ー「夜」は素材になりえるか。
例えばここに二つに分かれる石こう型があるとします。この二つをくっつけると、遠目には一つの石こうの固まりでしょう。ところが、その中に何かが入ってるということになると、見え方がずい分変わってくるでしょうね。中がより複雑な要素を持っているとなると、中の方が情報量が多いわけですよね。つまり、そのことを知ることで、逆に見え方が変わってくる。そうなってくると、「素材」は「素」として持っていたもの以外に、そこに情報量を刻み込まれたことになる。しかも 「隠されたもの」として情報がさらに増大するということがある。だから中に刻みこまれたという現象は、ある意味で「素材」に取りこめられたという風に考えられると思われますね。もう少し平たく言えば、そうすることによって、人聞は表面を目で追って焦点を合わせていたのが、不思議と中の方に焦点を合わせようとする。実は、その行為の中にもう一段ちがった意味での情報量が入ってくるんじゃないか。これを一つの方法論として 「見せかけ」として作って「誤解」として受けとられでも、実際ほんとに中に何が入っているかどうかは、観る人には分かんないですよ。ただ、ぼくは性格からすれば、何か中に入れておきたいでしょう。
1991年の個展『夜と息』で素材のマテリアルの中に「夜」という「素材を入れたんですけど、果たして「夜」は素材になり得るか否かということになりますよね。でも、「夜」は充分素材となり得るでしょう。もしも 作品を作るためにポリエステルを使ったとしますね。そうすると、素材としてポリエステルを使ったと書くレベ ルがあると思う。もう少し書くとすると、ナフテン酸コバルトという酸化を促進させる触媒が必要なんだけど、ここで触媒に注目してみて、これ自身が「素材」といえるかどうかを考えていくと、この触媒は使われはしたけど消えちゃったものに近 い。だけども、それがなければ作品はできなかったわけです。すなわち、素材としての「夜」というものを考えた場合、第一番目に「夜」Lは 気温とか湿度とか、あるいは暗さという夜の物理的な性格が素材を補助するものになりえた。第二番目に、そのものがあったからこそ、触媒のように作る上で素材となり.えた可能性があった。第三番目に、これはもっと心意的なものになりますが、「夜」というものがあったからこそ、その作品が生まれてくる場合があったとすると、もはやそれは媒材としてじゃなくて主材になりえたということになりますね。ですから、ぼくの作品においては「素材」を書く時に、「夜」というものが素材の中にかかわってきても少しもおかしくなかった。
そういう意味に於いて、今回の展覧会では、色々な「素材」を列挙したものがあった。例えば 「息」「 風景」「蝋」と「海水」 もちろん 「蝋」と「海水」というものも、素材」になりえるかといえば なるでしょう。でも、今までは素材として書くのはむずかしい場合がありましたね。そこを書いたという行為があった以上 、「素材」に組み入れられたと考えていいと思ったわけです。もし書かなけれ、誰も知らないたくさんの消えた触媒や石こう型と同じわけですけど、書いたことによって あくまでもそのものを作る大きな要素として存在したことを人が知ることになりますね。その知ったという情報が、今度はそのものの見え方に対して影響を示してきますよね。つまり、そのことにおいて確かに「素材」というものになりえたということですよ。ぼくのような実際にものを作る人聞が、こういうコンセプチュアルなことを言うってことは、とてもむづかしく思えるでしょうけど、ぼくのように色んな素材を使ったり、好きになったりという人聞は 頭の中にあんまりカテゴリーがないんだと思いま す。だから こういう考え方が出てくるといえるかもしれません。
(私たちは、目の前の作品を前にして「この素材は何ですか?」と素朴に質問する。しかし 作品を構成する一見自明な物質だけが 、「素材」とはかぎらない。それができあがるまでに関与しながら途中で捨てられていった物質の数々J、それも実制作者だけには知られた重要な素材であるわけだ。さらに『夜と息』における小林のユニークな素材観によれば、作品の表面の奥に隠ペイされた何ものか、つまり命名された不在、例えば「とても人に聞かせられないテープ」も「素材」として虚の実在性を獲得することになる。それは、方法としての隠ペイが 観る人間の自由な想像力を触発し、作品の内へと吸引するようでいて、実は観る者の内面へと誘う作用を意味してい る。小林はこの素材観によって 作品を通して新しい他者とのコミュニケーションの磁場と回路を聞くことを問題にしているといえるだろう。今回の展覧会を契機 として、小林は新たな造形の局面を切り拓きつつあるようだ。)
( )内は質問者であり、インタビューをまとめた十川氏のコメント
*1992年メディア記事より抜粋
「夜と息」(覚え書きノートより)1986,8.6
夜にとどまり 夜に生まれてゆく
移行と相対の澱を過ぎて
その涯へと流れ込む 興味と実際
息はできるかい
呼吸をしてごらん
君をおしつぶしていた
大きなものがとりはらわれてゆく
重い体もう一度
ぼくらは背負ってやってみる
朝がもうそこに
影のない足どりさがしている
領域への投擲
忽がせな泉の国
ぼくらはこの空にいったいなにをのこしておこう
「静かな夜にはもう すっかり安心していいんだね」
黙る鉄
甘い味
集まる音階
ー有機質を分解しても同時に 架橋もおこなっているー
まるでとおくの海にいるようだ
朝
山合いの中を
一見落ち窪んだように見える
明るいところ
大きくうねってひらけている
土があって木があって水がある
前の方から少し風が吹いて
ーああ、なにか生きものが遠くで啼いたー
手をひたす 湖面は銀
夜は息を大気にひろげて
息は空でみたされている
そうかもしれない
ぼくらはゆっくりと
その方へとあるきはじめる
小林健二