少年技師

小林健二の書庫の一角

少年技師

この聞き慣れない昔風の言い方に、ぼくはわくわくすることがあります。大正から昭和の初めころの少年雑誌に時々登場するこの言葉に、「小国民」のように軍国的な時勢に通じるものを感じる人もいるかもしれません。でもぼくはここに挙げるような広告にこころを通わせていたそのころの少年たちのことを考えてみたいと思います。

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より

たとえばこの「模型の国」のところには「電気機関車、モーター、モーターボート、蒸気模型、模型部分品、顕微鏡、天体望遠鏡、カメラ、映写機、ラジオ、模型工作用用具その他模型に関する一切を収めた写真満載四六判三十頁余のとでも素晴らしいカタログ」と説明してあり、「模型飛行機と組立」のところには「四十余頁の飛行機模型に関する三百数十の部分品と三十余種の飛行機模型とを収めたカタログ」と書いてあります。ともに郵便代を送れば無料で進呈されるとも書いてあります。これは昭和8年の「子供の科学」に載った広告の一部ですが、このほかたくさんの少年や子供に向けた工作関係の広告が出ています。

そしてこれらの記事や本を目を輝かせて読んでいたのが「少年技師」たちだったのです。

昭和8年の「子供の科学」の巻末。文中のものとは違うが『模型の国』の紹介ページです。

昭和初期からの「子供の科学」。小林健二の蔵書から何冊か抜粋しています。

昭和の初め頃の「科学画報」や「科学知識」。多くの科学雑誌が発刊された。

昭和初期頃の科学雑誌の巻末ページ

たとえばモーターを作るとしましょう。簡単なものなら輸のように数回巻いた導線と永久磁石によって作ることができます。これを電池につないで最初に指で回転を助けであげると、パタパタと回り始めます。いかにも頼りなく、そして何の役にも立ちません。でもいかにも回転して当然に思える市販のモーターとは違って、天然の神秘の力がそこに息づいているのが感じられます。

現代においてこんな役に立たないモーターを作っている少年技師たちはいるのでしようか。

実はぼくはそんな効率や結果ばかりにとらわれない少年技師と出会いたいために、この本を書いているのです。モーターや鉱石ラジオ、顕微鏡や天体望遠鏡をとおして天然の持っている力と出会うことで、たましいの本来持っている好奇心を人間の世の息詰まるような規則や限界から開放してくれると信じているからです。

モーターにしても鉱石ラジオにしても、原点に近づいていくほど構造はシンプルになっていき、作るものがそれぞれの多様性を感じさせる出来映えになるのは不思議です。小さくてきちっとしたもの、大きくてゆるやかなもの、その人の個性や価値観が反映したからにほかなりません。

自分とは違った魅力、自分には思いつかなかった考え方、いろいろなものと出会っていきながら、どれもその人なりの面白さにあふれていることに気づくことでしょう。そして本当は「美しい色」という特別なものがあるのではなくて、さまざまな色があるからこそ、そのハーモニーによって生み出される美しさがあることに気づいていくのでしょう。

ですから時には回りもしないモーターやできそこないの望遠鏡を作り、聞こえもしないラジオに耳をかたむける・・・少年技師の目は天然の神秘に触れるまで、いやその不思議な力を知った後にも、輝きを失うはずはありません。そしてそんなまなざしは「孤独の部屋の住人」を誰一人として置き去りにしたりしないのです。

小林健二の書棚には昔の工作本などが見える。

少年工作全集。昭和初期に資文堂(東京麹町)から出版された少年に向けて書かれた工作本。
(小林健二の蔵書より)

少年工作全集「図解やさしいラジオの作り方(小泉武夫著・資文堂・昭和6)」の巻末ページ。心惹かれるシリーズのタイトル、さらに工作材料の提供など実際の工作に役立つフォローも嬉しい。
(小林健二の蔵書より)

小林健二がしばしば紹介している本「少年技師の電気学」(科学教材社・山北藤一郎著)

初期の「無線と実験」はラジオ工作には欠かせない雑誌で、現在、内容は時勢にあったものになり「MJ」という雑誌名で発行されています。(小林健二の蔵書より)

大正・昭和初期から中期頃の雑誌には、『鉱石ラジオ』の記事も時々登場していました。

図解ラジオ文庫。昭和28年前後に誠文堂新光社から出版されたラジオ専門の工作本。(小林健二の蔵書より)

*小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しており、画像は新たに付加しています。なお、画像のキャプションはこちらで付け加えております。

KENJI KOBAYASHI

ネームプレートを作る

「オーロラ通信社製鉱石ラジオ(小林健二作)」プレート部分

鉱石ラジオのような工作をするときに、小さくてもネームプレートなどがついたりすると、急に本格的になったような感じがします。ネームプレートは金属の板や樹脂板に文字を彫ったりする方法もありますが、ここでは金属の板を腐食して作る方法を紹介してみたいと思います。

材料は銅、あるいは真鍮、アルミ、亜鉛などの0.5~ 2 mm厚くらいの板を硝酸、第二塩化鉄で腐食して作ることが多いのですが、ここでは1mm厚の銅板を第二塩化鉄で腐食する方法を示します。

表面をよく磨いた(商品名ピカールなどのメタルポリッシュで)1mm厚の銅板を用意します。銅板は七宝材料などを扱うお店や銅版両などの材料を扱う画材店で入手できます。

上がアクリル板などを切るのに使用するPカッター(替え刃式)・下が銅板などを切るための道具。ともに定規を当ててV字に切り込んでカットしていきます。

すでに必要な大きさに金ばさみや金鋸、あるいは鋼板切りといって銅版画材料店にあるプラスチックカッター(Pカッター)のような工具でカットしておきます。

端は少しなだらかになるようにヤスリで面を少しとっておきます。そして裏側には腐食止めをするために粘着テープかカッティングシートなどを貼っておきます。そして文字として出っ張らせたいところにはインスタントレタリングを貼り、マークや絵は油性のマジックインキを使ってなるべくしっかりと防食できるように重ね書きをしてよく乾かしておきます。自分が満足できるデザインに仕上がったらなるべく指紋や油を腐蝕する部分に付着しないようにして作業を進めます。

腐食しないように金属板の裏にはカッテイングシートを貼っておきます。

腐蝕しようと思う銅板が十分に入る大きさで2~ 3 cmくらい深さのあるプラスチックやガラス製のお皿かバットを用意して、中に第二塩化鉄の腐蝕液を入れておきます。この液はやはり画材店の銅版画のコーナーや電子工作のパーツなどを扱う店のプリント基板の製作材料コーナーで人手できます。用意ができたらその液の中にさきほどの銅板を静かに入れ、ときどき様子を見ながら自分の思う深さまで腐蝕が進んだかどうかを5~ 10分おきにみながら作業してください。もし途中でインスタントレタリングやマジックの線がはがれてくるようなら、液からあげて水洗いをし、乾かして修正をして、作業を続けてください。

このようにして何度か練習をすれば、すぐにうまく作れるようになります。

腐蝕液は何度も使えますが、そのうち腐蝕力が落ちてきて使いづらくなってきたら、そのまま下水などに流したりせずに、炭酸カルシウムで中和してから処理してください。この処理の詳しい方法は、入手するときに店の人が教えてくれるはずです。

このようにしてプレートができたら、文字をもっときわだたせるために低い部分に塗料を塗ります。黒のつや消しのスプレーなどを全体にかけて、80~ 100番くらいの粗い耐水サンドペーパーで水をつけながら磨くと、文字などの高く残ったところが浮き出てきますから、そのあとをメタルポリッシュなどで磨き、ビスや釘でプレートを取りつけるための穴をあけたりして出来上がりです。色も自分の好きなものを選んでください。

この作り方を知っておくといろいろなことに利用できると思います。また、文字や数字を刻印する方法(工具は彫金材料店で人手できます)や、写真焼き付けで字や絵の防触層を作る方法(この材料はさきほどのプリント基板の材料コーナーで入手できます)もありますので、いろいろ試してみてください。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

*小林健二の作品にも自作プレートが使われていて、その中の何点か紹介してみます。

「1965年3月27日午前」
木、鉛、電気、風景
1991
(通電すればその時だけ約一時間ほど1965年3月2日の風景が箱の中に現出するとのこと。不思議と人によっては心の中にそれが浮かんでくることもある) *プレートは鉛板にタイトルが刻印されています。

「サイラジオ-透質結晶受信機-」
木、合成樹脂、電子部品、他
1993
(透明結晶が青く光りながら回転し、同時にラジオも受信する)*金属製のプレート

KENJI KOBAYASHI

アーティストインタビュー:小林健二さん

小林さんは絵画や立体造形を広く手がけている一方、科学、物理、電気、天文、鉱物学などの自然科学をアートと融合させたような、ちょっと懐かしくて、しかも不思議な仕掛けのなる作品を数多く発表しています。今日、訪ねたアトリエにも薬品や鉱物の標本のようなものがいっぱいあって、実験室のような雰囲気もします。おそらく、小さいころは科学少年であり、工作少年ではなかったと思うんですが、いかがですか?

アーティスト小林健二(文京区のアトリエにて)

「科学少年」や「工作少年」であったかはぼくにはわかりませんが、工作や科学は子供の頃から好きでしたね。今でもそうなのですが、ぼくの中では科学や図画工作、それから音楽と美術というように、どれも分野で分けられているものではないんです。もし、自分の中で多少区別があるとすれば、好きなことと苦手なこと、あるいは興味があるかないかということだろうと思うんです。むしろ美術ならそれ自体が、他の分野から全く独立して存在しているということは考えにくいですよね。

油彩画を描くにしても、木を彫刻するにしても、あるいは電気を使ったり、ぼくのようにある種の結晶を作ることにしても、いつだって何がしか他の専門分野の知識や技術と切り離せないことは多いと思います。光を使った作品を製作する上でも、電気的な構造の部分や工学的なところ、またはそれに伴う金属加工などの作業や、あるいは樹脂などの化学的変化についても、知らないでいるよりはある程度理解していた方が、よりイメージに近い状態に近づける可能性があるわけですからね。

この国がとりわけその傾向が強いのか、ぼくにはよくわかりませんが、ある意味で、いろいろなことをまずはカテゴライズしないことには気が済まないような国民性があるんじゃないかな。

ぼくは絵を描いていたりするけど、作曲をしたり文章を書くこともあります。そうしていると、『どうして美術だけではなくて、音楽や文筆活動やいろいろされるのですか』と聞かれることがあるんです。でも、伝えたいメッセージやそのイメージに何が一番適しているかで表現方法は変わってくるし、そのことに自由でいたいと思うんです。ですから、ぼくにとって技術的な表現の分野を分けることはあまり意味のあることではなくて、何をしたいかといったその内容や必然性の方が重要に思えるんです。」

小林健二作品「夏の魚」
油彩画(自作キャンバスに自作絵の具)

小林健二作品「LAMENT]
(木彫と鉛などの混合技法)

小林健二作品「MINERAL COMMUNICATION-鉱石からの通信」
(作品の内部に設置された小さな鉱物(ウラニナイト)から発する微量の放射能をガイガーカウンターが感知し、モールス信号とも取れる発信音が作品から聴こえてくる)

小林健二結晶作品
(自作の人工結晶)

小林健二結晶作品「CRYSTAL ELEMENTS」
(透明なケースに封じられた水晶液中の結晶が、季節を通して成長や溶解を繰り返す。画像は展示風景)

小林健二作品「IN TUNE WITH THE INFINITE-無限への同調」
(窓から見える土星が青く光りながら浮いていて静かに回っている作品。内部はおそらく電子部品に埋もれている)

小林健二動画作品「etaphi」

小林健二音楽作品「suite”Crystal”」
(ミニマルミュージック。個展会場などで流すことが多い。現在ではCD化しているが、当初は降るように音が脳裡に浮かび、急いでアトリエにあった録音機(テープレコーダー)に、これもアトリエにあったピアノで収録。)

小林健二著書「みづいろ」
(実話を元に綴られたもの。活版印刷で、装丁も小林がしている)

様々なことに興味があるというのは、小さいころの体験によるのではなかと思います。遊びとしてはどんなことをしていたのでしょう?

「みなさんと同じで、いろいろとしていたと思いますが・・・(笑)。ただ熱中していたことはいろいろあります。例えば恐竜や鉱物について調べたり、飛行機の模型やプラモデルを作ったり、プラネタリウムに行ったり・・・。自分の大事な思い出は、その大部分が子供の頃にあるように感じます。ですから、例えば文章を書いたりすると、『子供の頃は・・・』という書き出しになってしまうことが多いんです。それから、昔の友達にあったりすると、『ケンジ、お前は子供の頃と全然変わってないな』ってよく言われちゃう。これは進歩がないということでもあるんでしょうが、おそらく、ぼくの中ではまだその頃と変わらないものがずっとあって、ぼくには子供の時に感じたたくさんのことが今も大きく影響しているところがあるんでしょう。多分これからもそうなのかもしれません。そもそも人間なんてそう簡単に変われるものでもないだろうし、『三つ子の魂百まで』なんて言うでしょう。」

小・中学校での美術教育の体験について尋ねたいんですが、何か記憶にあることはないでしょうか?

「学校時代に図工・美術の時間ではとにかく、放っておいてくれたという感じでしたね。でもだからこそ自分のやりたいことがはっきりしていた場合、とても楽しかったし、やりたいことが見つかるまでは待っていてくれたように思います。そして少なくとも描き方を強制されるようなことはありませんでした。

『子供のころに何に影響されましたか?』とか『どんな画家が好きですか?』ということを時たまインタビューでも聞かれるんですが、ぼくが影響を受けた美術の作家というのは、あまりいませんでした。絵を描くこと自体は好きでしたが、画家になるんだって気持ちで描いていたわけではないように思います。その一方で自然科学には子供のことから興味がありました。もちろん子供にとって『自然科学』なんていう概念はありませんけど、これは一つの資質だと思うんです。とにかく、星や鉱物、要するに天文学や地学に関することや恐竜などの古生物に関することが好きでした。それで小学生の時には、上野の科学博物館に行ってそういうものを見るのが何よりも好きだったんです。」

小林健二のアトリエ
(色々な道具に混じって望遠鏡が写っている)

小林健二アトリエの一角
(机には顕微鏡や鉱物も見える)

また美術の話に戻してしまいますが、絵としてはどんなものを描いていたんでしょうか?

「実は今でもそうなんですが、とにかく怪獣とか恐竜の絵が好きでした。それで、図工の授業でどんな課題が出ても何かとこじつけて怪獣や恐竜を描いちゃってました。例えば、虫歯予防デーのポスターを描くなんていう課題は、ひょっとしたら今でもあるかもしれませんが、そんな時にも、ブロントサウルスが歯磨きをしている絵なんか描いたんです。でも、ブロントサウルスというのは手が首ほどには長くないので口まで届かない(笑)。それでうんと長い歯ブラシにしたりしました。これは結構先生にもウケましたけど(笑)。でも、それはもちろん例外で、いつも怪物ばかりしか描かないで、おそらく先生も困られていたと思います。」

小林健二作品「描かれた怪物」
(板に油彩、紙、木、他)

ごく普通に考えると、美術や音楽が好きなことと、自然科学に関心を持つことは、子供にとってはやはり意味が違うのではないかという気もします。電気や天文や昆虫に興味を持つことには、それらについて新しい知識を獲得していくという喜びがあり、それは絵を描いたり楽器を演奏する楽しみとは異質なのではないでしょうか?

「ぼくはそのように分析して考えたことはないですね。初めにも言ったように『自分にとって好きなことと苦手なこと』という基準が何よりも大きいんです。『好きなこと』とは自分にとって『楽しいこと』、あるいは、『感動できること』と言い換えてもいい。夜空を見て星が綺麗だなと思ったことや、冷たく光っている水晶の結晶に見とれてしまうような感覚が最初にある。電気というのはもちろん物理学の一つの分野ですけれど、ぼくにとっては、フィラメントが光って綺麗だというのは、星が輝いていることの美しさとどこか通じているわけだし、あまり違いはないんです。

ものが光る理屈にはいろいろあります。星やホタルも、LEDや月も雷もそれぞれ異なった方法で発光しています。でもぼくにとっては重要な問題じゃない。肝心なことは、それを見てどう思えるか、そこへすうっと気持ちが引き込まれていくかどうかということなんです。でもその後さらにその不思議な現象にまるで恋でもするように深く知りたく、また近づきたくて科学の世界に足を踏み入れたとしても不自然なkじょととはぼくには思えないけど・・・。

だって、考えてみれば、もともと子供にとっては、そういう分野わけはないわけですよ。だからこそ、そういうことを教える必要があるという立場も一方はあるでしょうけど。たとえがホタルが光るというのは、一見、物理的現象でしょうが、実はあれはルシフェリンとルシフェラーゼという物質によって発光しているわけで、有機化学の問題になってきます。これはLEDが通電により電子のぶつかり合いによって発光したり、太陽中の水素がヘリウムになるときに熱核融合反応により発光していることと、それぞれに違っている。だけど、そういうことはあくまでも理論であって後からくる。まずはそのことを知っていなければいけないということではないし、そういう知識がなくとも、子供たちは、ホタルが光ることを綺麗だと感じたり、不思議だと思ったりするわけでしょう。

これは、おそらく美術の場合でもまったく同じだろうと思うんです。例えば、名画というのは、あらかじめ認められた価値のあるものだから尊いのではなくて、子供の目から見ても、そこに面白さや美しさが感じられることに意味があるのだという気がします。いくら値段の高い絵だって、『これは価値があるから感動しろ』というのはおかしい。作品を受け取る子供達の中に興味や関心が培われていなければまったく意味がないだろうと思うんです。」

おっしゃることはよくわかります。ただ、教育の主要な目的として、文化遺産の世代間伝達ということはあると思うんです。ですから、まず知識を持津ことで、一層興味を喚起されたり、深い感動につながるということもあるように思うんですが・・・。

「それはあるでしょう。でも、ぼくは感動することの本来の意味についてお話ししているわけです。ホタルの発光がルシフェリンとかルシフェラーゼという物質の反応によって起こっているということは、さっきお話ししましたけれど、それで全てが説明されたことになるでしょうか。DNAの主要な物質であるディオキシリボ核酸は、アデニンやシトシンやグアニンやチミンといった物質によってヌクレオチドを形成していますけれど、どれが分かったからといって、生命現象が解き明かされたとは誰も思わないでしょう。同じように仮に人のゲノムが完璧に解読されたとしても、それによって人の心が理解できるというものじゃない。ですから、知識によってわかるといったところで、それはあくまでもごく狭いフィールドにすぎません。でも大人たちはそこでいかにも分かったような気にならなければいけないと思っているんじゃないでしょうか。」

小林さんの作品は子供達にも人気があるのではないかと思うんですが、展覧会などでの子供達の反応はどんな感じですか?

「ぼくの作品がどれくらい子供達に人気があるのかわかりませんけれど、興味を持ってくれる子供は結構いるという話は聞きます。自分が面白いと思ったものにじっと見入ってくれている子を見かけたことがあります。そういう様子を見ていると、子供の頃ぼくが博物館の陳列物に惹かれたのと同じように、自分の心の中の何かを探そうとしてくれているような気がしますね。」

小林健二展覧会「PROXIMA(ARTIUMにて)」の一室風景

今、話を伺っているこのアトリエには、鉱物の結晶や化石、星座板とか昆虫の標本やおもちゃのようなもの、それから薬品やいろいろな道具がたくさんありますよね。また書庫の方には、化学実験や自然科学に関する書物を始め、ありとあらゆる本が並んでいます。『おもちゃ箱のよう』という表現はありきたりかもしれませんが、とにかくここにいると小林さんの個性的な世界を感じます。これは、言わばモノが何かを語っているのではないかとも思えます。ただ、モノの世界というのは実はアブナイところもあって、最初の興味から離れて集めることが目的になってしまうことが、子供のコレクションなどではよくありはしませんか?

「それは、例えばチョコエッグのおまけで1番から3番と5番と6番が揃っていると、抜けている4番がどうしても欲しくなっちゃうようなことでしょ(笑)。ぼくにはそういうことは全くないですね。また本や鉱物標本などは、見る人によっては物質としのモノに見えるかもしれませんが、ぼくにとってここにあるもののほとんどすべては、いわばこの世とは一体何かを知る、あるいはそれに近くための手段だとも言えるんです。ですから、本たちの中にある見えないはずの風景や標本たちから感じる不思議な存在の意味のようなものがぼくにとってはとても大切なのです。それが結果的に集まってくるだけのことなんです。ここにある鉱物の中には、現在は世界のどこでもほとんど採掘されていないため希少価値がある、かなり高価なものもありますけれど、その反面、夜店で売っているようなものもあります。それはその時『どこか心を惹きつける』と思うからつい買ってしまうんです(笑)。

ただここで大事なことは、美しいと感じるものに出会うという体験はとても大切だということです。なぜならそれは人によって全く違うものであるか、あるいは共通する部分があるのかを感じることでもあるからです。子供でも大人でもその人がどこに惹かれたり気になったりする事柄や出来事に、その人の個性や核心に触れるヒントみたいなものがあるんじゃないか。また現代のように便利や効率が求められると不思議な世界と出会いながら、科学や美術に接してきた歴史もだんだんと経済に取り込まれてきたという感じは否めないと思うし、人間や力のあるものを中心に考えが進んでいくという傾向があると思うんです。

大切なのは、天然の神秘に出会うことによって、ぼくたちがその美しさを感じて生きていく、そういう生き方を決して無意味とは思えないからです。」

小林健二の書庫
(2005年「STUDIO VOICE」記事からの複写)

小林健二アトリエの一角
(薬品や樹脂などの棚)

小林健二アトリエの一角
(実験中の自作結晶などが見える)

一般に私たちは、美術の教育というのは、絵を描いたり彫刻を作ったりする製作体験をもとにした表現行為だと理解している気がしますが、今のお話からすると、美術や美術教育の意味はもっと広く捉えられるというわけですね。

「美術というのは、そこにあるもののことではなく、作品とそれを作る人、それを見て感じる人との関係や、その人の生き方だろうと思います。一方、Educationというのは、ラテン語の『道を拓く』という意味からきていると言われています。人が歩けないような荒野に道を切り拓いていくことです。ただし重要なことは、その道を歩くことを誰も強制されいことでしょう。どの道を選ぶかということは一人一人が判断していかなければならない。明治になって日本語になった『教育』という言葉も奥深い意味を持ってはいますけれども、子供たちに教え、彼らを育んでいけるような見識を持った大人たちが、今はどれだけいるだろうかということが気になります。単に自分たちの価値観を押しつけて「いるだけれはないのか。義務教育という制度にしても、全ての子供たちは教育を受ける義務があるという意味だと理解されているのではないかと思いますが、本当はそうではなくて、これは大人の側に教育制度を整える義務を課しているということであって、子供たちが教育を受ける権利を保障しなければならないということですよね。」

確かに、これまでの教育にはみんなが同じことをすることを通してある到達点を目指していくというような授業が多かったようです。けれども最近ではそれを反省して、図工・美術の授業でも、同一時期の中でも子供たちが自分に合った様々なスタイルの製作を認めていこうという方向になりつつあるようです。

「それは当然といえば当然だけども、いいことでしょうね。だってもし本当に『ある到達点』というのが存在するとしたら、それはある水準に達するという意味ではなくて、それぞれのその人自身に出会えるということだろうと思うからです。例えば、石を見て『きれいだなー』って感心している子がいるとしますよね。それを見て横から『いつまでもそんなことしてないで勉強しなさい』なんて言っちゃうお母さんがいたりしますが、これは違うと思う。そうやってものを見て感動すること、きっとこれがその子の本当の勉強なんです。だってその子はその出来事に出会うために生まれて来たかもしれないでしょ(笑)。そしてその子の人生の目標と方向を発見するかもしれないわけですよ。こう言う時の子供の目はものすごく輝いている。それが、本当に勉強をしている子供の目だと思うんです。」

*2002年のメディア掲載記事(小林健二へのインタビュー)より編集抜粋しており、画像は新たに付加しています。この記事は教育関係メディアに掲載されたため、質問内容が主に美術教育に関するものになっております。

KENJI KOBAYASHI

 

人工結晶

硫酸アンモニウムカリウムと硫酸アルミニウムクロムなどよって育成された結晶。(小林健二の結晶作品)

*「」内は小林健二談

人工結晶を作りはじめたのはいつ頃くらいですか?

「1992年くらいからですね。」

著書の『ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)』にもありましたけど、人工結晶は鉱石ラジオのクリスタル・イヤフォン用に作りはじめたんですか?

「そうですね。その時は圧電結晶を作りたくて、ロッシェル塩(酒石酸ナトリウムカリウム)を買ってきて結晶を作ってみようと思ったんです。とにかく実験ができればいいなと思っていましたから、大きいものが作りたかったですね。

その後他の物質で結晶ができないかとか、自然石を母岩として結晶がくっついていたら綺麗だろうなとか思ったりして、だんだんハマって行きました。色々研究して実験しました。でも、塊を作りたいと思っても、平べったくしかならなかったり思い通りにはならない。まあ、その平べったいのは平べったいので美しいものなんですけどね(笑)。」

母岩に結晶の素となる種のようなものを付けとくんですか?

「その場合はまず種結晶を作るところからはじめて、母岩につけ、その後育成溶液の入った深い容器におくと、大きく成長していくんですね。あるいは、容器の中に石を入れておくと、ザラザラとした母岩の表面に自然と結晶ができていたりします。その時に水溶液の成分を変えると色が変わったりするけど、それぞれの相性が合わなかったり慌ててやったりすると、大抵はシャーベット状になってダメになります。それで何度悔しい思いをしたことか(笑)。

二ヶ月ほど旅行にに行っている間に、40も50も容器の中で人工結晶を作ってたんですけど、帰ってみると一つだけ変わった色の溶液のものがあって、何も結晶ができていなかった。他のはできていたのに一滴だけ違う水溶液がポトンと落ちたから、何もできなかったんですね。それは水溶液を捨てる時にたまたま混ざって一瞬にして何もできなかった容器の水溶液と同じ色に変わったから、わかったんですけど。

そんなことの積み重ねですね。他にも温度や湿度、色々気をつけなければなりませんね。」

硫酸銅と硫酸コバルトの結晶。(小林健二の結晶作品)

クロム酸リチウムナトリウムカリの結晶。(小林健二の結晶作品)

ロッシェル塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

ー手探りの実験結果

「何でもかんでも混ぜれば結晶になるかという訳ではないんです、、、。

関係資料なんか色々調べてみました。人工結晶っていうと、人工宝石などを作るベルヌーい法やフラックス法、人工水晶などを作る熱水合成法、その他半導体結晶を製作するための資料はあるんですけど、ちゃんとした実験設備がなければ無理なものばかりです。

しかも、水成結晶育成法については、それこそイヤフォンなどの圧電結晶をつくるための資料くらいしかなくて、いかに大きなスのない単結晶のものを作るかといった内容ばかり。個人で製作するにはあまりにも大規模なものが中心になってしまいます。例えば形が美しかったり、色々な色をしたり、群晶になったりすることは本来の目的ではないわけですから、ぼくなんかが求める資料は、基本的には見つかりませんでしたね。

だから最初は圧電結晶に使えそうなものを片っ端から選んで、あれはどうだろう?これはどうだろう?と手始めに実験していきました。そうして作れる結晶を探して行ったわけです。どこにもそんな実験については載っていないから手探りです。

一つ一つの実験にどうしても時間がかかるるし、実際結果が見えてくるまで何年もかかりますよね。

でもいずれ、もっと安定した方法で結晶を育成できるようになったら、人工結晶に興味がある人に教えてあげられるかもしれない。盆栽を作るような気持ちで、好きな人には結構楽しいかもしれない。」

硫酸アルミニウムカリウムなどの結晶。(小林健二の結晶作品)

鉄系とクロム系の物質によって結晶化させたもの。(小林健二の結晶作品)

リン酸カリと黄血塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

ミョウバンと赤血塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

コバルトを含むロッシェル塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

蛍光性の物質を混入している硫酸アンモニウムナトリウムの結晶。(小林健二の結晶作品)

[人工結晶]

例えば水晶は、573度よりも低温で安定な低湿型と、537度から870度の間で安定な高湿型があるが、結晶が生まれるには、高圧、高温が必要とされることが多い。人工水晶には地球内部の環境を半ばシュミレートした高温・高圧によって作られたものもあるが、ここで取り上げている人工結晶は、常温で水成培養できるものである。

小林健二氏によって様々な薬品を使って、常温で人工結晶を作る実験が行われており、今回その成果もいくつかが紹介されている。

中には全長30cmほどの単結晶、直径20cm以上の結晶など、かなり大きなものも作られているし、色味としても様々な美しいが生まれ落ちている。

*2002年のメディア掲載記事より編集抜粋しております。

KENJI KOBAYASHI

コイルの巻き方

以前いろいろなコイルについて説明をしましたが、コイルを製作する上で参考にしてもらうために、ここではいくつかの巻枠と巻き方の実際を紹介してみたいと思います。

図はハニカムコイルのホルダーの巻枠部の展開図です。 上は単ハニカムコイル
の巻順で、図のように巻いていきます。
コイルが十分巻き上がったらホルダーからピンを抜きニス等で固めて作ります。
中は複ハニカム巻きでホルダーは同じですが、巻き方がちょうど1つおきに巻い
ていきます。 一巡巻き終わった後、 下のようにさきほどとばしていったところを
巻いていきます。

図はウェーブコィル等を巻くときのホルダーです。棒の部分は真鍮製でネジが切ってあり中心部のコアに付いていて、コイルを巻き終わった後、棒を回し取ってしまい、 コイルがバラバラにほどけてしまわないようにワイヤーが交差したところを糸等でしばってしっかりさせます。

スパィダーコイルはこのように巻枠に羽2つごとに互い違いに巻いていきます。

ハニカムコイルを手巻きで巻くホルダー

バスケットコイル等を巻くための自作のホルダー

図はバスケットコイルの巻枠で、上のものは米国で売られていたものです。コ
イルの径を変えられるようになっています。下はポピュラーなもので堅い木に穴
をあけ真鍮製の棒を抜き差しして使用します。 2列に穴があいているのはコイル
の径を変えるためです。

画像は左上・芯のついたラジアルバスケットコイル、中上・ウェーヴコイル、右上・クラウンコイル(小林健二設計)、左下・スポークコイル、中下・スパイダーコイル(大正時代のもの)、右下・ナローバスケットコイル。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

コイルについて

KENJI KOBAYASHI

鉱石ラジオを作る

まず、基本的な「鉱石ラジオ」を作ってみましょう。必要な部品はコイル、コンデンサー、検波器、クリスタルイヤフォンです。
「鉱石ラジオ」は検波器として鉱石を使っているものを言います。部品やデザインのバリエーションも紹介しているので、参考にしてください。

材料
1、紙管(70mm径,80mm長さ)・2、エナメル線・3、木の角柱・4、ビニル被覆線(30cmほど)・5、ドールハウスのフライパンなど・6、クリスタルイヤフォン・7、木板(150mmX80mmまたはハガキサイズ、厚さ15mm)・8、真鍮板(70mmX50mm2枚、55mmX60mm1枚、各0.5mm厚)・9、カッティングシートなど・10、真鍮平角棒(1.5mm厚、6mm幅)・11、圧着端子(0,5mmX3mm、針を挟んでつぶせば良いので多少太くても可)・12、縫い針・13、方鉛鉱または黄鉄鉱・14、画鋲・15、木のブロック・16、釘・17、ネジ(サラネジではない3mm径、8mm長くらい。ワッシャーもあると良い。タッピングネジ(木ネジ)でも良い。)
*これらの寸法や材料はあくまでも便宜的なものです。自分なりの工夫で色々考えてみてください。

用具
1、電気ドリル・2、プライヤー・3、金切りハサミ・4、ピンセット・5、ワイヤーストリッパー・6、カッター・7、ニッパー・8、紙ヤスリ・9、耐熱ボード・10、ハンダ・11、ハンダゴテ・12、ペースト・13、ガストーチ・14、万力・15、ノコギリ・16、洗濯バサミ・17、平ヤスリ・18、丸棒・19、定規・20、ポンチ・21、千枚通し・22、プラスドライバー・23、金槌

接着剤
1、ホットメルト(グルーガンやホットボンドも同じもの)・2、シェラックニス・3、燃料用アルコール・4、シェラックニスを燃料用アルコールで薄めたもの・5、瞬間接着剤・6、ボンド・7、紙コップ・8、筆

ーコイルの作り方

1、紙管の両端から1cmほどの所にそれぞれ千枚通しで穴を開けます。

2、先に開けた穴から、紙管の端に沿って少し離れたところに、それぞれもう一つ、同じように穴を開けます。

3、穴にエナメル線を通し、紙管の方を回しながら巻いていきます。この時紙管を回す方向はどちらでも構いません。またエナメル線の端は10cmくらい残しておきます。

4、エナメル線の端を管の中に入れ、残りは手に掛けるなどして巻いていくと、絡んだりしにくく取り扱いがしやすいでしょう。また、エナメル線は押さえながら巻いて行きます。

5、反対側の穴のところまできたら、巻き終わりです。巻いたエナメル線を押さえながら、端を穴に通します。

ひと工夫
紙管にニスを塗っておくと強度が増し、エナメル線もほどけにくく巻きやすくなリマス。はじめに内側を塗り、次に木の板などを入れて外側を塗ると手が汚れずに全体に塗れます。
左がニスを塗っていない紙管、右が塗った紙管。
巻いたエナメル線の表面にも塗っておきます。こうするとほどけてきません。

ーコンデンサーの作り方

1、真鍮板を金切りバサミなどで切り、手を怪我しないように角を紙ヤスリで丸めます。

2、穴を開けた70mmX50mmの真鍮板を万力にはさみ、木の板を当てて曲げます。穴は真鍮板にポンチでくぼみをつけ、画鋲が通るくらいの穴を開けます。またこれは、両面テープや接着剤で固定しても良いので色々と工夫してください。

3、もう一枚の70mmX50mmの真鍮板も同じように穴を開け、曲げます。

4、55mmX60mmの真鍮板を包むように、カッテイングシートを両面に貼ります。この時、ハンダ付けをする部分は残し、はみ出したところはカッターで切ります。

写真ではすでにカッテイングシートが貼られていますが、その前に真鍮板の、今後配線する部分に少量のハンダをつけておきます。これは前ハンダと良い、ハンダ付けを行う時にはしておくと良いでしょう。

5、角ブロックにのこぎりで切れ目を入れ、瞬間接着剤で真鍮板に取り付け、取手ににします。(回路に直接手を触れないようにするためです)

ー検波器(ディテクタ)の作り方

1、耐熱版の上に置いた、ドールハウスのフライパンの内側にペーストを塗り、切ったハンダを入れてガストーチで加熱し溶かします。

2、ハンダが溶けたら、方鉛鉱をのせます。

3、ハンダが固まるまで、放冷します(急冷はしないでください)

4、ディテクタの針を作ります。尖っている先端5mmをプライヤーでくわえ、ガストーチで赤くなるまで加熱し、焼きなまします。こうすることで柔らかくなり曲げやすくなります。光っているところはなまっていない部分です。針の代わりにピアノ線でもできますが、その時は焼きなます必要はありません。

5、焼きなました針の、穴の開いている方を圧着端子に差し込み、ニッパーで2箇所くらい切断しない程度の力でつぶします。

6、圧着端子を直角に曲げてから、丸い棒に針を巻きつけるようにして曲げます。

適度な圧力で方鉛鉱に接する必要があるので、必ず方鉛鉱に当ててみて高さを調整してください。

針ではなく、ピアノ線を巻いてバネのようにして使うこともできます。このようにすれば、方鉛鉱物の高さが多少変わっても、適度な圧力を保つことができます。

ー配線の仕方

作った部品をこのように木板上に配線していきます。

1、角柱を木板にボンドで接着し、ネジ用の直径2.4~2.5っmの穴を開けておきます。木ネジを使う場合は、キリで開けても良いでしょう。

2、木板にコイルを画鋲で止めます。この時エナメル線を巻いた部分に刺さないように注意します。

3、真鍮平角棒を角柱とコイルにのせ、釘を通す穴の位置と、カットする位置に印をつけます。

4、金切りバサミで切ったら、平ヤスリか紙ヤスリで角を丸めます。配線する側は、印の位置に穴を開け、先端は熱容量を小さくするために補足し、その部分に前ハンダをしておきます。

5、ホットメルトガンで ディテクタを取り付けます。

6、木板にネジを半分ほど入れておきます。

前ハンダをした2枚のL字真鍮板に、取手のついた真鍮板をはさみ、洗濯バサミで止めておき、木板に画鋲で固定します。この時、L字の真鍮板の間が空きすぎないように調節します。

7、L字板どうしを前ハンダをしてエナメル線でつなぎます。エナメル線にも先端を紙ヤスリでこすり、被覆を剥がして前ハンダをしておきます。これはコンデンサーの面積を広げ、電気容量を増やすすためです。

8、コイルとコンデンサーのエナメル線の先をやはり紙ヤスリでこすり被覆を剥がします。そして右巻きにネジに巻きつけます。こうするとネジを締めるときに戻りません。

8、コイルとコンデンサーのエナメル線の先をやはり紙ヤスリでこすり被覆を剥がします。そして右巻きにネジに巻きつけます。こうするとネジを締めるときに戻りません。

真鍮平角棒をとりつけます。何回もコイルの上を動かしてコイルにつく傷の位置を調べます。真鍮平角棒は、あらかじめやや下に曲げ、コイルに当たるときに少し圧力がかかるようにしておきましょう。

10、定規などの薄めの板んび挟んだ紙ヤスリで、コイルの傷跡部分の皮膜を丁寧に剥がします。(こすりすぎて線を切らないように注意)。綺麗に剥がれたかどうかはテスターなどでチェックしておきましょう。

11、ディテクタにハンダでビニル被覆線を取り付けます。

12、ディテクタから伸びているビニル被覆線を、スライダーの端にハンダで取り付けます(前ハンダを忘れずに)

13、クリスタルイヤフォンの線をほぐして軽く1回しばっておきます。

14、スライダーから伸びているビニル被覆線を、コンデンサーの真ん中の真鍮板にハンダづけします。

15、真ん中の真鍮板を引き出したところ。

感度をチェックするときには、鉱石に当たっている針を外してゲルマニウムダイオードを写真のようにつけて行います。受信できなかった場合に、鉱石のディテクタに原因があるのか、他のところにあるのかわかりやすくするためです。

16、鉱石ラジオの完成です。これはあくまでも一つの例であって、それぞれの工夫によって色々と磨きをかけてください。そしてゆっくりと急がずに作ることが何より大切です。

太鼓鋲をスライダーにつけると、コイルとの接触が良くなり、ツマミをつけることで回路に直接触らずにすみます。
これが太鼓鋲。
ひと工夫で仕上げてみた鉱石ラジオです。

ーコイルと スライダーのバリエーション 続きを読む

鉱石ラジオの歴史と魅力

ーはかなかった鉱石ラジオの歴史

鉱石ラジオの前身である鉱石受信機は、ヨーロッパで1906年頃から製造されました。しかしこれは軍用無線のために作られたもので、一般の人が使うようなものではありませんでした。

放送局からの電波を受信して聞く鉱石ラジオは。1919年頃からアメリカやヨーロッパで製作されました。日本では1924年頃から製造され、翌25年にはJOAK東京放送局(NHK第一放送の前身)の本放送が始まりました。小林さんのコレクションの中に、当時の貴重なラジオがあります。

日本でラジオ放送が始まったばかりの頃の鉱石ラジオ。「JOAK」の名前が入った珍しいラジオです。
小林健二所蔵

「このころは、東京の新任教員の給料が25円なのに、国産の鉱石ラジオが30円以上もするという非常に高価なものでした。放送の聴衆者数は1割にも達していませんでした。鉱石ラジオの黄金時代を迎えたのは、放送局が全国の主要都市に開局し、さらに電波の出力を上げた1928年以降のことです。」

感度のよくない鉱石ラジオでも放送が聞けるようにと始められたこの事業は、当時「全国鉱石化」と呼ばれました。鉱石ラジオ自体も、量産化によって価格が相良い、感度も向上して行ったことで全国に普及していったのです。

ところがこの黄金時代は、わずか数年で幕を閉じてしまいます。1930年頃から安価になった真空管を使った、取り扱いの簡単なラジオが出ると、混信の多い鉱石ラジオは急速に減っていきます。大震災や終戦後の一時期、また台風で停電した時のために”非常時のラジオ”として活躍はしますが、実用品としての魅力を失った鉱石ラジオは、少年の工作の対象となっていきます。1946年頃から再開された少年科学雑誌にも盛んに取り上げられ、学校教材としても普及していきました。

しかし、1955年頃にゲルマニウムダイオードを使ったゲルマラジオが発売され、安価になるにしたがって、教材としての場所もゲルマラジオに譲って、鉱石ラジオは姿を消していくことになります。

1925年イギリス製の鉱石ラジオ。検波器に方鉛鉱が使用されています。小林健二所蔵

BBCのマークが入った1920年代のイギリスの鉱石ラジオ。上のコイルを取り替えて、局を選ぶことができます。小林健二所蔵

レバーの接点はコイルのタップに接続していて、これで感度のいいところを探します。右下は海外の学童用キット。小林健二所蔵

1930年代にアメリカでよく作られたタイプの鉱石ラジオ。そのほとんどは主婦などの女性が組み立てたそうです。小林健二所蔵

戦前の日本製鉱石ラジオ。「メロディークリスタル」という名前にふさわしく、可愛らしい緑色に彩色され、赤や青のツマミも鮮やかです。小林健二所蔵

ー鉱石ラジオと小林さんの出会い

「”鉱石ラジオ”を作ったことがあるという人に、何度もあったことがあるんですが、ほとんどの人はこのゲルマラジオなんですね。」

小林さんが最初に作ったものも、やっぱりゲルマラジオで、小学3-4年生の理科の授業でのことでした。

「子供のころから工作は好きだったのですが、コイル巻きのように面倒くさいことが嫌いなものだから、数も数えないでメチャメチャに巻いた コイルを適当にハンダつけしたのです。格好だけは整えたけれど、もちろん全然聞こえない(笑)。」

ラジオ製作との再会は20代の初め。趣味でやっていた音楽の多重録音がきっかけでした。ノイズを取るための器材を自作していた時に、基盤からガリガリと雑音が出てきて、その雑音の中に偶然キャッチしたラジオ放送が聞こえてきたのです。

電源を切っても聞こえてくる、かぼそく不思議な音に魅せられた小林さんは、ラジオ作りに再び挑戦することになりました。そして1986年に生まれたのが、鉱石ラジオという言葉のイメージから作られた作品としてのラジオの第一号でした。それは上に乗せた結晶が七色に光り、ラジオの音声によって光が明滅するという美しいものでした。

「ぼくにとって、鉱石ラジオは、鳴るはずがないようなものから音が聞こえてくるのが面白いんです。」

その言葉通り、小林さんの作品には”不思議”が詰まったものがいくつもあります。そして、この”不思議を愛する好奇心”こそが、サイエンスの根源なのではないでしょうか。

鉱石ラジオの良さは、自由に自分の興味で作っていけるところにもあると、小林さんは言います。

「原理が簡単だからアレンジがしやすいんです。美しいものを作るとか、いろいろな石を試してみるとか、メカニズムに凝るとか、幅の広い楽しみ方がある。趣味って1位2位と順番をつけるものじゃないでしょう。人それぞれの楽しみ方があっていい。鉱石ラジオは、それができるんです。」

10年ほど前の「シークレットボイス」は、透明なものを使って作りたいという小林さんの長年の思いが結晶した作品。ため息のようなささやき声でラジオの音声が聞こえてきます。

1987年の作品「サイラジオ」。ガラスドームの中の鉱石が、ゆっくりと七色に変化しながら光り、その光がラジオの音声に合わせて明滅します。下部に置かれた環状列石も青い光を放って、見ていると心が安らぎます。

 

*「趣味悠々-大人が遊ぶサイエンス(日本放送出版協会)」の小林健二の記事部分より一部抜粋。何回かに分けて紹介予定。画像は書籍を複写しております。

1,スパイダーコイルに挑戦しよう

2,検波に使える鉱石いろいろ

KENJI KOBAYASHI

検波に使える鉱石いろいろ

いろいろな黄鉄鉱

黄鉄鉱

鉱石ラジオによく使われた石で、感度の良い石です。硫黄と鉄の化合物で、びっくりするほど綺麗な立方体をしているものもありますが、他にも五角形の12面体のものや正8面体のとても細かな結晶など、形は様々です。また化石が黄鉄鉱化することもあります。「愚か者の金」と呼ばれるほど、見た目が金に似ていますが、金ではありません。方鉛鉱よりも固く、割れにくいので初めての人にはオススメの石です。

接合型鉱石検波器
鉱石検波器の多くは鉱石に細り針を立てる、点接点型の検波器でした。接合型と呼ばれる、鉱石どうしを面で接触させたものは、向かい合う面がコンデンサーとして働き、高周波電流が流れ込んで整流作用がうまく得られないためです。しかし、紅亜鉛鉱と他の鉱石を組み合わせると、方鉛鉱や黄鉄鉱よりはるかに良い感度が得られることがあるのです。
人工の紅亜鉛鉱(上)と人工ビスマス(下)の接点型鉱石検波器(小林健二作)

いろいろな方鉛鉱

方鉛鉱

検波器の代表といっていいくらいよく使われ、黄鉄鉱に負けないくらい感度の良い石です。硫黄と鉛の化合物で、見るからに「鉛」という色をしています。ハンマーで軽く叩いて割ることができるくらいもろく、劈開性があるため、小さく割ってもサイコロのようになります。そのため、ネジなどで押し付けると割れてしまうことがあるので、固定するときはハンダで台座を作ります。

斑銅鉱と黄銅鉱

斑銅鉱と黄銅鉱

これらも比較的感度が安定している石です。左側にある三点が斑銅鉱で、金色のところは黄鉄鉱です。斑銅鉱は硫黄と鉄と銅の化合物で、表面が酸化してメタリックな緑・青・紫・赤・黄の斑銅鉱担っています。感度は、割ってから酸化して落ち着いた頃の方がよくなる場合があります。

右側三点が黄銅鉱です。硫黄と鉄と銅の化合物ですが、斑銅鉱のようなメタリックカラーではなく、見た目は金のような感じです。ところどころ青や紫に色づいていることもあります。

紅亜鉛鉱(上段左以外は人工結晶と思われる)

紅亜鉛鉱

紅亜鉛鉱は本来、亜鉛の酸化物ですが、マンガンが不純物として混じっているものは赤っぽい色をしています。方鉛鉱や黄鉄鉱よりも感度が良い石です。日本では産出され図、アメリカ・ニュージャージー州のスターリングヒルとフランクリンという鉱山で飲み取れます。左の石は赤いところが紅亜鉛鉱です。不透明のように見えますが、拡大してみると透明感があります。透明な黄やオレンジに見える透き通った結晶などは人工の紅亜鉛鉱です。

この透明な結晶は酸化亜鉛です。12Vの電源に繋いでみると高輝度発光ダイオードが点灯しました。金属光沢もなく、透き通っているのに、電気を通すというのは不思議な感じがします。結晶の長さは20cmぐらいあります。

そのほかにも感度は保証できませんが検波できる鉱物です。

1、硫砒銅鉱
2、輝水鉛鉱
3、白鉄鉱
4、自然銀
5、銅藍
6、隕鉄

7、錫石
8、自然銅
9、石墨
10、赤銅鉱

 

*「趣味悠々-大人が遊ぶサイエンス(日本放送出版協会)」の小林健二の記事部分より一部抜粋。何回かに分けて紹介予定。画像は書籍を複写しており、鉱石は小林健二所有の標本です。

1,スパイダーコイルに挑戦しよう

KENJI KOBAYASHI

スパイダーコイルに挑戦しよう

「趣味悠々-大人が遊ぶサイエンス(日本放送出版協会)」の書籍より

巻き枠を作ります。羽の数を15枚として、2枚貼り合わせた厚紙に円盤を、比例コンパスで15等分し、印をつけます。印をつけたら、それぞれ中心点と線で結んでおきます。

比例コンパスを使わないで15等分する方法です。平行に等間隔で引いた16本の直線上に、厚紙円盤の円周と等しい長さの細い紙を乗せます。紙を斜めにすれば、直線のところで15等分されます。これを円盤に巻きつけ印をつければいいのです。

V字に切った厚紙を型紙にして、15等分の線を中心にしてV字の線を引きます。

円盤の内側の円と15等分の線の交点にポンチで穴を開け、穴の両端から、V字の線に沿ってカッターで切り取ります。

全体にニスを塗ります(この場合、見やすいように黒いニスにしています。)

羽を2枚ごとに飛ばしながら、エナメル線を巻いていきます。

タップを出したいときは、途中でエナメル線をより合わせます。(わかりやすくするため写真ではエナメル線の色を変えています)

アイスキャンディーの棒を使ってもスパイダーコイルや、バスケットコイルの芯などを作ることもできます。

コイルのいろいろ

コイルの巻き方にはいろいろあって、目的に応じて使われています。ソレノイドコイルは作るのは簡単ですが、隣り合う線同士がコンデンサーになり、その電気容量のせいで計算値とずれたり、高周波の電流が流れてしまったり、いろいろと問題が起きます。コイルはコンデンサー部分がすくなくて、インダクタンスの高い物がラジオにとって性能のいいコイルと言えます。1~8は小林健二作のコイルです。

1,ソレノイドコイル
2,ビノキュラーコイル
3,スペース巻きコイル
4,相互インダクタンスを変えられるコイル
5,クラウンコイル(小林健二設計)とバスケットコイル
6,デイーコイル(Dコイル)
7,ウエーブコイルとスパイダーコイル
8,スパイダーコイルとオクタゴンコイル
9,ベークライト板(コイル枠)*1~8は小林健二作のコイルです。

ルーズカップラー
タップが出ていて巻き数を変えることで、自己インダクタンスを変えるだけでなく、中のコイルを出し入れして相互インダクタンスを変えることができます。

コンデンサーのいろいろ

電気容量の変えられるコンデンサーのことを「ヴァリアブルコンデンサー」通称「ヴァリコン」と言いますが、絶縁物を挟んで向かい合っている2枚の極板の、間隔が面積を変えることができればいいので、簡単なものは自作することも可能です。写真3を除き、ぼくが作ったものです。

1,エアーヴァリコン。空気を絶縁物としたものです。ダイアルを回すと羽の向かい合う面積が変わるようになっています。
2,本のように開くことのできる板の内側に真鍮板を貼ったもの。開き具合で電気容量を調整します。3,エアーヴァリコン。真鍮製で重いのでバランスウエイトが手前についています。
4,表面に錫箔を貼った太さの違う試験管を重ね、内側の試験管をスライドさせることで電気容量を変えます。
5,ガラスに錫箔を貼ったもの。
*1,2,4,5は小林健二作

*「趣味悠々-大人が遊ぶサイエンス(日本放送出版協会)」の小林健二の記事部分より一部抜粋。何回かに分けて紹介予定。画像は書籍を複写しております。

検波に使える鉱石いろいろ

鉱石ラジオの歴史と魅力

KENJI KOBAYASHI

空中線回路について

この図は以前にも掲載していますが、鉱石ラジオの構造を4つに分けてあります。今回は「空中線」の部分です。

空中線

基本的にこの回路は電波をとらえるアンテナ(A)と余分な電流を流すアースによって成り立っていて、途中に次の回路に電流を進めるコイル(L)が入ったり、同調回路のコイルと共有になったりすることもあります。本来なら、鉱石ラジオではアンテナのことを空中線とするのがふさわしいのかもしれません。

なぜかというと、鉱石ラジオができたころ、イギリスにいたマルコーニが大西洋横断の無線通信に初めて成功した実験で、 150mの高さにあげた凧から垂らした針金で電波をキャッチしました。それでイギリスでは今でもエアリアルearialと言っていて、空中線はその訳語だからです。

アメリカでは比較的早くから真空管式ラジオが発達し、感度がよいのであまり大きくない空中線でも聞こえるため室内アンテナが開発され、可般性のものが大半であったため、そこからアンテナantenna(昆虫などの触角)と言うようになったようです。

室内アンテナのいろいろ

電波と空中線

電気力線の向き

電波をキャッチするのも空中線ですが、電波を送信機から放出するのも空中線です。ではいったいどのようにして電波は空中線から放出されるのでしょう。

同調回路のところでお話ししたように、コンデンサーの両端に直流の電圧をかけると(+)から(ー )のほうへ電気力線が発生します。

もう一度くり返しますと、電気力線は図に書いたような線として実際に存在しているわけではなく一種のたとえのようなものですが、低い電圧ではその数は少なく、電圧が高くなると数も増え電圧の向きを変えると電気力線も向きを変えると考えます。

ですからもしこのコンデンサーに交流の電圧をかけると、電気力線も増えたり減ったり、逆向きになったりするわけです。

またこのコンデンサーの極板の距離を少しずつ離してゆくと、電気力線はそのお互いの反発力によって、(+)から(― )へはゴムの線のように引き合いながらも横のほうへと広がって、徐々に膨らんでゆくのです。

このように直流の電圧の場合は、横にいくら膨らんでいても電気力線はそのままを保っていますが、ここに交流の電圧をかけるとちょっとおもしろい現象が起こると考えられています。低い周波数のときにはそれでも電気力線は少々膨らみながらもせわしくその方向を変え、増えたり減ったりしているのですが、周波数が高くなるにつれ、大きく膨らんだ電気力線は、中のほうへ戻ることができなくなりはじめあとからあとから、まるで押し出されてゆくように順々に外のほうへと飛び出すようになってゆくのです。それがいったいどのように行われているか、本来、人間の時間系ではおよそ想像することは不可能に思えます。そこで1秒に30万km(正確には299.792.458m)を移動する電波を1秒に1cmくらいの速度にみたてて、もし目で見ることができれば信じられないほどあるはずの電気力線のうち1本だけに注目して説明したいと思います。もちろんこれはあくまでも仮定であって、電磁波の現象を理解するうえでの便宜上の説明であり、未米においてはまったく別の方法でもっとうまく説明できるかもしれません。

①電圧がコンデンサーに全然かかっていないと、電荷は中和しているようなもので、電気力線も発生していません。
②電圧がかかりはじめ、電気力線が発生し、外側が膨らみはじめます。
③さらに電圧がかかるピークを超え、電気力線は少しずつ縮まろうとします。
④電圧の極性が変わり、新たな向きの電気力線が発生します。
⑤内側からの電気力線の圧力で、外側の電気力線も縮よりきれなくなります。
⑥電圧がゼロになって電気力線は切り離されます。
⑦2つの電気力線はつながり、輪のようになります。
⑧内側からさらに発生した圧力によって外側に押し出されます。
⑨完全に電荷から切り離された状態。
⑩連続して電気力線が出ている状態。
⑪実際にはその一つ一つの膨らみに、たくさんの電気力線が東になっていると考えられます。
⑫ちょうど真ん中のあたりに注目して卜下をカットすると、一種の疎密波になっています。
⑬このエネルギーの変化を電圧に置き換えると電波の波が見えてきます。

電波の発射

上の図はコンデンサーの電荷の間で電気力線が発生するようすと、電圧の変化(電圧や方向)を示してあります。おそらくこのようにして、電波は空間に飛び出してゆくと考えられます。低い周波数では電気力線はコンデンサーに戻ってしまい、ある程度高い周波数にならないと電波にはなりにくいということです。そのようなわけで電波の出力をする空中線やアンテナはまさに一種のコンデンサーであると言えるのです。

 

コンデンサーからアンテナヘ

よりよく電波を出す工夫

実際の空中線はコンデンサーの格好をしているわけではなく、もっと電波の出やすいように工夫されています。どのように工夫しているかというと、図の(A)→ (B)→ (C)というように、片方にどんどん開いてゆくとそれだけ電波は出やすくなり、(D)180° に開ききると導体の反対から同距離になるのでさらに出やすくなります。(E)はその一端を大地に接してしまうと、大地は良導体と考えられるので、まるで片方の一端を地中深くに埋めたような効果をもちます。この機構こそが大地(アース)を用いるという考え方で、空中線回路のもうひとつの重要なポイントとなるのです。アースを使う考え方はマルコーニが考案したもので、彼の発明のなかで最も大事なものとも言われています。そこで昔はこのような空中線機構(片方を接地したもの)を、マルコーニエアリアル(マルコーニアンテナ)と呼んでいました。

音声を電波にのせる

振幅変調

マイクから入った音やあらかじめ録音されていた音声などの低周波信号は、いったん増幅され、発振器から出て増幅された高周波の電流と変調器によって合成されます。単純にまぜるだけだと(C)のようになってしまい、(D)のような変調波型にはなってくれません(ここでは変調器の変調理論の説明は省きます)。

この複雑な変調器によって、人の声などの低い周波数の音声信号は、高周波の搬送波carrier waveとともにさらに増幅されて、音声の成分を含んだ電波として空間に飛び立ってゆくのです。

変調とは
FM( frequency modulation)周波数変調・音声電流の波形によって搬送波の周波数を変化させる方式。・搬送波周波数76~ 90MHz(メガヘルツ) AM(amplitude modulation)振幅変調・音声電流の波形によって搬送波の振幅を変化させる方式。・搬送波周波数531~ 16112kHz(キロヘルツ) A ,音声信号 ・B, 搬送波(キャリア)・C ,AとBがまざった波形 ・D, AがBによって変調された波形

 

国内の―般放送の開始(中波による)

アメリカのピッツバークのKDKA局が1920年、 イギリスのロンドンBBC局が1923年、日本の東京のJOAK局が1925年等々、世界のあちこちで国内に向けての一般放送が始まります。これらの放送に使われているのは、中波の周波数の電波です。それまでの経験から、お互いが送受信をするわけでもなくまた国内という限られた範囲での一般向けの放送なので、巨大な設備の必要な長波や遠方まで通信するための短波ではなく、中波の周波数帯が選ばれたわけです。

東京放送局では大正14年3月1日日曜日、芝浦の東京高等工芸学校(現都立大学工学部)の図書館の中に設けたスタジオからその第一声を発しました。「アー、アー、アー、よく聞こえますか?」午前9時半、海軍軍楽隊の行進曲の演奏が始まり、人々はまだ珍しい受信機の前にむらがって耳を傾けていて、その声が聞こえたときには「聞こえた、聞こえた!」と感動のあまり泣きだす人もいたほどでした。この試験放送は成功して、3月22日の仮放送に続き、 7月12日には本放送が開始されたのです。

JOAKの本放送が始まった大正14年当時のヘッドフォン付き鉱石ラジオ。

電界強度

感覚的にも感じるように、電波は距離が遠くになるにつれてだんだんと弱くなります。それは、アンテナからの距離の2乗に反比例していて、たとえば距離が2倍なら1/4、5倍なら1/25というように弱くなるのです。この電波の強さのことを電界強度と言います。もっとも、この減衰率も理想的な状態のときのもので、実際には山や森、高い建物などが電波の伝わるのを邪魔してしまうので、さらに弱くなるのです。これは減衰定数とも言われ、この定数が大きいほど減衰ははなはだしくなります。やはり、でこぼこしている山岳地ではとでも大きくて、森や建物の多いところ→少ないところ→平らな土地→海という順で小さくなります。この電界強度は〔V/m〕という単位で表され、有効な高さ1mのアンテナに1Vの電圧が誘起された場合、 1V/mということになりますが、実際このようなことがあれば怖くて外も歩けないでしょう。通常はこの1000分の1の〔mV/m〕あるいは100万分の1の〔μV/m〕を使用します。

電波の伝わり方

ヘルツが実験で火花のスパークによって電波を発見したころ、その周波数は今でいう短波帯に属するものでした。ところがこれでは電波はどんどん上空に飛んでいってしまい、地球のように円い地面のところでは遠方の地域へは届かないと考えられ、外のほうへ逃げずに地表に沿って進む電波(地上波)が初期の電信事業では開発されていました。短波のように空間に広がる空間波の性質を持つものより長い波長のものほど、地面に広がる性質があって、その地表波の代表が長波です。

ところが通信に長波を使うと、その長い波長に合わせた空中線、同調回路がみな巨人になりますし、先ほどの電界強度の減衰率がとでも大きくて、遠方への通信には莫大なエネルギーを必要としてしまうのです。しかも長波の周波数が低いので、搬送波として用いた場合にどうしてもそれに乗せることのできる音声の帯域は短波のように広くとれないのでした。そのような理由から、ラジオ放送が中波を用いて開始されたと考えられます。

波長と周波数

先ほどから何度も出てくる波長と周波数ということについて、ちょっとまとめておこうと思います。まず周波数というのは交流の電流あるいは電磁波などの交番する周期が、 1秒間に何回あるかを示したものです。 1周期は、交番波形の山から次の山まで、もしくは谷から次の谷まで、 というように同じ向きでもう 1度同じ場所まで戻ってくる間の部分を言います。

この波形の1周期分が1秒間に1回くれば、その周期は1 Hz(ヘルツ)であると言います。たとえば、 1秒間にその周期が50回あれば50Hzで、これは東日本の家庭のコンセントなどに来ている100Vの交流の周波数です。そしてぼくたちの声のような音声を低周波、電波などを高周波と言って、だいたい20 kHz(キロヘルツ)くらいを境にして感覚的に分けています。

電波法などでは30 kHz以上を高周波、 100 kHz以上を無線(ラジオ)周波数などと言っています。

鉱石式送信機

ケネリー・ヘヴィサイド層(電離層)の発見

アンテナやアースのいろいろ

 

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

*この内容から想起するアンテナやアースを使用した小林健二作品を紹介します。

健二式鉱石受信機

KENJI KOBAYASHI