私と鉱物標本
幼い頃、経木(きょうぎ)といった木を薄く削ったものやボール紙等で出来ている小さな箱にいろいろな”好きなもの”を入れて楽しんでいたりしたものです。その頃は誰もが一度はそんな遊びをしていたものです。その内容はほとんどがガラクタですが、おのおのが皆好きなものを入れる訳ですから、それぞれの好みが反影して、お互いが見せ合っても面白いものでした。私の宝物はやはり色とりどりのガラス瓶のカケラがさざれたものでした。もっともそれらが宝石でないと知るのは、もっと年長になってからのことです。それらの”宝石”を陽に透かしたり重ねて見たりするのは今思い出してもわくわくした気持がよみがえってきます。
私が育った泉岳寺というところは、四十七士で知られる寺の多い町です。私の実家のすぐ裏も願生寺というお寺でした。そしてそこは私や近所の子供仲間にとっての良き遊び場だったのです。ある暖かい日、その寺の裏手にある井戸で皆でヤゴ釣りをしていたとき、偶然に足元にキレイな色をした平たく丸い石のようなものを見つけました。そして皆でその辺を掘ってみると、たくさんの色とりどりの同じ大きさのものが出てきたのです。その場にいたものはそれぞれに驚きはしゃぎましたが、私は人一倍興奮したように覚えています。なぜならある童話で「地中の中には美しい多数の宝石がかくれている」といった物語を既に読んでいたからです。何日かして気持のさめやらぬまま家の隣にあるメッキ工場の”サカイさん”と呼んでいつも遊んでもらっている方に「これって何だろう?」と見せると、彼は笑いながら「ケンボーそれは化石だよ」と言いました。「何の化石?」と聞くと、「それは水の化石だよ」と言ったのです。
その一言は大変な驚きを私にもたらしました。「水が化石になるなんて、何てことなんだろう。あんな風な色になるのは、水だけじゃなくてファンタオレンジやグレープ、そして田中君ちの赤いソーダ水もきっと化石になるんだ。」頭の中はぐるぐるになりっぱなしだったのです。
先程読んでいたと書いた物語はこんなお話だったと思います。ある貧しい人が不思議な老人から小さな瓶に入った薬をもらいます。その薬を片目にぬると地中にある数々の宝石を見ることができる、ということでした。その貧しい人は早速に片目にぬってみました。するとどうでしょう。くすんだ地面の中にキラキラ光る宝石が見えるのです。そしてその宝石を掘りあてると陽の光りに冴えわたり、彼はそれを売ったお金で貧しい家族に満足な食事と衣類を買うことができました。ところが彼はもっと宝石がないものかと老人との約束をやぶって両目に薬をぬってしまいます。すると宝石どころか彼の目は光を失い、それまで彼のまわりにあった全てをも失ってしまうというお話でした。私にとってこの物語の持っている暗示的なところよりも、はじめの方で片目に薬をぬりはしゃいでいる彼の姿の挿絵がとても気に入っていたのです。それは半分透過性となった地面の内に多数の結晶が描かれ、さらにきわだたせた表現のためか、空中にまでも宝石はちりばめられていたのです。
「あの話は本当なのかも知れない」子供の心は一直線なところがあるのでしょう。年下の友人とともに”小野モーターズ”の駐車場のはがれかけていたアスファルトを一生懸命にはがしていたときなど、大人たちは怒るどころか心配までしてくれたことを覚えています。
やがてウスウスとその平たく丸いものが実はガラスで、昔の石蹴りの遊びに使われていたものと分りはじめたころ、上野にある科学博物館で本格的?な鉱物標本と対面したのです。当時の科学博物館を知る方ならどなたでも声をそろえて「その鉱物室は素晴らしかった」と言われると思います。事実それは見事なものでした。傾斜のついた木のケースに整然と並べられた鉱物たちの魅力は、ある種の子供たちの一生を通じて、影響を与えるのに充分な引力を持っていたのです。たとえ「水が化石になる」ということを信じていたことから出発した子供でさえも、、、。
それでも私の集めたガラクタの中には一つ二つ、確かに水晶のカケラが入っていたことは今もって不思議なことでしたが、本来”石好き”と言われる方々は実際に山や人里離れた場所までリュックを背負い、地図やコンパスをたよりにして石を採集に行ったりするものです。私もほんの数度、若い頃に友人と水晶や鶏冠石(ケイカンセキ)を掘りに行ったことがありますが、たいていは標本を扱うところで購入したものです。
その最初は科学博物館の売店で、その次あたりは神田の高岡商店というとこでした。そこにはハニワやヤジリといったものと並んで水晶や岩石がありました。十代も後半になる頃からは東京は文京区にあった凡地学研究所というところでいろいろな鉱物と出合っていたのです。その頃の標本店で扱う鉱物は、近年海外からもたらされる象徴的な標本と比べるとそれほど鉱物の結晶がはっきりとせず、「黄鉄鉱」などの元素鉱物でさえもしばらくルーペで見ないと分りづらいようなものが多くありました。高価なものとなればもちろん別ですが、私には買えるようなものではありません。
最初に鉱物標本を入手してから40年以上の月日が流れました。鉱物世界からすれば一瞬の出来事ですが、一個人からすると決して短いものではありません。水晶も石英も共に美しい呼称と思い、子供心にもうっとりすることがありました。とりわけ透質で手が切れそうなくらい稜線がくっきりとした結晶の、その鏡のような面に何か知らない世界が映りはしないかと今でさえ思うことがあります。幼い頃、ポケットに入れていた宝物たちがジャラジャラするときに、痛々しくてお布団を敷いたような箱の中に入れようとしたことがあります。
昔の古い本の中に、水晶はかつては水精と呼ばれ深山渓谷の霧や霞が氷った後、化石になったという伝説があると知ったときから、あの幼い私に「水の化石」という一つの夢を与え続けてくれている「ケンボー、それは水の化石だよ」という言葉に、に今も感謝しているのです。
小林健二
Photo by Kenji Kobayashi(撮影:小林健二)