別アーカイブ: メディア情報

ぼくのすすめたい本

生きていくということは、それ自体が人間にとって宇宙の真理を探っていくことになるのです。

ぼくのすすめたい本のなかに「宇宙をとく鍵」というのがあります。この本では宇宙の力や電磁力といった宇宙のニュアンスを知ることができます。そして、宇宙の真理が、実はどこにもないということに気づくのです。なぜなら、人間が生きていくこと自体が、宇宙の真理を見つけようとしていることだと思うし、人間の無意識の行動が、実は人間自身の感性や精神を探る現象だったりする。全ての謎解きの答えが書いてある本は、一つも存在しないと思います。

ただ、ぼくたちが何も考えないでいたら、地球の形成自体がなくなってしまう。歴史の意味も不必要になってしまうでしょう。BBC科学シリーズのこの本は、古本屋に行けば見つかるので、ぜひ読んでほしい。

宇宙の不思議と同じように、神秘や超能力があります。これらは、人間が本来生きるために備わってきたもののような気がする。人間は生命を維持しようとするがために、自分たちが証明できない能力を持っているはずなんです。これは、不思議でもなんでもなくて、事実、地球上に人間が存在していることからもわかる。

例えば、自分の細胞膜を全部解いていったとしても、自分というものを見つけることは非常に難しいし、感性や精神を取り出すことはできないでしょう。

宇宙というものは、人間や自然が全体の一部であってそれらがその中に存在しているということ。ぼくたちが想像できる善や悪も、この宇宙に、あるいはぼくらの中に持っていることでもあるわけだから。

自然が破壊されていくことが、今、自分には関係のないことではないとの認識も必要かもしれない。

ぼくたちの生命は、ただ単純に存在しているのではなく、過去のいろいろな積み重ねによってあるものだから、それをぼくたちだけで終わらせてしまうことは許されないでしょう。

ぼくたちがなぜ生きているか、なぜ生きようとしているのか。そう問いつづけることは、自分とは何かを探ることに他なりません。答えの出ない問いを、これから先の人たちに送り綱いでいく。それがぼくたちの生きている意味のような気がする。

小林健二(1989)

小林健二

「アンネの童話集」小学館
アンネ・フランク

ナチスの迫害を受けたアンネ・フランクの童話集。この物語には、物事に対する鋭い洞察力が含まれています。人間は、人種で感性に差があるとは思えないし、特殊な状況の中でしか、このような物語が生まれないわけではないと思う。戦争に生きた人の残した形を読み取ることは決して無駄にならないのです。

「空気の発見」角川文庫
三宅康雄

空気の疑問をわかりやすく、多角的に解き明かした科学の本。著者は科学教育が科学史と結びついてなされることを主張する三宅泰雄。本書は、空気をつかむまでに長い苦労があったことをエピソードを交えて優しい文章で語られている。空気の重さや色、窒素や酸素の発見など、40のテーマからなっている。

「星の王子さま」岩波書店
サンティク・ジュペリ
*画像はフランス版

幼い頃手にしたことがある「星の王子さま」は、意外と読んでいない人が多いかもしれません。読んでは見たけれど、感じ取れない人がいるような気がするのです。もう一度読んでみることをお勧めしたい。かつて子供だったことを忘れてしまう大人にならないために、「星の王子さま」は大切な一冊です。

「ゴジラ(初代ゴジラ)」東宝 *書籍ではないですが、小林健二に影響を多大に与えた映画です。

これは怪獣物語ではない。戦争の苦しみと憎しみと悲しみから生まれたゴジラは、実は被害者なのです。つまり「ゴジラ」は反戦の映画だった。海底に眠っていた恐竜が、水爆実験の影響で怪物と化し、東京を襲う。

*ほかにもこの記事の中では、おすすめ映画として「2001年宇宙の旅」をあげています。

*1989年のメディア掲載記事を抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

 

 

科学と魔法の境が曖昧な時期の発明

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ」筑摩書房
*カバーを外すと、中に不思議な色に発光する水晶の写真。

20世紀の初頭に生まれた鉱石ラジオは、半導体工業の原点となったものだ。原理的には電池などの電源がなくても、電波をキャッチすることができる。

「鉱石ラジオは電気工学の黎明期に誕生したもので、原理は本当には解明されていません。すぐにダイオードができて、研究が途中で放棄されたのです。それっきり、すっかり忘れられてしまいました。」

この本には鉱石ラジオの構造と作り方が実に丁寧に解説されているだけではなく、鉱石ラジオにつながる様々な電気的発見、発明の物語や、通信と社会との関わりの歴史が盛り込まれている。美しいカラー図版で収められた昔の、鉱石ラジオや小林さんのオリジナル鉱石ラジオが眺められるのも楽しい。

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ」より(小林健二の鉱石ラジオのコレクション紹介ページ、何ページかに渡り鉱石ラジオが登場する。)

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ」より(自作の鉱石ラジオの紹介ページ。自作不思議ラジオはまだまだ登場する。)

「構造さえわかってしまえば、単純なものから始めて、複雑なシステムに改良することが可能です。この本を趣味の時間、リラックスすることに生かしてもらえればと願っています。読んでくれた人が、自分の作ったラジオを孫にプレゼントできると言ってくれたのは、嬉しかったですね。」

小林さんはジャンルや技法にとらわれない表現活動を展開してきたアーティストである。人はみな得意不得意があり、たまたま美術の世界に進んだのだという。

「子供の頃から好きでやってきたことは、自分のペースで高めていけるし、関心や思いの幅が広がっていきます。人それぞれにアクセスの手段が違う、いろんな個性の人がうまく組み合わさっていくように、世の中はできているのだと思います。」

しかし、現在の社会は並列ではなく序列によって、人の関係が作られている。

「科学も田んぼの収益も、何もかもが経済原理の中に組み込まれて、弱いものは切り捨てられている。みんな一つの方向しか見ていないけれど、鉱石ラジオはもっと大事なもっと大事なものがあるかもしれないもう一つの視野、違う世界の象徴なのです。」

小林さんの表現は、そうした異なる空間に見るものを誘う。その表現を側面から支える膨大な蔵書の中には、鉱石ラジオが人々の生活の中に生きていた時代の科学雑誌や書物が、ずらりと並んでいた。

「人間と天然を結びつける本質的なものを興味津々で見直していくって、大切だと思います。自然と神秘、魔法の境がなかった時代の先人の経験なんかから、書物や話を通して学べることはたくさんあると思う。」

*1997年のメディア掲載記事から抜粋編集、画像は新たに付加しています。

小林健二自作の鉱石ラジオ

*以下に、小林健二が製作している不思議な作品たちを何点か紹介します。


「秘蜜商会」HIDDEN HONEY COMPANY
木、硝子、電気など 
230X190X220mm 1993
(1990年に制作された「秘密事業部-Secret Division」という作品を1993年に改名して発表。通電すると、窓にうっすらと人影が動き始めることがある)

「磁束界の距離」DISTANCE OF MAGNETIC FLUX FIELD
混合技法 mixed media 140X110X185mm 1993
(173-181一連の作品は、本来複雑に配線され、また多種の実験ができる装置となっており、いくつかの換算表と書物は、その実験を解説するもの)

「大気の中の隠れた電源」ELECTRICAL POWER CONCEALED IN THE ATMOSPHERE
写真、鉛 photograph,lead 650X465X30mm 1999
大気の中の隠れた電源 静かな実験室。人間による発見。 ここへはもう再びもどらないのだろうか? すばらしき変革。 本当はもうこれ以上ほしくないのです。めざましき発展。 只、静かな思いの世界にいたいのです。 1990 データ;6月1989 / 写真;1990

KENJI KOBAYASHI

 

微小世界への跳躍方

小林健二個展[EXPERIMENT1] Gallery Myu (健二自作の多重焦点 プレパラートを実際に顕微鏡で来場者がのぞくことができる。また壁面には、ピンクのバックライトに光るプレパラート作品が展示された。)

小林健二の自作多重焦点プレパラートと健二の顕微鏡。この場所で来場者はプレパラートをのぞくことができる。

小林健二自作の多重焦点プレパラート

ー顕微鏡の焦点深度って、ものすごく浅くてそこが顕微鏡の扱いにくさだったりするわけですが、小林さんの発表された「多重焦点プレパラート」作品は、逆に焦点深度の浅さをうまく利用していて、大変興味深く拝見いたしました。

「ああ、それはうれしいね。」

ーそもそもプレパラートでこのような作品を制作してみようと思われたきっかけは、なんだったのでしょうか?

「きっかけは一つだけじゃないんだ。小学校の時にプレパラートの下にゴミが付いててさ、気づかす見てたら、そこに焦点があっちゃって。間違えたものを見ててね。それが面白かったんだ。・・ってまた、子供の頃から透明なものを見るのが好きで、ゼリーとかビニールとか半透明のものとかもね。次々と中に入り込んでいくんだよね。ボヤけると次のものが見え、さらに次のものが見え・・・ってなる。」

ーゼリーの中に潜っていくような感覚がある、と。

「そう。そういう楽しみや経験の積み重ねが、後に『多重焦点プレパラート』につながったのかな。」

ープレパラートを本格的に作っていかれたのは、いつぐらいなんですか?

「10代の後半くらいから。その時、染色したり、スクリーントーンを貼り付けたりして遊んでた時期があって。永久プレパラート*を作る技術もあったから、いろんな植物の断片を切り繋いでみたりしていたんだ。その時に、あるものをカバーグラスでおさえて、ステージを上げたり下げたりして見ると、焦点深度によって違うものが見えてくる。これは楽しいよね(笑)。」

ー顕微鏡だからできた『遊び』ですね。

「これのいいところは、二つの切片を比較するときに、本来であればわざわざプレパラートを変えなければならないところを、上げ下げで同時に見られるでしょ。

あとね、『ポケットに入る作品』を作りたかったってのもあるんだ。一回の展覧会に必要な作品が、プレパラートなら30点作ってもポケットに入ってしまう。それまでは何メートルもある作品を作っていたけど、逆に小さなものも作りたかったんだね。」

小林健二の自作プレパラート。顕微鏡写真も健二による。

小林健二の自作プレパラート。顕微鏡写真も健二による。

小林健二の自作プレパラート。鉱物結晶の切片、顕微鏡写真も健二による。

ー実際に小林さんの作品を見てみると、植物などの細胞の美しさに驚かされます。本に載っている写真を見るのとは違い、直接目を刺激する光は、こんなにも美しく強烈な印象を与えるものなんですね。自分の目で観察して見る重要さについて、どうお考えですか?

「まさにそのことで、自分がここにいて何か切片があって、その切片までの距離は変わらないのに、顕微鏡を通すことで急に見え方が変わってくる。ある種の翻訳機というか。」

小林健二の自作多重焦点 プレパラート。顕微鏡写真も健二による。

小林健二の自作プレパラート。顕微鏡写真も健二による。

ー同じものなのに別のもののように感じられうわけですね。

「例えば、いつも食べているタマネギを顕微鏡で見ることで、普段見えているだけじゃない、もう一つの意識・・・チャンネルが増えるっていう。それは無意味なことじゃないと思うよね。今、いろんなものが解明され、それが常識化されている部分って多いでしょ。ウイルスや血液の構造とかね。少なくともぼくらは教科書で見て、『あっ、こういうものなんだ』って思うわけだよね。」

ー実際、自分の目で見た経験をどれくらい持っているかって言われたら、ほとんどの人が持っていないですね。

「そうなんだ。だからこそ、こういうことが顕微鏡を除き始めるきっかけになって、一つでも実体験を増やしていけることにつながればいいよね。」

ー顕微鏡の発明によってミクロへの扉が開かれたわけですが、初めてミクロ世界と出会った昔の人々は、どんな気持ちで顕微鏡を覗いていたと思われますか?

「顕微鏡で何を見るのか、これは人間の生命を見ようとした一つの原形だと思うんだ。だから顕微鏡で探していたのは、人間の心の在処みたいなものだと思う。命を見れないなんて、誰でも知っているよ。だけど見たいっていう願望はある。だからこそ自分の血液、細胞を見たり、動物を解剖して見たり、それで見えるものは、日常の知覚を超えているんだよね。その先に欲するのは『命ってなぜ生きているんだろう』ということ。」

小林健二の自作プレパラート。顕微鏡写真も顕微鏡写真も健二による。

ー生命の神秘に近づきたい。その気持ちで覗いていた。

「植物であれ動物であれ、生命に対する意識っていうのは、昔は宗教の領域だった。それが顕微鏡によって、科学や日常の中に少しずつレールが敷かれて行った。顕微鏡っていうのはかつては生命との交通を、人間が試みようとしたものなんだね。逆に考えると、『顕微鏡を作りえた心』は、執念というか、この『見えないはずの世界を見ようとする機器』を発明してから、今日の顕微鏡に辿り着くまで、たくさんの人の知恵が働いているはず。そこまでして人間は顕微鏡を作って覗こうとしてきた。顕微鏡ができる前は、風邪を引いた、それだけで人が死ぬなんてことがいっぱいあったから、一人での多くの命を救いたいと思ったり、一つでも神秘的な生命原理に近づこうとした人たちが、半ば命がけでのぞいていたと思う。しかも、以前は日中でしか研究できない、晴れたからでき曇ったからできないってこともあった。その日の状態に影響される。ハイリスクは当たり前の中で、限られた時間、限られた条件の中で、やってきた人たちがいっぱいいたわけじゃん。ぼくは顕微鏡が便利で安くなれば、誰でも見られるというものじゃないと思う。見ようとする意志がどのくらいあるかっていうことによると思う。」

ー昔の人は、一瞬一瞬にものすごい執念をかけていたんですね。

「昔の人というということで言えば、顕微鏡を覗いてきた人の中には、当然、歴史に名を残すことなく終わった人も沢山いることを、忘れてはならないと思う。名前の残っていない無数の人々の努力があり、そういう積み重ねは決して無駄ではなく、その積み重ねにより進歩がある。この世は、無名に終わった人々の努力の結晶で成り立っているんだ。」

ー小林さんの言葉にある、『無名的結晶性』ですね。

「みんな、今の世の中は有名にならなければならない、立派にならなければならないっていうんもを刷り込まれている。若い人たちが『どうやったら成功できますか』とか『どやったらメジャーになれますか』って。その気持ちっていうのは、自分というものが生まれてきて、その価値を無駄にしたくないってことから出ているとは思うけど。」

ー無名で終わることを恐れている。

「でも逆にね、どんなにひっそり咲いているように見える花でさえ、咲いているっていう現象から見れば、全然堂々としているわけだよね。また、顕微鏡を覗けば、鉱物の結晶や細胞膜、ケイ藻が、誰かに見せるために美しいわけではなく、ただ存在自身がそこにあるっていうことが確認できる。それは、どんなに光の当たらない生き方をしていても、世の中には無駄なものはないんだ、とぼくたちに教えてくれているんじゃないかな。」

ーとても勇気付けられる事実ですね。

「ぼくは子供の頃から顕微鏡を覗いているけど、自分っていうものがどれくらい価値があるのか問う世界ではないんだって気がしてくるんだ。なかなか出会えない世界に触れているっていうだけで、今日一日が恵まれたような気になる。」

ーそのような満たされ方は、なかなか出来るものではないですよね。

「情報が先行しちゃうと・・情報だけが錯綜してしまうと、それを知らないと自分が取り残されている気になる。文明の恩恵にあずかれていないんじゃないか・・・そんな潜在的なコンプレックスを持ってしまっているのかな。」

ー多くの人が体験しているものは自分も体験しておかないといけないんじゃないかと、思うんですね。

「顕微鏡だけど、これは、中に集約していくものでしょ。何かを覗こうっていう意志がなければ、覗くことができない。漫然と見ることができない。深度も狭い、何をねらうか、はっきりしていなければならない。」

ー目的意識が相当はっきりしていないといけませんよね。

「タマネギの皮を見るにしたって、タマネギを買ってきて、皮をはがして、ガラス板にはって・・・と、明確な意思がないとそこまでやらない。そうすることで、何をしようとしているのか、一つ一つ認識できるわけだよね。だからと言って、タマネギの皮を見て何になるのって聞かれたって(笑)、何になるかはその人次第だと思う。

顕微鏡を通して、何かを探そうとしているのは、自分の内側にあるものになるよね。自分の目で直接見ることで、新しい自分を発見することもあるかもしれない。自分の生き方や考え方をフィードバックして考えるには、顕微鏡はいいアイテムだと思う。つまり、顕微鏡は自分を見るための、『鏡』、自分の内面を写す鏡なんじゃないかな。」

小林健二個展[EXPERIMENT1] Gallery Myu (健二自作の多重焦点 プレパラートを実際に顕微鏡で来場者がのぞくことができる。また壁面にはバックライトに光るプレパラート作品が展示された。正面に見えるのは偏光顕微鏡で、鉱物のプレパラートが映し出されている。)

*2004年のメディア掲載記事を編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

プレパラートと森の友人

複焦点プレパラート製作法について

KENJI KOBAYASHI

”不思議”にこだわる小林健二さん

静かな町並みを通って、彼のアトリエに一歩入ってビックリ。

ノミ、カンナ、ヤスリ、絵の具など、いろんな道具が所狭しと並んでいました。

作品を自分の手で生み出すことにこだわっているうちに、自然に集まったものだとか。

「人間と作られたものとの関係って、永遠に変わらないような気がする。千年以上前に作られたものでも、手で彫られた彫刻は、訴えてくるものがある(円空を小林は好きだと以前語っていたのを思い出す)」

「道具っていうのは、それが作られた国の文化を反映しているんだよね。もっと日本のことをよく知れば、インターナショナルになれるって気がする」

彼の今回の出品作品には「古事記」からテーマをとったものもあります。展覧会のタイトルである「黄泉への誓(うけ)い」と不思議な響きをもつ。

「黄泉への誓(うけ)い」会場写真

「ぼくは下町育ちだから、どちらかというと気が短い方かも・・それでも今の色々なことが進むスピードは異常な気がする。

喉がカラカラに乾いた時に飲む水のうまさを味わう暇さえないような・・・ほんとうに美味しい水を飲む時間を奪われているよう。それってある意味不幸だよね。」

それで時間のゆっくり流れていた昔を取り戻そう、って意味合いの「古事記」ですか?

「古代に帰りたいって意味ではないです。「黄泉の国」ってどうして黄色い泉って書くんだろう?とか、不思議なことを考えるのはとっても面白い。例えば「ヨモツカド」って作品では白い空を描いたんだ。空が白い曇りの日に、影が一つもできないことを発見して、そこで”存在する”っていうのはどういうことかな?って考えたりする。ぼくは”不思議”っていうことに興味があるんだよね。いろんな不思議に興味を持って、それをゆっくり考えることに。」

「ヨモツカド」1990
木に油彩、鉛
2230X2250X160mm

「ヨモツヘグイ」1990
木、合成樹脂、幽閉物、松ヤニ、鉛
112X177X90mm

「KRAKEN- 魚の日」1990 木に混合技法、鉛 1800X4050mm

「離宮珀水」1990
木、油彩、アクリル、合成樹脂、他
1120X1420X390mm

そういえば私たち、いろんなことに追われて”不思議”を考えることってなかなかしない。感覚を研ぎ澄ませて身の回りの不思議に敏感になれば、もっと豊かな時間を過ごしていけるかも知れません。

「アートって人同士理解したい、理解されたいって気持ちから起こったものじゃないかな?だから自分を見直すきっかけにもなってくれたりする。」

下町に生活する人々の元気で温かい雰囲気をそのまま呼吸して大人になったような小林健二さんだった。

*1990年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

 

現代によみがえる鉱石ラジオ

さぐり式鉱石ラジオをつくる(銀河通信社製鉱石ラジオキット『銀河1型』)

ではさぐり式とはいったいどんなタイプのものかというと、まさに鉱物結晶が目に見える形としてあって、そこに針状の接点をまさに感度の良いところをさぐりながらラジオを聴く、という式のものを言います。

今まで国産で作られたキットは、固定式鉱石検波器と言われる太さ1cm前後、長さ3-5cmくらいの筒状のものなどを使用したものもあったようです。

鉱石ラジオは、やはりこのさぐり式が鉱石ラジオたる醍醐味と言えるでしょう。

1、キットの内容は写真の通りで、サンドペーパーや小さなドライバーも入った完全キットとなっています。オマケにはゲルマニュームダイオオードが付いている説明書も入っているので、基本的にはこのままで組み上がるようになっています。しかしさらに小さめのドライバー(ブラスとマイナス)やハンダゴテ、しっかりとナットなどをしめるためのプライヤーなどがあると組み立てやすいでしょう。

2、作業はまずスパイダーコイルを巻くことから始まります。このスパイダー枠箱のキットの特性部品の一つで、まさに大正時代の製法によって黒色特殊絶縁紙を型抜後、一枚一枚高周波ニスで塗り固め田というもので、ファイバー製のものよりも手製の時代をしのばれるような感じを受けます。
手順や方法については、解説書に詳しく書いてあるので、ここではそこに書いていない部分に絞り、述べてみます。スパイダーコイルを巻くコツはとにかくゆっくりとあぜらず一巻き一巻き、きっちりとつめて巻いていく方が良いでしょう。かといって紙製の枠が壊れ流程力を入れてはいけません。回数を数えて巻くのは結構めんどうなものですが、このキットの場合、巻き切れればいいように設計されているので、お茶でも飲みながら楽しんで巻き上げていけます。方向は右回りでも左回りでもお好きな方をどうぞ。

3、中間のタップになるところは、赤と緑の線を10-15cmくらい絡めてから、また同じように同じ向きに巻いていきます。ゆっくりと同じくらいの速度と強さできっちりと写真のような感じで巻き上げましょう。この赤と緑のエナメル線も懐かしい感じがします。

4、コイルの巻き終わりは穴のある羽のところを1−2回ぐるっと線を回してから穴に通すとしっかりします。巻き始めの線、中間のタップの線、巻き終わりの線が、片方の面(同じ面)に出るようにしましょう。

5、ターミナルを付けます。これらはカラーベークのまさに鉱石ターミナルとかつて呼ばれていたものです。もうあまり見かけません。後ろから裏側で線を絡めるため、取り付けるときあまり固く締めないようにしましょう。(この画像は記事を複写しています)

6、バリコンを付けます。もしこのポリバリコンが金属製のバリコンだったら、まさに昔の鉱石ラジオのパーツが全て揃うところです。しかし今日では難しいでしょう。(銀河通信社では単連のエアーバリコンを使用したキットをいずれ発売予定とか)
ただポリバリといっても、すでに線もハンダ付けされているので工作は楽にできます。コツとしては線はいつも時計回りにターミナルに巻きつけること(締めるときに緩まない)と、線はピンと張らず少々たるむように配線することです。

7、バリコンにシャフトを付けます。この際、右にいっぱい回してしっかりネジ込みます。またネジロックや瞬間接着剤で固定した方がいいでしょう。ただ接着剤はくれぐれもはみ出さないようにしましょう。

8、ツマミを右にいっぱいに回した位置で、ツマミの後ろ側から小さなマイナスのドライバーでネジを締めて取り付けます。もっとしっかり取り付けたければさらに大きめのドライバーを用意して締めた方がいいでしょう。

9、鉱石検波器の鉱石の部分を取り付けます。裏側からナットを締めて付けます。まさにこのラジオの心臓部です。あまり鉱石の表面を素手で触るのはやめます。ここには方鉛鉱が使われていますが、方鉛鉱なら全て感度がいいという事はありません。このキットでは銀を多く含んだ特別に選んだ鉱物を使用しています。またその土台にも特殊な合金を使用して、一つ一つ手作業で仕上げています。

10、さぐり式の探る針はタングステンでできています。画像右上のように仮に取り付け、あとで調整します。

11、10の部分を裏から見たところです。S字の銅線ですでに配線されていたり、ベークのスペーサーでコイルを付ける台としているのがわかります。

12、サンドペーパーでそれぞれの線の端と、赤い線の中間部分の配線をどうするのかよく理解した上で、エナメル線のエナメルを剥がします。色のついたエナメルなので銅の色が出てきたらOKと分かりやすくなっています。

13、スパイダーコイルを取り付けようとしています。大きなワッシャーで挟み、ナットをプライヤーなどでしっかり締め、取り付けてください。

14、配線が終わった状態を裏側から見たところです。線の末はタマゴラグの穴に絡めてあるだけですが、この場合はハンダ付けが必要です。ハンダ付けしない場合は、ナットでしっかり他の線と一緒に強く締め付けてください。

15、タマゴラグの穴に線を絡め付けた後、ハンダ付けをした状態です。

 

16、鉱石ラジオ「銀河1型」完成です。

イヤフォンをつけ、アースとアンテナ(アンテナ1とアンテナ2)は感度の良い方を選んでください。鉱石の感度の良いところを探しながら、またバリコンで多少局の分離もできます。色々楽しんで作り、そしてまた本当の鉱物結晶から音が聴こえてくるような不思議な感覚を楽しんでください。(アンテナとアースについての記事を参考までに下記します)

アンテナとアース

これらは鉱石ラジオに使用される天然鉱物です。左から黄鉄鋼、方鉛鉱、黄銅鉱、紅亜鉛鉱。
ぼくは、自著の「ぼくらの鉱石ラジオ」の中で紅亜鉛鉱が一番感度が良いと説明していますが、とてもバラツキがあって実は一概に言えません。全体的に方鉛鉱が無難だと思います。しかし、このキット中のような感度の良い石ばかりではないと思います。下にあるゲルマニュームダイオードで、昔風の感じのものを選んでいます。銀河通信社の「銀河1型」キットについているものとは異なりますが、鉱石と針の部分につければ、ゲルマラジオに早変わりです。

 

*2000年のメディア掲載記事から抜粋し編集しております。

「オーディオクラフトマガジン創刊号」

KENJI KOBAYASHI

 

 

鉱物の魅力

「鉱物の結晶は本来この世に全く同じものは二つとないわけですよね。そうした事実をぼくたちは思い起こしてみるといいんじゃないかな。

明礬で作る結晶の実験なんかでも、本を読んでいると枝のような結晶が付いてできたら取るようにと書いてある。それはとりもなおさず、決まった形に育成していくことがいいと言っているようなものだよね。でもそうじゃなくて、それぞれに美しいと感じられる形があるし、天然現象としてその結晶自身が持っている方向のようなものがありんじゃないかと思うんです。

同じ鉱物が二つとないという鉱物の世界のようにね。そしてそれは、まるで人間がそれぞれの個人の魅力を自由な形で表現できる世界というのが理想だと思うようにね。

同じ種類の鉱物を並べても同じようには見えない。しかも一つの鉱物の中に数種類の鉱物がお互いを排除しないで共存しているものもある。鉱物、いや天然かな、そこには無駄や差別という概念がなくて素晴らしい。人間の世界もこんな風に、お互いを認め合えていけたらいいよね。

黄鉄鋼に褐鉄鋼がくっついていたり、透石膏に褐鉄鋼がくっついて、その後に中が溶けて空洞ができ外形だけが残っているものとかも洗う。珍しい標本だけど、これなんかもある意味で遺影の結晶とも言えるよね。

中心が透石膏でそのまわりに褐鉄鋼が仮晶した後、内部の透石膏が溶去して褐鉄鋼の部分だけが残ったもの。
Santa Eulalia,Mexico

示準化石や示相化石のように、化石だと全てではなくともその年代を同定できる場合があるけど、鉱物結晶はできるものに何千年かかったのか何万年なのかなかなか分かりづらい。それらは大抵光も当たらない場所で、ただただ変化し成長し続けていたわけですよね。

ここに海緑石化した貝だけど、どういう条件が揃えば貝のところだけが変化したり置換したりするのか、とても不思議なことだと思う。

腹足網の化石。外殻が海緑石(Glauconite)に置換されている。(記事を複写)
[Turritella terebralis]
Nureci,near Laconic,Central Sardinia,Italy

そんな神秘的なことがぼくたちの前にあらわれてくる。それを思うと、人間の世界から少し離れて自由な気持ちになれるわけです。

子供の頃から人と同じように物事ができなくて寂しくなったり孤独を感じたりしたことがあったけど、いまはそんな自分を変だと感じないでスムシ、心が落ち着いてきたと思う。

日常で大抵の人が感じる軋轢(あつれき )って、基本的には人間関係ってことが多いんないかしら。そんな時、鉱物の世界は一つの架け橋になってくれるような気がしますね。」

柱状の緑泥石を核とした、ザラメ砂糖のような水晶の結晶
Artigas, Uruguay

ー見た目に美しい鉱物ですが、精神性にまで影響があったりするんですね。ところで、人工の鉱物や宝石についてはどう思われますか?

「鉱物と宝石を趣味にする人ではタイプが違う場合があるように感じます。宝石で偽物を摑まされたとか嘆く人がいるけれど、その人がそれがガラス玉出会っても分からないかもしれないでしょ。それなら、あるがままに存在する天然のコランダムのルビーやサファイヤをあえてカットして磨くより、ガラス玉を付けても見た目には問題ないいじゃない(笑)。

硬度に違いがあるくらいで、もし赤くて透き通っているものとしてだけそれを見るのであれば、天然の鉱物である必要はないかも知れないね。

聞いた話ですが、最近の技術はすごくて、天然のエメラルドにはそれぞれに包含物やスがあるけど、人工のものにはそれがなくて均一だから見分けられていたんだそうです。それが今や、いかにして人工のエメラルドに天然に似た包含物やスを入れるかということになってきて、なかなか鑑定する人も大変だと思うけど、それはそれで天然の鉱物が少しでも助かるならいいなと思うんですけど(笑)。」

ー小林さんは色々な表現活動をされていますが、鉱物をテーマにしたものは作られているのですか?

「ぼくは怪物とか模型飛行機や星を見るのが好きだったし、絵の題材として怪物や透明なものや光ったりするものはよく出てきたし、高校の頃には水晶とか描いていたこともあった。

それは作品として仕上げ用というよりも、ただ好きなものを描いていた感じですね。みんなもそうかも知れないけど、今自分のやっている仕事と、そうなりたいと思っていたことが必ずしも一緒でない時期ってあるよね。でも表現方法は色々だけど、子供の頃から好きだったものってそんなに変われるものじゃないと思うんです。」

ー鉱物に対する思いがだんだんと作品と融合してきたわけですね。

「ぼくはこれまで生きた年と同じくらいこれからも生きているとも思えない。そうすると、だんだんと自分の素性に近いところで生きるようになってきたと思うんです。今までは作品を作ることと鉱物を見るということは意識として別のものだったけど、だんだんと近づいてきた部分があるような気がする。だからい色の変わる水晶の作品とか、鉱石ラジオとか人工結晶を作るようになったんです。

日常の中で記憶って時とともに薄らいでいくようなことがあっても、変わらないで蘇ってくるんです。それで、やっと自分のやりたいことが少しみつかてきたというか、昔のぼくと同じように不思議や鉱物が好きで、鉱石ラジオや人工結晶みたいなものまで興味がある人のために、何かできないかというのが今の興味なんです。

「ついにアブナイ博士の仲間入りをしたな!」とか言われたけどね(笑)

kingdom-kristal from Kenji Channel on Vimeo.

*2002年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像や動画は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

鉱物との出会い

アメティスト(紫水晶)表層の、まるでシュクル(アメ細工)のように小さな濃い紫やオレンジ色の結晶がついた標本。
Amatitlan,Guerrero,Mexico

ー小林さんの鉱物との出会いというのはいつ頃ですか?

「小学校の低学年の頃に、ちょっとした事件というかある出来事があって、そのことがショックとなってひどい対人恐怖症になってしまったんです。

その頃ぼくは恐竜などが好きで、友だちとよく上野の国立科学博物館に行って担ですよ。今はレイアウトがかなり変わってしまったけれど、その時に鉱物標本室というような展示室があって、随分と印象的なところでした。

傾斜になった古い木でできたガラスケースの中に、整然とたくさんの鉱物標本が並んでいて、子供の頃からクラゲや石英のような透明なものが好きだったので、水晶のような透き通るものにはとりわけ目が行ったし、また藍銅鉱や鶏冠石(けいかんせき)といった色のはっきりとしたものもたくさんあって、とても綺麗でしたね。そんな中で、何回か通ううちに、たまたま学芸員の人が鉱物を色々説明してくれるようになって、鉱物に対する興味が一段と湧いてきたし、だんだんと鉱物を介して人とコミュニカーションを取ることができるようになってきたんです。

実は先ほどの事件というのは、大人の男性から受けたもので、大人の男性に対して恐怖を感じたことに端を発していたんです。その学芸員の人と、ひいてはその鉱物と出会うことがなければ、一体今頃どうなっていたかと思うんです。

今は多少笑いながら話せますが、当時は命を奪われるほどの恐れを抱いたので、それが少しづつほぐされていったのが、本当にありがたいです。」

ドイツ・ボンの博物館は、昔(小林健二が小学ー中学生の時に通っていた頃)の上野にある国立科学博物館の鉱物標本展示室にどこか似ている、と話す。

ー35年以上前の話ですけど、鉱物との出会いは小林さんにとって貴重なものでしたね。ところでミネラル・ショーのようなものはなかったんですか?

「池袋や新宿で年に一回開催されていますね。当時は今のように鉱物をまとめて見る機会はほとんどありませんでした。神保町に高岡商店というのがあって、矢尻とか土偶と一緒に水晶のような鉱物標本がいくつか売られていたぐらいかな。

ぼくが成人した頃には、千駄木の凡地学研究社で鉱物を買うことができるようになりましたね。小さな木の階段をギシギシとスリッパに履き替えて上がっていってね。今となっては懐かしいね。」

ー海外ではバイヤーが集まるミネラル・ショーが行われたでしょうし、ショップもかなりあったんでしょうね。

「海外ではミネラル・ショーは以前から盛んで、特にツーソンやミュンヘン、デンバーなどはとりわけ有名ですね。今でもショップは数多くあります。日本では最初に「東京国際ミネラルフェア」がはじめられた時に、出店していた人たちもその後あんなに続くとは思わなかったんじゃないかな。でも当時に比べたら、鉱物標本を扱う店は増えたと思います。」

ー昔の標本屋さんはどんな感じでしたか?

「ぼくが子どもの頃ってほとんど日本で採れた鉱物ですよね。そうするとどうしても地味なんです(笑)。それに結晶性のものよりは石って感じのものが多かったですね。時々綺麗な鉱物があったけど、いいと思うものは当時のぼくが買えるような値段ではなかった気がする。

そういえばぼくが22-23歳の頃、凡地学研究社に半分に切断されたアンモナイトの一種が置いてあったんです。それは表面が真珠色で断面がよく磨かれていて、隔壁や外殻本体は黄鉄鋼化して金色で、さらにそれをうめる全手の連室はブラック・オパール化しているもので、もうそれは素晴らしかった。とりわけその中心から外側の方へ青色からピンク色へと変移していくところなんて、もうデキスギとしか言いようがなかった。」

ーそれ以降、同じようなものは見たことがないですか?

「ありませんね。その時は本当にこんなものが自然にできるのかと思ったくらいで、人間の技術や造形意識を超えた、天然の神秘な力を感じないわけにはいかなかった。今となって考えてみれば、天然を超える人間の美意識なんていうものを想像する方が、難しいと思うけど(笑)。

あとは無色の水晶に緑簾石(りょくれんせき)がまるで木の枝のように貫いて、その端が花のように咲いて見える大きな標本とか、細かい針状の水晶の群晶の中央に、真っ赤に透き通る菱マンガン鉱の結晶とか、言い出したらキリがないけど、色々な標本屋さんとかミネラル・ショーに行くと、博物館でも見られない標本を見ることができるのは素晴らしいことだと思うんです。」

 

「地球に咲くものたちー小林健二氏の鉱物標本室より」
岩手の石と賢治のミュージアムで開催された、小林健二の鉱物標本の展示風景

「地球に咲くものたちー小林健二氏の鉱物標本室より」

「流星飲料ーDrink Meteor」
石と賢治のミュージアムにある石灰採掘工場跡、そこに期間限定で不思議なお店が現れました。

「流星飲料ーDrink Meteor」
石と賢治のミュージアムにある石灰採掘工場跡。小林健二が作ったレシピによる ドリンクを、彼の土星作品に囲まれて楽しむお店です。とくに光る飲料水「流星飲料」を光るテーブルにて飲む瞬間は、時空を超えて流星が体内を通り過ぎ、気がつくと星々に囲まれているような錯覚を覚えた記憶があります。

小林健二個展「流星飲料」。期間限定で現れた不思議なお店、そこのレジの横には不思議な光源で光る鉱物の数々。

「流星飲料ーDrink Meteor」

石と賢治のミュージアム(石灰の採掘場に宮沢賢治が何度か訪れ、馴染みのある工場跡、そこに併設されて作られたミュージアムです)で開催された展覧会。その洞窟の奥にある小さな池に、小林健二は水晶作品を展示。
現在は地震の影響もあり、この洞窟には立ち入りが禁止されています。

*岩手の一関にある「石と賢治のミュージアム」では、鉱物展示用に設計された什器の中に、数多くの小林健二が選んだ鉱物が展示されています。

*2002年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

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アーティストのアトリエと道具

小林健二に道具や材料、技法のことを語らせると、そのまま本が何冊かできてしまうほど。古道具屋や工具店をのぞくのが気分転換にもなるという。

”道具マニア”だが、ただ集めているのとは違い、実践が伴っている。使い込まれた彫刻刀、ノミ、かんな・・・懇意の職人さんから譲り受けたものもあれば、道具屋で発見した江戸のもの、自分で作ったものもある。「『藤白』と書いて”とうしろ”銘を持つ刃物もある。その洒落気が心憎い」と話す。

入り口から奥を臨む。この場所は小林健二が20代に文京区に構えた最初のアトリエとなります。

小林健二最初のアトリエ

旋盤などの機械や、金属加工用の様々な工具が置かれたアトリエにて。小林健二

金属をけずったり磨いたりするグラインダー類。「ぜひ、田端新町へ行って欲しい」と語る小林健二。明治通り沿いに、中古の電動工具を扱う店が並んでいて、いいものが格安で手に入る。新品1台の値段で写真のグラインダーが全部買えるくらいだ。「特にモーターを使った工具はいい。淘汰されている。モーターの周波数とベアリングがなじんできて、新品より音がうるさくない。」という。何台も揃えておくと、いちいち砥石を付け替えなくても済むので便利。

まるで作品のように美しい金工用のゲージ。やはり中古を購入。

絵の道具一式。絵の具を意味なく無駄にしたくないので、パレットはいつも綺麗にしておく主義。描くというより塗るに近い状態になると筆より指が活躍する。先端に曲玉のような石のついたスティックはバニッシャー(テーブルの上)。本来は金箔を磨くものでメノー棒と言われるが、小林健二は主として鉛の艶出しに使用。細いピンはブロックス社製アンバーニス(テーブルの上)。フランドル絵画の堅牢な絵肌を作ったと言われるもの。「真偽はわからないが夢があるから」と手に入れた。

小林健二の道具の引き出しの一部。かんなやノミ

小林健二の道具。彫刻刀の引き出し。

*1991年のメディア掲載記事より抜粋編集し、アトリエ全体の画像以外は記事より複写しております。現在、小林健二のアトリエにある道具の数もかなり増え、美しく手いれされた古今東西の道具たちは、今でも大切に扱われています。

記述にある田端新町に関する記事も下記にリンクしておきます。

ぼくの遊び場

現時点ではかなりお店の数も減っているようですが、興味があれば自転車などでまわってみるのも面白いかもしれません。というのは明治通り沿いに点在しているため、歩くには少々道のりがあるようです。この取材当時は、中古の機械を扱うお店が並んであったそうです。

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初めての模型用工作機械

ベルメックスのショールームを訪ねて

ベルメックスインターナショナルのショールーム内部

ベルメックスで紹介している工作の洋書。小林健二は[WORKSHOP PRACTIS SERIES]をほとんど揃えている。

ぼくがはじめてベルメックスインターナショナルへ行ったのは、かれこれ20年近く前になります。それまでは経済的事情から中古機械を入手していました。ところが仕事上どうしても棒状の挽物を作らなくてはならなくなり、いつもペンチやドリルなどを売ってもらっていたお店に「それくらいのサイズの木工旋盤なら」と日本橋のベルメックスを紹介されたのです。

ベルメックスは今も当時も高級そうな立派な工作機械が整然と並んでいて、その頃お金にあまり縁のない人間にとって、場違いな気がするほどでした。

その素人のぼくに丁寧に対応してくれたのが、何を隠そうそこの社長であったというわけです。一時間後ぼくは工作機械購入の初体験をしたのですが、それはまさに機械と呼ぶのにふさわしく、芯間1100mm、振りが350mmの鋳鉄製で、重量200k議場の木工旋盤でした。にもかかわらず、とても廉価だった記憶があり、それ以来勝手にゴヒイキという次第です。

ぼく自身その後バンドソー、グラインダー、12Vの溶接器、ベンダー、ベルトサンダー、動力用ベルトサンダー、小型高速ボール盤などなど・・・細かいものを入れると数十に及ぶ機械を購入させていただきました。

小林健二が初めて手にした大型木工旋盤。ベンダーも下に見える。

小林健二の木工旋盤が置いてある壁に設置された自作の棚に、バイトなどが使い勝手がいいように並べられている。

ここのショールームの良さは、興味ある機械や工具を直接試すことが」できるということです。まだ機械にあまり慣れていない初心者にとっては、このことはとても重要で、大抵購入した後でもう少し大きかった方が・・とか、その逆とか・・、あるいは違うタイプのものの方が良かったと気づくことがあるからです。また金工系の洋書も扱っていて、内容を確認してから買うことができるのも嬉しいことです。

多種色々なキットや小型から大型の機械もあり、廉価なので近くに行かれた折には立ち寄られるといいでしょう。なお、ホームページも充実していますから、こちらものぞいてみてください。独自オークションも行なっています。

 

ベルメックスインターナショナル

地下鉄日比谷線小伝馬町駅近く、江戸通りに面している。http://www.bellmex.com

 

*2005年のメディア掲載記事を抜粋編集し、上から2枚目までの画像は記事の複写、それ以外の画像は新たに付加しています。

 

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[鉱石ラジオの時代]+[不思議な鉱石ジンカイト]

[健二式鉱石受信機] 小林氏が作る歴史的には存在しなかった最も原理的な鉱石ラジオ。束ねられた二重絹巻き銅線をコイルとし、白雲母の板に錫箔を貼ったバリコン、そして検波鉱物が共生している水晶などで構成されている。

[健二式鉱石受信機]
小林健二氏が作る歴史的には存在しなかった最も原理的な鉱石ラジオ。束ねられた二重絹巻き銅線をコイルとし、白雲母の板に錫箔を貼ったバリコン、そして検波鉱物が共生している水晶などで構成されている。

[鉱石ラジオの時代]

鉱石ラジオはアンテナとアース、バリコンとイヤフォン、コイルといった、いたってシンプルな材料によって成立する。電池もいらないが、ただ検波可能な方鉛鉱、黄鉄鉱などいくつかの結晶鉱物がなければ聞こえないという、不思議なラジオ。

ー鉱石ラジオは小さいときに作ったりしてたんですか?

「ぼくが小さい頃にはすでに鉱石ラジオのキットなんてなくて、やっぱりゲルマラジオでしたね。それでさえうまく作るとこはできませんでした。歴史的に見てもラジオって無線を傍受したりできるわけだから、戦争時代には抑制されたと聞きます。しかも鉱石ラジオって電源を必要とせずに聞けるわけですから、戦争後にまた鉱石ラジオは売り出されるけど、それらは戦前戦後を通じて固定式という型で、基本的な性格はゲルマラジオをあまり変わらないものと言えるんですね。昭和30年頃からそのゲルマニューム・ラジオにとって代わられるし、テレビ放送まで始まるし、時代は段々とラジオから離れていく。そして小型でアンテナやアースを設置しなくてもよく聞こえる トランジスタ・ラジオも製品化されるわけですしね。」

[PSYRADIOX(遠方放送受信装置)] 1993年以降に登場する作品は、一見アンティークに見えるが、筐体やアンテナ、ツマミなどの各部品、およびコードに至るまで小林健二氏自作による。

[PSYRADIOX(遠方放送受信装置)]
1993年以降に登場する作品は、一見アンティークに見えるが、筐体やアンテナ、ツマミなどの各部品、およびコードに至るまで小林健二氏自作による。

[BLUE QUARTZ COMMUNICATOR(青色水晶交信機)] 内部に閃ウラン鉱(ウラニナイト)が組み込まれており、そこからでる放射線(人体には無害な微量)をガイガーミューラー菅で検知し、それを特殊なフィルターがモールス信号のように変換している。筐体には入りきらないほど大きいはずの水晶がゆっくり回転し、その音とシンクロして白く明滅する作品。

[BLUE QUARTZ COMMUNICATOR(青色水晶交信機)]
内部に閃ウラン鉱(ウラニナイト)が組み込まれており、そこからでる放射線(人体には無害な微量)をガイガーミューラー菅で検知し、それを特殊なフィルターがモールス信号のように変換している。筐体には入りきらないほど大きいはずの水晶がゆっくり回転し、その音とシンクロして白く明滅する作品。

[CRYSTAL TELEVISION(鉱石式遠方受像機)] 中央のウレキサイトの画面に映像が浮かび出る受像機。音声は遠方から聞こえてくる。エジソンが構想していた霊界ラジオならぬ霊界テレビを連想させる作品。

[CRYSTAL TELEVISION(鉱石式遠方受像機)]
中央のウレキサイトの画面に映像が浮かび出る受像機。音声は遠方から聞こえてくる。エジソンが構想していた霊界ラジオならぬ霊界テレビを連想させる作品。

ー短波やハムの世界よりマイナーな訳ですね。

Crystal-Television from Kenji Channel on Vimeo.

「今となっては短波やハムもかなりマニアックだけどね。今でも続けている人たちはいるわけだけど、さすがに鉱石ラジオを作って聞いている人はあまり知らないね(笑)。」

ーゲルマニューム・ラジオや真空管ラジオの前に、鉱石ラジオしかない時期があったんですか?

「いや、逆に真空管ラジオの方が早いんです。ただ鉱物い検波作用があることが発見されたのは放送局ができる前だから、それが後で鉱石ラジオとして使えることになったわけです。しかもその頃はクリスタル・イヤフォンなんてなくて、それはトランジスタ・ラジオの頃にできたものですから、鉱石ラジオはハイインピーダンス・ヘッドフォンを使って聞かれていました。だから、鉱石ラジオを クリスタル・イヤフォンで聞くというのは、あまり例の多いことではなかったはずです。

[不思議な鉱石ジンカイト]

「最初に作品として鉱石ラジオを作った時には、鉱石ラジオといえば何か透質な結晶でできたラジオというイメーがありました。しかも蛍石や水晶、方解石とか透明な鉱物が好きだったから、実際に電波を受信する、つまり検波に使われる方鉛鉱とかイメージできなかったわけです。水晶や蛍石でどうやってラジオができるんだろうって思ってました。

それで、調べるとだんだんと本当の鉱石ラジオというものが分かってくるわけですけど、最初のイメージが払拭されるわけではないので、透明な鉱物が頭についたラジオを考えたんです。」

鉱石ラジオという言葉のイメージから小林健二氏が製作した[PSYRADIOX]

鉱石ラジオという言葉のイメージから小林健二氏が製作した[PSYRADIOX]

ー水晶や蛍石みたいな透過性のあるものでは実際は検波できないんですか?

「実際どの鉱物が一番感度がいいんだろうって調べてみたんです。だいたい透明な鉱物に電気が通るって想像つかないですよね。基本的に絶縁体では検波はできないわけだし、電気が通るということは自由電子があるということで、大抵の場合金属光沢を持っているものですからね。

ジンカイトは、まだ ソ連がある頃、ポーランドの亜鉛精製工場の煙突に結晶化して付着していたものを一年に一回カキ落とし、西側に流通させたものだと言われています。逸話何ですけどね。ぼくが買ったのは80年だから、当時は謎の鉱物ジンカイトとして買い求めていたんです。

ジンカイトって紅亜鉛鉱(ZINCITE)と同じスペルなんですね。ジンサイト(紅亜鉛鉱)というのは、ニュージヤージーにあるフランクリン鉱山以外にはほとんど産出されない珍しい鉱物で、紅いのはマンガンが含まれているからなんです。

ジンサイト(紅亜鉛鉱)。アメリカのニュージヤージー州にあるフランクリン鉱山以外にはほとんど産出されない珍しい鉱物で、赤色部分。マンガンが含まれているためこの色になる。

ジンサイト(紅亜鉛鉱)。アメリカのニュージヤージー州にあるフランクリン鉱山以外にはほとんど産出されない珍しい鉱物で、赤色部分。マンガンが含まれているためこの色になる。

その紅亜鉛鉱は鉱石ラジオの検波に使える感度のいいものの一つなんですね。それで、ある日『まてよ、ジンサイト(紅亜鉛鉱)とスペルが同じなら、ひょっとして感度が出るんじゃないの!』と思ったわけ。透過性があって全然似てないけど同じZINCITEなら検波できるかもしれないと。ジンカイトは紅亜鉛鉱と同じ酸化亜鉛なんです。で、ちょっと実験してみると、透明なジンカイトでもちゃんと電気を通すことがわかったんです。ジンカイトは通常入手できるものの中では、唯一、透過性があって検波に使える鉱物ですね。」

透過性のある結晶ジンカイトで通電の実験をしてみる。

透過性のある結晶ジンカイトで通電の実験をしてみる。豆電球が光っているということは、電気がこの不思議な結晶鉱物の中を通っている証拠です。

オレンジ色に透き通ったジンカイトと人工ビスマス(蒼鉛)の結晶検波器。とても感度がいい。

オレンジ色に透き通ったジンカイトと人工ビスマス(蒼鉛)の結晶検波器。とても感度がいい。

赤色のジンカイトと方鉛鉱の検波器。やはり感度大。

赤色のジンカイトと方鉛鉱の検波器。やはり感度大。

 

*2002年メディア掲載記事より一部抜粋編集し、画像は上の二点は記事からの複写、そのほかは新たに付加しております。

KENJI KOBAYASHI