カテゴリー別アーカイブ: 小林健二の技法

小林健二の製作現場からVol.1

2017年9月9日~30日(日曜・祭日は休廊)ギャラリー椿(東京・京橋)にて小林健二個展が開かれる。

新作を製作している様子を少し紹介。(今後個展開催まで、何回かに分けてアップ予定です)

ここでも、使いやすいように整備されている様々な道具や工具が活躍しています。

小林健二の道具(US Micro-Mark社のミニパワーツール)右から、ディスクサンダー、スウォードソー、クロスソー(ジグソー)、ドリル、プレーン(電動鉋)、ベルトサンダー

小林健二の道具(US Micro mark社のミニパワーツール)ディスクサンダーを作品製作に使用しているところ

小林健二の道具(US Micro mark社のミニパワーツール)
クロスソー(ジグソー)をテーブルに固定して、ミシンのように使用している

小林健二の道具、彫刻刀など

小林健二の道具。木を削るにも、目的によって道具を使い分ける。

小林健二の木工道具

小林健二の道具。ソリ鉋など、右上はコンパスプレーン。

小林健二の道具。小林にとって西洋鉋は木材の加工に欠かせない道具の一つ。画像はスタンレー社のもの。

小林健二の道具。西洋ノミの一つ。

小林健二の道具。木の端を西洋ノミで斜めに削った後、日本のきわ鉋で整える。

小林健二の道具。カンナ屑が詰まりやすいため、台をその場でなおす。

小林健二の道具。台を直した鉋はスムーズにカンナ屑が出て、快適に使用できる。

小林健二の道具。同じ西洋ノミだが、使用方法は自在。

小林健二の製作現場。透明な素材を好んで使用する小林、多分その支持体を製作している模様。

小林健二の製作現場。透明な素材を支持するための木を加工し、サイズを合わせる。これも作品の一部になると思われる。

*2017,7/15、小林健二の仕事場にて

KENJI KOBAYASHI

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鉱物結晶と電子工学の出会いーいつか夢で見たラジオ

小林健二1986年~2003年に発表された電子作品を紹介。

アーティストとして絵画、立体、音楽作品などを発表している小林氏は、1997年に「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」を上梓。鉱石ラジオの作者のイメージが強いが、エレクトロニクス工作全般の造詣が深く、電子回路の設計から製作まで行い、独自の作品を製作している。

これらの作品群は、鉱石、半導体ラジオ、ダイオード、モーター、電源など組み合わせて、視聴的に訴える「音」「光」をテーマにしたもの。「音源に反応する鉱石」「中に人が入っている」「魂が光る」錬金術師のような発想は、工作することでしか生まれてこないという。古色蒼然たる筐体からダイヤルツマミまで全て独自の手法で製作。

小林健二作品「PSYRADIOX」の自筆回路図です。(記事を複写)

小林健二作品[PSYRADIOX-悲しきラジオ]
AMラジオの電波を受信すると、作品上部にあるドームの中でクリスタルがゆっくり七色に変化し、音声に、音声に同調して光が明滅をくりかえす。下部には窓があって青く発光する結晶を見ることができる。ドームはガラス製のチリヨケを使用し、それを固定する部分は彫刻刀で仕上げた。

小林健二作品from[STELLA IN THE ROOM]-「星のいる室内」より
このドールズハウスのように見える作品も小型旋盤を多用した手作り。天窓を開けて室内をのぞむと、土星や星雲が青く光り静かに回っていて、前面の窓からも小さな土星が同様に光りながら回転しているのが見える。しかも、モーター音は全くしない。製作には木工の道具も活躍。

小林健二作品from[STELLA IN THE ROOM]-「星のいる室内」より
作品上部の窓からのぞむ。

小林健二作品from[STELLA IN THE ROOM]-「星のいる室内」より
室内に明かりがついた状態。一階の窓からは青く光る小さな土星が見える。

小林健二作品[IN TUNE WITH THE INFINITE-無限への同調]
薄曇りの窓からのぞむ世界に、その筐体からは想像できない大きな土星が出現する。それは確かに宙に浮いていて、青い光に輝きながら静かに回っている。いかにして浮いているのかはいつかご紹介しよう。その速度は本当の土星が1年で回転する周期を1分で再現した。

小林健二作品[ICE CRYSTAL RECEIVER-透質結晶受信機]
前後を曇りガラスで被われたラジオの中には透明な結晶が一つ。そしてスイッチを入れ微かなAM放送の音が聞こえはじめると、青白くそのものが光を放ち回転しながら音声に同調して明滅する。下部に全ての回路や装置が組み込まれている。

小林健二作品[SPACESCOPE-スペース スコープ]
上部にある接眼鏡からのぞいた世界。手前のレバーで視準を合わせると、暗箱の中に形を変えながらゆっくり回転する宇宙が現れる。そしてかすれたような音や微かにうねったようなノイズ、人のような音声に交じりながら不思議な音楽が聞こえると、メーターの針が揺れて小さな窓から見える水晶が輝く。

小林健二作品[SPACESCOPE-スペース スコープ]
上部の接眼鏡からのぞいた景色。

小林健二作品[CRYSTAL TELEVISION-鉱石式遠方受像機]
この作品は1990年に最初のダミーが制作され、1997年に筐体に組み込まれ発表されたもの。欧文タイトルに見るように動くテレビ画像がウレキサイト(テレビ石)という鉱物の表面に浮かび上がり、遠くから発しているような音声も同時に聞こえてくる。果たしてそれが現在の放送なのか首を傾けてしまう、そんな感慨を受ける不思議な装置。

小林健二作品[鉱石式遠方受像機]の内部には、音に変化を与える自作エフェクターなども組み込まれている。
(記事を複写)

小林健二作品[BLUE QUARTZ COMMUNICATOR-青色水晶交信機]
青く光る水晶の中から白い光が、モールス信号のように聞こえる音に合わせて明滅を繰り返している。それは私たちに何かメッセージを発信しているかのようである。

小林健二作品[青色水晶交信機]の全面パネルを開いた状態。内部には閃ウラン鉱(ウラニナイト)という鉱物が入っていて、そこから発せられる微量な放射線をガイガーカウンターが検出し、オーディオ信号に変換している。しかし一体どこにあの大きな水晶がはいいていたのか、確認することができなかった。
(記事を複写)

小林健二作品[RADIO OF NIGHT ; VOICE FROM DRUCE, RUBBY GARDEN AND BOOK OF SAPPHIRE-夜たちの受信機 晶洞よりの呼びかけ 紅玉庭園そしてサファイアの書物]
このタイトルが表すように、円形の窓から覗くとそこには鉱物が生まれる地中や、夜空に潜む星、光り輝く結晶などが共存しているかのような、美しい世界が繰り広げられている。そしてそれらがラジオの音声に合わせ明滅をしながら静かに回りはじめる。外観はシンプルであるが、それぞれの石が違った色で内部から光っている。

小林健二作品[CRYSTAL CHANNEL COMMUNICATOR-遠方結晶交信機]
二つの遠く離れた場所の映像が写し出され交信し合えるという作品。それぞれに設置された作品の結晶表面に相手側の風景や人が浮かび上がり、双方向で通信をかわすことができる。しかしよく見ると、後ろに設置されている光る板状のものから離れて水晶のようなものが存在しており、その結晶のみに画像が映し出されている。

*2003年のメディア掲載記事より抜粋編集しています。

KENJI KOBAYASHI

インタビュー:小林健二

小林健二という人間を説明することは大変に難しい。画家という肩書きはあるものの、彼は美術という領域だけでは説明できないほど幅広い世界を浮遊しているからだ。

天体、科学、動植物学、その不思議に彼の興味は注がれる。

東京・小石川にあるアトリエはおよそ画家のそれとは思えない不思議な空間である。

膨大な書物と鉱物、そして大工道具がところ狭しと並んでいる。雑然とではない。その並び方一つ取っても彼がそれらを愛していることがよくわかる。

彼の作品は、額縁に納まるモノばかりではないのだ。

「子供の頃から絵を描くのは好きでした。でも、将来絵で食えるかなんてきっと誰も考えていません。ぼくはアルバイトで溶接の仕事もしてたんです。いろんなアルバイトをしましたけどね。溶接というか溶断するんです。怖いんです、火が飛ぶし。途中で火が消えちゃうことがある。場合によっては火がホースの中を通っていく。アセボンベより酸素の方が圧が高いから。ひどい時は ボンベが爆発するんですよ。作業中、火が消えたときに吹管が熱くなって来ることがある。変だなと思って一旦バルブを切ってまたやる。すると後で言われました。『いやぁ、健ちゃん危なかったねぇ。もうちょいでカラスになるところだったよ。』って。『あのまま君がバルブ切らなかったら、アセボンベが破裂してた。』

その時は残量が少なかったからよかったんですけど、そういう時ボンベはロケットになって飛ぶという。カラスになる。一緒にやってる奴らはみんなビビッてやめちゃった。」

こういう話を楽しそうにする人なのである。

小林健二のアトリエの一角(小石川)。

小林健二のアトリエの一角(小石川)。手道具、電動工具などの棚と旋盤など。

小林健二のアトリエの一角。執筆などに使っていた小部屋の内部。

 

小林健二が使用していた吹管(スイカン)

面白くて不思議な人間が作り出すものだから、不思議なモノが出来上がる。自然の不思議がその根底にあるのだ。それは誰にも媚びない彼流の生き方にも現れる。

「東京の生まれだけど、ここも随分変わったと思う。子供の頃から比べると緑は少なくなったし、東京オリンピック前は道も石畳で、よく出かけた上野の科学博物館なんかレンガ造りでシャレていた。

でもどこにいたとしても自分の生き方で生きたいと思っている。ぼくの場合は、考え方と生き方を示すのがぼくの生きている意味だと思う。お金のためじゃなくて、やっぱり仕事をするにも信頼関係って大事じゃない。

(中略)

コミュニケーションって大切だと思う。それはその人が本当の気持ちを話しているから伝わるわけだし、ぼくだって、必死になって伝えようとしたい。それが取りもなおさずぼくの業(なりわい)でもあるわけだしね。

人間って、まずはその人であることが一番自然でいい状態なはずだよ。自分のやりたいことや出来ることをイメージして、そしてその時に出来ることから始めていく。ある程度のリスクは自分の可能性を広げていくにも必要なんじゃないかな。」

20代の小林健二。この頃は何人かの仲間と共同で文京区本駒込にアトリエを借りていた。ドアにそのアトリエの名前が見える。

アトリエアオ(フランス語で表記してある)という屋号は、今でも小林健二の仕事場の名前として使用している。この画像は小林健二が20代の頃、仲間とグループ展を銀座でした時の案内状の表面です。

この画像は小林健二の道具の一部。自作絵の具を作るためのものです。

画像は小林健二の道具の一部。キャンバスを作るためのものです。

小林健二が20代の頃に、自作のアブソルバンキャンバスと自練りの油絵具で描いた作品。

小林健二は20代の頃は溶接のバイト以外にも、額縁製作の仕事もしながら、絵を描き続けていた。これは、たまたま残っていた額縁の画像を掲載しています。

20代の頃の小林健二、絵画技法の研究に熱中していた頃です。壁には自作の変わった形の額縁がかかっています。主に額縁店などに卸していたようで、鏡などが入ったようです。

*2000年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像が新たに付加しています。

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木工具-鉋(その1)

木工具と一口にいっても、切ったり削ったり、また穴をあけたりするといった目的 によって道具を使い分けることで、安全で楽しい工作ができます。

木を加工するうえで重要なのは、切断する鋸(ノコ)、切削の鉋(カンナ)類、そ して鑿(ノミ)や小刀、罫引き(ケヒキ)などもあると作業が楽しくなるでしょう。 もちろん、金槌やドリル、砥石なども大切です。

鉋(カンナ)はご存知のように木材を平らに削るのに使用するものです。ただそれは、正確には平カンナと呼ばれるものです。他にも木の角を丸く、あるいはいろいろな形に 削るものや曲面を削ったりするためのものなど、いろいろな種類があります。

カンナは鉋身(カンナミ)といわれる鉄や鋼でできた刃が木でできた台についている構造になっていて、その刃が一枚のものと二枚のものとがあります。西洋鉋には金属製の台に刃がついているものもあります。

色々な洋鉋、右手前と一番大きいものの下にある鉋は、フランスに旅行した際に蚤の市で購入したものという。左上がコンパスプレーン。(小林健二の道具より)

画像は主に洋鉋で、右上に見えるのはコンパスプレーンです。(小林健二の道具より)

コンパスプレ-ンと言う特殊な鉋。下端を供に外ソリや内ソリ鉋として可変して使用することができる。(小林健二の道具より)

コンパスプレーン。横から見ると仕組みがわかりやすい。台が内側に反っている状態。(小林健二の道具より)

コンパスプレーン。横から見ると、台が外側に反っている状態がわかる。(小林健二の道具より)

小林健二の道具

英国スタンリー製の鉋・No.45。45通りの断面に削ることができるという意味です。(小林健二の道具より)

英国スタンリーのカタログ1929年版より(小林健二の蔵書より)

英国スタンリーのカタログ1929年版より(小林健二の蔵書より)

鉄製の洋鉋の一例。木の板に古典技法によって絵を描くとき、パネルに引っかき傷をつけ、その上にのる下地の定着を良くする特殊なもの(左より2つ目)も含まれている。(小林健二の道具より)

普段木工手道具の中で最も使用しているスタンリーの鉋。No.1の小さなものからNo.7の大きなものまで写っている。(小林健二の道具より)

お気に入りの真鍮製の洋鉋各種。目的によって各々を使い分ける。使い込んだ道具の美しさが輝いている。(小林健二の道具より)

これらは欧米でよく使用される洋鉋。上はNo.4プレーン(Lie-Nielsen)で刃幅は2インチ(約50mm)。小さいものは楽器用のものや細部用で、ソリッドモデルを作るのにはとても約立つ。米国のリー・ニールセン製の鉋はお気に入りの一つです。(小林健二の道具より)

上の画像の中でもっとも小さいもの。刃幅はわずか7mmほどだが、小さなシャクリを付けるときに便利。(小林健二の道具より)

 

*鉋について、何回かに分けてこれまでの記事からの抜粋に新たな画像を加えて紹介しています。今回は洋鉋を主にチョイスしています。

木工具ー鉋(その2)

KENJI KOBAYASHI

 

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ネームプレートを作る

「オーロラ通信社製鉱石ラジオ(小林健二作)」プレート部分

鉱石ラジオのような工作をするときに、小さくてもネームプレートなどがついたりすると、急に本格的になったような感じがします。ネームプレートは金属の板や樹脂板に文字を彫ったりする方法もありますが、ここでは金属の板を腐食して作る方法を紹介してみたいと思います。

材料は銅、あるいは真鍮、アルミ、亜鉛などの0.5~ 2 mm厚くらいの板を硝酸、第二塩化鉄で腐食して作ることが多いのですが、ここでは1mm厚の銅板を第二塩化鉄で腐食する方法を示します。

表面をよく磨いた(商品名ピカールなどのメタルポリッシュで)1mm厚の銅板を用意します。銅板は七宝材料などを扱うお店や銅版両などの材料を扱う画材店で入手できます。

上がアクリル板などを切るのに使用するPカッター(替え刃式)・下が銅板などを切るための道具。ともに定規を当ててV字に切り込んでカットしていきます。

すでに必要な大きさに金ばさみや金鋸、あるいは鋼板切りといって銅版画材料店にあるプラスチックカッター(Pカッター)のような工具でカットしておきます。

端は少しなだらかになるようにヤスリで面を少しとっておきます。そして裏側には腐食止めをするために粘着テープかカッティングシートなどを貼っておきます。そして文字として出っ張らせたいところにはインスタントレタリングを貼り、マークや絵は油性のマジックインキを使ってなるべくしっかりと防食できるように重ね書きをしてよく乾かしておきます。自分が満足できるデザインに仕上がったらなるべく指紋や油を腐蝕する部分に付着しないようにして作業を進めます。

腐食しないように金属板の裏にはカッテイングシートを貼っておきます。

腐蝕しようと思う銅板が十分に入る大きさで2~ 3 cmくらい深さのあるプラスチックやガラス製のお皿かバットを用意して、中に第二塩化鉄の腐蝕液を入れておきます。この液はやはり画材店の銅版画のコーナーや電子工作のパーツなどを扱う店のプリント基板の製作材料コーナーで人手できます。用意ができたらその液の中にさきほどの銅板を静かに入れ、ときどき様子を見ながら自分の思う深さまで腐蝕が進んだかどうかを5~ 10分おきにみながら作業してください。もし途中でインスタントレタリングやマジックの線がはがれてくるようなら、液からあげて水洗いをし、乾かして修正をして、作業を続けてください。

このようにして何度か練習をすれば、すぐにうまく作れるようになります。

腐蝕液は何度も使えますが、そのうち腐蝕力が落ちてきて使いづらくなってきたら、そのまま下水などに流したりせずに、炭酸カルシウムで中和してから処理してください。この処理の詳しい方法は、入手するときに店の人が教えてくれるはずです。

このようにしてプレートができたら、文字をもっときわだたせるために低い部分に塗料を塗ります。黒のつや消しのスプレーなどを全体にかけて、80~ 100番くらいの粗い耐水サンドペーパーで水をつけながら磨くと、文字などの高く残ったところが浮き出てきますから、そのあとをメタルポリッシュなどで磨き、ビスや釘でプレートを取りつけるための穴をあけたりして出来上がりです。色も自分の好きなものを選んでください。

この作り方を知っておくといろいろなことに利用できると思います。また、文字や数字を刻印する方法(工具は彫金材料店で人手できます)や、写真焼き付けで字や絵の防触層を作る方法(この材料はさきほどのプリント基板の材料コーナーで入手できます)もありますので、いろいろ試してみてください。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

*小林健二の作品にも自作プレートが使われていて、その中の何点か紹介してみます。

「1965年3月27日午前」
木、鉛、電気、風景
1991
(通電すればその時だけ約一時間ほど1965年3月2日の風景が箱の中に現出するとのこと。不思議と人によっては心の中にそれが浮かんでくることもある) *プレートは鉛板にタイトルが刻印されています。

「サイラジオ-透質結晶受信機-」
木、合成樹脂、電子部品、他
1993
(透明結晶が青く光りながら回転し、同時にラジオも受信する)*金属製のプレート

KENJI KOBAYASHI

人工結晶

硫酸アンモニウムカリウムと硫酸アルミニウムクロムなどよって育成された結晶。(小林健二の結晶作品)

*「」内は小林健二談

人工結晶を作りはじめたのはいつ頃くらいですか?

「1992年くらいからですね。」

著書の『ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)』にもありましたけど、人工結晶は鉱石ラジオのクリスタル・イヤフォン用に作りはじめたんですか?

「そうですね。その時は圧電結晶を作りたくて、ロッシェル塩(酒石酸ナトリウムカリウム)を買ってきて結晶を作ってみようと思ったんです。とにかく実験ができればいいなと思っていましたから、大きいものが作りたかったですね。

その後他の物質で結晶ができないかとか、自然石を母岩として結晶がくっついていたら綺麗だろうなとか思ったりして、だんだんハマって行きました。色々研究して実験しました。でも、塊を作りたいと思っても、平べったくしかならなかったり思い通りにはならない。まあ、その平べったいのは平べったいので美しいものなんですけどね(笑)。」

母岩に結晶の素となる種のようなものを付けとくんですか?

「その場合はまず種結晶を作るところからはじめて、母岩につけ、その後育成溶液の入った深い容器におくと、大きく成長していくんですね。あるいは、容器の中に石を入れておくと、ザラザラとした母岩の表面に自然と結晶ができていたりします。その時に水溶液の成分を変えると色が変わったりするけど、それぞれの相性が合わなかったり慌ててやったりすると、大抵はシャーベット状になってダメになります。それで何度悔しい思いをしたことか(笑)。

二ヶ月ほど旅行にに行っている間に、40も50も容器の中で人工結晶を作ってたんですけど、帰ってみると一つだけ変わった色の溶液のものがあって、何も結晶ができていなかった。他のはできていたのに一滴だけ違う水溶液がポトンと落ちたから、何もできなかったんですね。それは水溶液を捨てる時にたまたま混ざって一瞬にして何もできなかった容器の水溶液と同じ色に変わったから、わかったんですけど。

そんなことの積み重ねですね。他にも温度や湿度、色々気をつけなければなりませんね。」

硫酸銅と硫酸コバルトの結晶。(小林健二の結晶作品)

クロム酸リチウムナトリウムカリの結晶。(小林健二の結晶作品)

ロッシェル塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

ー手探りの実験結果

「何でもかんでも混ぜれば結晶になるかという訳ではないんです、、、。

関係資料なんか色々調べてみました。人工結晶っていうと、人工宝石などを作るベルヌーい法やフラックス法、人工水晶などを作る熱水合成法、その他半導体結晶を製作するための資料はあるんですけど、ちゃんとした実験設備がなければ無理なものばかりです。

しかも、水成結晶育成法については、それこそイヤフォンなどの圧電結晶をつくるための資料くらいしかなくて、いかに大きなスのない単結晶のものを作るかといった内容ばかり。個人で製作するにはあまりにも大規模なものが中心になってしまいます。例えば形が美しかったり、色々な色をしたり、群晶になったりすることは本来の目的ではないわけですから、ぼくなんかが求める資料は、基本的には見つかりませんでしたね。

だから最初は圧電結晶に使えそうなものを片っ端から選んで、あれはどうだろう?これはどうだろう?と手始めに実験していきました。そうして作れる結晶を探して行ったわけです。どこにもそんな実験については載っていないから手探りです。

一つ一つの実験にどうしても時間がかかるるし、実際結果が見えてくるまで何年もかかりますよね。

でもいずれ、もっと安定した方法で結晶を育成できるようになったら、人工結晶に興味がある人に教えてあげられるかもしれない。盆栽を作るような気持ちで、好きな人には結構楽しいかもしれない。」

硫酸アルミニウムカリウムなどの結晶。(小林健二の結晶作品)

鉄系とクロム系の物質によって結晶化させたもの。(小林健二の結晶作品)

リン酸カリと黄血塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

ミョウバンと赤血塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

コバルトを含むロッシェル塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

蛍光性の物質を混入している硫酸アンモニウムナトリウムの結晶。(小林健二の結晶作品)

[人工結晶]

例えば水晶は、573度よりも低温で安定な低湿型と、537度から870度の間で安定な高湿型があるが、結晶が生まれるには、高圧、高温が必要とされることが多い。人工水晶には地球内部の環境を半ばシュミレートした高温・高圧によって作られたものもあるが、ここで取り上げている人工結晶は、常温で水成培養できるものである。

小林健二氏によって様々な薬品を使って、常温で人工結晶を作る実験が行われており、今回その成果もいくつかが紹介されている。

中には全長30cmほどの単結晶、直径20cm以上の結晶など、かなり大きなものも作られているし、色味としても様々な美しいが生まれ落ちている。

*2002年のメディア掲載記事より編集抜粋しております。

KENJI KOBAYASHI

現代によみがえる鉱石ラジオ

さぐり式鉱石ラジオをつくる(銀河通信社製鉱石ラジオキット『銀河1型』)

ではさぐり式とはいったいどんなタイプのものかというと、まさに鉱物結晶が目に見える形としてあって、そこに針状の接点をまさに感度の良いところをさぐりながらラジオを聴く、という式のものを言います。

今まで国産で作られたキットは、固定式鉱石検波器と言われる太さ1cm前後、長さ3-5cmくらいの筒状のものなどを使用したものもあったようです。

鉱石ラジオは、やはりこのさぐり式が鉱石ラジオたる醍醐味と言えるでしょう。

1、キットの内容は写真の通りで、サンドペーパーや小さなドライバーも入った完全キットとなっています。オマケにはゲルマニュームダイオオードが付いている説明書も入っているので、基本的にはこのままで組み上がるようになっています。しかしさらに小さめのドライバー(ブラスとマイナス)やハンダゴテ、しっかりとナットなどをしめるためのプライヤーなどがあると組み立てやすいでしょう。

2、作業はまずスパイダーコイルを巻くことから始まります。このスパイダー枠箱のキットの特性部品の一つで、まさに大正時代の製法によって黒色特殊絶縁紙を型抜後、一枚一枚高周波ニスで塗り固め田というもので、ファイバー製のものよりも手製の時代をしのばれるような感じを受けます。
手順や方法については、解説書に詳しく書いてあるので、ここではそこに書いていない部分に絞り、述べてみます。スパイダーコイルを巻くコツはとにかくゆっくりとあぜらず一巻き一巻き、きっちりとつめて巻いていく方が良いでしょう。かといって紙製の枠が壊れ流程力を入れてはいけません。回数を数えて巻くのは結構めんどうなものですが、このキットの場合、巻き切れればいいように設計されているので、お茶でも飲みながら楽しんで巻き上げていけます。方向は右回りでも左回りでもお好きな方をどうぞ。

3、中間のタップになるところは、赤と緑の線を10-15cmくらい絡めてから、また同じように同じ向きに巻いていきます。ゆっくりと同じくらいの速度と強さできっちりと写真のような感じで巻き上げましょう。この赤と緑のエナメル線も懐かしい感じがします。

4、コイルの巻き終わりは穴のある羽のところを1−2回ぐるっと線を回してから穴に通すとしっかりします。巻き始めの線、中間のタップの線、巻き終わりの線が、片方の面(同じ面)に出るようにしましょう。

5、ターミナルを付けます。これらはカラーベークのまさに鉱石ターミナルとかつて呼ばれていたものです。もうあまり見かけません。後ろから裏側で線を絡めるため、取り付けるときあまり固く締めないようにしましょう。(この画像は記事を複写しています)

6、バリコンを付けます。もしこのポリバリコンが金属製のバリコンだったら、まさに昔の鉱石ラジオのパーツが全て揃うところです。しかし今日では難しいでしょう。(銀河通信社では単連のエアーバリコンを使用したキットをいずれ発売予定とか)
ただポリバリといっても、すでに線もハンダ付けされているので工作は楽にできます。コツとしては線はいつも時計回りにターミナルに巻きつけること(締めるときに緩まない)と、線はピンと張らず少々たるむように配線することです。

7、バリコンにシャフトを付けます。この際、右にいっぱい回してしっかりネジ込みます。またネジロックや瞬間接着剤で固定した方がいいでしょう。ただ接着剤はくれぐれもはみ出さないようにしましょう。

8、ツマミを右にいっぱいに回した位置で、ツマミの後ろ側から小さなマイナスのドライバーでネジを締めて取り付けます。もっとしっかり取り付けたければさらに大きめのドライバーを用意して締めた方がいいでしょう。

9、鉱石検波器の鉱石の部分を取り付けます。裏側からナットを締めて付けます。まさにこのラジオの心臓部です。あまり鉱石の表面を素手で触るのはやめます。ここには方鉛鉱が使われていますが、方鉛鉱なら全て感度がいいという事はありません。このキットでは銀を多く含んだ特別に選んだ鉱物を使用しています。またその土台にも特殊な合金を使用して、一つ一つ手作業で仕上げています。

10、さぐり式の探る針はタングステンでできています。画像右上のように仮に取り付け、あとで調整します。

11、10の部分を裏から見たところです。S字の銅線ですでに配線されていたり、ベークのスペーサーでコイルを付ける台としているのがわかります。

12、サンドペーパーでそれぞれの線の端と、赤い線の中間部分の配線をどうするのかよく理解した上で、エナメル線のエナメルを剥がします。色のついたエナメルなので銅の色が出てきたらOKと分かりやすくなっています。

13、スパイダーコイルを取り付けようとしています。大きなワッシャーで挟み、ナットをプライヤーなどでしっかり締め、取り付けてください。

14、配線が終わった状態を裏側から見たところです。線の末はタマゴラグの穴に絡めてあるだけですが、この場合はハンダ付けが必要です。ハンダ付けしない場合は、ナットでしっかり他の線と一緒に強く締め付けてください。

15、タマゴラグの穴に線を絡め付けた後、ハンダ付けをした状態です。

 

16、鉱石ラジオ「銀河1型」完成です。

イヤフォンをつけ、アースとアンテナ(アンテナ1とアンテナ2)は感度の良い方を選んでください。鉱石の感度の良いところを探しながら、またバリコンで多少局の分離もできます。色々楽しんで作り、そしてまた本当の鉱物結晶から音が聴こえてくるような不思議な感覚を楽しんでください。(アンテナとアースについての記事を参考までに下記します)

アンテナとアース

これらは鉱石ラジオに使用される天然鉱物です。左から黄鉄鋼、方鉛鉱、黄銅鉱、紅亜鉛鉱。
ぼくは、自著の「ぼくらの鉱石ラジオ」の中で紅亜鉛鉱が一番感度が良いと説明していますが、とてもバラツキがあって実は一概に言えません。全体的に方鉛鉱が無難だと思います。しかし、このキット中のような感度の良い石ばかりではないと思います。下にあるゲルマニュームダイオードで、昔風の感じのものを選んでいます。銀河通信社の「銀河1型」キットについているものとは異なりますが、鉱石と針の部分につければ、ゲルマラジオに早変わりです。

 

*2000年のメディア掲載記事から抜粋し編集しております。

「オーディオクラフトマガジン創刊号」

KENJI KOBAYASHI

 

 

ART FURNITURE

子供の頃、家のそばに小さな町工場(まちこうば)というか、大きめの土間というか、そんな感じのところがあった。そこは、仲のいい同級生の家に向かう道の途中にあったので、まるで毎日のようにその前を行き来していた。そんなある日、その中から叫びとも掛け声ともつかぬ声とともに、やたらドカドカと音がする。好奇心に駆られて中に入ってみると、中年の男性が脚のある、どうやらイスのようなものに、スプリングや何かバンドらしきものをつけているか何かしていた。思ったよりすぐそばで目があっていたし、その汗まみれがニヤリと笑ったものだから、思わず「おじさん何作ってるの?」なんて聞いてしまった。すると男性は「カグダヨ」と言った。はっきり言って怖かったし、意味もよくわからなかったので、大急ぎで逃げるようにして家に帰った。家族に「あそこは何の家?」と尋ねたら、「あそこは自転車屋だよ」とのこと。「カグ」が「家具」とわかるのにも時間がかかった次第だし、ただの変わり者かもしれないおじさんとの出会いによって、中学の頃までイスは自転車屋が作るもtのとぼくは思っていた。

今にして思うと、気取り屋であったぼくにとっては、奇妙な建て増しや改造によってさながら妖怪屋敷の風であった我が家は、何にも増して悩みのタネであった。

そんな中では、突然3日ほどで内ブロが完成したりすることは日常茶飯事なのだが、倉庫の奥の端につくられたこれは、真昼でさえ懐中電灯を持たなければ、そこまでたどりつくことはできないと言った具合で、暑い夏の日の午後に、蝋燭を立ててそこで行水する母は、奇々迫るものがあった。

家がこんな感じだから、その中にある家具がどのようなものか想像してもらいたい。大体においてチャントシタ物、新品の物名ぢないわけだから、イスにしても机にしても小学校のうちに一通り作る機会に恵まれてしまったぼくに取って、家具を作るということは、アートとかデザインとかに関わらず、最も日常的なものになった。

小林健二製作の植物と一体化した家具。根が植えられている状態で展示されています。

小林健二製作の植物と一体化した家具。根が植えられている状態で展示されています。

小林健二の家具の部分。根のしっかりと付いた状態で水やりを忘れなければ、展示中に花も咲き実もつけた。

小林健二の家具の部分。根のしっかりと付いた状態です。水やりさえ忘れなければ、展示中に花も咲き実もつけた。

話は急に飛んで、その後美術に関係する仕事を始めてから最初に家具に関わったのは、1987年だった。”家具のオリジナリティ”という内容を持ったイベントであったので、”共存”をテーマとして植物と一体化した家具を作った。それは、テーブルやイスの中に水回りやメンテナンスを考えて、土や保水剤を使い、実際に根をはらせ、一ヶ月以上の展示の間にも枯れたりすることのないよう計らったもので、植物は花を咲かせ、小さな実もつけたりしてくれた。

しかし、製作の依頼や注文といった具体的なことになったきっかけは、ある時、期限が一ヶ月もない急ぎの仕事を友人から受けた後のことであった。その時の内容は「製品として売れること目的としながら面白いもの」というやたら漠然としたもので、一瞬ヤバイかもと思ったが、簡単な家具や照明器具ならイケルと製作に入ったものの、照明器具に凝りすぎたため、家具の方は一週間ほどしか時間が無くなってしまった。ところがかえって、それで悩んだりせずに作ることに専念でき、気分転換にまでなったりした。

その時に作ったイスやテーブルの製作工程は、まず注文が出ないように、なるべく手持ちの材料と技術でできることを念頭に置いてエスキースを描き、その中から作るものを選ぶことから始めた。次に座るという目的のために、大体の各部位の寸法を出した。基本的には鉄と木が中心になり、装飾のため、石、樹脂石膏、布、松脂を使った。鉄部の板材は4.2ミリ厚で、ガスとプラズマ・カッターで溶断し、その切断面をサンダーで整え、脚となる直径16ミリの鉄棒などを溶接し、木部や他の素材や、ノックダウン(各部剤を接着剤などで固定せずに、取り外し可能な状態にする)するところなどには8ミリ六角レンチを使用するため、あらかじめタップ(ネジで固定できるように、あらかじめネジ穴を作ること)を立てておいた。

プラズマカッターで鉄板を切断している小林健二

プラズマカッターで鉄板を切断している小林健二

また、防蝕を兼ねた表面処理は時間がなかったため、酸洗いで黒皮を取った後、簡単に黒染めをして調子を整え、その上にウレタンを塗っておいた。ただこのままでは面白くないと思ったし、錆が出ていた時の鉄の感じも好きだったので、鉄粉とPVA(ポリビニールアルコール)とで絵の具状のものを作り、部分的に塗って、その上にオキシフルをかけサビを出した後、蠟を塗って落ち着かせた。物によってはその上に溶かした松脂と蜜蝋で麻の布を張ったり、石灰の粉を漆と混ぜて塗ったりした。木の部分は木の商いをしている友人が、ワレやネヂレためにはねられ、捨てなければならない木があるからと譲ってくれたジョンコン、マコーレ(南洋材)、タモなどの木を用いた。以前より持っていた釿(ちょうな)を使い、大きくハツッタ(ハツル=木をちょうなで大まかに剥ぎ取ること)後、トクサ(トクサ科の植物、茎は珪酸を含み、堅いので細工物などを磨くのに用いる)とウズクリ(茅などを束ねて荒縄で縛ったもの。木を磨くと木目を出すことができる)で仕上げた。当初は石を彫ってつけたりしたところもあったが、その後型を作って樹脂石膏に置き換えたりした。

このようにして作られた家具が、その後70個あまりになるとは思いもよらなかった。

ぼくはこれからも仕事をしていてものが見えなくなったり、疲れてしまうことがあったら、趣味として家具は作ってみたいと思う。なぜなら、ぼくの作ったものを持っていてくれる人たちが「あれ結構愛着湧いたりして具合いいよ」なんて言ってくれる時は嬉しいし、かつて、石のテーブルに咲いた花が小さな実をつけた時に、とても感動したことがあったから。

小林健二

小林健二製作の家具。左から[ALIE] [FOUPOU] [DUMEX]。このイスたちは寝具専門店Al-jabrの依頼により製作されたもの。

小林健二製作の家具。左から[ALIE] [FOUPOU] [DUMEX]。このイスたちは寝具専門店Al-jabrの依頼により製作されたもの。

寝具専門店Al-jabrの内装や什器製作の依頼により製作された小林健二の家具たち。

寝具専門店Al-jabrの内装や什器の依頼により製作された小林健二の家具たち。

小林健二の道具の中でも、木工のための工具は多い。このイスの木の部分は、釿(ちょうな)と言われる道具使用。

小林健二の道具の中でも、木工のための工具は多い。このイスの木の部分は、釿(ちょうな)と言われる手道具を使用。

ウズクリ(茅などを束ねて荒縄で縛ったもの。木を磨くと木目を出すことができる)と小林自作の多分細い木を束ねてかtがめてある道具で堅木などは茅よりもこちらの方が強く磨ける模様。

右がウズクリ(茅などを束ねて荒縄で縛ったもの。木を磨くと木目を出すことができる)と左は小林健二自作の、多分細い木を束ねてかためてある道具で堅木などは茅よりもこちらの方が強く磨ける模様。

小林健二の手道具の中でも木工用のものは充実している。画像はその一部。

小林健二の手道具の中でも木工用のものは充実していて美しいものが多い。手入れが行き届いた道具の数々。画像はその一部。

Tools vol.3 from Kenji Channel on Vimeo.

*1990年のメディア掲載記事から編集抜粋し、画像が新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

 

[鉱石ラジオを楽しむ]後編

*「無線と実験(1998年2月)」の記事より編集抜粋し、画像は記事を参考に付加しております。

鉱石ラジオの心臓部とも言える鉱石検波器用の鉱物。上段両端は自作のケース入り。

鉱石ラジオの心臓部とも言える鉱石検波器用の鉱物。上段両端は自作のケース入り。

3,

鉱石ラジオの心臓部は何と言っても鉱石検波器です。そして、その主人公はやはり鉱物の結晶でしょう。若い頃に鉱石受信機を作り、しかもそれがさぐり式のように鉱物を外観からも確認できるタイプのものを体験されている方なら、すぐに方鉛鉱や黄鉄鋼といった鉱物の名称が思い浮かぶでしょう。確かにこれらの鉱物は一般的に入手しやすいし、またちょっと採掘や石拾いの経験の持ち主ならば、山歩きの時などに手に入れたことがあると思います。しかしながら、例えば方鉛鉱についていえば、国産のものには銀の含有量が必ずしも多くないので、感度についてはあまり望めないというのが実情です。ただ現在は各地でミネラルショーが行われたりする関係上、かえって昔より確実に入手できるルートも開け、またずっと安価となりました。

方鉛鉱ーGALENA(ガレナ)。フランクリン鉱山(アメリカ)産。 方鉛鉱はハンマーで軽く叩くと、完全な劈開(方向性のある割れ方をする)があるので、サイコロ状に割れます。

方鉛鉱ーGALENA(ガレナ)。
方鉛鉱はハンマーで軽く叩くと、完全な劈開(方向性のある割れ方をする)があるので、このようにサイコロ状に割れます。

もし鉱石検波器を自作しようとして鉱物をお探しになり、ミネラルショーや鉱物専門店にお出かけになるなら、私としては紅亜鉛鉱(こうあえんこう)”Zincite”ジンサイトという酸化亜鉛の鉱物をオススメします。この鉱物は地球上では北アメリカのニュージャージー州のフランクリン鉱山でしか現在は産出しないものですが、安価であるばかりか、感度も飛び抜けて安定しているからです。

紅亜鉛鉱(こうあえんこう)ZINCITEZ(ジンサイト)。北アメリカのニュージャージー州のフランクリン鉱山しか現在は産出しない。

紅亜鉛鉱(こうあえんこう)ZINCITEZ(ジンサイト)。北アメリカのニュージャージー州のフランクリン鉱山しか現在は産出しない。標本の赤い部分がそうです。

もちろん一見そんな特殊な鉱物が手に入らなくても、驚くような感度を期待しなくても良いならば、サビびた針や釘でも検波はできます。ただサビといっても赤サビでは直流抵抗も高く安定しないので、俗にいう黒サビのものでなければ具合は悪いのです。黒サビのついた針はあまり正確な方法ではありませんが、コンロなどで赤く焼いて自然冷却したような方法で用意します。あるいは本当は電池と抵抗体で2ボルト以下のバイアス電圧を印加すると、古くなったカミソリと鉛筆の芯でも優れた検波器を製作できます。

カミソリと鉛筆の芯によって作られた検波器を使った鉱石受信機。1940年代の米国の記事から小林健二が復刻したもの。W148xD98xH40mm

カミソリと鉛筆の芯によって作られた検波器を使った鉱石受信機。1940年代の米国の記事から小林健二が復刻したもの。W148xD98xH40mm

少し風変わりな検波器といえば、表面に金属を蒸着して、アクセサリーの一部とした販売されている水晶やガラス製品、あるいは2本のシャープペンの芯などに縫い針を渡した構造のものでも検波できることがあるのです。検波する原理はダイオードを発明する以前よりアンダーグランドにあったことは歴史的に説明されていて、その原点となるのは鉱石検波器であることは明白なことと思います。(*現在の電気の歴史上あまり重要とされていない)

右は鉛筆の芯とその間に置かれた縫い針とで検波する変わった検波器。(小林製作) 左はおもて面に酸化チタンを蒸着メッキした水晶。小林によると使い方で検波も可能とのこと。

右は鉛筆の芯とその間に置かれた縫い針とで検波する変わった検波器。(小林健二製作)
左はおもて面に酸化チタンを蒸着メッキした水晶。小林によると使い方で検波も可能とのこと。

しかしながらその作動原理ということになると、ダイオードはまさに半導体のPN接合による理論体系の上で製作されており、正孔や自由電子の振る舞いによって淀みなく説明でき流のですが、鉱石検波器及びそれに準ずる検波器については必ずしもこの方法論だけでは説明仕切れないというところがあります。私にはそれもまた鉱石受信機の魅力の一つとなっています。

私としては鉱石受信機全体について虜になった人間として、その魅力についてもっと語りたいのですが、現在オーディオ雑誌である「MJ 無線と実験」誌上であまりくどくど説明するとかえって逆効果になりかねないのでこの辺にしておきましょう。

ゲルマニュームダイオード今昔。下方が比較的新しいもの。

ゲルマニュームダイオード今昔。下から5本目はその上のものと同じで、プラスチックのカラーを外したもの。下方の2本が比較的新しいもの。

米国シルバニア社製のゲルマニュームダイオード。1940年代の製品としてはもっとも初期のものの一つ。

米国シルバニア社製のゲルマニュームダイオード。1940年代の製品としてはもっとも初期のものの一つ。

ただ最後に鉱石ラジオの音について少し述べさせていただくと、それはまさに小さくとも透き通った音なのです。私の製作した鉱石ラジオを聴いた方は、まずみなさん開口一番このことを話されます。「もっと聴きづらいかと思った」。

確かに三球レフレックスや五球スーパーをお作りになった方はハムやフィードバックのノイズがあることを経験されているので、もっと旧式なものだからきっと聴きづらい、と類推されるようです。1987年に製作した「サイラジオ」と名付けた私のラジオにいたってはその「ピー」とか「ギャー」という一連のそれらしい音をトランジスター回路にサイリスターのノイズを入れるようにして作ったほどです。

もちろん単純にコイルとコンデンサーそして検波器だけで製作した鉱石ラジオは分離特性が悪いため、異局の混信は免れませんし、バリコンを動かしてみたところで、常に他局の放送が被っていて同調器をいじってみたところで主客が入れ替わる程度の分離状態です。

ところがどうでしょう。数分もラジオに戯れていると、少しづつ放送が聴こえてくるではありませんか。頭を冷静にして考えてみるとラジオは特に何も変化はなく、変わっていったのは自分の耳の方だと気づいたのです。無意識のうちにノイズとサウンドの主客が認識されると、自分の中の感性がラジオの足りなかった分離特性を補っていたのです。

小林の生家の全身。当時、神田にあった「蓄晃堂」

小林の生家の全身。当時、神田にあった「蓄晃堂」

これは私がかつてある日の実験中に感じた出来事の一つですが、その時私は昔母や父から聞いたいくつかのエピソードを思い出していました。それは戦争中の話にさかのぼりますが、実家はその頃、新橋で『蓄晃堂』というレコード店を営んでおりました。昭和19年から20年にかけて空襲は本土へ日ごとに多く、また激しくなっていったそんなある寒い朝、家からそう遠くない場所にある日本楽器(現ヤマハ)に直撃弾が落ちのです。その時の空襲は火災は思うほどではないのに空が暗くなったと見上げると、空一面におびただしい楽譜や譜面が飛び交っていたそうです。そしてその現場に当時貴重であったそれらの譜面を一枚でも水や火に当てまいと母たちは走っていった時、まるで嵐のように風に舞い散る現場に着くと、すでに数十人の人たちが早々と防空壕から出てきていて手分けしてそれらを拾い集めていたというのです。母は「この国には本当に音楽好きが多いんだね」と感動し、自分もすぐにその仲間に加わったとのことでした。

その頃本当に物がなくて、入手ルートから粗製のレコード針が入ってくると、空手警報の最中でも情報を知った人々が集まりすぐに売り切れになったそうです。母の自慢はそんな時でも、誰も彼もが一箱づつしか買っていかなかったということでした。ちなみに母がいつも笑って言っていたのは、そのレコード針の箱絵には『RCAのラッパと犬』ではなく「あんな時代だからラッパと招き猫だった」とのこと。まさに音楽が生きるためにあった時代だったのですね。

私がやがてバンドに夢中になった頃「全くSP盤って雑音だらけだね」というと、父はよくそれはお前の耳が悪いからだと言っていました。昔の人は何かと昔を懐かしがる、だから雑音だってここと良いんだと言わんばかりにしか思わなかった私ですが、鉱石ラジオを作るようになってから、少しづつ考えが変わりはじめるようになったのです。

確かに今までの自分はいつの間にか機器にばかり凝ってかえって音楽よりノイズばかりを気にして聴いていたのではないのではと思ったりもしたからです。それ以来、私はあえてノイズを付加したようなラジオを作らない代わりに、ノイズに対してやたら反応する耳ではなくて雑音の海の中の音楽をすくいだし、そして楽しめる耳と心を持ちたいと考え始めたのです。

そしてそれはあの命がけの音楽の時代に生きた、今は亡き父と母から一つの通信を鉱石ラジオによって受け取ったのではないかという、そんな気もしてならないのです。

小林健二

[鉱石ラジオを楽しむ]前編

KENJI KOBAYASHI

絵を描きはじめた頃から

[フルヌマユ:春のみずうみ] 春のみずうみは暖かい陽気が立ちこめている。やわらかな形たちが揺れながら遊んでいるようだ。みんなとても楽しそう。夢のような場所。誰かがいつもぼくを迎えてくれる。それほど遠くない場所。ぼくは眠りについてそこへ出かける。いつもなら彼らは怪物と呼ばれている。

[フルヌマユ:春のみずうみ]
春のみずうみは暖かい陽気が立ちこめている。やわらかな形たちが揺れながら遊んでいるようだ。みんなとても楽しそう。夢のような場所。誰かがいつもぼくを迎えてくれる。それほど遠くない場所。ぼくは眠りについてそこへ出かける。いつもなら彼らは怪物と呼ばれている。

それはやっぱり、幼い頃は鉛筆やクレヨン、水彩絵の具といった、何処にでもある方法だった。

10代も半ばを過ぎてから、油絵の具を知った。それはぼくにとって厚みのある透明色を持ったものもある気に入った媒体になった。また、 タッチや盛り上げも出来るし薄く伸ばすこともできる。

やがて絵の具自身を自分で作ってみたいと思った。

20代初め頃、溶接工や工事現場で日雇いのアルバイトをしながら、夜、絵を描いた。そして時々休日には国会図書館に通ってはいろいろな画法に関する資料を読み、また洋書の絵画材料や技法書を丸善などで入手し翻訳しながら、大げさに言えば研究に熱中した。

油絵の具の他、テンペラやデトランプ、アンコスティックや水ガラスによる ステレオクロミー画法など、とりわけ透明を感じる技法は、ぼくをワクワクさせた。貴石のクズを安く購入してそれを砕いて粉にし、水簸(すいひ)をしたあと乾燥させたものを様々な媒体によって溶き、それによって心の中の風景を描くことに喜びを感じていた。

[フルヌマユ:飛行する気流] ぼくは時々彼らと出合う。中に透明でゆるやかな姿をしている。彼らはレンズや風船、そして気球のようなその姿の中に、いっぱい素敵な喜びをたずさえている。とても巨大で怪物のように見えるかもしれない。けれど、ぼくにとっては、何よりも安らぎを与えてくれる。

[フルヌマユ:飛行する気流]
ぼくは時々彼らと出合う。中に透明でゆるやかな姿をしている。彼らはレンズや風船、そして気球のようなその姿の中に、いっぱい素敵な喜びをたずさえている。とても巨大で怪物のように見えるかもしれない。けれど、ぼくにとっては、何よりも安らぎを与えてくれる。

また、「刃物研ぎマス」といった小さな看板を当時共同で借りていたアトリエのドアに気が向くと下げて、刃物を研いだりした。それらは近所の日曜大工が趣味でいる人のカンナ刃や、オクサンたちの包丁だったりしたが、そこそこお小遣いになったりした。

また、キャンバスや絵の具を作り、それが知人たちに結構好評で、生活の糧の一部になった時もあった。

その頃、友人たちから時々美術館などの展覧会のタダ券が手に入ることもあったが、あまり行ったことがなかった。つまり、ギターを弾いたり、そんな調子で絵を描いたりするのは好きだったが、「美術」というものに興味が深いかどうかは未だあやしい。

工作もとても好きであっても、本職のようになりたいと思ったことはない。だからいつもぼんやりとした世界のことばかり想っている。近代や現代と言われる言葉に形容される文脈を持った美術に、あまり関係がなく生きてきた。記憶の底でいつか垣間みたかもしれない風景や物語を、描いていたり作ったりしている。

[巨きな生き物の平原] 初夏の夢は大抵ゆっくりと、そしてうっとりとしている気がする。暖かく涼しく、そして眠い。巨きな生き物たちも霧かもやの中で穏やかでいる。青色の液状平原から光色のエネルギーを吸い上げている3対の柱を持った生命体は時々夢の平原のどこかしらに出現していたらしい。そのものは長い時間得た成分を虹のような香りや風のような音律にかえて、その上部より上方へと世界を楽しませる為に解き放っている。この次に出会った時にもっとその姿を眺めてみよう。そして出来たら少し話しかけてみよう。初夏の国の不思議な風景の中。

[巨きな生き物の平原]
初夏の夢は大抵ゆっくりと、そしてうっとりとしている気がする。暖かく涼しく、そして眠い。巨きな生き物たちも霧かもやの中で穏やかでいる。青色の液状平原から光色のエネルギーを吸い上げている3対の柱を持った生命体は時々夢の平原のどこかしらに出現していたらしい。そのものは長い時間得た成分を虹のような香りや風のような音律にかえて、その上部より上方へと世界を楽しませる為に解き放っている。この次に出会った時にもっとその姿を眺めてみよう。そして出来たら少し話しかけてみよう。初夏の国の不思議な風景の中。

でも、こんな風にして絵を描いたり、石を彫ったりして生きている人たちはきっとぼくだけではないだろう。いうならば、ぼくはそのような人たちの一人に過ぎないと思う。

若い頃からつづく日々が、星の涯(はて)の世界や心の中の見えづらい世界のことばかりに惹かれていて、外へ出歩いたり人に会ったりするのが得意ではなく、今日がいったい何月何日なのかわからないでいることが多い。

只、絵を描いたりすることが単に自己を顕すためだけの仕事であったり、上ばかり見て深さを求めないような生き方であることを願ったことはない。

ぼくのようにありふれていながらも、そしていつの時代にもいるだろう人間であっても、知らないうちにこの世に生まれ、いつかは誰かのこころの中のうっすらと浮かんだ幻のような世界の中へ、溶けて行ってしまいたいとどこかで思っているのかもしれない。

絵を描きはじめた幼い頃から今に至るまで、生きている日々の暮らしと、それらが切り離れたことはないと思う。

小林健二

小林健二作品

[観測気球のようなこころ]
高い層の青い色へと近づきたくて、いつのまにかとても大きくなってしまった。でもすごくその場所は遠そうなのでこころを観測気球のようにして、体をすてて飛んでみることとしよう。

*2008年のメディア掲載記事から抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI