絵画材料+素材」カテゴリーアーカイブ

鉱物から絵の具を作る

顔料になる鉱物の色々

この記事は岩手のミュージアムで開催された「鉱物から絵の具を作る」小林健二ワークショップをもとに編集しており、画像は新たに付加しています。

とても人気があった企画であっという間に定員に達し、地元のみならず他府県からも多数参加されたようです。「鉱物」というと、何か植物や動物とは違った、動かない、生命を感じないと思いがちで、何か日常とは無関係に思われるような気もします。しかしながら、この地球で長い時間をかけて生成され、そして今私たちの前に姿を現わしている鉱物たちは、宝飾品としてだけではなく、実にいろいろな形をとって生活のなかで生きずいているのです。その一つに、絵の具があげられるでしょう。

石と賢治のミュージアム(岩手)で開催された小林健二ワークショップのチラシです。

この時に実際に使用された鉱物は「マラカイト」と「プルプライト」です。

顔料になる鉱物に関しては下記の別記事を参考にしてください。

マラカイト(Marachite) 岩緑青(いわろくしょう)・主成分:含水酸基炭酸銅・マウンテングリーンとも呼ばれます。緑色の鉱物でその断面まるで孔雀の羽のような縞模様があることから孔雀石と一般的に呼ばれます。かつてクレオパトラがアイシャドウに使ったということで有名な緑色顔料です。マラカイトは彫刻をほどこしたり箱などの工芸品として加工されたりするのでその削った粉やかけらから顔料にしやすい鉱物です。・標本産地:Kolweiz,Shaba,Zaire
プルプライト(Purpurite) 紫石(むらさき石) 写真で見るとまさに名が示す通りのむらさき色ですが、粉体にすると、マルス・ヴィオレットのような色です。セラミックやダイヤモンド砥石で削ると顔料にすることができます。タマゴ・テンペラなどで使えるかもしれません。標本産地:Noumas pegmatite,nearcapeteun,Republic of South Africa

上の画像のような鉱物標本は美しいので顔料にしてしまうのは正直惜しいです。ですのでヤスリ掛けがしやす程度の大きさがある小ぶりな標本で、そして混じり合う他の鉱物が少なく、色彩が象徴的なものを選んぶといいかもしれません。

マラカイトをヤスリで削って顔料を作っているところ

小林健二自作の火山の形をした不思議な実験道具。

噴火口にオレンジの粉末を入れて点火すると緑色の粉体が吹き出してきました。この緑の粉末も顔料になるのです。

用意された材料はヤスリや顔料のローアンバー、テールベルト、ウルトラマリン、そして練るための溶剤となる溶液と親水性を増すための溶液、練り台と、盛り沢山。多めに用意された溶液で、持ち帰った後も工夫により新たな「自分なりの絵の具」が生まれているかも知れません。

顔料ウルトラマリンを溶剤と混ぜているところ。

この時に作った絵の具は「アブソルバンキャンバス(吸収性の支持体)」にも描くことができます。これもワークショップの記事を下記しますので参考にしてみてください。

モレットと呼ばれる絵の具を練るための道具。それぞれに小林健二自作の素敵なケースが仕立てられている。
モレットを使ってこの大理石の板の上で顔料を練って絵の具を作る。これらもまた、専用の小林健二自作のケース付き。20代の頃に作ったもので使い込まれて年季が感じられる。
硬度が低めの鉱物は、このような鉄鉢(てっぱち)で砕いて粉状にすりつぶして顔料にすることもできる。


顔料と絵の具を練る媒材を作るための樹脂などが入った瓶の棚。貴重なものもある。
ラピスラズリの顔料
絵の具を練る練り板は大理石ばかりではない。小林健二愛用のこのパレット?の上で溶剤と顔料が混ぜられ練られてキャンバスに描かれることも多い。木製だがこれもまた使い込まれていい味が出ている。

文+編集:Ipsylon

小林健二個展[IYNKUIDU TFTWONS]

小林健二個展[IYNKUIDU TFTWONS]

2017,9/9(土)ー9/30(土)日曜祭日休廊 11:00-18:30

初日9/9 17:00より小林健二在廊予定・9/16小林健二イブニングトーク:こころの中の風景(ギャラリーまで要予約・参加費500円(1ドリンク付))

ギャラリー椿(104-0031東京都中央区京橋3-3-10 第1下村ビル1F Phone : 03-3281-7808)

http://www.gallery-tsubaki.net/2017/Kenji_Kobayashi/info.htm

小林健二個展[IYNKUIDU TFTWONS]の案内状です。

小林健二個展[IYNKUIDU TFTWONS]の案内状の裏面。

東京京橋にあるギャラリー椿では9年ぶりの小林健二新作展覧会となります。

前回は2008年の[MUTANT]です。

 

型を作るために、バンドソーで木取りしている様子。(小林健二の製作風景)

型に金網をのせ、中央を押して出っ張りを作っている様子。(小林健二の製作風景)

プラスチックのハンマーでゆっくりと型に押し込んでいる様子。(小林健二の製作風景)

金属製のローラーで金網を成形している様子。(小林健二の製作風景)

コーナーはその場で自作した治具で、金網を叩き込んでいく。(小林健二の製作風景)

特殊なハンマーでコーナーをさらに内側から成形している様子。(小林健二の製作風景)

長さ2mを超える作品のパーツが揃っている。それぞれの技法で仕上がっていった3つの不思議な形状。あくまでも製作途中ですが、すでに小林健二独自の世界が現れている。(小林健二の製作風景)

これまで小林健二に愛情を持って仕立てられ、出番を待つ道具たちの助けを借り、彼の心の中にあるイメージが具現化されてゆく。

この後作品がどのような仕上がりになっていくのか、是非会場で対峙して見てください。今週の土曜の9月9日から開催されます。

http://www.kenji-kobayashi.com/2017kk-expreview.html

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インタビュー:小林健二

小林健二という人間を説明することは大変に難しい。画家という肩書きはあるものの、彼は美術という領域だけでは説明できないほど幅広い世界を浮遊しているからだ。

天体、科学、動植物学、その不思議に彼の興味は注がれる。

東京・小石川にあるアトリエはおよそ画家のそれとは思えない不思議な空間である。

膨大な書物と鉱物、そして大工道具がところ狭しと並んでいる。雑然とではない。その並び方一つ取っても彼がそれらを愛していることがよくわかる。

彼の作品は、額縁に納まるモノばかりではないのだ。

「子供の頃から絵を描くのは好きでした。でも、将来絵で食えるかなんてきっと誰も考えていません。ぼくはアルバイトで溶接の仕事もしてたんです。いろんなアルバイトをしましたけどね。溶接というか溶断するんです。怖いんです、火が飛ぶし。途中で火が消えちゃうことがある。場合によっては火がホースの中を通っていく。アセボンベより酸素の方が圧が高いから。ひどい時は ボンベが爆発するんですよ。作業中、火が消えたときに吹管が熱くなって来ることがある。変だなと思って一旦バルブを切ってまたやる。すると後で言われました。『いやぁ、健ちゃん危なかったねぇ。もうちょいでカラスになるところだったよ。』って。『あのまま君がバルブ切らなかったら、アセボンベが破裂してた。』

その時は残量が少なかったからよかったんですけど、そういう時ボンベはロケットになって飛ぶという。カラスになる。一緒にやってる奴らはみんなビビッてやめちゃった。」

こういう話を楽しそうにする人なのである。

小林健二のアトリエの一角(小石川)。

小林健二のアトリエの一角(小石川)。手道具、電動工具などの棚と旋盤など。

小林健二のアトリエの一角。執筆などに使っていた小部屋の内部。

 

小林健二が使用していた吹管(スイカン)

面白くて不思議な人間が作り出すものだから、不思議なモノが出来上がる。自然の不思議がその根底にあるのだ。それは誰にも媚びない彼流の生き方にも現れる。

「東京の生まれだけど、ここも随分変わったと思う。子供の頃から比べると緑は少なくなったし、東京オリンピック前は道も石畳で、よく出かけた上野の科学博物館なんかレンガ造りでシャレていた。

でもどこにいたとしても自分の生き方で生きたいと思っている。ぼくの場合は、考え方と生き方を示すのがぼくの生きている意味だと思う。お金のためじゃなくて、やっぱり仕事をするにも信頼関係って大事じゃない。

(中略)

コミュニケーションって大切だと思う。それはその人が本当の気持ちを話しているから伝わるわけだし、ぼくだって、必死になって伝えようとしたい。それが取りもなおさずぼくの業(なりわい)でもあるわけだしね。

人間って、まずはその人であることが一番自然でいい状態なはずだよ。自分のやりたいことや出来ることをイメージして、そしてその時に出来ることから始めていく。ある程度のリスクは自分の可能性を広げていくにも必要なんじゃないかな。」

20代の小林健二。この頃は何人かの仲間と共同で文京区本駒込にアトリエを借りていた。ドアにそのアトリエの名前が見える。

アトリエアオ(フランス語で表記してある)という屋号は、今でも小林健二の仕事場の名前として使用している。この画像は小林健二が20代の頃、仲間とグループ展を銀座でした時の案内状の表面です。

この画像は小林健二の道具の一部。自作絵の具を作るためのものです。

画像は小林健二の道具の一部。キャンバスを作るためのものです。

小林健二が20代の頃に、自作のアブソルバンキャンバスと自練りの油絵具で描いた作品。

小林健二は20代の頃は溶接のバイト以外にも、額縁製作の仕事もしながら、絵を描き続けていた。これは、たまたま残っていた額縁の画像を掲載しています。

20代の頃の小林健二、絵画技法の研究に熱中していた頃です。壁には自作の変わった形の額縁がかかっています。主に額縁店などに卸していたようで、鏡などが入ったようです。

*2000年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像が新たに付加しています。

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パステルをつくろう

パステル(BT増刊)1993」より画像は複写して使用しております。

パステル(BT増刊)1993」より画像は複写して使用しております。

かけがえのない小さな力で見えない電磁波を探るといった小品から、世界の広さや歴史の重みを圧縮したかのような大作まで・・・小林さんの作品はさまざまな種類の材料と技法の混合でつくられる。作品をひとつのイメージに近づけて行くためには、古典技法や画材の製法から電気的な知識までが必要だ。

アトリエに並ぶ道具や材料の数々もおびただしい。

「道具そのものにも強い関心があるけれど、ぼくの本当の興味は、それらが長い美術史の中でどのように使われてきたかということの方にある。たとえばパステルひとつ例にとっても、いつの時代の画家がどんな色で何をどのように描くために作られたのか、といった条件によって原料の調合や製法もさまざまに違う。そして、そのパステルを作っていた職人が死んでしまうと、同じパステルは2度と作られない。同時にテクニックもまた忘れ去られてしまう運命にある。だから今後、道具をきちんと未来に残して行くとともに技法も伝授する『絵画や道具の博物館』が、美術館と同じくらい必要になってくると思う。」

小林さんはこれらの道具を眠らせることなく、日常的に使いながら製作する。自然界からたまたま今私たちの手元に持ち出されてきた素材たちもまた、全て『生きている』といってもいい。

彼は顔料のもとになる岩石や鉱石の多彩な表情にも思いをはせる。

小林さんの鉱物、岩石コレクションの一部。この中から柔らかいものは顔料にすることができる。

小林さんの鉱物、岩石コレクションの一部。この中から柔らかいものは顔料にすることができる。

「絵を描くことは本来人間にとってプリミティブ(原初的)な行為だということは、古代の洞窟画を見てもわかるよね。鉱物や植物の中から顔料として色彩を探りだし操ることは、天然にある共通の現象を使ったひとつの言語、アレロパシー(物質言語)だと思うんだ。さらに生命を持っていないはずの鉱石が、実はとても有機的な結晶構造を持っていたり、ラジオの電波の検波装置になったりすることを考え併せると、『モノ』にも心があるんじゃないだろうか。」

この時自分で画材を作ることが、絵を描くことに通じる。ともに『モノ』を愛することとして・・・。どんなものとも話ができるというミラクルをファンタジーではなくアートが可能にする。

では、どんな時に、なぜパステルを自作するだろう。

「パステルは柔らかく固着性に乏しく、しかも油で粒子が包まれた油彩絵の具と違って顔料が裸に近く、デリケートに反応しやすいので、技法的に紙の上で色を混ぜるにはあまり適さない。だからたくさんの色数を用意しなければならないんだけれど、それはちょっと大変。それから同じ色を大量に欲しい時。手で持って壊れず、紙の上で粒子に砕ける硬さに固めるのも難しいけどね。」

画材を作るということは、作品を作ることにつながる。現代で失われた『モノを作る』ことの本質が、ここにはある。

「鉱石や薬品から大きな発見が生まれる瞬間は、この世界に自分が自分として生まれてきた理由を見つける旅や実験なんだ。アートやアーティストが『人工』を語源とするものならば、それはいつの世でも、『天然』に対しても対峙できる知恵を持った人でありたいと思うんだ。」

自然の神秘の囁きに耳を澄ますように。自分だけのパステル作りから広がる宇宙へ。

少しづつ買い集めてきたという小林さんのパステルやコンテ。 今では手に入らないものもあるが、日常的に使うことで、その貴重な色は今生きていると言える。お気に入りはセヌリエのiriseというパールカラーのオイルパステル21色セット。

少しづつ買い集めてきたという小林さんのパステルやコンテ。
今では手に入らないものもあるが、日常的に使うことで、その貴重な色は今生きていると言える。お気に入りはセヌリエのiriseというパールカラーのオイルパステル21色セット。

材料は大きく分けて次の三種類。 1、顔料。色の元になるもの。 2、体質顔料。パステルのボディそのものを作る。カオリン(クレーや白土といった粘土の仲間)やムードン(炭酸カルシウム)、ボローニャ石膏(天然の硫酸カルシウム)など。 3、結合材。粒子を膠着させるメディウム。アラビアゴム、トラガカントゴム、膠(ニカワ)など。 これらの材料はたいてい大きな画材店や薬局で手に入れることができる。配合比は自分の好みでブレンドしながら選ぶのが良い。難しいことではあるが、そこに自作する意義がある。

材料は大きく分けて次の三種類。
1、顔料。色の元になるもの。
2、体質顔料。パステルのボディそのものを作る。カオリン(クレーや白土といった粘土の仲間)やムードン(炭酸カルシウム)、ボローニャ石膏(天然の硫酸カルシウム)など。
3、結合材。粒子を膠着させるメディウム。アラビアゴム、トラガカントゴム、膠(ニカワ)など。
これらの材料はたいてい大きな画材店や薬局で手に入れることができる。配合比は自分の好みでブレンドしながら選ぶのが良い。うまくいかない時もあるかもしれないけど、そこに自作する意義があると思う。

1, 作りたい色の顔料と体質顔料(カオリン、ムードン、ボローニャ石膏など)の粉末を均一に混ぜる。体質顔料が多くなると白っぽくなる。

1, 作りたい色の顔料と体質顔料(カオリン、ムードン、ボローニャ石膏など)の粉末を均一に混ぜる。体質顔料が多くなると白っぽくなる。

2,柔らかく握れるくらいになるように蒸留水を混ぜる。料理に例えるならば蕎麦をうつ感覚の柔らかさと言える。

2,柔らかく握れるくらいになるように蒸留水を混ぜる。料理に例えるならば蕎麦をうつ感覚の柔らかさと言える。

3,結合材としてアラビアゴムを用意。水につければ二日で溶ける。あるいは膠の場合は水につけて膨潤させ、40-50度で湯煎して溶かす。

3,結合材としてアラビアゴムを用意。水につければ二日で溶ける。あるいは膠の場合は水につけて膨潤させ、40-50度で湯煎して溶かす。

4,2に3をほんのすこしづつ足してペースト状に。微量だとソフト、多めだとハードな物ができる。色々試して自分にあった硬さを探す。

4,2に3をほんのすこしづつ足してペースト状に。微量だとソフト、多めだとハードな物ができる。色々試して自分にあった硬さを探す。

5,スラブ(大理石の板)か厚めのガラス板の上にのせて、練り混ぜる準備をする。木や金属の板だと違う顔料やゴミが混ざったりする恐れがある。

5,スラブ(大理石の板)か厚めのガラス板の上にのせて、練り混ぜる準備をする。木や金属の板だと違う顔料やゴミが混ざったりする恐れがある。

6,モレット(ガラス製の絵の具をねる道具)かスパテラ(金属製のへら)で練る。成分的に金属を嫌う顔料もあるのでモレットが便利。

6,モレット(ガラス製の絵の具をねる道具)かスパテラ(金属製のへら)で練る。成分的に金属を嫌う顔料もあるのでモレットが便利。

7,均一に練られたパテ状のものを手でパステル一本分の大きさに固める。時間をかけすぎるとボロボロに乾いてしまうので注意。

7,均一に練られたパテ状のものを手でパステル一本分の大きさに固める。時間をかけすぎるとボロボロに乾いてしまうので注意。

8,板を使ってパステルを転がし、円筒形のかたちに整える。あまり細くしすぎると、乾いたときに折れやすいものになってしまう。

8,板を使ってパステルを転がし、円筒形のかたちに整える。あまり細くしすぎると、乾いたときに折れやすいものになってしまう。

9, さらに自作の木型で挟んで成型するのも良い。固まって木型にくっつかないように、このとき紙で手製のラベルを巻いておくと良い。

9,さらに自作の木型で挟んで成型するのも良い。固まって木型にくっつかないように、このとき紙で手製のラベルを巻いておくと良い。

10,完成です。セラドングリーンと薄めのコバルトブルーのハンドメイドのパステルが出来上がった。ホコリのない場所で24時間ほど乾かす。余ったものはラップに包めば保存もできる。

10,完成です。セラドングリーンと薄めのコバルトブルーのハンドメイドのパステルが出来上がった。ホコリのない場所で24時間ほど乾かす。余ったものはラップに包めば保存もできる。

リサイクル

a,失敗して砕けてしまったものや小さくなって使いきれなかったパステルのかけらを、色別に分けて撮っておけば再利用ができる。

a,失敗して砕けてしまったものや小さくなって使いきれなかったパステルのかけらを、色別に分けてとっておけば再利用ができる。

b,作りたい色を考慮しながら、混ぜ合わせるものを選び出し、できるだけ細かく砕いて均一な粉末にする。ホコリやゴミの混入に注意。

b,作りたい色を考慮しながら、混ぜ合わせるものを選び出し、できるだけ細かく砕いて均一な粉末にする。ホコリやゴミの混入に注意。

c,2に戻って同様に適量の水とわずかな結合材を足して、混ぜて練る。あとは同様の手順で完成させる。見事にリサイクルできる。

c,2に戻って同様に適量の水とわずかな結合材を足して、混ぜて練る。あとは同様の手順で完成させる。見事にリサイクルできる。

「眠りへの風景:脈拍」 エンコスティックによる作品(自作のパステルも使われている) 1000X1335X55mm 1992

「眠りへの風景:脈拍」
エンコスティックによる作品(自作のパステルも使われている)1000X1335X55mm 1992

*1993年「パステル(BT増刊)」より抜粋編集し、作品以外の画像は記事を複写して使用しております。

KENJI KOBAYASHI

 

 

夢の場所

ーいろいろなアイディアやプランを書き留めてあるノートをたくさんお持ちですが、これらは夢で見た世界を記したある種の「夢日記」のようなものなのでしょうか?

「確かに夢で見たものを書いたりしているけど、日記という几帳面なものではなく、その時手近にあるノートに絵や簡単な内容なども書いているので、全くその都度という感じです。」

ーすると、何年も前のものと最近のものがバラバラにページに書いてあるという感じですか?

「そうですね。」

「透質の門;西の門」 CRYSTALLINE DOOR ; THE DOOR TO THE WEST 木、紙、硝子、樹脂ロウ wood,paper,glass,wax resin 400X300X56mm 1999 6月の夢から覚めてもその世界の入り口についてすぐには忘れられない。その西の門をくぐるとき体が軽くなるような気がする。この光をとおす大きな石が磁石のように引き付けるのだ。

「透質の門;西の門」 CRYSTALLINE DOOR ; THE DOOR TO THE WEST
木、紙、硝子、樹脂ロウ wood,paper,glass,wax resin
400X300X56mm 1999
6月の夢から覚めてもその世界の入り口についてすぐには忘れられない。その西の門をくぐるとき体が軽くなるような気がする。この光をとおす大きな石が磁石のように引き付けるのだ。

「アマゾナイトの不思議な塔」STRANGE TOWER OF AMAZONITE 鉄、鉛、石 iron,lead,stone 615X300X300mm 1999 夢の中の立体について;トロフィーのような形、その上にアマゾナイトで作られた大きなジャガイモみたいな形をしている。錆びたところはおそらく鉄だろう。特別な意味があるとは思えないが、ぼくの好きな形をしている。6月(1980)

「アマゾナイトの不思議な塔」STRANGE TOWER OF AMAZONITE
鉄、鉛、石 iron,lead,stone
615X300X300mm 1999
夢の中の立体について;トロフィーのような形、その上にアマゾナイトで作られた大きなジャガイモみたいな形をしている。錆びたところはおそらく鉄だろう。特別な意味があるとは思えないが、ぼくの好きな形をしている。6月(1980)

ー今回の展覧会[惑星(ほし)の記憶ー6月7日物語(1999年)]のタイトルに、特定の日が付いていますが、どういうところから出てきたのですか?

「ノートには日付を書くときとそうでない時がありますが、たまたまいくつか似たような日付があって、ぼくは毎年同じような時期に同じような夢を見ているのかな、と思ったりして(笑)。その中で6月とか6月7日、あるいは7月6日という頃のものが何かところどころに会って、その辺のスケッチを中心に取り出してみたのです。」

「蝋のような眠り」DREAMS IN WAX 板に自漉紙、軟質ビニール、ロウ、テンペラ handmade paper,soft vinyl,wax,tempera on board 1230X760X30mm 1999 ロウのような眠り、明るい室内には静かな呼吸と気配がある。鎧戸の隙間をとおして、淡く光を放つそよ風のような物体が部屋に入ってくるらしい。ゆるやかにオルゴールのように回転していて小さく歌を歌っている。まるで遅い中性子星のように抑揚をつけて遠い過去や未来を想いだす。6月7日明るい日(おそらく'89年)

「蝋のような眠り」DREAMS IN WAX
板に自漉紙、軟質ビニール、ロウ、テンペラ
handmade paper,soft vinyl,wax,tempera on board
1230X760X30mm 1999
ロウのような眠り、明るい室内には静かな呼吸と気配がある。鎧戸の隙間をとおして、淡く光を放つそよ風のような物体が部屋に入ってくるらしい。ゆるやかにオルゴールのように回転していて小さく歌を歌っている。まるで遅い中性子星のように抑揚をつけて遠い過去や未来を想いだす。6月7日明るい日(おそらく’89年)

ー作品には何か一種のメタファーや意味があるようにも感じるのですが、そのあたりはどうなのですか?

「夢の中の出来事と言ってしまえばそれまでなわけですし、その本人がスケッチを見て、こんなものがあったのかと思うくらいだから、この頃の夢にどのような脈絡があるのかは自分でもよくわかりません。」

ーでもそれぞれに何か不思議な世界を感じます。こんな風景が「惑星の記憶」というように何処かにあるような。

「ぼくにも実際説明できないけど、何かの機械の一部や発掘物、あるいは生き物のようだったりするものたちが、どこともなく関係しているような気がしないでもないし、ただそれらはみんな夢の場所の出来事ですからね。」

「薄荷のような出来事」 HAPPENING,IT'S LIKE A PEPERMINT 板にボローニャ石膏、ポリカーボネイト、樹脂、テンペラ、ローズ合金 plaster of Bologha,polycarbonate,resin,tempera,rose's alloy on board 940X730X80mm 1999 はっかのような出来事が、晴れ渡った白い世界に出現している。それらはそれぞれ語りあい歌いあう。香りの良い風に似たその歌は心地よく目には見えない地中深くに銀色をした稲妻は封じられていて、謎は時間とともに止まってしまう。

「薄荷のような出来事」 HAPPENING,IT’S LIKE A PEPERMINT
板にボローニャ石膏、ポリカーボネイト、樹脂、テンペラ、ローズ合金
plaster of Bologha,polycarbonate,resin,tempera,rose’s alloy on board
940X730X80mm 1999
はっかのような出来事が、晴れ渡った白い世界に出現している。それらはそれぞれ語りあい歌いあう。香りの良い風に似たその歌は心地よく目には見えない地中深くに銀色をした稲妻は封じられていて、謎は時間とともに止まってしまう。

 「ピンク色の飲料水」 BEVERAGE IN PINK 銅張特殊鋼板に木、油彩、テンペラ、樹脂ロウ wood,oil,tempera,wax resin on bronze covered special metal board 1000X800X40mm 1999 建物のようなこの物体は、見晴らしのよい食堂や何かの昆虫みたいであったりするのだが、実は飛行体で、今はピンク色の飲み物をとって力をつけている。出発は6月7日である。あるいは21日。誰の目にも旧式に見えるが、この型はめずらしくて、そのすじでは名が通っている。光は金色から青色へと、そして透明になっていくのだ。


「ピンク色の飲料水」 BEVERAGE IN PINK
銅張特殊鋼板に木、油彩、テンペラ、樹脂ロウ
wood,oil,tempera,wax resin on bronze covered special metal board
1000X800X40mm 1999
建物のようなこの物体は、見晴らしのよい食堂や何かの昆虫みたいであったりするのだが、実は飛行体で、今はピンク色の飲み物をとって力をつけている。出発は6月7日である。あるいは21日。誰の目にも旧式に見えるが、この型はめずらしくて、そのすじでは名が通っている。光は金色から青色へと、そして透明になっていくのだ。

ー話はかわりますが、平面や立体の作品はそれぞれ色々な技法や素材で製作されていますね。そこには何かこだわりのようなものがあるのですか?

「こだわりというよりも、ぼくにとってイメージを伝えるのに、平面や立体の方が表しやすく感じたり、水彩やテンペラより油彩画の方が向いていたり、その逆だったりする時があるというだけです。」

ー「夢」のようなその人以外からは見えにくい世界を表そうとするためには、かえって現実的な技術や技法も必要かもしれませんね。

「そうですね。そしてまたぼくは色々な古典画法、例えばテンペラやフレスコ画、エンコスティック(蝋画)などに若い頃から興味を持っていますし、透明な液体ガラスを媒剤とするステレオクロミーのような技法にも魅かれるので、それらを勉強することも好きだからだと思います。」

ー確かに蝋のような質感や透明な水ガラスの層、スタッコの盛り上がった感じは、独自な表現ですね。そしてそれぞれの作品に文字が付いているのも面白いですね。

「ノートの中の覚書にはスケッチと短い文章が付いていましたからね。でも文章を読むと、もっと意味がわからなくなってしまいそうですね(笑)。」

「巨きな生き物の平原」HUGE CREATURE' S PLAIN 板に油彩、樹脂ロウ、鉛、硝子、鉄 oil,wax resin,lead,glass,iron 1300X1670X80mm 1999 初夏の夢は大抵いつもゆっくりと、そしてうっとりとしている気がする。暖かく涼しく、そして眠い。大きな生き物たちも霧かもやの中で穏やかでいる。青色の液状平野から、光色のエネルギーを吸い上げている三対の柱をもった生命体はときどき夢の平原のどこかしらに出現していたらしい。そのものは長い時間貯えた成分を虹のような香りや風のような音律にかえてその上部より上方へと世界を楽しませる為に解き放っている。この次に出会った時にもっとその姿を眺めてみよう。そして出来たら少し話しかけてみよう。初夏の国の不思議な風景の中。

「巨きな生き物の平原」HUGE CREATURE’ S PLAIN
板に油彩、樹脂ロウ、鉛、硝子、鉄 oil,wax resin,lead,glass,iron
1300X1670X80mm 1999
初夏の夢は大抵いつもゆっくりと、そしてうっとりとしている気がする。暖かく涼しく、そして眠い。大きな生き物たちも霧かもやの中で穏やかでいる。青色の液状平野から、光色のエネルギーを吸い上げている三対の柱をもった生命体はときどき夢の平原のどこかしらに出現していたらしい。そのものは長い時間貯えた成分を虹のような香りや風のような音律にかえてその上部より上方へと世界を楽しませる為に解き放っている。この次に出会った時にもっとその姿を眺めてみよう。そして出来たら少し話しかけてみよう。初夏の国の不思議な風景の中。

ー小林さんの作品は、頭で考えるというよりも何かもっと説明できない領域にメッセージや詩のようなものを感じる人が多いと思いますが。

「ぼくに取っても合理的に説明できなかったりする部分や言葉に置き換えにくいところが、絵になって出てくるように感じでいます。ですから「この絵は何ですか?」と問われても、すぐには答えられないこともあるんです。でもこんな気持ちで絵を描いている人ってぼくはいるように思っているんですけど。」

「何かを探している」LOOKING FOR SOMETHING 板に油彩、樹脂、ロウ、鉛筆 oil,resin,wax,pencil on board 615X465X55mm 1999 何かを探している。時折その人形は歩き始める。それは何かを探しているのだ。心の中に謎がおこって、その在処を探しているのだ。疑いを持つ時、その人形はいて、信じるものを見つけた時、その人形は消えるのだ。

「何かを探している」LOOKING FOR SOMETHING
板に油彩、樹脂、ロウ、鉛筆 oil,resin,wax,pencil on board
615X465X55mm 1999
何かを探している。時折その人形は歩き始める。それは何かを探しているのだ。心の中に謎がおこって、その在処を探しているのだ。疑いを持つ時、その人形はいて、信じるものを見つけた時、その人形は消えるのだ。

「旅人たちは探されている。石は謎を問いかけている」TRAVELERS ARE SOUGHT,ENIGMAS ARE QUESTIONED BY STONES 木、鉄、石 wood,iron,stone 650X438X218 mm 1999 旅人たちは探されている。石は謎を問い掛けている。この風景を見ているとぼくは夢を見ているのだと知っていた。なぜなら、門のように見えるのは一つの結界で、その狭間から見える世界は蜃気楼のように揺らいでいる。

「旅人たちは探されている。石は謎を問いかけている」TRAVELERS ARE SOUGHT,ENIGMAS ARE QUESTIONED BY STONES
木、鉄、石 wood,iron,stone 650X438X218 mm 1999
旅人たちは探されている。石は謎を問い掛けている。この風景を見ているとぼくは夢を見ているのだと知っていた。なぜなら、門のように見えるのは一つの結界で、その狭間から見える世界は蜃気楼のように揺らいでいる。

*2000年のメディア掲載記事を抜粋編集し、画像は付加しています。

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自作のヴァリアブルコンデンサー

ヴァリコンは簡単な構造のものでもちゃんと機能します。

左から、ガラスに錫箔を貼ったもの、真鍮板を自在に開き具合を調節できる板の内側に取り付けたもの、太さのちがう試験管のそれぞれの外側に錫箔を貼ったものです。

自作のヴァリアブルコンデンサー。左から、ガラスに錫箔を貼ったもの、真鍮板を自在に開き具合を調節できる板の内側に取り付けたもの、太さのちがう試験管のそれぞれの外側に錫箔を貼ったものです。

ぼくの作ったヴァリアブルマイカコンデンサーです。

ぼくの作ったヴァリアブルマイカコンデンサーですが、このようにするとマイカ本来の性能はあまり期待できません。とくにスライドさせる時にマイカ同士がこすれるため、ひっかかってはがれないようにニスなどで固めておく必要があります。ニスは高周波ニスが最高ですが、ニトロセルロース系のラッカーなどで十分です。なるべく顔料などの人らない透明なものがよいでしょう。特にこのコンデンサーについては性能よりもきれいなものにしてみたかったので、ぼくはマイカを使いました。内部の導体は錫の箔を使いました。これもライデン瓶などに使われたように昔からの材料で、本来なら別に導体ならば何でもいいわけです。ただアルミ箔とくらべても革のようにしなやかで、アルミでは不可能なハンダ付けができるという利点があります。そしてなにより錫箔の落ち着いた銀色が気に入っているのです。

こういったいろいろな鉱石やニッケルやタングステンなどの金属を探しに鉱物専門店や特殊金属の店を巡るのも日常とはちょっと違って、未知の空間と出会うようで素敵です。こんなところにも工作をするよろこびがあるのかもしれません。

ここで絶縁材料について触れておきます。

普通の工作全般で使われる材料以外で、電気に関する特別なものとしては、絶縁材料が挙げられます。本来鉱石ラジオの製作だけを考えると、電庄も電流も大きくないので、厳密な指定はありません。ただ、日頃あまり手にしない材料ですが、どういうわけか美しいものが多いので、いろいろ試してみるのもおもしろいでしょう。

代表的な3種について説明します。

ベークライト、エボナイト等の棒材です。

ベークライト、エボナイト等の棒材です。

ベークライト、エボナイト等の板材。

ベークライト、エボナイト等の板材。

ベークライト(bakeute)一一板状のものは0.5mm~ 3cm厚くらいが普通で、大きさもいろいろすでにカットしたものを売っています。筒状(パイプ)や丸棒も直径2mm~10 cmくらいまであります。色は少々透過性のある黄・黄褐色・茶・こげ茶とあり、成形から時間が経つほど色は濃くなります。またこれら生地色以外にも製品として、ターミナルの頭やツマミなどには色の付いたものもあります。また布入リベークといって、なかに繊維を入れて普通のベークライト板より強度を高めたものもあります。数はあまり多くありませんが、黒ベーク板という黒色のものもあります。ベークライトは本来商品名で、材質としてはフェノール樹脂と呼ばれ、石炭酸とホルムアルデヒドにアルカリを触媒として熱を加えて作ったものです。

エボナイト(ebonite)一一前に述べたベークライトと混同している人もあるようですが、この2つはまったく違うものです。エボナイトは一種の硬質ゴムで、生ゴムに加硫といって硫黄を加えて作ります。色は黒色しかなく、その黒檀ebonyのような色から名前がついたと言われています。ただ経年するとエボ焼けといって、独特の緑がかった褐色になることがあります。形状は板、丸棒とありますが、ベーク板ほどはサイズに幅はありません。

自雲母の薄板(w15 cm)です。

自雲母の薄板(w15 cm)です。

マイカ(雲母mica)一一空気をはじめとして絶縁物はたくさんありますし、技術的に簡単と言うなら紙やセロファンもいいと思いますが、なかでもマイカは工作上美しいし、性能上も他を圧しているようにぼくは思います。

雲母は天然鉱物で鉱物学上これに属するものには本雲母群、脆雲母群等があって、実用に供されるのは本雲母群のものです。このなかには大きくわけて7種類があります。

白雲母muscovite、曹達雲母paragonite、鱗雲母lepidolite、鉄雲母lepidomelane、チンワルド雲母zinnawaldite、黒雲母biotite、金雲母phlogopiteで、日本画などで雲母末のことをきらと言うように、まさにキラキラしていてぼくの好きな鉱石の一つです。雲母はインド、北アメリカ、カナダ、ブラジル、南米、アフリカ、ロシア、メキシコ等が有名ですが世界各地で産出します。日本ではあまりとれないのでもっぱら輸入にたよっています。白雲母は別名カリ雲母といって無色透明のものですが、黄や緑や赤の色を帯びることがあります。そのうちの赤色のマイカはルビー雲母rubymicaとも呼ばれ、 とても美しいものです。比重は276~4.0くらい、硬度は28~ 3.2です。

金雲母はマグネシア雲母、琥珀雲母amber micaとも呼ばれ、比重は275~ 2.90、硬度は25~27、少々ブラウン色に透きとおり、やはりとでもきれいです。

雲母を工作に使用する際には、むやみやたらとはがさないで、最初に半分にしてそれぞれをまた半分にするというように順にはがしてゆくと厚さをそろえやすく、好みの大きさに切る時は写真などを切断する小さな押し切りでよく切れます。厚いうちに切断しようとすると失敗することが多いので、使用する厚さになった後でカットするようにした方がよいでしょう。なお工作の際、マイカの表面に汗や油をつけないように気をつけましょう。

このほか、ガラスエポキシ、ポリカーボネイトなどがあります。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

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[アートとは、人間について考える科学だよ]

ーアートとは、人間について考える科学だよ。

東京は新橋に生まれ育ったという小林さん。なくなりつつある江戸っ子気質をしっかり担う東京人の一人である。

「ぼくが子どもの頃、家の前には都電が通っていて、石畳や柳があって、道路ではみんながキャッチボールなんかしてゆったりとした時間があり、それは魅力的な街だったと思いますね。ところが物量主義的な時代の流れの中で、そう言った合理性だけでは割り切れないものがどんどん捨てられていった。ぼくらは確かに合理的で便利なものを手に入れたけど、鉛筆一本でも自分で使い込んだものは愛情が湧くというような、合理性だけでないこんな素敵な感性までも、一緒に失ってしまったんじゃないかな。」

1990年頃の小林健二のアトリエ

1990年頃の小林健二のアトリエ

アトリエを一歩入ってみる。よく使い込まれたカンナ、ノミといった伝統工具やドリルなど世界中の電動工具たちがところ狭しと並んでいる。アトリエと言うよりまるでどこかの町工場だ。それも職人のエネルギーが充満した密度の高い町工場の空気だ。彼はここであらゆる物質と向き合い、試行錯誤してそれに生命を与える。そしてここで語り、酒を飲み、自らの生命の洗濯をする。

「ぼくはいつも自分自身が信じれる人間でいたいと思う。もし自分の中にまだまだ眠っている正義みたいなものがあるとするなら、それを探してみたいと思う。好奇心を持って知らないことや人間自身について、あるいは幸福や自由について色々考えてみたいと思うし、知りたい。だから木を彫ったり、石を削ったり鉄をひん曲げたり、日常ぼくがしていること全て、もとは一つの中にあることなんだ。」

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990 会場風景

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990 会場風景

昨年10月の個展は「黄泉への誓(うけひ)」という不思議なタイトルのもとに開かれた。そこに出かけて作品に出会うということ、それはまさに一つの体験である。自然科学、歴史への深い洞察と(『古事記』に想いを得た作品もいくつかあった)、全ての生命系に対する作家の愛の形を媒介にして、私たちはまだ見ぬ世界を体験する。

「ちょっと視点をずらしてみれば何でもないことでも、人間にとって社会が今ギスギスしているんだよね。価値観が一方方向の時は人間も社会ももろいんじゃないかな。そういう意味でぼくの作品を通して別の世界へちょっと旅行してもらえたら嬉しいと思う。」

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990 会場風景

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990 会場風景

「須勢理と沼河」1990 mixed media

「離宮珀水」1990 木に油彩、樹脂他

「離宮珀水」1990 木に油彩、樹脂他

「Sealed Key」1990 木、幽閉物

「Sealed Key」1990 木、幽閉物

こうして私たちは彼から「きっかけ」という素敵なプレゼントをもらうことになる。

「アートとは作られたものの結果ではない。人間や地球にとって何が大事かを考える科学だよ。ぼくの作った箱のような作品なんかは、この中を覗こうとするものは、同時に自分の心の中を覗き込んでいるのでもあるんだ。だからぼくが一方的に発信しているんじゃなくて、観る人たち自身がそこから何かを探そうとしているんだと思う。そこに対話が生まれる。」

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990  会場風景

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990  会場風景

小林健二は夢中である。夢中で作り、発言し、そして人間としての営みを実践する。実践の場はもちろんアトリエだ。例えば七輪でサンマを焼いたり、ブラックライトで光る水晶の灯りで酒を汲み交わす時、そこに浮かび上がるのは、アーティストである前に生活を営む一人の庶民の姿であるに違いない。

*1991年のメディア記事を編集抜粋しています。画像は付加しています。

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[アーティスト小林健二さんーこの仕事が好き]

20-30代頃の小林健二アトリエ

20-30代頃の小林健二アトリエ

一度工房に入ると、誰もがきっと驚く。

万力、サンダー(削る機械)、ボール盤(穴を開ける機械)棚に並ぶ顔料の透明な瓶、古い柱時計、段ボール箱に入った松脂に似たかたまり、大型の支持体(キャンバスなど、絵を描いたりするもの)絵を描き終わった板・・・・。中央にある特大の仕事机の周りをこれらのものが隙間なく取り囲んでいる。数年、小林さんはこのアトリエで仕事を続けてきた。

ー五感

東京の新橋にあった刀鍛冶の家に生まれた小林さんは、家の中で職人に囲まれて育った。近所もふとん店、床屋、時計屋などの商店が多かった。こうした環境の中で、小林さんはものを創造する仕事をすることに決めた。絵を描くことが好きだったので、アルバイトをしながら絵を描くことにした。生活できるかどうかなどと考えたことはなかった。収入は気にならなかった。

「だいたいぼくって好きなことしかできないからね。人にとって価値がないものでも夢中でできるやつは、お金持ちになれないかもしれないけど、生き生きとした人になれると思う。」

絵を描くことから始めたが、作品は様々に変化していった。エポキシ樹脂を凹凸のある土台に押し付けて固め、その上に金属や硝子を置いたり、カヤやコーヒー豆の袋をキャンバスにしたり。『これは絵か、彫刻か、なんと呼べばいいのか?』と聞かれたことがある。やがてオブジェも作るようになった。

「人間は五感を使って生活しているでしょ。それなら、表現の方法もストイックに一つの種類でやることはないと思うんです。」

[MAMA] 1977 黄麻に油彩、膠(コーヒー豆の袋を解いてキャンバスに仕立てている。七宝焼のような青色は自作絵の具)

[MAMA] 1977
黄麻に油彩、膠
(コーヒー豆の袋を解いてキャンバスに仕立てている。七宝焼のような青色は自作絵の具)

ー材料

小林さんは様々の素材を使って作品を作ることが多い。作品[Dreaming Crystal]を例にとると、ポリエステル、ガラス、アクリル、ポリエチレン・・・。透明の光る山を作るだけで、これだけの材料を使う。

「自然の氷のような山を作ろうとすると、これだけ必要になるんです。」

材料を化学変化させて作ると、時には予想通りにできないことがある。

「ポリエステルに硬化剤を入れすぎたことがあります。反応が強く出て透明の結晶が出来上がるはずだったのに、細かいヒビが入って紫水晶のような半透明の結晶ができてしまったんです。」

こうした失敗は頭の中にしまいこまれ、のちの作品に生かされる。精巧な仕掛けを、作品に組み込むこともある。古くみえるように作ったラジオ作品の上に置かれた結晶が、明滅するエレクトリカルなアート、結晶自体が七色にゆっくりと変化していくだけではなく、ラジオの音声の強弱にも反応して、光が明滅する仕組みになっている。仕上がるのに一月以上かかった。

「好きじゃなきゃ、できないですよ」

[夢みる結晶 1-Dreaming Crystal 1] 1985 石、樹脂ろう、ガラス、金箔、電子部品、硬石膏、パステル

[夢みる結晶 1-Dreaming Crystal 1] 1985
石、樹脂ろう、ガラス、金箔、電子部品、硬石膏、パステル

[夢みる結晶 3-Dreaming Crystal 3] 1986 ポリエステル樹脂、真鍮、光ファイバー、石、木、電子部品

[夢みる結晶 3-Dreaming Crystal 3] 1986
ポリエステル樹脂、真鍮、光ファイバー、石、木、電子部品

[PSYRADIOX] 1986 木、ガラス、電子部品 (作品上部にある透明な球が、ラジオの音声に同調して色々な色に変化しながら明滅する)

[PSYRADIOX] 1986
木、ガラス、電子部品
(作品上部にある透明な球が、ラジオの音声に同調して色々な色に変化しながら明滅する)

ー価値

小林さんの手もとにはあまり作品は残っていないという。個展などをすると作品を好きで買ってくれる人がいる。そして小林さんは言う。

「ぼくがものを作るということで、多分世界の不幸を取り去ることができるわけじゃないし、人の生死を左右できるわけでもない。でも、仕事ぶりっていうか、一生懸命生きていることが人に伝わって、その人の心を動かすことができるかもしれない。有名だからとか、大きくて力があるからだとかではなくてね。」

*1988年のメディア掲載記事を編集しております。作品画像は新たに追加しています。

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[惑星のこころ、日常のかたち]

ー小林さんの作品は、多種の素材によってあらゆる形態を現しています。視覚的イメージにとどまらず、言葉や音(音楽)というふうに、接する者の五感すべてに訴えかけてくる。作品のイメージの源泉についてまず聞かせてください。例えば一番最初に「かたち」にしようと思ったものは何だったのでしょう。

ぼくは子供の頃、人と交わることが苦手だったんです。どちらかといえば非社会的な性癖だった。遊びといえば博物館に行くのが日常的な行為でしたね。今でこそアンモナイトの化石などが平然と街で展示されているけれど、昔はそれこそ非日常的なものだった。その頃から変わったものが好きで、近所の子みたいに自動車のオモチャを貰っても喜べなかった。好みといえばゴムホースやら管のようなものといった具合で、大人からは何しろ奇妙な目で見られました。そういう意味での疎外感というのは幼い頃からありましたね。

 

生まれた東京新橋界隈で、大好きなゴムホースで遊ぶ子供の頃の小林健二。

生まれた東京新橋界隈で、大好きなゴムホースで遊ぶ子供の頃の小林健二。

展覧会図録[紫の安息-ASTEROID ATARAXIA]の中で小林健二のバックグラウンドが紹介されている。

展覧会図録[紫の安息-ASTEROID ATARAXIA]の中で小林健二のバックグラウンドが紹介されている。小学校低学年頃の小林健二のバイブル。

展覧会図録[紫の安息-ASTEROID ATARAXIA]より。出版:オネビオン現代美術ギャラリー

展覧会図録[紫の安息-ASTEROID ATARAXIA]より。出版:オネビオン現代美術ギャラリー

ところが成長すれば必然的に人と交わらざるをえない。ましてや展覧会など開けばそこはすでに公の場ですからね。当然ながら、かつて親しんだ不思議な時間や空間に接することが稀になってくる。するとそれがまるで故郷のように感じられてくるんです。そんな感覚を表現したいと思っていました。ただし一つのイメージが湧いた時、音楽のようなもの、あるいは言葉、さらに造形の視覚的なイメージが同時に現れてしまうことがよくあるんですが、そうなった時が大変です。非常な苦労を強いられる。

それでも充電と放電でいうなら、ぼくの場合はいつだって放電の状態です。

具体的な「かたち」ですが、単純に子供の頃の記憶をたぐれば、描きたかったのは怪獣や恐竜でした。理由は釈然としませんが、幼い頃の体験で思い当たることはある。ぼくは新橋で生まれたから湾岸で遊ぶことが多く、芝浦まで ザリガニ捕りに行って日の暮れることもあった。入江の沖に島というか中洲があってね。そこだけ海が盛り上がったようで足がすくむほど怖かった。しかし反面、非常に興味をそそる対象として見てもいたんです。恐いと言ってしまうと少し違うかもしれない。得体の知れない、強力な力で引きずり込まれるような感覚だったかな。

ーすると「怪獣」といっても既成のイメージではなく、むしろもっと漠然とした不気味なお化け的物体を指すわけですね。

そうですね。実際の怪獣としては、3歳の頃、日劇で再上映された映画「ゴジラ」を観た時の湧き立つような興奮も鮮明な記憶として残っています。幼かったから、架空の恐竜として姿自体にも惹かれましたが、もう少し突っ込んで考えれば、それも結局はゴジラの背景を形作っているものーゴジラとは、原水爆、つまり人間の作った膨大なエネルギーの落とし子と言う設定ですがー人類の抱える様々な矛盾、人間の奥底に潜む得体の知れないものへの関心や追及心だったのでしょう。

小林健二が3歳の頃、日劇で再上映された映画「ゴジラ」は、彼の創作活動に大きな影響を与えているようだ。

小林健二が3歳の頃、日劇で再上映された映画「ゴジラ」を観たことが、その後彼の創作活動に少なからず影響を与えているようだ。

ー小林さんの場合、素材への物質的な興味が根本的にあったのではないですか?あるいは元来道具好きでそれが高じて作品化されたとか・・・・

素材があるから作ったのか、作りたいイメージのために素材が出てくるのか、これは道具に関しても同様で、いつでもそれは同時です。お互いが引き合うように。だからと言ってすべてうまくいくとは限らない。時間や予算、あらゆる物理的条件の相違に左右されることが多いから。ぼくがたくさんの道具や工具を持っているといっても、石や鉄を切る時には物質と物質との軋轢(あつれき)が必ず生じるものです。しかしその無理を押してまで目的の形にしたいという欲求があれば、肉体というのはその力に引っ張られていくんです。ぼくは嫌というほどそれを味わってきました。

ー小林さんにとってかけがえのないもの、また作品を製作する上での揺るぎない価値観について聞かせてください。

今では街灯のおかげで目を凝らさなければ夜空の星は見えないけれど、かつて夜の風景に星しかない時代があったはずです。その時代の人々がその星空を見上げながら話していたことがやがて神話になった。そして古来の根元的な神秘を証かそうという欲求から生まれたのが科学です。神話と科学が別個のものだというのは、それぞれを単独の学問としてだけ捉えている人の考えかただと思いますね。科学というのは知りたいという欲求とほんの小さな実験から始まることですよね。それを疑うことから出発するものではなく、まずは信じようとする行為の中から生まれるものだと思うんです。ぼくの製作の根底にも、いうまでもなくそういう考えが流れています。ぼくにとってかけがえのないこととは、まずは信じること、そして疑うことなくその遂行に向かうことです。そこにこそ価値が生まれるのだと思います。それとぼくにとって一番大切なのは日常ということです。自分の日常でないものを人に伝えられるとは思わないから。

1993年のメディア記事を抜粋編集しています。

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未知のマテリアルも古典材料もぼくらを豊かにしてくれる

新地球環境学UFO

未知のマテリアルも古典材料もぼくらを豊かにしてくれる

この地球の重い大気の中でさえ、スイスイと飛んでしまう飛行物体があるとしたら、その推進システムへの興味もさることながら、フィジカルな発熱や材料破壊に耐えるボディを作りあげている物質にも、ただならぬものを感じる。しばしば”その手の本”などを見ると、U.F.O.の墜落現場などには「アルミフォイルのような色や厚みで、とても強靭でハサミなどで切ることができず、折り目をつけてもすぐに戻り、跡は消えてしまう・・・。金属のようであるが、角度によっては全くの無色になり、電気的には低電圧では不導体であるが、特殊なダイオードのようにブレークポイントを越えると、急に超電導に変貌する・・・」というような、確かにどう見ても地球上には存在しえないだろうと思える物質が発見されている。しかし、その話だけで誰も見たことのないかもしれないエイリアン・クラフトが絶対アーシアン・クラフトにならないとは限らない。

なぜなら年々「新素材」と言われるものはどんどん開発され、また生産されているからだ(最もそのような特性の物質ができたとしても、それがその飛行物体にどのように関わっているかが分からなければ何にもならないわけだけど・・・)。

「新素材」その言葉は、新しい素材という意味ではあるが、何よりも天然には本来存在していないという意味もあるだろう。チタンやセラミックなどから言われ始め、形状記憶合金、マイスナーエフェクトの極低温システム、最近では、MA法アモルファス、レアアース(メタル)の酸化したイットリウム、ユーロピウム、セリウムやサマリウム、「イーソレックス」などの形状記憶樹脂、ポリサッカロイド可食性フィルム、やゴム・エストラマー、全く枚挙にいとまがない。これらのものが、本当に地球や人間を豊かにしてくれるものであって欲しいと思いたいが、全てがそうでないにしろ、コストダウンのため、とにかく大量に生産し、できてしまったものをその後さあ何に使おう的な背景がないわけではない。必ずしも必然性や、求めることによる発露からではなく、ただテクノロジーが先行し、経済機構に流されているようにも見える。

それはまるで、歩いても行けるところを、いつの間にか早く走ることだけが目的となってしまったリレーゲームのように息つく暇もなく、ただやみくもに苦しそうに走り続けている様を感じてしまう。このようなことは、アートの世界もけっして例外ではない。それがコンセンサスであるとすれば、大衆意識の反映であるのだから、否定することはできずとも、人それぞれの中にある求めるもの、知りたいもの、作りたいものという方向よりは、もうすでにできてしまった機構やシステム、見せ方や方法、というものに機械的に反応している傾向が少しずつでも増えてきているこの国の現状を、寂しく思う人もいるかもしれない。

古典材料を使うことが、内容まで古典的にする必要がないように、新しい材料に目を向けることが、即座に過去を否定することでもないはずだ。U.F.O.を作っているものも、ぼくらの知らないものばかりではないだろう。

UFOと直接に関係しているわけではないが、絵画材料の古典的なものを並べてみた。 ハイテク材料でも面白いものはたくさんあるが、それらはまたいずれご紹介予定。

左からサンダラック、エレミ、ダンマル、マスチック、トラガカントゴム、アラビアゴム、マニラコーパル、シェラック、マダガスカルコーパル、キリン血、コロフォニー、カナディアンバルサム、ベネチアンバルサム。

絵画材料として使用する樹脂のいろいろ。左からサンダラック、エレミ、ダンマル、マスチック、トラガカントゴム、アラビアゴム、マニラコーパル、シェラック、マダガスカルコーパル、キリン血、コロフォニー、カナディアンバルサム、ベネチアンバルサム。

左からドロマイト、アンチモン、リアルガー、オーピメント、アズライト、クリソコラ、シナバー、マイカ、ラピスラズリ、マラカイト。

鉱物顔料のいろいろ。左からドロマイト、アンチモン、リアルガー、オーピメント、アズライト、クリソコラ、シナバー、マイカ、ラピスラズリ、マラカイト。

小林健二

*1990年のメディア掲載記事より抜粋編集しております。

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