タグ別アーカイブ: 小林健二

[星のいる室内]より

[T君の望遠鏡]

中学生になって、ぼくが同級生に誘われて渋谷の五島プラネタリウムに行き始めた頃、二つ年上のT君は、6cmの屈折望遠鏡を持っていた。彼は野球少年で、しかも星座少年だった。

T君の自慢の望遠鏡は、いつもピカピカでカッコよかった。

ある日「ちょっと覗かしてよ」と言って、みんなが順番に見せてもらった時、プラネタリウムが嘘っぽく見えるのは、星がありすぎるからだと思っていたけど、その小さな覗き窓に創造を何倍も超える星々の存在に声を失ってしまった。

「すごい」とか「星がたくさんある」とか言うと、一緒に涙も出そうだったからだ。

その後ぼくは、ぼくの中学のサッカー部創設メンバーに加わり、朝から夜までサッカーに明け暮れた。ペレやジョージベストやベッケンバウワーが、ぼくにプラネタリウムやT君の望遠鏡のことを、忘れさせていた。

そして、T君の卒業したその次の年の夏。しばらくぶりに仲間とT君の家に行くと、そこは空き家になっていて、家の中は空っぽだった。彼には昔からお父さんがいなくて、新聞配達をしていたが、赤坂の方で働いていたお母さんに大変なことが起こって、そして急に引っ越したのだと隣のおばさんから聞かされた。

ぼくらは何も喋らないまま、夕暮れの彼の家の中にいて、あの立派だった望遠鏡のことをしばらくの間、想っていた。

 

[流星群と変光星]

夜、久しぶりに外へ出て

空を見上げていると

東の方角にペルセウスの流星群

 

何かが始まる未知の気配を

全ては開かぬしばし間に

再び心も風景の静寂に一致してゆくまで

いつのまにかに飛び出していた

夢の翼は輝星の表を追い走けてゆく

 

おおくま座 ウルサマヨール

位置11007626α(アルファ)ドウベを超え

やがて(イプシロン)アリオス位置12518562を捕える

北極星が変光をして

ウルサミノールが輝くときに

基準都市の上を

重星の命が通り過ぎてゆくのだ

ぼくは星表番号とその星の名を探し出し

君のなまえを書き添える

 

古代の時間が訪れて

ジュラ紀の空を思い出す。

 

小林健二

*作品集「星のいる室内(1993年発行:ガレリ・ヴォワイアン)」より抜粋し、画像は新たに付加しています。ヴォワイアンで開催された小林健二個展に合わせて出版された本で、内容はギャラリーオーナーの文章と展示作品、小林健二の文章などで構成されています。

小林健二作品集「星のいる室内-STELLA IN THE ROOM」発行:ガレリ・ヴォワイアン

小林健二作品集「星のいる室内-STELLA IN THE ROOM」(クロスを使用したケースと上製本により仕上げられた美しい本です)

小林健二作品集「星のいる室内-STELLA IN THE ROOM」(クロス製本のケースと本、顔料箔押しのされた表面に小林健二作品のシールが貼られている。装丁:小林健二)

小林健二は天文的なテーマの作品を多く制作していて、その中から何点か紹介してみます。

中でも「土星」をモチーフにしているものが多くありますが、他の記事でも紹介しているため省いています。画像は小林健二作品「土星装置」の一部です。

小林健二作品「月の人ーMOON WILL」

「星座遠方-STELLA DISTANCE」の作品タイトルで小林健二は何点か連作を描いています。

小林健二作品「星座遠方」

小林健二作品「星座遠方」

小林健二作品「星座遠方」

小林健二作品「星座遠方」

小林健二作品「星座遠方」

KENJI KOBAYASHI

 

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小林健二の製作現場からVol.1

2017年9月9日~30日(日曜・祭日は休廊)ギャラリー椿(東京・京橋)にて小林健二個展が開かれる。

新作を製作している様子を少し紹介。(今後個展開催まで、何回かに分けてアップ予定です)

ここでも、使いやすいように整備されている様々な道具や工具が活躍しています。

小林健二の道具(US Micro-Mark社のミニパワーツール)右から、ディスクサンダー、スウォードソー、クロスソー(ジグソー)、ドリル、プレーン(電動鉋)、ベルトサンダー

小林健二の道具(US Micro mark社のミニパワーツール)ディスクサンダーを作品製作に使用しているところ

小林健二の道具(US Micro mark社のミニパワーツール)
クロスソー(ジグソー)をテーブルに固定して、ミシンのように使用している

小林健二の道具、彫刻刀など

小林健二の道具。木を削るにも、目的によって道具を使い分ける。

小林健二の木工道具

小林健二の道具。ソリ鉋など、右上はコンパスプレーン。

小林健二の道具。小林にとって西洋鉋は木材の加工に欠かせない道具の一つ。画像はスタンレー社のもの。

小林健二の道具。西洋ノミの一つ。

小林健二の道具。木の端を西洋ノミで斜めに削った後、日本のきわ鉋で整える。

小林健二の道具。カンナ屑が詰まりやすいため、台をその場でなおす。

小林健二の道具。台を直した鉋はスムーズにカンナ屑が出て、快適に使用できる。

小林健二の道具。同じ西洋ノミだが、使用方法は自在。

小林健二の製作現場。透明な素材を好んで使用する小林、多分その支持体を製作している模様。

小林健二の製作現場。透明な素材を支持するための木を加工し、サイズを合わせる。これも作品の一部になると思われる。

*2017,7/15、小林健二の仕事場にて

KENJI KOBAYASHI

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少年少女だった頃

「水晶と6cmの土星」

ぼくは仕事上、絵や立体作品などを製作しているのですが、筺の中に青く光る土星が回っていたり、色々な鉱物の結晶のような作品も作っています。

そしてこれらはぼくが子供の頃に受けた出来事と大きく関係しているところがあるのです。

 

やがてしばらくしてぼくは失語症のような状態になり、いつもオドオドとして、さらに家から外へも出れなくなってしまいました。ただぼくには二つ年下のとても親しい友人がいたことが唯一の救いで、彼とだけはいつも一緒におりました。よく二人で上野の科学博物館に恐竜や化石を見に行くのが好きで、そんな時は都電に乗って自分からも外に出たいと思っていたのです。

そんなある日、ぼくと彼とに当時は鉱物の標本のとても充実していたその博物館の広い一室で、優しく声をかけてくれた人がいました。大人の人全般に恐れを抱いていたぼくも、丁寧な鉱物への説明や美しい結晶を直に手に取らせてもらいながら、何回となくその人の処へ通ううちに、だんだんと鉱物の世界に引き込まれて行きながら、少しづつ心を開いていったように思います。

数年の後には、対人赤面症ではありましたが、随分と人と会話できるようになっていました。

もしあの頃、あの学芸員のような方が声をかけてくれなかったらと、今でも感謝を込めて思い出すことがあります。

やがて中学になり、いつも一緒にいた友人の彼は、彼のお父さんが広島で被爆していたため二次被爆から白血病隣、12歳という若さでこの世を去りました。

それはまた再び暗闇の中へとぼくを突き落としたのです。ただその頃はサッカーにも夢中になっていた時期でもあり、表向きはせいぜい無口でおとなしく目立たない中学生に見えていたと思います。

しかしながら心の中では今となってはうまく説明できないほどのイライラやジレンマを持っていました。歌を作って一人で歌ったり、絵を描いたりすることと、体を動かすサッカーでどうにか生きていたという感じを思い出します。

そんな時、ある年長の先輩がぼくに望遠鏡を覗かせてくれました。それは6cmの赤道儀付き屈折式の決して高価なものではありませんが、彼は器用に捉えてもすぐに逃げ去ってしまう一つの星を見せてくれたのです。それは土星でした。「本当に輪があるんだ」と言おうとしたのですが、どうしたわけかとめどもなく涙が出て、最後は言葉になりませんでした。

その時、本でしか見たことのない天体の世界と本当にこのあえかな望遠鏡でつながっていると思い、さらにすでに他界した友人もそこにいるような気がしたからかもしれません。そして何か勇気のようなものが見えない世界から励ましてくれているように感じたのです。

あれから30年が経ちましたが、あれらの鉱物がその友人と水晶のように結晶し、またあの青い輪のある星で待っているような幻が、今のぼくの宝物であるのです。

小林健二

[サイスコープ-PSYSCOPE]
小林健二作品

[MIDNIGHT RADIO]
電波を受信するとレンズの奥に潜む結晶が光りながら音声に合わせ明滅する。
小林健二作品

[Noctural Saturiun-土星夜]
作品左下の自作結晶が様々な色彩に光り、宇宙からの電磁波を受信するとノイズに似た音声が発せられ、自作レンズの奥に巨大な土星が青く輝きながら浮いて回転する。小林健二作品

[SATURN GEAR-土星装置]
窓から見える土星がゆっくりと青く光りながら回転する。
小林健二作品

[SATURN TELESCOPE TYPE88-八八式土星望遠鏡]
1988年に構想し、16年後に完成した作品。長く伸びたラッパ状の先にあるレンズに全体像を表す土星が見え、青く光りながら回転する。
小林健二作品

[SATURN TELESCOPE TYPE91-九一式土星望遠鏡]
1991年に構想し、19年後に完成した作品。レンズには全体像を表す土星が見え、青く光りながら回転する。
小林健二作品

*2000年のメディア掲載記事より抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

 

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鉱物結晶と電子工学の出会いーいつか夢で見たラジオ

小林健二1986年~2003年に発表された電子作品を紹介。

アーティストとして絵画、立体、音楽作品などを発表している小林氏は、1997年に「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」を上梓。鉱石ラジオの作者のイメージが強いが、エレクトロニクス工作全般の造詣が深く、電子回路の設計から製作まで行い、独自の作品を製作している。

これらの作品群は、鉱石、半導体ラジオ、ダイオード、モーター、電源など組み合わせて、視聴的に訴える「音」「光」をテーマにしたもの。「音源に反応する鉱石」「中に人が入っている」「魂が光る」錬金術師のような発想は、工作することでしか生まれてこないという。古色蒼然たる筐体からダイヤルツマミまで全て独自の手法で製作。

小林健二作品「PSYRADIOX」の自筆回路図です。(記事を複写)

小林健二作品[PSYRADIOX-悲しきラジオ]
AMラジオの電波を受信すると、作品上部にあるドームの中でクリスタルがゆっくり七色に変化し、音声に、音声に同調して光が明滅をくりかえす。下部には窓があって青く発光する結晶を見ることができる。ドームはガラス製のチリヨケを使用し、それを固定する部分は彫刻刀で仕上げた。

小林健二作品from[STELLA IN THE ROOM]-「星のいる室内」より
このドールズハウスのように見える作品も小型旋盤を多用した手作り。天窓を開けて室内をのぞむと、土星や星雲が青く光り静かに回っていて、前面の窓からも小さな土星が同様に光りながら回転しているのが見える。しかも、モーター音は全くしない。製作には木工の道具も活躍。

小林健二作品from[STELLA IN THE ROOM]-「星のいる室内」より
作品上部の窓からのぞむ。

小林健二作品from[STELLA IN THE ROOM]-「星のいる室内」より
室内に明かりがついた状態。一階の窓からは青く光る小さな土星が見える。

小林健二作品[IN TUNE WITH THE INFINITE-無限への同調]
薄曇りの窓からのぞむ世界に、その筐体からは想像できない大きな土星が出現する。それは確かに宙に浮いていて、青い光に輝きながら静かに回っている。いかにして浮いているのかはいつかご紹介しよう。その速度は本当の土星が1年で回転する周期を1分で再現した。

小林健二作品[ICE CRYSTAL RECEIVER-透質結晶受信機]
前後を曇りガラスで被われたラジオの中には透明な結晶が一つ。そしてスイッチを入れ微かなAM放送の音が聞こえはじめると、青白くそのものが光を放ち回転しながら音声に同調して明滅する。下部に全ての回路や装置が組み込まれている。

小林健二作品[SPACESCOPE-スペース スコープ]
上部にある接眼鏡からのぞいた世界。手前のレバーで視準を合わせると、暗箱の中に形を変えながらゆっくり回転する宇宙が現れる。そしてかすれたような音や微かにうねったようなノイズ、人のような音声に交じりながら不思議な音楽が聞こえると、メーターの針が揺れて小さな窓から見える水晶が輝く。

小林健二作品[SPACESCOPE-スペース スコープ]
上部の接眼鏡からのぞいた景色。

小林健二作品[CRYSTAL TELEVISION-鉱石式遠方受像機]
この作品は1990年に最初のダミーが制作され、1997年に筐体に組み込まれ発表されたもの。欧文タイトルに見るように動くテレビ画像がウレキサイト(テレビ石)という鉱物の表面に浮かび上がり、遠くから発しているような音声も同時に聞こえてくる。果たしてそれが現在の放送なのか首を傾けてしまう、そんな感慨を受ける不思議な装置。

小林健二作品[鉱石式遠方受像機]の内部には、音に変化を与える自作エフェクターなども組み込まれている。
(記事を複写)

小林健二作品[BLUE QUARTZ COMMUNICATOR-青色水晶交信機]
青く光る水晶の中から白い光が、モールス信号のように聞こえる音に合わせて明滅を繰り返している。それは私たちに何かメッセージを発信しているかのようである。

小林健二作品[青色水晶交信機]の全面パネルを開いた状態。内部には閃ウラン鉱(ウラニナイト)という鉱物が入っていて、そこから発せられる微量な放射線をガイガーカウンターが検出し、オーディオ信号に変換している。しかし一体どこにあの大きな水晶がはいいていたのか、確認することができなかった。
(記事を複写)

小林健二作品[RADIO OF NIGHT ; VOICE FROM DRUCE, RUBBY GARDEN AND BOOK OF SAPPHIRE-夜たちの受信機 晶洞よりの呼びかけ 紅玉庭園そしてサファイアの書物]
このタイトルが表すように、円形の窓から覗くとそこには鉱物が生まれる地中や、夜空に潜む星、光り輝く結晶などが共存しているかのような、美しい世界が繰り広げられている。そしてそれらがラジオの音声に合わせ明滅をしながら静かに回りはじめる。外観はシンプルであるが、それぞれの石が違った色で内部から光っている。

小林健二作品[CRYSTAL CHANNEL COMMUNICATOR-遠方結晶交信機]
二つの遠く離れた場所の映像が写し出され交信し合えるという作品。それぞれに設置された作品の結晶表面に相手側の風景や人が浮かび上がり、双方向で通信をかわすことができる。しかしよく見ると、後ろに設置されている光る板状のものから離れて水晶のようなものが存在しており、その結晶のみに画像が映し出されている。

*2003年のメディア掲載記事より抜粋編集しています。

KENJI KOBAYASHI

インタビュー:小林健二

小林健二という人間を説明することは大変に難しい。画家という肩書きはあるものの、彼は美術という領域だけでは説明できないほど幅広い世界を浮遊しているからだ。

天体、科学、動植物学、その不思議に彼の興味は注がれる。

東京・小石川にあるアトリエはおよそ画家のそれとは思えない不思議な空間である。

膨大な書物と鉱物、そして大工道具がところ狭しと並んでいる。雑然とではない。その並び方一つ取っても彼がそれらを愛していることがよくわかる。

彼の作品は、額縁に納まるモノばかりではないのだ。

「子供の頃から絵を描くのは好きでした。でも、将来絵で食えるかなんてきっと誰も考えていません。ぼくはアルバイトで溶接の仕事もしてたんです。いろんなアルバイトをしましたけどね。溶接というか溶断するんです。怖いんです、火が飛ぶし。途中で火が消えちゃうことがある。場合によっては火がホースの中を通っていく。アセボンベより酸素の方が圧が高いから。ひどい時は ボンベが爆発するんですよ。作業中、火が消えたときに吹管が熱くなって来ることがある。変だなと思って一旦バルブを切ってまたやる。すると後で言われました。『いやぁ、健ちゃん危なかったねぇ。もうちょいでカラスになるところだったよ。』って。『あのまま君がバルブ切らなかったら、アセボンベが破裂してた。』

その時は残量が少なかったからよかったんですけど、そういう時ボンベはロケットになって飛ぶという。カラスになる。一緒にやってる奴らはみんなビビッてやめちゃった。」

こういう話を楽しそうにする人なのである。

小林健二のアトリエの一角(小石川)。

小林健二のアトリエの一角(小石川)。手道具、電動工具などの棚と旋盤など。

小林健二のアトリエの一角。執筆などに使っていた小部屋の内部。

 

小林健二が使用していた吹管(スイカン)

面白くて不思議な人間が作り出すものだから、不思議なモノが出来上がる。自然の不思議がその根底にあるのだ。それは誰にも媚びない彼流の生き方にも現れる。

「東京の生まれだけど、ここも随分変わったと思う。子供の頃から比べると緑は少なくなったし、東京オリンピック前は道も石畳で、よく出かけた上野の科学博物館なんかレンガ造りでシャレていた。

でもどこにいたとしても自分の生き方で生きたいと思っている。ぼくの場合は、考え方と生き方を示すのがぼくの生きている意味だと思う。お金のためじゃなくて、やっぱり仕事をするにも信頼関係って大事じゃない。

(中略)

コミュニケーションって大切だと思う。それはその人が本当の気持ちを話しているから伝わるわけだし、ぼくだって、必死になって伝えようとしたい。それが取りもなおさずぼくの業(なりわい)でもあるわけだしね。

人間って、まずはその人であることが一番自然でいい状態なはずだよ。自分のやりたいことや出来ることをイメージして、そしてその時に出来ることから始めていく。ある程度のリスクは自分の可能性を広げていくにも必要なんじゃないかな。」

20代の小林健二。この頃は何人かの仲間と共同で文京区本駒込にアトリエを借りていた。ドアにそのアトリエの名前が見える。

アトリエアオ(フランス語で表記してある)という屋号は、今でも小林健二の仕事場の名前として使用している。この画像は小林健二が20代の頃、仲間とグループ展を銀座でした時の案内状の表面です。

この画像は小林健二の道具の一部。自作絵の具を作るためのものです。

画像は小林健二の道具の一部。キャンバスを作るためのものです。

小林健二が20代の頃に、自作のアブソルバンキャンバスと自練りの油絵具で描いた作品。

小林健二は20代の頃は溶接のバイト以外にも、額縁製作の仕事もしながら、絵を描き続けていた。これは、たまたま残っていた額縁の画像を掲載しています。

20代の頃の小林健二、絵画技法の研究に熱中していた頃です。壁には自作の変わった形の額縁がかかっています。主に額縁店などに卸していたようで、鏡などが入ったようです。

*2000年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像が新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

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[ひかりさえ眠る夜に]

夢のなかで目がさめると、そこは光だけの世界だった。

明るくて、心安らいで、時間も距離も存在しない。

永遠が支配する、とてもくつろげる素晴らしいところだ。

ある時、強い意識のトリガーによって一つの均衡が破られ、まるで窓についた水蒸気が水滴へと徐々に大きくなるように、光が集まり始めた。

外側から見たら何かが爆発したように思われそうなくらい、どんどんその領域が広がっていった。

1、光だけの世界

2、ある瞬間、どこからというわけではなく、それははじまった。
光しかないはずの永遠にある意思が作用してはじまった。

3、この広がりは、最初はほぼ光の速度で広がりはじめた。
内側へと光は落ちて徐々に物質へと変化してゆく。
もし誰かが見ていたら、”爆発”のように見えただろう。

小さな光でできた粒が気が遠くなるほどたくさん集まった時、何かとても小さな量子の単位になった。それが集まって再び何かの単位になり、落ち着くとまた集まって何かになる。

これを何度も繰り返すうちに、ゆっくりと時間が流れはじめてゆく。

光はだんだんと物質化し、そしてニュートリノやクオークのように重い物質へと変化してゆく。

これは原子核だろうか。全体がきらめいている。ゆっくり震えながら回転しているかと思うと、すごい早さで回ったりする。

よく見ると原子模型のようではなく、まるで天の川が丸まったようにきらきらしている。

4、光の粒?たちの集まったものは、時々すごい速度で回転したり、あるいはゆっくりと回転し、とても早く、そして細かく振動しているようだ。
集まってゆく光の粒たち。

5、光の粒が空間に点在して発光している。その間は闇で何もない。

6、その集まりがまた再び、もっと大きな集まりへとなってゆく。何度もこのようなことは繰り返してゆく。ゆっくりと時間が流れはじめる。

7、光がどんどん内部に向かい、落ち込んでゆく、物質化が進んで暗黒の何もない領域と物質的なところとが、次第にはっきりと分かれはじめてゆく。
時間もどんどん流れはじめる。
広がってゆくスピードはまるで爆発のようだ。
光ばかりがあるところ。

8、ゆるやかで、そして軽やかでそして魅力的で、この世へ通じる最初の重力を感じる。
この先どのようなことが起こっても、みんな解決してしまうほど、今は自然だ。
再び丸くなった天の川のようなものが現れてきた。ずっと重く、その種類はさらに深い闇に包まれている。おそらくそれが原子核にあたるものだろう。模型で見るよりはるかに透明でせわしなく回転したり、またゆっくりと回転したりしながら、きらきらと光り続けている。

やがてその回りに、月にかかる雲のような発光する雲があるのに気づく。きっとこれが電子なんだ。もっと引いて見ると、綺麗に並んだ分子が見えた。

ところで、なぜ原子核はもっと大きくならないのか?

きっと、核と電子の雲とのバランスで、それ以上重くなれないのだろう。

9、ずっとひいてゆくと視界の中でまるで星のようだ。

10、いろいろに光っている。
Here I am.
誰からも離れた時、ところ、私はここが好き。
まるで雲のように見えるこの不思議な光る領域。これらはおそらくエレクトロンであって、時々光っている。本にあるように粒などではない。とても綺麗だ。

無機の世界の純粋結晶が迷いのない機構となり、もうこれ以上変化できないと、もっと別のものに方法を探るかのように、今度は、有機的な高分子を作り出し始めた。

高分子によって結合した単位が有機的に自己増殖をはじめる。

より複雑な構造である生命がこれから生まれて来るために、自己自身を記憶し、自他を識別するための新たな回路が発生したのだろう。

11、もっと視線をひいてゆくと、まるで透明なカエルの卵。もしこれが分子とすると、なぜもっと大きな原子にならなかった。
ずっと黙って見ていたい。
そんな風に間合いをはかっているんだろう。

12、He(ヘリウム)
atomic nucleus
耐えきれないほどの大きな力にはじかれて、このatomic nucleusが飛び出てくる

13、無機の世界の迷いのない純粋結晶が、この世界をあらわしている。

14、確かな形で変化を遂げる。
核子で整体的秩序がより高度な有機質へと。

15、いろんな色に光っているものもある。
いつのまにか浅瀬の水の綺麗な水辺に糸くずのようなものが漂っている。
穏やかな波でもあるように、ゆっくりと全体が揺れている。

いつの間にか、綺麗な遠浅の水辺、糸くずのようなものが漂っているような風景。

どこからか来た薄紫色の領域に、その糸くずがくっつきはじめた。

それらはまるで、巨大な古代の建築物かデッキのようで、雲みたいな形の船が出入りしている。

精密で密度があり、不思議な空港の有機的な美しさにあふれていて、ゆるやかにうねったり、細かく振動したりしている。

16、どこからか紫色の領域が現れて、まるで磁石のように糸くずがくっつきはじめた。

17、とても巨大な建造物か、あるいは信じられないような怪物?

18、ここはどこかわからない。
ぼくの心は核酸基の船に乗って旅を続ける。
深い深い海のようなところ、あるいは熱帯の夢のようなジャングルの水蒸気の中。時々吹いてくる風がなければもう一つ「ひかり」に近い夢の中へ沈んでゆきそうになってしまう。
この広い世界の中、人として生まれたぼくがいつどこに本来いるのかと考えはじめると、頭の思考がくらくらする。
暗号のような出来事がぼくの心を深いところへ引きずり込んでゆく。もう帰ってこれないと思った時、一体どこへ帰れないのか?と思いはじめた。

離れて見ると、細い部分をまるで電飾のようにいろんな色が照らしていて、さらに視界に大きなサボテンのような島が見えて来た。

どうやらそれらは染色体や染色糸みたいだ。

すると、あのたくさんの有機的な船やデッキは、アデニンやシトシン、グアニンやチミンなどのような核酸基やATPにあたるものなのだろうか。

19、遠くへと離れてゆくと、すごく大きな列になっているのがわかる。大きさと距離は確認するのはとても難しい。
ぐるぐるするような気持ち、どこまでも近づいて、そして離れてゆく。

20、電飾のランプのような光り方で規則正しい。
島のように見える半透明の大きなもの。トンネルのように見えたりする。

21、島は巨大で編み物でできたサボテンのようだ。
光が透けるとキラキラしている。
「ひかり」は本当に遠いところまで来てしまった。

22、離れてゆくと全体が濃い紫色だとわかってくる。まるで染色体とはこんな色や形なのかと思う。あの有機的な船やデッキは色々な核酸基ATPのようなものだったのかしら。

液体の中で、とても楽に呼吸して、身を任せていられる。

あたたかく、素敵に泳げる。あたりは原形質の海のようなところだ。

クラゲみたいなものが飛んでるようにも見える。

ゆっくり揺れて、眠くなるような感じ。

細胞がそれぞれの効果的な交わりをするために集まって来ている。

多細胞の領域があたりを囲んでいる。

セルが宮殿のように並んでいる。

きっと、見慣れない生き物の中の一部なんだろう。

その生き物はほとんど動かなくて、内部には透明な薄い青色のゼリーのような膜がある。

23、≒リポゾーム
≒ミトコンドリア
川のようなハイパーモルフェ。巨大な命の流れだから、どこへと連れ添ってゆくのか。遠き命の果てまで。
≒ゴルジ体

 

24、説明的に言えば、きっとこれからのセルがそれぞれの効果的な役割をするために、集まって来た多細胞の領域へと入って来たのだろう。絵にするとつまらないが、視覚的には宮殿のようで、こんな建造物を造ったり、洒落ていると思う。

25、その見慣れない生き物は、ほとんど動かない。内部は薄い青色で透明なジェリーのような結構厚い膜がある。時々、光ったりしている。とても美しい生き物だ。

それが突然、まるでナメクジのように動きはじめたかと思うと、さらにすごい勢いで集まりはじめて、大きな生き物になった。

これはきっと動物で、おそらく動物的進化を繰り返して来た一つの形象、人間のようなもの、もしくは社会になぞらえられるのだろう。

歩くとか、見つめる、考えるといったことに目覚めはじめ、活発に動いて、何かを探し回っている。

そうした動く生き物たちの中に、やがて自分や宇宙の存在している理由に対して、漠然とした疑問を持つものが出て来た。

彼らは、自分の領域の中で、ただ存在しつづけるだけでなく、さらに何かないか、他の星を見たり、自分の生きている環境を探検したり、冒険したりしはじめた。

26、忽然とはじまった集まりは、すごいスピードでなされてゆく。まるで、粘菌がナメクジを形成するのによく似ているようだ。弱く小さいものが大きくなることで守っている。

27、この生き物はきっと動物で活発によく動き、そして探し回っている。おそらく、生き物及び動物的進化を繰り返して来た、ひつつの形象。人間までになぞらえなれる。

28、遠くのところから来たようだろう?だから君はそうやって星なんかを見つめているんだ。寂しいかしら?切ないかしら。いつか、どこかへ帰り着く。長い道のりがはじまったんだ。

自分が生命で、しかも思考があることを知っていて、さらに何かを解明したいと思えば、もっと先に進みたいと思うものだ。

でも、その生命自身が、自然発生的に生まれた自分のからだに限界を感じるようになった。

からだの生体生理的進化が、思考的進化に追いつけないんだ。

「私はだれだろう」という疑問について、純粋に思考するには、一個体の寿命はあまりに短い。

やがて、知りたい思いに従順でいたいために、自分自身を変化させる試みがはじめられた。

それまでの生命活動を維持させる捕食や消化器などの重い器官からのがれるための、遺伝子や生命原理に基づく研究なのだろう。

29、天然とは違う方法によってそれまでの生命活動を維持するためにたくさん、さかなければならなかった捕食や消化器などの重い器官からのがれるため、その遺伝子や生命原理に基づく研究をはじめ、そして続ける。その活発な活動を支えるための合理的な合成食や代用品の開発である。

30、ある日その奇妙な研究室から、ちょうど植物のような独立栄養生物の組織を移植することによって、光さえあれば生活活動できる方法を見つけ出すことになる。

ある日、植物のような生物組織の移植によって、光を直接的にからだに取り入れ、自分の中で生命力に変換する方法が発見された。

それはさらに具体化され、行動的生活に耐えられる力を必要路するため、表面積を広げ、やがて孔雀の羽根のようなからだになってしまう。

しかしながら、からだ自体が動きづらいので、だんだん光の当たるところでじっとして、まさに瞑想しているようだ。

31、とても表面積を広くしないと、生命活動を支えることができず、まるで孔雀の羽のようになってしまった。動きづらさは、光の当たるところで動かないことにあった。

32、長い間、動かなかったことで、あの大きな羽も必要なくなって、思考する生命体はより深い自己存在の理由もいかなることにもさえ義られ、煩わされることなく、まるで古木のように見続ける。

動きが減り、エネルギーも使わないので、羽がからだのまわりに巻き付き、だんだんさなぎのような形に変わっていった。

この思考する生命体は、何ものにも妨げられることなく、より深い自己存在の理由を古い樹木のように思い続ける。

彼らは星や天体の現象を見て、お互いの心の中で交信しあったようだけど、やがて目すら閉じてしまう。

いつの間にか天体の表面には、おびただしい数のさなぎ状の物体が現れ、精神だけが交信しあって、思考のネットワークが生まれた。

そして、それらがそこにとどまる必要すらなくなって、思考の孵化がはじまり、精神の領域だけが塊のような肉体から抜け出て、より自由な状態へと解き放たれてゆく。

33、いつの間にか天体の表面には、おびただしい数の蛹のような物体が現れはじめる。

34、やがて思考の孵化がはじ待って、重い体から開放された次元の高い世界へと広がってゆく。

天体の表面をそれらはどんどん覆い、まるで海のように広がってゆく。たくさんの星から、たくさんの輝く雲が、その宇宙の中のかつてその出来事がはじまったあたりへと集まってゆく。

彼らはそこではじめて、自分たちや宇宙がなぜ存在しているのかを全て理解してゆく。

自分たちは光からはじまり、連綿とした時間を生きて来た。

宇宙自身の、自分は何かを知りたいと思う気持ちが発端となって、光が物質化し、時間という軸が生まれ、さらにいろんな物質化がおこり、生物が生まれ、やがて自分たちを見つめ直し、宇宙そのものを知った。

そうしてようやく、「私」自身を発見して、自分自身の気持ちを安堵させることができた。

全ての理由を分かち合えた一つの思考の力量は、ふたたび、破裂するような勢いで、光の速度によって広がっていった。

もはやすごい力で物質を結びつけていた核力は消え失せ、原子も分子も高質量も重力もどんどん解体し、最終的に、光だけの状態にかえってゆく。

もはや広がることをやめた宇宙に、内側からの領域が追いついてゆく。

何段階かの光の物質化の変化が、細かい層に分かれて内側から解かれ、明るくて軽い光の世界へ戻ってゆく。

35、Oh—ここは高い高い天体の上。まるでバンーアレン帯のように天体表面に、一式意識の層が海のように広がってゆく。ひょっとすると人間の想像する天国とは、こうゆうところかも。
恒星からの光線を、これらの層が守っている。まるで先祖の霊が上方にあると信じている、ぼくらの星のどこかの場所に似ているようだ。
夕焼けの時間に見えることもある。

36、ある完了的時代、数多なる星々よりたくさんの輝ける雲が集まり出して、かつてその出来事がはじまったあたりへとうゆっくりと集まり出す。完了する時間の時代がおとずれたのだ。

どんどん宇宙の空間がせばまると、その間にたくさんの輪からなるすごく綺麗な干渉縞ができた。いろいろな色で光ってとても綺麗なその中に、物質であった時の風景や思い出が交錯して、巨大な幻燈会のように空間に現れては消えてゆく。

とても懐かしくて、ちょっと寂しいような気持ちと、安定した世界への移行の中での複雑な心の時間が流れている。

そして、だんだん輝きを増し、最終的に統合し、永遠の光だけの世界に完了してゆく。

もはや、失うものはなく、傷つくことも別れることもない。

みんなが一緒になって、争うことも競うこともなくなった。

宇宙の「私」探しの旅は終わったのだ。

37、安堵感が全ての領域を包み、素敵な時間がある。全ての存在を理解したエネルギーは、あの懐かしい「ひかり」の園へと重い物質を解体しはじめる。光の速度で。まるで再び爆発するように。

38、外側の広がりもすでにとどまり、内側からの期待的回帰が繰り返して追いついてゆくと、時間の流れの違う領域が、いろんな色や思い出があらわれる。

かつて光が物質化しはじめ、時間の闇の中へ質量として落ちていった・・・

ぼくらが感じているこの現実の世界も、永い光の見ている夢の中の一幕かもしれない。

光であった時の自由と合一感を、心のどこかでぼくらは探しているのだろう。

光さえ眠るこの深い夜に・・・。

小林健二

*1995年のメディア掲載記事「光の夢を夢に見てー『光さえ眠る夜に』をめぐる覚書」より。小林健二15歳の時の体験の一端がまとめられ、そのために描かれた絵と文章で構成しています。絵のキャンプションは絵に添えられている文章を書き出しているため、キャプションと文章の内容がダブル場合もあります。2003年に福井市美術館で「ひかりさえ眠る夜に」小林健二個展が開催されました。

「光の夢を夢に見てー『光さえ眠る夜に』をめぐる覚書」

KENJI KOBAYASHI

 

 

「光さえ眠る夜に」をめぐる覚え書き

「ひかりさえ眠る夜に」福井市美術館での小林健二個展(ポスター)

「ひかりさえ眠る夜に」福井市美術館で2003年開催された小林健二個展。手前に見える結晶は小林健二自作のレシピにより、会期中に水溶液の中で結晶は少しづつ成長を続ける。

宇宙を満たしていた光から物質や時間が生まれ  、惑星や生命が誕生する。やがて自分自身の存在理由に疑問をもつ生き物の意識が、 肉体を離れ、物質を解体し、すべてが光へと回帰していく・・・。

アーティストである小林さんが過去にこの話を作品 の題材として表わしたことはないが(*その後福井市美術館での個展のタイトルとなり、作品製作に取り組んでいる)、その夢は、 彼にとって現在までずっと意識 のなかにあり続けている大きな体験なのだという。

以下、夢をめぐるあれこれを聞いて見た。

「実際見たのは、  高校1年の夏休みだったと思う。生物や人間だけの夢は付録みたいにそのあともちょこちょこ見たけれど(笑)、宇宙の光の夢は一度きりだった。とてもリラックスできて、本当に充実した夢で、いまでも当時の修学旅行とかの体験より、よっぽどはっきりと思い出せるよ。目が覚めたときには、逆にからだが重くてだるくて、周りの景色がぼやけて、水底(みなそこ)にいるような感じだった。

最初は『すげー夢見た』って興奮して、友だちに電話したんだけど、話しようがなかったから結局言うのやめてしまったんだ。

その夢を見たら、現実ってすごくつまらないような気がして、『また見ないかな』って、2-3日部屋から出ないでベットの中にいたように思う。人によっては山にこもって宗教家になっちゃったりしたかもしれない(笑)。それほどすごい体験だったから。

今回 のはスケッチブックに簡単に描いたイラストと文だから(*今回の記事では掲載していませんが、いつかこのサイトでも紹介したいと考えています。)、かえって説明的で、  物語としての流れがあるようだけれど、本当はすごく映像的な夢だった。

光が集まって、そしてそれがまた集まって、とっても、眩しく美しく ダンスをしているみたいに繰り返されてゆく。夢のほとんどはそんな気持ちのいいシーンの連続。

話してしまえばそれだけだけど、なにか、ぼくにとっての一つの確信のようなものを感じたんだ。こういうことをいうと、とかくあいつは宗教がかっているっていう人がいるかもしれないけど、ぼくは、ぼくらの星の上で本当に幸福や平和であるってどんなことなのかを考えていたいだけなんだ。」

人の一生も 生命の誕生も光のみた夢に過ぎない、夢とはいえそんな大宇宙の物語を決定的なものとして見てしまった前と後では、意識の上でも、変化があったに違いない。

「ひかりさえ眠る夜に」福井市美術館での小林健二個展会場

「それからは、物理にとても興味が出てきて、それまで以上に図書館や 神田の古本屋に行くようになった。そのくらい、ぼくの日常というか、ぼく自身の興味や意識に直接影習を与えたと思う。ただ、そのときはちょっと自閉的になっちゃったりした。だって、人に話したってうまく伝わらないと思っていたしね。高校二年の時、童話のような文章を書いて、その一番最後の章で、『ひかりさえ眠る夜に』という話を書いた。  でもそれが夢で見たものだな んて、  みんなにはいわなかった。二十歳をすぎた頃からかな、親しい人に酒の上の話なんかで時々話すようになったのは。」

「ひかりさえ眠る夜に」福井市美術館での小林健二個展会場。手前に見える結晶は日々少しづつ成長しているため、来場者には観察できるようなパスを美術館で発行したとのことです。

「ひかりさえ眠る夜に」福井市美術館での小林健二個展より。展覧会の最終日近くに撮影された結晶の状態。溶液で満たされた容器いっぱいに結晶が成長している。

夢をきっかけとしあらゆる物理現象への関心は、その後宇宙創生にまつわる小林さんなりの一つの仮説を導き出すことにもなった。

「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」より

「夢から率直に感じたことを言えば、物質は光からきているんだという宇宙観は、ビッグバンが宇宙の初めだとする考えよりもある意味ですごく合理的に思えるんだ。だって相対的に比較するものもないコズミック・シーズをイメージするのは難しいし、いつだって宇宙の内と外という概念にとらわれなければならないからね。それにぼくらが見聞きし感じるこのできる世界が光の変化から始まったとすれば、核力や重力の関係、電磁波や素粒子も説明しやすいと思うんだ。」

「ひかりさえ眠る夜に」福井市美術館での小林健二個展会場。美術館はとても広く、何部屋かに分かれていて、別の一室で青く発光する作品中心に展示していた。

「ひかりさえ眠る夜に」福井市美術館での小林健二個展会場。発光する作品中心に展示した部屋を上から撮影したもの。

日常の世界から宇宙空間へ。彼の見た夢そのままに時空を自在に跳躍するその視点は、話すうちに、ふたたび現在の地球にもどってくる。

「非常に危うい状態にある地球について、考えたいことは山 ほどあるよ。人間だけが地球に住んでいるわけではないのに、資源も環境も独り占めしている。地球の永い一生のほんのわずかのスポットを占 める人間界は、自らの招いた不安で渦巻いていて、さらにその速度は加速しているんだ。まるでブレーキのない自転車に乗っているようなものだよね。下り坂に差し掛かった時、コントロールを失えば、もはやだれにも止められなくなてしまう。」

「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」より

最近の夢について聞いて見た。

「2-3日前にオニギリ畑の農夫になる夢を見たけど・・・今ちょっとダイエットしているからかな(笑)。

ぼくの夢は、ぼくらの町や国 や星のことや、いろいろな生き物たちが いること、きっとみんな愛されたいんだということ、そんなことを照れないでみんなで話し合える社会が来ること。そして、がむしゃらに自然をなぎ倒して大きくなった人間社会が、すこし 立ち止まって考える時代が来ること。」

人が自分自身であるために、全ての生命 の心が一つになれるように。かつて彼の夢のなかで光がそっと夢見た理由が、そして彼がそれを私たちに伝えようと思い立った理由が、少しづつわかり始めたような気がした。

「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」福井市美術館発行(展覧会の図録)

「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」福井市美術館発行(展覧会の図録)

on-a-night from Kenji Channel on Vimeo.

*1995年のメディア掲載記事より抜粋編集しており、画像は新たに付加しています。(* )の部分、画像キャプションはこちらで書いています。

KENJI KOBAYASHI

 

アーティストインタビュー:小林健二さん

小林さんは絵画や立体造形を広く手がけている一方、科学、物理、電気、天文、鉱物学などの自然科学をアートと融合させたような、ちょっと懐かしくて、しかも不思議な仕掛けのなる作品を数多く発表しています。今日、訪ねたアトリエにも薬品や鉱物の標本のようなものがいっぱいあって、実験室のような雰囲気もします。おそらく、小さいころは科学少年であり、工作少年ではなかったと思うんですが、いかがですか?

アーティスト小林健二(文京区のアトリエにて)

「科学少年」や「工作少年」であったかはぼくにはわかりませんが、工作や科学は子供の頃から好きでしたね。今でもそうなのですが、ぼくの中では科学や図画工作、それから音楽と美術というように、どれも分野で分けられているものではないんです。もし、自分の中で多少区別があるとすれば、好きなことと苦手なこと、あるいは興味があるかないかということだろうと思うんです。むしろ美術ならそれ自体が、他の分野から全く独立して存在しているということは考えにくいですよね。

油彩画を描くにしても、木を彫刻するにしても、あるいは電気を使ったり、ぼくのようにある種の結晶を作ることにしても、いつだって何がしか他の専門分野の知識や技術と切り離せないことは多いと思います。光を使った作品を製作する上でも、電気的な構造の部分や工学的なところ、またはそれに伴う金属加工などの作業や、あるいは樹脂などの化学的変化についても、知らないでいるよりはある程度理解していた方が、よりイメージに近い状態に近づける可能性があるわけですからね。

この国がとりわけその傾向が強いのか、ぼくにはよくわかりませんが、ある意味で、いろいろなことをまずはカテゴライズしないことには気が済まないような国民性があるんじゃないかな。

ぼくは絵を描いていたりするけど、作曲をしたり文章を書くこともあります。そうしていると、『どうして美術だけではなくて、音楽や文筆活動やいろいろされるのですか』と聞かれることがあるんです。でも、伝えたいメッセージやそのイメージに何が一番適しているかで表現方法は変わってくるし、そのことに自由でいたいと思うんです。ですから、ぼくにとって技術的な表現の分野を分けることはあまり意味のあることではなくて、何をしたいかといったその内容や必然性の方が重要に思えるんです。」

小林健二作品「夏の魚」
油彩画(自作キャンバスに自作絵の具)

小林健二作品「LAMENT]
(木彫と鉛などの混合技法)

小林健二作品「MINERAL COMMUNICATION-鉱石からの通信」
(作品の内部に設置された小さな鉱物(ウラニナイト)から発する微量の放射能をガイガーカウンターが感知し、モールス信号とも取れる発信音が作品から聴こえてくる)

小林健二結晶作品
(自作の人工結晶)

小林健二結晶作品「CRYSTAL ELEMENTS」
(透明なケースに封じられた水晶液中の結晶が、季節を通して成長や溶解を繰り返す。画像は展示風景)

小林健二作品「IN TUNE WITH THE INFINITE-無限への同調」
(窓から見える土星が青く光りながら浮いていて静かに回っている作品。内部はおそらく電子部品に埋もれている)

小林健二動画作品「etaphi」

小林健二音楽作品「suite”Crystal”」
(ミニマルミュージック。個展会場などで流すことが多い。現在ではCD化しているが、当初は降るように音が脳裡に浮かび、急いでアトリエにあった録音機(テープレコーダー)に、これもアトリエにあったピアノで収録。)

小林健二著書「みづいろ」
(実話を元に綴られたもの。活版印刷で、装丁も小林がしている)

様々なことに興味があるというのは、小さいころの体験によるのではなかと思います。遊びとしてはどんなことをしていたのでしょう?

「みなさんと同じで、いろいろとしていたと思いますが・・・(笑)。ただ熱中していたことはいろいろあります。例えば恐竜や鉱物について調べたり、飛行機の模型やプラモデルを作ったり、プラネタリウムに行ったり・・・。自分の大事な思い出は、その大部分が子供の頃にあるように感じます。ですから、例えば文章を書いたりすると、『子供の頃は・・・』という書き出しになってしまうことが多いんです。それから、昔の友達にあったりすると、『ケンジ、お前は子供の頃と全然変わってないな』ってよく言われちゃう。これは進歩がないということでもあるんでしょうが、おそらく、ぼくの中ではまだその頃と変わらないものがずっとあって、ぼくには子供の時に感じたたくさんのことが今も大きく影響しているところがあるんでしょう。多分これからもそうなのかもしれません。そもそも人間なんてそう簡単に変われるものでもないだろうし、『三つ子の魂百まで』なんて言うでしょう。」

小・中学校での美術教育の体験について尋ねたいんですが、何か記憶にあることはないでしょうか?

「学校時代に図工・美術の時間ではとにかく、放っておいてくれたという感じでしたね。でもだからこそ自分のやりたいことがはっきりしていた場合、とても楽しかったし、やりたいことが見つかるまでは待っていてくれたように思います。そして少なくとも描き方を強制されるようなことはありませんでした。

『子供のころに何に影響されましたか?』とか『どんな画家が好きですか?』ということを時たまインタビューでも聞かれるんですが、ぼくが影響を受けた美術の作家というのは、あまりいませんでした。絵を描くこと自体は好きでしたが、画家になるんだって気持ちで描いていたわけではないように思います。その一方で自然科学には子供のことから興味がありました。もちろん子供にとって『自然科学』なんていう概念はありませんけど、これは一つの資質だと思うんです。とにかく、星や鉱物、要するに天文学や地学に関することや恐竜などの古生物に関することが好きでした。それで小学生の時には、上野の科学博物館に行ってそういうものを見るのが何よりも好きだったんです。」

小林健二のアトリエ
(色々な道具に混じって望遠鏡が写っている)

小林健二アトリエの一角
(机には顕微鏡や鉱物も見える)

また美術の話に戻してしまいますが、絵としてはどんなものを描いていたんでしょうか?

「実は今でもそうなんですが、とにかく怪獣とか恐竜の絵が好きでした。それで、図工の授業でどんな課題が出ても何かとこじつけて怪獣や恐竜を描いちゃってました。例えば、虫歯予防デーのポスターを描くなんていう課題は、ひょっとしたら今でもあるかもしれませんが、そんな時にも、ブロントサウルスが歯磨きをしている絵なんか描いたんです。でも、ブロントサウルスというのは手が首ほどには長くないので口まで届かない(笑)。それでうんと長い歯ブラシにしたりしました。これは結構先生にもウケましたけど(笑)。でも、それはもちろん例外で、いつも怪物ばかりしか描かないで、おそらく先生も困られていたと思います。」

小林健二作品「描かれた怪物」
(板に油彩、紙、木、他)

ごく普通に考えると、美術や音楽が好きなことと、自然科学に関心を持つことは、子供にとってはやはり意味が違うのではないかという気もします。電気や天文や昆虫に興味を持つことには、それらについて新しい知識を獲得していくという喜びがあり、それは絵を描いたり楽器を演奏する楽しみとは異質なのではないでしょうか?

「ぼくはそのように分析して考えたことはないですね。初めにも言ったように『自分にとって好きなことと苦手なこと』という基準が何よりも大きいんです。『好きなこと』とは自分にとって『楽しいこと』、あるいは、『感動できること』と言い換えてもいい。夜空を見て星が綺麗だなと思ったことや、冷たく光っている水晶の結晶に見とれてしまうような感覚が最初にある。電気というのはもちろん物理学の一つの分野ですけれど、ぼくにとっては、フィラメントが光って綺麗だというのは、星が輝いていることの美しさとどこか通じているわけだし、あまり違いはないんです。

ものが光る理屈にはいろいろあります。星やホタルも、LEDや月も雷もそれぞれ異なった方法で発光しています。でもぼくにとっては重要な問題じゃない。肝心なことは、それを見てどう思えるか、そこへすうっと気持ちが引き込まれていくかどうかということなんです。でもその後さらにその不思議な現象にまるで恋でもするように深く知りたく、また近づきたくて科学の世界に足を踏み入れたとしても不自然なkじょととはぼくには思えないけど・・・。

だって、考えてみれば、もともと子供にとっては、そういう分野わけはないわけですよ。だからこそ、そういうことを教える必要があるという立場も一方はあるでしょうけど。たとえがホタルが光るというのは、一見、物理的現象でしょうが、実はあれはルシフェリンとルシフェラーゼという物質によって発光しているわけで、有機化学の問題になってきます。これはLEDが通電により電子のぶつかり合いによって発光したり、太陽中の水素がヘリウムになるときに熱核融合反応により発光していることと、それぞれに違っている。だけど、そういうことはあくまでも理論であって後からくる。まずはそのことを知っていなければいけないということではないし、そういう知識がなくとも、子供たちは、ホタルが光ることを綺麗だと感じたり、不思議だと思ったりするわけでしょう。

これは、おそらく美術の場合でもまったく同じだろうと思うんです。例えば、名画というのは、あらかじめ認められた価値のあるものだから尊いのではなくて、子供の目から見ても、そこに面白さや美しさが感じられることに意味があるのだという気がします。いくら値段の高い絵だって、『これは価値があるから感動しろ』というのはおかしい。作品を受け取る子供達の中に興味や関心が培われていなければまったく意味がないだろうと思うんです。」

おっしゃることはよくわかります。ただ、教育の主要な目的として、文化遺産の世代間伝達ということはあると思うんです。ですから、まず知識を持津ことで、一層興味を喚起されたり、深い感動につながるということもあるように思うんですが・・・。

「それはあるでしょう。でも、ぼくは感動することの本来の意味についてお話ししているわけです。ホタルの発光がルシフェリンとかルシフェラーゼという物質の反応によって起こっているということは、さっきお話ししましたけれど、それで全てが説明されたことになるでしょうか。DNAの主要な物質であるディオキシリボ核酸は、アデニンやシトシンやグアニンやチミンといった物質によってヌクレオチドを形成していますけれど、どれが分かったからといって、生命現象が解き明かされたとは誰も思わないでしょう。同じように仮に人のゲノムが完璧に解読されたとしても、それによって人の心が理解できるというものじゃない。ですから、知識によってわかるといったところで、それはあくまでもごく狭いフィールドにすぎません。でも大人たちはそこでいかにも分かったような気にならなければいけないと思っているんじゃないでしょうか。」

小林さんの作品は子供達にも人気があるのではないかと思うんですが、展覧会などでの子供達の反応はどんな感じですか?

「ぼくの作品がどれくらい子供達に人気があるのかわかりませんけれど、興味を持ってくれる子供は結構いるという話は聞きます。自分が面白いと思ったものにじっと見入ってくれている子を見かけたことがあります。そういう様子を見ていると、子供の頃ぼくが博物館の陳列物に惹かれたのと同じように、自分の心の中の何かを探そうとしてくれているような気がしますね。」

小林健二展覧会「PROXIMA(ARTIUMにて)」の一室風景

今、話を伺っているこのアトリエには、鉱物の結晶や化石、星座板とか昆虫の標本やおもちゃのようなもの、それから薬品やいろいろな道具がたくさんありますよね。また書庫の方には、化学実験や自然科学に関する書物を始め、ありとあらゆる本が並んでいます。『おもちゃ箱のよう』という表現はありきたりかもしれませんが、とにかくここにいると小林さんの個性的な世界を感じます。これは、言わばモノが何かを語っているのではないかとも思えます。ただ、モノの世界というのは実はアブナイところもあって、最初の興味から離れて集めることが目的になってしまうことが、子供のコレクションなどではよくありはしませんか?

「それは、例えばチョコエッグのおまけで1番から3番と5番と6番が揃っていると、抜けている4番がどうしても欲しくなっちゃうようなことでしょ(笑)。ぼくにはそういうことは全くないですね。また本や鉱物標本などは、見る人によっては物質としのモノに見えるかもしれませんが、ぼくにとってここにあるもののほとんどすべては、いわばこの世とは一体何かを知る、あるいはそれに近くための手段だとも言えるんです。ですから、本たちの中にある見えないはずの風景や標本たちから感じる不思議な存在の意味のようなものがぼくにとってはとても大切なのです。それが結果的に集まってくるだけのことなんです。ここにある鉱物の中には、現在は世界のどこでもほとんど採掘されていないため希少価値がある、かなり高価なものもありますけれど、その反面、夜店で売っているようなものもあります。それはその時『どこか心を惹きつける』と思うからつい買ってしまうんです(笑)。

ただここで大事なことは、美しいと感じるものに出会うという体験はとても大切だということです。なぜならそれは人によって全く違うものであるか、あるいは共通する部分があるのかを感じることでもあるからです。子供でも大人でもその人がどこに惹かれたり気になったりする事柄や出来事に、その人の個性や核心に触れるヒントみたいなものがあるんじゃないか。また現代のように便利や効率が求められると不思議な世界と出会いながら、科学や美術に接してきた歴史もだんだんと経済に取り込まれてきたという感じは否めないと思うし、人間や力のあるものを中心に考えが進んでいくという傾向があると思うんです。

大切なのは、天然の神秘に出会うことによって、ぼくたちがその美しさを感じて生きていく、そういう生き方を決して無意味とは思えないからです。」

小林健二の書庫
(2005年「STUDIO VOICE」記事からの複写)

小林健二アトリエの一角
(薬品や樹脂などの棚)

小林健二アトリエの一角
(実験中の自作結晶などが見える)

一般に私たちは、美術の教育というのは、絵を描いたり彫刻を作ったりする製作体験をもとにした表現行為だと理解している気がしますが、今のお話からすると、美術や美術教育の意味はもっと広く捉えられるというわけですね。

「美術というのは、そこにあるもののことではなく、作品とそれを作る人、それを見て感じる人との関係や、その人の生き方だろうと思います。一方、Educationというのは、ラテン語の『道を拓く』という意味からきていると言われています。人が歩けないような荒野に道を切り拓いていくことです。ただし重要なことは、その道を歩くことを誰も強制されいことでしょう。どの道を選ぶかということは一人一人が判断していかなければならない。明治になって日本語になった『教育』という言葉も奥深い意味を持ってはいますけれども、子供たちに教え、彼らを育んでいけるような見識を持った大人たちが、今はどれだけいるだろうかということが気になります。単に自分たちの価値観を押しつけて「いるだけれはないのか。義務教育という制度にしても、全ての子供たちは教育を受ける義務があるという意味だと理解されているのではないかと思いますが、本当はそうではなくて、これは大人の側に教育制度を整える義務を課しているということであって、子供たちが教育を受ける権利を保障しなければならないということですよね。」

確かに、これまでの教育にはみんなが同じことをすることを通してある到達点を目指していくというような授業が多かったようです。けれども最近ではそれを反省して、図工・美術の授業でも、同一時期の中でも子供たちが自分に合った様々なスタイルの製作を認めていこうという方向になりつつあるようです。

「それは当然といえば当然だけども、いいことでしょうね。だってもし本当に『ある到達点』というのが存在するとしたら、それはある水準に達するという意味ではなくて、それぞれのその人自身に出会えるということだろうと思うからです。例えば、石を見て『きれいだなー』って感心している子がいるとしますよね。それを見て横から『いつまでもそんなことしてないで勉強しなさい』なんて言っちゃうお母さんがいたりしますが、これは違うと思う。そうやってものを見て感動すること、きっとこれがその子の本当の勉強なんです。だってその子はその出来事に出会うために生まれて来たかもしれないでしょ(笑)。そしてその子の人生の目標と方向を発見するかもしれないわけですよ。こう言う時の子供の目はものすごく輝いている。それが、本当に勉強をしている子供の目だと思うんです。」

*2002年のメディア掲載記事(小林健二へのインタビュー)より編集抜粋しており、画像は新たに付加しています。この記事は教育関係メディアに掲載されたため、質問内容が主に美術教育に関するものになっております。

KENJI KOBAYASHI

 

人工結晶

硫酸アンモニウムカリウムと硫酸アルミニウムクロムなどよって育成された結晶。(小林健二の結晶作品)

*「」内は小林健二談

人工結晶を作りはじめたのはいつ頃くらいですか?

「1992年くらいからですね。」

著書の『ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)』にもありましたけど、人工結晶は鉱石ラジオのクリスタル・イヤフォン用に作りはじめたんですか?

「そうですね。その時は圧電結晶を作りたくて、ロッシェル塩(酒石酸ナトリウムカリウム)を買ってきて結晶を作ってみようと思ったんです。とにかく実験ができればいいなと思っていましたから、大きいものが作りたかったですね。

その後他の物質で結晶ができないかとか、自然石を母岩として結晶がくっついていたら綺麗だろうなとか思ったりして、だんだんハマって行きました。色々研究して実験しました。でも、塊を作りたいと思っても、平べったくしかならなかったり思い通りにはならない。まあ、その平べったいのは平べったいので美しいものなんですけどね(笑)。」

母岩に結晶の素となる種のようなものを付けとくんですか?

「その場合はまず種結晶を作るところからはじめて、母岩につけ、その後育成溶液の入った深い容器におくと、大きく成長していくんですね。あるいは、容器の中に石を入れておくと、ザラザラとした母岩の表面に自然と結晶ができていたりします。その時に水溶液の成分を変えると色が変わったりするけど、それぞれの相性が合わなかったり慌ててやったりすると、大抵はシャーベット状になってダメになります。それで何度悔しい思いをしたことか(笑)。

二ヶ月ほど旅行にに行っている間に、40も50も容器の中で人工結晶を作ってたんですけど、帰ってみると一つだけ変わった色の溶液のものがあって、何も結晶ができていなかった。他のはできていたのに一滴だけ違う水溶液がポトンと落ちたから、何もできなかったんですね。それは水溶液を捨てる時にたまたま混ざって一瞬にして何もできなかった容器の水溶液と同じ色に変わったから、わかったんですけど。

そんなことの積み重ねですね。他にも温度や湿度、色々気をつけなければなりませんね。」

硫酸銅と硫酸コバルトの結晶。(小林健二の結晶作品)

クロム酸リチウムナトリウムカリの結晶。(小林健二の結晶作品)

ロッシェル塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

ー手探りの実験結果

「何でもかんでも混ぜれば結晶になるかという訳ではないんです、、、。

関係資料なんか色々調べてみました。人工結晶っていうと、人工宝石などを作るベルヌーい法やフラックス法、人工水晶などを作る熱水合成法、その他半導体結晶を製作するための資料はあるんですけど、ちゃんとした実験設備がなければ無理なものばかりです。

しかも、水成結晶育成法については、それこそイヤフォンなどの圧電結晶をつくるための資料くらいしかなくて、いかに大きなスのない単結晶のものを作るかといった内容ばかり。個人で製作するにはあまりにも大規模なものが中心になってしまいます。例えば形が美しかったり、色々な色をしたり、群晶になったりすることは本来の目的ではないわけですから、ぼくなんかが求める資料は、基本的には見つかりませんでしたね。

だから最初は圧電結晶に使えそうなものを片っ端から選んで、あれはどうだろう?これはどうだろう?と手始めに実験していきました。そうして作れる結晶を探して行ったわけです。どこにもそんな実験については載っていないから手探りです。

一つ一つの実験にどうしても時間がかかるるし、実際結果が見えてくるまで何年もかかりますよね。

でもいずれ、もっと安定した方法で結晶を育成できるようになったら、人工結晶に興味がある人に教えてあげられるかもしれない。盆栽を作るような気持ちで、好きな人には結構楽しいかもしれない。」

硫酸アルミニウムカリウムなどの結晶。(小林健二の結晶作品)

鉄系とクロム系の物質によって結晶化させたもの。(小林健二の結晶作品)

リン酸カリと黄血塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

ミョウバンと赤血塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

コバルトを含むロッシェル塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

蛍光性の物質を混入している硫酸アンモニウムナトリウムの結晶。(小林健二の結晶作品)

[人工結晶]

例えば水晶は、573度よりも低温で安定な低湿型と、537度から870度の間で安定な高湿型があるが、結晶が生まれるには、高圧、高温が必要とされることが多い。人工水晶には地球内部の環境を半ばシュミレートした高温・高圧によって作られたものもあるが、ここで取り上げている人工結晶は、常温で水成培養できるものである。

小林健二氏によって様々な薬品を使って、常温で人工結晶を作る実験が行われており、今回その成果もいくつかが紹介されている。

中には全長30cmほどの単結晶、直径20cm以上の結晶など、かなり大きなものも作られているし、色味としても様々な美しいが生まれ落ちている。

*2002年のメディア掲載記事より編集抜粋しております。

KENJI KOBAYASHI

鉱石ラジオを作る

まず、基本的な「鉱石ラジオ」を作ってみましょう。必要な部品はコイル、コンデンサー、検波器、クリスタルイヤフォンです。
「鉱石ラジオ」は検波器として鉱石を使っているものを言います。部品やデザインのバリエーションも紹介しているので、参考にしてください。

材料
1、紙管(70mm径,80mm長さ)・2、エナメル線・3、木の角柱・4、ビニル被覆線(30cmほど)・5、ドールハウスのフライパンなど・6、クリスタルイヤフォン・7、木板(150mmX80mmまたはハガキサイズ、厚さ15mm)・8、真鍮板(70mmX50mm2枚、55mmX60mm1枚、各0.5mm厚)・9、カッティングシートなど・10、真鍮平角棒(1.5mm厚、6mm幅)・11、圧着端子(0,5mmX3mm、針を挟んでつぶせば良いので多少太くても可)・12、縫い針・13、方鉛鉱または黄鉄鉱・14、画鋲・15、木のブロック・16、釘・17、ネジ(サラネジではない3mm径、8mm長くらい。ワッシャーもあると良い。タッピングネジ(木ネジ)でも良い。)
*これらの寸法や材料はあくまでも便宜的なものです。自分なりの工夫で色々考えてみてください。

用具
1、電気ドリル・2、プライヤー・3、金切りハサミ・4、ピンセット・5、ワイヤーストリッパー・6、カッター・7、ニッパー・8、紙ヤスリ・9、耐熱ボード・10、ハンダ・11、ハンダゴテ・12、ペースト・13、ガストーチ・14、万力・15、ノコギリ・16、洗濯バサミ・17、平ヤスリ・18、丸棒・19、定規・20、ポンチ・21、千枚通し・22、プラスドライバー・23、金槌

接着剤
1、ホットメルト(グルーガンやホットボンドも同じもの)・2、シェラックニス・3、燃料用アルコール・4、シェラックニスを燃料用アルコールで薄めたもの・5、瞬間接着剤・6、ボンド・7、紙コップ・8、筆

ーコイルの作り方

1、紙管の両端から1cmほどの所にそれぞれ千枚通しで穴を開けます。

2、先に開けた穴から、紙管の端に沿って少し離れたところに、それぞれもう一つ、同じように穴を開けます。

3、穴にエナメル線を通し、紙管の方を回しながら巻いていきます。この時紙管を回す方向はどちらでも構いません。またエナメル線の端は10cmくらい残しておきます。

4、エナメル線の端を管の中に入れ、残りは手に掛けるなどして巻いていくと、絡んだりしにくく取り扱いがしやすいでしょう。また、エナメル線は押さえながら巻いて行きます。

5、反対側の穴のところまできたら、巻き終わりです。巻いたエナメル線を押さえながら、端を穴に通します。

ひと工夫
紙管にニスを塗っておくと強度が増し、エナメル線もほどけにくく巻きやすくなリマス。はじめに内側を塗り、次に木の板などを入れて外側を塗ると手が汚れずに全体に塗れます。
左がニスを塗っていない紙管、右が塗った紙管。
巻いたエナメル線の表面にも塗っておきます。こうするとほどけてきません。

ーコンデンサーの作り方

1、真鍮板を金切りバサミなどで切り、手を怪我しないように角を紙ヤスリで丸めます。

2、穴を開けた70mmX50mmの真鍮板を万力にはさみ、木の板を当てて曲げます。穴は真鍮板にポンチでくぼみをつけ、画鋲が通るくらいの穴を開けます。またこれは、両面テープや接着剤で固定しても良いので色々と工夫してください。

3、もう一枚の70mmX50mmの真鍮板も同じように穴を開け、曲げます。

4、55mmX60mmの真鍮板を包むように、カッテイングシートを両面に貼ります。この時、ハンダ付けをする部分は残し、はみ出したところはカッターで切ります。

写真ではすでにカッテイングシートが貼られていますが、その前に真鍮板の、今後配線する部分に少量のハンダをつけておきます。これは前ハンダと良い、ハンダ付けを行う時にはしておくと良いでしょう。

5、角ブロックにのこぎりで切れ目を入れ、瞬間接着剤で真鍮板に取り付け、取手ににします。(回路に直接手を触れないようにするためです)

ー検波器(ディテクタ)の作り方

1、耐熱版の上に置いた、ドールハウスのフライパンの内側にペーストを塗り、切ったハンダを入れてガストーチで加熱し溶かします。

2、ハンダが溶けたら、方鉛鉱をのせます。

3、ハンダが固まるまで、放冷します(急冷はしないでください)

4、ディテクタの針を作ります。尖っている先端5mmをプライヤーでくわえ、ガストーチで赤くなるまで加熱し、焼きなまします。こうすることで柔らかくなり曲げやすくなります。光っているところはなまっていない部分です。針の代わりにピアノ線でもできますが、その時は焼きなます必要はありません。

5、焼きなました針の、穴の開いている方を圧着端子に差し込み、ニッパーで2箇所くらい切断しない程度の力でつぶします。

6、圧着端子を直角に曲げてから、丸い棒に針を巻きつけるようにして曲げます。

適度な圧力で方鉛鉱に接する必要があるので、必ず方鉛鉱に当ててみて高さを調整してください。

針ではなく、ピアノ線を巻いてバネのようにして使うこともできます。このようにすれば、方鉛鉱物の高さが多少変わっても、適度な圧力を保つことができます。

ー配線の仕方

作った部品をこのように木板上に配線していきます。

1、角柱を木板にボンドで接着し、ネジ用の直径2.4~2.5っmの穴を開けておきます。木ネジを使う場合は、キリで開けても良いでしょう。

2、木板にコイルを画鋲で止めます。この時エナメル線を巻いた部分に刺さないように注意します。

3、真鍮平角棒を角柱とコイルにのせ、釘を通す穴の位置と、カットする位置に印をつけます。

4、金切りバサミで切ったら、平ヤスリか紙ヤスリで角を丸めます。配線する側は、印の位置に穴を開け、先端は熱容量を小さくするために補足し、その部分に前ハンダをしておきます。

5、ホットメルトガンで ディテクタを取り付けます。

6、木板にネジを半分ほど入れておきます。

前ハンダをした2枚のL字真鍮板に、取手のついた真鍮板をはさみ、洗濯バサミで止めておき、木板に画鋲で固定します。この時、L字の真鍮板の間が空きすぎないように調節します。

7、L字板どうしを前ハンダをしてエナメル線でつなぎます。エナメル線にも先端を紙ヤスリでこすり、被覆を剥がして前ハンダをしておきます。これはコンデンサーの面積を広げ、電気容量を増やすすためです。

8、コイルとコンデンサーのエナメル線の先をやはり紙ヤスリでこすり被覆を剥がします。そして右巻きにネジに巻きつけます。こうするとネジを締めるときに戻りません。

8、コイルとコンデンサーのエナメル線の先をやはり紙ヤスリでこすり被覆を剥がします。そして右巻きにネジに巻きつけます。こうするとネジを締めるときに戻りません。

真鍮平角棒をとりつけます。何回もコイルの上を動かしてコイルにつく傷の位置を調べます。真鍮平角棒は、あらかじめやや下に曲げ、コイルに当たるときに少し圧力がかかるようにしておきましょう。

10、定規などの薄めの板んび挟んだ紙ヤスリで、コイルの傷跡部分の皮膜を丁寧に剥がします。(こすりすぎて線を切らないように注意)。綺麗に剥がれたかどうかはテスターなどでチェックしておきましょう。

11、ディテクタにハンダでビニル被覆線を取り付けます。

12、ディテクタから伸びているビニル被覆線を、スライダーの端にハンダで取り付けます(前ハンダを忘れずに)

13、クリスタルイヤフォンの線をほぐして軽く1回しばっておきます。

14、スライダーから伸びているビニル被覆線を、コンデンサーの真ん中の真鍮板にハンダづけします。

15、真ん中の真鍮板を引き出したところ。

感度をチェックするときには、鉱石に当たっている針を外してゲルマニウムダイオードを写真のようにつけて行います。受信できなかった場合に、鉱石のディテクタに原因があるのか、他のところにあるのかわかりやすくするためです。

16、鉱石ラジオの完成です。これはあくまでも一つの例であって、それぞれの工夫によって色々と磨きをかけてください。そしてゆっくりと急がずに作ることが何より大切です。

太鼓鋲をスライダーにつけると、コイルとの接触が良くなり、ツマミをつけることで回路に直接触らずにすみます。
これが太鼓鋲。
ひと工夫で仕上げてみた鉱石ラジオです。

ーコイルと スライダーのバリエーション 続きを読む