水晶」タグアーカイブ

小林健二の自作レンズによる撮影[水晶編]

自作レンズと小林健二

小林健二の作品たちを一つの枠にあてはめることは難しい。絵画、彫刻、音楽や結晶・・・電気を使用している作品の中でもラジオや筐体の中で宙に浮かんで青く光って回転している土星など、表現媒体は実に自由。

カメラに自作レンズを装着して、幻想的な写真作品も発表している。

研究者としての一面も持つ小林健二。彼の道具は、日頃から作品製作に使用しているものに加え、資料としての興味で収集しているものまで様々。鉱物標本なども中学生の頃から機会があれば買い求め、特に水晶は心惹かれるようだ。

一貫して言えることは、そういうものが「好き」なのだ。

今回は水晶を撮影した写真を何点か選んで見た。

小林健二・写真作品「水晶」

小林健二・写真作品「水晶」

小林健二・写真作品「水晶」

小林健二・写真作品「水晶」

小林健二・写真作品「水晶」

小林健二・写真作品「水晶」

小林健二・写真作品「水晶」

小林健二・写真作品「水晶」

文:ipsylon.jp

KENJI KOBAYASHI

人工結晶

硫酸アンモニウムカリウムと硫酸アルミニウムクロムなどよって育成された結晶。(小林健二の結晶作品)

*「」内は小林健二談

人工結晶を作りはじめたのはいつ頃くらいですか?

「1992年くらいからですね。」

著書の『ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)』にもありましたけど、人工結晶は鉱石ラジオのクリスタル・イヤフォン用に作りはじめたんですか?

「そうですね。その時は圧電結晶を作りたくて、ロッシェル塩(酒石酸ナトリウムカリウム)を買ってきて結晶を作ってみようと思ったんです。とにかく実験ができればいいなと思っていましたから、大きいものが作りたかったですね。

その後他の物質で結晶ができないかとか、自然石を母岩として結晶がくっついていたら綺麗だろうなとか思ったりして、だんだんハマって行きました。色々研究して実験しました。でも、塊を作りたいと思っても、平べったくしかならなかったり思い通りにはならない。まあ、その平べったいのは平べったいので美しいものなんですけどね(笑)。」

母岩に結晶の素となる種のようなものを付けとくんですか?

「その場合はまず種結晶を作るところからはじめて、母岩につけ、その後育成溶液の入った深い容器におくと、大きく成長していくんですね。あるいは、容器の中に石を入れておくと、ザラザラとした母岩の表面に自然と結晶ができていたりします。その時に水溶液の成分を変えると色が変わったりするけど、それぞれの相性が合わなかったり慌ててやったりすると、大抵はシャーベット状になってダメになります。それで何度悔しい思いをしたことか(笑)。

二ヶ月ほど旅行にに行っている間に、40も50も容器の中で人工結晶を作ってたんですけど、帰ってみると一つだけ変わった色の溶液のものがあって、何も結晶ができていなかった。他のはできていたのに一滴だけ違う水溶液がポトンと落ちたから、何もできなかったんですね。それは水溶液を捨てる時にたまたま混ざって一瞬にして何もできなかった容器の水溶液と同じ色に変わったから、わかったんですけど。

そんなことの積み重ねですね。他にも温度や湿度、色々気をつけなければなりませんね。」

硫酸銅と硫酸コバルトの結晶。(小林健二の結晶作品)

クロム酸リチウムナトリウムカリの結晶。(小林健二の結晶作品)

ロッシェル塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

ー手探りの実験結果

「何でもかんでも混ぜれば結晶になるかという訳ではないんです、、、。

関係資料なんか色々調べてみました。人工結晶っていうと、人工宝石などを作るベルヌーい法やフラックス法、人工水晶などを作る熱水合成法、その他半導体結晶を製作するための資料はあるんですけど、ちゃんとした実験設備がなければ無理なものばかりです。

しかも、水成結晶育成法については、それこそイヤフォンなどの圧電結晶をつくるための資料くらいしかなくて、いかに大きなスのない単結晶のものを作るかといった内容ばかり。個人で製作するにはあまりにも大規模なものが中心になってしまいます。例えば形が美しかったり、色々な色をしたり、群晶になったりすることは本来の目的ではないわけですから、ぼくなんかが求める資料は、基本的には見つかりませんでしたね。

だから最初は圧電結晶に使えそうなものを片っ端から選んで、あれはどうだろう?これはどうだろう?と手始めに実験していきました。そうして作れる結晶を探して行ったわけです。どこにもそんな実験については載っていないから手探りです。

一つ一つの実験にどうしても時間がかかるるし、実際結果が見えてくるまで何年もかかりますよね。

でもいずれ、もっと安定した方法で結晶を育成できるようになったら、人工結晶に興味がある人に教えてあげられるかもしれない。盆栽を作るような気持ちで、好きな人には結構楽しいかもしれない。」

硫酸アルミニウムカリウムなどの結晶。(小林健二の結晶作品)

鉄系とクロム系の物質によって結晶化させたもの。(小林健二の結晶作品)

リン酸カリと黄血塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

ミョウバンと赤血塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

コバルトを含むロッシェル塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

蛍光性の物質を混入している硫酸アンモニウムナトリウムの結晶。(小林健二の結晶作品)

[人工結晶]

例えば水晶は、573度よりも低温で安定な低湿型と、537度から870度の間で安定な高湿型があるが、結晶が生まれるには、高圧、高温が必要とされることが多い。人工水晶には地球内部の環境を半ばシュミレートした高温・高圧によって作られたものもあるが、ここで取り上げている人工結晶は、常温で水成培養できるものである。

小林健二氏によって様々な薬品を使って、常温で人工結晶を作る実験が行われており、今回その成果もいくつかが紹介されている。

中には全長30cmほどの単結晶、直径20cm以上の結晶など、かなり大きなものも作られているし、色味としても様々な美しいが生まれ落ちている。

*2002年のメディア掲載記事より編集抜粋しております。

KENJI KOBAYASHI

鉱物との出会い

アメティスト(紫水晶)表層の、まるでシュクル(アメ細工)のように小さな濃い紫やオレンジ色の結晶がついた標本。
Amatitlan,Guerrero,Mexico

ー小林さんの鉱物との出会いというのはいつ頃ですか?

「小学校の低学年の頃に、ちょっとした事件というかある出来事があって、そのことがショックとなってひどい対人恐怖症になってしまったんです。

その頃ぼくは恐竜などが好きで、友だちとよく上野の国立科学博物館に行って担ですよ。今はレイアウトがかなり変わってしまったけれど、その時に鉱物標本室というような展示室があって、随分と印象的なところでした。

傾斜になった古い木でできたガラスケースの中に、整然とたくさんの鉱物標本が並んでいて、子供の頃からクラゲや石英のような透明なものが好きだったので、水晶のような透き通るものにはとりわけ目が行ったし、また藍銅鉱や鶏冠石(けいかんせき)といった色のはっきりとしたものもたくさんあって、とても綺麗でしたね。そんな中で、何回か通ううちに、たまたま学芸員の人が鉱物を色々説明してくれるようになって、鉱物に対する興味が一段と湧いてきたし、だんだんと鉱物を介して人とコミュニカーションを取ることができるようになってきたんです。

実は先ほどの事件というのは、大人の男性から受けたもので、大人の男性に対して恐怖を感じたことに端を発していたんです。その学芸員の人と、ひいてはその鉱物と出会うことがなければ、一体今頃どうなっていたかと思うんです。

今は多少笑いながら話せますが、当時は命を奪われるほどの恐れを抱いたので、それが少しづつほぐされていったのが、本当にありがたいです。」

ドイツ・ボンの博物館は、昔(小林健二が小学ー中学生の時に通っていた頃)の上野にある国立科学博物館の鉱物標本展示室にどこか似ている、と話す。

ー35年以上前の話ですけど、鉱物との出会いは小林さんにとって貴重なものでしたね。ところでミネラル・ショーのようなものはなかったんですか?

「池袋や新宿で年に一回開催されていますね。当時は今のように鉱物をまとめて見る機会はほとんどありませんでした。神保町に高岡商店というのがあって、矢尻とか土偶と一緒に水晶のような鉱物標本がいくつか売られていたぐらいかな。

ぼくが成人した頃には、千駄木の凡地学研究社で鉱物を買うことができるようになりましたね。小さな木の階段をギシギシとスリッパに履き替えて上がっていってね。今となっては懐かしいね。」

ー海外ではバイヤーが集まるミネラル・ショーが行われたでしょうし、ショップもかなりあったんでしょうね。

「海外ではミネラル・ショーは以前から盛んで、特にツーソンやミュンヘン、デンバーなどはとりわけ有名ですね。今でもショップは数多くあります。日本では最初に「東京国際ミネラルフェア」がはじめられた時に、出店していた人たちもその後あんなに続くとは思わなかったんじゃないかな。でも当時に比べたら、鉱物標本を扱う店は増えたと思います。」

ー昔の標本屋さんはどんな感じでしたか?

「ぼくが子どもの頃ってほとんど日本で採れた鉱物ですよね。そうするとどうしても地味なんです(笑)。それに結晶性のものよりは石って感じのものが多かったですね。時々綺麗な鉱物があったけど、いいと思うものは当時のぼくが買えるような値段ではなかった気がする。

そういえばぼくが22-23歳の頃、凡地学研究社に半分に切断されたアンモナイトの一種が置いてあったんです。それは表面が真珠色で断面がよく磨かれていて、隔壁や外殻本体は黄鉄鋼化して金色で、さらにそれをうめる全手の連室はブラック・オパール化しているもので、もうそれは素晴らしかった。とりわけその中心から外側の方へ青色からピンク色へと変移していくところなんて、もうデキスギとしか言いようがなかった。」

ーそれ以降、同じようなものは見たことがないですか?

「ありませんね。その時は本当にこんなものが自然にできるのかと思ったくらいで、人間の技術や造形意識を超えた、天然の神秘な力を感じないわけにはいかなかった。今となって考えてみれば、天然を超える人間の美意識なんていうものを想像する方が、難しいと思うけど(笑)。

あとは無色の水晶に緑簾石(りょくれんせき)がまるで木の枝のように貫いて、その端が花のように咲いて見える大きな標本とか、細かい針状の水晶の群晶の中央に、真っ赤に透き通る菱マンガン鉱の結晶とか、言い出したらキリがないけど、色々な標本屋さんとかミネラル・ショーに行くと、博物館でも見られない標本を見ることができるのは素晴らしいことだと思うんです。」

 

「地球に咲くものたちー小林健二氏の鉱物標本室より」
岩手の石と賢治のミュージアムで開催された、小林健二の鉱物標本の展示風景

「地球に咲くものたちー小林健二氏の鉱物標本室より」

「流星飲料ーDrink Meteor」
石と賢治のミュージアムにある石灰採掘工場跡、そこに期間限定で不思議なお店が現れました。

「流星飲料ーDrink Meteor」
石と賢治のミュージアムにある石灰採掘工場跡。小林健二が作ったレシピによる ドリンクを、彼の土星作品に囲まれて楽しむお店です。とくに光る飲料水「流星飲料」を光るテーブルにて飲む瞬間は、時空を超えて流星が体内を通り過ぎ、気がつくと星々に囲まれているような錯覚を覚えた記憶があります。

小林健二個展「流星飲料」。期間限定で現れた不思議なお店、そこのレジの横には不思議な光源で光る鉱物の数々。

「流星飲料ーDrink Meteor」

石と賢治のミュージアム(石灰の採掘場に宮沢賢治が何度か訪れ、馴染みのある工場跡、そこに併設されて作られたミュージアムです)で開催された展覧会。その洞窟の奥にある小さな池に、小林健二は水晶作品を展示。
現在は地震の影響もあり、この洞窟には立ち入りが禁止されています。

*岩手の一関にある「石と賢治のミュージアム」では、鉱物展示用に設計された什器の中に、数多くの小林健二が選んだ鉱物が展示されています。

*2002年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

作家になった怪獣博士

「アートっていうのは、独自のスタイルを持っていたからといって、それがそのまま作家のメッセージを表現するものとは言い切れないと思う。もっと素直で自由なもののはず。」と小林は言う。

小林の作品には威圧感もなければ理屈っぽさもなく、見るのに取り立ててエネルギーを必要としない。作家自身が様々なものを見て素直に楽しんだ体験から得た感覚が、作品の上で生きているからだ。

そんな小林が好きな場所は博物館だという。子供の頃は、自宅近くを走っていた電車一本で上野の国立科学博物館に行くことができたので、暇さえあれば通っていた。人工物ではないのにとてつもない造形美を持つ水晶が大好きだった。

小学校では「怪獣博士」と呼ばれていた。ろくに字も読めず、周囲の人々に将来を心配されるほど学校での出来は悪かったというが、恐竜や怪獣に関する興味と知識だけは誰にも負けなかった。博物館にある恐竜の骨には釘付けになった。

「なぜ、そんなに怪獣に惹かれたのかって?あなたには、そういうところありませんでした?」

 

ー巨石が伝えるストレートな感性

ただ、小林が普通の人たちと違ったのは、それを現在まで引きずってきた点だ。怪獣映画 ”ゴジラ(1954)”の話を始めると目の輝きが増し、ただでさえ軽快なしゃべりは、とどまるところを知らなくなる。

「”ゴジラ”は、本当にこわかった。それは何よりその映画に暗示されている戦争の持つ恐怖や理不尽さを感じたからだと思う。一方的に破壊されていく自分たちの街を成すすべもなく見送る人々と、人間の作った核兵器によって突然変異を強いられた生命体の復讐によって、やり場のない憎しみが増大してゆく。ゴジラはまさに”戦争”そのものを象徴した怪物だったんだ。再上映ではあったけど、終戦後わずか9年目の映画に、小さかったぼくは一口では言えない衝撃を感じさせられたと思う。」

小林が語る「ゴジラ」は常に初代ゴジラのこと。これはその時の映画のポスターの一部。

小林が語る「ゴジラ」は常に初代ゴジラのこと。これはその時の映画のポスターの一部。

小林の興味の持ち方はとにかく純粋だ。その対象は誰もが夢をふくらませる宇宙であったり、死と隣り合わせの世界である砂漠であったり、数千年の歳月を経て生命の復活を目指すミイラであったり・・・その興味は深く長く、とめどない。

”ドルメン”や”メンヒル”と呼ばれる巨石記念物には、異常なほどの関心を抱いている。有史以前に何者かの手によってつくられたと「される巨石記念物は、イギリスの”ストーンヘンジ”が有名だが、実は、世界各地にあるのだそうだ。日本でも北海道から沖縄までかなりの場所にあったことが資料で確認されており、小林はおりにふれ、実際に国内の巨石記念物を見る機会を得ている。

山梨にある巨石を訪れた時の写真。観光場所というわけではないから、ゆっくりと撮影ができた。

山梨にある巨石を訪れた時の写真。観光場所というわけではないから、ゆっくりと撮影ができるという。この画像は日本の巨石などを巡った時のファイルの扉ページ。

「ひとつの立石が軽くて数トン、重いもので数十トンあるというから、とても個人で運べるようなものではない。しかし、誰かが運んできた。そこに確実に何らかの知性と意識が働いている。しかも、何かを支配したり誇示するために作ったものではないし、無理に謎めかせて見せているわけでもない。創った者たちがドルメンやメンヒルなどの巨石を必要とした、すごくストレートな感性が伝わってくるんだ。」

(別記事ではあるが、小林健二の執筆による1990年のメディア掲載記事を以下に紹介)

水晶 水精とも書く、この欲望と理性の不思議な統合。身体を添わせてみても何となく冷たい。意識はその外側にいて、内部の原理の法則に心を奪われている。極大のナルシズム、永遠の二相系。自分に自分が恋している。探しているのは君自身だよ。

水晶
水精とも書く、この欲望と理性の不思議な統合。身体を添わせてみても何となく冷たい。意識はその外側にいて、内部の原理の法則に心を奪われている。極大のナルシズム、永遠の二相系。自分に自分が恋している。探しているのは君自身だよ。

巨石 夜明けとともに現れる何かを待つように幾千年の時間を過ごした彼らには、被造物である立石という呪縛を越えて、まるで静かな知性が物質化したような、そんな気高さを感じる。彼らの待ち続けているものは、今どこにいるのだろう。

巨石
夜明けとともに現れる何かを待つように幾千年の時間を過ごした彼らには、被造物である立石という呪縛を越えて、まるで静かな知性が物質化したような、そんな気高さを感じる。彼らの待ち続けているものは、今どこにいるのだろう。

砂漠 この風景の中では、取り残された者たちは即座に死を思い浮かべるだろう。昼の灼熱、夜の極寒、このゆさぶりに耐え切れず硬い岩さえ砂と化して行く。正に人間の力など遠く及ばない様に見える自然の一面だ。でもこれこそ今地球上に、人間が努力して作り続けている悲しい風景でもあるのだ。

砂漠
この風景の中では、取り残された者たちは即座に死を思い浮かべるだろう。昼の灼熱、夜の極寒、このゆさぶりに耐え切れず硬い岩さえ砂と化して行く。正に人間の力など遠く及ばない様に見える自然の一面だ。でもこれこそ今地球上に、人間が努力して作り続けている悲しい風景でもあるのだ。

霜 これは山岳の航空写真でも重晶石(サハラローズ)でもない。窓に付いた霜の姿だ。無意識の正義のように、宇宙は物質に何処かへの方向を促しているかのようだ。天然の世界ではごく当たり前の出来事が僕らを感動させる。幾百もの理論と、幾千もの不安の涯を過ぎて、真実への旅は続いている。いずれ闇も光も一緒になって僕らの夢さえ安らいでいる頃、小さな結晶の一つとして僕も目覚めてみたい。


これは山岳の航空写真でも重晶石(サハラローズ)でもない。窓に付いた霜の姿だ。無意識の正義のように、宇宙は物質に何処かへの方向を促しているかのようだ。天然の世界ではごく当たり前の出来事が僕らを感動させる。幾百もの理論と、幾千もの不安の涯を過ぎて、真実への旅は続いている。いずれ闇も光も一緒になってぼくらの夢さえ安らいでいる頃、小さな結晶の一つとしてぼくも目覚めてみたい。

木星 豊かで、ぼくらの罪を許してくれそうな、ゆっくりとして優しい色をした天体。その大赤斑から生命のかけらたちが生まれていると言う人がいる。渦巻くアンモニアの大気と熱と重力が確かに何かを生み出しているだろう。たくさんの高分子と拡散基が紡ぎ合い複雑で神秘な高次への創造へと導かれてゆく。永い時間が過ぎて木星の友人たちが目覚める頃、人間たちはどうしているのだろう。

木星
豊かで、ぼくらの罪を許してくれそうな、ゆっくりとして優しい色をした天体。その大赤斑から生命のかけらたちが生まれていると言う人がいる。渦巻くアンモニアの大気と熱と重力が確かに何かを生み出しているだろう。たくさんの高分子と拡散基が紡ぎ合い複雑で神秘な高次への創造へと導かれてゆく。永い時間が過ぎて木星の友人たちが目覚める頃、人間たちはどうしているのだろう。

カンブリア紀の海の中 彼らはその時代の真只中にいた。おそらく宇宙を想像することも、愛によって育まれ、生きていくことへの疑問や希望も、僕らの方法とは少々違っていたかもしれない。7対の奇妙な脚(?)を持つハルキゲニア。象の鼻のように長い口(?)によって捕食しながら、五つの大きな複眼で僕らには感じられない構図の景色の中を生きたオパビニア。僕らのしていることは本当に少しだけ。彼らの言葉を知らなくてもカンブリア紀の穏やかな海の底で熱い想いを交感したい。

カンブリア紀の海の中
彼らはその時代の真只中にいた。おそらく宇宙を想像することも、愛によって育まれ、生きていくことへの疑問や希望も、ぼくらの方法とは少々違っていたかもしれない。7対の奇妙な脚(?)を持つハルキゲニア。象の鼻のように長い口(?)によって捕食しながら、五つの大きな複眼で僕らには感じられない構図の景色の中を生きたオパビニア。僕らのしていることは本当に少しだけ。彼らの言葉を知らなくてもカンブリア紀の穏やかな海の底で熱い想いを交感したい。

ヴィーナス 地球上至るところから見つけ出されるヴィーナスは、時代や民族や宗教を越えてどことなく似ている。おそらく、豊穣や繁栄を願ってこの象徴的な祈りの造形は作られた。その作者たちは果たして自分たちだけのことを考えていただろうか?大気や海洋や大地、そして生きとし生けるものの一つに過ぎない者として自分たちを捉えていたのではないだろうか。この太古の先人たちの造形を超えたメッセージが、今、ぼくらに何かを訴えている。

ヴィーナス
地球上至るところから見つけ出されるヴィーナスは、時代や民族や宗教を越えてどことなく似ている。おそらく、豊穣や繁栄を願ってこの象徴的な祈りの造形は作られた。その作者たちは果たして自分たちだけのことを考えていただろうか?大気や海洋や大地、そして生きとし生けるものの一つに過ぎない者として自分たちを捉えていたのではないだろうか。この太古の先人たちの造形を超えたメッセージが、今、ぼくらに何かを訴えている。

コハクの中の蜘蛛 おそらく不意にだろう。彼は濃厚な樹脂の中に落ちてしまった。やがて彼を取り巻いていたものは、気の遠くなるような時間とともに、一つの化石樹脂となり、彼を閉じ込め続けている。朽ち果てることも許されず、彼が見続けなければならなかったその後の地球の歴史について、どのように語ってくれるだろう。彼の故郷である地球が、それこそ不意に、急激な変化を余儀なくされた「人間」という現象の上に、まだ結果を出さずにいてほしいのだけど。

コハクの中の蜘蛛
おそらく不意にだろう。彼は濃厚な樹脂の中に落ちてしまった。やがて彼を取り巻いていたものは、気の遠くなるような時間とともに、一つの化石樹脂となり、彼を閉じ込め続けている。朽ち果てることも許されず、彼が見続けなければならなかったその後の地球の歴史について、どのように語ってくれるだろう。彼の故郷である地球が、それこそ不意に、急激な変化を余儀なくされた「人間」という現象の上に、まだ結果を出さずにいてほしいのだけど。

竜巻 渦巻く風。大地すら揺れている。僕は思わず外に出てしまう。なぜかワクワクしてしまうのだ。龍神をイメージさせ、強烈に空間を泳ぐヘビのような竜巻はそんな日にやってくる。積乱雲の下から現れて、家や船、木や砂や海水、時には人なども巻き上げていく。厚い大気を突き破り、そのあり余る”はたらき”を天と地とをも繋いでしまう。物質を伴わなければならない精神にとって、不自由な時代には、荒れ狂うエネルギーの源に、身も心も委ねてみたい。

竜巻
渦巻く風。大地すら揺れている。ぼくは思わず外に出てしまう。なぜかワクワクしてしまうのだ。龍神をイメージさせ、強烈に空間を泳ぐヘビのような竜巻はそんな日にやってくる。積乱雲の下から現れて、家や船、木や砂や海水、時には人なども巻き上げていく。厚い大気を突き破り、そのあり余る”はたらき”を天と地とをも繋いでしまう。物質を伴わなければならない精神にとって、不自由な時代には、荒れ狂うエネルギーの源に、身も心も委ねてみたい。

ミイラ 彼は再びこの地に彼の霊が復活するためにたくさんの処理を受けた。防腐のため、脳をはじめとして全ての臓器を抜きとられ、アルカリに漬けられた。そして、もし再生しても決して動くことなどできない位に縛り上げられ、さらに幾重にもケースに入れられた。未だ深い眠りの中の彼は、その時代や文化を象徴しているというよりは、目的と手段を取り違えやすい人間社会の矛盾に対して、何か問いを発しているかのようだ。

ミイラ
彼は再びこの地に彼の霊が復活するためにたくさんの処理を受けた。防腐のため、脳をはじめとして全ての臓器を抜きとられ、アルカリに漬けられた。そして、もし再生しても決して動くことなどできない位に縛り上げられ、さらに幾重にもケースに入れられた。未だ深い眠りの中の彼は、その時代や文化を象徴しているというよりは、目的と手段を取り違えやすい人間社会の矛盾に対して、何か問いを発しているかのようだ。

星雲 オリオン星雲は、銀河系で最も大きなガスとチリの塊だ。そこでは今も新しい星々が生まれている。若い星の照り返しが、美しいピンクに染めて、1500年の時間のずれとともに、その姿を伝えている。そしてその背景には、遥か宇宙の広大な海が続いている。始めも終わりも天国も地獄も、すべてを抱いて移ろいゆく。絶え間なく流れていく時間の波の後方に、過去が僕らを包んでいる。そして僕らは、その中に未来を見ようと見つめているのだ。

星雲
オリオン星雲は、銀河系で最も大きなガスとチリの塊だ。そこでは今も新しい星々が生まれている。若い星の照り返しが、美しいピンクに染めて、1500年の時間のずれとともに、その姿を伝えている。そしてその背景には、遥か宇宙の広大な海が続いている。始めも終わりも天国も地獄も、すべてを抱いて移ろいゆく。絶え間なく流れていく時間の波の後方に、過去がぼくらを包んでいる。そしてぼくらは、その中に未来を見ようと見つめているのだ。

ー怪物で表現する素直な驚き

そんな感性の持ち主である小林は、作品の中に怪物を登場させている。

地球上の大陸がまだ一つで、現在の人間界のような敵対のない世界”パンゲアパラダイス”にいた生物を描いたものだという。

彼は一番強い生物。何故ならものを悩んだり、企んだりする脳を持っていないから。彼は一番強い生物。何故なら光の力をそのまま自分の血や肉に変えているから。彼は一番弱い生物。思いっきり愛することのできる重いハートを、4本の足で支えなければならないから。」 小林健二(16歳の時に描いた絵)

彼は一番強い生物。何故ならものを悩んだり、企んだりする脳を持っていないから。彼は一番強い生物。何故なら光の力をそのまま自分の血や肉に変えているから。彼は一番弱い生物。思いっきり愛することのできる重いハートを、4本の足で支えなければならないから。

近年では”ビヒーモス”や”リヴァイアサン”など、空想上の怪物を描いている。

「ビヒーモス-BE’HEMOTH」 A part of the work "You are not alone” 金網、鉄、木、黒竹、アクリルガラス、他 wire mesh,iron,wood,black bamboo,plexiglass,others 2800X5600X500mm 1991

「ビヒーモス-BE’HEMOTH」
A part of the work “You are not alone”
金網、鉄、木、黒竹、アクリルガラス、他
wire mesh,iron,wood,black bamboo,plexiglass,others 2800X5600X500mm 1991

「リヴァイアサン-LEVIATHAN」 A part of the work "You are not alone” 木、油彩、鉛、アクリルガラス、他 wood,oil,lead,plexiglass,others 2850X5000X200mm 1991

「リヴァイアサン-LEVIATHAN」
A part of the work “You are not alone”
木、油彩、鉛、アクリルガラス、他
wood,oil,lead,plexiglass,others 2850X5000X200mm 1991

小林の作品はとても身近だ。それは小林が作家になっても、自然に対して、モノに対して、素直な驚きと興味を持って見つめる感覚が表現のよりどころにしているからだ。

「フルヌマユ;夜の怪物-MONSTER IN THE NIGHT」 アンコスティック、油彩、板encaustic,oil on board 1392X910X40mm 1998

「フルヌマユ;夜の怪物-MONSTER IN THE NIGHT」
アンコスティック、油彩、板 encaustic,oil on board
1392X910X40mm 1998
ぼくの夢に現われるものたちは、みな怪物のようで、そしてみなぼくにとってやさしい心を感じさせてくれる。たいていは風船のようなもので、静かに息をしていて、ためらうようにおだやかでいる。ぼくが人の暮しになんとなく疲れてしまう夜などに、とりわけ多く出現して、ぼくの心を癒してくれる。このビルにタッチしている優しい影は、彼らの一番ありふれた形で、そして最も弱々しい彼らの姿をあらわしていると思う。

 

「g l m-ゴレム-」 板に油彩、金属、他 oil, metal on board, others 1450X1220mm 2006 その名は何に因んでいるのかは定かではない 駱駝と木切れ あるいは水流といったものも 多少あしらってあるかも知れない 誰が名付けたのだろう 自分には見ることのできない名前 まるでボイラーみたいだろ ぼくが気に入っているというわけではないけど ブリキよりは少し上等のトタン板でできているらしい でもぼくには友だちがいないんだいつからここにいて いつまでここにい続けるのかわからない 霧の中の透明な都市の風景の中に 悲しみの三つの文字が浮かび上がる  g l m はただ立ちつくしている

「g l m-ゴレム-」
板に油彩、金属、他 oil, metal on board, others
1450X1220mm 2006
その名は何に因んでいるのかは定かではない 駱駝と木切れ あるいは水流といったものも 多少あしらってあるかも知れない 誰が名付けたのだろう 自分には見ることのできない名前 まるでボイラーみたいだろ ぼくが気に入っているというわけではないけど ブリキよりは少し上等のトタン板でできているらしい でもぼくには友だちがいないんだいつからここにいて いつまでここにい続けるのかわからない 霧の中の透明な都市の風景の中に 悲しみの三つの文字が浮かび上がる 
g l m はただ立ちつくしている

1990-1994年のメディア掲載記事を抜粋編集しています。

 

HOME

KENJI KOBAYASHI

6/4[小林健二Talk+WET]

小林健二 Talk [工作のヒント]+[不思議な世界]+[結晶育成] 会場:メガラニカ(Magallanica)

小林健二 Talk [工作のヒント]+[不思議な世界]+[結晶育成]
会場:メガラニカ(Magallanica)

2016,6/4の小林健二トークが昨日終了しました。

小林の道具談義から始まり(今回はケヒキについてでした)、電気を使った作品などを参加者と共に楽しみ、結晶育成の手始めの作業を進め(最終日6/19には完成予定だそうです)、自然とWETへと流れていきます。人数限定でのトークショーですが、トークの後に参加者といろいろな話をしていくWET(ウイークエンド・イヴニング・トーク)が企画されました。

小林の話を聞くというだけのスタンスと違い、工作や道具への質問や実際ものを作っている人からは製作工程でのアドバイスを聞いたりなど、歓談する場面が多く見られ、とても有意義な試みであったと思われます。

2016,6/4のトーク風景

2016,6/4のトーク風景

[遠方結晶交信機] 別の場所にいる人々交信し合える装置。水晶のような結晶の表面にのみ、お互いの動画が映し出される作品。一つのトーク会場で紹介するため、今回は2mほど離れたいるが同じテーブルの上で実験。

[遠方結晶交信機]
別の場所にいる人々が交信し合える装置。水晶のような結晶の表面にのみ、お互いの動画が映し出される作品。今回は一つのトーク会場で紹介するため、2mほど離れていますが同じテーブルの上で実験。

WET風景

WET風景

 

HOME

[鉱物顔料の世界と小林健二]

*2000年のメディア記事(小林健二へのインタビュー)からの抜粋です。

ーいつ頃から鉱物顔料に興昧をもつようになったのですか?

鉱物顔料というより鉱物自体に子どもの頃から興味があって集めていました。

絵を描くことが生活の中心になるようになって鉱物標本のなかでも色のついたものにとりわけ興味をもつようになったように思います。またティオフィルスやトンプソンを訳したり、チエンニ ーノ・チエンニ ーニ、グザヴィエ・ド・ラングレなどの本が出版されて、古典画法に輿味をもつようになりました。人聞が絵を描きはじめた頃、あるいは西洋の中世で鉱物顔料をいかにして絵具にしていたかなどを読んで興味をもち、よく通っていた鉱物標本屋で鉱物顔料を探すようになって、手の届くような廉価なものから徐々に買い集めていったのです。

シナバー(Cinnaber) 辰砂(しんしゃ)・主成分:HgS(硫化水銀)・朱、バーミリオン(Vermillion)と言う名の方が一般的でしょう。朱色と言うと不透明なイメージがあるようですが、鉱物結晶自体はたいていその表面はうすい酸化二湯追って黒変していても光に透かして見ると美しい赤色をした透質の結晶です。最も古い赤色原料の一つで、天然の鉱物から粉体にして作った岩絵の具の辰砂などはとても高価です。写真の標本は高さが3cmほどある大きさの物です。標本産地:中国貴州銅仁鉱山

シナバー(Cinnaber)
辰砂(しんしゃ)・主成分:HgS(硫化水銀)・朱、バーミリオン(Vermillion)と言う名の方が一般的でしょう。朱色と言うと不透明なイメージがあるようですが、鉱物結晶自体はたいていその表面はうすい酸化によって黒変していても光に透かして見ると美しい赤色をした透質の結晶です。最も古い赤色原料の一つで、天然の鉱物から粉体にして作った岩絵の具の辰砂などはとても高価です。写真の標本は高さが3cmほどある大きさの物です。標本産地:中国貴州銅仁鉱山

アズライト(Azurite) 岩群青(いわぐんじょう)・主成分:塩基性炭酸銅・マウンテンブルーとも呼ばれます。青く美しい結晶鉱物です。とりわけ高価な単結晶の素晴らしい標本であると裏から光をあてると濃い青色に透き通り宝石のような感じです。この鉱物は藍銅鉱と呼ばれ、粉体にすると粒子の細かいものほど明るい水色で粗くなると深い青色になります。標本産地:Touissit-mine,Oujda,Morocco

アズライト(Azurite)
岩群青(いわぐんじょう)・主成分:塩基性炭酸銅・マウンテンブルーとも呼ばれます。青く美しい結晶鉱物です。とりわけ高価な単結晶の素晴らしい標本であると裏から光をあてると濃い青色に透き通り宝石のような感じです。この鉱物は藍銅鉱と呼ばれ、粉体にすると粒子の細かいものほど明るい水色で粗くなると深い青色になります。標本産地:Touissit-mine,Oujda,Morocco

マラカイト(Marachite) 岩緑青(いわろくしょう)・主成分:含水酸基炭酸銅・マウンテングリーンとも呼ばれます。緑色の鉱物でその断面まるで孔雀の羽のような縞模様があることから孔雀石と一般的に呼ばれます。かつてクレオパトラがアイシャドウに使ったということで有名な緑色顔料です。マラカイトは彫刻をほどこしたり箱などの工芸品として加工されたりするのでその削った粉やかけらから顔料にしやすい鉱物です。・標本産地:Kolweiz,Shaba,Zaire

マラカイト(Marachite)
岩緑青(いわろくしょう)・主成分:含水酸基炭酸銅・マウンテングリーンとも呼ばれます。緑色の鉱物でその断面まるで孔雀の羽のような縞模様があることから孔雀石と一般的に呼ばれます。かつてクレオパトラがアイシャドウに使ったということで有名な緑色顔料です。マラカイトは彫刻をほどこしたり箱などの工芸品として加工されたりするのでその削った粉やかけらから顔料にしやすい鉱物です。・標本産地:Kolweiz,Shaba,Zaire

スギライト(Sugilite) 杉石・1977年に杉健一氏たちによって発見された石です。ぼくはこの石に今から1980年くらいに最初に出会い、むらさき色の顔料になるかもしれないと友人たちと試したことがありました。むらさき色の顔料は聞いたことがなかったのですが、杉石は明るいむらさき色の顔料になります。ぼくは 「スギムラサキ」と呼んでいました。標本産地:N7chwaning-mine,Hotazel,South Africa

スギライト(Sugilite)
杉石・1977年に杉健一氏たちによって発見された石です。ぼくはこの石に1980年くらいに最初に出会い、むらさき色の顔料になるかもしれないと友人たちと試したことがありました。むらさき色の顔料は聞いたことがなかったのですが、杉石は明るいむらさき色の顔料になります。ぼくは 「スギムラサキ」と呼んでいました。標本産地:N’chwaning-mine,Hotazel,South Africa

ー鉱物標本を買って、それで実際に絵具をつくったりしたのですね?

最初にトライしたのはいまから二十三、四年ぐらい前でラピスラズリでした。

チエンニ ーノ・チエンニ ーニが樹脂などと顔料をまぜ、水中でそれをもみだして青い成分を出したという話を読んで、本当にそんなことができるのか不思議に思って、自分で実際にいろいろな文献や資料を探して顔料をつくったりしました 。当時はウィンザ ー・ニュートン社からウルトラマリン・ジエニユインと いう本物のラピスラズリからつくった絵具が売られていました。その頃の値段でおそらく一万か二 万円ぐらいでした。ウルトラマリンが出切ったあとの残り淳のようなアッシュ・ブルーというグレーの顔料も、水彩のハーフパンで飛び抜けて高い値段で売られてました。そんな時代でしたから、ラピスラズリを精製したりするのが実験的でおもしろかったのです。

その当時、ラピスラズリの原石は御徒町あたりの宝飾品屋から断ち屑がキロ五千円ぐらいで買えました。これを業者にスタンプ・ミルで砕いてもらい、さらに細かくしていくポット・ミルという機械を自分で買ってきて使用していました。ちょうどその時期、ある友人の紹介で中国産の群青を精製する仕事をバイトでやりはじめたんです。顔料を粒子の大きさで水簸という方法によって選別する仕事でしたが、このようにして鉱物を絵具にする方法を覚えていったのです。いろいろな安い鉱物の断ち屑から自分のオリジナルな絵具ができるんじゃないかなと思って、ほかにもつくるようになりました。

ラピスラズリ(Lapis Lazuli) 瑠璃(るり) 天然のウルトラマリンブルーです。ラピスは石の意でラズリは青を意味する古語で、青金石(せいきんせき)と和名では言います。この鉱物は黄鉄鉱と産出することが多くその金色と青色の対比は美しく天然結晶標本は素晴らしいものです。上質のものは青い色というよりも深い夜のような色をしています。標本産地:Bacla Khshan,Afganistan

ラピスラズリ(Lapis Lazuli)
瑠璃(るり)
天然のウルトラマリンブルーです。ラピスは石の意でラズリは青を意味する古語で、青金石(せいきんせき)と和名では言います。この鉱物は黄鉄鉱と産出することが多くその金色と青色の対比は美しく天然結晶標本は素晴らしいものです。上質のものは青い色というよりも深い夜のような色をしています。標本産地:Bacla Khshan,Afganistan

ー鉱物顔料からつくった絵具をどういうふうに使っているんですか  ?

最初のうちはさまざまな青い顔料を使って作品を描いていましたが、高価なのと手聞がかかるので、だんだん市販されていないような油絵具をつくるようになりました。たとえばデイヴイス・グレーというウインザ ー・ニュートンの透明な灰色やペイニーズ・グレーのような透明色をもっと濃いグレーにしたものだとか、セヌリエ社のブラウン・ピンクに近い色。市販されている赤や青などはっきりした色じゃなくて、透明色でかすかに紫や青みがかったものを天然の顔料でつくるとおもしろいんじゃないかなと思ってね。紫雲母や緑色の雲母を粉砕して、雲母(きらら)の粉体をつくったりしました。ふつうは白雲母を主体にして精製しますが、そうではなくすでに色が若干ついているものを粉体にしました。

ほとんど白いままで色が出てこないんですが、油絵具のように屈折率の高い展色剤といっしょに混ぜると薄い透明な紫や緑の絵具ができるんです。

ーたとえば現在でも青の顔料は高価であっても手に入れることはできるんですか?

結局、いまの時代なんでもあるでしょう。

合成顔料に人工顔料、染料からつくった顔料、あるいは有機顔料もある。人聞が絵を描きはじめて以来の歴史を振り返ると、青はとても貴重な色だったといえるでしょう。宝石ではサファイアやタンザナイトのような鉱物結晶を想像するかもしれませんが、サファイアのように硬いものを粉体にするのは大変です。しかも真っ青なのに粉体にすると白くなるんですよね。青い鉱物というのは、どこにでもあるものじゃないから、おのずと高価なものになる。それがラピスラズリやアズライトです。日本語でいう瑠璃や群青です。ほんの百年前にはとても高価で一般の人たちには手に入らない絵具がいっぱいあった。ウルトラマリン・ブルーはいまではシリーズ中最も廉価な絵具なひとつですが、金よりも高い時代がありました。ラピスラズリからつくるブルー・ドート・メール(ウルトラマリン・ブルー)があまりにも高価だったので、フランス政府がこの色を合成的につくったものに懸賞金を設けた。それで1826年にギメが発明したのですが、これが工業的合成絵具の先駆けになったのです。

クリソコラ(Chrysocolla) 桂孔雀石(けいくじゃくいし) 宝飾品としては加工しやすいがもろいというのが欠点とされますが、かえってそれは顔料にはしやすいのです。それはこの鉱物が結晶度が低いからかもしれません。ぼくはテンダー・グリーン(Tender green 軟らかくもろい緑の意)と呼んでいます。標本産地:Ray-mine,Pinal County,Arizona,USA

クリソコラ(Chrysocolla)
桂孔雀石(けいくじゃくいし)
宝飾品としては加工しやすいがもろいというのが欠点とされますが、かえってそれは顔料にはしやすいのです。それはこの鉱物が結晶度が低いからかもしれません。ぼくはテンダー・グリーン(Tender green 軟らかくもろい緑の意)と呼んでいます。標本産地:Ray-mine,Pinal County,Arizona,USA

カイヤナイト(Kyanite) 藍晶石(らんしょうせき)・主成分:珪酸アルミニウム この石の組成からすると粉体にするといかにも真っ白になってしまいそうですが、屈折率の高いビヒクルと混ぜると青さを取り戻します。そこでぼくはファントム・ブルー(幻青の意)と呼んでいます。標本産地:Itapeco,Goias,Brazil

カイヤナイト(Kyanite)
藍晶石(らんしょうせき)・主成分:珪酸アルミニウム
この石の組成からすると粉体にするといかにも真っ白になってしまいそうですが、屈折率の高いビヒクルと混ぜると青さを取り戻します。そこでぼくはファントム・ブルー(幻青の意)と呼んでいます。標本産地:Itapeco,Goias,Brazil

ソーダライト(Sodalite) 方曹達石(ほうそうだいし) ソーダライトは透質感のある濃い藍色をしています。安価で入手しやすいのに青色顔料として使用されないのは、粉体にすると白いガラスの粉という感じになるからです。ぼくは屈折率の高い展色剤や水ガラス等を混ぜて絵の具を作ることがありますが、そんな時にはこの上なく透明な美しい水色となるのでサイレント・ブルー(Silent blue)と名付けて使っています。標本産地:Curvelo,Minas Gerais,Brazil

ソーダライト(Sodalite)
方曹達石(ほうそうだいし)
ソーダライトは透質感のある濃い藍色をしています。安価で入手しやすいのに青色顔料として使用されないのは、粉体にすると白いガラスの粉という感じになるからです。ぼくは屈折率の高い展色剤や水ガラス等を混ぜて絵の具を作ることがありますが、そんな時にはこの上なく透明な美しい水色となるのでサイレント・ブルー(Silent blue)と名付けて使っています。標本産地:Curvelo,Minas Gerais,Brazil

ー青以外にはどういう色がありますか?

いちばん有名なものはシナバー(辰砂)ですね。真っ赤な朱、ヴァーミリオンのことです。純正の赤や黄もなかなか天然には存在しづらい色で、顔料鉱物だけでつくられているものはとても珍しいのです。シナバーは硫化水銀です。朱には印鑑を押すときの朱肉のイメージがあるけれど、岩絵具を顕微鏡で見てみると、透きとおってきれいな、まるで色ガラスを砕いたような透明度の高い絵具だとわかります。岩絵具になるような辰砂は日本でも海外でも産地が少なく、やはり貴重なものだったんですね。

赤でもうひとつ有名なものにリアルガー、日本語で鶏冠石というのがあります。群馬県下仁田の鉱山が日本で鶏冠石が出るところだといわれていて、二十歳の頃友だちに誘われていっしょに掘りにいったことがあります。鶏冠石には砒素が多く含まれ毒性が高いので鉱山は閉鎖されていましたが、 近くに転がっていた鶏冠石の塊を拾ってきました。

オーピメント、日本語で石黄も成分的に鶏冠石によく似た透明な結晶体です。コバルト系のオーレオリンのような色で 、これを粉体にするとレモン・イエローをちょっとくすませたような顔料になります。

リアルガーもオーピメントもシナバーと同じように純粋な結晶体で透明度の高い美しい標本です。どれもひじように高価なので粉にして顔料にしようと思う人はいないでしょう。

他に、黒では鉱物としてグラファイトがあります。 黒鉛のことです。アイボリー・ブラックやパイン・ブラックのように動物の骨とか植物を焼いてつくった炭なども顔料に使われている。煤もそうですよね。成分によって若干色は違いますが、白や黒はわりに天然界に多く存在しています。白なら白亜、チョークの類があるし、鉛系のものでは酢で鉛を酸化させたものもあります。緑にはアズライトとよく似ているマラカイトがあり、これにはエジプトのクレオパトラがアイシャドウにしていたという逸話があります。アズライトもマラカイトも天然鉱物ですが、銅を腐食して緑色の錆としてつくった酢酸銅やエメラルド・グリーンのように鉱物以外のものからもよく絵具をつくったのです。

たとえばアンバーという土色は一種の酸化鉄ですが、イタリアのシエナ地方の石土がロー・シエナ、これを焼いたものはバーント・シエナといいます。黒っぽい鉛を光らせたようなへマタイトを摺りつぶすとちょうどベンガラのような赤になっていく。そういうふうにつくられる色もありますね。

絵具屋がない時代には、絵を描く人間たちは、こうしてひとつひとつの色を苦労して手に入れて自分で絵具をつくっていたわけです。ネイプルス・イエロー、ナポリ黄と呼ばれる色はパピロニア時代からあるといわれているし、絵師は表現する以前にまず必要な色を入手しなければならなかったということでしょう。ある程度の財力や入手ルートのコネがないと一枚の絵を仕上げることも出来なかったかもしれません。(笑)

リアルガー(Realger) 鶏冠石(けいかんせき)・主成分:硫化水素 赤色顔料として古い顔料で雄黄(ゆうおう)と言われることがあります。写真の標本は高さ8cmくらいのかたまりで赤く透明な結晶ですが、このようなものは一般的ではありません。この石より作られる鶏冠朱という色は朱より赤みの強い色で有毒です。単結晶の部分は美しいがもろく硬度がなく、顔料に適した面があっても標本としては光にも湿気にも弱く変質しやすい。標本産地:Mapdan,Macedonia,Yugoslavia

リアルガー(Realger)
鶏冠石(けいかんせき)・主成分:二硫化二砒素
赤色顔料として古い顔料で雄黄(ゆうおう)と言われることがあります。写真の標本は高さ8cmくらいのかたまりで赤く透明な結晶ですが、このようなものは一般的ではありません。この石より作られる鶏冠朱という色は朱より赤みの強い色で有毒です。単結晶の部分は美しいがもろく硬度がなく、顔料に適した面があっても標本としては光にも湿気にも弱く変質しやすい。標本産地:Mapdan,Macedonia,Yugoslavia

オーピメント(Orpiment) 石黄・主成分:二硫化水素 リアルガーを雄黄というのに対して雌黄(しおう)とも呼ばれます。とても軟らかく粉体にしやすい。この鉱物も透明な結晶をしていて金色にキラキラと輝いて美しいが、顔料にすると明るいレモン色の顔料になります。やはりとても古い顔料でオーピメントという名はauripigment( 金色絵具)という語がなまったものらしくやはり有毒です。標本産地:Getchell-mine,Humbidt Co.,Nevacla.USA

オーピメント(Orpiment)
石黄・主成分:三硫化二砒素
リアルガーを雄黄というのに対して雌黄(しおう)とも呼ばれます。とても軟らかく粉体にしやすい。この鉱物も透明な結晶をしていて金色にキラキラと輝いて美しいが、顔料にすると明るいレモン色の顔料になります。やはりとても古い顔料でオーピメントという名はauripigment(
金色絵具)という語がなまったものらしくやはり有毒です。標本産地:Getchell-mine,Humbidt Co.,Nevacla.USA

リモナイト(Limonite) この場合黄土の一種・主成分:含水酸化鉄 一般的に言う黄土から赤土などの褐鉄鉱の一種で、写真の標本は褐鉄鉱の成分が草の根の周囲に厚い皮常に殻を生成して管のようになったもので、俗名高師小僧(たかしこぞう)と呼ばれています。これを粉体とすると黄土色と成ります。標本産地:愛知県豊橋市高師原

リモナイト(Limonite)
この場合黄土の一種・主成分:含水酸化鉄
一般的に言う黄土から赤土などの褐鉄鉱の一種で、写真の標本は褐鉄鉱の成分が草の根の周囲に厚い皮常に殻を生成して管のようになったもので、俗名高師小僧(たかしこぞう)と呼ばれています。これを粉体とすると黄土色と成ります。標本産地:愛知県豊橋市高師原

アズロマラカイト(Azurimalachite) マラカイトとアズライトは混合して産出することが多く、それらをアズロマラカイトと呼んでいます。標本産地:Morenci,Arizona,USA

アズロマラカイト(Azurimalachite)
マラカイトとアズライトは混合して産出することが多く、それらをアズロマラカイトと呼んでいます。標本産地:Morenci,Arizona,USA

ヘマタイト(Hematite) 酸化鉄赤の一種・主成分:酸化鉄 外見は錆びた鉄状であったり、磨かれた黒っぽい金属のようだったりしますが、その名の示す通り (Hemaとは赤いという意味)砥石などで水をつけてゆっくりと研ぐと真っ赤な色が出てきます。写真の標本は板状に結晶していますが、このようなこのもあります。標本産地:Rio Marina,Elba,Italy

ヘマタイト(Hematite)
酸化鉄赤の一種・主成分:酸化鉄
外見は錆びた鉄状であったり、磨かれた黒っぽい金属のようだったりしますが、その名の示す通り (Hemaとは赤いという意味)砥石などで水をつけてゆっくりと研ぐと真っ赤な色が出てきます。写真の標本は板状に結晶していますが、このようなこのもあります。標本産地:Rio Marina,Elba,Italy

ー鉱物顔料を粉末にしたものをどうやって絵の具にしていくんですか?

砕いた粉末に膠着剤や展色剤を加え練りあわせていきます。粉自身の特性や展色剤をなににするかによっても絵具の質が決まるのです。水彩絵具と油性絵具という違いもあるし、あるいは同じ水性のアラビアゴムを使用したとしても、その中に入っているアラビアゴムの量や水分量によって水彩絵具にも、パステルにも、あるいは蝋などを加えてオイル・パステルにもできます。デトランプの技法にならって膠を加えて日本画の顔料にしたり、水ガラスを加えてステレオクローム式のものをつくったり、展色剤に卵の黄身や白身、あるいは全卵を加えてテンペラの材料をつくることもできます。

ー昔ヴァーミリオンとエメラルド・グリーンを混ぜると変色するといわれましたが実際はどうなんですか?

ヴァーミリオンには硫黄が含まれていて、エメラルド・グリーンにはそれに反応する成分が入っているという話ですね。 さっき話に出たヴァーミリオンは硫化水銀ですから硫化物が入ってますからね。エメラルド・グリーンは難しいので、鉛からつくったシルヴァー・ホワイトを例にすると、シルヴァー・ホワイトの鉛の成分と硫化物が反応して硫化鉛に変わり黒変します。ただ油絵具の場合、シルヴァー・ホワイトは塩基性炭酸鉛が主成分で、比較的遊離した硫黄分があってもそう簡単には反応しません。天然の硫化水銀からつくったものではないヴァーミリオンの場合には硫化物が安定しているので、油絵具の油が顔料のまわりをオブラートのようにくるんでますし、顔料と顔料が直接接触して反応することは少ないでしょう。ただ、顔料同士をそのまますり鉢ですったりすれば、みるみる色が変わっていくことは実際あります。

またウルトラマリン・ジェニュインをずっと水にひたしておくと、成分中の天然の硫化物が遊離して、だんだん水中に溶け出し、もとの顔料から硫黄分がどんどん抜けていってしまいます。そうすると青味がだんだん失せていくのです。顔料や鉱物結晶のもっている性質をよく理解しないと    わざわざ絵具をつくっても無意味になってしまうのです。

ーいまの時代、絵具屋に行けば買えるのに自分で鉱物の顔料を使って絵具をつくることでなにか発見できたことはありますか?

ぼく自身が絵具づくりの経験から得たことがあるとすれば、簡単に手に入ると思っているものが、じつはほんの一昔前まで手に入れるのがとても大変だったのだと身をもって知ったことですね。れにコチニールからとったクリムソン・レーキとか、茜の根から抽出してつくったローズ・マダー、ローズ・ドレーのような美しい透明な有機顔料など天然界のいろんなものを人聞が利用しながら絵を描くことの必然性を考えさせられました。中世やルネサンス、あるいはそれよりはるか以前の人たちの描いた絵を見たとき、ひじように手間のかかる工程を経なければその作品は描かれなかったと思うと、また絵の見え方が変わりますね。

続きを読む

[地球に咲くものたち-私と鉱物標本]小林健二の鉱物標本室より

小林健二の鉱物標本

小林健二が高校生の頃、集めていた鉱物を入れるために自作したケースと標本たち

私と鉱物標本

幼い頃、経木(きょうぎ)といった木を薄く削ったものやボール紙等で出来ている小さな箱にいろいろな”好きなもの”を入れて楽しんでいたりしたものです。その頃は誰もが一度はそんな遊びをしていたものです。その内容はほとんどがガラクタですが、おのおのが皆好きなものを入れる訳ですから、それぞれの好みが反影して、お互いが見せ合っても面白いものでした。私の宝物はやはり色とりどりのガラス瓶のカケラがさざれたものでした。もっともそれらが宝石でないと知るのは、もっと年長になってからのことです。それらの”宝石”を陽に透かしたり重ねて見たりするのは今思い出してもわくわくした気持がよみがえってきます。

私が育った泉岳寺というところは、四十七士で知られる寺の多い町です。私の実家のすぐ裏も願生寺というお寺でした。そしてそこは私や近所の子供仲間にとっての良き遊び場だったのです。ある暖かい日、その寺の裏手にある井戸で皆でヤゴ釣りをしていたとき、偶然に足元にキレイな色をした平たく丸い石のようなものを見つけました。そして皆でその辺を掘ってみると、たくさんの色とりどりの同じ大きさのものが出てきたのです。その場にいたものはそれぞれに驚きはしゃぎましたが、私は人一倍興奮したように覚えています。なぜならある童話で「地中の中には美しい多数の宝石がかくれている」といった物語を既に読んでいたからです。何日かして気持のさめやらぬまま家の隣にあるメッキ工場の”サカイさん”と呼んでいつも遊んでもらっている方に「これって何だろう?」と見せると、彼は笑いながら「ケンボーそれは化石だよ」と言いました。「何の化石?」と聞くと、「それは水の化石だよ」と言ったのです。

その一言は大変な驚きを私にもたらしました。「水が化石になるなんて、何てことなんだろう。あんな風な色になるのは、水だけじゃなくてファンタオレンジやグレープ、そして田中君ちの赤いソーダ水もきっと化石になるんだ。」頭の中はぐるぐるになりっぱなしだったのです。

先程読んでいたと書いた物語はこんなお話だったと思います。ある貧しい人が不思議な老人から小さな瓶に入った薬をもらいます。その薬を片目にぬると地中にある数々の宝石を見ることができる、ということでした。その貧しい人は早速に片目にぬってみました。するとどうでしょう。くすんだ地面の中にキラキラ光る宝石が見えるのです。そしてその宝石を掘りあてると陽の光りに冴えわたり、彼はそれを売ったお金で貧しい家族に満足な食事と衣類を買うことができました。ところが彼はもっと宝石がないものかと老人との約束をやぶって両目に薬をぬってしまいます。すると宝石どころか彼の目は光を失い、それまで彼のまわりにあった全てをも失ってしまうというお話でした。私にとってこの物語の持っている暗示的なところよりも、はじめの方で片目に薬をぬりはしゃいでいる彼の姿の挿絵がとても気に入っていたのです。それは半分透過性となった地面の内に多数の結晶が描かれ、さらにきわだたせた表現のためか、空中にまでも宝石はちりばめられていたのです。

「あの話は本当なのかも知れない」子供の心は一直線なところがあるのでしょう。年下の友人とともに”小野モーターズ”の駐車場のはがれかけていたアスファルトを一生懸命にはがしていたときなど、大人たちは怒るどころか心配までしてくれたことを覚えています。

やがてウスウスとその平たく丸いものが実はガラスで、昔の石蹴りの遊びに使われていたものと分りはじめたころ、上野にある科学博物館で本格的?な鉱物標本と対面したのです。当時の科学博物館を知る方ならどなたでも声をそろえて「その鉱物室は素晴らしかった」と言われると思います。事実それは見事なものでした。傾斜のついた木のケースに整然と並べられた鉱物たちの魅力は、ある種の子供たちの一生を通じて、影響を与えるのに充分な引力を持っていたのです。たとえ「水が化石になる」ということを信じていたことから出発した子供でさえも、、、。

それでも私の集めたガラクタの中には一つ二つ、確かに水晶のカケラが入っていたことは今もって不思議なことでしたが、本来”石好き”と言われる方々は実際に山や人里離れた場所までリュックを背負い、地図やコンパスをたよりにして石を採集に行ったりするものです。私もほんの数度、若い頃に友人と水晶や鶏冠石(ケイカンセキ)を掘りに行ったことがありますが、たいていは標本を扱うところで購入したものです。

その最初は科学博物館の売店で、その次あたりは神田の高岡商店というとこでした。そこにはハニワやヤジリといったものと並んで水晶や岩石がありました。十代も後半になる頃からは東京は文京区にあった凡地学研究所というところでいろいろな鉱物と出合っていたのです。その頃の標本店で扱う鉱物は、近年海外からもたらされる象徴的な標本と比べるとそれほど鉱物の結晶がはっきりとせず、「黄鉄鉱」などの元素鉱物でさえもしばらくルーペで見ないと分りづらいようなものが多くありました。高価なものとなればもちろん別ですが、私には買えるようなものではありません。

最初に鉱物標本を入手してから40年以上の月日が流れました。鉱物世界からすれば一瞬の出来事ですが、一個人からすると決して短いものではありません。水晶も石英も共に美しい呼称と思い、子供心にもうっとりすることがありました。とりわけ透質で手が切れそうなくらい稜線がくっきりとした結晶の、その鏡のような面に何か知らない世界が映りはしないかと今でさえ思うことがあります。幼い頃、ポケットに入れていた宝物たちがジャラジャラするときに、痛々しくてお布団を敷いたような箱の中に入れようとしたことがあります。

昔の古い本の中に、水晶はかつては水精と呼ばれ深山渓谷の霧や霞が氷った後、化石になったという伝説があると知ったときから、あの幼い私に「水の化石」という一つの夢を与え続けてくれている「ケンボー、それは水の化石だよ」という言葉に、に今も感謝しているのです。

小林健二

小林健二の鉱物標本

[水晶と魚眼石]
岐阜県吉城郡神岡町神岡鉱山

小林健二の鉱物標本

[水晶]
山梨県牧丘町乙女鉱山

小林健二の鉱物標本

[水晶]
山梨県水晶峠

小林健二の鉱物標本

[水晶]
奈良県吉野郡天川村洞川五代松鉱山

小林健二の鉱物標本

[水晶と魚眼石]
岐阜県吉城郡神岡町神岡鉱山円山抗

小林健二の鉱物標本

[煙水晶とカリ長石]
岐阜県恵那郡蛭川村田原

小林健二の鉱物標本

[水晶と束沸石]
神奈川県足柄上郡山北町玄倉水晶谷

Photo by Kenji Kobayashi(撮影:小林健二)

地球に咲くものたち

KENJI KOBAYASHI

[地球に咲くものたち]小林健二の鉱物標本室より

小林健二の鉱物標本

[Quartz(Amethyst)]
Rio Grande do Sul,Brazil

喧噪も届かない遥かな場所、静かで何万年も変わることのない秘密の晶洞。

そんなところで鉱質の結晶たちは安らいでいるのです。この至純な眠りの国では絶え間なく美しい夢が紡がれ、まるで目には見えない不思議な情報に促されるように彼らはその姿を現わしてゆくのです。

この成功も失敗もない世界に於いてはまた、争うことも競いあう必要もありません。

ただ、この宇宙に流れている秩序の方向にその存在の軸を一つにしているのです。迷いやためらいもない穏やかな時間の中で夢を見続ける、それが彼らをまた祝福しているかのようです。

地質学的堆積の範囲を越えて、この地球の意識が発芽して花を待つような、いじらしくも壮大なこの一連の素敵な事実はまさにこの星、地球に咲くものたちを創ったのではないでしょうか。

この小さな冊子に於ける私の期待は、鉱物とその仲間たちの姿を通して人の世に生きる皆さんが何かを見つけてくれるのではないかという事です。そしてそれは鉱物学や結晶工学の話しではなく、また尖鋭的でも奇抜でもないあたりまえの方向の事としてなのです。

この彼らの営みは分子のレベルの緻密なものでありながらも、有機的でゆるがせなものであり、天然の力を受けとめているその光りは、自信というよりは遥かに静かで確かな輝きを持ってはいないでしょうか。

たおやかで静謐なその世界に触れるとき、いかなるものとも共和できる宇宙の資質を感じ、また私たちの心の深いところに潜んでいる善意の流れと源を同じくしているのではないかと感じたりするのです。

鉱物の結晶を見ているとまったく同じものに出合うことはありません。それは私たち人間がまさにそうなようにです。でも共にその背景には見えざる共通の願いがあるような気がしてなりません。この冊子を手にとってくれた皆さんに私が届けたい言葉があるとしたら、それはきっとこんな事なのです。鉱物たちだけではない、あまねく命の結晶とともにあなたは今、この地球に咲いているのです。

[Flowers inside the earth-from the mineral specimens of Kenji Kobayashi-地球に咲くものたち]

初稿1997年 小林健二

小林健二の鉱物標本

[Quartz(Amethyst)]
Amatitlan,Guerrero,Mexico

小林健二の鉱物標本

[Quartz]
Carinto,Minas Gerais,Brazil

小林健二の鉱物標本

[Quartz(Amethyst)]
KingstonMt.,San Bemardino Co.,California,USA

小林健二の鉱物標本

[Quartz]
Bata Mare,Rumania

小林健二の鉱物標本

[Quartz(Japanese Twin)]
La Tentadora Mine,Pampa,Blanco,Peru

小林健二の鉱物標本

[Quartz]
Mina Liliana,Mpio.,Chihuahua,Mexico

小林健二の鉱物標本

[Quartz(Amethyst) on Anydorite]
Rio Grande do Sul, Brazil

小林健二の鉱物標本

[Quartz in Marble]
Carrara, Italy

小林健二の鉱物標本

[Quartz(Citrine)]
Loenae Mine, Conga, Africa

Photo by Kenji Kobayashi(撮影:小林健二)

小林健二の鉱物標本室よりNo.2 No.3 No.4 No.5 No.6 No.7 No.8 No.9 No.10 No.11

私と鉱物標本

KENJI KOBAYASHI

 

今後、鉱物標本写真は随時アップします。