カテゴリー別アーカイブ: メディア情報

アーティストインタビュー:小林健二さん

小林さんは絵画や立体造形を広く手がけている一方、科学、物理、電気、天文、鉱物学などの自然科学をアートと融合させたような、ちょっと懐かしくて、しかも不思議な仕掛けのなる作品を数多く発表しています。今日、訪ねたアトリエにも薬品や鉱物の標本のようなものがいっぱいあって、実験室のような雰囲気もします。おそらく、小さいころは科学少年であり、工作少年ではなかったと思うんですが、いかがですか?

アーティスト小林健二(文京区のアトリエにて)

「科学少年」や「工作少年」であったかはぼくにはわかりませんが、工作や科学は子供の頃から好きでしたね。今でもそうなのですが、ぼくの中では科学や図画工作、それから音楽と美術というように、どれも分野で分けられているものではないんです。もし、自分の中で多少区別があるとすれば、好きなことと苦手なこと、あるいは興味があるかないかということだろうと思うんです。むしろ美術ならそれ自体が、他の分野から全く独立して存在しているということは考えにくいですよね。

油彩画を描くにしても、木を彫刻するにしても、あるいは電気を使ったり、ぼくのようにある種の結晶を作ることにしても、いつだって何がしか他の専門分野の知識や技術と切り離せないことは多いと思います。光を使った作品を製作する上でも、電気的な構造の部分や工学的なところ、またはそれに伴う金属加工などの作業や、あるいは樹脂などの化学的変化についても、知らないでいるよりはある程度理解していた方が、よりイメージに近い状態に近づける可能性があるわけですからね。

この国がとりわけその傾向が強いのか、ぼくにはよくわかりませんが、ある意味で、いろいろなことをまずはカテゴライズしないことには気が済まないような国民性があるんじゃないかな。

ぼくは絵を描いていたりするけど、作曲をしたり文章を書くこともあります。そうしていると、『どうして美術だけではなくて、音楽や文筆活動やいろいろされるのですか』と聞かれることがあるんです。でも、伝えたいメッセージやそのイメージに何が一番適しているかで表現方法は変わってくるし、そのことに自由でいたいと思うんです。ですから、ぼくにとって技術的な表現の分野を分けることはあまり意味のあることではなくて、何をしたいかといったその内容や必然性の方が重要に思えるんです。」

小林健二作品「夏の魚」
油彩画(自作キャンバスに自作絵の具)

小林健二作品「LAMENT]
(木彫と鉛などの混合技法)

小林健二作品「MINERAL COMMUNICATION-鉱石からの通信」
(作品の内部に設置された小さな鉱物(ウラニナイト)から発する微量の放射能をガイガーカウンターが感知し、モールス信号とも取れる発信音が作品から聴こえてくる)

小林健二結晶作品
(自作の人工結晶)

小林健二結晶作品「CRYSTAL ELEMENTS」
(透明なケースに封じられた水晶液中の結晶が、季節を通して成長や溶解を繰り返す。画像は展示風景)

小林健二作品「IN TUNE WITH THE INFINITE-無限への同調」
(窓から見える土星が青く光りながら浮いていて静かに回っている作品。内部はおそらく電子部品に埋もれている)

小林健二動画作品「etaphi」

小林健二音楽作品「suite”Crystal”」
(ミニマルミュージック。個展会場などで流すことが多い。現在ではCD化しているが、当初は降るように音が脳裡に浮かび、急いでアトリエにあった録音機(テープレコーダー)に、これもアトリエにあったピアノで収録。)

小林健二著書「みづいろ」
(実話を元に綴られたもの。活版印刷で、装丁も小林がしている)

様々なことに興味があるというのは、小さいころの体験によるのではなかと思います。遊びとしてはどんなことをしていたのでしょう?

「みなさんと同じで、いろいろとしていたと思いますが・・・(笑)。ただ熱中していたことはいろいろあります。例えば恐竜や鉱物について調べたり、飛行機の模型やプラモデルを作ったり、プラネタリウムに行ったり・・・。自分の大事な思い出は、その大部分が子供の頃にあるように感じます。ですから、例えば文章を書いたりすると、『子供の頃は・・・』という書き出しになってしまうことが多いんです。それから、昔の友達にあったりすると、『ケンジ、お前は子供の頃と全然変わってないな』ってよく言われちゃう。これは進歩がないということでもあるんでしょうが、おそらく、ぼくの中ではまだその頃と変わらないものがずっとあって、ぼくには子供の時に感じたたくさんのことが今も大きく影響しているところがあるんでしょう。多分これからもそうなのかもしれません。そもそも人間なんてそう簡単に変われるものでもないだろうし、『三つ子の魂百まで』なんて言うでしょう。」

小・中学校での美術教育の体験について尋ねたいんですが、何か記憶にあることはないでしょうか?

「学校時代に図工・美術の時間ではとにかく、放っておいてくれたという感じでしたね。でもだからこそ自分のやりたいことがはっきりしていた場合、とても楽しかったし、やりたいことが見つかるまでは待っていてくれたように思います。そして少なくとも描き方を強制されるようなことはありませんでした。

『子供のころに何に影響されましたか?』とか『どんな画家が好きですか?』ということを時たまインタビューでも聞かれるんですが、ぼくが影響を受けた美術の作家というのは、あまりいませんでした。絵を描くこと自体は好きでしたが、画家になるんだって気持ちで描いていたわけではないように思います。その一方で自然科学には子供のことから興味がありました。もちろん子供にとって『自然科学』なんていう概念はありませんけど、これは一つの資質だと思うんです。とにかく、星や鉱物、要するに天文学や地学に関することや恐竜などの古生物に関することが好きでした。それで小学生の時には、上野の科学博物館に行ってそういうものを見るのが何よりも好きだったんです。」

小林健二のアトリエ
(色々な道具に混じって望遠鏡が写っている)

小林健二アトリエの一角
(机には顕微鏡や鉱物も見える)

また美術の話に戻してしまいますが、絵としてはどんなものを描いていたんでしょうか?

「実は今でもそうなんですが、とにかく怪獣とか恐竜の絵が好きでした。それで、図工の授業でどんな課題が出ても何かとこじつけて怪獣や恐竜を描いちゃってました。例えば、虫歯予防デーのポスターを描くなんていう課題は、ひょっとしたら今でもあるかもしれませんが、そんな時にも、ブロントサウルスが歯磨きをしている絵なんか描いたんです。でも、ブロントサウルスというのは手が首ほどには長くないので口まで届かない(笑)。それでうんと長い歯ブラシにしたりしました。これは結構先生にもウケましたけど(笑)。でも、それはもちろん例外で、いつも怪物ばかりしか描かないで、おそらく先生も困られていたと思います。」

小林健二作品「描かれた怪物」
(板に油彩、紙、木、他)

ごく普通に考えると、美術や音楽が好きなことと、自然科学に関心を持つことは、子供にとってはやはり意味が違うのではないかという気もします。電気や天文や昆虫に興味を持つことには、それらについて新しい知識を獲得していくという喜びがあり、それは絵を描いたり楽器を演奏する楽しみとは異質なのではないでしょうか?

「ぼくはそのように分析して考えたことはないですね。初めにも言ったように『自分にとって好きなことと苦手なこと』という基準が何よりも大きいんです。『好きなこと』とは自分にとって『楽しいこと』、あるいは、『感動できること』と言い換えてもいい。夜空を見て星が綺麗だなと思ったことや、冷たく光っている水晶の結晶に見とれてしまうような感覚が最初にある。電気というのはもちろん物理学の一つの分野ですけれど、ぼくにとっては、フィラメントが光って綺麗だというのは、星が輝いていることの美しさとどこか通じているわけだし、あまり違いはないんです。

ものが光る理屈にはいろいろあります。星やホタルも、LEDや月も雷もそれぞれ異なった方法で発光しています。でもぼくにとっては重要な問題じゃない。肝心なことは、それを見てどう思えるか、そこへすうっと気持ちが引き込まれていくかどうかということなんです。でもその後さらにその不思議な現象にまるで恋でもするように深く知りたく、また近づきたくて科学の世界に足を踏み入れたとしても不自然なkじょととはぼくには思えないけど・・・。

だって、考えてみれば、もともと子供にとっては、そういう分野わけはないわけですよ。だからこそ、そういうことを教える必要があるという立場も一方はあるでしょうけど。たとえがホタルが光るというのは、一見、物理的現象でしょうが、実はあれはルシフェリンとルシフェラーゼという物質によって発光しているわけで、有機化学の問題になってきます。これはLEDが通電により電子のぶつかり合いによって発光したり、太陽中の水素がヘリウムになるときに熱核融合反応により発光していることと、それぞれに違っている。だけど、そういうことはあくまでも理論であって後からくる。まずはそのことを知っていなければいけないということではないし、そういう知識がなくとも、子供たちは、ホタルが光ることを綺麗だと感じたり、不思議だと思ったりするわけでしょう。

これは、おそらく美術の場合でもまったく同じだろうと思うんです。例えば、名画というのは、あらかじめ認められた価値のあるものだから尊いのではなくて、子供の目から見ても、そこに面白さや美しさが感じられることに意味があるのだという気がします。いくら値段の高い絵だって、『これは価値があるから感動しろ』というのはおかしい。作品を受け取る子供達の中に興味や関心が培われていなければまったく意味がないだろうと思うんです。」

おっしゃることはよくわかります。ただ、教育の主要な目的として、文化遺産の世代間伝達ということはあると思うんです。ですから、まず知識を持津ことで、一層興味を喚起されたり、深い感動につながるということもあるように思うんですが・・・。

「それはあるでしょう。でも、ぼくは感動することの本来の意味についてお話ししているわけです。ホタルの発光がルシフェリンとかルシフェラーゼという物質の反応によって起こっているということは、さっきお話ししましたけれど、それで全てが説明されたことになるでしょうか。DNAの主要な物質であるディオキシリボ核酸は、アデニンやシトシンやグアニンやチミンといった物質によってヌクレオチドを形成していますけれど、どれが分かったからといって、生命現象が解き明かされたとは誰も思わないでしょう。同じように仮に人のゲノムが完璧に解読されたとしても、それによって人の心が理解できるというものじゃない。ですから、知識によってわかるといったところで、それはあくまでもごく狭いフィールドにすぎません。でも大人たちはそこでいかにも分かったような気にならなければいけないと思っているんじゃないでしょうか。」

小林さんの作品は子供達にも人気があるのではないかと思うんですが、展覧会などでの子供達の反応はどんな感じですか?

「ぼくの作品がどれくらい子供達に人気があるのかわかりませんけれど、興味を持ってくれる子供は結構いるという話は聞きます。自分が面白いと思ったものにじっと見入ってくれている子を見かけたことがあります。そういう様子を見ていると、子供の頃ぼくが博物館の陳列物に惹かれたのと同じように、自分の心の中の何かを探そうとしてくれているような気がしますね。」

小林健二展覧会「PROXIMA(ARTIUMにて)」の一室風景

今、話を伺っているこのアトリエには、鉱物の結晶や化石、星座板とか昆虫の標本やおもちゃのようなもの、それから薬品やいろいろな道具がたくさんありますよね。また書庫の方には、化学実験や自然科学に関する書物を始め、ありとあらゆる本が並んでいます。『おもちゃ箱のよう』という表現はありきたりかもしれませんが、とにかくここにいると小林さんの個性的な世界を感じます。これは、言わばモノが何かを語っているのではないかとも思えます。ただ、モノの世界というのは実はアブナイところもあって、最初の興味から離れて集めることが目的になってしまうことが、子供のコレクションなどではよくありはしませんか?

「それは、例えばチョコエッグのおまけで1番から3番と5番と6番が揃っていると、抜けている4番がどうしても欲しくなっちゃうようなことでしょ(笑)。ぼくにはそういうことは全くないですね。また本や鉱物標本などは、見る人によっては物質としのモノに見えるかもしれませんが、ぼくにとってここにあるもののほとんどすべては、いわばこの世とは一体何かを知る、あるいはそれに近くための手段だとも言えるんです。ですから、本たちの中にある見えないはずの風景や標本たちから感じる不思議な存在の意味のようなものがぼくにとってはとても大切なのです。それが結果的に集まってくるだけのことなんです。ここにある鉱物の中には、現在は世界のどこでもほとんど採掘されていないため希少価値がある、かなり高価なものもありますけれど、その反面、夜店で売っているようなものもあります。それはその時『どこか心を惹きつける』と思うからつい買ってしまうんです(笑)。

ただここで大事なことは、美しいと感じるものに出会うという体験はとても大切だということです。なぜならそれは人によって全く違うものであるか、あるいは共通する部分があるのかを感じることでもあるからです。子供でも大人でもその人がどこに惹かれたり気になったりする事柄や出来事に、その人の個性や核心に触れるヒントみたいなものがあるんじゃないか。また現代のように便利や効率が求められると不思議な世界と出会いながら、科学や美術に接してきた歴史もだんだんと経済に取り込まれてきたという感じは否めないと思うし、人間や力のあるものを中心に考えが進んでいくという傾向があると思うんです。

大切なのは、天然の神秘に出会うことによって、ぼくたちがその美しさを感じて生きていく、そういう生き方を決して無意味とは思えないからです。」

小林健二の書庫
(2005年「STUDIO VOICE」記事からの複写)

小林健二アトリエの一角
(薬品や樹脂などの棚)

小林健二アトリエの一角
(実験中の自作結晶などが見える)

一般に私たちは、美術の教育というのは、絵を描いたり彫刻を作ったりする製作体験をもとにした表現行為だと理解している気がしますが、今のお話からすると、美術や美術教育の意味はもっと広く捉えられるというわけですね。

「美術というのは、そこにあるもののことではなく、作品とそれを作る人、それを見て感じる人との関係や、その人の生き方だろうと思います。一方、Educationというのは、ラテン語の『道を拓く』という意味からきていると言われています。人が歩けないような荒野に道を切り拓いていくことです。ただし重要なことは、その道を歩くことを誰も強制されいことでしょう。どの道を選ぶかということは一人一人が判断していかなければならない。明治になって日本語になった『教育』という言葉も奥深い意味を持ってはいますけれども、子供たちに教え、彼らを育んでいけるような見識を持った大人たちが、今はどれだけいるだろうかということが気になります。単に自分たちの価値観を押しつけて「いるだけれはないのか。義務教育という制度にしても、全ての子供たちは教育を受ける義務があるという意味だと理解されているのではないかと思いますが、本当はそうではなくて、これは大人の側に教育制度を整える義務を課しているということであって、子供たちが教育を受ける権利を保障しなければならないということですよね。」

確かに、これまでの教育にはみんなが同じことをすることを通してある到達点を目指していくというような授業が多かったようです。けれども最近ではそれを反省して、図工・美術の授業でも、同一時期の中でも子供たちが自分に合った様々なスタイルの製作を認めていこうという方向になりつつあるようです。

「それは当然といえば当然だけども、いいことでしょうね。だってもし本当に『ある到達点』というのが存在するとしたら、それはある水準に達するという意味ではなくて、それぞれのその人自身に出会えるということだろうと思うからです。例えば、石を見て『きれいだなー』って感心している子がいるとしますよね。それを見て横から『いつまでもそんなことしてないで勉強しなさい』なんて言っちゃうお母さんがいたりしますが、これは違うと思う。そうやってものを見て感動すること、きっとこれがその子の本当の勉強なんです。だってその子はその出来事に出会うために生まれて来たかもしれないでしょ(笑)。そしてその子の人生の目標と方向を発見するかもしれないわけですよ。こう言う時の子供の目はものすごく輝いている。それが、本当に勉強をしている子供の目だと思うんです。」

*2002年のメディア掲載記事(小林健二へのインタビュー)より編集抜粋しており、画像は新たに付加しています。この記事は教育関係メディアに掲載されたため、質問内容が主に美術教育に関するものになっております。

KENJI KOBAYASHI

 

鉱石の結晶を通して遠方の出来事が聞こえてくる

幻のような「鉱石ラジオ」、しかし、現代のテクノロジーの「きっかけ」でもあります。

「ほんと、あれって不思議でおもしろい」と、いつのまにか自分が「鉱石ラジオ」の宣伝マンになっているような気がする。ぼくにとって鉱石ラジオとは、そういう存在です。客観的に捉えていても、素直にほめることができる対象です。

鉱石ラジオとは、回路の一部に鉱物の結晶を用いた受信機(crystal set:結晶受信機)のこと。電池などの電源を必要とせずに、空間に満ちている電波というエネルギーを鉱石の力で感じ取って作動します。20世紀初頭(日本では大正時代の終わり頃)に現れ、我々の生活に定着する間も無く、まるで幻のであったかのように忘れ去られていきました。しかし、現代のテクノロジーを支えるICや半導体のきっかけとなったのも、実は鉱石検波器だった。そう言っても過言ではないと、ぼくは思っています。

鉱石ラジオの検波部は、鉱石に針を当てて電波の流れの中から音声の成分をより分けるというものですが、それがやがてダイオードを構想するきっかけとなり、トランジスターの開発へと繋がっていきます。ところが、そんな鉱石ラジオでも、今となってはほとんど現物に出会うことができません。

英国ブラウニーワイヤレスカンパニー社製の鉱石受信機。1920年もので、BBCマークが入っている。
小林健二「ぼくらの鉱石ラジオ」より

誰もが工作を楽しめるように、ぼくなりの方法で解説してみました。

『ぼくらの鉱石ラジオ』と題した本には、実際に欧米や日本で作られた製品の姿を紹介しつつ、自作のラジオを交えて読者がそれぞれ工作できるように方法を紹介しています。

小林健二「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」

小林健二「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」工作編

銀成硝子検波器(小林健二の自作検波器)
金属の蒸着メッキにより作られるハーフミラーを用いた検波器。銀色にまたは半透明へと移行する質感が美しい。検波できるものは我々の身近にいろいろある。

また、歴史や回路の原理研究編を設けているというのも、この本の特徴です。

例えば、受信の際に同調回路がないと、放送局を選択することができません。そこでコイルとコンデンサーによって同調回路を作る。しかしなぜ、コイルとコンデンサーにより同調し、局を選択する回路ができルノか、・・・こういうことを調べようと思うと、工学の専門書に当たらなければならなくなります。結局、ぼくは文字よりも数字の方が多いような電子工学の本を読むことになりました。読みながら、少しづつ実験していくと、今度は、もっと平易な言葉に置き換えてみたいと思い始めたのです。

もちろん、今思えば、全く見当がつかない世界ではありませんでしたが、この工作編には予想以上に時間がかかってしまいました。

よく鉱石ラジオだと思われているゲルマラジオ(検波回路に鉱物の代わりにゲルマニュームダイオードを使う)については、このぼくも工作体験者でした。ただし、細かな作業がそれほど得意ではなかったし、デンキ屋(実家)のケンちゃんとしては、「ラジオは鳴って当たり前、鳴らなければ修理に出す」という感じで、学校の授業時間でもあまり真面目に作らなかった。そんなこんなで、中学へ入ってからはサッカーに明け暮れたという次第です。

少し遠回りをしたものの、20代になって意外にも音楽の趣味から鉱石ラジオへの道が再び開けてきました。バンド仲間とエフェクター(音質等に変化を与える電子機器)を作ろうと、秋葉原の電子パーツ売り場へ。やがて失敗しながらも、連日の秋葉原参りが続くうち、ついに電気の虜になっていきました。こうした体験を手掛かりに、今回の本について書くことができたのだと思います。

初心者にもわかりやすいようにと、結構苦労して書いた工作編は、ぼくが本当に伝えたいことへの、何らかのきっかけになっているような、そんな気がしています。

 

鉱石標本式受信機(小林健二の自作鉱石ラジオ)
検波できる鉱石を探しつつ思いついた標本箱タイプの鉱石ラジオ。タンタルの金属針を鉱物に触れさせていくと、検波できるものとできない鉱物があることがわかる。

超小型実験室型鉱石受信機(小林健二の自作鉱石ラジオ)
鉱石ラジオを設計したり実験するために必要な部品や教材が組み込まれた、待ち運び可能な小さな実験室。

超小型実験室型鉱石受信機(小林健二の自作鉱石ラジオ)
フロントパネルをはずして中に入っているものを出した時の様子。

超小型実験室型鉱石受信機(小林健二の自作鉱石ラジオ)
引き出しには実験用の鉱物各種。

この世の不思議を体験するため「趣味の時間」のすすめ。

どんなに忙しい人も、ぜひ「趣味の時間」と言える一時を持って欲しい。そして工作する楽しみを知ってもらいたい。取り組んで見れば、誰にもできるんだということを体験して欲しいです。

写真や図を見ながら、擬似的に工作を体験するだけでもいいのかもしれません。それでも、結構くつろいでもらえるはずです。

聞こえるはずのないと思えるものが、聞こえてくる不思議。放送が始まる当初は、本当に「デンパ」などがこの空中を飛んでいるのか、一般の人にとっては不思議極まりないものでした。通信関係の人でも、説明するのは難しかったのかもしれません。また当時は、ラジオはたいそう高価なもので、おまけに聴取料がバカ高い。今の一般家庭に例えてみると、一軒で数万円も払う計算になります。鉱石ラジオは材料さえ手に入るなら、それぞれ工夫して自作できます。その自作のラジオから実際に放送が聞こえて来れば、得をした気分だろうし、それ以上に、すごい感動があったはずです。聞こえるはずのない遠くの声や音が、鉱物というごくありふれて見えるものによって聞こえてくる!

実際に聞いた人たちは、日常の中に何か目に見えない神秘があるのだと感じたのではないでしょうか。

本来の「通信するこころ」を感じるために、目を向けたいものがあります。

本来、通信事業というのは、そのままでは届くはずもない遠くの人に、できるだけ早く言葉や思いを届けたいという純真な心に始まりました。ところが政治や経済に取り込まれるとともに、巨大化していったのです。そして現代においては、便利とうたわれる通信ネットワークという情報の海の中に「孤独の部屋の住人」を生み出し始めているようです。

鉱石ラジオを作ることは、遠くの声をもう一度手元に取り戻し、確信しようとする手段でもあると思います。それは人によっては、果てしない宇宙とか、限りある人生の意味を考えるための、深く尽きない材料を提供してくれるでしょう。とても他愛なく、世の中の確固たる力に比べれば、希薄で壊れやすくもある一つの受信機ですが、そういうものこそ、現在のぼくたちが目を向けるべき大切なこのの一つではないのかと思います。

スピーカーから聞こえてくるはずの音が、ある時聞こえなくなったら、耳を近づけ、ラジオの具合をうかがうでしょう。正常な状態に戻るには、自分は何をすれば良いのか、どうすれば役立てるのか考える。そういう係りの象徴として、鉱石ラジオのことを考えて見てください。こちらが作用しなければ聞こえない。だけど、こちらが係わっていけば、しっかり応えてくれます。

いつか縁あって、あなたが鉱石ラジオに出会うことがあったら、そしてその手にエナメル線やハンダゴテが握られるようになると、次はきっと、今度なぜ電磁波は存在し、また電気とは一体なんなのかを考えるようになるかもしれません。

宇宙の神秘に邂逅する、そのための何らかのきっかけとなることを願って、ぼくは「鉱石ラジオ」のことを多くの人に知ってもらいたく本を書きました。

小林健二

*1998年のメディア掲載記事より抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

*この記事から想起した小林健二作品を二点紹介してみます。

 

「MUSIC IN MIND」小林健二
混合技法 mixed media 135X150X100mm 
(鉛色の箱に耳をあてると、かすかにオルゴールのような不思議な音楽が聞こえてくる)

「WIND OF MIND」小林健二
混合技法 mixed media 440X260X200mm
(上部のラッパ状の部分に耳をあてると、かすかに彼自作のオルゴールのような曲が聞こえてくる)

KENJI KOBAYASHI

小林健二インタビュー記事

ーものを作るとか描くことに、いつ頃から、どのような形で関心を持ったのでしょう?

「ぼくは子供の時に対人恐怖症で、ひどくあがり症だった。自分の気持ちをうまく人に喋って伝えることができなかったけれど、絵を描いている時には開放感があって気持ちが楽になったんだ。」

*小林健二の13歳違いの兄は、当時カメラマン志望で、時々幼い健二がモデルになったようです。残存する写真から2枚選びました。(写真:小林直紀)

ー天文とか科学に対する興味も、同じ頃に培われていたと思うんですが、家庭環境とか出会いのようなものがあるんでしょうか?

「いろいろ思いかえしてみたけれど、それは単なる気質なんじゃないかな。本当にもの心ついたときから科学博物館に行くのが好きだったし、虫や星や植物を見たり、石を拾ったりとかね。科学博物館には恐竜の部屋以外に鉱物の部屋もあった。そこで見る一連のものが興味の対象になっていったんだと思う。」

*小林健二が通っていた頃の国立上野科学博物館の外観画像です。

ー小学校の図画工作の時間は、どんな感じで過ごしていましたか?

「小学校の時は作るものを何か理由をつけて怪獣にしちゃったりするんで、子供ながらに先生にはごめんなさいという気持ちがあったんだけど、小学校の美術の先生も中学の時の先生も共に女性で、ぼくの描きたいものを抑えないで好きなように描かせてくれたと思う。それは今もいい思い出としてあるよ。それから小学校の時の先生は、銀座には絵を飾ってあるところがたくさんあるから一度行ってみようとと言って、日曜日にバスで案内してくれた。そんなとき好きなことを絵に描いてもいいんだ、という気持ちになったと思う。」

ー小中学校の段階で、もし先生がそういう対応をしてくれる人じゃなかったら、ちょっと変わっていたかもしれないですね。

「そうでなかったことを想像するのは難しいけど、ぼくみたいなものでも絵を描いたりすることによって人とのコミュニケーションが可能になるんだと信じさせてくれたことはあると思う。子供の時に自分が自由でいられたというのは大きいと思うね。」

ー美術の世界に接触するまでの話をもう少し聞きたいのですが。

「いつも絵を描いたりするようになって、ぼくが描きたいのは日常的な景色じゃないということを自分なりには感じていた。昔から、絵でも抽象的に見えるような作品を作っているんだけれども、ただ造形的な意味での抽象というよりは、すでに心のなかで抽象的にしか表現できない題材が多かったような気がする。

それはぼくは音楽が好きで、曲を作ったり、友達とバンドをやったりしていた。そして音に変化を与えるエフェクターを作りたいとも思っていた。当時、高くて買えなかったからね(笑)。そんなことが電気工作と出会うことになったりもしたんだ。」

*電子工作をする小林健二

ーでは、音楽に関してはかなり熱心だった。

「それは音楽が好きな普通の高校生や中学生と変わらないんじゃないかな。でも実家がレコード屋の関係だったからレコードがすごく安く買えた。ギターを弾くのが好きだったから、例えばジャフ・ベックをコピーしたり。今はあまり指が動かないと思うけど。あとはイエスやピンク・フロイドやP.F.M.、キングクリムゾンとか。ピート・シンフィールドの詩が好きだった。

ただ、自分で作る曲はミニマルな曲が多くて、サウンドとして広がりのあるものが好きだった。その頃は、みんなが言うように自分が絵を描くときの意識やヴィジョンと、音楽に感じてたり詩などから感じる世界とは分離していたように思っていたけど、やっぱりぼくにはだんだんそれらを隔てられなくなっていったんだ。」

*自作の曲 suite ” Crystal”と小林健二結晶作品とのコラボ動画です。

CRYSTAL-ELEMENTS from Kenji Channel on Vimeo.

ー私は最初の個展を知らないんです。

「最初の個展は、1984年で『UTENA』というものだった。その展覧会では、紙を漉いた立体的な作品に、自作の音楽をバックに流した・・・。トータルな環境を設定したいという気持ちがあってね。」

*小林健二初めての個展「UTENA」で展示された作品。 自漉紙、混合技法。

ーそれは今も変わってないですね。むしろスケールがどんどん大きくなってきている。

「ぼくは自分のペースで仕事をしたいという意識があって・・・。人からは、どんどん拡大して美術の業界にも積極的にかかわって大きいスペースで大きい作品を作っていったらいいのにと言われることも多いけれど、ぼくの場合、巨大なスケールの環境も、逆に小さいものを自発的に覗き込むというスケールも、共に両方のプロセスが大事なんだ。だから、大きくても小さくてもやりたいことがあると思う。」

小林健二個展『黄泉への誓(ウケヒ)』1990 Gallery FACE

小林健二が子供の頃から魅かれていた神話の中でも古事記や上記(ウエツフミ)に題材を求めた展覧会。数多くの作品が発表されたがそれらは個々のエレメントに対応して、全体的に一つのテーマを構築している。

水戸芸術館『BEYOND THE MANIFESTOー美術とメッセージ』展より
小林健二の展示「You are not alone」

 

水戸芸術館の展覧会『BEYOND THE MANIFESTOー美術とメッセージ』展におけるインスタレーション。旧約聖書の『ヨブ記』をテーマにした。小林はヨブ記の中に描かれている神は時折理不尽なほどに人間に対する不信から、人々を試しているように感じるという。また神にすら葬ることのできない陸と海の怪物(ビヒーモスとリバイアサン)は、共にいつの間にか死に近づいていく現代の天然の姿を暗示している。

ー見る側の立場から言うと、大空間で出会った作品が、必ずしもインパクトが強いと言うことは全くないですからね。

「そうだね。そして空間だけでなく、素材にしても適材適所があると思う。鉛やガラス、紙や絵の具などに対しても、場合に応じて扱い方や接し方が違ってくるし、工具やプロセスも違ってくる。

そして、それぞれの素材が持っている特性や魅力があるよね。でも大事なことはフィジカルな技術の問題じゃなくて、心の中にあるものと素材を結びつける方法というか・・・。イメージにいかに近づけていけるか、嘘をつかないで素直に表現していけるかという上でとても重要なことだと思う。でも技術が先行して表現が成り立つということはありえないんじゃないかな。表現力は一種の技術ではあるとは思うけど。」

ー小林さんのように多くの素材を自分の中で咀嚼し、作品として形成するアーティストは非常に珍しいですね。しかし真鍮を使っている人の場合でも、何が真鍮をその人に選ばせたかというと、紛れもない観念だったりするわけです。

「そうかも知れないね。ぼくのいう技術というのは、音楽なら音楽に対する上での表現力としてであり、それは楽器を弾くことについてだけではなくて、音楽を感じる感性でもある。例えば紙を切らせたら達人という意味の手わざとしての問題じゃなくて、あくまでもどうやって心の中にある目に見えないものを引っ張り出そうかという気持ちから生まれてくるもの。そのプロセスがとても大切だと思う。どれが今の自分の求める方向に一番ふさわしいかということだよね。だから木を彫らせたら彼だとか鉄を使わせたら彼だという意味での技術は、ぼくはあまり持ち合わせていない。」

ーでも先人の技術や知恵に対する尊敬の念はいつもあって、自分でも自覚している部分があるわけでしょう。

「『職人』という言葉の本来の意味は単なる技術だけじゃなくて、思考とか生き方とか、その人自身が持っている許容量とか、色々なものが関係してくる。それに対して、同じようなことだけをただ機械的に繰り返すという意味での職人のファクターが、今は必要以上に拡大されているような気がするけど。」

ーそれはアーティストにも言えますね。

「イメージよりも先に決まったスタイルを自分で作って、ただそれをやっていく場合はね。まさにルーティンワークになってしまうからね。だって馴れてくるんだから。どんな表現方法だって、最初にやった時の緊張感はだんだん薄れていくよね。表現者としては、緊張感がだんだん薄れて穏やかな状態で制作するということでは安定してるけど。自分らしい表現を取り入れていこうとするときに、誰だってそう最初からすぐにできないわけだよね。考えることも必要になるし、色々試みなきゃいけない。ところが、その熱意をずっと維持させるのは、自分にどうしてもその表現が必要だと感じる意識な訳でしょう。でなかったら、あえてそんな表現を取らなくたっていいんだものね。

自分が持っている技術やスタイルだけを行使し、自分の砦を作っていこうとすると、多かれすくなかれ、排他的になったり、自分の砦を守るためにやらなきゃいけないことが出てくると思う。それが成功すると一つの権威になっていくんだろうけどね・・・。ぼくは一人の表現者でしかないし、ある種の霊媒のようなもんだから、自分は一体何をしたいんだろうということを探しているのかもしれない。」

*道具好きでも知られる小林健二。骨董市などでは道具の店に集中的に目がいく。作業中での散策なのか手には絵の具がついたままです。

ーずっと探しているのですね。

「おそらく・・・。ぼくが作品を作るということは何かを探すことだと思う。物質を扱う以上どうしても技術は必要になってくる。だけど目に見えない部分を感じ取れる作品であることがぼくにとって大事で、例えば一本の木でも、風景でも、それは魂を乗せる船みたいなものなんだ。「仏つくって魂入れず」という言葉があるけど、大切なことは、形としてはなかなか表現しずらもの、目に見えないものを表現すること。当たり前のことなんだけど、コミュニケーションをするための一つの発露、それに音楽とか絵を描くという行為が連なっているんじゃないかな。だから絵描きとして描くという行為の上に美術というものが成り立っているんじゃなくて、すごく根の深いところで、人間が生きるためのコミュニケーションのための一つの手段が、絵を描いたり歌を歌ったりすることなんじゃないかな。」

*小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」

ーここしばらく本の執筆もあって、あまり個展を開催されていませんね。

「作品は作っているんだけど、ひそひそとやるのが好きなんです(笑)。正直、それがぼくの問題だと思う、良くも悪くも(笑)。・・・」

 

 

『夜と息』1986年より「見えない展覧会」として秘かに執り行われた活動の一端をテーマにしたもの。その内容は詩集のような形で著した「みづいろ」に詳しい。

*小林健二著「みづいろ」より『夜と息』の頁。この後にも何ページか続いています。以下抜粋
ここの処何年か、眠れぬ夜などに募(おも)いが募り、いつかこの寂寥感を解放して行かなければ身も心も窶れてしまう。その法を行うについて、不当とは知りながらも、時期(とき)は今成り、と思い試みる。・・・

*2016年6月にトークと合わせてミニライブが行われ、その時の画像です。

“Erbium” written and vocal+guitar by Kenji Kobayashi from Kenji Channel on Vimeo.

 

*1998年のメディア掲載記事より編集抜粋しており、画像は新たに付加、キャプション*印部分はこちらで記しています。長い記事のため今回は前編とし、近日中に後編をアップ予定でいます。

KENJI KOBAYASHI

ぼくのすすめたい本

生きていくということは、それ自体が人間にとって宇宙の真理を探っていくことになるのです。

ぼくのすすめたい本のなかに「宇宙をとく鍵」というのがあります。この本では宇宙の力や電磁力といった宇宙のニュアンスを知ることができます。そして、宇宙の真理が、実はどこにもないということに気づくのです。なぜなら、人間が生きていくこと自体が、宇宙の真理を見つけようとしていることだと思うし、人間の無意識の行動が、実は人間自身の感性や精神を探る現象だったりする。全ての謎解きの答えが書いてある本は、一つも存在しないと思います。

ただ、ぼくたちが何も考えないでいたら、地球の形成自体がなくなってしまう。歴史の意味も不必要になってしまうでしょう。BBC科学シリーズのこの本は、古本屋に行けば見つかるので、ぜひ読んでほしい。

宇宙の不思議と同じように、神秘や超能力があります。これらは、人間が本来生きるために備わってきたもののような気がする。人間は生命を維持しようとするがために、自分たちが証明できない能力を持っているはずなんです。これは、不思議でもなんでもなくて、事実、地球上に人間が存在していることからもわかる。

例えば、自分の細胞膜を全部解いていったとしても、自分というものを見つけることは非常に難しいし、感性や精神を取り出すことはできないでしょう。

宇宙というものは、人間や自然が全体の一部であってそれらがその中に存在しているということ。ぼくたちが想像できる善や悪も、この宇宙に、あるいはぼくらの中に持っていることでもあるわけだから。

自然が破壊されていくことが、今、自分には関係のないことではないとの認識も必要かもしれない。

ぼくたちの生命は、ただ単純に存在しているのではなく、過去のいろいろな積み重ねによってあるものだから、それをぼくたちだけで終わらせてしまうことは許されないでしょう。

ぼくたちがなぜ生きているか、なぜ生きようとしているのか。そう問いつづけることは、自分とは何かを探ることに他なりません。答えの出ない問いを、これから先の人たちに送り綱いでいく。それがぼくたちの生きている意味のような気がする。

小林健二(1989)

小林健二

「アンネの童話集」小学館
アンネ・フランク

ナチスの迫害を受けたアンネ・フランクの童話集。この物語には、物事に対する鋭い洞察力が含まれています。人間は、人種で感性に差があるとは思えないし、特殊な状況の中でしか、このような物語が生まれないわけではないと思う。戦争に生きた人の残した形を読み取ることは決して無駄にならないのです。

「空気の発見」角川文庫
三宅康雄

空気の疑問をわかりやすく、多角的に解き明かした科学の本。著者は科学教育が科学史と結びついてなされることを主張する三宅泰雄。本書は、空気をつかむまでに長い苦労があったことをエピソードを交えて優しい文章で語られている。空気の重さや色、窒素や酸素の発見など、40のテーマからなっている。

「星の王子さま」岩波書店
サンティク・ジュペリ
*画像はフランス版

幼い頃手にしたことがある「星の王子さま」は、意外と読んでいない人が多いかもしれません。読んでは見たけれど、感じ取れない人がいるような気がするのです。もう一度読んでみることをお勧めしたい。かつて子供だったことを忘れてしまう大人にならないために、「星の王子さま」は大切な一冊です。

「ゴジラ(初代ゴジラ)」東宝 *書籍ではないですが、小林健二に影響を多大に与えた映画です。

これは怪獣物語ではない。戦争の苦しみと憎しみと悲しみから生まれたゴジラは、実は被害者なのです。つまり「ゴジラ」は反戦の映画だった。海底に眠っていた恐竜が、水爆実験の影響で怪物と化し、東京を襲う。

*ほかにもこの記事の中では、おすすめ映画として「2001年宇宙の旅」をあげています。

*1989年のメディア掲載記事を抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

 

 

科学と魔法の境が曖昧な時期の発明

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ」筑摩書房
*カバーを外すと、中に不思議な色に発光する水晶の写真。

20世紀の初頭に生まれた鉱石ラジオは、半導体工業の原点となったものだ。原理的には電池などの電源がなくても、電波をキャッチすることができる。

「鉱石ラジオは電気工学の黎明期に誕生したもので、原理は本当には解明されていません。すぐにダイオードができて、研究が途中で放棄されたのです。それっきり、すっかり忘れられてしまいました。」

この本には鉱石ラジオの構造と作り方が実に丁寧に解説されているだけではなく、鉱石ラジオにつながる様々な電気的発見、発明の物語や、通信と社会との関わりの歴史が盛り込まれている。美しいカラー図版で収められた昔の、鉱石ラジオや小林さんのオリジナル鉱石ラジオが眺められるのも楽しい。

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ」より(小林健二の鉱石ラジオのコレクション紹介ページ、何ページかに渡り鉱石ラジオが登場する。)

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ」より(自作の鉱石ラジオの紹介ページ。自作不思議ラジオはまだまだ登場する。)

「構造さえわかってしまえば、単純なものから始めて、複雑なシステムに改良することが可能です。この本を趣味の時間、リラックスすることに生かしてもらえればと願っています。読んでくれた人が、自分の作ったラジオを孫にプレゼントできると言ってくれたのは、嬉しかったですね。」

小林さんはジャンルや技法にとらわれない表現活動を展開してきたアーティストである。人はみな得意不得意があり、たまたま美術の世界に進んだのだという。

「子供の頃から好きでやってきたことは、自分のペースで高めていけるし、関心や思いの幅が広がっていきます。人それぞれにアクセスの手段が違う、いろんな個性の人がうまく組み合わさっていくように、世の中はできているのだと思います。」

しかし、現在の社会は並列ではなく序列によって、人の関係が作られている。

「科学も田んぼの収益も、何もかもが経済原理の中に組み込まれて、弱いものは切り捨てられている。みんな一つの方向しか見ていないけれど、鉱石ラジオはもっと大事なもっと大事なものがあるかもしれないもう一つの視野、違う世界の象徴なのです。」

小林さんの表現は、そうした異なる空間に見るものを誘う。その表現を側面から支える膨大な蔵書の中には、鉱石ラジオが人々の生活の中に生きていた時代の科学雑誌や書物が、ずらりと並んでいた。

「人間と天然を結びつける本質的なものを興味津々で見直していくって、大切だと思います。自然と神秘、魔法の境がなかった時代の先人の経験なんかから、書物や話を通して学べることはたくさんあると思う。」

*1997年のメディア掲載記事から抜粋編集、画像は新たに付加しています。

小林健二自作の鉱石ラジオ

*以下に、小林健二が製作している不思議な作品たちを何点か紹介します。


「秘蜜商会」HIDDEN HONEY COMPANY
木、硝子、電気など 
230X190X220mm 1993
(1990年に制作された「秘密事業部-Secret Division」という作品を1993年に改名して発表。通電すると、窓にうっすらと人影が動き始めることがある)

「磁束界の距離」DISTANCE OF MAGNETIC FLUX FIELD
混合技法 mixed media 140X110X185mm 1993
(173-181一連の作品は、本来複雑に配線され、また多種の実験ができる装置となっており、いくつかの換算表と書物は、その実験を解説するもの)

「大気の中の隠れた電源」ELECTRICAL POWER CONCEALED IN THE ATMOSPHERE
写真、鉛 photograph,lead 650X465X30mm 1999
大気の中の隠れた電源 静かな実験室。人間による発見。 ここへはもう再びもどらないのだろうか? すばらしき変革。 本当はもうこれ以上ほしくないのです。めざましき発展。 只、静かな思いの世界にいたいのです。 1990 データ;6月1989 / 写真;1990

KENJI KOBAYASHI

 

微小世界への跳躍方

小林健二個展[EXPERIMENT1] Gallery Myu (健二自作の多重焦点 プレパラートを実際に顕微鏡で来場者がのぞくことができる。また壁面には、ピンクのバックライトに光るプレパラート作品が展示された。)

小林健二の自作多重焦点プレパラートと健二の顕微鏡。この場所で来場者はプレパラートをのぞくことができる。

小林健二自作の多重焦点プレパラート

ー顕微鏡の焦点深度って、ものすごく浅くてそこが顕微鏡の扱いにくさだったりするわけですが、小林さんの発表された「多重焦点プレパラート」作品は、逆に焦点深度の浅さをうまく利用していて、大変興味深く拝見いたしました。

「ああ、それはうれしいね。」

ーそもそもプレパラートでこのような作品を制作してみようと思われたきっかけは、なんだったのでしょうか?

「きっかけは一つだけじゃないんだ。小学校の時にプレパラートの下にゴミが付いててさ、気づかす見てたら、そこに焦点があっちゃって。間違えたものを見ててね。それが面白かったんだ。・・ってまた、子供の頃から透明なものを見るのが好きで、ゼリーとかビニールとか半透明のものとかもね。次々と中に入り込んでいくんだよね。ボヤけると次のものが見え、さらに次のものが見え・・・ってなる。」

ーゼリーの中に潜っていくような感覚がある、と。

「そう。そういう楽しみや経験の積み重ねが、後に『多重焦点プレパラート』につながったのかな。」

ープレパラートを本格的に作っていかれたのは、いつぐらいなんですか?

「10代の後半くらいから。その時、染色したり、スクリーントーンを貼り付けたりして遊んでた時期があって。永久プレパラート*を作る技術もあったから、いろんな植物の断片を切り繋いでみたりしていたんだ。その時に、あるものをカバーグラスでおさえて、ステージを上げたり下げたりして見ると、焦点深度によって違うものが見えてくる。これは楽しいよね(笑)。」

ー顕微鏡だからできた『遊び』ですね。

「これのいいところは、二つの切片を比較するときに、本来であればわざわざプレパラートを変えなければならないところを、上げ下げで同時に見られるでしょ。

あとね、『ポケットに入る作品』を作りたかったってのもあるんだ。一回の展覧会に必要な作品が、プレパラートなら30点作ってもポケットに入ってしまう。それまでは何メートルもある作品を作っていたけど、逆に小さなものも作りたかったんだね。」

小林健二の自作プレパラート。顕微鏡写真も健二による。

小林健二の自作プレパラート。顕微鏡写真も健二による。

小林健二の自作プレパラート。鉱物結晶の切片、顕微鏡写真も健二による。

ー実際に小林さんの作品を見てみると、植物などの細胞の美しさに驚かされます。本に載っている写真を見るのとは違い、直接目を刺激する光は、こんなにも美しく強烈な印象を与えるものなんですね。自分の目で観察して見る重要さについて、どうお考えですか?

「まさにそのことで、自分がここにいて何か切片があって、その切片までの距離は変わらないのに、顕微鏡を通すことで急に見え方が変わってくる。ある種の翻訳機というか。」

小林健二の自作多重焦点 プレパラート。顕微鏡写真も健二による。

小林健二の自作プレパラート。顕微鏡写真も健二による。

ー同じものなのに別のもののように感じられうわけですね。

「例えば、いつも食べているタマネギを顕微鏡で見ることで、普段見えているだけじゃない、もう一つの意識・・・チャンネルが増えるっていう。それは無意味なことじゃないと思うよね。今、いろんなものが解明され、それが常識化されている部分って多いでしょ。ウイルスや血液の構造とかね。少なくともぼくらは教科書で見て、『あっ、こういうものなんだ』って思うわけだよね。」

ー実際、自分の目で見た経験をどれくらい持っているかって言われたら、ほとんどの人が持っていないですね。

「そうなんだ。だからこそ、こういうことが顕微鏡を除き始めるきっかけになって、一つでも実体験を増やしていけることにつながればいいよね。」

ー顕微鏡の発明によってミクロへの扉が開かれたわけですが、初めてミクロ世界と出会った昔の人々は、どんな気持ちで顕微鏡を覗いていたと思われますか?

「顕微鏡で何を見るのか、これは人間の生命を見ようとした一つの原形だと思うんだ。だから顕微鏡で探していたのは、人間の心の在処みたいなものだと思う。命を見れないなんて、誰でも知っているよ。だけど見たいっていう願望はある。だからこそ自分の血液、細胞を見たり、動物を解剖して見たり、それで見えるものは、日常の知覚を超えているんだよね。その先に欲するのは『命ってなぜ生きているんだろう』ということ。」

小林健二の自作プレパラート。顕微鏡写真も顕微鏡写真も健二による。

ー生命の神秘に近づきたい。その気持ちで覗いていた。

「植物であれ動物であれ、生命に対する意識っていうのは、昔は宗教の領域だった。それが顕微鏡によって、科学や日常の中に少しずつレールが敷かれて行った。顕微鏡っていうのはかつては生命との交通を、人間が試みようとしたものなんだね。逆に考えると、『顕微鏡を作りえた心』は、執念というか、この『見えないはずの世界を見ようとする機器』を発明してから、今日の顕微鏡に辿り着くまで、たくさんの人の知恵が働いているはず。そこまでして人間は顕微鏡を作って覗こうとしてきた。顕微鏡ができる前は、風邪を引いた、それだけで人が死ぬなんてことがいっぱいあったから、一人での多くの命を救いたいと思ったり、一つでも神秘的な生命原理に近づこうとした人たちが、半ば命がけでのぞいていたと思う。しかも、以前は日中でしか研究できない、晴れたからでき曇ったからできないってこともあった。その日の状態に影響される。ハイリスクは当たり前の中で、限られた時間、限られた条件の中で、やってきた人たちがいっぱいいたわけじゃん。ぼくは顕微鏡が便利で安くなれば、誰でも見られるというものじゃないと思う。見ようとする意志がどのくらいあるかっていうことによると思う。」

ー昔の人は、一瞬一瞬にものすごい執念をかけていたんですね。

「昔の人というということで言えば、顕微鏡を覗いてきた人の中には、当然、歴史に名を残すことなく終わった人も沢山いることを、忘れてはならないと思う。名前の残っていない無数の人々の努力があり、そういう積み重ねは決して無駄ではなく、その積み重ねにより進歩がある。この世は、無名に終わった人々の努力の結晶で成り立っているんだ。」

ー小林さんの言葉にある、『無名的結晶性』ですね。

「みんな、今の世の中は有名にならなければならない、立派にならなければならないっていうんもを刷り込まれている。若い人たちが『どうやったら成功できますか』とか『どやったらメジャーになれますか』って。その気持ちっていうのは、自分というものが生まれてきて、その価値を無駄にしたくないってことから出ているとは思うけど。」

ー無名で終わることを恐れている。

「でも逆にね、どんなにひっそり咲いているように見える花でさえ、咲いているっていう現象から見れば、全然堂々としているわけだよね。また、顕微鏡を覗けば、鉱物の結晶や細胞膜、ケイ藻が、誰かに見せるために美しいわけではなく、ただ存在自身がそこにあるっていうことが確認できる。それは、どんなに光の当たらない生き方をしていても、世の中には無駄なものはないんだ、とぼくたちに教えてくれているんじゃないかな。」

ーとても勇気付けられる事実ですね。

「ぼくは子供の頃から顕微鏡を覗いているけど、自分っていうものがどれくらい価値があるのか問う世界ではないんだって気がしてくるんだ。なかなか出会えない世界に触れているっていうだけで、今日一日が恵まれたような気になる。」

ーそのような満たされ方は、なかなか出来るものではないですよね。

「情報が先行しちゃうと・・情報だけが錯綜してしまうと、それを知らないと自分が取り残されている気になる。文明の恩恵にあずかれていないんじゃないか・・・そんな潜在的なコンプレックスを持ってしまっているのかな。」

ー多くの人が体験しているものは自分も体験しておかないといけないんじゃないかと、思うんですね。

「顕微鏡だけど、これは、中に集約していくものでしょ。何かを覗こうっていう意志がなければ、覗くことができない。漫然と見ることができない。深度も狭い、何をねらうか、はっきりしていなければならない。」

ー目的意識が相当はっきりしていないといけませんよね。

「タマネギの皮を見るにしたって、タマネギを買ってきて、皮をはがして、ガラス板にはって・・・と、明確な意思がないとそこまでやらない。そうすることで、何をしようとしているのか、一つ一つ認識できるわけだよね。だからと言って、タマネギの皮を見て何になるのって聞かれたって(笑)、何になるかはその人次第だと思う。

顕微鏡を通して、何かを探そうとしているのは、自分の内側にあるものになるよね。自分の目で直接見ることで、新しい自分を発見することもあるかもしれない。自分の生き方や考え方をフィードバックして考えるには、顕微鏡はいいアイテムだと思う。つまり、顕微鏡は自分を見るための、『鏡』、自分の内面を写す鏡なんじゃないかな。」

小林健二個展[EXPERIMENT1] Gallery Myu (健二自作の多重焦点 プレパラートを実際に顕微鏡で来場者がのぞくことができる。また壁面にはバックライトに光るプレパラート作品が展示された。正面に見えるのは偏光顕微鏡で、鉱物のプレパラートが映し出されている。)

*2004年のメディア掲載記事を編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

プレパラートと森の友人

複焦点プレパラート製作法について

KENJI KOBAYASHI

”不思議”にこだわる小林健二さん

静かな町並みを通って、彼のアトリエに一歩入ってビックリ。

ノミ、カンナ、ヤスリ、絵の具など、いろんな道具が所狭しと並んでいました。

作品を自分の手で生み出すことにこだわっているうちに、自然に集まったものだとか。

「人間と作られたものとの関係って、永遠に変わらないような気がする。千年以上前に作られたものでも、手で彫られた彫刻は、訴えてくるものがある(円空を小林は好きだと以前語っていたのを思い出す)」

「道具っていうのは、それが作られた国の文化を反映しているんだよね。もっと日本のことをよく知れば、インターナショナルになれるって気がする」

彼の今回の出品作品には「古事記」からテーマをとったものもあります。展覧会のタイトルである「黄泉への誓(うけ)い」と不思議な響きをもつ。

「黄泉への誓(うけ)い」会場写真

「ぼくは下町育ちだから、どちらかというと気が短い方かも・・それでも今の色々なことが進むスピードは異常な気がする。

喉がカラカラに乾いた時に飲む水のうまさを味わう暇さえないような・・・ほんとうに美味しい水を飲む時間を奪われているよう。それってある意味不幸だよね。」

それで時間のゆっくり流れていた昔を取り戻そう、って意味合いの「古事記」ですか?

「古代に帰りたいって意味ではないです。「黄泉の国」ってどうして黄色い泉って書くんだろう?とか、不思議なことを考えるのはとっても面白い。例えば「ヨモツカド」って作品では白い空を描いたんだ。空が白い曇りの日に、影が一つもできないことを発見して、そこで”存在する”っていうのはどういうことかな?って考えたりする。ぼくは”不思議”っていうことに興味があるんだよね。いろんな不思議に興味を持って、それをゆっくり考えることに。」

「ヨモツカド」1990
木に油彩、鉛
2230X2250X160mm

「ヨモツヘグイ」1990
木、合成樹脂、幽閉物、松ヤニ、鉛
112X177X90mm

「KRAKEN- 魚の日」1990 木に混合技法、鉛 1800X4050mm

「離宮珀水」1990
木、油彩、アクリル、合成樹脂、他
1120X1420X390mm

そういえば私たち、いろんなことに追われて”不思議”を考えることってなかなかしない。感覚を研ぎ澄ませて身の回りの不思議に敏感になれば、もっと豊かな時間を過ごしていけるかも知れません。

「アートって人同士理解したい、理解されたいって気持ちから起こったものじゃないかな?だから自分を見直すきっかけにもなってくれたりする。」

下町に生活する人々の元気で温かい雰囲気をそのまま呼吸して大人になったような小林健二さんだった。

*1990年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

 

現代によみがえる鉱石ラジオ

さぐり式鉱石ラジオをつくる(銀河通信社製鉱石ラジオキット『銀河1型』)

ではさぐり式とはいったいどんなタイプのものかというと、まさに鉱物結晶が目に見える形としてあって、そこに針状の接点をまさに感度の良いところをさぐりながらラジオを聴く、という式のものを言います。

今まで国産で作られたキットは、固定式鉱石検波器と言われる太さ1cm前後、長さ3-5cmくらいの筒状のものなどを使用したものもあったようです。

鉱石ラジオは、やはりこのさぐり式が鉱石ラジオたる醍醐味と言えるでしょう。

1、キットの内容は写真の通りで、サンドペーパーや小さなドライバーも入った完全キットとなっています。オマケにはゲルマニュームダイオオードが付いている説明書も入っているので、基本的にはこのままで組み上がるようになっています。しかしさらに小さめのドライバー(ブラスとマイナス)やハンダゴテ、しっかりとナットなどをしめるためのプライヤーなどがあると組み立てやすいでしょう。

2、作業はまずスパイダーコイルを巻くことから始まります。このスパイダー枠箱のキットの特性部品の一つで、まさに大正時代の製法によって黒色特殊絶縁紙を型抜後、一枚一枚高周波ニスで塗り固め田というもので、ファイバー製のものよりも手製の時代をしのばれるような感じを受けます。
手順や方法については、解説書に詳しく書いてあるので、ここではそこに書いていない部分に絞り、述べてみます。スパイダーコイルを巻くコツはとにかくゆっくりとあぜらず一巻き一巻き、きっちりとつめて巻いていく方が良いでしょう。かといって紙製の枠が壊れ流程力を入れてはいけません。回数を数えて巻くのは結構めんどうなものですが、このキットの場合、巻き切れればいいように設計されているので、お茶でも飲みながら楽しんで巻き上げていけます。方向は右回りでも左回りでもお好きな方をどうぞ。

3、中間のタップになるところは、赤と緑の線を10-15cmくらい絡めてから、また同じように同じ向きに巻いていきます。ゆっくりと同じくらいの速度と強さできっちりと写真のような感じで巻き上げましょう。この赤と緑のエナメル線も懐かしい感じがします。

4、コイルの巻き終わりは穴のある羽のところを1−2回ぐるっと線を回してから穴に通すとしっかりします。巻き始めの線、中間のタップの線、巻き終わりの線が、片方の面(同じ面)に出るようにしましょう。

5、ターミナルを付けます。これらはカラーベークのまさに鉱石ターミナルとかつて呼ばれていたものです。もうあまり見かけません。後ろから裏側で線を絡めるため、取り付けるときあまり固く締めないようにしましょう。(この画像は記事を複写しています)

6、バリコンを付けます。もしこのポリバリコンが金属製のバリコンだったら、まさに昔の鉱石ラジオのパーツが全て揃うところです。しかし今日では難しいでしょう。(銀河通信社では単連のエアーバリコンを使用したキットをいずれ発売予定とか)
ただポリバリといっても、すでに線もハンダ付けされているので工作は楽にできます。コツとしては線はいつも時計回りにターミナルに巻きつけること(締めるときに緩まない)と、線はピンと張らず少々たるむように配線することです。

7、バリコンにシャフトを付けます。この際、右にいっぱい回してしっかりネジ込みます。またネジロックや瞬間接着剤で固定した方がいいでしょう。ただ接着剤はくれぐれもはみ出さないようにしましょう。

8、ツマミを右にいっぱいに回した位置で、ツマミの後ろ側から小さなマイナスのドライバーでネジを締めて取り付けます。もっとしっかり取り付けたければさらに大きめのドライバーを用意して締めた方がいいでしょう。

9、鉱石検波器の鉱石の部分を取り付けます。裏側からナットを締めて付けます。まさにこのラジオの心臓部です。あまり鉱石の表面を素手で触るのはやめます。ここには方鉛鉱が使われていますが、方鉛鉱なら全て感度がいいという事はありません。このキットでは銀を多く含んだ特別に選んだ鉱物を使用しています。またその土台にも特殊な合金を使用して、一つ一つ手作業で仕上げています。

10、さぐり式の探る針はタングステンでできています。画像右上のように仮に取り付け、あとで調整します。

11、10の部分を裏から見たところです。S字の銅線ですでに配線されていたり、ベークのスペーサーでコイルを付ける台としているのがわかります。

12、サンドペーパーでそれぞれの線の端と、赤い線の中間部分の配線をどうするのかよく理解した上で、エナメル線のエナメルを剥がします。色のついたエナメルなので銅の色が出てきたらOKと分かりやすくなっています。

13、スパイダーコイルを取り付けようとしています。大きなワッシャーで挟み、ナットをプライヤーなどでしっかり締め、取り付けてください。

14、配線が終わった状態を裏側から見たところです。線の末はタマゴラグの穴に絡めてあるだけですが、この場合はハンダ付けが必要です。ハンダ付けしない場合は、ナットでしっかり他の線と一緒に強く締め付けてください。

15、タマゴラグの穴に線を絡め付けた後、ハンダ付けをした状態です。

 

16、鉱石ラジオ「銀河1型」完成です。

イヤフォンをつけ、アースとアンテナ(アンテナ1とアンテナ2)は感度の良い方を選んでください。鉱石の感度の良いところを探しながら、またバリコンで多少局の分離もできます。色々楽しんで作り、そしてまた本当の鉱物結晶から音が聴こえてくるような不思議な感覚を楽しんでください。(アンテナとアースについての記事を参考までに下記します)

アンテナとアース

これらは鉱石ラジオに使用される天然鉱物です。左から黄鉄鋼、方鉛鉱、黄銅鉱、紅亜鉛鉱。
ぼくは、自著の「ぼくらの鉱石ラジオ」の中で紅亜鉛鉱が一番感度が良いと説明していますが、とてもバラツキがあって実は一概に言えません。全体的に方鉛鉱が無難だと思います。しかし、このキット中のような感度の良い石ばかりではないと思います。下にあるゲルマニュームダイオードで、昔風の感じのものを選んでいます。銀河通信社の「銀河1型」キットについているものとは異なりますが、鉱石と針の部分につければ、ゲルマラジオに早変わりです。

 

*2000年のメディア掲載記事から抜粋し編集しております。

「オーディオクラフトマガジン創刊号」

KENJI KOBAYASHI

 

 

鉱物の魅力

「鉱物の結晶は本来この世に全く同じものは二つとないわけですよね。そうした事実をぼくたちは思い起こしてみるといいんじゃないかな。

明礬で作る結晶の実験なんかでも、本を読んでいると枝のような結晶が付いてできたら取るようにと書いてある。それはとりもなおさず、決まった形に育成していくことがいいと言っているようなものだよね。でもそうじゃなくて、それぞれに美しいと感じられる形があるし、天然現象としてその結晶自身が持っている方向のようなものがありんじゃないかと思うんです。

同じ鉱物が二つとないという鉱物の世界のようにね。そしてそれは、まるで人間がそれぞれの個人の魅力を自由な形で表現できる世界というのが理想だと思うようにね。

同じ種類の鉱物を並べても同じようには見えない。しかも一つの鉱物の中に数種類の鉱物がお互いを排除しないで共存しているものもある。鉱物、いや天然かな、そこには無駄や差別という概念がなくて素晴らしい。人間の世界もこんな風に、お互いを認め合えていけたらいいよね。

黄鉄鋼に褐鉄鋼がくっついていたり、透石膏に褐鉄鋼がくっついて、その後に中が溶けて空洞ができ外形だけが残っているものとかも洗う。珍しい標本だけど、これなんかもある意味で遺影の結晶とも言えるよね。

中心が透石膏でそのまわりに褐鉄鋼が仮晶した後、内部の透石膏が溶去して褐鉄鋼の部分だけが残ったもの。
Santa Eulalia,Mexico

示準化石や示相化石のように、化石だと全てではなくともその年代を同定できる場合があるけど、鉱物結晶はできるものに何千年かかったのか何万年なのかなかなか分かりづらい。それらは大抵光も当たらない場所で、ただただ変化し成長し続けていたわけですよね。

ここに海緑石化した貝だけど、どういう条件が揃えば貝のところだけが変化したり置換したりするのか、とても不思議なことだと思う。

腹足網の化石。外殻が海緑石(Glauconite)に置換されている。(記事を複写)
[Turritella terebralis]
Nureci,near Laconic,Central Sardinia,Italy

そんな神秘的なことがぼくたちの前にあらわれてくる。それを思うと、人間の世界から少し離れて自由な気持ちになれるわけです。

子供の頃から人と同じように物事ができなくて寂しくなったり孤独を感じたりしたことがあったけど、いまはそんな自分を変だと感じないでスムシ、心が落ち着いてきたと思う。

日常で大抵の人が感じる軋轢(あつれき )って、基本的には人間関係ってことが多いんないかしら。そんな時、鉱物の世界は一つの架け橋になってくれるような気がしますね。」

柱状の緑泥石を核とした、ザラメ砂糖のような水晶の結晶
Artigas, Uruguay

ー見た目に美しい鉱物ですが、精神性にまで影響があったりするんですね。ところで、人工の鉱物や宝石についてはどう思われますか?

「鉱物と宝石を趣味にする人ではタイプが違う場合があるように感じます。宝石で偽物を摑まされたとか嘆く人がいるけれど、その人がそれがガラス玉出会っても分からないかもしれないでしょ。それなら、あるがままに存在する天然のコランダムのルビーやサファイヤをあえてカットして磨くより、ガラス玉を付けても見た目には問題ないいじゃない(笑)。

硬度に違いがあるくらいで、もし赤くて透き通っているものとしてだけそれを見るのであれば、天然の鉱物である必要はないかも知れないね。

聞いた話ですが、最近の技術はすごくて、天然のエメラルドにはそれぞれに包含物やスがあるけど、人工のものにはそれがなくて均一だから見分けられていたんだそうです。それが今や、いかにして人工のエメラルドに天然に似た包含物やスを入れるかということになってきて、なかなか鑑定する人も大変だと思うけど、それはそれで天然の鉱物が少しでも助かるならいいなと思うんですけど(笑)。」

ー小林さんは色々な表現活動をされていますが、鉱物をテーマにしたものは作られているのですか?

「ぼくは怪物とか模型飛行機や星を見るのが好きだったし、絵の題材として怪物や透明なものや光ったりするものはよく出てきたし、高校の頃には水晶とか描いていたこともあった。

それは作品として仕上げ用というよりも、ただ好きなものを描いていた感じですね。みんなもそうかも知れないけど、今自分のやっている仕事と、そうなりたいと思っていたことが必ずしも一緒でない時期ってあるよね。でも表現方法は色々だけど、子供の頃から好きだったものってそんなに変われるものじゃないと思うんです。」

ー鉱物に対する思いがだんだんと作品と融合してきたわけですね。

「ぼくはこれまで生きた年と同じくらいこれからも生きているとも思えない。そうすると、だんだんと自分の素性に近いところで生きるようになってきたと思うんです。今までは作品を作ることと鉱物を見るということは意識として別のものだったけど、だんだんと近づいてきた部分があるような気がする。だからい色の変わる水晶の作品とか、鉱石ラジオとか人工結晶を作るようになったんです。

日常の中で記憶って時とともに薄らいでいくようなことがあっても、変わらないで蘇ってくるんです。それで、やっと自分のやりたいことが少しみつかてきたというか、昔のぼくと同じように不思議や鉱物が好きで、鉱石ラジオや人工結晶みたいなものまで興味がある人のために、何かできないかというのが今の興味なんです。

「ついにアブナイ博士の仲間入りをしたな!」とか言われたけどね(笑)

kingdom-kristal from Kenji Channel on Vimeo.

*2002年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像や動画は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

鉱物との出会い

アメティスト(紫水晶)表層の、まるでシュクル(アメ細工)のように小さな濃い紫やオレンジ色の結晶がついた標本。
Amatitlan,Guerrero,Mexico

ー小林さんの鉱物との出会いというのはいつ頃ですか?

「小学校の低学年の頃に、ちょっとした事件というかある出来事があって、そのことがショックとなってひどい対人恐怖症になってしまったんです。

その頃ぼくは恐竜などが好きで、友だちとよく上野の国立科学博物館に行って担ですよ。今はレイアウトがかなり変わってしまったけれど、その時に鉱物標本室というような展示室があって、随分と印象的なところでした。

傾斜になった古い木でできたガラスケースの中に、整然とたくさんの鉱物標本が並んでいて、子供の頃からクラゲや石英のような透明なものが好きだったので、水晶のような透き通るものにはとりわけ目が行ったし、また藍銅鉱や鶏冠石(けいかんせき)といった色のはっきりとしたものもたくさんあって、とても綺麗でしたね。そんな中で、何回か通ううちに、たまたま学芸員の人が鉱物を色々説明してくれるようになって、鉱物に対する興味が一段と湧いてきたし、だんだんと鉱物を介して人とコミュニカーションを取ることができるようになってきたんです。

実は先ほどの事件というのは、大人の男性から受けたもので、大人の男性に対して恐怖を感じたことに端を発していたんです。その学芸員の人と、ひいてはその鉱物と出会うことがなければ、一体今頃どうなっていたかと思うんです。

今は多少笑いながら話せますが、当時は命を奪われるほどの恐れを抱いたので、それが少しづつほぐされていったのが、本当にありがたいです。」

ドイツ・ボンの博物館は、昔(小林健二が小学ー中学生の時に通っていた頃)の上野にある国立科学博物館の鉱物標本展示室にどこか似ている、と話す。

ー35年以上前の話ですけど、鉱物との出会いは小林さんにとって貴重なものでしたね。ところでミネラル・ショーのようなものはなかったんですか?

「池袋や新宿で年に一回開催されていますね。当時は今のように鉱物をまとめて見る機会はほとんどありませんでした。神保町に高岡商店というのがあって、矢尻とか土偶と一緒に水晶のような鉱物標本がいくつか売られていたぐらいかな。

ぼくが成人した頃には、千駄木の凡地学研究社で鉱物を買うことができるようになりましたね。小さな木の階段をギシギシとスリッパに履き替えて上がっていってね。今となっては懐かしいね。」

ー海外ではバイヤーが集まるミネラル・ショーが行われたでしょうし、ショップもかなりあったんでしょうね。

「海外ではミネラル・ショーは以前から盛んで、特にツーソンやミュンヘン、デンバーなどはとりわけ有名ですね。今でもショップは数多くあります。日本では最初に「東京国際ミネラルフェア」がはじめられた時に、出店していた人たちもその後あんなに続くとは思わなかったんじゃないかな。でも当時に比べたら、鉱物標本を扱う店は増えたと思います。」

ー昔の標本屋さんはどんな感じでしたか?

「ぼくが子どもの頃ってほとんど日本で採れた鉱物ですよね。そうするとどうしても地味なんです(笑)。それに結晶性のものよりは石って感じのものが多かったですね。時々綺麗な鉱物があったけど、いいと思うものは当時のぼくが買えるような値段ではなかった気がする。

そういえばぼくが22-23歳の頃、凡地学研究社に半分に切断されたアンモナイトの一種が置いてあったんです。それは表面が真珠色で断面がよく磨かれていて、隔壁や外殻本体は黄鉄鋼化して金色で、さらにそれをうめる全手の連室はブラック・オパール化しているもので、もうそれは素晴らしかった。とりわけその中心から外側の方へ青色からピンク色へと変移していくところなんて、もうデキスギとしか言いようがなかった。」

ーそれ以降、同じようなものは見たことがないですか?

「ありませんね。その時は本当にこんなものが自然にできるのかと思ったくらいで、人間の技術や造形意識を超えた、天然の神秘な力を感じないわけにはいかなかった。今となって考えてみれば、天然を超える人間の美意識なんていうものを想像する方が、難しいと思うけど(笑)。

あとは無色の水晶に緑簾石(りょくれんせき)がまるで木の枝のように貫いて、その端が花のように咲いて見える大きな標本とか、細かい針状の水晶の群晶の中央に、真っ赤に透き通る菱マンガン鉱の結晶とか、言い出したらキリがないけど、色々な標本屋さんとかミネラル・ショーに行くと、博物館でも見られない標本を見ることができるのは素晴らしいことだと思うんです。」

 

「地球に咲くものたちー小林健二氏の鉱物標本室より」
岩手の石と賢治のミュージアムで開催された、小林健二の鉱物標本の展示風景

「地球に咲くものたちー小林健二氏の鉱物標本室より」

「流星飲料ーDrink Meteor」
石と賢治のミュージアムにある石灰採掘工場跡、そこに期間限定で不思議なお店が現れました。

「流星飲料ーDrink Meteor」
石と賢治のミュージアムにある石灰採掘工場跡。小林健二が作ったレシピによる ドリンクを、彼の土星作品に囲まれて楽しむお店です。とくに光る飲料水「流星飲料」を光るテーブルにて飲む瞬間は、時空を超えて流星が体内を通り過ぎ、気がつくと星々に囲まれているような錯覚を覚えた記憶があります。

小林健二個展「流星飲料」。期間限定で現れた不思議なお店、そこのレジの横には不思議な光源で光る鉱物の数々。

「流星飲料ーDrink Meteor」

石と賢治のミュージアム(石灰の採掘場に宮沢賢治が何度か訪れ、馴染みのある工場跡、そこに併設されて作られたミュージアムです)で開催された展覧会。その洞窟の奥にある小さな池に、小林健二は水晶作品を展示。
現在は地震の影響もあり、この洞窟には立ち入りが禁止されています。

*岩手の一関にある「石と賢治のミュージアム」では、鉱物展示用に設計された什器の中に、数多くの小林健二が選んだ鉱物が展示されています。

*2002年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI