一度工房に入ると、誰もがきっと驚く。
万力、サンダー(削る機械)、ボール盤(穴を開ける機械)棚に並ぶ顔料の透明な瓶、古い柱時計、段ボール箱に入った松脂に似たかたまり、大型の支持体(キャンバスなど、絵を描いたりするもの)絵を描き終わった板・・・・。中央にある特大の仕事机の周りをこれらのものが隙間なく取り囲んでいる。数年、小林さんはこのアトリエで仕事を続けてきた。
ー五感
東京の新橋にあった刀鍛冶の家に生まれた小林さんは、家の中で職人に囲まれて育った。近所もふとん店、床屋、時計屋などの商店が多かった。こうした環境の中で、小林さんはものを創造する仕事をすることに決めた。絵を描くことが好きだったので、アルバイトをしながら絵を描くことにした。生活できるかどうかなどと考えたことはなかった。収入は気にならなかった。
「だいたいぼくって好きなことしかできないからね。人にとって価値がないものでも夢中でできるやつは、お金持ちになれないかもしれないけど、生き生きとした人になれると思う。」
絵を描くことから始めたが、作品は様々に変化していった。エポキシ樹脂を凹凸のある土台に押し付けて固め、その上に金属や硝子を置いたり、カヤやコーヒー豆の袋をキャンバスにしたり。『これは絵か、彫刻か、なんと呼べばいいのか?』と聞かれたことがある。やがてオブジェも作るようになった。
「人間は五感を使って生活しているでしょ。それなら、表現の方法もストイックに一つの種類でやることはないと思うんです。」
ー材料小林さんは様々の素材を使って作品を作ることが多い。作品[Dreaming Crystal]を例にとると、ポリエステル、ガラス、アクリル、ポリエチレン・・・。透明の光る山を作るだけで、これだけの材料を使う。
「自然の氷のような山を作ろうとすると、これだけ必要になるんです。」
材料を化学変化させて作ると、時には予想通りにできないことがある。
「ポリエステルに硬化剤を入れすぎたことがあります。反応が強く出て透明の結晶が出来上がるはずだったのに、細かいヒビが入って紫水晶のような半透明の結晶ができてしまったんです。」
こうした失敗は頭の中にしまいこまれ、のちの作品に生かされる。精巧な仕掛けを、作品に組み込むこともある。古くみえるように作ったラジオ作品の上に置かれた結晶が、明滅するエレクトリカルなアート、結晶自体が七色にゆっくりと変化していくだけではなく、ラジオの音声の強弱にも反応して、光が明滅する仕組みになっている。仕上がるのに一月以上かかった。
「好きじゃなきゃ、できないですよ」
ー価値小林さんの手もとにはあまり作品は残っていないという。個展などをすると作品を好きで買ってくれる人がいる。そして小林さんは言う。
「ぼくがものを作るということで、多分世界の不幸を取り去ることができるわけじゃないし、人の生死を左右できるわけでもない。でも、仕事ぶりっていうか、一生懸命生きていることが人に伝わって、その人の心を動かすことができるかもしれない。有名だからとか、大きくて力があるからだとかではなくてね。」
*1988年のメディア掲載記事を編集しております。作品画像は新たに追加しています。