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人工結晶

硫酸アンモニウムカリウムと硫酸アルミニウムクロムなどよって育成された結晶。(小林健二の結晶作品)

*「」内は小林健二談

人工結晶を作りはじめたのはいつ頃くらいですか?

「1992年くらいからですね。」

著書の『ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)』にもありましたけど、人工結晶は鉱石ラジオのクリスタル・イヤフォン用に作りはじめたんですか?

「そうですね。その時は圧電結晶を作りたくて、ロッシェル塩(酒石酸ナトリウムカリウム)を買ってきて結晶を作ってみようと思ったんです。とにかく実験ができればいいなと思っていましたから、大きいものが作りたかったですね。

その後他の物質で結晶ができないかとか、自然石を母岩として結晶がくっついていたら綺麗だろうなとか思ったりして、だんだんハマって行きました。色々研究して実験しました。でも、塊を作りたいと思っても、平べったくしかならなかったり思い通りにはならない。まあ、その平べったいのは平べったいので美しいものなんですけどね(笑)。」

母岩に結晶の素となる種のようなものを付けとくんですか?

「その場合はまず種結晶を作るところからはじめて、母岩につけ、その後育成溶液の入った深い容器におくと、大きく成長していくんですね。あるいは、容器の中に石を入れておくと、ザラザラとした母岩の表面に自然と結晶ができていたりします。その時に水溶液の成分を変えると色が変わったりするけど、それぞれの相性が合わなかったり慌ててやったりすると、大抵はシャーベット状になってダメになります。それで何度悔しい思いをしたことか(笑)。

二ヶ月ほど旅行にに行っている間に、40も50も容器の中で人工結晶を作ってたんですけど、帰ってみると一つだけ変わった色の溶液のものがあって、何も結晶ができていなかった。他のはできていたのに一滴だけ違う水溶液がポトンと落ちたから、何もできなかったんですね。それは水溶液を捨てる時にたまたま混ざって一瞬にして何もできなかった容器の水溶液と同じ色に変わったから、わかったんですけど。

そんなことの積み重ねですね。他にも温度や湿度、色々気をつけなければなりませんね。」

硫酸銅と硫酸コバルトの結晶。(小林健二の結晶作品)

クロム酸リチウムナトリウムカリの結晶。(小林健二の結晶作品)

ロッシェル塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

ー手探りの実験結果

「何でもかんでも混ぜれば結晶になるかという訳ではないんです、、、。

関係資料なんか色々調べてみました。人工結晶っていうと、人工宝石などを作るベルヌーい法やフラックス法、人工水晶などを作る熱水合成法、その他半導体結晶を製作するための資料はあるんですけど、ちゃんとした実験設備がなければ無理なものばかりです。

しかも、水成結晶育成法については、それこそイヤフォンなどの圧電結晶をつくるための資料くらいしかなくて、いかに大きなスのない単結晶のものを作るかといった内容ばかり。個人で製作するにはあまりにも大規模なものが中心になってしまいます。例えば形が美しかったり、色々な色をしたり、群晶になったりすることは本来の目的ではないわけですから、ぼくなんかが求める資料は、基本的には見つかりませんでしたね。

だから最初は圧電結晶に使えそうなものを片っ端から選んで、あれはどうだろう?これはどうだろう?と手始めに実験していきました。そうして作れる結晶を探して行ったわけです。どこにもそんな実験については載っていないから手探りです。

一つ一つの実験にどうしても時間がかかるるし、実際結果が見えてくるまで何年もかかりますよね。

でもいずれ、もっと安定した方法で結晶を育成できるようになったら、人工結晶に興味がある人に教えてあげられるかもしれない。盆栽を作るような気持ちで、好きな人には結構楽しいかもしれない。」

硫酸アルミニウムカリウムなどの結晶。(小林健二の結晶作品)

鉄系とクロム系の物質によって結晶化させたもの。(小林健二の結晶作品)

リン酸カリと黄血塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

ミョウバンと赤血塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

コバルトを含むロッシェル塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

蛍光性の物質を混入している硫酸アンモニウムナトリウムの結晶。(小林健二の結晶作品)

[人工結晶]

例えば水晶は、573度よりも低温で安定な低湿型と、537度から870度の間で安定な高湿型があるが、結晶が生まれるには、高圧、高温が必要とされることが多い。人工水晶には地球内部の環境を半ばシュミレートした高温・高圧によって作られたものもあるが、ここで取り上げている人工結晶は、常温で水成培養できるものである。

小林健二氏によって様々な薬品を使って、常温で人工結晶を作る実験が行われており、今回その成果もいくつかが紹介されている。

中には全長30cmほどの単結晶、直径20cm以上の結晶など、かなり大きなものも作られているし、色味としても様々な美しいが生まれ落ちている。

*2002年のメディア掲載記事より編集抜粋しております。

KENJI KOBAYASHI

鉱物の魅力

「鉱物の結晶は本来この世に全く同じものは二つとないわけですよね。そうした事実をぼくたちは思い起こしてみるといいんじゃないかな。

明礬で作る結晶の実験なんかでも、本を読んでいると枝のような結晶が付いてできたら取るようにと書いてある。それはとりもなおさず、決まった形に育成していくことがいいと言っているようなものだよね。でもそうじゃなくて、それぞれに美しいと感じられる形があるし、天然現象としてその結晶自身が持っている方向のようなものがありんじゃないかと思うんです。

同じ鉱物が二つとないという鉱物の世界のようにね。そしてそれは、まるで人間がそれぞれの個人の魅力を自由な形で表現できる世界というのが理想だと思うようにね。

同じ種類の鉱物を並べても同じようには見えない。しかも一つの鉱物の中に数種類の鉱物がお互いを排除しないで共存しているものもある。鉱物、いや天然かな、そこには無駄や差別という概念がなくて素晴らしい。人間の世界もこんな風に、お互いを認め合えていけたらいいよね。

黄鉄鋼に褐鉄鋼がくっついていたり、透石膏に褐鉄鋼がくっついて、その後に中が溶けて空洞ができ外形だけが残っているものとかも洗う。珍しい標本だけど、これなんかもある意味で遺影の結晶とも言えるよね。

中心が透石膏でそのまわりに褐鉄鋼が仮晶した後、内部の透石膏が溶去して褐鉄鋼の部分だけが残ったもの。
Santa Eulalia,Mexico

示準化石や示相化石のように、化石だと全てではなくともその年代を同定できる場合があるけど、鉱物結晶はできるものに何千年かかったのか何万年なのかなかなか分かりづらい。それらは大抵光も当たらない場所で、ただただ変化し成長し続けていたわけですよね。

ここに海緑石化した貝だけど、どういう条件が揃えば貝のところだけが変化したり置換したりするのか、とても不思議なことだと思う。

腹足網の化石。外殻が海緑石(Glauconite)に置換されている。(記事を複写)
[Turritella terebralis]
Nureci,near Laconic,Central Sardinia,Italy

そんな神秘的なことがぼくたちの前にあらわれてくる。それを思うと、人間の世界から少し離れて自由な気持ちになれるわけです。

子供の頃から人と同じように物事ができなくて寂しくなったり孤独を感じたりしたことがあったけど、いまはそんな自分を変だと感じないでスムシ、心が落ち着いてきたと思う。

日常で大抵の人が感じる軋轢(あつれき )って、基本的には人間関係ってことが多いんないかしら。そんな時、鉱物の世界は一つの架け橋になってくれるような気がしますね。」

柱状の緑泥石を核とした、ザラメ砂糖のような水晶の結晶
Artigas, Uruguay

ー見た目に美しい鉱物ですが、精神性にまで影響があったりするんですね。ところで、人工の鉱物や宝石についてはどう思われますか?

「鉱物と宝石を趣味にする人ではタイプが違う場合があるように感じます。宝石で偽物を摑まされたとか嘆く人がいるけれど、その人がそれがガラス玉出会っても分からないかもしれないでしょ。それなら、あるがままに存在する天然のコランダムのルビーやサファイヤをあえてカットして磨くより、ガラス玉を付けても見た目には問題ないいじゃない(笑)。

硬度に違いがあるくらいで、もし赤くて透き通っているものとしてだけそれを見るのであれば、天然の鉱物である必要はないかも知れないね。

聞いた話ですが、最近の技術はすごくて、天然のエメラルドにはそれぞれに包含物やスがあるけど、人工のものにはそれがなくて均一だから見分けられていたんだそうです。それが今や、いかにして人工のエメラルドに天然に似た包含物やスを入れるかということになってきて、なかなか鑑定する人も大変だと思うけど、それはそれで天然の鉱物が少しでも助かるならいいなと思うんですけど(笑)。」

ー小林さんは色々な表現活動をされていますが、鉱物をテーマにしたものは作られているのですか?

「ぼくは怪物とか模型飛行機や星を見るのが好きだったし、絵の題材として怪物や透明なものや光ったりするものはよく出てきたし、高校の頃には水晶とか描いていたこともあった。

それは作品として仕上げ用というよりも、ただ好きなものを描いていた感じですね。みんなもそうかも知れないけど、今自分のやっている仕事と、そうなりたいと思っていたことが必ずしも一緒でない時期ってあるよね。でも表現方法は色々だけど、子供の頃から好きだったものってそんなに変われるものじゃないと思うんです。」

ー鉱物に対する思いがだんだんと作品と融合してきたわけですね。

「ぼくはこれまで生きた年と同じくらいこれからも生きているとも思えない。そうすると、だんだんと自分の素性に近いところで生きるようになってきたと思うんです。今までは作品を作ることと鉱物を見るということは意識として別のものだったけど、だんだんと近づいてきた部分があるような気がする。だからい色の変わる水晶の作品とか、鉱石ラジオとか人工結晶を作るようになったんです。

日常の中で記憶って時とともに薄らいでいくようなことがあっても、変わらないで蘇ってくるんです。それで、やっと自分のやりたいことが少しみつかてきたというか、昔のぼくと同じように不思議や鉱物が好きで、鉱石ラジオや人工結晶みたいなものまで興味がある人のために、何かできないかというのが今の興味なんです。

「ついにアブナイ博士の仲間入りをしたな!」とか言われたけどね(笑)

kingdom-kristal from Kenji Channel on Vimeo.

*2002年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像や動画は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

鉱物との出会い

アメティスト(紫水晶)表層の、まるでシュクル(アメ細工)のように小さな濃い紫やオレンジ色の結晶がついた標本。
Amatitlan,Guerrero,Mexico

ー小林さんの鉱物との出会いというのはいつ頃ですか?

「小学校の低学年の頃に、ちょっとした事件というかある出来事があって、そのことがショックとなってひどい対人恐怖症になってしまったんです。

その頃ぼくは恐竜などが好きで、友だちとよく上野の国立科学博物館に行って担ですよ。今はレイアウトがかなり変わってしまったけれど、その時に鉱物標本室というような展示室があって、随分と印象的なところでした。

傾斜になった古い木でできたガラスケースの中に、整然とたくさんの鉱物標本が並んでいて、子供の頃からクラゲや石英のような透明なものが好きだったので、水晶のような透き通るものにはとりわけ目が行ったし、また藍銅鉱や鶏冠石(けいかんせき)といった色のはっきりとしたものもたくさんあって、とても綺麗でしたね。そんな中で、何回か通ううちに、たまたま学芸員の人が鉱物を色々説明してくれるようになって、鉱物に対する興味が一段と湧いてきたし、だんだんと鉱物を介して人とコミュニカーションを取ることができるようになってきたんです。

実は先ほどの事件というのは、大人の男性から受けたもので、大人の男性に対して恐怖を感じたことに端を発していたんです。その学芸員の人と、ひいてはその鉱物と出会うことがなければ、一体今頃どうなっていたかと思うんです。

今は多少笑いながら話せますが、当時は命を奪われるほどの恐れを抱いたので、それが少しづつほぐされていったのが、本当にありがたいです。」

ドイツ・ボンの博物館は、昔(小林健二が小学ー中学生の時に通っていた頃)の上野にある国立科学博物館の鉱物標本展示室にどこか似ている、と話す。

ー35年以上前の話ですけど、鉱物との出会いは小林さんにとって貴重なものでしたね。ところでミネラル・ショーのようなものはなかったんですか?

「池袋や新宿で年に一回開催されていますね。当時は今のように鉱物をまとめて見る機会はほとんどありませんでした。神保町に高岡商店というのがあって、矢尻とか土偶と一緒に水晶のような鉱物標本がいくつか売られていたぐらいかな。

ぼくが成人した頃には、千駄木の凡地学研究社で鉱物を買うことができるようになりましたね。小さな木の階段をギシギシとスリッパに履き替えて上がっていってね。今となっては懐かしいね。」

ー海外ではバイヤーが集まるミネラル・ショーが行われたでしょうし、ショップもかなりあったんでしょうね。

「海外ではミネラル・ショーは以前から盛んで、特にツーソンやミュンヘン、デンバーなどはとりわけ有名ですね。今でもショップは数多くあります。日本では最初に「東京国際ミネラルフェア」がはじめられた時に、出店していた人たちもその後あんなに続くとは思わなかったんじゃないかな。でも当時に比べたら、鉱物標本を扱う店は増えたと思います。」

ー昔の標本屋さんはどんな感じでしたか?

「ぼくが子どもの頃ってほとんど日本で採れた鉱物ですよね。そうするとどうしても地味なんです(笑)。それに結晶性のものよりは石って感じのものが多かったですね。時々綺麗な鉱物があったけど、いいと思うものは当時のぼくが買えるような値段ではなかった気がする。

そういえばぼくが22-23歳の頃、凡地学研究社に半分に切断されたアンモナイトの一種が置いてあったんです。それは表面が真珠色で断面がよく磨かれていて、隔壁や外殻本体は黄鉄鋼化して金色で、さらにそれをうめる全手の連室はブラック・オパール化しているもので、もうそれは素晴らしかった。とりわけその中心から外側の方へ青色からピンク色へと変移していくところなんて、もうデキスギとしか言いようがなかった。」

ーそれ以降、同じようなものは見たことがないですか?

「ありませんね。その時は本当にこんなものが自然にできるのかと思ったくらいで、人間の技術や造形意識を超えた、天然の神秘な力を感じないわけにはいかなかった。今となって考えてみれば、天然を超える人間の美意識なんていうものを想像する方が、難しいと思うけど(笑)。

あとは無色の水晶に緑簾石(りょくれんせき)がまるで木の枝のように貫いて、その端が花のように咲いて見える大きな標本とか、細かい針状の水晶の群晶の中央に、真っ赤に透き通る菱マンガン鉱の結晶とか、言い出したらキリがないけど、色々な標本屋さんとかミネラル・ショーに行くと、博物館でも見られない標本を見ることができるのは素晴らしいことだと思うんです。」

 

「地球に咲くものたちー小林健二氏の鉱物標本室より」
岩手の石と賢治のミュージアムで開催された、小林健二の鉱物標本の展示風景

「地球に咲くものたちー小林健二氏の鉱物標本室より」

「流星飲料ーDrink Meteor」
石と賢治のミュージアムにある石灰採掘工場跡、そこに期間限定で不思議なお店が現れました。

「流星飲料ーDrink Meteor」
石と賢治のミュージアムにある石灰採掘工場跡。小林健二が作ったレシピによる ドリンクを、彼の土星作品に囲まれて楽しむお店です。とくに光る飲料水「流星飲料」を光るテーブルにて飲む瞬間は、時空を超えて流星が体内を通り過ぎ、気がつくと星々に囲まれているような錯覚を覚えた記憶があります。

小林健二個展「流星飲料」。期間限定で現れた不思議なお店、そこのレジの横には不思議な光源で光る鉱物の数々。

「流星飲料ーDrink Meteor」

石と賢治のミュージアム(石灰の採掘場に宮沢賢治が何度か訪れ、馴染みのある工場跡、そこに併設されて作られたミュージアムです)で開催された展覧会。その洞窟の奥にある小さな池に、小林健二は水晶作品を展示。
現在は地震の影響もあり、この洞窟には立ち入りが禁止されています。

*岩手の一関にある「石と賢治のミュージアム」では、鉱物展示用に設計された什器の中に、数多くの小林健二が選んだ鉱物が展示されています。

*2002年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

小林健二と鉱物標本

小林健二は海外に旅行するときも、必ず自然史博物館には立ち寄る。ドイツに住んでいる友人を訪ねた時におとずれたボンにある博物館の外観。

小林健二は海外に旅行するときも、必ず自然史博物館には立ち寄る。ドイツに住んでいる友人を訪ねた時におとずれたボンにある資料館の外観。

いつ頃から石を好きになったかって?

うーん、小学校に入ったくらいにすでに石みたいなものは好きで拾っていたんだ。でも、それらは大抵さざれたビンのかけらや色ガラスだったかもしれない。鉱物の標本として少しづつおこづかいを貯めて手に入れたものは、小学校4-5年生頃だったと思う。でも、その時はまだビー玉や、化石と信じていた貝殻なんかと同じように扱っていたよ(笑)。

中学になって神保町の古本屋によく出かけるようになった頃、すずらん通りの中ほどに高岡商店というのがあって、そこで水晶や蛍石なんかを見たり集めたりしていた、あと当時は、上野の国立科学博物館の売店でも鉱物標本は少しずつ充実しはじめていたと思う。でも、今の鉱物フェアのようにカラフルで誰が見ても綺麗な標本って少なかった。

小林健二が中学ー高校生の頃、集めていた鉱物を入れるために自作されたケースと標本たち。

小林健二が中学ー高校生の頃、集めていた鉱物を入れるために自作されたケースと標本たち。

18歳くらいだったと思うけど、千駄木に「凡地学研究所」というのを知人に教えらたのが鉱物標本と離れられなくなったきっかけってことかな。「凡地」は当時細い路地にあって、今にも壊れそうな、靴を脱いで上がる木の階段の2階にあった。そこはぼくにとって夢の世界だった。高価で手に入るものばかりではなかったけど、見ているだけでも許してもらえて、その後溶接のバイトなんかでお金が入ると思わず飛んで行ったりしたよ。そういえば、その頃「凡地」に、黄鉄鉱化したアンモナイトで内側がオパール化した標本があった。生物の有機体が永遠の結晶に置き換わっていたんだ。声も出せずに見つめていたことがあったっけ。

やがて古典画法に興味を持ち始め、藍銅鉱(らんどうこう)や孔雀石、石黄やラピスラズリ、辰砂(しんしゃ)などの顔料鉱物が気になった時期もあって、友人と下仁田まで鶏冠石(けいかんせき)を掘りに行ったりして、やがて13-14年前からツーソンやミュンヘンのようなミネラルショウが日本でも開かれると聞いた時にはワクワクした。

一般の人でも鉱物標本に触れる機会が多くなったのは素晴らしいことだと思う。東京では6月に新宿、12月には池袋でミネラルショウもあるし、楽しみだよね。

どんな石が好きかって?

子供の頃から透質な結晶が好きだったことは今も変わってないけれど、鉱石ラジオをつくるにあたって、元素鉱物や硫化、酸化鉱物などに触れたり、顔料鉱物と出会った時も魅了されたよね。

ぼくは思うんだ。天然の世界にあるものって、どんなものでもそれぞれの魅力を持っていて、きっと彼らを見るぼくらの方が、何かに気づけて出合えたということじゃないのかな。

小林健二

ドイツ・ボンの博物館は、昔(健二が小学ー中学生の時に通っていた頃)の上野にある国立科学博物館の鉱物標本展示室にどこか似ている、と話す。

ドイツ・ボンの資料館は、昔(健二が小学ー中学生の時に通っていた頃)の上野にある国立科学博物館の鉱物標本展示室にどこか似ている、と話す。

ドイツ・フランクフルトの鉱物標本展示室。

ドイツ・フランクフルトの鉱物標本展示室。

ドイツ・ミュンヘンの自然史科学博物館の鉱物標本展示室。

ドイツ・ミュンヘンの自然史科学博物館の鉱物標本展示室。おそらく岩塩か何かなのであろう、さらにドーム型のケースに入れられている標本もある。

ドイツ・デュッセルドルフの資料館の鉱物標本展示スペース。

ドイツ・デュッセルドルフの資料館の鉱物標本展示スペース。

イタリア・ミラノにて。シチリア産の「硫黄」は有名な標本。

イタリア・ミラノにて。シチリア産の「硫黄」は有名な標本。

*1999年のメディア掲載記事から抜粋編集し、画像は新たに付加しています。ミネラルショウに関しては最近は知名度も上がり、多くの愛好家によって画像などもアップされていると思われるので、ここでは省いています。また、文中の「高岡商店」や「凡地」は現在はお店はそこに存在していません。

[鉱物顔料の世界と小林健二]

鉱石ラジオの検波に使える鉱物のいろいろ

[地球に咲くものたち]小林健二の鉱物標本室より

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[地球に咲くものたち-私と鉱物標本]小林健二の鉱物標本室より

小林健二の鉱物標本

小林健二が高校生の頃、集めていた鉱物を入れるために自作したケースと標本たち

私と鉱物標本

幼い頃、経木(きょうぎ)といった木を薄く削ったものやボール紙等で出来ている小さな箱にいろいろな”好きなもの”を入れて楽しんでいたりしたものです。その頃は誰もが一度はそんな遊びをしていたものです。その内容はほとんどがガラクタですが、おのおのが皆好きなものを入れる訳ですから、それぞれの好みが反影して、お互いが見せ合っても面白いものでした。私の宝物はやはり色とりどりのガラス瓶のカケラがさざれたものでした。もっともそれらが宝石でないと知るのは、もっと年長になってからのことです。それらの”宝石”を陽に透かしたり重ねて見たりするのは今思い出してもわくわくした気持がよみがえってきます。

私が育った泉岳寺というところは、四十七士で知られる寺の多い町です。私の実家のすぐ裏も願生寺というお寺でした。そしてそこは私や近所の子供仲間にとっての良き遊び場だったのです。ある暖かい日、その寺の裏手にある井戸で皆でヤゴ釣りをしていたとき、偶然に足元にキレイな色をした平たく丸い石のようなものを見つけました。そして皆でその辺を掘ってみると、たくさんの色とりどりの同じ大きさのものが出てきたのです。その場にいたものはそれぞれに驚きはしゃぎましたが、私は人一倍興奮したように覚えています。なぜならある童話で「地中の中には美しい多数の宝石がかくれている」といった物語を既に読んでいたからです。何日かして気持のさめやらぬまま家の隣にあるメッキ工場の”サカイさん”と呼んでいつも遊んでもらっている方に「これって何だろう?」と見せると、彼は笑いながら「ケンボーそれは化石だよ」と言いました。「何の化石?」と聞くと、「それは水の化石だよ」と言ったのです。

その一言は大変な驚きを私にもたらしました。「水が化石になるなんて、何てことなんだろう。あんな風な色になるのは、水だけじゃなくてファンタオレンジやグレープ、そして田中君ちの赤いソーダ水もきっと化石になるんだ。」頭の中はぐるぐるになりっぱなしだったのです。

先程読んでいたと書いた物語はこんなお話だったと思います。ある貧しい人が不思議な老人から小さな瓶に入った薬をもらいます。その薬を片目にぬると地中にある数々の宝石を見ることができる、ということでした。その貧しい人は早速に片目にぬってみました。するとどうでしょう。くすんだ地面の中にキラキラ光る宝石が見えるのです。そしてその宝石を掘りあてると陽の光りに冴えわたり、彼はそれを売ったお金で貧しい家族に満足な食事と衣類を買うことができました。ところが彼はもっと宝石がないものかと老人との約束をやぶって両目に薬をぬってしまいます。すると宝石どころか彼の目は光を失い、それまで彼のまわりにあった全てをも失ってしまうというお話でした。私にとってこの物語の持っている暗示的なところよりも、はじめの方で片目に薬をぬりはしゃいでいる彼の姿の挿絵がとても気に入っていたのです。それは半分透過性となった地面の内に多数の結晶が描かれ、さらにきわだたせた表現のためか、空中にまでも宝石はちりばめられていたのです。

「あの話は本当なのかも知れない」子供の心は一直線なところがあるのでしょう。年下の友人とともに”小野モーターズ”の駐車場のはがれかけていたアスファルトを一生懸命にはがしていたときなど、大人たちは怒るどころか心配までしてくれたことを覚えています。

やがてウスウスとその平たく丸いものが実はガラスで、昔の石蹴りの遊びに使われていたものと分りはじめたころ、上野にある科学博物館で本格的?な鉱物標本と対面したのです。当時の科学博物館を知る方ならどなたでも声をそろえて「その鉱物室は素晴らしかった」と言われると思います。事実それは見事なものでした。傾斜のついた木のケースに整然と並べられた鉱物たちの魅力は、ある種の子供たちの一生を通じて、影響を与えるのに充分な引力を持っていたのです。たとえ「水が化石になる」ということを信じていたことから出発した子供でさえも、、、。

それでも私の集めたガラクタの中には一つ二つ、確かに水晶のカケラが入っていたことは今もって不思議なことでしたが、本来”石好き”と言われる方々は実際に山や人里離れた場所までリュックを背負い、地図やコンパスをたよりにして石を採集に行ったりするものです。私もほんの数度、若い頃に友人と水晶や鶏冠石(ケイカンセキ)を掘りに行ったことがありますが、たいていは標本を扱うところで購入したものです。

その最初は科学博物館の売店で、その次あたりは神田の高岡商店というとこでした。そこにはハニワやヤジリといったものと並んで水晶や岩石がありました。十代も後半になる頃からは東京は文京区にあった凡地学研究所というところでいろいろな鉱物と出合っていたのです。その頃の標本店で扱う鉱物は、近年海外からもたらされる象徴的な標本と比べるとそれほど鉱物の結晶がはっきりとせず、「黄鉄鉱」などの元素鉱物でさえもしばらくルーペで見ないと分りづらいようなものが多くありました。高価なものとなればもちろん別ですが、私には買えるようなものではありません。

最初に鉱物標本を入手してから40年以上の月日が流れました。鉱物世界からすれば一瞬の出来事ですが、一個人からすると決して短いものではありません。水晶も石英も共に美しい呼称と思い、子供心にもうっとりすることがありました。とりわけ透質で手が切れそうなくらい稜線がくっきりとした結晶の、その鏡のような面に何か知らない世界が映りはしないかと今でさえ思うことがあります。幼い頃、ポケットに入れていた宝物たちがジャラジャラするときに、痛々しくてお布団を敷いたような箱の中に入れようとしたことがあります。

昔の古い本の中に、水晶はかつては水精と呼ばれ深山渓谷の霧や霞が氷った後、化石になったという伝説があると知ったときから、あの幼い私に「水の化石」という一つの夢を与え続けてくれている「ケンボー、それは水の化石だよ」という言葉に、に今も感謝しているのです。

小林健二

小林健二の鉱物標本

[水晶と魚眼石]
岐阜県吉城郡神岡町神岡鉱山

小林健二の鉱物標本

[水晶]
山梨県牧丘町乙女鉱山

小林健二の鉱物標本

[水晶]
山梨県水晶峠

小林健二の鉱物標本

[水晶]
奈良県吉野郡天川村洞川五代松鉱山

小林健二の鉱物標本

[水晶と魚眼石]
岐阜県吉城郡神岡町神岡鉱山円山抗

小林健二の鉱物標本

[煙水晶とカリ長石]
岐阜県恵那郡蛭川村田原

小林健二の鉱物標本

[水晶と束沸石]
神奈川県足柄上郡山北町玄倉水晶谷

Photo by Kenji Kobayashi(撮影:小林健二)

地球に咲くものたち

KENJI KOBAYASHI

[地球に咲くものたち]小林健二の鉱物標本室より

小林健二の鉱物標本

[Quartz(Amethyst)]
Rio Grande do Sul,Brazil

喧噪も届かない遥かな場所、静かで何万年も変わることのない秘密の晶洞。

そんなところで鉱質の結晶たちは安らいでいるのです。この至純な眠りの国では絶え間なく美しい夢が紡がれ、まるで目には見えない不思議な情報に促されるように彼らはその姿を現わしてゆくのです。

この成功も失敗もない世界に於いてはまた、争うことも競いあう必要もありません。

ただ、この宇宙に流れている秩序の方向にその存在の軸を一つにしているのです。迷いやためらいもない穏やかな時間の中で夢を見続ける、それが彼らをまた祝福しているかのようです。

地質学的堆積の範囲を越えて、この地球の意識が発芽して花を待つような、いじらしくも壮大なこの一連の素敵な事実はまさにこの星、地球に咲くものたちを創ったのではないでしょうか。

この小さな冊子に於ける私の期待は、鉱物とその仲間たちの姿を通して人の世に生きる皆さんが何かを見つけてくれるのではないかという事です。そしてそれは鉱物学や結晶工学の話しではなく、また尖鋭的でも奇抜でもないあたりまえの方向の事としてなのです。

この彼らの営みは分子のレベルの緻密なものでありながらも、有機的でゆるがせなものであり、天然の力を受けとめているその光りは、自信というよりは遥かに静かで確かな輝きを持ってはいないでしょうか。

たおやかで静謐なその世界に触れるとき、いかなるものとも共和できる宇宙の資質を感じ、また私たちの心の深いところに潜んでいる善意の流れと源を同じくしているのではないかと感じたりするのです。

鉱物の結晶を見ているとまったく同じものに出合うことはありません。それは私たち人間がまさにそうなようにです。でも共にその背景には見えざる共通の願いがあるような気がしてなりません。この冊子を手にとってくれた皆さんに私が届けたい言葉があるとしたら、それはきっとこんな事なのです。鉱物たちだけではない、あまねく命の結晶とともにあなたは今、この地球に咲いているのです。

[Flowers inside the earth-from the mineral specimens of Kenji Kobayashi-地球に咲くものたち]

初稿1997年 小林健二

小林健二の鉱物標本

[Quartz(Amethyst)]
Amatitlan,Guerrero,Mexico

小林健二の鉱物標本

[Quartz]
Carinto,Minas Gerais,Brazil

小林健二の鉱物標本

[Quartz(Amethyst)]
KingstonMt.,San Bemardino Co.,California,USA

小林健二の鉱物標本

[Quartz]
Bata Mare,Rumania

小林健二の鉱物標本

[Quartz(Japanese Twin)]
La Tentadora Mine,Pampa,Blanco,Peru

小林健二の鉱物標本

[Quartz]
Mina Liliana,Mpio.,Chihuahua,Mexico

小林健二の鉱物標本

[Quartz(Amethyst) on Anydorite]
Rio Grande do Sul, Brazil

小林健二の鉱物標本

[Quartz in Marble]
Carrara, Italy

小林健二の鉱物標本

[Quartz(Citrine)]
Loenae Mine, Conga, Africa

Photo by Kenji Kobayashi(撮影:小林健二)

小林健二の鉱物標本室よりNo.2 No.3 No.4 No.5 No.6 No.7 No.8 No.9 No.10 No.11

私と鉱物標本

KENJI KOBAYASHI

 

今後、鉱物標本写真は随時アップします。