投稿者「Pro-tools」のアーカイブ

Pro-tools について

アーティスト小林健二の作品は様々な素材や技法によって製作されています。自作の道具や素材の研究、材料や工具のコレクションなど、メディアに掲載された記事などからの抜粋して掲載します。また、小林健二へのインタビュー、トークやワークショップのレビューも公開予定です。

検波に使える鉱石いろいろ

いろいろな黄鉄鉱

黄鉄鉱

鉱石ラジオによく使われた石で、感度の良い石です。硫黄と鉄の化合物で、びっくりするほど綺麗な立方体をしているものもありますが、他にも五角形の12面体のものや正8面体のとても細かな結晶など、形は様々です。また化石が黄鉄鉱化することもあります。「愚か者の金」と呼ばれるほど、見た目が金に似ていますが、金ではありません。方鉛鉱よりも固く、割れにくいので初めての人にはオススメの石です。

接合型鉱石検波器
鉱石検波器の多くは鉱石に細り針を立てる、点接点型の検波器でした。接合型と呼ばれる、鉱石どうしを面で接触させたものは、向かい合う面がコンデンサーとして働き、高周波電流が流れ込んで整流作用がうまく得られないためです。しかし、紅亜鉛鉱と他の鉱石を組み合わせると、方鉛鉱や黄鉄鉱よりはるかに良い感度が得られることがあるのです。
人工の紅亜鉛鉱(上)と人工ビスマス(下)の接点型鉱石検波器(小林健二作)

いろいろな方鉛鉱

方鉛鉱

検波器の代表といっていいくらいよく使われ、黄鉄鉱に負けないくらい感度の良い石です。硫黄と鉛の化合物で、見るからに「鉛」という色をしています。ハンマーで軽く叩いて割ることができるくらいもろく、劈開性があるため、小さく割ってもサイコロのようになります。そのため、ネジなどで押し付けると割れてしまうことがあるので、固定するときはハンダで台座を作ります。

斑銅鉱と黄銅鉱

斑銅鉱と黄銅鉱

これらも比較的感度が安定している石です。左側にある三点が斑銅鉱で、金色のところは黄鉄鉱です。斑銅鉱は硫黄と鉄と銅の化合物で、表面が酸化してメタリックな緑・青・紫・赤・黄の斑銅鉱担っています。感度は、割ってから酸化して落ち着いた頃の方がよくなる場合があります。

右側三点が黄銅鉱です。硫黄と鉄と銅の化合物ですが、斑銅鉱のようなメタリックカラーではなく、見た目は金のような感じです。ところどころ青や紫に色づいていることもあります。

紅亜鉛鉱(上段左以外は人工結晶と思われる)

紅亜鉛鉱

紅亜鉛鉱は本来、亜鉛の酸化物ですが、マンガンが不純物として混じっているものは赤っぽい色をしています。方鉛鉱や黄鉄鉱よりも感度が良い石です。日本では産出され図、アメリカ・ニュージャージー州のスターリングヒルとフランクリンという鉱山で飲み取れます。左の石は赤いところが紅亜鉛鉱です。不透明のように見えますが、拡大してみると透明感があります。透明な黄やオレンジに見える透き通った結晶などは人工の紅亜鉛鉱です。

この透明な結晶は酸化亜鉛です。12Vの電源に繋いでみると高輝度発光ダイオードが点灯しました。金属光沢もなく、透き通っているのに、電気を通すというのは不思議な感じがします。結晶の長さは20cmぐらいあります。

そのほかにも感度は保証できませんが検波できる鉱物です。

1、硫砒銅鉱
2、輝水鉛鉱
3、白鉄鉱
4、自然銀
5、銅藍
6、隕鉄

7、錫石
8、自然銅
9、石墨
10、赤銅鉱

 

*「趣味悠々-大人が遊ぶサイエンス(日本放送出版協会)」の小林健二の記事部分より一部抜粋。何回かに分けて紹介予定。画像は書籍を複写しており、鉱石は小林健二所有の標本です。

1,スパイダーコイルに挑戦しよう

KENJI KOBAYASHI

スパイダーコイルに挑戦しよう

「趣味悠々-大人が遊ぶサイエンス(日本放送出版協会)」の書籍より

巻き枠を作ります。羽の数を15枚として、2枚貼り合わせた厚紙に円盤を、比例コンパスで15等分し、印をつけます。印をつけたら、それぞれ中心点と線で結んでおきます。

比例コンパスを使わないで15等分する方法です。平行に等間隔で引いた16本の直線上に、厚紙円盤の円周と等しい長さの細い紙を乗せます。紙を斜めにすれば、直線のところで15等分されます。これを円盤に巻きつけ印をつければいいのです。

V字に切った厚紙を型紙にして、15等分の線を中心にしてV字の線を引きます。

円盤の内側の円と15等分の線の交点にポンチで穴を開け、穴の両端から、V字の線に沿ってカッターで切り取ります。

全体にニスを塗ります(この場合、見やすいように黒いニスにしています。)

羽を2枚ごとに飛ばしながら、エナメル線を巻いていきます。

タップを出したいときは、途中でエナメル線をより合わせます。(わかりやすくするため写真ではエナメル線の色を変えています)

アイスキャンディーの棒を使ってもスパイダーコイルや、バスケットコイルの芯などを作ることもできます。

コイルのいろいろ

コイルの巻き方にはいろいろあって、目的に応じて使われています。ソレノイドコイルは作るのは簡単ですが、隣り合う線同士がコンデンサーになり、その電気容量のせいで計算値とずれたり、高周波の電流が流れてしまったり、いろいろと問題が起きます。コイルはコンデンサー部分がすくなくて、インダクタンスの高い物がラジオにとって性能のいいコイルと言えます。1~8は小林健二作のコイルです。

1,ソレノイドコイル
2,ビノキュラーコイル
3,スペース巻きコイル
4,相互インダクタンスを変えられるコイル
5,クラウンコイル(小林健二設計)とバスケットコイル
6,デイーコイル(Dコイル)
7,ウエーブコイルとスパイダーコイル
8,スパイダーコイルとオクタゴンコイル
9,ベークライト板(コイル枠)*1~8は小林健二作のコイルです。

ルーズカップラー
タップが出ていて巻き数を変えることで、自己インダクタンスを変えるだけでなく、中のコイルを出し入れして相互インダクタンスを変えることができます。

コンデンサーのいろいろ

電気容量の変えられるコンデンサーのことを「ヴァリアブルコンデンサー」通称「ヴァリコン」と言いますが、絶縁物を挟んで向かい合っている2枚の極板の、間隔が面積を変えることができればいいので、簡単なものは自作することも可能です。写真3を除き、ぼくが作ったものです。

1,エアーヴァリコン。空気を絶縁物としたものです。ダイアルを回すと羽の向かい合う面積が変わるようになっています。
2,本のように開くことのできる板の内側に真鍮板を貼ったもの。開き具合で電気容量を調整します。3,エアーヴァリコン。真鍮製で重いのでバランスウエイトが手前についています。
4,表面に錫箔を貼った太さの違う試験管を重ね、内側の試験管をスライドさせることで電気容量を変えます。
5,ガラスに錫箔を貼ったもの。
*1,2,4,5は小林健二作

*「趣味悠々-大人が遊ぶサイエンス(日本放送出版協会)」の小林健二の記事部分より一部抜粋。何回かに分けて紹介予定。画像は書籍を複写しております。

検波に使える鉱石いろいろ

鉱石ラジオの歴史と魅力

KENJI KOBAYASHI

空中線回路について

この図は以前にも掲載していますが、鉱石ラジオの構造を4つに分けてあります。今回は「空中線」の部分です。

空中線

基本的にこの回路は電波をとらえるアンテナ(A)と余分な電流を流すアースによって成り立っていて、途中に次の回路に電流を進めるコイル(L)が入ったり、同調回路のコイルと共有になったりすることもあります。本来なら、鉱石ラジオではアンテナのことを空中線とするのがふさわしいのかもしれません。

なぜかというと、鉱石ラジオができたころ、イギリスにいたマルコーニが大西洋横断の無線通信に初めて成功した実験で、 150mの高さにあげた凧から垂らした針金で電波をキャッチしました。それでイギリスでは今でもエアリアルearialと言っていて、空中線はその訳語だからです。

アメリカでは比較的早くから真空管式ラジオが発達し、感度がよいのであまり大きくない空中線でも聞こえるため室内アンテナが開発され、可般性のものが大半であったため、そこからアンテナantenna(昆虫などの触角)と言うようになったようです。

室内アンテナのいろいろ

電波と空中線

電気力線の向き

電波をキャッチするのも空中線ですが、電波を送信機から放出するのも空中線です。ではいったいどのようにして電波は空中線から放出されるのでしょう。

同調回路のところでお話ししたように、コンデンサーの両端に直流の電圧をかけると(+)から(ー )のほうへ電気力線が発生します。

もう一度くり返しますと、電気力線は図に書いたような線として実際に存在しているわけではなく一種のたとえのようなものですが、低い電圧ではその数は少なく、電圧が高くなると数も増え電圧の向きを変えると電気力線も向きを変えると考えます。

ですからもしこのコンデンサーに交流の電圧をかけると、電気力線も増えたり減ったり、逆向きになったりするわけです。

またこのコンデンサーの極板の距離を少しずつ離してゆくと、電気力線はそのお互いの反発力によって、(+)から(― )へはゴムの線のように引き合いながらも横のほうへと広がって、徐々に膨らんでゆくのです。

このように直流の電圧の場合は、横にいくら膨らんでいても電気力線はそのままを保っていますが、ここに交流の電圧をかけるとちょっとおもしろい現象が起こると考えられています。低い周波数のときにはそれでも電気力線は少々膨らみながらもせわしくその方向を変え、増えたり減ったりしているのですが、周波数が高くなるにつれ、大きく膨らんだ電気力線は、中のほうへ戻ることができなくなりはじめあとからあとから、まるで押し出されてゆくように順々に外のほうへと飛び出すようになってゆくのです。それがいったいどのように行われているか、本来、人間の時間系ではおよそ想像することは不可能に思えます。そこで1秒に30万km(正確には299.792.458m)を移動する電波を1秒に1cmくらいの速度にみたてて、もし目で見ることができれば信じられないほどあるはずの電気力線のうち1本だけに注目して説明したいと思います。もちろんこれはあくまでも仮定であって、電磁波の現象を理解するうえでの便宜上の説明であり、未米においてはまったく別の方法でもっとうまく説明できるかもしれません。

①電圧がコンデンサーに全然かかっていないと、電荷は中和しているようなもので、電気力線も発生していません。
②電圧がかかりはじめ、電気力線が発生し、外側が膨らみはじめます。
③さらに電圧がかかるピークを超え、電気力線は少しずつ縮まろうとします。
④電圧の極性が変わり、新たな向きの電気力線が発生します。
⑤内側からの電気力線の圧力で、外側の電気力線も縮よりきれなくなります。
⑥電圧がゼロになって電気力線は切り離されます。
⑦2つの電気力線はつながり、輪のようになります。
⑧内側からさらに発生した圧力によって外側に押し出されます。
⑨完全に電荷から切り離された状態。
⑩連続して電気力線が出ている状態。
⑪実際にはその一つ一つの膨らみに、たくさんの電気力線が東になっていると考えられます。
⑫ちょうど真ん中のあたりに注目して卜下をカットすると、一種の疎密波になっています。
⑬このエネルギーの変化を電圧に置き換えると電波の波が見えてきます。

電波の発射

上の図はコンデンサーの電荷の間で電気力線が発生するようすと、電圧の変化(電圧や方向)を示してあります。おそらくこのようにして、電波は空間に飛び出してゆくと考えられます。低い周波数では電気力線はコンデンサーに戻ってしまい、ある程度高い周波数にならないと電波にはなりにくいということです。そのようなわけで電波の出力をする空中線やアンテナはまさに一種のコンデンサーであると言えるのです。

 

コンデンサーからアンテナヘ

よりよく電波を出す工夫

実際の空中線はコンデンサーの格好をしているわけではなく、もっと電波の出やすいように工夫されています。どのように工夫しているかというと、図の(A)→ (B)→ (C)というように、片方にどんどん開いてゆくとそれだけ電波は出やすくなり、(D)180° に開ききると導体の反対から同距離になるのでさらに出やすくなります。(E)はその一端を大地に接してしまうと、大地は良導体と考えられるので、まるで片方の一端を地中深くに埋めたような効果をもちます。この機構こそが大地(アース)を用いるという考え方で、空中線回路のもうひとつの重要なポイントとなるのです。アースを使う考え方はマルコーニが考案したもので、彼の発明のなかで最も大事なものとも言われています。そこで昔はこのような空中線機構(片方を接地したもの)を、マルコーニエアリアル(マルコーニアンテナ)と呼んでいました。

音声を電波にのせる

振幅変調

マイクから入った音やあらかじめ録音されていた音声などの低周波信号は、いったん増幅され、発振器から出て増幅された高周波の電流と変調器によって合成されます。単純にまぜるだけだと(C)のようになってしまい、(D)のような変調波型にはなってくれません(ここでは変調器の変調理論の説明は省きます)。

この複雑な変調器によって、人の声などの低い周波数の音声信号は、高周波の搬送波carrier waveとともにさらに増幅されて、音声の成分を含んだ電波として空間に飛び立ってゆくのです。

変調とは
FM( frequency modulation)周波数変調・音声電流の波形によって搬送波の周波数を変化させる方式。・搬送波周波数76~ 90MHz(メガヘルツ) AM(amplitude modulation)振幅変調・音声電流の波形によって搬送波の振幅を変化させる方式。・搬送波周波数531~ 16112kHz(キロヘルツ) A ,音声信号 ・B, 搬送波(キャリア)・C ,AとBがまざった波形 ・D, AがBによって変調された波形

 

国内の―般放送の開始(中波による)

アメリカのピッツバークのKDKA局が1920年、 イギリスのロンドンBBC局が1923年、日本の東京のJOAK局が1925年等々、世界のあちこちで国内に向けての一般放送が始まります。これらの放送に使われているのは、中波の周波数の電波です。それまでの経験から、お互いが送受信をするわけでもなくまた国内という限られた範囲での一般向けの放送なので、巨大な設備の必要な長波や遠方まで通信するための短波ではなく、中波の周波数帯が選ばれたわけです。

東京放送局では大正14年3月1日日曜日、芝浦の東京高等工芸学校(現都立大学工学部)の図書館の中に設けたスタジオからその第一声を発しました。「アー、アー、アー、よく聞こえますか?」午前9時半、海軍軍楽隊の行進曲の演奏が始まり、人々はまだ珍しい受信機の前にむらがって耳を傾けていて、その声が聞こえたときには「聞こえた、聞こえた!」と感動のあまり泣きだす人もいたほどでした。この試験放送は成功して、3月22日の仮放送に続き、 7月12日には本放送が開始されたのです。

JOAKの本放送が始まった大正14年当時のヘッドフォン付き鉱石ラジオ。

電界強度

感覚的にも感じるように、電波は距離が遠くになるにつれてだんだんと弱くなります。それは、アンテナからの距離の2乗に反比例していて、たとえば距離が2倍なら1/4、5倍なら1/25というように弱くなるのです。この電波の強さのことを電界強度と言います。もっとも、この減衰率も理想的な状態のときのもので、実際には山や森、高い建物などが電波の伝わるのを邪魔してしまうので、さらに弱くなるのです。これは減衰定数とも言われ、この定数が大きいほど減衰ははなはだしくなります。やはり、でこぼこしている山岳地ではとでも大きくて、森や建物の多いところ→少ないところ→平らな土地→海という順で小さくなります。この電界強度は〔V/m〕という単位で表され、有効な高さ1mのアンテナに1Vの電圧が誘起された場合、 1V/mということになりますが、実際このようなことがあれば怖くて外も歩けないでしょう。通常はこの1000分の1の〔mV/m〕あるいは100万分の1の〔μV/m〕を使用します。

電波の伝わり方

ヘルツが実験で火花のスパークによって電波を発見したころ、その周波数は今でいう短波帯に属するものでした。ところがこれでは電波はどんどん上空に飛んでいってしまい、地球のように円い地面のところでは遠方の地域へは届かないと考えられ、外のほうへ逃げずに地表に沿って進む電波(地上波)が初期の電信事業では開発されていました。短波のように空間に広がる空間波の性質を持つものより長い波長のものほど、地面に広がる性質があって、その地表波の代表が長波です。

ところが通信に長波を使うと、その長い波長に合わせた空中線、同調回路がみな巨人になりますし、先ほどの電界強度の減衰率がとでも大きくて、遠方への通信には莫大なエネルギーを必要としてしまうのです。しかも長波の周波数が低いので、搬送波として用いた場合にどうしてもそれに乗せることのできる音声の帯域は短波のように広くとれないのでした。そのような理由から、ラジオ放送が中波を用いて開始されたと考えられます。

波長と周波数

先ほどから何度も出てくる波長と周波数ということについて、ちょっとまとめておこうと思います。まず周波数というのは交流の電流あるいは電磁波などの交番する周期が、 1秒間に何回あるかを示したものです。 1周期は、交番波形の山から次の山まで、もしくは谷から次の谷まで、 というように同じ向きでもう 1度同じ場所まで戻ってくる間の部分を言います。

この波形の1周期分が1秒間に1回くれば、その周期は1 Hz(ヘルツ)であると言います。たとえば、 1秒間にその周期が50回あれば50Hzで、これは東日本の家庭のコンセントなどに来ている100Vの交流の周波数です。そしてぼくたちの声のような音声を低周波、電波などを高周波と言って、だいたい20 kHz(キロヘルツ)くらいを境にして感覚的に分けています。

電波法などでは30 kHz以上を高周波、 100 kHz以上を無線(ラジオ)周波数などと言っています。

鉱石式送信機

ケネリー・ヘヴィサイド層(電離層)の発見

アンテナやアースのいろいろ

 

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

*この内容から想起するアンテナやアースを使用した小林健二作品を紹介します。

健二式鉱石受信機

KENJI KOBAYASHI

 

 

ケネリー・ヘヴィサイド層

ケネリー・ヘヴィサイド層(電離層)の発見

電波(電磁波)は、本来、光の仲間ですが、周波数が高くなればなるほど、さらに光の持っている性質に近づいてゆきます。ですから短波は光のように直進する性質が強く、長波のように地表に沿って進んではくれず、地球の球面の陰になってしまうところまでは届かないと考えられていました。しかし1901年から1902年におけるマルコーニの大西洋横断無線電信の一連の実験で、イギリス・カナダ間という直進するだけでは届くはずのない位置にある場所どうしの通信が行われ、人々を不思議がらせます。この実験結果に興味を持ったイギリスのヘヴィサイドOliverHEVISIDE(1850-1925)とアメリカのケネリーArthur Edwin KENELLY (1861-1939)は、それぞれほぼ同時期に上空の大気中に電波を反射する何かが存在すると推論するようになりました。

やがて1924年、イギリスのアップルトンなどによって、この電波を反射する層は上空85 kmに存在することが確認され、ケネリー・ヘヴィサイド・レイヤー(K・H層)と呼ばれるようになります。

電波が電離層で屈折し地表で反射する様子(これらの層の区別は必らずしも確定的なものではありません)
1,昼の長波 D層は夜には消滅するため、夜間はE居で屈折し地上に戻るが、長波の空間波はとでも弱い 2,中波 E層で屈折する 3,短波 F層で屈折する 4,超短波 F層もつきぬけ、はるか字宙へと飛んで行く
D層 60~90km(夜間は消滅する E層 約100km F層 200 ~ 400km(昼間はFlとF2の2層に分かれ厚くなる) 昼間は厚くなり活動が激しくとでも乱れている。夜は薄くなり静かで安定している。 G層 600~ 1000km とても上層で稀薄 ES層 スポラディックE層 ときどき発生する突発的 (スポラディック)なもので、E層の距離と密度を持つ

このK・H層は電離層(ionized layer)のことで、太陽からの紫外線やX線が、地球上空にある大気の稀薄なところに当たって、気体原子が電子を放出してイオンとなり、そのイオンの電子は自由電子として空間に飛び回り、やがでまたイオンにとらえられ、中和して消えますが、このようなことを次々と繰り返している場所と考えられます。ここに短波・中波などの電波が当たると、その内部で連続的に屈折することでまるで反射をするように地上に戻り、ふたたび地上で反射され、これを繰り返して地球の裏側までも達することが確認されると、短波通信は飛躍的に発展していきました。

この電離層は太陽から来るX線や紫外線の影響によって起こるものですから、昼間と夜間では状態が同じではありません。またその屈折や反射のぐあいは春夏秋冬によっても異なってきます。そして電離層の発生のさかんな昼間はちょうど沸騰したお湯の表面のように乱れていて、屈折や反射が安定しないので、短波の放送が聞こえにくくなることもよく起こります。ですから、夜になると遠方からの放送に耳を傾ける受信者たちも多かったのです。

そんなわけで、せっかく地球の裏側まで届くというすぐれた性質が認められてもかえって今度は近距離の聴取がしづらいというようなことも起きてきます。

また、スキップ距離skip distanceといって、地表波の減衰の大きい短波にとって、 上昇した空間波が電離層から戻ってくる間の地域では、空間波もともに弱かったり、もしくはそれらが互いに干渉し合って電波にうねりのように強弱がついて、非常に聴取しづらいフェージングという現象が起こったりします。この干渉は空間波と地表波の強度が等しいとき、最も激しく起こってしまいます。これを近距離フェージングと言います。また、通路の異なる空間波どうしの干渉によるものを遠距離フェージングと言います。これらの現象の度合や発生する地域は、季節、時間、周波などによって変化し、一定ではないので厄介なものです。このフェージング現象のような受信障害から免れる対策として、遠方の船舶などへの通信を短波によって行なうときは、場所によってお互いの送受信する周波数を申し合せてよく聞こえるように変えたりするわけです。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

*この内容から想起する不思議な小林健二作品を紹介します。

[SPASESCOPE-スペーススコープ]小林健二

スペーススコープを調整するのは、少々骨が折れる。試体となるべき物質の質や量によって、その内部に出現する宇宙の構造が変わってしまうからだ。しかし、その後で巡り会える薔薇色や菫色の昴を思うと、時間を忘れる。ぼくは、その上部の接眼鏡から覗き込む。暗箱の中で、形を変えながらゆっくり回転する宇宙に視準を合わせると、手元のレバーで選んだ星に注意深く細い針を接地する。電位を等しくした後、同調ノブで、「今日のお相手」を探し始める。やがてかすかに雑音に混じりながら星の歌が遠い過去の放送電波に乗って聞こえ始める。絶え間なく何かを発信しているその源に、ぼくのこころは導かれて行く。机の上のこの小さな箱には、もはや相対的な距離など存在していないのだ。

明け方まで研究に耽った後、すでに電源が切られているはずのスペーススコープをふっと見ると、結晶鏡のメーターがホタルのようにまだ光っていた。

スペーススコープの接眼鏡から覗いた景色。(小林健二作品より)

KENJI KOBAYASHI

 

 

鉱石の結晶を通して遠方の出来事が聞こえてくる

幻のような「鉱石ラジオ」、しかし、現代のテクノロジーの「きっかけ」でもあります。

「ほんと、あれって不思議でおもしろい」と、いつのまにか自分が「鉱石ラジオ」の宣伝マンになっているような気がする。ぼくにとって鉱石ラジオとは、そういう存在です。客観的に捉えていても、素直にほめることができる対象です。

鉱石ラジオとは、回路の一部に鉱物の結晶を用いた受信機(crystal set:結晶受信機)のこと。電池などの電源を必要とせずに、空間に満ちている電波というエネルギーを鉱石の力で感じ取って作動します。20世紀初頭(日本では大正時代の終わり頃)に現れ、我々の生活に定着する間も無く、まるで幻のであったかのように忘れ去られていきました。しかし、現代のテクノロジーを支えるICや半導体のきっかけとなったのも、実は鉱石検波器だった。そう言っても過言ではないと、ぼくは思っています。

鉱石ラジオの検波部は、鉱石に針を当てて電波の流れの中から音声の成分をより分けるというものですが、それがやがてダイオードを構想するきっかけとなり、トランジスターの開発へと繋がっていきます。ところが、そんな鉱石ラジオでも、今となってはほとんど現物に出会うことができません。

英国ブラウニーワイヤレスカンパニー社製の鉱石受信機。1920年もので、BBCマークが入っている。
小林健二「ぼくらの鉱石ラジオ」より

誰もが工作を楽しめるように、ぼくなりの方法で解説してみました。

『ぼくらの鉱石ラジオ』と題した本には、実際に欧米や日本で作られた製品の姿を紹介しつつ、自作のラジオを交えて読者がそれぞれ工作できるように方法を紹介しています。

小林健二「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」

小林健二「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」工作編

銀成硝子検波器(小林健二の自作検波器)
金属の蒸着メッキにより作られるハーフミラーを用いた検波器。銀色にまたは半透明へと移行する質感が美しい。検波できるものは我々の身近にいろいろある。

また、歴史や回路の原理研究編を設けているというのも、この本の特徴です。

例えば、受信の際に同調回路がないと、放送局を選択することができません。そこでコイルとコンデンサーによって同調回路を作る。しかしなぜ、コイルとコンデンサーにより同調し、局を選択する回路ができルノか、・・・こういうことを調べようと思うと、工学の専門書に当たらなければならなくなります。結局、ぼくは文字よりも数字の方が多いような電子工学の本を読むことになりました。読みながら、少しづつ実験していくと、今度は、もっと平易な言葉に置き換えてみたいと思い始めたのです。

もちろん、今思えば、全く見当がつかない世界ではありませんでしたが、この工作編には予想以上に時間がかかってしまいました。

よく鉱石ラジオだと思われているゲルマラジオ(検波回路に鉱物の代わりにゲルマニュームダイオードを使う)については、このぼくも工作体験者でした。ただし、細かな作業がそれほど得意ではなかったし、デンキ屋(実家)のケンちゃんとしては、「ラジオは鳴って当たり前、鳴らなければ修理に出す」という感じで、学校の授業時間でもあまり真面目に作らなかった。そんなこんなで、中学へ入ってからはサッカーに明け暮れたという次第です。

少し遠回りをしたものの、20代になって意外にも音楽の趣味から鉱石ラジオへの道が再び開けてきました。バンド仲間とエフェクター(音質等に変化を与える電子機器)を作ろうと、秋葉原の電子パーツ売り場へ。やがて失敗しながらも、連日の秋葉原参りが続くうち、ついに電気の虜になっていきました。こうした体験を手掛かりに、今回の本について書くことができたのだと思います。

初心者にもわかりやすいようにと、結構苦労して書いた工作編は、ぼくが本当に伝えたいことへの、何らかのきっかけになっているような、そんな気がしています。

 

鉱石標本式受信機(小林健二の自作鉱石ラジオ)
検波できる鉱石を探しつつ思いついた標本箱タイプの鉱石ラジオ。タンタルの金属針を鉱物に触れさせていくと、検波できるものとできない鉱物があることがわかる。

超小型実験室型鉱石受信機(小林健二の自作鉱石ラジオ)
鉱石ラジオを設計したり実験するために必要な部品や教材が組み込まれた、待ち運び可能な小さな実験室。

超小型実験室型鉱石受信機(小林健二の自作鉱石ラジオ)
フロントパネルをはずして中に入っているものを出した時の様子。

超小型実験室型鉱石受信機(小林健二の自作鉱石ラジオ)
引き出しには実験用の鉱物各種。

この世の不思議を体験するため「趣味の時間」のすすめ。

どんなに忙しい人も、ぜひ「趣味の時間」と言える一時を持って欲しい。そして工作する楽しみを知ってもらいたい。取り組んで見れば、誰にもできるんだということを体験して欲しいです。

写真や図を見ながら、擬似的に工作を体験するだけでもいいのかもしれません。それでも、結構くつろいでもらえるはずです。

聞こえるはずのないと思えるものが、聞こえてくる不思議。放送が始まる当初は、本当に「デンパ」などがこの空中を飛んでいるのか、一般の人にとっては不思議極まりないものでした。通信関係の人でも、説明するのは難しかったのかもしれません。また当時は、ラジオはたいそう高価なもので、おまけに聴取料がバカ高い。今の一般家庭に例えてみると、一軒で数万円も払う計算になります。鉱石ラジオは材料さえ手に入るなら、それぞれ工夫して自作できます。その自作のラジオから実際に放送が聞こえて来れば、得をした気分だろうし、それ以上に、すごい感動があったはずです。聞こえるはずのない遠くの声や音が、鉱物というごくありふれて見えるものによって聞こえてくる!

実際に聞いた人たちは、日常の中に何か目に見えない神秘があるのだと感じたのではないでしょうか。

本来の「通信するこころ」を感じるために、目を向けたいものがあります。

本来、通信事業というのは、そのままでは届くはずもない遠くの人に、できるだけ早く言葉や思いを届けたいという純真な心に始まりました。ところが政治や経済に取り込まれるとともに、巨大化していったのです。そして現代においては、便利とうたわれる通信ネットワークという情報の海の中に「孤独の部屋の住人」を生み出し始めているようです。

鉱石ラジオを作ることは、遠くの声をもう一度手元に取り戻し、確信しようとする手段でもあると思います。それは人によっては、果てしない宇宙とか、限りある人生の意味を考えるための、深く尽きない材料を提供してくれるでしょう。とても他愛なく、世の中の確固たる力に比べれば、希薄で壊れやすくもある一つの受信機ですが、そういうものこそ、現在のぼくたちが目を向けるべき大切なこのの一つではないのかと思います。

スピーカーから聞こえてくるはずの音が、ある時聞こえなくなったら、耳を近づけ、ラジオの具合をうかがうでしょう。正常な状態に戻るには、自分は何をすれば良いのか、どうすれば役立てるのか考える。そういう係りの象徴として、鉱石ラジオのことを考えて見てください。こちらが作用しなければ聞こえない。だけど、こちらが係わっていけば、しっかり応えてくれます。

いつか縁あって、あなたが鉱石ラジオに出会うことがあったら、そしてその手にエナメル線やハンダゴテが握られるようになると、次はきっと、今度なぜ電磁波は存在し、また電気とは一体なんなのかを考えるようになるかもしれません。

宇宙の神秘に邂逅する、そのための何らかのきっかけとなることを願って、ぼくは「鉱石ラジオ」のことを多くの人に知ってもらいたく本を書きました。

小林健二

*1998年のメディア掲載記事より抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

*この記事から想起した小林健二作品を二点紹介してみます。

 

「MUSIC IN MIND」小林健二
混合技法 mixed media 135X150X100mm 
(鉛色の箱に耳をあてると、かすかにオルゴールのような不思議な音楽が聞こえてくる)

「WIND OF MIND」小林健二
混合技法 mixed media 440X260X200mm
(上部のラッパ状の部分に耳をあてると、かすかに彼自作のオルゴールのような曲が聞こえてくる)

KENJI KOBAYASHI

小林健二インタビュー記事

ーものを作るとか描くことに、いつ頃から、どのような形で関心を持ったのでしょう?

「ぼくは子供の時に対人恐怖症で、ひどくあがり症だった。自分の気持ちをうまく人に喋って伝えることができなかったけれど、絵を描いている時には開放感があって気持ちが楽になったんだ。」

*小林健二の13歳違いの兄は、当時カメラマン志望で、時々幼い健二がモデルになったようです。残存する写真から2枚選びました。(写真:小林直紀)

ー天文とか科学に対する興味も、同じ頃に培われていたと思うんですが、家庭環境とか出会いのようなものがあるんでしょうか?

「いろいろ思いかえしてみたけれど、それは単なる気質なんじゃないかな。本当にもの心ついたときから科学博物館に行くのが好きだったし、虫や星や植物を見たり、石を拾ったりとかね。科学博物館には恐竜の部屋以外に鉱物の部屋もあった。そこで見る一連のものが興味の対象になっていったんだと思う。」

*小林健二が通っていた頃の国立上野科学博物館の外観画像です。

ー小学校の図画工作の時間は、どんな感じで過ごしていましたか?

「小学校の時は作るものを何か理由をつけて怪獣にしちゃったりするんで、子供ながらに先生にはごめんなさいという気持ちがあったんだけど、小学校の美術の先生も中学の時の先生も共に女性で、ぼくの描きたいものを抑えないで好きなように描かせてくれたと思う。それは今もいい思い出としてあるよ。それから小学校の時の先生は、銀座には絵を飾ってあるところがたくさんあるから一度行ってみようとと言って、日曜日にバスで案内してくれた。そんなとき好きなことを絵に描いてもいいんだ、という気持ちになったと思う。」

ー小中学校の段階で、もし先生がそういう対応をしてくれる人じゃなかったら、ちょっと変わっていたかもしれないですね。

「そうでなかったことを想像するのは難しいけど、ぼくみたいなものでも絵を描いたりすることによって人とのコミュニケーションが可能になるんだと信じさせてくれたことはあると思う。子供の時に自分が自由でいられたというのは大きいと思うね。」

ー美術の世界に接触するまでの話をもう少し聞きたいのですが。

「いつも絵を描いたりするようになって、ぼくが描きたいのは日常的な景色じゃないということを自分なりには感じていた。昔から、絵でも抽象的に見えるような作品を作っているんだけれども、ただ造形的な意味での抽象というよりは、すでに心のなかで抽象的にしか表現できない題材が多かったような気がする。

それはぼくは音楽が好きで、曲を作ったり、友達とバンドをやったりしていた。そして音に変化を与えるエフェクターを作りたいとも思っていた。当時、高くて買えなかったからね(笑)。そんなことが電気工作と出会うことになったりもしたんだ。」

*電子工作をする小林健二

ーでは、音楽に関してはかなり熱心だった。

「それは音楽が好きな普通の高校生や中学生と変わらないんじゃないかな。でも実家がレコード屋の関係だったからレコードがすごく安く買えた。ギターを弾くのが好きだったから、例えばジャフ・ベックをコピーしたり。今はあまり指が動かないと思うけど。あとはイエスやピンク・フロイドやP.F.M.、キングクリムゾンとか。ピート・シンフィールドの詩が好きだった。

ただ、自分で作る曲はミニマルな曲が多くて、サウンドとして広がりのあるものが好きだった。その頃は、みんなが言うように自分が絵を描くときの意識やヴィジョンと、音楽に感じてたり詩などから感じる世界とは分離していたように思っていたけど、やっぱりぼくにはだんだんそれらを隔てられなくなっていったんだ。」

*自作の曲 suite ” Crystal”と小林健二結晶作品とのコラボ動画です。

CRYSTAL-ELEMENTS from Kenji Channel on Vimeo.

ー私は最初の個展を知らないんです。

「最初の個展は、1984年で『UTENA』というものだった。その展覧会では、紙を漉いた立体的な作品に、自作の音楽をバックに流した・・・。トータルな環境を設定したいという気持ちがあってね。」

*小林健二初めての個展「UTENA」で展示された作品。 自漉紙、混合技法。

ーそれは今も変わってないですね。むしろスケールがどんどん大きくなってきている。

「ぼくは自分のペースで仕事をしたいという意識があって・・・。人からは、どんどん拡大して美術の業界にも積極的にかかわって大きいスペースで大きい作品を作っていったらいいのにと言われることも多いけれど、ぼくの場合、巨大なスケールの環境も、逆に小さいものを自発的に覗き込むというスケールも、共に両方のプロセスが大事なんだ。だから、大きくても小さくてもやりたいことがあると思う。」

小林健二個展『黄泉への誓(ウケヒ)』1990 Gallery FACE

小林健二が子供の頃から魅かれていた神話の中でも古事記や上記(ウエツフミ)に題材を求めた展覧会。数多くの作品が発表されたがそれらは個々のエレメントに対応して、全体的に一つのテーマを構築している。

水戸芸術館『BEYOND THE MANIFESTOー美術とメッセージ』展より
小林健二の展示「You are not alone」

 

水戸芸術館の展覧会『BEYOND THE MANIFESTOー美術とメッセージ』展におけるインスタレーション。旧約聖書の『ヨブ記』をテーマにした。小林はヨブ記の中に描かれている神は時折理不尽なほどに人間に対する不信から、人々を試しているように感じるという。また神にすら葬ることのできない陸と海の怪物(ビヒーモスとリバイアサン)は、共にいつの間にか死に近づいていく現代の天然の姿を暗示している。

ー見る側の立場から言うと、大空間で出会った作品が、必ずしもインパクトが強いと言うことは全くないですからね。

「そうだね。そして空間だけでなく、素材にしても適材適所があると思う。鉛やガラス、紙や絵の具などに対しても、場合に応じて扱い方や接し方が違ってくるし、工具やプロセスも違ってくる。

そして、それぞれの素材が持っている特性や魅力があるよね。でも大事なことはフィジカルな技術の問題じゃなくて、心の中にあるものと素材を結びつける方法というか・・・。イメージにいかに近づけていけるか、嘘をつかないで素直に表現していけるかという上でとても重要なことだと思う。でも技術が先行して表現が成り立つということはありえないんじゃないかな。表現力は一種の技術ではあるとは思うけど。」

ー小林さんのように多くの素材を自分の中で咀嚼し、作品として形成するアーティストは非常に珍しいですね。しかし真鍮を使っている人の場合でも、何が真鍮をその人に選ばせたかというと、紛れもない観念だったりするわけです。

「そうかも知れないね。ぼくのいう技術というのは、音楽なら音楽に対する上での表現力としてであり、それは楽器を弾くことについてだけではなくて、音楽を感じる感性でもある。例えば紙を切らせたら達人という意味の手わざとしての問題じゃなくて、あくまでもどうやって心の中にある目に見えないものを引っ張り出そうかという気持ちから生まれてくるもの。そのプロセスがとても大切だと思う。どれが今の自分の求める方向に一番ふさわしいかということだよね。だから木を彫らせたら彼だとか鉄を使わせたら彼だという意味での技術は、ぼくはあまり持ち合わせていない。」

ーでも先人の技術や知恵に対する尊敬の念はいつもあって、自分でも自覚している部分があるわけでしょう。

「『職人』という言葉の本来の意味は単なる技術だけじゃなくて、思考とか生き方とか、その人自身が持っている許容量とか、色々なものが関係してくる。それに対して、同じようなことだけをただ機械的に繰り返すという意味での職人のファクターが、今は必要以上に拡大されているような気がするけど。」

ーそれはアーティストにも言えますね。

「イメージよりも先に決まったスタイルを自分で作って、ただそれをやっていく場合はね。まさにルーティンワークになってしまうからね。だって馴れてくるんだから。どんな表現方法だって、最初にやった時の緊張感はだんだん薄れていくよね。表現者としては、緊張感がだんだん薄れて穏やかな状態で制作するということでは安定してるけど。自分らしい表現を取り入れていこうとするときに、誰だってそう最初からすぐにできないわけだよね。考えることも必要になるし、色々試みなきゃいけない。ところが、その熱意をずっと維持させるのは、自分にどうしてもその表現が必要だと感じる意識な訳でしょう。でなかったら、あえてそんな表現を取らなくたっていいんだものね。

自分が持っている技術やスタイルだけを行使し、自分の砦を作っていこうとすると、多かれすくなかれ、排他的になったり、自分の砦を守るためにやらなきゃいけないことが出てくると思う。それが成功すると一つの権威になっていくんだろうけどね・・・。ぼくは一人の表現者でしかないし、ある種の霊媒のようなもんだから、自分は一体何をしたいんだろうということを探しているのかもしれない。」

*道具好きでも知られる小林健二。骨董市などでは道具の店に集中的に目がいく。作業中での散策なのか手には絵の具がついたままです。

ーずっと探しているのですね。

「おそらく・・・。ぼくが作品を作るということは何かを探すことだと思う。物質を扱う以上どうしても技術は必要になってくる。だけど目に見えない部分を感じ取れる作品であることがぼくにとって大事で、例えば一本の木でも、風景でも、それは魂を乗せる船みたいなものなんだ。「仏つくって魂入れず」という言葉があるけど、大切なことは、形としてはなかなか表現しずらもの、目に見えないものを表現すること。当たり前のことなんだけど、コミュニケーションをするための一つの発露、それに音楽とか絵を描くという行為が連なっているんじゃないかな。だから絵描きとして描くという行為の上に美術というものが成り立っているんじゃなくて、すごく根の深いところで、人間が生きるためのコミュニケーションのための一つの手段が、絵を描いたり歌を歌ったりすることなんじゃないかな。」

*小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」

ーここしばらく本の執筆もあって、あまり個展を開催されていませんね。

「作品は作っているんだけど、ひそひそとやるのが好きなんです(笑)。正直、それがぼくの問題だと思う、良くも悪くも(笑)。・・・」

 

 

『夜と息』1986年より「見えない展覧会」として秘かに執り行われた活動の一端をテーマにしたもの。その内容は詩集のような形で著した「みづいろ」に詳しい。

*小林健二著「みづいろ」より『夜と息』の頁。この後にも何ページか続いています。以下抜粋
ここの処何年か、眠れぬ夜などに募(おも)いが募り、いつかこの寂寥感を解放して行かなければ身も心も窶れてしまう。その法を行うについて、不当とは知りながらも、時期(とき)は今成り、と思い試みる。・・・

*2016年6月にトークと合わせてミニライブが行われ、その時の画像です。

“Erbium” written and vocal+guitar by Kenji Kobayashi from Kenji Channel on Vimeo.

 

*1998年のメディア掲載記事より編集抜粋しており、画像は新たに付加、キャプション*印部分はこちらで記しています。長い記事のため今回は前編とし、近日中に後編をアップ予定でいます。

KENJI KOBAYASHI

鉱石検波器の作動理論

コメットゲルマラヂオ
これはツマミを動かすと中の彗星が動く小さな受信機です。もしあわただしくゲルマラジオの時代が過ぎ去っていかなければ、ブリキのおもちゃの一つとしてこのようなロボット風のラジオも作られたのではないかと思い、作ってみました。

鉱石検波器がどうして作動するのか、当時においていくつか提唱された原理はありましたが、ほとんど解明にいたったものはありませんでした。

ニュートンが万有引力説を提唱する前から、人々は高い方から低い方へとものが落ちることを知っていたように、鉱石検波器の作動理論が不確定であっても、実験的に確かめられた結果から、いろいろな鉱石検波器が作られ、改善されてゆきました。

現在、鉱石検波器の作動のしくみを最も合理的に説明するとなると、やはりゲルマラジオに使われていたダイオードの作動のしくみで説明するのがいちばん近くわかりやすいと思えるので、そのゲルマニウムダイオードについて説明してみたいと思います。

[ゲルマニウムダイオード]

ダイオードdiodeという言葉は真空管時代のなごりで、2極管(整流管)の意味であり、 トライオードtriode(3極管)、テトロードtetrode(4極管)、ペントードpentode(5極管)というように、数列の言葉とオードode(道路)という言葉の合成語です。

画像のうち、下の2本は現行のゲルマニウムダイオード、 下から5本目はその上のものと同じでプラスチックのカラーをはずしたもの。

画像は米国シルヴァニア社製のlN34で、 1940年代のゲルマニウムダイオードの製品としては最も初期のもののひとつです(このlN34は(株)荻原電子製作所の荻原栄助氏より寄贈していただきました)。

天然のゲルマニウムは多くの天然物と同じように不純物を含んでいます。それらを人工的に精製して、イレブンナイン、つまり99.999999999%というようにほとんどゲルマニウムだけと言えるような高純度のものにします。それはダイオードなどに使われる2種類の半導体は、あとから入れる不純物によってその特性を発揮すzるので、元となる元素にすでに色づけがされていると具合いが悪いからです。高度に精製されたほとんど不純物のないゲルマニウムだけの状態を真性ゲルマニウムと呼びます。

ダイオードの記号
ダイオードでは三角の形が示す方向がそのまま順方向となる

ゲルマニウムは図のような原子構造をしていると考えられています。そしてその原子核のまわりには4層の電子がまわっていると考えられ、それぞれの電子は1層目に2個、2層目に8個、3層日に18個、4層目に4個というふうで、このいちばん外の電子の4個は互いに接する原子とかかわって安定な状態をつくっています。

ゲルマニウムの原子構造図

ゲルマニウム原子構造の省略図

真性ゲルマニウムの原子配列

真性ゲルマニウム

この状態では電気を通しても流れません。ですから半導体と言われていても絶縁物と変わらないのです。ところがこのゲルマニウムを熱してゆくと中の電子が少しずつ動きはじめて、電気もそれにつれて流れはじめるようになります。

普通、金属などでは超伝導体を液体ヘリウムで冷やしたりすることからもわかるように、温度が上昇してゆくと抵抗値は高くなってゆくのに、逆にゲルマニウムなどの半導体は抵抗値が下がるのです。

半導体は温度が上がると抵抗値が下がる
半導体があたためられると電子が飛び出し、そこが電子の空席のようになります。するとそこに電子がまた飛び込んで、そこにできた空席にまた次の電子が飛び込みす。そしてBから新たに電子を迎え入れることができます。この場合、電子はB→ Aの方向に動きますが、それとは反対に正孔(ホール)はA→ Bへと移っていきます。そしてそれは電流の方向と等しくなります。このようにして半導体はあたためられると抵抗が下がる性質があるのです。

これも半導体の特徴のひとつです。電気のよく流れる銅や銀などの金属は導体で、ガラスやベークライトなどは絶縁体だから、湿った木やニクロム線のような抵抗値は高いが電気は少し流れるといったものが半導体、というわけではないと言うことです。もっとも、半導体をダイオードとして使うときは、温度を調節しているのではなく、さきほどお話したように、純粋元素に近いゲルマニウムに他の物質を混入することで、電気的性質をもった半導体として生まれ変わるというわけです。

[ゲルマニウムについて]

ゲルマン鉱(germanite)

ゲルマニウムは炭素と硼素の族での最初の金属で、同族の非金属の珪素(シリコン)に似ています。原子番号32、原子量72.59、少し灰色っぽい金属光沢があって脆いものです。南アフリカのナミビアにあるツメブ鉱山などで産出するゲルマン鉱(germanite)に約6.2%ほど含まれます。ゲルマン鉱は等軸晶系の暗赤灰色の鉱物で、

硬度3~ 4、比重4.46~ 4.59、ところどころキラキラした金属色をしています。ゲルマニウムは融点が958℃ ±5℃ で、常温で安定していますが強く熱すると酸化します。

ゲルマニウムは本来第4層の電子は4個ですが、通常は回りからも4個の電子を借りるようにして8個の電子を持つかっこうで安定しています。

ですから普段は自由に動くことができる自由電子がないので、電気を通すことができません。ところが強い光に当たったり、少し暖められたりすると、そのエネルギーによって荷電子のうちいくつかはたたき出されたり、はじかれたりして自由電子と同じ状態へと変化します。そうすることによって、本来流れないはずの電流がわずかでも流れるようになります。

この性質こそが半導体独自の性質といわれています。またゲルマニウムは有機ゲルマニウムとして人体に対する医療として研究されたり、温度によって抵抗値が変化する特性に合わせたグルマニウム抵抗温度計などにも利用されています。

[予告された元素]

炭としての炭素や、鉄や金銀銅などのように日常的に出会う元素もありますし、実験室の中の超常的な状態で一瞬だけ存在する元素もあります。

人間はさまざまな経緯で天然の世界から元素をひとつひとつ発見して名前をつけてきました。しかし中にはちょっと面白い経緯で人間世界に発見された元素もあるのです。ゲルマニウムもそのひとつで、発見される前からすでにその存在が予言されていました。

その存在を予言したのは、元素周期率表の発明で有名なメンデレーフDmitrii lvanovich MENDELEEV(1834-1907)です。彼は自分が作った元素の周期律表から、Si(シリコン)の下段の部分などに、当時まだ発見されていない元素があってそれは隣接する元素の性質と多くの点で類似しているはずだと唱え、その元素をエカケイ素eka-siliconと名づけました。エカとはサンスクリット語で「そのすぐ次にくるnext in order of one」という意味で、周期律表中でシリコンの次に来るということを示していました。確かにこの2つの元素は半導体として現代には欠かすことのできない似た性質のあることは周知のとおりです。

彼は1869年(明治2)3月に「元素の性質と原子量について」という論文で周期律表を発表し、さらに2年後「元素の自然体系と未発見元素の性質を推定するための応用」という論文の中で、 3つの米発見元素を予言したのです。そして彼はその中で、「私があえてこの論文を発表したのは、いつかこの3つの元素のうち1つでも発見されることがあったときに、私が仮定し提起した元素の体系の正しさが証明できると思ってのことである」と語りました。

そしてそれから15年後の1886年、 ドイツのフライベルク鉱山学校の教授ウインクラーClemens A.WINKLERによって発見されたのがゲルマニウムです。

予言された3つの元素は彼の存命中にすべて発見され、彼の考えが確かなものとして世界に認められました。他の2つの元素のエカホウ素eka-boronはスカンジウムSc、エカアルミニウムeka-alminiumはガリウムGaとして発見されました。この3つの元素とも、発見者のルーツと関係の深いゲルマン、スカンジナヴィア、フランスの祖ガリアからその名を取っているのは面白いことです。

[ダイオードの構造と特性]

鉱石検波器ともっと構造が近いダイオードはあるのですが、ここでは通常一般的に説明しやすいように接合型のダイオードを取り上げてみました。

AからBには電気は流しやすいが、BからAには電気を流しにくい。これがダイオードの作用の特性ですが、このようなことはいったいどうして起こるのでしょう。

N型ゲルマニウム

・N型ゲルマニウム

これは真性ゲルマニウムに5価の元素の(つなぎ合う手が5本あるような)物質を少量加えて作ります。たとえば砒素、アンチモン、リンなどがそれで、4価の原子配列の中に入った5価の元素は、どうしても1個だけ価電子が結合しきれず、余るようなかっこうになってしまいます。この余った価電子が自由電子と同じふるまいをし、不安定な電子なので、温めたりしなくても移動しやすく、はじき出されやすくなるのです。

電子は本来(― )の電荷をもっていますから、このN型ゲルマニウムは(― )の電荷が多いので、negativeのNをとってN型ゲルマニウムと呼ばれます。また、この5価の元素たちは、ゲルマニウムに対して電子を与えたわけですから、 ドナーdonor(寄贈者、寄付者)と呼ばれます。

P型ゲルマニウム

・P型ゲルマニウム

これは真性ゲルマニウムに3価の元素(つなぎ合う手が3本ある)の物質をごく少量加えて作ります。たとえば、ガリウム、インジウム、アルミニウムなどで、この3価の元素が4価の元素の中に入ると、どうしても1個分電子の空席ができてしまいます。その部分を正孔(ホール)といいます。正孔は(+)の電荷をもっていて、いつでも自由電子がそこへ入ってくれば受け入れができるような空席を作っているのです。そしてまわりにある共有結合をしているものから電子を奪って、常にホールは埋まりつづけようとしているのです。そして、バトンタッチのように次から次へとホールが移動し、それが電流の方向となります。ですから電子の移動する方向と、電流の向きはちょうど反対になっているのです。この正孔をもつ型のゲルマニウムは(+)の電荷の正孔にゆえんしているのでpositiveのPをとってP型ゲルマニウムと呼ばれます。

また、この3価の元素たちは電子を受け入れるホールをもっているので、アクセプターacceptor(受諾者、受取人)と呼ばれています。

PN接合のはたらき

・P型とN型の接合

さきほどのN型とP型のゲルマニウムを接合させるとダイオードの構造になります。ちょうど図のAのようにダイオードの両端に電圧がかかってぃない状態では、P型の中の正孔も、N型の中の自由電子も、互いにおとなしく平衡状態を保っています。BのようにP側に(+)、N側に(― )の電圧がかかると、P側の正孔は(― )の電圧に引かれてN側へ、N側の電子は(+)の電圧に引かれてP側へ、それぞれの接合部を越えて移動していきます。

この正孔や電子の移動それ自身がまさに電流であったわけですから、電流はたやすく流れることになります。これを「順方向」あるいは「順方向に電圧をかける」と言います。

ところがCのようにP側に(― )、N側に(+)の電圧をかけると、P側の正孔は(― )に引かれ、N側の電子は(+)に引かれ、 ともに反対向きに引かれて、接合部には正孔も電子もなくなってしまいます。その結果、安定した絶縁体としてゲルマニウムの層ができてしまい、電流は流れなくなってしまうのです。これを「逆方向」あるいは「逆方向に電圧をかける」と言います。これがP・N接合の半導体素子であるダイオードのP→ Nは電流が流れるが、N→ Pでは電流は流れないという整流作用のしくみです。理想的なダイオードでは、順方向では抵抗値0(ゼロ)、逆方向では抵抗値∞ (無限大)ですが、実際はそこまでの値にはならず、それぞれいろいろな特性をもったものとなります。

初期のゲルマニウムダィォード
高級なものはセラミックによって守られていたが、ものによっては蝋紙などで包まれていた。そのため外側の湿気などから完全に半導体をすることができず、少々安定性に欠けていたが、 とでも高価だった。

最近のゲルマニウムダイオード
ガラスによって湿気や外気の酸化性のガスなどから内部の半導体のペレットを完全に守っている。十側をアノード(anode 陽極)、一側をカソード(cathode 陰極)と呼ぶ。

ゲルマニウムダイオード(IN34A)の静特性

ゲルマニウムダイオードとシリコンダイオードの順方向特性

理想的ダイオードの特性

[点接触型ゲルマニウムダイオード]

実際、鉱石ラジオに近いゲルマラジオの工作によく使われるのは、点接触型のゲルマニウムダイオードです。この形状はまさに鉱石検波器のキャットウィスカーそのもので、ダイオードでもトランジスターでも今日の半導体製品の源は、まさに鉱石検波器にあり、といった感じです。

小林健二自作の探り式(キャットウイスカー)鉱石検波器

この点接触型のダイオードがなぜ、説明に使った接合型のダイオードよリラジオの検波に適しているかというと、その接点の面積がとても小さいことがあげられます。接する面が大きいと、前にお話ししたように、対向する接合面がコンデンサーとしてはたらき、高周波電流がまわりからどんどん流れ込んでしまって、整流作用がうまくはかどらなくなってしまうことが考えられます。接合型のダイオードのほうが機械的にも安定して接合面も大きいので大きな電流でも流せるのですが、そんなわけで点接触型のダイオードが使われます。

また半導体といえばシリコン製品が有名ですが、ゲルマニウム製品のほうが中波の受信機に適しています。なぜかというと、シリコン製品は逆方向の耐圧や抵抗が高く特性もいいのですが、同時に順方向でもある程度抵抗が大きいので、ゲルマニウムダイオードのほうが感度がよくなるのです。

この点接触型ダイオードが最近の生産現場でどのように生産されているのかは正確にはわかりませんが、初期においてはN型ゲルマニウムの単結晶のペレット(小片)にタングステンなどの細い線の先端を当てて、極めて短時間に大電流を流して製作したようです。

この一連の作業をフォーミング(化成)といって、N型の結晶に一部小さなP型の領城をつくった対向面積の小さいP・N接合のダイオードということになります。

ですから、鉱石に針を立てたキャットウィスカータイプの鉱石検波器とは少々その作動のしくみが違っているのかもしれません。実際、高純度に精製されドナーやアクセプターによって調製された高精度なN型やP型の半導体と比べれば、方鉛鉱や黄鉄鉱にしても、結晶構造をもっていてとでも純粋な鉱物であるようでも、まわりの環境や成分によっても複雑に影響される天然鉱石ですから、まったく同じようなわけではないはずです。

ぼく自身は、 ドイツのショットキーWalter SCHOTTKY(1886-1976)が1938年に発表した「バリア(障壁)理論」の概念と、翌年に提唱した拡散整流理論に興味があります。後者は1947年にアメリカ合衆国のバーディーンJohn BARDEEN(1908-1991)によって矛盾点を指摘され、以後適用されることはありません。しかしその後の純粋半導体はともかく鉱石検波器は、このあたりの理論によって証明できるかもしれないと考えているのです。

前者のバリア概念を簡単に説明すると、これは半導体の表面にタングステンや金などの特定の金属(導体)を接触させると、この接触を取り囲む極めて小さな範囲で、キャリア(正孔や電子など)が少なくなる領城が電位のバリア(空乏層)として現れるというもので、さらにそこに電圧を印加すると、このバリアの部分の電位が下がって電流が流れ、電圧の方向が急に反転しても、すぐには反対方向に流れることができないというものです。

原理をうまく表現することは専門的な問題をクリアしないとできそうにもありませんが、いまや電気を実際に扱う現場において、鉱石検波器がどのような理論で作動していたのかということはもはやそれほど重要ではないと思えます。

でも見ているだけでも美しい結晶が、目に見えない世界でも作用していることを考えるととても興味深く、かならずしも工学的な側面ばかりではない、むしろ詩に通じる世界を与えてくれるかもしれません。そして、それこそが科学の精神ではないかとぼくは考えます。そこから好奇心の視野が広がってゆくことは楽しく、それがまたこの結晶検波器の魅力のひとつであるのは確かなことでしょう。

事実、鉱石検波器の構造が、ダイオードやトランジスターの発想や構造に強く影響を与えたのは周知のことです。そしてそれらはやがでICやVLSIにつながっていったわけです。現代の半導体を中心としたエレクトロニクス産業も、実は急速な発展や変貌の中でいつしか忘れられてしまった鉱物の神秘から始まったといって過言ではないでしょう。

全体的に透明感のある素材で仕上げた自作ラジオ(検波器はフォックストン型のゲルマニュームダイオード使用)

ゲルマニュームダイオードを使用した固定検波器

 

 

*関連した記事を参考までに下記します。

[鉱石式送信機]と[1930年当時の鉱石検波理論]

固定式検波器

 

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

KENJI KOBAYASHI

検波回路について

ー検波回路のはたらき

検波という言葉はあまり聞き慣れない言葉です。英語のdetectという言葉は「見つける」「発見、探知する」などの意で、「検波」というのは専門用語です。「検」という字は「調べる」という意味がありますから、「波を調べる」ということでしょうか。電信の初期には「現波器(げんぱき)」という語も使われていました。

検波回路は、同調回路によってふるいにかけられ選ばれた高周波電流から、次の音声回路によって耳に届く音に変えることのできる低周波信号audio signalを取り出す回路です。そしてこの検波回路に鉱石を使用するのが、まさに鉱石ラジオなのです。「検波detection」あるいは「検波器detector」という言葉の示す内容は、初期の火花放電、無線電信、無線電話などによって必ずしも一定ではありませんが、目に見えない電波を検出して人間に感じさせたり利用したりするうえで、 とても重要なところです。

鉱石検波器のいろいろ

小林健二自作鉱石検波器(従来の鉱石検波器と違い、形状や発想がユニークなので、画像を付加しました)
[天然系検波器]

まずは鉱石の形をそのままに検波器としたものです。ぼくは鉱石の色や形をなるべくそのままに、機能を持たせたいと考えていろいろ実験をしました。実験中はよいのですが、その感度のいい状態を継続して安定させるのはけっこう難しいものでした。

もちろんさぐり式検波器の場合、いかにして針を鉱石の敏感なところにいい接触状態といい圧力をもって安定しつづけるかがいつも問題になります。このようなむき出しの鉱石を使う検波器でいちばん問題となる点は、鉱石自身と導体部分の接点抵抗をいかに小さくし、またそこにコンデンサー成分をなるべく作らないかということです。とりあえずさぐり式の鉱石を固定する方法を用いてハンダで接触面を大きくしようとしても、大きな結品の標本の場合だとどうしても温度の高い状態を長くしないとならないので、その熱が鉱石の感度を下げてしまうらしいのです。

そこでぼくが思いついたのは低融点金属でした。この金属を使うとその熱の問題をクリアできるばかりか作業性も高く、鉱石の表面によくのびてとでもよくくっつき、コンデンサー成分も作りません。なにしろ75℃ 前後で工作できるわけですから、紙などで角型やコーン型にした筒の先を切り、その先をあらかじめあたためた鉱石のうらから当て溶けたものを流し込めばよいのです。

天然系検波器1の検波器はそのようにして作りました。またこの4点のものは結晶の形がおもしろいというだけでなく、本来なら不向きのところがあるのです。たとえば中央上の磁鉄鉱とその下の赤鉄鉱です。磁鉄鉱はもともと検波器の素材のひとつに上げられるものですが、この標本のように天地5 cmくらいのわりに大きなものになるととでも直流抵抗が高くなってしまい、検波どころか電流はほとんど流れてくれません。また赤鉄鉱のほうも同じで、板状結晶のこの標本の場合、埋め込んでしまうわけにもいかないので真鍮の厚い板に低融点金属で接着してあります。

この2つのようなとても高抵抗な鉱石は導体との接着面の面積を大きくしたり、見かけの状態ではわからないように導体の部分が針の接点のところに近くまで寄ることで抵抗を低くして、大きな結晶のままや結晶状態を観察しながら検波することが可能となります。

また左に自然銅、右に入エビスマスの標本を使ったものがありますが、これらは逆にほとんど導体なので検波にはむずかしいタイプですが、このように台に付けておくと、うすい硫酸や修酸、あるいは二酸化セレン(ビスマスの場合)による弱い腐食によって、酸化もしくは亜酸化皮膜ができて、ときとしてうまい整流作用を持つのでそれによって検波をすることもできるのです。

自作鉱石検波器

ー検波器の役割

同調回路で選択された高周波電流は、このままではイヤフォンやヘッドフォンのような音声記号によって耳に聞こえるようにする部分へ直接流しても、音にはなかなかなってくれないのです。

変調された高周波電流
変調された高周波電流を整流してその中に含まれている低周波成分を取り出すことを検波という。
右に示した整流で、 ドの部分が完全にカットされているのは理想的で、鉱石検波器では順方向にも少々抵抗があり、また逆方向にも少し電流が流れるので、 上部は多少頭打ちになり、 ド部の電流によりその分オrち消され、さらに高周波がコンデンサーによって慣らされる分、全体的にさらになだらかになってしまう。
理想的な検波器(整流器)は順方向には抵抗値がゼロに近付けば近付くほど、また逆方向には無限に抵抗値が高ければ高いほど性能(この場合感度)はよくなる。

なぜなら、空中線回路のところで説明するように、電波として空間に飛ばすために音声信けは変調されていて、波形は図のように上下対照のような形になっているからです。このままでは上下の電圧が互いに打ち消し合ってしまい、音にはなりません。仮に音になったとしても、あまりに周波数が高すぎてヘッドフォンの振動板を動かすことができないばかりか、仮に動かせても人間の耳には周波数が高すぎて聞こえません。

そこで下の部分をカットして上の部分だけにして、コンデンサーでさらにそのすき間を埋めることで音声信号を取り出すのです。

[整流とは]
交流の電波を整流器(電流を一方向にしか通さないもの)に通すと下の部分がカットされる。このようなことを整流するという。

さらにコンデンサーを並列につなぐとコンデンサーがちょうどプールのように作用して、脈打つ流れをなだらかにする。コンデンサーの容量が大きければより直流の波形に近づく。

検波器がどのように作られていったのかをお話ししたいと思います。検波器は電波の発見や利用の方法によって、いろいろと変化してきました。

ー電波の発見

ファラデーの生前、「電気磁気学」は決して一般的な語にはなりませんでしたがファラデーが亡くなる少し前に、「電気磁気学」の磁力理論を数学的な裏づけによって証明しようとする人間が現れます。スコットランド生まれの物理学者、マクスウェルJames Clerk MAXWELL(1831-1879)です。

彼は天体望遠鏡で土星などを観察することが好きで、土星の輸は実は数百万の小天体の集まりだ、と結論したりしました。数学を使って1864年から約10年間ファラデーの理論を研究し、電気と磁気は互いに切り離せないもので、これらは光と同じように波となって空間を伝わる性質をもっている、と発表しました。彼はまさに電波(電磁波)の存在を予見していたのです。

マクスウェルは生前、自分が死んだときのために用意した寝棺を毎日覗き込んでいる、と近所の人々に噂をたてられたりしました。それは長さが8フィート(約2.43m)の箱を、光の実験をするのに使用していたためでした。彼はよく実験嫌いの理論家と言われますが、決してそういうわけではなかったようです。ただ、電波の存在を実験によって確かめることは難しく、彼の存命中には彼自身も含め誰もその存在の確証を得ることはできませんでした。電波が空間を伝わってゆく現象は、光の明るさのように目に見えたり、熱線のように肌に暖かかったり、音のように耳に聞こえたりはしません。ですから体験的に人間にはなかなか「感じにくい」ものでした。

やがでマクスウェルが亡くなる年、またしてもバトンタッチをするように、彼の導いた電磁波方程式に関心をもつ青年がドイツに現れます。物理学者のヘルツHeinrichRudolf HERTZ(18571894)です。

1886年、ヘルツは不思議な出来事に遭遇します。ハイデルベルクに近いカールスルーエの工業高等学校で教育に携わるかたわら放電現象を研究中だった彼は、ライデン瓶を使って電磁誘導の実験をしていました。そのときライデン瓶に高圧の電荷を帯電させていたら、過剰に帯電したライデン瓶がスパークしたのです。すると同時に、すでに帯電させて部屋の隅に置いてあったもう一つのライデン瓶がスパークしました。この2つのライデン瓶の間に何か目に見えない力が作用したのは、確かなことでした。

ヘルツの初期のライデン瓶による実験

そしてそれは、電気通信の歴史上、最も偉大な瞬間でもあったのです。

彼は実験を重ねるうちに、この放電をする側とそれを受けて共振する側の間に作用する何かが、反射、屈折、偏光性などの現象が、すべてマクスウェルが予見した理論と 一致することを証明し、 1889年にこのことが発表されると世界は初めてこの目に見えない電磁波の力を知ることになったのです。ファラデーの構想に始まり、マクスウェルの数学によって美しく組みあげられ、ヘルツによって初めて実証されたのです。

[放電とは]
放電現象は+から―に向かって一瞬にして起こるように見えるが、実は図のような
通底した2つの水位の異なる水槽の水が多いほうから少ないほうに流れ込んで何度
となく往復するうちに水位を合わせるように、あるいはまるでギターの弦がはじか
れて振動するように、中和するまでの間電荷が行き来して振動する。この振動数(周
波数)に共振する長さの導体に共振し、それが共振器(検波器)となる

鉱石検波器の作動原理

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

KENJI KOBAYASHI

 

ぼくのすすめたい本

生きていくということは、それ自体が人間にとって宇宙の真理を探っていくことになるのです。

ぼくのすすめたい本のなかに「宇宙をとく鍵」というのがあります。この本では宇宙の力や電磁力といった宇宙のニュアンスを知ることができます。そして、宇宙の真理が、実はどこにもないということに気づくのです。なぜなら、人間が生きていくこと自体が、宇宙の真理を見つけようとしていることだと思うし、人間の無意識の行動が、実は人間自身の感性や精神を探る現象だったりする。全ての謎解きの答えが書いてある本は、一つも存在しないと思います。

ただ、ぼくたちが何も考えないでいたら、地球の形成自体がなくなってしまう。歴史の意味も不必要になってしまうでしょう。BBC科学シリーズのこの本は、古本屋に行けば見つかるので、ぜひ読んでほしい。

宇宙の不思議と同じように、神秘や超能力があります。これらは、人間が本来生きるために備わってきたもののような気がする。人間は生命を維持しようとするがために、自分たちが証明できない能力を持っているはずなんです。これは、不思議でもなんでもなくて、事実、地球上に人間が存在していることからもわかる。

例えば、自分の細胞膜を全部解いていったとしても、自分というものを見つけることは非常に難しいし、感性や精神を取り出すことはできないでしょう。

宇宙というものは、人間や自然が全体の一部であってそれらがその中に存在しているということ。ぼくたちが想像できる善や悪も、この宇宙に、あるいはぼくらの中に持っていることでもあるわけだから。

自然が破壊されていくことが、今、自分には関係のないことではないとの認識も必要かもしれない。

ぼくたちの生命は、ただ単純に存在しているのではなく、過去のいろいろな積み重ねによってあるものだから、それをぼくたちだけで終わらせてしまうことは許されないでしょう。

ぼくたちがなぜ生きているか、なぜ生きようとしているのか。そう問いつづけることは、自分とは何かを探ることに他なりません。答えの出ない問いを、これから先の人たちに送り綱いでいく。それがぼくたちの生きている意味のような気がする。

小林健二(1989)

小林健二

「アンネの童話集」小学館
アンネ・フランク

ナチスの迫害を受けたアンネ・フランクの童話集。この物語には、物事に対する鋭い洞察力が含まれています。人間は、人種で感性に差があるとは思えないし、特殊な状況の中でしか、このような物語が生まれないわけではないと思う。戦争に生きた人の残した形を読み取ることは決して無駄にならないのです。

「空気の発見」角川文庫
三宅康雄

空気の疑問をわかりやすく、多角的に解き明かした科学の本。著者は科学教育が科学史と結びついてなされることを主張する三宅泰雄。本書は、空気をつかむまでに長い苦労があったことをエピソードを交えて優しい文章で語られている。空気の重さや色、窒素や酸素の発見など、40のテーマからなっている。

「星の王子さま」岩波書店
サンティク・ジュペリ
*画像はフランス版

幼い頃手にしたことがある「星の王子さま」は、意外と読んでいない人が多いかもしれません。読んでは見たけれど、感じ取れない人がいるような気がするのです。もう一度読んでみることをお勧めしたい。かつて子供だったことを忘れてしまう大人にならないために、「星の王子さま」は大切な一冊です。

「ゴジラ(初代ゴジラ)」東宝 *書籍ではないですが、小林健二に影響を多大に与えた映画です。

これは怪獣物語ではない。戦争の苦しみと憎しみと悲しみから生まれたゴジラは、実は被害者なのです。つまり「ゴジラ」は反戦の映画だった。海底に眠っていた恐竜が、水爆実験の影響で怪物と化し、東京を襲う。

*ほかにもこの記事の中では、おすすめ映画として「2001年宇宙の旅」をあげています。

*1989年のメディア掲載記事を抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

 

 

鉱石ラジオの回路とそのはたらき[コイル後編]

小林健二設計製作「火星人式交信鉱石受信機(固定L型同調)」

これは手前に件んでいる古風な火星人の腕の先にワイヤーを触れるように握手させると、メッセージが聴取できるというものです。それぞれの腕は基本的にコイルのタップで、しかも小さなインダクターによってあらかじめ局を固定してあります。

前出の蝶類標本型と同じで、これらの受信機のアンテナはあらかじめ決まったものを使用します。他のアンテナを使うとCやLの定数が合わなくなって放送が聞こえなくなることがあるからです。空飛ぶ円盤の中と台の中にコイルがあり、この2つのコイルを可動させることでヴァリオカップラーのようにある程度調整できると考えました。もっとも工作上の外観を重視したため、あまり効果は上がりませんでしたが・・・・。火星人の頭の中には固定式で作った感度のよい検波器が入っています。もし作ってみようと思う方がいたら、ダイオードを用いたほうがよい結果が出ると思います。

画像は自作コイルのいろいろ。左上・ソレノイドコイル、中上・スペース巻コイル、右・ビノキュラーコイル、左下・Dコイル、その右・ソレノイドコイルの一種。

画像は左上・芯のついたラジアルバスケットコイル、中上・ウェーヴコイル、右上・クラウンコイル(小林健二設計と製作)、左下・スポークコイル、中下・スパイダーコイル(大正時代のもの)、右下・ナローバスケットコイル。

画像は左上・シェルフィッシュコイル、右上と左下・オルタネートコイル、中下 ソリッドコイル、右下・レイヤー巻コイル。

ヴァリアブルインタクター

コンデンサーに可変型があるように、コイルにも誘導係数を変化させるものがあります。これには下の画像で示したようにいくつかのタイプがあります。

画像はL・Cチューナー(同調器)。
これはコイルとコンデンサーをあらかじめひとつに組み立てて同調器としたものです。同調する周波数によっていくつかのタイプがありました。

画像はヴァリオメーター(カップラー)の一種。

ヴァリオメーター(カップラー)の一種。
画像は初期の木製のもの。

画像はルーズカップラー。中のコイルを出し入れして相互誘導係数を変化させます。

画像はチューニングコイル。左は小林健二自作。中央は初期のもの。右は現在でも米国で売られているもの。

コイルからタップを出してそれを切り換えるしくみのもの、接点をスライドさせることで変化させるもの(スライドチューナーslide tunerと言います)、これらは主に自己インダクタンスを変化させるものです。

これとは別に相互インダクタンスを変化させるものもあります。並列につないだ2つのコイルの距離や向きを変えることでコイルの結合度を変化させるヴァリオカップラー、また形状はヴァリオカップラーと変わりませんがそれぞれのコイルを直列につないで変化の幅を多くとっているヴァリオメーターなどです。

アンテナコイル

これは本来アンテナのようにラジオのセットの外部に出したりもしますが、基本的にはコイルとして同調回路の一部として考えられるものです。ですから、アンテナコイルをラジオに取り付けた場合、ラジオ内部の同調用のコイルははぶかれることが多いわけです。ぼくが自作した鉱石標本式受信機に応用したコイルもその一種です。

「鉱石標本式受信機」小林健二設計製作

これは検波のできる鉱石を探しているときに思いついたもので、鉱石による検波の違いを確かめようと作ってみたものです。この一見すると古めかしい鉱石標本箱の中には、検波のできる鉱石や電気すら通さない鉱石がいろいろ入っていて、それらにタンタルの金属針で触れていきます。LやCはすでに箱の中の見えないところにセットされていて、 JOAKとFENが聞けるように調整されています。コイルは昔式の紙を貼り合わせシェラックニスを塗った巻枠に、昔若草色だった風に2重絹巻き線を染めて作りました。鉱石の入っている標本箱の底全体には、見えないように厚さ0.1mmの錫箔がしわを付けて敷いであります。またコンデンサーはトリマーと呼ばれる半固定のものと固定のコンデンサーを使いました。単純な発想の受信機ですが、検波を初めて体験する人たちにはとても不思議に見えるようで好評です。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

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