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作家になった怪獣博士

「アートっていうのは、独自のスタイルを持っていたからといって、それがそのまま作家のメッセージを表現するものとは言い切れないと思う。もっと素直で自由なもののはず。」と小林は言う。

小林の作品には威圧感もなければ理屈っぽさもなく、見るのに取り立ててエネルギーを必要としない。作家自身が様々なものを見て素直に楽しんだ体験から得た感覚が、作品の上で生きているからだ。

そんな小林が好きな場所は博物館だという。子供の頃は、自宅近くを走っていた電車一本で上野の国立科学博物館に行くことができたので、暇さえあれば通っていた。人工物ではないのにとてつもない造形美を持つ水晶が大好きだった。

小学校では「怪獣博士」と呼ばれていた。ろくに字も読めず、周囲の人々に将来を心配されるほど学校での出来は悪かったというが、恐竜や怪獣に関する興味と知識だけは誰にも負けなかった。博物館にある恐竜の骨には釘付けになった。

「なぜ、そんなに怪獣に惹かれたのかって?あなたには、そういうところありませんでした?」

 

ー巨石が伝えるストレートな感性

ただ、小林が普通の人たちと違ったのは、それを現在まで引きずってきた点だ。怪獣映画 ”ゴジラ(1954)”の話を始めると目の輝きが増し、ただでさえ軽快なしゃべりは、とどまるところを知らなくなる。

「”ゴジラ”は、本当にこわかった。それは何よりその映画に暗示されている戦争の持つ恐怖や理不尽さを感じたからだと思う。一方的に破壊されていく自分たちの街を成すすべもなく見送る人々と、人間の作った核兵器によって突然変異を強いられた生命体の復讐によって、やり場のない憎しみが増大してゆく。ゴジラはまさに”戦争”そのものを象徴した怪物だったんだ。再上映ではあったけど、終戦後わずか9年目の映画に、小さかったぼくは一口では言えない衝撃を感じさせられたと思う。」

小林が語る「ゴジラ」は常に初代ゴジラのこと。これはその時の映画のポスターの一部。

小林が語る「ゴジラ」は常に初代ゴジラのこと。これはその時の映画のポスターの一部。

小林の興味の持ち方はとにかく純粋だ。その対象は誰もが夢をふくらませる宇宙であったり、死と隣り合わせの世界である砂漠であったり、数千年の歳月を経て生命の復活を目指すミイラであったり・・・その興味は深く長く、とめどない。

”ドルメン”や”メンヒル”と呼ばれる巨石記念物には、異常なほどの関心を抱いている。有史以前に何者かの手によってつくられたと「される巨石記念物は、イギリスの”ストーンヘンジ”が有名だが、実は、世界各地にあるのだそうだ。日本でも北海道から沖縄までかなりの場所にあったことが資料で確認されており、小林はおりにふれ、実際に国内の巨石記念物を見る機会を得ている。

山梨にある巨石を訪れた時の写真。観光場所というわけではないから、ゆっくりと撮影ができた。

山梨にある巨石を訪れた時の写真。観光場所というわけではないから、ゆっくりと撮影ができるという。この画像は日本の巨石などを巡った時のファイルの扉ページ。

「ひとつの立石が軽くて数トン、重いもので数十トンあるというから、とても個人で運べるようなものではない。しかし、誰かが運んできた。そこに確実に何らかの知性と意識が働いている。しかも、何かを支配したり誇示するために作ったものではないし、無理に謎めかせて見せているわけでもない。創った者たちがドルメンやメンヒルなどの巨石を必要とした、すごくストレートな感性が伝わってくるんだ。」

(別記事ではあるが、小林健二の執筆による1990年のメディア掲載記事を以下に紹介)

水晶 水精とも書く、この欲望と理性の不思議な統合。身体を添わせてみても何となく冷たい。意識はその外側にいて、内部の原理の法則に心を奪われている。極大のナルシズム、永遠の二相系。自分に自分が恋している。探しているのは君自身だよ。

水晶
水精とも書く、この欲望と理性の不思議な統合。身体を添わせてみても何となく冷たい。意識はその外側にいて、内部の原理の法則に心を奪われている。極大のナルシズム、永遠の二相系。自分に自分が恋している。探しているのは君自身だよ。

巨石 夜明けとともに現れる何かを待つように幾千年の時間を過ごした彼らには、被造物である立石という呪縛を越えて、まるで静かな知性が物質化したような、そんな気高さを感じる。彼らの待ち続けているものは、今どこにいるのだろう。

巨石
夜明けとともに現れる何かを待つように幾千年の時間を過ごした彼らには、被造物である立石という呪縛を越えて、まるで静かな知性が物質化したような、そんな気高さを感じる。彼らの待ち続けているものは、今どこにいるのだろう。

砂漠 この風景の中では、取り残された者たちは即座に死を思い浮かべるだろう。昼の灼熱、夜の極寒、このゆさぶりに耐え切れず硬い岩さえ砂と化して行く。正に人間の力など遠く及ばない様に見える自然の一面だ。でもこれこそ今地球上に、人間が努力して作り続けている悲しい風景でもあるのだ。

砂漠
この風景の中では、取り残された者たちは即座に死を思い浮かべるだろう。昼の灼熱、夜の極寒、このゆさぶりに耐え切れず硬い岩さえ砂と化して行く。正に人間の力など遠く及ばない様に見える自然の一面だ。でもこれこそ今地球上に、人間が努力して作り続けている悲しい風景でもあるのだ。

霜 これは山岳の航空写真でも重晶石(サハラローズ)でもない。窓に付いた霜の姿だ。無意識の正義のように、宇宙は物質に何処かへの方向を促しているかのようだ。天然の世界ではごく当たり前の出来事が僕らを感動させる。幾百もの理論と、幾千もの不安の涯を過ぎて、真実への旅は続いている。いずれ闇も光も一緒になって僕らの夢さえ安らいでいる頃、小さな結晶の一つとして僕も目覚めてみたい。


これは山岳の航空写真でも重晶石(サハラローズ)でもない。窓に付いた霜の姿だ。無意識の正義のように、宇宙は物質に何処かへの方向を促しているかのようだ。天然の世界ではごく当たり前の出来事が僕らを感動させる。幾百もの理論と、幾千もの不安の涯を過ぎて、真実への旅は続いている。いずれ闇も光も一緒になってぼくらの夢さえ安らいでいる頃、小さな結晶の一つとしてぼくも目覚めてみたい。

木星 豊かで、ぼくらの罪を許してくれそうな、ゆっくりとして優しい色をした天体。その大赤斑から生命のかけらたちが生まれていると言う人がいる。渦巻くアンモニアの大気と熱と重力が確かに何かを生み出しているだろう。たくさんの高分子と拡散基が紡ぎ合い複雑で神秘な高次への創造へと導かれてゆく。永い時間が過ぎて木星の友人たちが目覚める頃、人間たちはどうしているのだろう。

木星
豊かで、ぼくらの罪を許してくれそうな、ゆっくりとして優しい色をした天体。その大赤斑から生命のかけらたちが生まれていると言う人がいる。渦巻くアンモニアの大気と熱と重力が確かに何かを生み出しているだろう。たくさんの高分子と拡散基が紡ぎ合い複雑で神秘な高次への創造へと導かれてゆく。永い時間が過ぎて木星の友人たちが目覚める頃、人間たちはどうしているのだろう。

カンブリア紀の海の中 彼らはその時代の真只中にいた。おそらく宇宙を想像することも、愛によって育まれ、生きていくことへの疑問や希望も、僕らの方法とは少々違っていたかもしれない。7対の奇妙な脚(?)を持つハルキゲニア。象の鼻のように長い口(?)によって捕食しながら、五つの大きな複眼で僕らには感じられない構図の景色の中を生きたオパビニア。僕らのしていることは本当に少しだけ。彼らの言葉を知らなくてもカンブリア紀の穏やかな海の底で熱い想いを交感したい。

カンブリア紀の海の中
彼らはその時代の真只中にいた。おそらく宇宙を想像することも、愛によって育まれ、生きていくことへの疑問や希望も、ぼくらの方法とは少々違っていたかもしれない。7対の奇妙な脚(?)を持つハルキゲニア。象の鼻のように長い口(?)によって捕食しながら、五つの大きな複眼で僕らには感じられない構図の景色の中を生きたオパビニア。僕らのしていることは本当に少しだけ。彼らの言葉を知らなくてもカンブリア紀の穏やかな海の底で熱い想いを交感したい。

ヴィーナス 地球上至るところから見つけ出されるヴィーナスは、時代や民族や宗教を越えてどことなく似ている。おそらく、豊穣や繁栄を願ってこの象徴的な祈りの造形は作られた。その作者たちは果たして自分たちだけのことを考えていただろうか?大気や海洋や大地、そして生きとし生けるものの一つに過ぎない者として自分たちを捉えていたのではないだろうか。この太古の先人たちの造形を超えたメッセージが、今、ぼくらに何かを訴えている。

ヴィーナス
地球上至るところから見つけ出されるヴィーナスは、時代や民族や宗教を越えてどことなく似ている。おそらく、豊穣や繁栄を願ってこの象徴的な祈りの造形は作られた。その作者たちは果たして自分たちだけのことを考えていただろうか?大気や海洋や大地、そして生きとし生けるものの一つに過ぎない者として自分たちを捉えていたのではないだろうか。この太古の先人たちの造形を超えたメッセージが、今、ぼくらに何かを訴えている。

コハクの中の蜘蛛 おそらく不意にだろう。彼は濃厚な樹脂の中に落ちてしまった。やがて彼を取り巻いていたものは、気の遠くなるような時間とともに、一つの化石樹脂となり、彼を閉じ込め続けている。朽ち果てることも許されず、彼が見続けなければならなかったその後の地球の歴史について、どのように語ってくれるだろう。彼の故郷である地球が、それこそ不意に、急激な変化を余儀なくされた「人間」という現象の上に、まだ結果を出さずにいてほしいのだけど。

コハクの中の蜘蛛
おそらく不意にだろう。彼は濃厚な樹脂の中に落ちてしまった。やがて彼を取り巻いていたものは、気の遠くなるような時間とともに、一つの化石樹脂となり、彼を閉じ込め続けている。朽ち果てることも許されず、彼が見続けなければならなかったその後の地球の歴史について、どのように語ってくれるだろう。彼の故郷である地球が、それこそ不意に、急激な変化を余儀なくされた「人間」という現象の上に、まだ結果を出さずにいてほしいのだけど。

竜巻 渦巻く風。大地すら揺れている。僕は思わず外に出てしまう。なぜかワクワクしてしまうのだ。龍神をイメージさせ、強烈に空間を泳ぐヘビのような竜巻はそんな日にやってくる。積乱雲の下から現れて、家や船、木や砂や海水、時には人なども巻き上げていく。厚い大気を突き破り、そのあり余る”はたらき”を天と地とをも繋いでしまう。物質を伴わなければならない精神にとって、不自由な時代には、荒れ狂うエネルギーの源に、身も心も委ねてみたい。

竜巻
渦巻く風。大地すら揺れている。ぼくは思わず外に出てしまう。なぜかワクワクしてしまうのだ。龍神をイメージさせ、強烈に空間を泳ぐヘビのような竜巻はそんな日にやってくる。積乱雲の下から現れて、家や船、木や砂や海水、時には人なども巻き上げていく。厚い大気を突き破り、そのあり余る”はたらき”を天と地とをも繋いでしまう。物質を伴わなければならない精神にとって、不自由な時代には、荒れ狂うエネルギーの源に、身も心も委ねてみたい。

ミイラ 彼は再びこの地に彼の霊が復活するためにたくさんの処理を受けた。防腐のため、脳をはじめとして全ての臓器を抜きとられ、アルカリに漬けられた。そして、もし再生しても決して動くことなどできない位に縛り上げられ、さらに幾重にもケースに入れられた。未だ深い眠りの中の彼は、その時代や文化を象徴しているというよりは、目的と手段を取り違えやすい人間社会の矛盾に対して、何か問いを発しているかのようだ。

ミイラ
彼は再びこの地に彼の霊が復活するためにたくさんの処理を受けた。防腐のため、脳をはじめとして全ての臓器を抜きとられ、アルカリに漬けられた。そして、もし再生しても決して動くことなどできない位に縛り上げられ、さらに幾重にもケースに入れられた。未だ深い眠りの中の彼は、その時代や文化を象徴しているというよりは、目的と手段を取り違えやすい人間社会の矛盾に対して、何か問いを発しているかのようだ。

星雲 オリオン星雲は、銀河系で最も大きなガスとチリの塊だ。そこでは今も新しい星々が生まれている。若い星の照り返しが、美しいピンクに染めて、1500年の時間のずれとともに、その姿を伝えている。そしてその背景には、遥か宇宙の広大な海が続いている。始めも終わりも天国も地獄も、すべてを抱いて移ろいゆく。絶え間なく流れていく時間の波の後方に、過去が僕らを包んでいる。そして僕らは、その中に未来を見ようと見つめているのだ。

星雲
オリオン星雲は、銀河系で最も大きなガスとチリの塊だ。そこでは今も新しい星々が生まれている。若い星の照り返しが、美しいピンクに染めて、1500年の時間のずれとともに、その姿を伝えている。そしてその背景には、遥か宇宙の広大な海が続いている。始めも終わりも天国も地獄も、すべてを抱いて移ろいゆく。絶え間なく流れていく時間の波の後方に、過去がぼくらを包んでいる。そしてぼくらは、その中に未来を見ようと見つめているのだ。

ー怪物で表現する素直な驚き

そんな感性の持ち主である小林は、作品の中に怪物を登場させている。

地球上の大陸がまだ一つで、現在の人間界のような敵対のない世界”パンゲアパラダイス”にいた生物を描いたものだという。

彼は一番強い生物。何故ならものを悩んだり、企んだりする脳を持っていないから。彼は一番強い生物。何故なら光の力をそのまま自分の血や肉に変えているから。彼は一番弱い生物。思いっきり愛することのできる重いハートを、4本の足で支えなければならないから。」 小林健二(16歳の時に描いた絵)

彼は一番強い生物。何故ならものを悩んだり、企んだりする脳を持っていないから。彼は一番強い生物。何故なら光の力をそのまま自分の血や肉に変えているから。彼は一番弱い生物。思いっきり愛することのできる重いハートを、4本の足で支えなければならないから。

近年では”ビヒーモス”や”リヴァイアサン”など、空想上の怪物を描いている。

「ビヒーモス-BE’HEMOTH」 A part of the work "You are not alone” 金網、鉄、木、黒竹、アクリルガラス、他 wire mesh,iron,wood,black bamboo,plexiglass,others 2800X5600X500mm 1991

「ビヒーモス-BE’HEMOTH」
A part of the work “You are not alone”
金網、鉄、木、黒竹、アクリルガラス、他
wire mesh,iron,wood,black bamboo,plexiglass,others 2800X5600X500mm 1991

「リヴァイアサン-LEVIATHAN」 A part of the work "You are not alone” 木、油彩、鉛、アクリルガラス、他 wood,oil,lead,plexiglass,others 2850X5000X200mm 1991

「リヴァイアサン-LEVIATHAN」
A part of the work “You are not alone”
木、油彩、鉛、アクリルガラス、他
wood,oil,lead,plexiglass,others 2850X5000X200mm 1991

小林の作品はとても身近だ。それは小林が作家になっても、自然に対して、モノに対して、素直な驚きと興味を持って見つめる感覚が表現のよりどころにしているからだ。

「フルヌマユ;夜の怪物-MONSTER IN THE NIGHT」 アンコスティック、油彩、板encaustic,oil on board 1392X910X40mm 1998

「フルヌマユ;夜の怪物-MONSTER IN THE NIGHT」
アンコスティック、油彩、板 encaustic,oil on board
1392X910X40mm 1998
ぼくの夢に現われるものたちは、みな怪物のようで、そしてみなぼくにとってやさしい心を感じさせてくれる。たいていは風船のようなもので、静かに息をしていて、ためらうようにおだやかでいる。ぼくが人の暮しになんとなく疲れてしまう夜などに、とりわけ多く出現して、ぼくの心を癒してくれる。このビルにタッチしている優しい影は、彼らの一番ありふれた形で、そして最も弱々しい彼らの姿をあらわしていると思う。

 

「g l m-ゴレム-」 板に油彩、金属、他 oil, metal on board, others 1450X1220mm 2006 その名は何に因んでいるのかは定かではない 駱駝と木切れ あるいは水流といったものも 多少あしらってあるかも知れない 誰が名付けたのだろう 自分には見ることのできない名前 まるでボイラーみたいだろ ぼくが気に入っているというわけではないけど ブリキよりは少し上等のトタン板でできているらしい でもぼくには友だちがいないんだいつからここにいて いつまでここにい続けるのかわからない 霧の中の透明な都市の風景の中に 悲しみの三つの文字が浮かび上がる  g l m はただ立ちつくしている

「g l m-ゴレム-」
板に油彩、金属、他 oil, metal on board, others
1450X1220mm 2006
その名は何に因んでいるのかは定かではない 駱駝と木切れ あるいは水流といったものも 多少あしらってあるかも知れない 誰が名付けたのだろう 自分には見ることのできない名前 まるでボイラーみたいだろ ぼくが気に入っているというわけではないけど ブリキよりは少し上等のトタン板でできているらしい でもぼくには友だちがいないんだいつからここにいて いつまでここにい続けるのかわからない 霧の中の透明な都市の風景の中に 悲しみの三つの文字が浮かび上がる 
g l m はただ立ちつくしている

1990-1994年のメディア掲載記事を抜粋編集しています。

 

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KENJI KOBAYASHI

趣味の工作は、事物や自分自身との対話を楽しむ旅

趣味の工作は、事物や自分自身との対話を楽しむ旅ーゆったり流れる手仕事の時間

マルチメディア技術は、アニメーションという、かつては経済的にも工数的にも一人の人間が趣味で取り組むには困難だった表現手段も手軽なものにしてくれた。これも技術進展の賜物だ。

一方で、昔ながらに自分の手で直接材料に触りながら何かを作っていく楽しみもある。その楽しみに自らのめり込み、その意味について思索を重ね、そうした趣味を見直そうと呼びかける小林健二さんを訪ねた。

小林さんは芸術家で、絵画、立体造形など様々な作品を作ってきたが、ここ数年は作品を発表せずに、もっぱら趣味としての鉱石ラジオ工作に没頭してきた。しかもコイルやコンデンサーなど、パーツのひとつひとつから自分で手作りしているという。

「鉱石ラジオを作り始めたのは、夢でチカチカ光る不思議なラジオを見て、そんなラジオが欲しいと思ったから。その夢のラジオを追い求めているうちに、鉱石ラジオというものに出会った。その原理を勉強したら、ぼくらが普段接している工業製品としてのラジオとは全く違うラジオが、自分の好きに作れるんじゃないかって思えてきたんだ。この装置の本質ーー人間の願望と自然の摂理の不思議な出会いを象徴する形のラジオがね。」

小林さんは本当にそんなラジオを製作した。

「趣味で作ることに失敗なんてない。どんな形になってもいい。この自由さが大事なんだ」と語る小林さんが作った鉱石ラジオとゲルマラジオ。

「趣味で作ることに失敗なんてない。どんな形になってもいい。この自由さが大事なんだ」と語る小林さんが作った鉱石ラジオとゲルマラジオ。

「これから音が聞こえてきた時は本当に嬉しかった。神秘的な現象は解明されて歴史の後ろに消えていってしまったわけじゃない。今だってこれは十分神秘的。自分の手で作ったからこそ、余計それを感じるんだと思う。」

そう言って小林さんは、今度はものを作るプロセスを体験する喜びについて語り始めた。

「こんなものがラジオになるんだから不思議だと思わない?」

「こんなものがラジオになるんだから不思議だと思わない?」

「ぼくらは工業製品に囲まれて暮らしている。だからどんな物を見ても、誰かが専門的な機械を使って作ったのだろうと思ってしまい、その物の背後に隠れている技や知恵をわざわざ考えてみようとはしない。もっぱら、役割や機能、値段という視点で物を見がちだ。でも自分の手で作ろうと思ってその物に触れていけば、そうした眼差しでは見落とされていた、先人の知恵や材料の特性が織りなす世界を紐解いていける。例えばこんな コイル一個にだって、そうした世界はあるんだ」

小林さんが最初に巻いたコイル。ラジアルバスケット・コイルといい、余計な特性(キャパシタンス)の少ないコイルを作ろうと1910年代に考え出されたものの一種。

小林さんが最初に巻いたコイル。ラジアルバスケット・コイルといい、余計な特性(キャパシタンス)の少ないコイルを作ろうと1910年代に考え出されたものの一種。

小林さんから自作のコイルを渡された。そのホイールを見ると、円筒に放射状の切れ込みを入れて、11枚の薄い羽根が差してある。どうやって、切り込みをこんな風に中心軸に向かって同じ深さだけ入れるのだろう。円周を11等分する方法は・・・ いざ作り方を考えると、いくつも疑問が湧いてくる。作ろうとしただけで、何気ないものに色々発見がある。それは物と対話しながら、ブラックボックスの蓋を開いていくワクワクする体験だという。

さらに小林さんは、工作が自分自身について考え、知る体験でもあるという。

「例えば、その切り込み味だけど、ぼくは器用じゃないから、ただ単純に鋸を当てたんじゃ、とてもこんな風には切れない。でも、切るときに円筒の側面に常に垂直に歯が当たるような状況を作り出すことは、そんなに難しくないし、鋸の歯に切りすぎ防止のストッパーを付ければ、切り込みの深さが一定になる。

即ち、ぼくの手にどの程度のことができるかを考えて、否が応でもこんな切り込みができるような工夫をすればいい。そして望んでいたように切る込みが入れられた時、とてもいい気持ちになれる」

そうやって、一つ一つのことをクリアしていくプロセスを、小林さんは旅に喩える。完成させることだけが目的ではないし、急ぐ必要もない。道中の色々な出会いや発見が楽しいのだ。

*1997年のメディア掲載記事から抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

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遠方からの映像ーもうひとつのテレ・ビジョン

「テレビ=テレビジョンには、二つの意味がある。一つは1928年に放送が始まり、今ではどこの家庭にもある放送を受信する機械。もう一つは、もっと広い意味の、テレ(遠隔)ビジョン(画像)」

アーティスト小林健二氏は、そんな遠方からの映像を結晶させたような美しい作品をたくさん作っている。氏のアトリエはまるで錬金術の工房のようで、鉱物の標本や、使い込まれたヨーロッパの工具、天井まで旧仮名遣いの本がぎっしり並ぶ本棚、などなどがあり、暗がりには猫が潜んでいた。そこで、4つの作品を見せてもらった。

2004年頃の小林健二のアトリエ。小学生の頃から鉱物は好きで少しづつ集めてきた。仕事場にも随所に鉱物を飾っている。画像はアンモナイトの化石のクリーニングをしているところ。

2004年頃の小林健二のアトリエ。小学生の頃から鉱物は好きで少しづつ集めてきた。仕事場にも随所に鉱物を飾っている。画像はアンモナイトの化石のクリーニングをしているところ。

小林健二の道具から、ヨーロッパの工具の中でも、大きさが手ごろで気に入っているものから何点か選んだもの。見ているだけでも美しい。

小林健二の道具から、ヨーロッパの工具の中でも、大きさが手ごろで気に入っているものから何点か選んだもの。見ているだけでも美しい。

[IN TUNE WITH THE INFINITE-無限への同調]

レトロなデザインの箱の中に青い土星がゆっくり回転し浮かんでいる作品。土星の輪の傾きも変化する。

「癒しという言葉はそんなに意識していないけれど、ひっそり部屋の中において、これを見ていると何か安心するという話を何回か聞いたことがある。」

[IN TUNE WITH THE INFINITE-無限への同調]

[IN TUNE WITH THE INFINITE-無限への同調]

[青色水晶交信機-Blue Quartz Communicator]

スイッチを入れると、モールス信号のようなツツツーという音が聞こえ、箱の中のクリスタルの内部に灯る光も同調して明滅する。

「ここに(箱の中を開けて)微量な放射線を放出する小さなウラニナイトがあって、ガイガーカウンターの音を信号に変換して鳴らしている。耳がモールス信号に慣れている人だと、音の中に意味がわかる組み合わせを聴くこともある。」

何万年も昔に生まれた石のつぶやきが通信されてくるみたいだ。

「あと(パタンと箱を閉じて)、箱の中に機械の部分があったけど、、クリスタルは見えなかったね。でも閉じると、機械ではなくクリスタルしか見えないでしょう?」

作品上部の窓からは見えない機械部分が、箱を開けると見える。

[青色水晶交信機-Blue Quartz Communicator]

[青色水晶交信機-Blue Quartz Communicator]


Blue-Quartz-Communicator from Kenji Channel on Vimeo.

[鉱石式遠方受像機-Crystal Television]

箱の中に納められたユーレキサイト(通称テレビ石)という鉱物の表面に、映像が写しだされる。ボウッと霞む白い石の表面に映ると、いつの時代の映像かわからなくなる。作品全体、アンテナといい箱の形といい、最も古いテレビのスタイルを踏襲している。音もエフェクトされている。

「なんとなく過去からの放送を見ているみたいでしょう。ぼくなんかもそうだけど、昔のテレビを知っている人なら、子供の頃見ていた放送が見えるかもしれない。」

[鉱石式遠方受像機-Crystal Television]

[鉱石式遠方受像機-Crystal Television]


Crystal-Television from Kenji Channel on Vimeo.

[遠方結晶交信機-Crystal Channel Communicator]

2台で一対になっている。展覧会では離れた二つの会場を結んで、お互いに映像を映し出す。テレビ電話みたいなものだが、映像がクリスタルに投影されているのではなく、クリスタル内部に結像しているのが美しい。未来を映す魔法の水晶のよう。通信や放送の専門家ほど首をひねるという。

「H・G・ウエルズの小説『卵型の水晶球』のようなものを作りたかったんだ。」

「昔のテレビもそうだけど、たとえ情報量が少なくても、映像を注視する、気持ちを近づけて交信する。そういうことが、いろんなビジョンを見せてくれたりする。遠くの世界が何かの箱を通じて見える、結像する面白さがテレ・ビジョンの魅力だね。」

[遠方結晶交信機-Crystal Channel Communicator]

[遠方結晶交信機-Crystal Channel Communicator]


Crystal-Channel-Communicator from Kenji Channel on Vimeo.

*2004年のメディア掲載記事を抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

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「見えない」領域が見えてくるカタチ

色とりどりの瓶、様々な形の鉱物、世界各国の工具、膨大な書籍・・・・

小林健二のアトリエは、まるで宇宙の真理を探るマッド・サイエンティストの研究室のよう。訊ねれば、瞳を輝かせて油彩絵の具の製造法から最新の電子工学、聖書や戦没者の遺歌まで話が及ぶ。

「ぼくが好きで調べているだけ」と断りを入れながら、「人間は、長い歴史の中で天然の”もの”と対峙するための手続きをひとつずつ発掘してきた。だけど現代は、便利さに目を奪われて結果しか見ない。それが、どんなに地球と人間自身を損なっているか・・・」。

安易に浪費する一方の現代社会への危機感をにじませる。

1999年頃の小林健二アトリエ(執筆するための部屋の一角)

1999年頃の小林健二アトリエ(執筆するための部屋の一角)

1999年頃の小林健二アトリエ(絵画材料の一部、樹脂や溶剤など。研究資料としても海外から取り寄せたものも並ぶ)

1999年頃の小林健二アトリエ(絵画材料の一部、樹脂や溶剤など。研究資料として海外から取り寄せたものも並ぶ)

1999年頃の小林健二アトリエ(鉱物標本も箱にしまってあるものの他に、実際に仕事場に飾ってあるものも多くある)

1999年頃の小林健二アトリエ(鉱物標本も箱にしまってあるものの他に、実際に仕事場に飾ってあるものも多くある。左側に執筆部屋が見える。)

1999年頃の小林健二アトリエ(車庫を改造して作った書庫。天井まで続く書棚には古今東西から集められた書籍の数々。)

1999年頃の小林健二アトリエ(車庫を改造して作った書庫。天井まで続く書棚には古今東西から集められた書籍の数々。)

彼は一番強い生物。何故ならものを悩んだり、企んだりする脳を持っていないから。彼は一番強い生物。何故なら光の力をそのまま自分の血や肉に変えているから。彼は一番弱い生物。思いっきり愛することのできる重いハートを、4本の足で支えなければならないから。」 小林健二(16歳の時に描いた絵)

「彼は一番強い生物。何故ならものを悩んだり、企んだりする脳を持っていないから。彼は一番強い生物。何故なら光の力をそのまま自分の血や肉に変えているから。彼は一番弱い生物。思いっきり愛することのできる重いハートを、4本の足で支えなければならないから。」
小林健二(16歳の時に描いた絵)

新橋生まれの東京人。幼い頃から博物館に通い、古本屋に出入りしていた。16歳で現在の思考の原型となるインク画を描き、20歳より本格的な創作活動に入る。

心根では人間に対する興味と敬意を抱きつつ、日常では人に会うのが苦手だという。

もの作りに精通した小林の表現は、実に多彩なカタチで現れる。

絵画、立体、大がかりなインスタレーションなど、美術分野だけでなく、詩や音楽も作る。電波を受信するとガラスドームの中の結晶がささやくように明滅するラジオは「ぼくらの鉱石ラジオ」(筑摩書房)を著すきっかけとなった。あらゆるジャンルを横断しながら、すべての作品が、確かに小林健二の手から生まれたという印象を放つ。言葉に置き換えるのは難しいが、世界の根源にアクセスするキーワードのようなものとでも言おうか。

たとえば、東京での新作展では、古い地層から発掘された土器か、未来の機械の部品のような品々が並んだ。作品として”見える”ものは、ささやかで親しみ深い姿形だが、同時に太古の物語や未知の文明など”見えない”領域へ、見るものをの想像力を無限に刺激する。

小林健二作品「夢の授業の出土品」

小林健二作品「夢の授業の出土品」

「夢の授業の出土品」 ぼくは夢の中で小学生のような授業に出席している。先生はムラサキ色とピンク色で、屋外へ出て過去を発掘する実習をするという。地面のいたるところから土器のような焼成物が出土するが、少しもいたんでいないようだ。ぼくの知らない時代や文化のものだが、文字があるものもある。先生はいつのまにかミドリ色になって「確かにその世界は存在している。ただ誰にも見えないんだ。」というような事を言って授業は終わる。

「夢の授業の出土品」
ぼくは夢の中で小学生のような授業に出席している。先生はムラサキ色とピンク色で、屋外へ出て過去を発掘する実習をするという。地面のいたるところから土器のような焼成物が出土するが、少しもいたんでいないようだ。ぼくの知らない時代や文化のものだが、文字があるものもある。先生はいつのまにかミドリ色になって「確かにその世界は存在している。ただ誰にも見えないんだ。」というような事を言って授業は終わる。

小林健二個展「6月7日物語]

小林健二個展「6月7日物語]

「大事な事は、見えないところに潜んでいる。見えるものはひとつの結果に過ぎなくて、見ようとする意志が大切なんだ。ぼくの作品に出合った人それぞれがイマジネーションを広げ、自分の中を探検し、その人なりのものを見つけられたら、そんな素敵な事はないさ。」

これは、流行や虚栄や権威に惑わされ、かえって孤独に陥っている現代人への、小林の祈りに近い想いなのかもしれない。

「アートに力があるとすれば、お互いの価値を認め合い、みんなで話し合える場になることじゃないかな。そうなれば、人は誰も独りじゃないさ。」

鉱石ラジオが受信した音のように、彼の想いは密やかに心に響く。

*1999年のメディア掲載記事を編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

Kenji-Kobayashi-Library from Kenji Channel on Vimeo.

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[見えない世界へ通じる魅力]ラジオ工作

ぼくは電子工作が好きなので秋葉原の部品屋によく出かける。家電などを扱う表通りに対して、その場所は電飾もなく、昔の「ヤミ市」とはこんな感じかと思わせるところが多い。タタミ一畳ほどのブースのような小さな店には、数え切れない電子部品が並べられていて、それと同じ数の夢まで詰め込まれているようだ。世の中に二つとないこんな不思議な世界を、ちょっと興味のある方は観光してみたらどうだろう。

東京秋葉原ラジオデパートのショップガイド、1994年のもので、CQ出版社が出している。この建物の中に電子部品を扱うブースがひしめいている。

東京秋葉原ラジオデパートのショップガイド、1994年のもので、CQ出版社が出している。この建物の中に電子部品を扱うブースがひしめいている。

しかしながら、この「電子人生横丁」に入る人の数も年々減ってきていると聞く。確かに最近、ぼくもこの場所で子ども達と出会わなくなったと思う。

そんなわけだからラジオ工作の雑誌は今ではほとんどが廃刊になったり、オーディオ雑誌へと変貌していたりするというのもうなずける。「 ラジオの製作」はそんな中、よくぞ続いているものだと感心する。早速7月号を見てみると、まず別冊付録が挟まっていて、「組み立てようぼくだけのパソコン」とある。

「ラジオの製作」電波新聞社

「ラジオの製作」電波新聞社

「ラジオの製作」1998年7月号

「ラジオの製作」1998年7月号

お金さえ出せば何でも手に入る時代になっても、かつての工作少年を思い出すようで面白い。記事には「ポケット・ラジオの製作」「タッチ・ランプの製作」「ステレオアンプの製作」と電子工作が9種も載っている。余暇の過ごし方がイマイチと感じる人がいるなら、これらの実用性?もある電子工作にふけってみるのも一考だろう。回路図が読めなくても作れるような配慮は嬉しい。

「エレクトロニクス入門」というコーナーでは、デジタル回路について、一般読者にもわかりやすい連載もある。日頃「もう少し電気に強かったら」と嘆いている方には打って付けではないだろうか。最近は「理科離れ」「手を動かさない日本人」とか言われるが、同じフレーズは戦前の本にも顔を出していた。基本的にはあまり変わっていないのだから、落ち込む前にこんな雑誌を覗いてみたらどうだろう。ひょっとするとヤミツキになるかもしれない。

電子の世界というと、難しい数式が支配する「合理性の親玉」というイメージがあるようだが、「ラジオ工作」に代表される電子工作について言うならば、それは当てはまらないと思う。むしろ詩の世界に通じるものがあって、その向こう側に、電化社会の便利さに追いやられてしまった大切なものを発見できるかもしれない。

本来、電子も電波も目には見えないものである。しかしかつて、幾多の少年たちの夢や期待を育んだ透明な通信の世界は、現代に生きるぼくたちに、便利なものだけでは見つけられないものがあることを伝えているような気がする。

小林健二

昭和20年代の頃には「ラジオ」とつくタイトルの雑誌が、いろいろ出版された。

昭和20年代(1950年頃から)の頃には「ラジオ」とつくタイトルの雑誌が、いろいろ出版された。

大正時代の電気の雑誌。鉱石ラジオに関する記事もあり、「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」を書くにあたって、古書店巡りに明け暮れた頃、何冊か昔の本や雑誌に巡り会えた。そのうちの二冊の雑誌。

大正時代の電気の雑誌。鉱石ラジオに関する記事もあり、「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」を書くにあたって、古書店巡りに明け暮れた頃、何冊か昔の本や雑誌に巡り会えた。そのうちの二冊の雑誌。

「ラジオの製作」は1954年に創刊、1999年に休刊になりました。また秋葉原の東京ラジオデパートの中では、現在営業していないお店もあります。

*1998年のメディア掲載記事を抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

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小林健二と鉱物標本

小林健二は海外に旅行するときも、必ず自然史博物館には立ち寄る。ドイツに住んでいる友人を訪ねた時におとずれたボンにある博物館の外観。

小林健二は海外に旅行するときも、必ず自然史博物館には立ち寄る。ドイツに住んでいる友人を訪ねた時におとずれたボンにある資料館の外観。

いつ頃から石を好きになったかって?

うーん、小学校に入ったくらいにすでに石みたいなものは好きで拾っていたんだ。でも、それらは大抵さざれたビンのかけらや色ガラスだったかもしれない。鉱物の標本として少しづつおこづかいを貯めて手に入れたものは、小学校4-5年生頃だったと思う。でも、その時はまだビー玉や、化石と信じていた貝殻なんかと同じように扱っていたよ(笑)。

中学になって神保町の古本屋によく出かけるようになった頃、すずらん通りの中ほどに高岡商店というのがあって、そこで水晶や蛍石なんかを見たり集めたりしていた、あと当時は、上野の国立科学博物館の売店でも鉱物標本は少しずつ充実しはじめていたと思う。でも、今の鉱物フェアのようにカラフルで誰が見ても綺麗な標本って少なかった。

小林健二が中学ー高校生の頃、集めていた鉱物を入れるために自作されたケースと標本たち。

小林健二が中学ー高校生の頃、集めていた鉱物を入れるために自作されたケースと標本たち。

18歳くらいだったと思うけど、千駄木に「凡地学研究所」というのを知人に教えらたのが鉱物標本と離れられなくなったきっかけってことかな。「凡地」は当時細い路地にあって、今にも壊れそうな、靴を脱いで上がる木の階段の2階にあった。そこはぼくにとって夢の世界だった。高価で手に入るものばかりではなかったけど、見ているだけでも許してもらえて、その後溶接のバイトなんかでお金が入ると思わず飛んで行ったりしたよ。そういえば、その頃「凡地」に、黄鉄鉱化したアンモナイトで内側がオパール化した標本があった。生物の有機体が永遠の結晶に置き換わっていたんだ。声も出せずに見つめていたことがあったっけ。

やがて古典画法に興味を持ち始め、藍銅鉱(らんどうこう)や孔雀石、石黄やラピスラズリ、辰砂(しんしゃ)などの顔料鉱物が気になった時期もあって、友人と下仁田まで鶏冠石(けいかんせき)を掘りに行ったりして、やがて13-14年前からツーソンやミュンヘンのようなミネラルショウが日本でも開かれると聞いた時にはワクワクした。

一般の人でも鉱物標本に触れる機会が多くなったのは素晴らしいことだと思う。東京では6月に新宿、12月には池袋でミネラルショウもあるし、楽しみだよね。

どんな石が好きかって?

子供の頃から透質な結晶が好きだったことは今も変わってないけれど、鉱石ラジオをつくるにあたって、元素鉱物や硫化、酸化鉱物などに触れたり、顔料鉱物と出会った時も魅了されたよね。

ぼくは思うんだ。天然の世界にあるものって、どんなものでもそれぞれの魅力を持っていて、きっと彼らを見るぼくらの方が、何かに気づけて出合えたということじゃないのかな。

小林健二

ドイツ・ボンの博物館は、昔(健二が小学ー中学生の時に通っていた頃)の上野にある国立科学博物館の鉱物標本展示室にどこか似ている、と話す。

ドイツ・ボンの資料館は、昔(健二が小学ー中学生の時に通っていた頃)の上野にある国立科学博物館の鉱物標本展示室にどこか似ている、と話す。

ドイツ・フランクフルトの鉱物標本展示室。

ドイツ・フランクフルトの鉱物標本展示室。

ドイツ・ミュンヘンの自然史科学博物館の鉱物標本展示室。

ドイツ・ミュンヘンの自然史科学博物館の鉱物標本展示室。おそらく岩塩か何かなのであろう、さらにドーム型のケースに入れられている標本もある。

ドイツ・デュッセルドルフの資料館の鉱物標本展示スペース。

ドイツ・デュッセルドルフの資料館の鉱物標本展示スペース。

イタリア・ミラノにて。シチリア産の「硫黄」は有名な標本。

イタリア・ミラノにて。シチリア産の「硫黄」は有名な標本。

*1999年のメディア掲載記事から抜粋編集し、画像は新たに付加しています。ミネラルショウに関しては最近は知名度も上がり、多くの愛好家によって画像などもアップされていると思われるので、ここでは省いています。また、文中の「高岡商店」や「凡地」は現在はお店はそこに存在していません。

[鉱物顔料の世界と小林健二]

鉱石ラジオの検波に使える鉱物のいろいろ

[地球に咲くものたち]小林健二の鉱物標本室より

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[手の宇宙]

小林健二さんは、何をしている人なのか一言で説明するのは難しい。絵も描く、家具も作る、本も書く。最近の仕事では「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」を著した。この本を書くにあたって、もちろん鉱石ラジオも作った。

東京・小石川にある工房は、天井の高い広くて白い空間だ。壁面には茶色の試薬瓶が並び、木工機械や大工道具、角材、石などが、どれも使いやすそうに整理されて、出番を待っている。中でも大工道具は、日本のものだけでなく世界各国の古いものから新しいものまで、珍しいものがたくさんある。

1997年頃の小林健二アトリエ

1997年頃の小林健二アトリエ

1997年頃の小林健二アトリエ

1997年頃の小林健二アトリエ

小林健二の道具

イングランドのコンパスプレーン(鉋)。削るものの曲面に合わせて、ネジで反り具合を調節できる。

小林健二の道具

これもイングランドのコンパスプレーン。プレーンは日本語で鉋のこと。桶などを作る時など、曲面に合わせて反りを調節して削る。

海外の珍しい鉋など

海外の珍しい鉋など。

小林さんが道具に興味を持ち始めたのは20年くらい前からだという。

絵を描くのは子供の頃から好きだった。でももっと色々作ってみたい・・・本棚一つでも、作るとなれば鋸とか道具があれば便利だと思った。そうやって必要な道具を買い足していくと、もっと道具のことが知りたくなって、大工道具屋に足を運んだ。鉋といってもいろんな種類があることを知る。世の中にはいろんな工具があって、使い方、考え方、物へのアプローチの仕方、みんな違うことがわかる。

友達になった欧米人に工具のことなんか聞くと、意外にもみんな結構詳しい。自分の家の中のことくらいは自分で直したり、作ったりする習慣が根付いているからだ。

「日本でも昭和40年頃までは、みんなそうでしたよね。いつの間にかその感覚を忘れているような気がする。」と小林さんは言う。

東京田端新町の中古道具店にて、工具を探す小林健二。

東京田端新町の中古道具店にて、工具を探す小林健二。

骨董市などでも道具を専門に出している店がある。そこで中古の道具をみる小林健二。

骨董市などでも道具を専門に出している店がある。そこで中古の道具をみる小林健二。

20年前、小林さんが工具に興味を持ち始めた頃、それはちょうど電動工具が台頭してくる時代だ。通っていた大工道具屋が『どうせ売れないから』と、鉋なんかの手道具を安く出していたこともあったという。

「無くなってしまうものは残しておきたいんです。証を残したいというか、一つの道具が持っている背景を考えただけでも、それがあるのとないのとでは失うものが全然違うでしょう。」

小林さんはこうして集めたものが自分の持ち物という意識はあんまりないという。自分がたまたま出会って、預かっているような気がする。

「生活のことを考えたら、結構高価な道具も買っていたりした。でもなくなっちゃうかと思ったら、何とかしたくなる。」

もちろん実際に使っている。全部というわけではないけれど、用途に合わせて取り出して使う。他にも日常的に使う工具には独自の加工をして使いやすくしてある。そして仕事をしていない時でも、小林さんは常に何かしらの道具を手に持って触っているという。触れなれていると、怪我をしない。道具への接し方を、手が自然に覚えていく。

今、少年工作模型のキット作りとその本の出版を計画中だそうだ。小林さんがやっている様々なことを、何かの分野でくくろうとするのは難しい。けれど願いは一つ「人間の暮らしが、自分なりに手作りできる範囲の中に戻ってきてほしい。」ということだ。

*1997年のメディア掲載記事を抜粋編集し、画像を新たに付加しています。

Kenji-Kobayashi-Tools from Kenji Channel on Vimeo.

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[すすめ!永遠の科学少年]

[サイラジオ:透質結晶受信機(PSYRADIOX:ICE CRYSTAL RECEIVER)] 木、合成樹脂、電子部品、他 (透質結晶が青く光りながら回転し、同時にラジオも受信する)

[サイラジオ:透質結晶受信機(PSYRADIOX:ICE CRYSTAL RECEIVER)]
木、合成樹脂、電子部品、他
(透質結晶が青く光りながら回転し、同時にラジオも受信する)

ー実験や工作は自分自身を見つめることでもあるんだ

小林さんはオブジェ的な魅力をもった作品の製作や、『ぼくらの鉱石ラジオ』をはじめとした著作を通して、実験、工作に対するこだわりの姿勢を貫いてきた。

小林健二「僕らの鉱石ラジオ」出版:筑摩書房

小林健二「ぼくらの鉱石ラジオ」出版:筑摩書房

小林健二「ぼくらの鉱石ラジオ」出版:筑摩書房

小林健二「ぼくらの鉱石ラジオ」出版:筑摩書房

「通常、日本語で”実験”といった場合、普通の人には、化学的な薬品の反応をみるといったような意味合いが強いかもしれない。だけどぼくは、”実験する”ということは、何かに向かい合って行こうとする姿勢みたいなものだと思う。つまり、人間が森羅万象を理解して行こうとする時に関わり合う”通路”、または”手続き”と言えばいいのかな。」

ー顕微鏡ひとつで、身の回りも世界が変わる

枯れた草に火をつけるということも、古代人にとっては、生きていく上での重要な”実験(試み)だった。だからみんなもあまり難しく考えないで、身近なところから始めてみてほしい、と小林さん。例えば、忙しい日々のさなか、ぽっかりと自分の時間がとれた時などに、机の上のものを顕微鏡で覗いて見るだけでもいい。

「新品の精密な顕微鏡を買おうものなら、下手な中古車ぐらいはかかるから、学童用の顕微鏡。または虫めがねでも十分。紙が細かい繊維でできていることを頭では知っていても、現実に目の当りにすると、多分驚くと思う。そういう新たな視点、見方から触発されたり、人生観が深まることだってあるからね。」

小林健二の自作プレパラートと顕微鏡

小林健二の自作プレパラートと顕微鏡

ー工作道具をいじっているだけで、心が安らぐ効果がある

「実験や工作に、あえて目標を定める必要はないんだ。ある意味では、自分自身と向き合うことでもあるんだから。例えば、サビた刃物を無心に研ぐだけで、気持ちが次第に楽になっていく。これは実際想像するよりはるかに効果的で、一度ためしてみる価値はあるよ。心が安らげるっていう受動的な立場でありながら、刃が研げるという能動的な結果も出る(笑)。」

小林さんはこうした実験、工作の醍醐味が味わえるようなキットを世に送り出している。中の材料からパッケージまで、オリジナル部品ばかりだ。品切れのものもあるが、今後のラインナップに期待したい。

鉱石ラジオキット[銀河1型] 6,000円(税抜き価格) 仕上がり寸法:H75XW190XD120mm 部品表 ケース/エナメル線/ツマミ(黒ベーク)/スパイダーコイル巻枠/鉱石ターミナル(赤2、黄1、緑1、青1)/ナット7個/ワッシャー(小)9枚/ワッシャー(大)4枚/バリコン/透明リング/ネジ(3×10/1個/バリコン用2個)/ドライバー/銅線 S字/鉱石検波器(本体+針)/説明書/クリスタルイヤフォン/シャフト/ベークカラー/ハンダ/サンドペーパー/ゲルマニウムダイオード キットの組み立てには、ハンダゴテやペンチなどの工具が必要の場合があります。 バリコン以外は鉱石ラジオ発足当時の原形をとどめるとも言えるキットです。黒色紙製スパイダーコイルにさぐり式検波器を装置しています。このさぐり式の鉱石ラジオは、最も象徴的な形式です。 この銀河通信社製鉱石ラジオは東洋に於いては始めて作られたさぐり式の鉱石ラジオキットです。当社では数種のさぐり式鉱石ラジオキットを製作しておりますが、安定性と感度を期待できる組立キットの1つと言えるでしょう。みなさんも、この結晶式受信機によってあなたの透明な通信を受け取ってください。(説明書より抜粋)

鉱石ラジオキット[銀河1型]
6,000円(税抜き価格)
仕上がり寸法:H75XW190XD120mm
部品表
ケース/エナメル線/ツマミ(黒ベーク)/スパイダーコイル巻枠/鉱石ターミナル(赤2、黄1、緑1、青1)/ナット7個/ワッシャー(小)9枚/ワッシャー(大)4枚/バリコン/透明リング/ネジ(3×10/1個/バリコン用2個)/ドライバー/銅線 S字/鉱石検波器(本体+針)/説明書/クリスタルイヤフォン/シャフト/ベークカラー/ハンダ/サンドペーパー/ゲルマニウムダイオード
キットの組み立てには、ハンダゴテやペンチなどの工具が必要の場合があります。
バリコン以外は鉱石ラジオ発足当時の原形をとどめるとも言えるキットです。黒色紙製スパイダーコイルにさぐり式検波器を装置しています。このさぐり式の鉱石ラジオは、最も象徴的な形式です。
「この銀河通信社製鉱石ラジオは東洋に於いては始めて作られたさぐり式の鉱石ラジオキットです。当社では数種のさぐり式鉱石ラジオキットを製作しておりますが、安定性と感度を期待できる組立キットの1つと言えるでしょう。みなさんも、この結晶式受信機によってあなたの透明な通信を受け取ってください。(説明書より抜粋)」

鉱石ラジオキット[銀河2型] 5,000円(税抜き価格) 仕上がり寸法:W11XD16XH9cm 部品表 ソレノイドコイル用紙筒 /エナメル線 /木の板 /バリコンセット(ポリバリコン+ツマミ)/鉱石検波器(本体+針)/クリスタルイヤフォン/鉱石ターミナル(黒2)/ハンダ/サンドペーパー /ゲルマニウムダイオード/画鋲 2個/銅線 S字/説明書/木工接着剤/鉱石ラジオ用ニス 尚、キットの組み立てには、ハンダゴテやペンチなどの工具が必要の場合があります。 バリコン以外は鉱石ラジオ発足当時の原形をとどめるとも言えるキットです。2型は紙筒ソレノイドコイルを使用し、さぐり式検波器を装置しています。このさぐり式の鉱石ラジオは、最も象徴的な形式ですが、今まで我国でキットとして発売されたことはありませんでした。当社でも初期に設計、デザインが仕上がった組立キットの1つです。 鉱石ラジオの構造が分かりやすく配置されており、子供から大人まで手作り感覚が楽しめるキットです。

鉱石ラジオキット[銀河2型]
5,000円(税抜き価格)
仕上がり寸法:W11XD16XH9cm
部品表
ソレノイドコイル用紙筒 /エナメル線 /木の板 /バリコンセット(ポリバリコン+ツマミ)/鉱石検波器(本体+針)/クリスタルイヤフォン/鉱石ターミナル(黒2)/ハンダ/サンドペーパー /ゲルマニウムダイオード/画鋲 2個/銅線 S字/説明書/木工接着剤/鉱石ラジオ用ニス
尚、キットの組み立てには、ハンダゴテやペンチなどの工具が必要の場合があります。
バリコン以外は鉱石ラジオ発足当時の原形をとどめるとも言えるキットです。2型は紙筒ソレノイドコイルを使用し、さぐり式検波器を装置しています。このさぐり式の鉱石ラジオは、最も象徴的な形式ですが、今まで我国でキットとして発売されたことはありませんでした。当社でも初期に設計、デザインが仕上がった組立キットの1つです。 鉱石ラジオの構造が分かりやすく配置されており、子供から大人まで手作り感覚が楽しめるキットです。

 

硝子結晶育成キット 2,500円(税抜き価格) パッケージサイズ:W14XH12XD18cm 約1週間から10日で母岩の上に高さ6cm前後の淡い緑色を帯びた結晶が群晶となって成長します。

硝子結晶育成キット
2,500円(税抜き価格)
パッケージサイズ:W14XH12XD18cm
約1週間から10日で母岩の上に高さ6cm前後の淡い緑色を帯びた結晶が群晶となって成長します。

6/4,11,19の小林健二トークの時に3回にわたって育成した「硝子結晶」

6/4,11,19の小林健二トークの時に3回にわたって育成した「硝子結晶」

「今は情報が溢れすぎているから、感覚が緩慢になっているところがある。エレガントなものや、繊細なものの現象があっても、それに気づかなかったりする。だからこそ、実験や工作をやることで、自分自身を見つめる機会があってもいい。鉋をかけた経験が一つあれば、神社や寺なんかの建築の細工に驚くこともあるかもしれない。そういうことに気づけたり、感動できる受け口は、いくらあってもいいんじゃないかな。」

*2001年のメディア記事を抜粋編集し、画像は新たに付加しております。また、キットのキャプションは銀河通信社サイトから転用しております。

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[原初の真空管をつくる]

原初の真空管をつくる オリジナル直熱3極管(ポリカーボネイト製固定枠に設置)

原初の真空管をつくる
オリジナル直熱3極管(ポリカーボネイト製固定枠に設置)

ー怪物のような真空管

ぼくはギターエフェクターのディストーションやテルミンのような特殊な楽器を組むとき以外、アンプやラジオは大抵トランジスターやICを使用します。それは以前真空管でセットを制作中に高圧に感電した経験があって、どうしても低電圧の回路に気持ちが入ってしまうからです。ですから真空管についてはそれほど多くの知識は持ち合わせていないのです。そんな真空管について素人であるぼくが、なぜこんな形をしたものに興味を抱いているかというと、ぼくにとっての「真空管」というものの魅力の一つは、その音質や性能というよりは、それがまだほぼ電球とそれほど違わなかった時代の、目に見えない熱電子のふるまいを感じさせるようなところにあります。そして当時のまるで原理模型のような、また怪物のような形態も、さらに心の引力に拍車をかけていると思います。

当初、酸素を使う専門のバーナーや真空ポンプ等をいろいろいじってみても、そう簡単にバルブなどは作れるものではありませんでした。そこで以前から特殊な放電球の政策を依頼していた技師の方に半ば無理やりに相談を持ちかけて、具体的な作業を行ってもらったのが今回のものです。

プレートの取り付け方など、1900年ころ米国で発表されたフレミングヴァルブをイメージさせるプリミティブな構造。

プレートの取り付け方など、1900年ころ米国で発表されたフレミングヴァルブをイメージさせるプリミティブな構造。金属円板の プレート、網状のグリッド、スパイラル状のタングステン材フィラメントで構成されている。ゲッター付きの高真空型というところが現代的。

魚焼き網を連想させるグリッド。マルコーニ5625(1927年)の構造を彷彿とさせる。スパイラル状のフィラメントは純タングステン材で、実物は眩しいほどに白熱発光する。

魚焼き網を連想させるグリッド。マルコーニ5625(1927年)の構造を彷彿とさせる。スパイラル状のフィラメントは純タングステン材で、実物は眩しいほどに白熱発光する。

このバルブがスペックが取れないのは、ぼくによるところの結果です。しかしそれはまたいいわけではなく、ぼくにとっては少しも失敗ではないと思っています。なぜかというとこの世に真空管が現れはじめ、「分子の影」や「エジソン効果」もまだ半分は謎の領域にあり、地球上の誰もがその効果や性能、そしてその将来の行く末も明らかでないものと対峙し始めた、そんな時代を追体験してみたかったからに他なりません。原理が発見された後は、理論や生産の合理化と競争になっていくのは人の世のならいであったのでしょう。僕としては、それら競い合う意識が未熟のまだぼんやりとして霞のかかった五月の朝のような、そんな時代を夢みるのが楽しく、便利さや合理性だけでは語れない世界に、どうしても今の時代が失ってしまった何かを感じてしまうのです。

小林健二氏によるオリジナル真空管の構想スケッチ。3極管の他にも2極管も製作中。

小林健二氏によるオリジナル真空管の構想スケッチ。3極管の他にも2極管も製作中。

今回、球形の2極管の写真は間に合いませんでしたが、風船玉やミジンコのようだったり、透明で何か小さな生き物のように何本もの裸線が触手のように出ているバルブを見ていると、何かウットリする気持ちになります。そしてこれらのいみじき者らが、本当に通電によって少しでも作動するということは、電子の世界の不思議さを感じさせてくれるのです。もちろんぼくはこんな気持ちを人に押し付けるつもりは少しもなく、ただ、何かよくわからない世界のことを日々考えていることが、子供の頃から好きでたまらないのです。

小林健二

*1999年のメディア掲載記事を抜粋編集しております。

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[アートとは、人間について考える科学だよ]

ーアートとは、人間について考える科学だよ。

東京は新橋に生まれ育ったという小林さん。なくなりつつある江戸っ子気質をしっかり担う東京人の一人である。

「ぼくが子どもの頃、家の前には都電が通っていて、石畳や柳があって、道路ではみんながキャッチボールなんかしてゆったりとした時間があり、それは魅力的な街だったと思いますね。ところが物量主義的な時代の流れの中で、そう言った合理性だけでは割り切れないものがどんどん捨てられていった。ぼくらは確かに合理的で便利なものを手に入れたけど、鉛筆一本でも自分で使い込んだものは愛情が湧くというような、合理性だけでないこんな素敵な感性までも、一緒に失ってしまったんじゃないかな。」

1990年頃の小林健二のアトリエ

1990年頃の小林健二のアトリエ

アトリエを一歩入ってみる。よく使い込まれたカンナ、ノミといった伝統工具やドリルなど世界中の電動工具たちがところ狭しと並んでいる。アトリエと言うよりまるでどこかの町工場だ。それも職人のエネルギーが充満した密度の高い町工場の空気だ。彼はここであらゆる物質と向き合い、試行錯誤してそれに生命を与える。そしてここで語り、酒を飲み、自らの生命の洗濯をする。

「ぼくはいつも自分自身が信じれる人間でいたいと思う。もし自分の中にまだまだ眠っている正義みたいなものがあるとするなら、それを探してみたいと思う。好奇心を持って知らないことや人間自身について、あるいは幸福や自由について色々考えてみたいと思うし、知りたい。だから木を彫ったり、石を削ったり鉄をひん曲げたり、日常ぼくがしていること全て、もとは一つの中にあることなんだ。」

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990 会場風景

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990 会場風景

昨年10月の個展は「黄泉への誓(うけひ)」という不思議なタイトルのもとに開かれた。そこに出かけて作品に出会うということ、それはまさに一つの体験である。自然科学、歴史への深い洞察と(『古事記』に想いを得た作品もいくつかあった)、全ての生命系に対する作家の愛の形を媒介にして、私たちはまだ見ぬ世界を体験する。

「ちょっと視点をずらしてみれば何でもないことでも、人間にとって社会が今ギスギスしているんだよね。価値観が一方方向の時は人間も社会ももろいんじゃないかな。そういう意味でぼくの作品を通して別の世界へちょっと旅行してもらえたら嬉しいと思う。」

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990 会場風景

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990 会場風景

「須勢理と沼河」1990 mixed media

「離宮珀水」1990 木に油彩、樹脂他

「離宮珀水」1990 木に油彩、樹脂他

「Sealed Key」1990 木、幽閉物

「Sealed Key」1990 木、幽閉物

こうして私たちは彼から「きっかけ」という素敵なプレゼントをもらうことになる。

「アートとは作られたものの結果ではない。人間や地球にとって何が大事かを考える科学だよ。ぼくの作った箱のような作品なんかは、この中を覗こうとするものは、同時に自分の心の中を覗き込んでいるのでもあるんだ。だからぼくが一方的に発信しているんじゃなくて、観る人たち自身がそこから何かを探そうとしているんだと思う。そこに対話が生まれる。」

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990  会場風景

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990  会場風景

小林健二は夢中である。夢中で作り、発言し、そして人間としての営みを実践する。実践の場はもちろんアトリエだ。例えば七輪でサンマを焼いたり、ブラックライトで光る水晶の灯りで酒を汲み交わす時、そこに浮かび上がるのは、アーティストである前に生活を営む一人の庶民の姿であるに違いない。

*1991年のメディア記事を編集抜粋しています。画像は付加しています。

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