「水晶と6cmの土星」
ぼくは仕事上、絵や立体作品などを製作しているのですが、筺の中に青く光る土星が回っていたり、色々な鉱物の結晶のような作品も作っています。
そしてこれらはぼくが子供の頃に受けた出来事と大きく関係しているところがあるのです。
やがてしばらくしてぼくは失語症のような状態になり、いつもオドオドとして、さらに家から外へも出れなくなってしまいました。ただぼくには二つ年下のとても親しい友人がいたことが唯一の救いで、彼とだけはいつも一緒におりました。よく二人で上野の科学博物館に恐竜や化石を見に行くのが好きで、そんな時は都電に乗って自分からも外に出たいと思っていたのです。
そんなある日、ぼくと彼とに当時は鉱物の標本のとても充実していたその博物館の広い一室で、優しく声をかけてくれた人がいました。大人の人全般に恐れを抱いていたぼくも、丁寧な鉱物への説明や美しい結晶を直に手に取らせてもらいながら、何回となくその人の処へ通ううちに、だんだんと鉱物の世界に引き込まれて行きながら、少しづつ心を開いていったように思います。
数年の後には、対人赤面症ではありましたが、随分と人と会話できるようになっていました。
もしあの頃、あの学芸員のような方が声をかけてくれなかったらと、今でも感謝を込めて思い出すことがあります。
やがて中学になり、いつも一緒にいた友人の彼は、彼のお父さんが広島で被爆していたため二次被爆から白血病隣、12歳という若さでこの世を去りました。
それはまた再び暗闇の中へとぼくを突き落としたのです。ただその頃はサッカーにも夢中になっていた時期でもあり、表向きはせいぜい無口でおとなしく目立たない中学生に見えていたと思います。
しかしながら心の中では今となってはうまく説明できないほどのイライラやジレンマを持っていました。歌を作って一人で歌ったり、絵を描いたりすることと、体を動かすサッカーでどうにか生きていたという感じを思い出します。
そんな時、ある年長の先輩がぼくに望遠鏡を覗かせてくれました。それは6cmの赤道儀付き屈折式の決して高価なものではありませんが、彼は器用に捉えてもすぐに逃げ去ってしまう一つの星を見せてくれたのです。それは土星でした。「本当に輪があるんだ」と言おうとしたのですが、どうしたわけかとめどもなく涙が出て、最後は言葉になりませんでした。
その時、本でしか見たことのない天体の世界と本当にこのあえかな望遠鏡でつながっていると思い、さらにすでに他界した友人もそこにいるような気がしたからかもしれません。そして何か勇気のようなものが見えない世界から励ましてくれているように感じたのです。
あれから30年が経ちましたが、あれらの鉱物がその友人と水晶のように結晶し、またあの青い輪のある星で待っているような幻が、今のぼくの宝物であるのです。
小林健二
*2000年のメディア掲載記事より抜粋編集し、画像は新たに付加しています。
こどものころは どうやってじぶんをあらわしたらいいのかわからず おしゃべりができなかったわたしは まんがのようなもの(イラスト?)を描くことでかろうじてじぶんを保っていたのかもしれません 年を経ても基本性質は変わりませんが。。。当時からの心友の存在が わたしのせかいをひろげてくれた氣がしています 彼女はこどものときから科学者になりたいとおもっていたようです 数十年ぶりに再会したわたしがそのおり関心をもっていたのが鉱物 そうしたところで通底していたのが不思議でした そして 彼女はわたしが文章を書くひとになったらと感じていたらしく。。。 一行を書くのも苦痛だったじぶんが ことばを紡ぐようになるとは思いもしませんでした 年齢をかさねても
少年少女の魂をどこかに抱き続けることは たからものをうしなわずにいられるということなのでしょうね なにかもっとほかのことばがあったはずなのにとりとめなく書き連ねてすみません
ゆずりはさま
コメントありがとうございました。言葉や作品や何かを残していくということは、きっとどこかで誰かの心に届いていることと信じています。
時代を超えるかもしれませんが、目に見えなくてもその人にとっての宝物はそれぞれですが、大切にしていきたいですね。
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