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[美術家の木工具]

「PSYRADIOX(サイラジオ)」と名付けられた1987年の作品。アンティックラジオのように見えるが、筐体はもちろんプレートやツマミに至るまで自作されている。木工技術を使った作品の中でも小さなものではあるが、小林氏は趣味的にもこのような工作は好きであると言う。ちなみにこのラジオは受信した放送の音量によってガラスドーム内の結晶が光りながら明滅氏、また色の七色に変化する。

「PSYRADIOX(サイラジオ)」と名付けられた1987年の作品。アンティックラジオのように見えるが、筐体はもちろんプレートやツマミに至るまで自作されている。木工技術を使った作品の中でも小さなものではあるが、小林氏は趣味的にもこのような工作は好きであると言う。ちなみにこのラジオは受信した放送の音量によってガラスドーム内の結晶が光りながら明滅氏、また色の七色に変化する。

ー刃物との出会い

小林さんのアトリエには数多くの道具類がありますが、まず木工の手道具に興味を覚えたきっかけというのを教えてください。

小林:ぼくは生まれが下町だったからか、周りに職人さんが多かったんですよ。それに加えて父が刀をつくっていたから、ぼくと刃物との出会いはそこにありそうに思うでしょ。でも子供の頃から工作が好きで、プラモデルに夢中だったり、自分の中では自然と工具に親しんでいたんだよね。例えばエンピツを削ったりするときのボンナイフと言われる カミソリ製の廉価な刃物やトンボ印の彫刻刀なんかが、刃物との最初の出会いと言えるかしら。砥石でそれらの刃物を研いで切れ味が良くなった時の充実感は、今でも覚えていますよ。そして子供ながらによく使いこまれた道具や工具って美しいものだなって思っていました。

実家は電気関係の修理業も営んでいたんですが、まぁ言ってみれば町工場のようなもので、いろんな道具や工具があふれていたから、その影響があったかもしれない。小学校で夏休みなんかに工作の宿題が出ると、そこにあったあらゆる道具を駆使して凝ったものを作っていったんです。ぼくの担任の先生にどうやって作ったのかを説明しても、ボール盤は丸ノミなんていう単語はわかってもらえなかった(笑)。

もちろんそのコウバに木工具も置いてあり、刀のさやなんかを作ったりするためのカンナも含まれていた。父の知り合いだった関係で、中には今では貴重ないわゆる「名人」が作った鉋も多数あり、ぼくの手元に今も残っています。とにかく小さい時から工具にとても興味があって、自分なりに工夫したものもあったり、「三つ子の魂百までも」ってとこですかね(笑)。

古い木材を彫刻して作った1991年頃の作品。大きさはおよそ40cm,長さは2m強で一人で持ち上げるのはなかなか大変である。チェーンソーなどで加工する人も多いが、小林氏は手道具だけで仕上げたとのこと。

小林健二の作品

古い木材を彫刻して作った1991年頃の作品。大きさはおよそ40cm,長さは2m強で一人で持ち上げるのはなかなか大変である。チェーンソーなどで加工する人も多いが、小林氏は手道具だけで仕上げたとのこと。

上の作品を製作した時に使用した道具。大きさの違う手釿(てぢょうな)の刃幅は左から37,76,104mmで柄は自作。中ほどの大型のノミのようなものは「スリック」と呼ばれるもので、全長80cmくらいあり、重さも3kg以上ある。その重さで突き彫る道具であるとのこと。また上のように長い球状の作品では仕上げにスリックの上に乗っているドローナイフ(左)、右の銑(せん)も使う。

上の作品を製作した時に使用した道具。大きさの違う手釿(てぢょうな)の刃幅は左から37,76,104mmで柄は自作。中ほどの大型のノミのようなものは「スリック」と呼ばれるもので、全長80cmくらいあり、重さも3kg以上ある。その重さで突き彫る道具であるとのこと。また上のように長い球状の作品では仕上げにスリックの上に乗っているドローナイフ(左)、右の銑(せん)も使う。

もちろん彫刻にはノミ(チゼル)を使うわけだが、やはり彫る対象が大きいものだと、必然的に大きめになる。この写真は国外の製品であり、中ほどの幅が広く見えるノミは、フィッシュデイルチゼルと言って、刃幅76mmのもの。

もちろん彫刻にはノミ(チゼル)を使うわけだが、やはり彫る対象が大きいものだと、必然的に大きめになる。この写真は国外の製品であり、中ほどの幅が広く見えるノミは、フィッシュデイルチゼルと言って、刃幅76mmのもの。

こちらは日本のもの。右下の三本のノミは北海道(どさんこ)ノミとも言われ、堅い木材用のもので首が太く、強打にも耐えるように作られている。また変わった形のものは、表面の効果などに使われている。

こちらは日本のもの。右下の三本のノミは北海道(どさんこ)ノミとも言われ、堅い木材用のもので首が太く、強打にも耐えるように作られている。また変わった形のものは、表面の効果などに使われている。

ー若い時代を支えた額縁製作

その後美術家を目指されたわけですが、若い頃の生活を支えたものに木工もあったのですか?

小林:絵だけで最初から生活できるというと、いつだってそれが難しいよね。だから若い頃は体を使ったバイトなんかしました。でもガスやアークでの溶接や溶断なんかはそれはそれで勉強になった。その頃、趣味も兼ねて凝って作っていた額縁がもとで、額縁を作る仕事が舞い込んできました。それこそ伝統的な古典絵画が入りそうな額です。木を彫刻して下地を塗って、金箔を貼ってみがいたり、、、その他にもオリジナルの技法をこの時結構生み出したりもしました。鏡を入れるための額縁が欲しいとか、大使館で歴代大統領の写真を入れる額縁が必要とかで需要があり、そう言ったオーダーがぼくのところに来たわけです。もともと木工は好きだから熱も入ってやりましたね。額縁製作のために面取り鉋も収集して。見たこともないような面を取れる珍しいものを道具屋で見つけると、買わずにはいられなくてね(笑)。さらに自分でも、欲しい面を取れるように考えて面取り鉋自体を作っていました。本末転倒ですが、それを使うために額の断面をデザインしたりして(笑)。自分の制作活動が忙しくなってきて額縁からは離れましたが、今でも全ての鉋はきちんと手入れして使える状態になっています。

若き日の小林氏の生活を支えた額縁作りは、いろいろな木工技術の集合とも言える。木地から作る本格的なものなどでは、木組みや接合方などの技術や、とりわけ木彫する時には、数をこなすうちに学んだことがたくさんあったとのこと。

若き日の小林氏の生活を支えた額縁作りは、いろいろな木工技術の集合とも言える。木地から作る本格的なものなどでは、木組みや接合方などの技術や、とりわけ木彫する時には、数をこなすうちに学んだことがたくさんあったとのこと。

額縁用の入子面取り鉋など。研ぎにはコツがあるとのことだが、一丁で複雑な面が取れるので重宝したそうだ。

額縁用の入子面取り鉋など。研ぎにはコツがあるとのことだが、一丁で複雑な面が取れるので重宝したそうだ。

ー現在の木を使った造形活動について

現在製作している造形作品にも、木工の技術や道具が生かされているんですか?

小林:そうですね。作品には平面もあれば立体もありますが、イメージに出来る限り忠実になろうとすると、いろいろな表現方法や技法が必要になってきて、必然的に素材もさまざまで、その中でも木工は結構使ったりするんです。例えば古く見える木の作品とかは、それこそ鉋やノミなんかがないと製作できないし、古色をかけて昔のものみたいに見せる方法は、額縁製作時代に手に入れた技法の一つですね。ぼくは基本的に手を動かすのが好きだから、図面だけ書いてあとは外注するという方法は出来たらしたくない。やっぱりつくりながらリアルになってくるイメージもあるしね。でも大きな作品なんかは先ずは模型を作って構造なんかを確認し、それから本番に取り掛かるときもあります。美術館など大きなスペースでその会場で作る場合なんかは失敗ができないからね。

「ヨモツカド」1990年製作。まさに額縁の技術も用いて製作された作品。絵の部分は油彩で描かれ、その周りの鉛箔をはった部分がそれにあたる。作品自体は2m四方ほどの大きさのため、枠の細いところでも10cm以上はある。

「ヨモツカド」1990年製作。まさに額縁の技術も用いて製作された作品。絵の部分は油彩で描かれ、その周りの鉛箔をはった部分がそれにあたる。作品自体は2m四方ほどの大きさのため、枠の細いところでも10cm以上はある。

1991年の美術館での展示の一部。左の絵の重厚なパネル、中央の塔のようなもの、手前右の大きな立体は基本的に木工技術を中心に製作されている。塔のようなもので高さ7mもあり、このくらいの大きさになると、さすがに電動工具が活躍するそうだ。

1991年の美術館での展示の一部。左の絵の重厚なパネル、中央の塔のようなもの、手前右の大きな立体は基本的に木工技術を中心に製作されている。塔のようなもので高さ7mもあり、このくらいの大きさになると、さすがに電動工具が活躍するそうだ。

ー道具に求めるもの

小林さんは道具というものについて、自分との関わりをどう考えていますか?

小林:例えば「自分勝手」って言葉ばありますよね。悪い意味で使われることが多い言葉ですが、道具の仕様を示す言葉で「左勝手」「右勝手」というのがあることを考えると、「自分勝手」というのが自分仕様にカスタマイズされた道具をさす言葉だと思えば、別の見方も生まれてきそうでしょ。道具というのは自分の手に馴染んで愛着が生まれ、それがないと落ち着かないような、人間、特につくり手にとってそんな関係にあるんじゃないかな。ぼくが手元に置いているもので、絵の具を混ぜる時に使う棒があるんですけど、これはもともとなんてことない割り箸で、気にも留めないで混ぜ棒として使っていたんですが、使い終わって捨てるのももったい無い気がして、ウエスで拭いてまた違う絵の具を混ぜるのに使ったりしていたんですね。ある時ふと気がつくと、長い間に色々な絵の具が擦り込まれて、いい感じになっていたんですよ。割り箸に、使い込まれた道具としての美を見出したわけです(笑)。こうなると絵の具の準備をしようとする時にコレがないと落ち着かなくて、まずこの棒を探すことから始めます。暇な時などには持ちやすいように工夫したり、磨き込んで手入れをしてみたりしてね(笑)。ただの木切が使い手との歴史を重ねるうち、なくてはならない道具になっていたわけです。

道具には、長い歴史の中で様々な工夫と改良がなされ、伝えられてきたものが多くあります。人間との関わりの中で熟成されてきたモノな訳ですが、最終的にその道具に命を与えるのは使い手です。それぞれがその道具の持つ歴史を知った上で、自分の最も使いやすいものに調整していくことこそ、道具への本当の理解に繋がっていくのではないでしょうか。

普段木工手道具の中で最も使用しているスタンレーの鉋。No.1の小さなものからNo.7の大きなものまで写っている。

普段木工手道具の中で最も使用しているスタンレーの鉋。No.1の小さなものからNo.7の大きなものまで写っている。

俗に言う名品と呼ばれる鉋。父親が刀匠であり、その父と親交のあった落合宇一氏、石堂輝秀氏、などなど、多数の道具を譲り受けた。ただとても合板などに使用するわけにはいかないので、大切に使っていると言う。

俗に言う名品と呼ばれる鉋。父親が刀匠であり、その父と親交のあった落合宇一氏、石堂輝秀氏、などなど、多数の道具を譲り受けた。ただとても合板などに使用するわけにはいかないので、大切に使っていると言う。

若い頃から折につけ趣味で自作した小鉋など。鉋身は購入したり古い包丁やノミの刃を利用したりしているが、台は全て自作したそうだ。

若い頃から折につけ趣味で自作した小鉋など。鉋身は購入したり古い包丁やノミの刃を利用したりしているが、台は全て自作したそうだ。

やはりお気に入りの真鍮製の洋鉋各種。目的によって各々を使い分ける。使い込んだ道具の美しさが輝いている。

やはりお気に入りの真鍮製の洋鉋各種。目的によって各々を使い分ける。使い込んだ道具の美しさが輝いている。

コンパスプレーンと言う特殊な鉋。下端を供に外反りや内反り鉋として可変して使用することができる。上記の大きな塔のような作品の横スリにも使用したとのこと。

コンパスプレーンと言う特殊な鉋。下端を供に外反りや内反り鉋として可変して使用することができる。上記の大きな塔のような作品の横スリにも使用したとのこと。

鉄製の洋鉋の一例。木の板に古典技法によって絵を描くとき、パネルに引っかき傷をつけ、その上にのる下地の定着を良くする特殊なもの(左より2つ目)も含まれている。

鉄製の洋鉋の一例。木の板に古典技法によって絵を描くとき、パネルに引っかき傷をつけ、その上にのる下地の定着を良くする特殊なもの(左より2つ目)も含まれている。

音がほとんどせず、ギヤーによって作動させることができるジグソーの一種。 バヨネットソーの作動を説明している小林氏。確かに彼のアトリエにある電動工具はみな静かな作動音である。彼に言わせると、考えながら作業するのに音が大きな工具では使いにくいからということだ。

音がほとんどせず、ギヤーによって作動させることができるジグソーの一種。 バヨネットソーの作動を説明している小林氏。確かに彼のアトリエにある電動工具はみな静かな作動音である。彼に言わせると、考えながら作業するのに音が大きな工具では使いにくいからということだ。

*2005年のメディア記事より抜粋編集しております。

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[夜]は素材になりえるか

「夜と息」Mixed Media 1991(1986年に蝋と海水によって封じ込められたエスキースの一枚から想像された風景だという。)

「夜と息」Mixed Media 1991(1986年に蝋と海水によって封じ込められたエスキースの一枚から想像された風景だという。)

ー「夜」は素材になりえるか。

例えばここに二つに分かれる石こう型があるとします。この二つをくっつけると、遠目には一つの石こうの固まりでしょう。ところが、その中に何かが入ってるということになると、見え方がずい分変わってくるでしょうね。中がより複雑な要素を持っているとなると、中の方が情報量が多いわけですよね。つまり、そのことを知ることで、逆に見え方が変わってくる。そうなってくると、「素材」は「素」として持っていたもの以外に、そこに情報量を刻み込まれたことになる。しかも 「隠されたもの」として情報がさらに増大するということがある。だから中に刻みこまれたという現象は、ある意味で「素材」に取りこめられたという風に考えられると思われますね。もう少し平たく言えば、そうすることによって、人聞は表面を目で追って焦点を合わせていたのが、不思議と中の方に焦点を合わせようとする。実は、その行為の中にもう一段ちがった意味での情報量が入ってくるんじゃないか。これを一つの方法論として 「見せかけ」として作って「誤解」として受けとられでも、実際ほんとに中に何が入っているかどうかは、観る人には分かんないですよ。ただ、ぼくは性格からすれば、何か中に入れておきたいでしょう。

「とても聞かせられないテープととても見せられない写真」1991 445X285X210(mm) 木、蝋、幽閉物(カセットテープ、写真)

「とても聞かせられないテープととても見せられない写真」1991
445X285X210(mm) 木、蝋、幽閉物(カセットテープ、写真)

「閉じ込められた”夜”」1991 360X260X35(mm) 紙、蝋、鉛、夜

「閉じ込められた”夜”」1991
360X260X35(mm) 紙、蝋、鉛、夜

1991年の個展『夜と息』で素材のマテリアルの中に「夜」という「素材を入れたんですけど、果たして「夜」は素材になり得るか否かということになりますよね。でも、「夜」は充分素材となり得るでしょう。もしも 作品を作るためにポリエステルを使ったとしますね。そうすると、素材としてポリエステルを使ったと書くレベ ルがあると思う。もう少し書くとすると、ナフテン酸コバルトという酸化を促進させる触媒が必要なんだけど、ここで触媒に注目してみて、これ自身が「素材」といえるかどうかを考えていくと、この触媒は使われはしたけど消えちゃったものに近 い。だけども、それがなければ作品はできなかったわけです。すなわち、素材としての「夜」というものを考えた場合、第一番目に「夜」Lは 気温とか湿度とか、あるいは暗さという夜の物理的な性格が素材を補助するものになりえた。第二番目に、そのものがあったからこそ、触媒のように作る上で素材となり.えた可能性があった。第三番目に、これはもっと心意的なものになりますが、「夜」というものがあったからこそ、その作品が生まれてくる場合があったとすると、もはやそれは媒材としてじゃなくて主材になりえたということになりますね。ですから、ぼくの作品においては「素材」を書く時に、「夜」というものが素材の中にかかわってきても少しもおかしくなかった。

左「蜜蝋と”夜”のシールドテキスト」1991 テキスト 245X390X20(mm),205X125X115(mm) 紙、蝋、樹脂、他 右「松脂と”息”のシールドテキスト」1991 テキスト245X390X20(mm),205X105X85(mm) 紙、蝋、樹脂、他

左「蜜蝋と”夜”のシールドテキスト」1991
テキスト 245X390X20(mm),205X125X115(mm) 紙、蝋、樹脂、他
右「松脂と”息”のシールドテキスト」1991
テキスト245X390X20(mm),205X105X85(mm) 紙、蝋、樹脂、他

そういう意味に於いて、今回の展覧会では、色々な「素材」を列挙したものがあった。例えば 「息」「 風景」「蝋」と「海水」 もちろん 「蝋」と「海水」というものも、素材」になりえるかといえば なるでしょう。でも、今までは素材として書くのはむずかしい場合がありましたね。そこを書いたという行為があった以上 、「素材」に組み入れられたと考えていいと思ったわけです。もし書かなけれ、誰も知らないたくさんの消えた触媒や石こう型と同じわけですけど、書いたことによって あくまでもそのものを作る大きな要素として存在したことを人が知ることになりますね。その知ったという情報が、今度はそのものの見え方に対して影響を示してきますよね。つまり、そのことにおいて確かに「素材」というものになりえたということですよ。ぼくのような実際にものを作る人聞が、こういうコンセプチュアルなことを言うってことは、とてもむづかしく思えるでしょうけど、ぼくのように色んな素材を使ったり、好きになったりという人聞は 頭の中にあんまりカテゴリーがないんだと思いま す。だから こういう考え方が出てくるといえるかもしれません。

「1996年3月27日午前」1991 215X115X135(mm)  水、鉛、電気、風景 家庭用100Vコンセントからこの作品に通電すると、毎日1時間だけ、1965年3月27日土曜日の午前がこの箱の中に繰り広げられる。そこでは暖かな早春の光と風の中、7歳と9歳の男の子が遊んでいるという。

「1996年3月27日午前」1991
215X115X135(mm)  水、鉛、電気、風景
家庭用100Vコンセントからこの作品に通電すると、毎日1時間だけ、1965年3月27日土曜日の午前がこの箱の中に繰り広げられる。そこでは暖かな早春の光と風の中、7歳と9歳の男の子が遊んでいるという。

(私たちは、目の前の作品を前にして「この素材は何ですか?」と素朴に質問する。しかし 作品を構成する一見自明な物質だけが 、「素材」とはかぎらない。それができあがるまでに関与しながら途中で捨てられていった物質の数々J、それも実制作者だけには知られた重要な素材であるわけだ。さらに『夜と息』における小林のユニークな素材観によれば、作品の表面の奥に隠ペイされた何ものか、つまり命名された不在、例えば「とても人に聞かせられないテープ」も「素材」として虚の実在性を獲得することになる。それは、方法としての隠ペイが 観る人間の自由な想像力を触発し、作品の内へと吸引するようでいて、実は観る者の内面へと誘う作用を意味してい る。小林はこの素材観によって 作品を通して新しい他者とのコミュニケーションの磁場と回路を聞くことを問題にしているといえるだろう。今回の展覧会を契機 として、小林は新たな造形の局面を切り拓きつつあるようだ。)

( )内は質問者であり、インタビューをまとめた十川氏のコメント

*1992年メディア記事より抜粋

「詳らかにできない夜の実況記録」1991 405X315X79(mm) 紙、蝋、カセットテープ

「詳らかにできない夜の実況記録」1991
405X315X79(mm) 紙、蝋、カセットテープ

「夜と息」(覚え書きノートより)1986,8.6

夜にとどまり 夜に生まれてゆく

移行と相対の澱を過ぎて

その涯へと流れ込む 興味と実際

息はできるかい

呼吸をしてごらん

君をおしつぶしていた

大きなものがとりはらわれてゆく

重い体もう一度

ぼくらは背負ってやってみる

朝がもうそこに

影のない足どりさがしている

領域への投擲

忽がせな泉の国

ぼくらはこの空にいったいなにをのこしておこう

「静かな夜にはもう すっかり安心していいんだね」

黙る鉄

甘い味

集まる音階

ー有機質を分解しても同時に 架橋もおこなっているー

まるでとおくの海にいるようだ

山合いの中を

一見落ち窪んだように見える

明るいところ

大きくうねってひらけている

土があって木があって水がある

前の方から少し風が吹いて

ーああ、なにか生きものが遠くで啼いたー

手をひたす 湖面は銀

夜は息を大気にひろげて

息は空でみたされている

そうかもしれない

ぼくらはゆっくりと

その方へとあるきはじめる

 

小林健二

 

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[ぼくの遊び場]

東京田端新町の中古道具店

東京田端新町の中古道具店

ぼくの遊び場

ぼくは自転車で散歩するのが好きだ。狭々とひしめいている横丁や路地の多いこの町で、その奥にある秘密や夢を散策するのにもってこいだからだ。うろつくところといえば、とかく情報誌や何々ブームにおよそもてはやされてきた街とは対象的な、一見一般的?ではない東京の深いところにある、少なくともぼくにとっては非常に魅力的な町や店なのだ。遠くから友達が来たり、東京案内することあらば、まずそれらの方面へと繰り出すわけだが、思ったよりはるかにマニアックなところばかりでも、それぞれにみんな楽しんでくれるのは、それこそ、この街ならではの風景でもあるからだろう。これを読んでくれている人にも地図など入れて説明したいところだけど、いわば秘密の聖域、探し当てる喜びを分かち合うことにしよう。神田の古本屋街辺りから、その王国への入り口は開けていて、およそ東京中に広がっている。蝶番屋、家具や引き戸の把手ばかりを扱う店、1000種は超えると思われる彫刻刀の店、砥石屋、金槌屋、提灯屋、扇屋、和紙屋・・・鋲螺屋(びょうら)はさまざまななネジを小さな引き出しに整然と並べている。いろいろな油や蝋だけを扱う店、鉱石屋、蝶や化石などの標本屋、電気のパーツやジャンクの店、プラモ屋に理化学器具や壜屋に教材屋、すべてを書き出すことは不可能な、この怪しげな僕の遊び場は、繁華で賑やかな大通りの裏通りや、古いビルの地下などで、時にあっけらかんと、時に曇ったガラス戸の中に、隠れるように息づいている。この街のイメージは、ここで生まれ育ったぼくにとっては、いつも何かごちゃごちゃした奥の方に何かまだ潜んでいる、そんな奥深さを感じさせ続けている。自転車で行ける僕のドリームランドだ。

そんな中でも田端新町の中古機械工具を扱う町は、全体が数十年くらい昔に迷い込んだのではと思ってしまうほど独特な景観を備えている。明治通りを中心にその裏のそのまた裏にまで続き、思わず「えっ?」と立ち止まってしまうことが多々ある。

東京田端新町界隈の中古道具店

ある店では何十トンを越えると思われる大きな、何に使われるかも分からない錆びた鉄のかたまり状?の機械を商い、またある店では、そこ自体がうず高く積まれたスパナ、ペンチ、などの工具の重さで完全にかしいでしまっていたりする。何がここまで詰め込ませたのかとおばさんに聞いてみれば「あたしたちがいなければ、みんなゴミになっちゃうでしょ」と明るく笑う。確かに、それらは新品など一つとて無い、行き場を失った工具ばかりだ。でもその造りの良さや、使っていた人々の気立てを思わせるほどよく使い込まれた逸品が多いことに驚かされる。値段と言えば、安物の新品の5分の1から10分の1。表向きや見せかけの生き方で疲れ切った人たちの裏で、油やほこりにまみれていても、なんと彼らは生き生きとしていることか。こんな事ばかり言っていると、ただの懐古趣味と言われそうだけど、流行という似通った価値観の中で、情報に振り回され、一辺とおりの退屈な話しかできないような人や町より、「つつましさ」「生きがい」「充実」などの言葉と正面切って向かい合えるパワーを持っているのは確かだ。この「ていねいな東京」を知った人なら、東京が庶民によって支えられてきた歴史を持った一地方都市であり、またここを故郷としている人々がいることを理解してもらえる事だろう。

東京田端新町にある中古道具店

東京田端新町にある中古道具店

東京田端新町の大工道具店

東京田端新町の大工道具店

こんな町々の20年後を想う時、何か取り返しのつかないものを失っているという気持ちになってしまう。だからこそ、この街に巡り合えて、その偽りの無い心意気や純情と同じ時代を生きられている事が、ぼくにとっての自慢と誇りなのだ。彼らとの話の途中、グッとくる感じになる事がある。「おばさんのとこいつ休み?」「そうねえ、生きているうちはいつだってあいてるよ。」まさにこの街はいつもぼくを受け入れてくれているのだ。

東京田端新町の中古道具店で道具を見る小林健二

東京田端新町の中古道具店で道具を見る小林健二

文:小林健二(1992)

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シルバーポイントや金属の粉による彩色

「シルバーポイント」とは数世紀前まで鉛筆の代わりによく用いられていたものです。銀は大気中の硫化物によって黒変します。とはいっても、鉛筆のように真っ黒ではなく柔らかい調子になります。ぼくは、その柔らかい感じが好きなので、シルバーポイントを使うことが多くあります。

この作品の、一見グレーの絵の具に見える箇所は、シルバーポイント(銀筆)という古典的な技法によって描かれていたり、ある種の錫、アンチモンの金属の粉によってなされています。

また右の立体的なところは樹脂ロウによって形成されていますが、ロウといっても蜜蝋のように68度くらいの温度になると指紋がつくようなものではありません。

「銀色の大気-ATMOSPHERE IN SILVER 」板に紙、銀筆、亜鉛末、油彩、樹脂ロウ(paper,silver point, zinc powder,oil,wax resin on board ) 600X900X30mm 1999

小林健二作品「銀色の大気-ATMOSPHERE IN SILVER 」板に紙、銀筆、亜鉛末、油彩、樹脂ロウ(paper,silver point, zinc powder,oil,wax resin on board ) 600X900X30mm 1999  作品描かれている文章 [その大きな場所は巨大な銀色の大気に包まれている。ぼくはかつて見た夢の中の風景に再び出会っていると感じている。まるでペパーミントのような眠りへとつづく香りが辺りを支配している、と感じているとどこからか”おまえたちは本当の意味などまだ知らないではないか?”とたずねられた気がした。その問いのようなものを感じながら心の中では、右の方に見える高い塔のようなものがまるでゆらゆらとして上に登ったらきっと、とても恐いだろうなどと思っていた。 土曜日 6月7日(’86)]

古いペンの軸や、木の棒に銀の線や棒を付けたものです。

古いペンの軸や、木の棒に銀の線や棒を付けたものです。 (写真は自作のもの。数種類ある中の二つ)。 上のものは線径約2mm下は約4mmくらいです。

(写真は自作のもの。数種類ある中の二つ)。
上のものは線径約2mm下は約4mmくらいです。

ペン軸にねじ込み式の雌ネジをはめこみ、銀線にはダイスで雄ネジをきってあります。
こんなように作らなくても、上のもののように穴を木にあけて差し込むだけでも同じです。

ペン軸にねじ込み式の雌ネジをはめこみ、銀線にはダイスで雄ネジをきってあります。 こんなように作らなくても、上のもののように穴を木にあけて差し込むだけでも同じです。

シルバーポイントには下地が必要です。
その為には普通(古典的には)ニカワで練った、亜鉛華、ジンクホワイトが使われていました。多少ザラザラとした感じでなければ、すべってしまうからです。ザラザラといってもツルツルのコンクリートぐらいです。

絵画用ゼラチンの場合は 水:ニカワ/3~4:1
ウサギニカワは 水:ニカワ/4~5:1
の割合でニカワを水で膨潤させ、湯せんで溶かした後、粉を練り、それを板などにヘラで塗り付け、乾いたら240番~320番ぐらいのサンドペーパーをかけます。

シルバーポイントには下地が必要です。 その為には普通(古典的には)ニカワで練った、亜鉛華、ジンクホワイトが使われていました。多少ザラザラとした感じでなければ、すべってしまうからです。ザラザラといってもツルツルのコンクリートぐらいです。 (画像は硫酸バリウム/ジンクホワイト/炭酸マグネシウム やはりジンクホワイトが一番具合がいい)

画像は左から硫酸バリウム/ジンクホワイト/炭酸マグネシウム やはりジンクホワイトが一番具合がいい

 

左画像/絵画用ゼラチン 右画像/ウサギニカワ 絵画用ゼラチンの場合は 水:ニカワ/3~4:1 ウサギニカワは 水:ニカワ/4~5:1 の割合でニカワを水で膨潤させ、湯せんで溶かした後、粉を練り、それを板などにヘラで塗り付け、乾いたら240番~320番ぐらいのサンドペーパーをかけます。

左画像/絵画用ゼラチン 右画像/ウサギニカワ

これはシルバーポイントのパテを板に塗り付けるヘラで、温めて使います。 下が6cmぐらいの幅で、上のヘラは修正や小さな部分的に使うものです。

これはシルバーポイントのパテを板に塗り付けるヘラで、温めて使います。
下が6cmぐらいの幅で、上のヘラは修正や小さな部分的に使うものです。

鉛筆ほど黒くはっきりしませんが、ハンダのように銀以外の金属が使われることもあります。その場合下地には、亜鉛華、ジンクホワイトなどの代わりに、ロッテストーンやパミス(軽石を粉砕した磨き粉の一種)でもちょうどよいでしょう。

ただし、その場合は水:ニカワ/5~6:1の割合の絵画用ゼラチンなどで粉を練って、ハケで冷めないうちに薄くさっと板にぬって使いましょう。(紙でも使えます)

ロッテストーンやパミス(軽石を粉砕した磨き粉の一種)

ロッテストーンやパミス(軽石を粉砕した磨き粉の一種)

またシルバーポイントは、油彩絵の具とはすべってしまうため、共存できないので、「デトランプ」や「テンペラ」などの技法と用います。

なので、金属のパウダーは絵画用ゼラチンで練って使っています。ニカワでは縁などに色がついてしまうことがあるからです。

金属の粉については、TIN POWDER (錫粉)、STAINLESS STEEL POWDER(鋼粉)、ANTIMON POWDER(アンチモン粉)。他にも、銀、銅、鉄、アルミ、ジュラルミン、真鍮、鉛、亜鉛、ブロンズ、アルマイト(赤、ピンク、黄、緑、青)といろいろあります。似たものとしては、金属粉でではないが、カーボン、アランダム、コランダム、カーボランダム、および一部の顔料、、、、、などを使っています。

左がTIN POWDER (錫粉)、中央STAINLESS STEEL POWDER(鋼粉)、右ANTIMON POWDER(アンチモン粉)

左がTIN POWDER (錫粉)、中央STAINLESS STEEL POWDER(鋼粉)、右ANTIMON POWDER(アンチモン粉)

文:小林健二

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[結晶の世界]小林健二

小林健二自作結晶

小林健二自作結晶

幼い頃から透質のものが好きでした。さざれた硝子の破片や透明性さえあれば取りあえず何でも好きになったのです。

プラスチック製の宝石も消しゴムも、クラゲや下敷きでさえ、そのようなものたちを光に透かして見ているのが好きだったのです。ですから科学博物館で水晶と出合った時は、まさに心を奪われたという感じでした。

二十年くらい前「鉱石ラジオ」というものにのめり込んだ時期がありました。そんな折、工作を楽しんでいる中でクリスタルイヤフォンは自作できないものかしらと思ったのです。「クリスタル」というところに取り分け惹かれたのです。

それはちょうどミョウバンや塩の結晶を作るように、ロッシェル塩という物質で行うものなのですが、ぼくは当初の「圧電効果を供なう結晶」を作るということよりも、水溶液の中に析出してくる透明な結晶の方に不覚にも再び心を持って行かれてしまったのです。さすがにこの結晶は見つづけていても見る見る成長するということはありませんが、日に日にその変化を確認することはできます。やがては薬品問屋の方からも今月は何ですか?と言われる程多種の成分での結晶育成を試みるようになってしまいました。

透き通った赤や青、黄や紫、緑やピンクといった色々なものから、水晶の群晶のように無色の柱状のものもあれば、蛍石のように四角いものなど様々な形のものまで、まさに「安定した生活」を投げ打っての自己中心世界旅行真っ最中であったのです。

そんなある日偏光フィルターを使って結晶を接写している時に、結晶先端の溶液に靄のようにゆらいで見えるものを見た気がしました。一つの幻であったのも知れません。しかしそのイオンの流れのように見えたかも知れない何がしかの働きが、溶液中に結晶を析出させていることは間違いないことです。ギ酸ストロンチウム二水和物やクロム酸リチウム三ナトリウム六水和物、硫酸プラセオジム八水和物といった一般的にはおそらく聞き慣れない物質たちが、まるで天然世界の気の遠くなるような時間の中でなされる神秘の光景を、かいま見せてくれたように感じたのです。

それは無生物と言われる彼らの世界に何か美しい姿を現わす一つの技術や感性を想起させてくれたとも言えるのです。言い換えるのなら、感性という溶液の中で析出し育成してゆく技術とでもいうのでしょうか。

便利さや利益、ムダや競争とはかけ離れた、ただ美しいというだけの世界であっても、美しさとは何かといった一言では語りつくせない多様な要素を孕んでいると考えた時、自分を含む人の世は彼らからはどのように写っているのだろうと、ふと想ったりもしたのです。

結晶+撮影+文:小林健二(2005年のメディア掲載記事より編集)

小林健二自作結晶

小林健二自作結晶

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