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アーティストインタビュー:小林健二さん

小林さんは絵画や立体造形を広く手がけている一方、科学、物理、電気、天文、鉱物学などの自然科学をアートと融合させたような、ちょっと懐かしくて、しかも不思議な仕掛けのなる作品を数多く発表しています。今日、訪ねたアトリエにも薬品や鉱物の標本のようなものがいっぱいあって、実験室のような雰囲気もします。おそらく、小さいころは科学少年であり、工作少年ではなかったと思うんですが、いかがですか?

アーティスト小林健二(文京区のアトリエにて)

「科学少年」や「工作少年」であったかはぼくにはわかりませんが、工作や科学は子供の頃から好きでしたね。今でもそうなのですが、ぼくの中では科学や図画工作、それから音楽と美術というように、どれも分野で分けられているものではないんです。もし、自分の中で多少区別があるとすれば、好きなことと苦手なこと、あるいは興味があるかないかということだろうと思うんです。むしろ美術ならそれ自体が、他の分野から全く独立して存在しているということは考えにくいですよね。

油彩画を描くにしても、木を彫刻するにしても、あるいは電気を使ったり、ぼくのようにある種の結晶を作ることにしても、いつだって何がしか他の専門分野の知識や技術と切り離せないことは多いと思います。光を使った作品を製作する上でも、電気的な構造の部分や工学的なところ、またはそれに伴う金属加工などの作業や、あるいは樹脂などの化学的変化についても、知らないでいるよりはある程度理解していた方が、よりイメージに近い状態に近づける可能性があるわけですからね。

この国がとりわけその傾向が強いのか、ぼくにはよくわかりませんが、ある意味で、いろいろなことをまずはカテゴライズしないことには気が済まないような国民性があるんじゃないかな。

ぼくは絵を描いていたりするけど、作曲をしたり文章を書くこともあります。そうしていると、『どうして美術だけではなくて、音楽や文筆活動やいろいろされるのですか』と聞かれることがあるんです。でも、伝えたいメッセージやそのイメージに何が一番適しているかで表現方法は変わってくるし、そのことに自由でいたいと思うんです。ですから、ぼくにとって技術的な表現の分野を分けることはあまり意味のあることではなくて、何をしたいかといったその内容や必然性の方が重要に思えるんです。」

小林健二作品「夏の魚」
油彩画(自作キャンバスに自作絵の具)

小林健二作品「LAMENT]
(木彫と鉛などの混合技法)

小林健二作品「MINERAL COMMUNICATION-鉱石からの通信」
(作品の内部に設置された小さな鉱物(ウラニナイト)から発する微量の放射能をガイガーカウンターが感知し、モールス信号とも取れる発信音が作品から聴こえてくる)

小林健二結晶作品
(自作の人工結晶)

小林健二結晶作品「CRYSTAL ELEMENTS」
(透明なケースに封じられた水晶液中の結晶が、季節を通して成長や溶解を繰り返す。画像は展示風景)

小林健二作品「IN TUNE WITH THE INFINITE-無限への同調」
(窓から見える土星が青く光りながら浮いていて静かに回っている作品。内部はおそらく電子部品に埋もれている)

小林健二動画作品「etaphi」

小林健二音楽作品「suite”Crystal”」
(ミニマルミュージック。個展会場などで流すことが多い。現在ではCD化しているが、当初は降るように音が脳裡に浮かび、急いでアトリエにあった録音機(テープレコーダー)に、これもアトリエにあったピアノで収録。)

小林健二著書「みづいろ」
(実話を元に綴られたもの。活版印刷で、装丁も小林がしている)

様々なことに興味があるというのは、小さいころの体験によるのではなかと思います。遊びとしてはどんなことをしていたのでしょう?

「みなさんと同じで、いろいろとしていたと思いますが・・・(笑)。ただ熱中していたことはいろいろあります。例えば恐竜や鉱物について調べたり、飛行機の模型やプラモデルを作ったり、プラネタリウムに行ったり・・・。自分の大事な思い出は、その大部分が子供の頃にあるように感じます。ですから、例えば文章を書いたりすると、『子供の頃は・・・』という書き出しになってしまうことが多いんです。それから、昔の友達にあったりすると、『ケンジ、お前は子供の頃と全然変わってないな』ってよく言われちゃう。これは進歩がないということでもあるんでしょうが、おそらく、ぼくの中ではまだその頃と変わらないものがずっとあって、ぼくには子供の時に感じたたくさんのことが今も大きく影響しているところがあるんでしょう。多分これからもそうなのかもしれません。そもそも人間なんてそう簡単に変われるものでもないだろうし、『三つ子の魂百まで』なんて言うでしょう。」

小・中学校での美術教育の体験について尋ねたいんですが、何か記憶にあることはないでしょうか?

「学校時代に図工・美術の時間ではとにかく、放っておいてくれたという感じでしたね。でもだからこそ自分のやりたいことがはっきりしていた場合、とても楽しかったし、やりたいことが見つかるまでは待っていてくれたように思います。そして少なくとも描き方を強制されるようなことはありませんでした。

『子供のころに何に影響されましたか?』とか『どんな画家が好きですか?』ということを時たまインタビューでも聞かれるんですが、ぼくが影響を受けた美術の作家というのは、あまりいませんでした。絵を描くこと自体は好きでしたが、画家になるんだって気持ちで描いていたわけではないように思います。その一方で自然科学には子供のことから興味がありました。もちろん子供にとって『自然科学』なんていう概念はありませんけど、これは一つの資質だと思うんです。とにかく、星や鉱物、要するに天文学や地学に関することや恐竜などの古生物に関することが好きでした。それで小学生の時には、上野の科学博物館に行ってそういうものを見るのが何よりも好きだったんです。」

小林健二のアトリエ
(色々な道具に混じって望遠鏡が写っている)

小林健二アトリエの一角
(机には顕微鏡や鉱物も見える)

また美術の話に戻してしまいますが、絵としてはどんなものを描いていたんでしょうか?

「実は今でもそうなんですが、とにかく怪獣とか恐竜の絵が好きでした。それで、図工の授業でどんな課題が出ても何かとこじつけて怪獣や恐竜を描いちゃってました。例えば、虫歯予防デーのポスターを描くなんていう課題は、ひょっとしたら今でもあるかもしれませんが、そんな時にも、ブロントサウルスが歯磨きをしている絵なんか描いたんです。でも、ブロントサウルスというのは手が首ほどには長くないので口まで届かない(笑)。それでうんと長い歯ブラシにしたりしました。これは結構先生にもウケましたけど(笑)。でも、それはもちろん例外で、いつも怪物ばかりしか描かないで、おそらく先生も困られていたと思います。」

小林健二作品「描かれた怪物」
(板に油彩、紙、木、他)

ごく普通に考えると、美術や音楽が好きなことと、自然科学に関心を持つことは、子供にとってはやはり意味が違うのではないかという気もします。電気や天文や昆虫に興味を持つことには、それらについて新しい知識を獲得していくという喜びがあり、それは絵を描いたり楽器を演奏する楽しみとは異質なのではないでしょうか?

「ぼくはそのように分析して考えたことはないですね。初めにも言ったように『自分にとって好きなことと苦手なこと』という基準が何よりも大きいんです。『好きなこと』とは自分にとって『楽しいこと』、あるいは、『感動できること』と言い換えてもいい。夜空を見て星が綺麗だなと思ったことや、冷たく光っている水晶の結晶に見とれてしまうような感覚が最初にある。電気というのはもちろん物理学の一つの分野ですけれど、ぼくにとっては、フィラメントが光って綺麗だというのは、星が輝いていることの美しさとどこか通じているわけだし、あまり違いはないんです。

ものが光る理屈にはいろいろあります。星やホタルも、LEDや月も雷もそれぞれ異なった方法で発光しています。でもぼくにとっては重要な問題じゃない。肝心なことは、それを見てどう思えるか、そこへすうっと気持ちが引き込まれていくかどうかということなんです。でもその後さらにその不思議な現象にまるで恋でもするように深く知りたく、また近づきたくて科学の世界に足を踏み入れたとしても不自然なkじょととはぼくには思えないけど・・・。

だって、考えてみれば、もともと子供にとっては、そういう分野わけはないわけですよ。だからこそ、そういうことを教える必要があるという立場も一方はあるでしょうけど。たとえがホタルが光るというのは、一見、物理的現象でしょうが、実はあれはルシフェリンとルシフェラーゼという物質によって発光しているわけで、有機化学の問題になってきます。これはLEDが通電により電子のぶつかり合いによって発光したり、太陽中の水素がヘリウムになるときに熱核融合反応により発光していることと、それぞれに違っている。だけど、そういうことはあくまでも理論であって後からくる。まずはそのことを知っていなければいけないということではないし、そういう知識がなくとも、子供たちは、ホタルが光ることを綺麗だと感じたり、不思議だと思ったりするわけでしょう。

これは、おそらく美術の場合でもまったく同じだろうと思うんです。例えば、名画というのは、あらかじめ認められた価値のあるものだから尊いのではなくて、子供の目から見ても、そこに面白さや美しさが感じられることに意味があるのだという気がします。いくら値段の高い絵だって、『これは価値があるから感動しろ』というのはおかしい。作品を受け取る子供達の中に興味や関心が培われていなければまったく意味がないだろうと思うんです。」

おっしゃることはよくわかります。ただ、教育の主要な目的として、文化遺産の世代間伝達ということはあると思うんです。ですから、まず知識を持津ことで、一層興味を喚起されたり、深い感動につながるということもあるように思うんですが・・・。

「それはあるでしょう。でも、ぼくは感動することの本来の意味についてお話ししているわけです。ホタルの発光がルシフェリンとかルシフェラーゼという物質の反応によって起こっているということは、さっきお話ししましたけれど、それで全てが説明されたことになるでしょうか。DNAの主要な物質であるディオキシリボ核酸は、アデニンやシトシンやグアニンやチミンといった物質によってヌクレオチドを形成していますけれど、どれが分かったからといって、生命現象が解き明かされたとは誰も思わないでしょう。同じように仮に人のゲノムが完璧に解読されたとしても、それによって人の心が理解できるというものじゃない。ですから、知識によってわかるといったところで、それはあくまでもごく狭いフィールドにすぎません。でも大人たちはそこでいかにも分かったような気にならなければいけないと思っているんじゃないでしょうか。」

小林さんの作品は子供達にも人気があるのではないかと思うんですが、展覧会などでの子供達の反応はどんな感じですか?

「ぼくの作品がどれくらい子供達に人気があるのかわかりませんけれど、興味を持ってくれる子供は結構いるという話は聞きます。自分が面白いと思ったものにじっと見入ってくれている子を見かけたことがあります。そういう様子を見ていると、子供の頃ぼくが博物館の陳列物に惹かれたのと同じように、自分の心の中の何かを探そうとしてくれているような気がしますね。」

小林健二展覧会「PROXIMA(ARTIUMにて)」の一室風景

今、話を伺っているこのアトリエには、鉱物の結晶や化石、星座板とか昆虫の標本やおもちゃのようなもの、それから薬品やいろいろな道具がたくさんありますよね。また書庫の方には、化学実験や自然科学に関する書物を始め、ありとあらゆる本が並んでいます。『おもちゃ箱のよう』という表現はありきたりかもしれませんが、とにかくここにいると小林さんの個性的な世界を感じます。これは、言わばモノが何かを語っているのではないかとも思えます。ただ、モノの世界というのは実はアブナイところもあって、最初の興味から離れて集めることが目的になってしまうことが、子供のコレクションなどではよくありはしませんか?

「それは、例えばチョコエッグのおまけで1番から3番と5番と6番が揃っていると、抜けている4番がどうしても欲しくなっちゃうようなことでしょ(笑)。ぼくにはそういうことは全くないですね。また本や鉱物標本などは、見る人によっては物質としのモノに見えるかもしれませんが、ぼくにとってここにあるもののほとんどすべては、いわばこの世とは一体何かを知る、あるいはそれに近くための手段だとも言えるんです。ですから、本たちの中にある見えないはずの風景や標本たちから感じる不思議な存在の意味のようなものがぼくにとってはとても大切なのです。それが結果的に集まってくるだけのことなんです。ここにある鉱物の中には、現在は世界のどこでもほとんど採掘されていないため希少価値がある、かなり高価なものもありますけれど、その反面、夜店で売っているようなものもあります。それはその時『どこか心を惹きつける』と思うからつい買ってしまうんです(笑)。

ただここで大事なことは、美しいと感じるものに出会うという体験はとても大切だということです。なぜならそれは人によって全く違うものであるか、あるいは共通する部分があるのかを感じることでもあるからです。子供でも大人でもその人がどこに惹かれたり気になったりする事柄や出来事に、その人の個性や核心に触れるヒントみたいなものがあるんじゃないか。また現代のように便利や効率が求められると不思議な世界と出会いながら、科学や美術に接してきた歴史もだんだんと経済に取り込まれてきたという感じは否めないと思うし、人間や力のあるものを中心に考えが進んでいくという傾向があると思うんです。

大切なのは、天然の神秘に出会うことによって、ぼくたちがその美しさを感じて生きていく、そういう生き方を決して無意味とは思えないからです。」

小林健二の書庫
(2005年「STUDIO VOICE」記事からの複写)

小林健二アトリエの一角
(薬品や樹脂などの棚)

小林健二アトリエの一角
(実験中の自作結晶などが見える)

一般に私たちは、美術の教育というのは、絵を描いたり彫刻を作ったりする製作体験をもとにした表現行為だと理解している気がしますが、今のお話からすると、美術や美術教育の意味はもっと広く捉えられるというわけですね。

「美術というのは、そこにあるもののことではなく、作品とそれを作る人、それを見て感じる人との関係や、その人の生き方だろうと思います。一方、Educationというのは、ラテン語の『道を拓く』という意味からきていると言われています。人が歩けないような荒野に道を切り拓いていくことです。ただし重要なことは、その道を歩くことを誰も強制されいことでしょう。どの道を選ぶかということは一人一人が判断していかなければならない。明治になって日本語になった『教育』という言葉も奥深い意味を持ってはいますけれども、子供たちに教え、彼らを育んでいけるような見識を持った大人たちが、今はどれだけいるだろうかということが気になります。単に自分たちの価値観を押しつけて「いるだけれはないのか。義務教育という制度にしても、全ての子供たちは教育を受ける義務があるという意味だと理解されているのではないかと思いますが、本当はそうではなくて、これは大人の側に教育制度を整える義務を課しているということであって、子供たちが教育を受ける権利を保障しなければならないということですよね。」

確かに、これまでの教育にはみんなが同じことをすることを通してある到達点を目指していくというような授業が多かったようです。けれども最近ではそれを反省して、図工・美術の授業でも、同一時期の中でも子供たちが自分に合った様々なスタイルの製作を認めていこうという方向になりつつあるようです。

「それは当然といえば当然だけども、いいことでしょうね。だってもし本当に『ある到達点』というのが存在するとしたら、それはある水準に達するという意味ではなくて、それぞれのその人自身に出会えるということだろうと思うからです。例えば、石を見て『きれいだなー』って感心している子がいるとしますよね。それを見て横から『いつまでもそんなことしてないで勉強しなさい』なんて言っちゃうお母さんがいたりしますが、これは違うと思う。そうやってものを見て感動すること、きっとこれがその子の本当の勉強なんです。だってその子はその出来事に出会うために生まれて来たかもしれないでしょ(笑)。そしてその子の人生の目標と方向を発見するかもしれないわけですよ。こう言う時の子供の目はものすごく輝いている。それが、本当に勉強をしている子供の目だと思うんです。」

*2002年のメディア掲載記事(小林健二へのインタビュー)より編集抜粋しており、画像は新たに付加しています。この記事は教育関係メディアに掲載されたため、質問内容が主に美術教育に関するものになっております。

KENJI KOBAYASHI

 

[TOYAMA ART NOW inner and outer ’99]より

[TOYAMA ART NOW inner and outer ’99]より(富山県立近代美術館発行)

子供の頃読んだ本の中に、片方の目にだけ、ある不思議な薬を塗ると普段なら見えにくいたくさんの宝石が見える、というような内容のものがありました。結局その主人公は、もっとよく見ようとして両目に塗ってしまい、何も見えなくなってしまうのですが、その本の挿絵の一つに片方にだけ薬を塗った人が、地中や空中にいろいろな色で輝く水晶のような美しい鉱物を見てはしゃいでいるのがありました。ぼくはとりわけその絵が好きでした。

ぼくはまた、古代の世界やそんな時代に書かれたかもしれない書物とはいかなるものかと考えたり、ある日机の引き出しを開けるとその中で青い発光体が静かに浮かんでいるといった幻について、想ったりしていることが好きです。

ぼくはそのような隠れたところや見えにくい場所に、何か素敵な宝物があるような気がしてなりません。そして、そんな目に見えない透明な通信でかわせる世界があることを信じているのです。

小林健二

Of the book I read when I was a child, there was one about the story of one person, who, by painting only one of his eyes with some mysterious medicine, was able to see many jewels and gems that could not normally be seen. But in the end when the protagonist painted both of his eyes to try to see more, he ended up not being able to see anything.

I especially liked one illustration on the book: it showed the person with only one of his eyes painted who was ecstatically looking at beautiful gems and stones scattered on the ground and floating in the air glittering like crystals awash in a rainbow of colors.

I also used to think about the ancient world and what kind of books might have been written then, and I liked to fantasize that one day I would open a drawer in my desk and there would be a blue luminescent object quietly lying there.

I have really felt that some beautiful treasures can be found in such hidden and unexpected places. I believe that there is such a world that we can communicate with through some unseen, transparent means.

Kenji Kobayashi

[TOYAMA ART NOW inner and outer ’99]より

 

*以下は実際に展示された作品に加え、上記の小林健二の文章を想起するような彼の作品を何点か選んでみました。

「夜光結晶」 LUCIFERITE
水晶、電子回路、他 
(水晶が光を受けてゆっくりと七色に発光を繰り返す。洞窟の中でのインスタレーションとして制作された。)

 

「FORAMINIFERA CONODONT BOOK OF AZOTH 」
混合技法

「九一式土星望遠鏡」 SATURN TELESCOPE TYPE 91
混合技法
(1991年に構想し19年後に完成した作品。レンズには全体像を表す土星が見え、青く光りながら回転する)

「CRYSTAL OF AZOTH WITH AURA TRIGGER 」
1992-1994

[CRYSTAL OF AZOTH(霊の鉱石)]とは本来セファイドの水の結晶です。その結晶の左側に陽性起電微子を、その右側に陰性消失微子を発生着帯します。アレフ(空あるいは風)、メム(水あるいは海)、シン(火あるいは熱)のそれおぞれ緑、青、赤の色彩成分をアゾト(霊あるいは意識)によって封じられた結晶なのです。この結晶はアルプス地方に産する明るい煙水晶で、その中に極めてわずかに見つけられる古代セファイドの水を含有したものを使用します。その左側に手をかざすと陽性起電微子ーAZOTHIN(アゾシン)の一種によって発光する場ができ、右側においてはその反対の作用が起ります。

(左の柱に手をかざすと水晶内部にゆっくりと光が現れはじめ静かに色彩が変化する。右の柱に手をかざすとまたゆっくりと消える)

crystal-of-azoth from Kenji Channel on Vimeo.

 

KENJI KOBAYASHI

 

[XYSTUM-怪物の始まり]

小林健二個展[XUSTUM-怪物の始まり]パンフレット

怪物の始まり

ぼくは近視のせいか散歩の途中にふとビルの側帯に 隠れるようにしている巨きなものを見ることがある

よく目をこらしてみれば それらはたいてい大きな木や小さな森 あるいはビル自身の落している影であったりするのだけど・・・

やはり一瞬何かを見たような感覚は 忘れられないでいることが多い

まだ目が良かった幼い頃にも 曇りガラスに映る雲からの陰影や コップの中の水のひかり あるいはマッチ箱の小さな暗がりに何かを見たような そんな記憶を呼び起こさせる

とりわけ疲労した日の気怠るさの中で 沸き立つお湯の音などに遠く聖堂での大合唱や知らないはずの村祭のおはやしを聞いたり 大きくゆったりした風が電線をひくくハミングのように鳴らし ちょっとぞっとして でもワクワクするような夜に まるでそれらを背景曲のようにして 子供たちの夢から夢へと移り住まう不思議な怪物たちのことを想うのだ

怪物とはいっても それらは少しも恐くはなくて むしろやさしい影や霧のようにつつましく 少し涙を流していることもある気さえする

そしてぼくは思わず「いつもありがとう」と小さくこころの中でつぶやいてしまうのだ

小林健二

(*パンフレットに書かれた小林健二の文より)

小林健二個展[XUSTUM-怪物の始まり]に開催されたトーク風景

「一応、昨日今日始めたわけじゃないんで、30年以上この仕事をしていて、こういう樹脂を使って絵を描く場合、剥がれちゃまずい・・どういうものがいいのかって考える。

この半透明な部分は、メルターやホットガンとかのタマ、トランソイソプレンっていうんだけど、熱を加えるとギューンと溶けて、その原料を使っている。」

 

 

「モレット」という絵の具を練るのに使う道具の説明をする小林健二

絵画技法などに精通する小林健二。絵の具を練るためのモレットや練り板(大理石)、顔料やメデイウム、筆、パレットなど。手前には湯煎器(自作キャンバスを作るときに使用するニカワを湯煎したりする道具)、金箔など貼るための道具も見える。

今回は支持体として自作キャンバスが多く使われている。木枠にキャンバスを貼るときに使うカナヅチ(先が磁石になっていてキャンバスを固定する釘が先端につき、そのまま打ち込める)

まさに怪物のような電動工具。形が好きだと説明する小林健二。

「Zoe-ゾゥエィ-」
自作キャンバスに油彩、紙、木、他
oil, paper on canvas, wood, others 1345X1942mm 2006
Zoe 命という死への運命(さだめ)を背負っている 傷ついた永遠 
Zoe 数えきれないほど自から命を生んで また見送ってきた
Zoe その都度悲しみが生まれ この繰り返しの意味をいつも想い続けてきた 
Zoe 誰かを呼ぼうとした そして何かを話してみたいと思ったりもした 
Zoe 繰り返す果てしない世界に いつの間にか夢のくらしとの間(あわい)が消えてしまっている 
Zoe 今どこかにいて 自分を見つけようとするこころと出合える期待が生まれている 
Zoe 誰かの呼ぶ声が聞こえる そしてそれは何かを話そうとしている
Zoe それはかつてむかしに お前から生まれていた想いのひとつ 
Zoe いつの間にか世界という一つの風景の中で 錆び付いたように見送られて

「Ymil-イュミル- 」
自作キャンバスに油彩、鉛、木、他
oil. lead, on canvas, wood, others 1335X1300mm 2006
とても寒いところ 氷点下に冷却した地物に 霧のような水蒸気が昇華して 現れたと言われる霜の巨人イュミル 大気と同じくらい巨大でいながら まさに息を吹きかけるだけで 溶けてしまいそうな やさしい心の怪物 イュミルの肉は大地へと 血は川と海 頭蓋は蒼穹になっていったが イュミル自身 今どこにいるのか わからない でも その奈落へと続く入口は 風の凪いだ空のように 穏やかだった イュミルは この世を見守り続けている

「Hylco-ヒルコ- 」
自作キャンバスに油彩、樹脂蝋、木、他
oil, resin wax on canvas, wood, others 1335X1300mm 2006
ヒルコよ 悲しき怪物 神と呼ばれし美(う)まし二柱(ふたはしら)より生まれしも 醜(に)し嵶(たおや)しそなたゆえ 葦(あし)の舟で流されて その世より葬られしを 
ヒルコよ 今 おまえは 安らぎの場所にいて 巨大な風や青空とこころを同じにしている 
ヒルコよ 思い出すらなき命よ 知らぬ世界の御使(みつかい)の透明なラッパが顕われて そよ風のように奏でかける ”Vere tu es Deus absiodius!”  汝こそ まさに隠れたる神なり ゆるやかな静けさの中で

「Emeth-エメット-」
自作キャンバスに油彩、樹脂蝋、金属、木、他
oil, resine wax, metal on canvas, wood, others 1335X1300mm 2006
真実amtという名の脆弱な怪物 哀れにも人の都合のままに 数々の呪文によって この世に姿を現わすこととなった いつでさえその頭文字aを消されると 即座に死mtと変わると言う 気紛れな人の勝手とうらはらに この部屋ではいつのまにやらtの神の印が溶けはじめ 透質の結晶の堆い化合物をつくりはじめている 残ったamは 霊のこととなり すでに誰にも殺せない本当の怪物となってゆくのだ 夜はひっそりと静まりかえり 次ぎの出来事を待っている

KENJI KOBAYASHI

 

 

”不思議”にこだわる小林健二さん

静かな町並みを通って、彼のアトリエに一歩入ってビックリ。

ノミ、カンナ、ヤスリ、絵の具など、いろんな道具が所狭しと並んでいました。

作品を自分の手で生み出すことにこだわっているうちに、自然に集まったものだとか。

「人間と作られたものとの関係って、永遠に変わらないような気がする。千年以上前に作られたものでも、手で彫られた彫刻は、訴えてくるものがある(円空を小林は好きだと以前語っていたのを思い出す)」

「道具っていうのは、それが作られた国の文化を反映しているんだよね。もっと日本のことをよく知れば、インターナショナルになれるって気がする」

彼の今回の出品作品には「古事記」からテーマをとったものもあります。展覧会のタイトルである「黄泉への誓(うけ)い」と不思議な響きをもつ。

「黄泉への誓(うけ)い」会場写真

「ぼくは下町育ちだから、どちらかというと気が短い方かも・・それでも今の色々なことが進むスピードは異常な気がする。

喉がカラカラに乾いた時に飲む水のうまさを味わう暇さえないような・・・ほんとうに美味しい水を飲む時間を奪われているよう。それってある意味不幸だよね。」

それで時間のゆっくり流れていた昔を取り戻そう、って意味合いの「古事記」ですか?

「古代に帰りたいって意味ではないです。「黄泉の国」ってどうして黄色い泉って書くんだろう?とか、不思議なことを考えるのはとっても面白い。例えば「ヨモツカド」って作品では白い空を描いたんだ。空が白い曇りの日に、影が一つもできないことを発見して、そこで”存在する”っていうのはどういうことかな?って考えたりする。ぼくは”不思議”っていうことに興味があるんだよね。いろんな不思議に興味を持って、それをゆっくり考えることに。」

「ヨモツカド」1990
木に油彩、鉛
2230X2250X160mm

「ヨモツヘグイ」1990
木、合成樹脂、幽閉物、松ヤニ、鉛
112X177X90mm

「KRAKEN- 魚の日」1990 木に混合技法、鉛 1800X4050mm

「離宮珀水」1990
木、油彩、アクリル、合成樹脂、他
1120X1420X390mm

そういえば私たち、いろんなことに追われて”不思議”を考えることってなかなかしない。感覚を研ぎ澄ませて身の回りの不思議に敏感になれば、もっと豊かな時間を過ごしていけるかも知れません。

「アートって人同士理解したい、理解されたいって気持ちから起こったものじゃないかな?だから自分を見直すきっかけにもなってくれたりする。」

下町に生活する人々の元気で温かい雰囲気をそのまま呼吸して大人になったような小林健二さんだった。

*1990年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

 

プロキシマ系鉱物ー[PROXIMA-INVISIBLE NUPTIALS]より

[プロキシマ;見えない婚礼-PROXIMA-INVISIBLE NUPTIALS] 体裁:A5/196頁/上製本(シルクサテン装・三方小口プラチナ箔)/総写真図版95点(内カラ-74点) 装丁:小林健二 / 編集:三菱地所アルティアム / 発行:銀河通信社  *残念ながら品切れが長らく続いております。

[プロキシマ;見えない婚礼-PROXIMA-INVISIBLE NUPTIALS]
体裁:A5/196頁/上製本(シルクサテン装・三方小口プラチナ箔)/総写真図版95点(内カラ-74点)
装丁:小林健二 / 編集:三菱地所アルティアム / 発行:銀河通信社 
*装丁、内容ともに美しい本です。残念ながら品切れが長らく続いております。

小林健二作品集「プロキシマ」 とても美しい本です。

小林健二作品集「プロキシマ」

[PROXIMA-見えない婚礼(INVISIBLE NUPTIALS)]

プロキシマとは星の名です。

ケンタウルス座のアルファ星の伴星の一つで、主星が明るいため見つけにくい星であります。

またこの星はNearest Star(最近星)と言われ、地球に最も近い恒星として人間に知られていて、地球からの距離は約4.27光年で、27万天文単位、つまり地球から太陽までの距離のおよそ27万倍ということになります。

この少し想像を超えてしまうような遠方の星が、地球人にとって最もプロキシマ(すぐそばの意)な星なのです。そしてこのプロキシマのあたりは、地球型の生命系の存在が最も期待されている場所でもあるのです。

ある日、宇宙から見ればそんなに近くの、そしてそれほど遠い方向から、ぼくは一通の幻をもらった気がしたとしてください。

プロキシマケンタウリとも呼ばれるこの星は、10.7等星で太陽の0.1倍くらいの大きさの星と考えられています。

このまれに見る太陽系と似ている惑星たちは6つの地球型と思われるもの、2つの木星型に似ているもの、そしてリング状の軌道上星団と無数の彗星型小惑星が存在しています。組成的には3つの重い金属と珪酸を中心としたものと、2つのまさに地球のような水と岩石質からできている内惑星をもつ第六番目の惑星、それがこの幻の故郷の一つなのです。やがて付けられるべきその星の名はナプティアエ(婚礼の意)です。

この場所では、重質内惑星と木星型巨大惑星との境に位置しながらさまざまな影響を受け、さらに太陽に当たるプロキシマが、三重連星という複雑な重力場を持っているために、ナプティアエでは太陽系にはない現象が多数あるのです。

たとえば高位成層圏からの強い電離粒子流によって起こされる、オーロラとも異なった「緑の少年」と呼ばれる現象。あるいは1プロキシマ年(2740地球年)に一回、ナプティアエの衛星帯のダークマターが、一種の太陽風である個体微粒子と作用し、レオロジー的効果によってナプティアエの大気中に巨大な地質層をわずかな時間、音楽のような音響とともに現出させる「影むらさきの浜辺」など、これらは地球上の生命にも感動を与える美しい現象です。

ここはまた、星の意識がアクチノイド系物質をはるかに上まわる高原子量物質を生成し、儚(はかな)い瞬間的出合いの中に、陽電子や単極磁場と作用している恋心やためらいのような・・・そんな夜明けの世界なのです。

また地質学的に見ると、地殻に当たる外層構造はおよそ60kmにまで達し、それはほぼ全体が無色の無水珪酸によって構成された巨大な硝子球のようで、上窓から眺める景色は、地球人にとっては心もとなく気が遠くなるばかりです。

しかしながらその地中には穏やかな晶洞の世界があって、高分子の有機質的結晶という状態が生活をしています。上空を見上げれば、遥か彼方まで回析や複雑な屈折をくりかえしながら運ばれてくる、プロキシマからの緑色の光に煌めいている石英の透質な天井、巨大なクレーターの底より見える、アイスブルーの大気と、地平に見える茜色と水色の他の2つの太陽、そして眼下には、かぞえきれない色彩に輝いている鉱物たちと水の世界。

もはやあらゆる地球人の言語は、ここでは意味を失ってしまうのです。

太陽系にも同じように存在している、多数の元素。そして水やマグマによって引き起こるスカルンやペグマタイトの鉱床。そこは重力の違いや、アスタチンやプラセオジムを含む大気によるためか、地球に似ているところと想像も絶する風景とが入りまじっているのです。

侵しがたく、また静かなる神秘の都。そこにはまた信じがたい花をつける鉱物たちがいて、1プロキシマ年に2度おとずれる日向の季節に、彼らはいっせいに花を咲かせます。7つの性と27種の核酸基によって生きる、亜酸性鉱質膠朧体(あさんせいこうしつこうろうたい)で、地球に於いて科学上分類するとすれば、鉱物に最も近い約35億年の変性二相系的寿命を持ったものたちです。

これら鉱物のように見える生命系を考えていたりしながら、「彼らは本当に生きているの?」と思ったり、また「そもそも生きているとはどんなことなのだろう?」とも思ったりするのです。

 

やがて幻は、場所や時代を同定しづらい、おそらく日本の過去の風景へとぼくを誘(いざな)うのです。そしてその移行の間中、一種のものを語るような言葉が静かに流れています。

「これはかつて君が立っていた場所からすると、すでに過ぎて行った出来事として捉えられている。それらは『見えない学会;INVISIBLE COLLEGE』を作った高い知性の領域から『植物の婚礼への序説;PRELIMINARIES TO NUPTIALS OF PLANETS』の時代よりすでに始まり、実は自然科学的には『知られていない場所;TERRA INCOGNA』としてラップランドのトナカイの群の中に隠されていたものなのだ・・・」

わずかずつ感じてくるのは、時の流れが穏やかで、そして、澄み渡ったように感じるものがあって、徐々にそれが川のそばにあり、初夏の夕方だということがわかってくる。その風景は今宵、七夕をむかえようとしている。ぼくは誰かに案内されるようにしてその町を見ている。そこは貧しく、人々はいかなる人も質素でひどくぼろぼろの木綿の絣を着ているが、どれもがまたとても清潔で美しい。家々は皆長屋の様であるのに、何故か瀟洒(しょうしゃ)な雰囲気をもっている。

そしてその町のはしからはしへとわたってゆく中で、ぼくは誰かに案内されているのではなく、誰かの思い出の中に紛れてしまっているのだと気づき始めていた。

照れながら笑う子供、またその子の手の上に小さな色のついた透きとおる飴をのせる年配の人、ともに宝物のようにそれをあつかう。1年に1度のこの聖なる夜のため、人々は思い思いに竹や自分を際立たせている。今宵は一人一人に、そしていたるところ多数の場所で奇蹟が起きることだろう。

この町を上空からふりかえると、その暗い宵闇の中に静かに瞬く数々のあかりに銀河を見るような想いがして、そして、あの結晶鉱物たちの世界と極大な過去と未来とを分かつことなく共通して存在する、この不思議な目には見えない世界・・・。

一瞬わずかに目が合っただけ、あるいは肉体的には出合うこともなくても、共に命の奥底で通じ合う自由への心根。大きく色のついた美しい短冊で夜を飾る(ああ、まさにこれらの人は咲いている花なのだ)。

星のよく見えるそんな町だから、みんな目が大きく美しいのかもしれない(ああ、あの超えがたい27万天文単位を、確かに系ながるものたちは合ったのだ)。

ぼくのこころまでが、蛍のように光を点されたとき、音のない拍手のようなものが聞こえそうになったので、ぼくは振り返ると、植物や森や鉱物のような人々がまるでほほえむようにゆっくりと口に指をあてて言う、「もう少し聞いてみてください」。そしてその指は翼のようにして夜空をさしながら、こんな事をこだまのように発声する。

「実はこの世は全ての場所でいつでさえ、見えない婚礼がおこなわれている。生きものたちはその方法で巡り逢い、まるで知れないようにして通じ合い、そして、知らないところから知られない場所へと移行してゆくみたいなのです。1人のものたちは決してなく、この世界のあるよう全てはどれも失われる事なく、死などもなくて、別れに悲しむ事はないのです。私たちは如何なる瞬間でも出合っていて、そしていかなる永遠の間中、互いに見えない婚礼によって祝福をうけているのです」。

ああ、こんなにも近くて遠い場所から、いつのまにか声はいくつかの和音や和声となり、やがて静かな夜明けの合唱となって、透明な風景ヘとけてゆく・・・

しばらくして巨きな青空かあさが、明けてくるようなそんな光の気配が広がっていった・・・。

2000年 春 小林健二

 

幻の星で結晶の花(プロキシマ系鉱物)が咲いている話、育成するように丹精して人工結晶を育てる方法、スライドで天然の結晶と人工結晶を見ながら、その組成や作り方などを解説しました。 まあ、小学生の頃から作りたいと思っていたイメージを実現するに至った作品のエピソードも印象的でした。実際に工具を使って見せたり、特殊な光源によって石を光らせたり、また偏光する液体の実験、電磁波や球体が浮く実験などがあり、普段地球が浮いていることを感じことは難しくても、物体が浮くのをみて、リアルな不思議をアートで感じる体験になりました。 観客からの質問にも答えて、自分にとって何が幸せか考えてみる時間を持つことや、夢を見続けて自分にしかできないことを見つけ、そして、していってほしいという話がありました。

幻の星で結晶の花(プロキシマ系鉱物)が咲いている話、育成するように丹精して人工結晶を育てる方法、スライドで天然の結晶と人工結晶を見ながら、その組成や作り方などを解説しました。
また、小学生の頃から作りたいと思っていたイメージを実現するに至った作品のエピソードも印象的でした。実際に工具を使って見せたり、特殊な光源によって石を光らせたり、また偏光する液体の実験、電磁波や球体が浮く実験などがあり、普段地球が浮いていることを感じことは難しくても、物体が浮くのをみて、リアルな不思議をアートで感じる体験になりました。
観客からの質問にも答えて、自分にとって何が幸せか考えてみる時間を持つことや、夢を見続けて自分にしかできないことを見つけ、そして、していってほしいという話がありました。

彼はいくつかの液体や粉体の薬品を水の入った容器に入れていきました。 一つ一つ薬品が入るたびに何かしらの反応が起きているようで、最後のものを入れた後、会場を暗くすると、容器の中の液体は美しいピンク色に発光し始め、また消えたり、それらを交互に繰り返し明滅しました。まるで液体が生きているような不思議な実験でした。

彼はいくつかの液体や粉体の薬品を水の入った容器に入れていきました。
一つ一つ薬品が入るたびに何かしらの反応が起きているようで、最後のものを入れた後、会場を暗くすると、容器の中の液体は美しいピンク色に発光し始め、また消えたり、それらを交互に繰り返し明滅しました。まるで液体が生きているような不思議な実験でした。

トークでしばしば行う化学実験の一つ 明滅する蛍光溶液(ペロウソフ・ザボテンスキー氏からの報告

トークでしばしば行う化学実験の一つ
明滅する蛍光溶液(ペロウソフ・ザボテンスキー氏からの報告)

[ELFLITE]プロキシマ系鉱物 Phenyl Salicylate, etc

[ELFLITE]プロキシマ系鉱物
Phenyl Salicylate, etc

[SPOREMITE]プロキシマ系鉱物 Potassium Aluminium Chrome Sulfate Dodecahydrate, etc

[SPOREMITE]プロキシマ系鉱物
Potassium Aluminium Chrome Sulfate Dodecahydrate, etc

[FLAVUSFLOSITE]プロキシマ系鉱物 Potassium Hexacya No Ferrate(ll) Terrahydrate, etc

[FLAVUSFLOSITE]プロキシマ系鉱物
Potassium Hexacya No Ferrate(ll) Terrahydrate, etc

[VIRIDISITE]プロキシマ系鉱物 Nickel (ll)Sulfate Hexahydrate, etc

[VIRIDISITE]プロキシマ系鉱物
Nickel (ll)Sulfate Hexahydrate, etc

[AMBERITE]プロキシマ系鉱物 Lithium Trisodium Chromate Hexahydrate, etc

[AMBERITE]プロキシマ系鉱物
Lithium Trisodium Chromate Hexahydrate, etc

 

*作品集「プロキシマー見えない婚礼」より抜粋編集しております。小林健二が2000年当時に執筆した内容が、まさに今立証されているものもあり、不思議な感覚になります。

化学実験や電気の不思議な働きなどを自身の作品を通じて楽しむ体験型のトークショーを行っている。 *Gallery ef(東京)でのトークの様子。

化学実験や電気の不思議な働きなどを自身の作品を通じて楽しむ体験型のトークショーを行った時の画像。
*Gallery ef(東京)でのトークの様子。

個展[CBALT CHRYSALIS] ARTIUM(福岡)で開催された展覧会は、培地を使用した実験的な内容。画像は作業中の小林健二

個展[COBALT CHRYSALIS]
ARTIUM(福岡)で開催された展覧会は、培地を使用した実験的な内容。画像は作業中の小林健二

展覧会[COBALT CHRYSALIS」の詳しい内容はhttp://www.kenji-kobayashi.com/1992cobalt.html

展覧会[PROXIMA-INVISIBLE NUPTIALS]の詳しい内容はhttp://www.kenji-kobayashi.com/2000proxima.html

 

KENJI KOBAYASHI

 

リアリティの解明

小林さんの仕事に関して、まず特徴的なのはその活動の広さ、例えば、美術の中だけでも様々な方法を取られているし、他に音楽、映像、文章など様々な分野に渡っていますが、そのあたりご自分ではいかがですか?

「ものを作ったり表現しようとする上で、何か規則や取り決めがあると窮屈に感じてしまう。一人の人間として生きていたいと思い、その発露として何かを作りたいと思うから、方法や様式に無理に当てはめようとは考えていない。」

[ETAPHI] VIDEO WORK:KENJI KOBAYASHI(小林健二映像作品) presented by PICTURE LABEL & Music Design

[ETAPHI]
VIDEO WORK:KENJI KOBAYASHI(小林健二映像作品)
presented by PICTURE LABEL & Music Design

{SUPER DORMEN] mixed media 4500X3200X2200(mm) 1987 会場に巨大なモニュメントのような作品を製作し、その下のモニターでビデオ作品を流した。

[SUPER DORMEN]
mixed media
4500X3200X2200(mm) 1987
会場に巨大なモニュメントのような作品を製作し、その下のモニターでビデオ作品を流した。


“Erbium” written and vocal+guitar by Kenji Kobayashi from Kenji Channel on Vimeo.

*上記は中学生の時に作った音楽を2016年6月のトークショーの時に、オマケミニライブとして初披露。その時の動画です。(ライブ映像に新たに画像を足して編集)

銀水色版[みづいろ](愛蔵本) 体裁:B6変形/上製本/P136/活版印刷/函入り  装丁:小林健二 見返し及び挿入紙は、巻き見返しという技法を使い、本のノドまで自然に開くとこができます。また函は丸背の本がきれいにおさまるように、天地部分を同じような丸みでカットしてあります。全体に白くあえかな感じでありながら、しっかりとした美しい本です。 1993年に松明堂極光書房より発行されましたが、長らく品切れとなっておりました。其の後よせられた要望により、銀河通信社版として2005年に銀水色の活版印刷にで出版されました。 (これは実話にもとずき、綴られた本です。小林健二が子供の頃よりノートなどに書き留めていた「みづいろ」や「銀の水路」は、1979年に一度まとめられました。それを「夜と息」を加え1993年に「みづいろ」として出版されました。)

銀水色版[みづいろ](愛蔵本)
体裁:B6変形/上製本/P136/活版印刷/函入り 
著者+装丁:小林健二
見返し及び挿入紙は、巻き見返しという技法を使い、本のノドまで自然に開くとこができます。また函は丸背の本がきれいにおさまるように、天地部分を同じような丸みでカットしてあります。全体に白くあえかな感じでありながら、しっかりとした美しい本です。
1993年に松明堂極光書房より発行されましたが、長らく品切れとなっておりました。其の後よせられた要望により、銀河通信社版として2005年に銀水色の活版印刷にで出版されました。
(これは実話にもとずき、綴られた本です。小林健二が子供の頃よりノートなどに書き留めていた「みづいろ」や「銀の水路」は、1979年に一度まとめられました。それを「夜と息」を加え1993年に「みづいろ」として出版されました。)


CRYSTAL-ELEMENTS from Kenji Channel on Vimeo.

組曲[結晶]:suite”Crystal” composed by Kenji Kobayashi・published by RUTIL TWIN RABEL

*1980年頃よりカッセトテープなどに録音してきた小林健二の曲の数々を、2007年にCDとして編集しました。その音楽と小林の結晶作品[CRYSTAL ELEMENTS]とのコラボ動画です。

 

一人の人間として生きていたいとおっしゃいましたが、表現したいと思ったその時に、観客は小林さんにとってどんな存在なのですか?

「難しいことだから、すぐにはうまく答えられないんですが・・・まず自分の心の中に湧いてくる、それまで見たことのないヴィジョンや世界を、とにかく物質化したり具体化させて自分がまず見て見たいという欲求がある。それからきっと作り始めるけど、最終的にはそれで人や外界とのコミュニケーションの手段になるという思いがあるから、もし自分がたった一人で山の中で暮らしているとしたら、作るという必然性がぼくの中の個人的なものだけになってしまうと思う。だからぼくにとって社会との関係をはっきりさせてくれるような・・・。」

絵画技法はどう修得したのですか?

「絵画技法というとぼくの場合、どこまでか分からないけど、ぶきっちょコンプレックスが色々な道具を集めさせたり、好奇心が強いから色々調べ物をしたりすることも、結局は自分の興味のあるがままにやっているから、何においても独学になっちゃう。」

多くの作家はイメージをどう物質化するかで悩むと思うのですが、小林さんの場合はどうですか?

「それは難しいですよ。イメージと現実化した作品との間には多くの嘘も出てきてしまう。ただその「うそ」を積み重ねていかに「ほんと」に近づけるかということなんでしょう。」

作品集の中に「今あるものは、死が支えている」という小林さんの言葉が大変印象的だったのですが、このことについてもう少し説明してください。

「ぼくたちが着ている服の素材にしても、毎日食べているものにしても、ぼくたちの生活に欠かせないものはほとんど、動物や植物たちからもらったものでしょ。生きているものは、その命を投げ出してくれたものたちに、まさに支えられているんじゃないかな。だけど、スーパーに置いてあるきれいにパックされたものしか知らなかったら、その死の存在を想像できない。命が奪われるというドラスチックな光景をまのあたりにしていたら、その命への感謝は自然に生まれるだろうと思う。「死」から目を背けるような社会全体の流れがあるかな?

人間は自然を凌駕するのではなく、調和すべきだと目覚めてきた現代。

でも昔から日本人は自然や天然とともに生きて来たと思っている。それをあえて「反自然」へと生活の方向を変えて、素晴らしい過去の知恵を捨ててしまっているかのようだ。

木を切り倒すとき、木はなされるがままに、まるで拒むことなどないかのように死んでゆく。でもそんな時に木の叫びのようなものを聞いたような、そんな気持ちが人間の心の中に起こったら、やはりむやみに切り倒してはいけないんだという思いもわくかもしれない。

なぜ宇宙があるのか、終わりがあるのか、なぜ生きているのか・・・。難しい問いの前に、ぼくらの日常の流れに「死を意識することで、知ることができることがある」と、生の意味を変えてくれるように思う。」

「私たちは自分たちの故郷を鉛色に変えつつありながらも理想郷をいつも夢見ている。」 木、鉛、鉄、紙、電子部品、キャンバスに油彩(電磁石を使った特殊な仕掛けにより前にある作品の球が浮いている) 2300X1300X2000mm  1989

「私たちは自分たちの故郷を鉛色に変えつつありながらも理想郷をいつも夢見ている。」
木、鉛、鉄、紙、電子部品、キャンバスに油彩(電磁石を使った特殊な仕掛けにより前にある作品の球が浮いている)2300X1300X2000mm 1989

リアリティということに対してどのようにお考えですか?

「リアリティ・・・・その言葉の意味がちょっと分かりづらいけど・・・。でも自分の生活に強く影響を与えた体験はあります。それは中学生のころ、不眠症が続いた後、一瞬の眠りにつくことができたとき、よっぽど今のこの現実より現実的な感じというか・・・その瞬間に体験したことがものすごくリアルだったんです。

光の粒子によって自分もその中に還元されていうような気持ちになった・・・。

その後童話のような文章を書いた、それは「ひかりさえ眠る夜に」と言って、ちょうどこんな感じなんだけど。

最初光しかない宇宙があって、時間も距離もない。だけど、宇宙自身が「自分とはなんだろう?」と思った時、光の一部が物質化するために集まりだし、光の速さでさらに外側に広がるから、人にはきっとビックバンに見えた。この光量子、高分子化してゆく事象には、細胞や多細胞を過ぎて小動物や人間に至ってもその存在への疑問は残される。光としての自由なイメージは残っていても、人はなかなか自由ではない。でもいつか全ての疑問が消えて光に戻ってゆく。実は自由な光が深い物質化の眠りの中で見たものが、ぼくたちのこの現実だという内容。結構この光の最初の願望こそが、生物が共有できる感覚ではないかと今でも変わらず思っているところがあるんです。」

*1991年のメディア掲載記事より抜粋編集し、画像は新たに付加しています。また「ひかりさえ眠る夜に」という個展が福井市美術館で開催された時の会場画像と図録に書かれた小林健二の文章を同時に下記します。

[ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT-ひかりさえ眠る夜に] 2003 福井市美術館での個展

[ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT-ひかりさえ眠る夜に] 2003
福井市美術館での個展会場の一部

個展の詳しい内容はhttp://www.kenji-kobayashi.com/2003onanight.html

 

15才のときの出来事

「ひかりさえ眠る夜に」という言葉は、高校1年の頃の原稿用紙やノートに書いた童話っぽい物語から、タイトルをそのまま使ったものです。その文章を書いたきっかけと言えば当時見た「夢?」あるいは白昼夢のような一連の幻によるもので、しかしそれは夢と言ってもいつも浅い眠りの時に見るものとは大きく異なっていて、ぼくを驚かせ、印象的で、子供の頃から惹きつけられてきたすべての要素を持っていました。

その一連の経験は、何か神秘的な宗教体験とも思えないし、自分の上にだけに起こった特別な出来事とも考えませんでしたが、その鮮烈な衝撃はまるでローラーコースターに乗っているような強い興奮と、あたかも深海の中でしばらく気を失っていたかのように感じる神妙な気持ちがないまぜになって、ぼくを混乱させました。しかしながらそれは同時に、その後今に至るまでにも他には無い陶酔感をぼくに残したのです。

この客観的に観たら目立ちたがり屋の作り話に感じられるだろうことについて、自分なりにいろいろ考えたものです。

ぼくは中学の頃より不眠に悩まされ、幾種類かの薬を服用していたために、その副作用による一種の幻覚であったのかもしれないとも思え、専門医に相談したこともありました。彼は少し笑いながら「君の薬には君に夢を見させる力があるとは思いづらいけど、それが君にとって良い夢ならよかったんじゃない?」と軽くあしらわれた感じでした。

15才と言えば、楽しい事や悩みなども友人や誰かと共有したいととりわけ思う年頃だったと思います。しかし、ぼくはその「夢?」について誰かにすぐに話を聞いてもらおうとはしませんでした。

それにはわかりやすい2つの点があったからです。1つ目には「どんな友人だって他人の夢などにとても興味なんか持てないだろう」と思ったことと、2つ目に、その出来事について話すとするとぼくの表現力や語彙はあまりに稚拙だと知っていたからです。

しかし、その体験は一人のちっぽけな人間にとって、その後の生き方に確かに何がしかの影響を与えたのです。つまり幼い頃、兄からもらった望遠鏡で月や星を見て将来天文学者になろうと考えたり、タテ笛が好きだったというだけで笛吹きになろうと夢想したり、そんな風見鶏のように日々の関心で変わるそれまでの気分屋を、その出来事が何かの方向を探し続けたいと、非力ながら考えさせはじめたことは本当でした。

子供の時から絵を描く事は好きではあっても怪物やジョウロのようなへんてこなものしか描かない人間が、できるならずぅっと絵を描いていたい、そして宇宙や星の涯にある世界の事を考えたり、あるいはまだ巡り会えないでいる誰かや何処かのことを想い続けて手紙を書くような、そんな途方もないことをやり続けたいと勝手に確信してしまったのです。まさにそれほどその「夢?」はぼくにとってすばらしく、また美しかったのです。

ぼくは時々「夢見がちな人」というような評価を受けることがありますが、それはどうなのだろうと思いもします。なぜなら絵を描いたり、造形作品を作ることは思いのほか現実的です。技術的にも時には経済的にも時間的にも、あらゆる面に於いて生々しい壁は立ちはだかるものだからです。

でも、ぼくはこの仕事を通し子供の時からの内省的な自己を、外の世界と交通させたいと願ったわけですから、確かに「夢見がち」なのかも知れません。

人間にはもともと「本当の事」を探し続けようとする一種の特性のようなものがあって、それはまた人間の本質的なところでもあるとぼくには思えることがあります。でもそれによって人が担う事もたくさんあるのでしょう。「この世」と人間が感じているものが、人間のためにだけ存在しているとは思いづらく、逆に自分たち人間の社会を支えるために多数のものを犠牲にし、その上に成り立っている事を多くの人間たちは知っています。ですから人間がこの世の全体的成り立ちに就いて思考する努力を惜しんでしまったとしたら、この地球から人間がある日消え去ってしまった方がどんなにか、この星を楽にするような気がしてしまうのです。

約半世紀を生きている自分が夢のことを人生にまでふくらませて話していることが、どれほど愚かしく思われても仕方の無い事と十分にわかっているつもりです。しかし、的確なことばを見つけることはできませんが、「神」と一言で呼ぶことができない、この世を知りたいと願う「何か」によって深い眠りについた「ひかり」たちの夢の一部に、ぼくらの知る世界があり、それによって「この世」は生まれたと感じるような子供たちが世界に広がったとしたらどうなのか想像してみたいのです。この世界がすべて「ひかり」によって夢見られたものであるとしたら、いかなるすべての人の目や心にとらえ得る世界は、それこそ世界が探し続けているものであり、ひとりぼっちで風景を眺めていることも、どんなに辛さを感じている時でさえ、それはこの世が探していることの断片を常に担っているのであり、意味の無い人間は誰もいなく、またいかなる瞬間も必然性を孕んでいるということではないでしょうか。

すべての始まりはひとつのもので、あえていうなら「時間」という奇跡によって変成しているようにみえる現象であり、自も他も無く本来とても深いところで「全く同じもの」だと認識したら、その子供たちの心に宿る世界には「差別」、「戦争」、「略奪」といった、自分が自身をまるで奪い合い傷つけ合うのと同じ事が、どれほど無意味な事とその瞳に映るのではないでしょうか。

それこそ「ひかり」のもと居た場所までは、まだまだ遠いところであったとしても、そんな探すべき何かを知った子供たちや大人たちが地球人であったとしたら、それは遠メガネみたいに小さなものでも無数に集まれば巨大な望遠鏡となるように、まるで色とりどりの花々が空を見上げているように思えるでしょう。

宇宙は広く果てしなくても、きっと人間は孤独ではなく、友人たちはお互いに探し合っていていつか出会える筈だからです。

宇宙がそれぞれを発見し合い、それぞれの多くの謎を解き明かし連帯し合い、不変で永遠な最も安らいだもと居た場所へと還ってゆくようになったとしたら、それはとても素敵なことに思えるのです。

あの15才から30年以上経った今でさえ、偶然に出会った一連の夢のような出来事から与えられた記憶の方が、少しも色褪せる事もなく日々生活している日常より遥かに生き生きとしていて、表しきれない「本当の世界」のような気がしてならないのです。

小林健二

*[ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT]図録より

 

KENJI KOBAYASHI

 

 

 

プレパラートと森の友人

東京オリンピックの次の年の夏休み、大掃除の日、家の中を片していると、木の箱に入った顕微鏡が出てきた。

兄のものであった。彼は”これはお前にあげるよ”と無造作にくれたが、ぼくにとっては何か重くて高そうで、彼が気を変えない内に自分用のボロボロの机の下に押し込んだ。その時の何か、パスポートを手にしたような、そんなワクワクする実感は今も忘れない。

最初は、隣組の友達とそこいらの葉っぱや砂や死んだ小さな虫なんかを見ていたりした。

もしぼくにこの時、科学者的才能があったなら、小さな発見でもできたのだろうが・・・当時すでに「恐竜博士」という輝かしい称号を持っていたぼくは、何がなんでも恐竜にはじまり、恐竜に終わる日々をおくっていた。一心不乱に恐竜の本を顕微鏡で覗く姿を見る家族は、さぞため息の出たことだろう。

科学実験をする小学生の頃の小林健二。偶然に発見された古い写真。

実験をする小学生の頃の小林健二。偶然に発見された古い写真。

五年生になって科学クラブに入ったぼくは、簡易なプレパラートの作り方を習ったりして得意になっていた。しかし、生来の不器用者には、永久プレパラート(バルサムなどを使用した保存性の高い顕微鏡標本)の制作は苦手で、気泡が抜けなかったり、またカヴァーグラスがバルサムで盛り上がりすぎて、対物レンズで標本を壊したり、恐竜博士には、なかなかままなら無い大人の世界への長い道のりが、そろそろ見え隠れしていた。そのうち相棒が遠方へ行ってしまったことがきっかけとなって、顕微鏡はほこりをかぶり始めたのだった。

偶然に発見された数枚の写真の一枚。服装から中央で顕微鏡をのぞいている少年は、小林健二と思われる。

偶然に発見された数枚の写真のうちの一枚。服装から中央で顕微鏡をのぞいている少年は、小林健二と思われる。

いつか時間があったらゆっくりじっくり研究?三昧してやるんだと思いながらも、身近に起こる由無事が10代を通り来させて、20代も後半になった1984年の夏ころ、少しづつだけどアトリエの一番奥の(そう、いつの間にか絵ばかり描くのが生活になっていた)小さな部屋の1隅に、始めたばかりの電気の測定器や試験機に混じって、光学光源器の力をかりて、夜な夜なプレパラートを再び光らせることができはじめていた。

正直に言ってぼくは美術的な事象に対して、特に影響を求めたことはない。しかし、子供の時から憧れの科学者たちの世界に、強く引かれていたと思う。書籍であっても今にいたるまで、小説などはほとんど読むことはないが、「子供の科学」や「恐竜図鑑」は言うに及ばす、河出の サイエンス・スタディー・シリーズの「水の伝記」や、ガモフの「不思議の国のトムキンス」そして三宅泰雄氏の「空気の発見」など、言い出せば枚挙にいとまがない。特に三宅氏の「空気の発見」は未だ言うなれば座右の書出会って、ぼくのバイブルのように今でもぼくに勇気を与え、どれだけ心を癒してくれたか分からない。とりわけその核心的なところを一部引用するならば、第1章の終わりのこんなところだろうか・・・

「(前略)ガリレオがはじめて空気に目方があることを発見してから、アヴォガドロの分子説まで、およそ、250年が経過しました。その間、多くの天才たちが、一枚一枚、空気の秘密のベールをあばいていきました。イタリー人も、フランス人も、イギリス人も、またドイツ人も、同じ目的のために一生を捧げました。私たちが、これまでに学んだのは、この目的のために一生を捧げた多くの人々のうちの、もっとも、偉大な人々と、その人たちの仕事についてでありました。しかし、私たちは、この人たちによってのみ、科学が進んだと考えではなりません。否、これらの偉人たちのために、かれらが高くとび上がるために、かたい土台をきずいた、数多くの名もない研究者のあったことを忘れてなりません。みなさん、私は君たちの中から、第二のラヴォワジェ、第二のドルートンの生まれることをどんなにか、楽しみに待ち望んでいることでしょう。しかし、私がもっと君たちにのぞみたいことは、たとえ、むくいられることがなくとも、また、たとえめざましい研究でなくとも、科学の巨大な殿堂のかたすみに、ただ一つでも誠実のこもった石をおく人に、なってもらいたいということです。」

小林健二の顕微鏡など

小林健二の顕微鏡など

小林健二個展[EXPERIMENT1]会場画像(Gallery MYU)

小林健二個展[EXPERIMENT1]会場画像(Gallery MYU)

小林健二個展[EXPERMENT1] 小林自作のプレパラートがピンク色のバックライトとともに会場に展示され、多重焦点式の自作プレパラートを中央の偏光顕微鏡にて観察できる。

小林健二個展[EXPERMENT1]
小林自作のプレパラートがピンク色のバックライトとともに会場に展示され、多重焦点式の自作プレパラートを中央の偏光顕微鏡にて観察できる。

小林健二自作プレパラート

小林健二自作の多重焦点式プレパラート

小林健二自作の多重焦点式プレパラート

小林健二自作の多重焦点式プレパラート

小林健二自作の多重焦点式プレパラート

小林健二自作の多重焦点式プレパラート

小林健二自作の多重焦点式プレパラート

小林健二自作の多重焦点式プレパラート

小林健二自作の多重焦点式プレパラート

小林健二自作の多重焦点式プレパラート

小林健二自作の多重焦点式プレパラート

小林健二自作の多重焦点式プレパラート

ぼくを引きつけるイメージの中には、これら科学の持っている、さらに拡大して言うなら、自然や宇宙の持っている巨大な無名的現象にあるのかもしれない。科学者と名のつく人々に於いても、エジソンやレントゲンいざ知らず、パーキンやガロアやテスラではあやしくなって、日本人でも丘浅次郎や河野広道のこととなると、名前はともかくその人の仕事ということになると、知っている人を探す方が難しいだろう。しかし、彼らはぼくにとっては強い影響と感動を与えてくれた人々であった。ある意味では、本来なら目に見えにくい、見過ごしてしまいそうなものを見つめ続けた人たちなのかもしれない。

泥のような実験廃棄物から鮮やかなすみれ色「モーブ」を発見したウィリアム・パーキン。

その数学的天才を持ちながら周囲には認められることもないまま、弾圧的時代に革命思想と政治運動に身を投じ、殺害されてしまったエバリスト・ガロア。

世界の平和を夢み、高周波振動の電気的共鳴を利用して、地球上ならどこでも空間からエネルギーを取り出せる「世界システム」を考案しながらも、そのイメージを理解されることなくホテルの一室で孤独のうちに最期を迎えたニコラ・テスラ。

その素晴らしい発明はたくさんの人命を救う手助けをしながらも、「私の発見は全人類のためのものだから、私個人の利益の内ではない」という言葉とともに、特許などによる莫大な利権を断固拒絶して、貧困の中で生涯を閉じたヴィルヘルム・コンラット・レントゲン。

苔虫などを研究し、その中に貴賤貧富の差もなく争いもない、犯罪もなくそれを防止する道徳、宗教、法律、警察、政府なども必要でないという無政府協和の楽園を夢みた、丘浅次郎。

雪虫などを研究し、森を愛し、数々の生態系より理想的集団社会を夢みながらも、当局によって弾圧、そして投獄。その生前に自著の出版を見ることなく他界した、河野広道。

誰もが知っている発明王、トーマス・アルバ・エジソンでさえ、その晩年には、サイエンティフィック・アメリカンのインタビューに対してこんなことを答えている事実はあまり知られていない。

「もし私たちの人格が死後も生きつづけるものなら、私たちがこの世で得た記憶や知性、それにいろいろな能力や知識もそのまま保たれていく、と仮定することは、十分理論的であり科学的であると思います。したがって、死後の人格が生前この世に残していった人々と交信したがっていると考えてもよいはずです。私は、死後の人格は物質に変化を与え得ると考えたい。もしこの考えが正しいなら、あの世にいる人々が変化させたり動かしたり操作したりできるような精巧な装置さえ作れば、それはきっと”何か”を記録するに違いありません。」

そう、人知れず有ることに、ぼくはどんなにか思いを馳せ、また引きつけられることか。繁華な街よりはふた筋裏の静かな路地、平積みの新本よりは忘れられたような古書。自分自身ゴロゴロしているのが好きなせいか、人込みや雑踏、騒音やせわしなさがどうしても苦手だ。だから一年の内でも気のおけない友人たちと会ったりするのがせきのやまなのだ。

個展開催にあたり同時に発行されたART BOOK「EXPERIMENT1」

個展開催にあたり同時に発行されたART BOOK「EXPERIMENT1」
部数限定で製作されたもので、内容は小林自作プレパラート+データファイル+顕微鏡写真(ポジフィルム)、小冊子、多重焦点プレパラートのカードセット(製作+撮影:小林)が特殊ビニールケースに収められたもの。

*上記の記事はART BOOK「EXPERIMENT1(発行Gallery MYU)」の左下オレンジ表紙の小冊子から編集抜粋し、画像は新たに付加しています。また、下記テスラについての記事は小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しています。

自身が発明した装置の前で本を読むニコラ・テスラ(Nikola TESLA)

自身が発明した装置の前で本を読むニコラ・テスラ(Nikola TESLA)

同調回路の発明者

コイルとコンデンサーによる同調回路は、 2人の研究者によって個別に発想されたと考えられます。その2人とはコヒラー検波器の発明者でもある科学者オリヴァー・ロッジ(1851-1940)と、不遇の天才科学者ニコラ・テスラ(1856-1943)です。

オリヴァー・ロッジは1898年に同調回路(共振回路)の特許を取得し、この発明は1911年にマルコーニ社によって買収されます。彼は英国のリヴァプール大学で物理学の教授をしながら原子核理論を研究していましたが、そのかたわら当時超感覚を有すると考えられていた「パイパー夫人」をも研究し、死後の世界との対話にも興味を持っていたようです。

現代において科学や物理はこのように「霊媒」という現象に対して何ら関与するカテゴリーを持ちませんが、 19世紀から20世紀にかけての科学や物理はむしろ積極的にこれらに関わり、実際的な発明の着想をそこから得ていたこともあるようです。

もう 1人のニコラ・テスラと言えば、磁束密度を表わす単位テスラ(記号T)に名を残す、クロアチア生まれのセルビア人です。

彼は現代電気動力に使われているインダクションモーターの発明者であり、また高周波の高圧を二次側に発生させることのできるテスラコイルと呼ばれる変圧器にもその名を残しています。そして彼は現代の電気学の基礎ともなる交流理論に対しても多くの貢献をしたといわれ、また「テロートマトン」という現在のラジオコントロールシステムの元となる考え方を示したり、「ジアテルミー」「ハイパーサミア」と呼ばれる一種の電磁波健康治療具など実用性の高い発明も多く残しました。

その中には当時、無線通信の同調回路としては特許こそ取得しませんでしたが、多くの共振原理を利用したものがありました。そしてそれはおそらく1892年以前にテラスが電磁波における共振理論をすでに考えていたことを暗に証明していると思えます。

テスラの共振同調機構を使った発想のもっとも顕著な例は「世界システム」でしょう。それは地球を一つの導体としてとらえ、さらに彼の考える地球定常波 earth wave vibrationと共振する高周波振動として電力を電送し、アンテナとアースさえあれば地球のどこにいても空間から随時電力を取り出せる(まるで鉱石ラジオのように)というものです。

この考えはその是非を問われる以前に、実験中止に追い込まれます。それはその考え自体の限界というよりも、地球全体を一つの共同体としてとらえるような視点が国境や国の利害を超えて発想することのできない事業家や国家にとっでは理解しがたく、そのような人意がまず大きな障壁になったといえるかもしれません。

この稀代の大発明家は、無線による通信、電話、あるいは高周波による現代の科学に多大の影響と貢献を与えながらも、なかば意図的に人間の歴史から無視されてきたように思えます。その理由は定かではありませんが、彼のあまりに早すぎたいくつかの発見や発明は、電気の世界に不慣れな一般大衆に必要以上の脅威を与え、そして時に彼よりも世間的にうまく立ち回れる少数の人々によって巧妙に利用されたふしがあります。

彼は20世紀初頭にはカリスマ的な栄光のなかに輝きの人生を送りながらも、1943年1月7日ニューヨークにあるホテルの一室で、一文無しの老人としてこの世を去ることになります。その後、マルコーニとの間で長年争われてきた無線通信の基本特許に関する裁判でテスラ側は勝利を得、「同調回路」の真の発明者として名実ともに認められることとなります。彼の死から半年後、 1943年6月のことでした。

KENJI KOBAYASHI

 

 

「懐かしい」って不思議な言葉

懐かしいと言ったら、ぼくはやっぱり駄菓子屋さんかな。安いけど工夫された楽しさが溢れていた。いつもお店は子供たちでいっぱいで、知らない同士でもすぐ友達になれたものだった。それから模型屋と科学博物館だね。

模型は飛行機で、日本やヨーロッパのものが好きだった。透明な風防の中を覗いていると、誰かが座っていそうで、中から見える風景を想像してワクワクしていたんだ。学校をズル休みして時々行った科学博物館は古めかしくて重厚で、それがまたなんとなく神秘的で素敵だった。

一人一人の懐かしい思い出はそれぞれに個人的なことが多いけれど、雑誌やテレビ番組なんか同世代だと共通していたりするよね。ぼくは昭和32年生まれだから、鉄腕アトムやウルトラQの時代かしら。

健二製作のプラスチックモデル(スケール1/72)

健二製作のプラスチックモデル(スケール1/72)

雑誌なら「少年」そして「マガジン」や「サンデー」も懐かしい。でもテレビの「恐怖のミイラ」や「マリンコング」「アウターリミッツ」や「世にも不思議な物語」なんかはどうだろう。ぼくは不思議なことがとりわけ好きでよく見ていた。

そういえばこの「懐かしい」って言葉も不思議だね。なぜかっていえば、それは記憶や思い出の中でもきっといいもの、あるいは今となってはいいものばかりなんだ。英語や仏語でも思い出を表す語は色々あると思うけど、思い出すのは必ずしもいいことばかりでないから、いい感じの思い出、素晴らしい記憶といったように、一語で「懐かしい」といえる言葉って他の国ではあまりないようだものね。

「懐かしさ」って全てを肯定しているからこそ口をついて出てくるんだと思う。

そんな文化を持っているぼくらの国なのに、今は何もかもが早く過ぎていき、少しみんな疲れているんじゃないかしら。だから今よりも時間がもっとゆっくり流れていた昔見たような風景なんかに出会うと、思わずそこでしばし休息したくなるんじゃないかしら。

小林健二

*2000年のメディア掲載記事を編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

*下記は富山県立近代美術館での展覧会図録に寄せられていた文を抜粋し、これも画像は新たに付加しています。

「TOYAMA ART NOW-ポーランドと日本」の図録

「TOYAMA ART NOW-ポーランドと日本」図録の小林のページの一部

子供の頃読んだ本の中に、片方の目にだけある不思議な薬を塗ると、普段ならみえないたくさんの宝石が見える、というような内容のものがありました。結局その主人公は、もっとよく見ようとして両目に塗ってしまい、何も見えなくなってしまうのですが、その本の挿絵を見てはしゃいでいるものがありました。ぼくはとりわけその絵が好きでした。

ぼくはまた、古代の世界やそんな時代に書かれたものかもしれない書物とはいかなるものかと考えたり、ある日机の引き出しを開けるとその中で青い発光体が静かに浮かんでいるといった幻について想ったりしていることが好きです。

ぼくはそのような隠れたとこや見えにくい場所に、何か素敵な宝物があるような気がしてなりません。そして、そんな目に見えない透明な通信で交わせる世界があることを信じているのです。

小林健二

2000年に開催された別の個展での展示

2000年に開催された別の個展での展示。この時は広い会場が3部屋に分かれていて、第一室は小林健二のアトリエを彷彿とさせる展示内容になっていました。

小林健二作品

小林健二作品「セフェルイエッジラーの書」シリーズ

小林健二作品「ゾハールの書」

小林健二作品「ゾハールの書」

KENJI KOBAYASHI

 

小林健二の”光の詩学”

小林健二の表現領域は、タブロー、オブジェ、イベント、インテリア、ビデオ、写真、音楽、、、とジャンルを問わず活動を広げてゆく。小林のアトリエには、彼が少年時代から集めたり、自分で製作した道具類が2万点余、さながら錬金術士の工房のように詰まっている。父親が刀鍛冶だったので、子供の頃から道具は身の回りに溢れていたという。

ー道具は文化そのもの

「道具って、素材や作るものに対して自分がどう関わるか、自分なりのイメージがないと意味がないんですよ。道具を考えるということは、いわば自分を考えるということなんです。そして自分を考えるということは、結局人間を考えるということなんです。

たまに古道具屋でぼくも見たことのない道具に出会うんです。それでしばらく使っていると分かり始めてくるんです。そうすると、こういう考え方もあるんだと感じるわけです。道具を理解することは、文化そのものを理解することなんです。

今は電動工具に代表されるように道具が世界的に簡便化されてきていますよね。道具が簡略化されるのは、ある意味では目的意識がはっきりするけど、目的に対してになっていくものが少なくなっていくことですね。自分自身が手を動かし、自分自身が味わったりする一番大切な領分が簡略化されるから、結果的には作業が早く終わるし苦労も少ない。その分喜びも伴わないかもしれないから愛着もわきにくいかな。

文化というものの基本は、機能や実利や合理だけでは説明できない、人間の一番大切なものを担っていると思うんです。そういうものを基本に置かないと、美術も何もない、、、やっぱり作るという行為と人間と作られるものの関係は、太古から原理的に全然変わってないわけですよ。」

[UTENA]special edition 1984 小林健二が高校生の時に見た”光の夢”を元に作られた本(自家製本)

[UTENA]special edition  1984
小林健二が高校生の時に見た”光の夢”を元に作られた本(革装による自家製本)

[UTENA]edition of 20 1984 すべての森羅万象は光より生まれ光に還ってゆくという、小林独自の宇宙創造に対する発想による詩集。この画像は20部限定で作られた。その後2008年にIPSYLONより限定50部で再販されている。

[UTENA]edition of 20 1984
すべての森羅万象は光より生まれ光に還ってゆくという、小林独自の宇宙創造に対する発想による詩集。この画像は上の特装本と同じ内容で20部限定で作られた。その後2008年にIPSYLONより限定100部で再販されている。

小林健二のART BOOK

ー光より生まれ、光へと還る

小林は以前「UTENA」という詩画集を作ったことがある。そこには”光の詩学”とでも呼べる宇宙生成論が綴られている。

「ぼくには宇宙ビックバン(大爆発)説というのはにわかに信じられない。ぼくはこう思っている。

宇宙にはかつて光が蔓延して光しかない状態があった。そういう状態であれば、時間もなければ距離もない。そしてそういうものが自分を知りたいと思う気持ちを抱いたとします。自分とは一体なんだろう。こう言う気持ちが集まって光子化していく。やがて量子化が始まり、素粒子なども作っていく。そうやって宇宙の物質化が始まる。

人間という存在も、光が物質化して人間になった。人間が何で森羅万象に興味を抱いているかといえば、人間は宇宙が自分を知りたいと思ったから生まれた現象だからです。光というのは自由だった。なぜなら無限だから。無限であって永遠だから。ぼくたちはどんな時でも永遠の自由を求めるじゃないですか。なぜかといえば、光の残存した意識があるからだと思う。すなわち、ぼくたちが夢見ているのは光であって、逆に言うと、ぼくたちは光が見ている夢かもしれない。光の見ている夢だってことになれば、実はぼくたちがここで感じる森羅万象は「夢なのかもしれない。そして、やがて光という最も安定した形に帰着するものが、」いうならば涅槃なのかもしれない。

ぼくの思考の根底にはこういうヴィジョンもあるんですよ。」

少年時代から天文学、考古学に熱中した小林の語る”光の詩学”は、宮沢賢治やノヴァーリスと同質な世界を夢見る資質を感じさせて魅惑的だ。

小林健二掲載記事

1991年頃の取材記事の一部。

 

ー生き方で夢を与えることもできる

「今は、ぼくたちが文化や理想を考えた時、そもそも人間は何のためにいるのかを考えなければいけない時代になってきている。

歴史を学ぶとしても、なぜ人間は過ちを繰り返すのか、、、何でこんな過ちを目の前にして無力でしかないのかという苛立ちを考えなければ、すべての文化は始まらないと思う。

文化とは人間が生きるための術(すべ)ですからね。

生き方で夢を与えるってのもできると思うんです。ぼくはあと何年生きていられるかしれないけれど、生きているうちにとにかく一生懸命、イキイキと仕事をしていくこと、そういうことが唯一、自分ができることなんじゃないかなと思っています。」

小林健二という現象は、現代にとって何を意味するのだろう。膨大な道具と技術を背景に製作に励む小林の情熱は、空疎な二種に分極した工芸と芸術を新たな統合へ回帰しようとする営みにも見える。

小林が十代でみた夢の記憶は、やがて2003年、福井市美術館での個展「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」開催へと繋がってゆく。

小林が十代でみた夢の記憶は、やがて2003年、福井市美術館での個展「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」へと繋がってゆく。

「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」

「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」

*1989年のメディア掲載記事を抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

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