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[XYSTUM-怪物の始まり]

小林健二個展[XUSTUM-怪物の始まり]パンフレット

怪物の始まり

ぼくは近視のせいか散歩の途中にふとビルの側帯に 隠れるようにしている巨きなものを見ることがある

よく目をこらしてみれば それらはたいてい大きな木や小さな森 あるいはビル自身の落している影であったりするのだけど・・・

やはり一瞬何かを見たような感覚は 忘れられないでいることが多い

まだ目が良かった幼い頃にも 曇りガラスに映る雲からの陰影や コップの中の水のひかり あるいはマッチ箱の小さな暗がりに何かを見たような そんな記憶を呼び起こさせる

とりわけ疲労した日の気怠るさの中で 沸き立つお湯の音などに遠く聖堂での大合唱や知らないはずの村祭のおはやしを聞いたり 大きくゆったりした風が電線をひくくハミングのように鳴らし ちょっとぞっとして でもワクワクするような夜に まるでそれらを背景曲のようにして 子供たちの夢から夢へと移り住まう不思議な怪物たちのことを想うのだ

怪物とはいっても それらは少しも恐くはなくて むしろやさしい影や霧のようにつつましく 少し涙を流していることもある気さえする

そしてぼくは思わず「いつもありがとう」と小さくこころの中でつぶやいてしまうのだ

小林健二

(*パンフレットに書かれた小林健二の文より)

小林健二個展[XUSTUM-怪物の始まり]に開催されたトーク風景

「一応、昨日今日始めたわけじゃないんで、30年以上この仕事をしていて、こういう樹脂を使って絵を描く場合、剥がれちゃまずい・・どういうものがいいのかって考える。

この半透明な部分は、メルターやホットガンとかのタマ、トランソイソプレンっていうんだけど、熱を加えるとギューンと溶けて、その原料を使っている。」

 

 

「モレット」という絵の具を練るのに使う道具の説明をする小林健二

絵画技法などに精通する小林健二。絵の具を練るためのモレットや練り板(大理石)、顔料やメデイウム、筆、パレットなど。手前には湯煎器(自作キャンバスを作るときに使用するニカワを湯煎したりする道具)、金箔など貼るための道具も見える。

今回は支持体として自作キャンバスが多く使われている。木枠にキャンバスを貼るときに使うカナヅチ(先が磁石になっていてキャンバスを固定する釘が先端につき、そのまま打ち込める)

まさに怪物のような電動工具。形が好きだと説明する小林健二。

「Zoe-ゾゥエィ-」
自作キャンバスに油彩、紙、木、他
oil, paper on canvas, wood, others 1345X1942mm 2006
Zoe 命という死への運命(さだめ)を背負っている 傷ついた永遠 
Zoe 数えきれないほど自から命を生んで また見送ってきた
Zoe その都度悲しみが生まれ この繰り返しの意味をいつも想い続けてきた 
Zoe 誰かを呼ぼうとした そして何かを話してみたいと思ったりもした 
Zoe 繰り返す果てしない世界に いつの間にか夢のくらしとの間(あわい)が消えてしまっている 
Zoe 今どこかにいて 自分を見つけようとするこころと出合える期待が生まれている 
Zoe 誰かの呼ぶ声が聞こえる そしてそれは何かを話そうとしている
Zoe それはかつてむかしに お前から生まれていた想いのひとつ 
Zoe いつの間にか世界という一つの風景の中で 錆び付いたように見送られて

「Ymil-イュミル- 」
自作キャンバスに油彩、鉛、木、他
oil. lead, on canvas, wood, others 1335X1300mm 2006
とても寒いところ 氷点下に冷却した地物に 霧のような水蒸気が昇華して 現れたと言われる霜の巨人イュミル 大気と同じくらい巨大でいながら まさに息を吹きかけるだけで 溶けてしまいそうな やさしい心の怪物 イュミルの肉は大地へと 血は川と海 頭蓋は蒼穹になっていったが イュミル自身 今どこにいるのか わからない でも その奈落へと続く入口は 風の凪いだ空のように 穏やかだった イュミルは この世を見守り続けている

「Hylco-ヒルコ- 」
自作キャンバスに油彩、樹脂蝋、木、他
oil, resin wax on canvas, wood, others 1335X1300mm 2006
ヒルコよ 悲しき怪物 神と呼ばれし美(う)まし二柱(ふたはしら)より生まれしも 醜(に)し嵶(たおや)しそなたゆえ 葦(あし)の舟で流されて その世より葬られしを 
ヒルコよ 今 おまえは 安らぎの場所にいて 巨大な風や青空とこころを同じにしている 
ヒルコよ 思い出すらなき命よ 知らぬ世界の御使(みつかい)の透明なラッパが顕われて そよ風のように奏でかける ”Vere tu es Deus absiodius!”  汝こそ まさに隠れたる神なり ゆるやかな静けさの中で

「Emeth-エメット-」
自作キャンバスに油彩、樹脂蝋、金属、木、他
oil, resine wax, metal on canvas, wood, others 1335X1300mm 2006
真実amtという名の脆弱な怪物 哀れにも人の都合のままに 数々の呪文によって この世に姿を現わすこととなった いつでさえその頭文字aを消されると 即座に死mtと変わると言う 気紛れな人の勝手とうらはらに この部屋ではいつのまにやらtの神の印が溶けはじめ 透質の結晶の堆い化合物をつくりはじめている 残ったamは 霊のこととなり すでに誰にも殺せない本当の怪物となってゆくのだ 夜はひっそりと静まりかえり 次ぎの出来事を待っている

KENJI KOBAYASHI

 

 

目に見えない世界

目に見えない世界

鉱石ラジオはぼくにとって、目に見えない世界からの通信を人間の五感に伝えるためにある一種の翻訳機といえるかもしれません。鉱石ラジオを形づくる木や金属や鉱物などの物質的手続きによって不可視な意思と疎通をこころみるというわけです。

かつて人間は目に見え、手に触れることができるものを物質と名付け、その物質のないところは単なるからっぽの空間だと考えていました。だから風などのふるまいは人々を不思議がらせました。見ることのできない何かが確かにあって木立を揺らし、そして森をざわめかせる。人はそこに何かのこころを感じたのです。あるいは風を作り出せる意志の存在を感じたのかもしれません。たとえば息を吹くことで炭火を赤くし、灰をとばすことができるようにです。

日本語でも息は生きるに通じるように魂や霊とつながるものとして考えられ、ギリシア語でも息と霊はともにspiritusという同じ言葉で表現されています。

その目に見えない現象は、やがて「風の物質」のしわざとして発見されていきます。たくさんの天才や物好きがこの物質の一連のはたらきを大気層から発掘していき、風は「空気」という物質によって起きるまったく物質的な天然現象と説明されていくのです。

ぼくは今でもときどき本当に風にこころはないのだろうかと思うことがありますが、まして電波となればさらに不思議な出来事です。ぼくは本文中で電波は電気力線が電気的電磁力学的に空間に押し出されたものと説明しましたが、本当はよく分かっていません。それはきっとぼくだけではなく、電子工学が専門の人でさえ、そのふるまいや現象を実験によって確かめたり、理論的に説明することができたとしても、それがそのまま電波の実態をつかんだということになりにくいからなのです。

「音は空気を媒体として伝わるように、電磁波はエーテルを媒質として伝播する」と言われていたのは、それほど遠い昔ではありません。エーテルという言葉は「大空」という意味から出てきたものであり、また目に見えない精霊たちの住む場所のことを指します。

アインシュタインの一般相対論によってエーテル(光素)の存在を認めなくても電磁波である電波のふるまいを説明できるとしたことと、マイタルソンとモーリーの実験によってエーテルの存在が実証できなかったことによって今では否定されているのですが、米来において、あるいはぼくらの知らない天体で、エーテルやそれに準ずる何かの媒体や媒質が宇宙の本質として発見されるかもしれません。

夜になると電離層のおかげで、短波だけでなく中波でも、感度のよくない鉱石ラジオで驚くほど受信感度が上がることがあります。そしてルーズカップラーなどを使用した長波にも対応できそうな鉱石ラジオの実験をしていると、ときおり奇妙な雑音を聞くことがあります。まさかロラン(電波航法による遠距離固定局)を受信したとも思えませんが、 トラック無線や空電でないのは確かなようです。おそらく鉱石ラジオの分離特性のなせるわざで、局間ノイズやハムが重なりうねって聞こえているのでしょう。ただごくまれにそんなノイズを聞いていると、全然思いもしなかった人のことを思い出すことがあります。なぜならあまりにその音がその人の声に似ていたりするからなのです。ぼくは半分ムキになってノイズの中から言葉を聞こうとしていると、いろいろと忘れていた思い出がよみがえってきて、確かに何かの通信を受け取ったような、そんな気持ちになるのです。

小林健二

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より

[前回ご紹介した記事『不思議を感じるこころ』の後編にあたります]

検波器の歴史

1、火花検波器・生理検波器

ヘルツが実験に使用していた電波の信号を検出する装置が、いわゆる検波器の初期のものです。これは火花放電によって発生した電波を共振によって感知するもので、火花検波器と呼ばれたりもしますが、通常は共振器resonatorと言われています。

ヘルツの共振器
この輸はひとつのインダクタンスとみなすことができ、それに共振誘導した電波を高周波電流の放電として検出する。

火花検波器
これらの検波器は、火花を発するものの近くにおいては(実験室内など)電波の到来を感知しても、距離が離れ始めると急にその感度は低下します。

ヘルツが発見した電波を通信に使うことはできないか。彼を含む世界中の科学者たちがこう考えましたが、火花放電による電波と共振器では、通達距離をのばせないことは実験上よくわかっていました。だからといって、よく言われるように彼が通信の実用技術に対して消極的だったというようなことはなく、特に改良の必要のある検波器については、できる限りの実験をしたようです。

そしてかつてガルヴァーニが用いたのと同じ、カエルの脚の筋肉を用いた生理検波器なども考えだしています。

生理検波器
生理検波器は見るからに安定性が忠く、ヘルツも感度がよくまた安定した検波器が現れるまでは無線通信の実現は難しいと考えたのも仕方のないことでしょう。

2、コヒーラ検波器

ヘルツが亡くなる数年前、フランスでブランリーEdouard BRANLY(1844-1940)が金属の粉末を使った検波器を発明します。それまでにも、金属の粉末をガラス製の筒などに封じ込めたもので、そばで放電が起きるとその内部の電気抵抗が変化することは、 イギリスのヒューズDavid Edward HUGHES(1831-1900)によって確認されていました。

ブランリーは、ガラス管にニッケル粉末を入れて封じ、直接これに電流を流しても金属粉体は抵抗値が高いのであまり電流は流れないが、近くで電気花火を発生させると電気抵抗が減り、電流が流れやすくなる現象を発見したのです。

ブランリーのラジオコンダクター(1890年 フランス)

彼は、この抵抗値の高い金属粉体の接触面が、電磁波の影響を受けて変化し抵抗値を下げたためだと考えました。彼はこの検波器をラジオコンダクターradio conductorと名付け、それが今日のラジオの語源になったと考えられています。ちなみにラジオは輻射radiatonからの言葉です。

この実験のことを知ったイギリスのロッジは早速これを改良し、遠い距離からやってくる弱い電磁波を検知できるような敏感なものにして、 1894年、ヘルツの実験回路の検波器として組み込み、成功しました。

ロッジのコヒーラ (1894年イギリス)

彼はこれを金属粉体の個々が高周波電流によって密着cohere も し く は結合するこ とから起こるとして、その検波器をコヒーラcohereと名付けます。

そして、このコヒーラ検波器によってそれまで不可能とされていた無線通信は可能ではないか、という講演をします。偶然にもその講演は、このすばらしい感度の検波器の出現を待ち望んでいたはずのヘルツの追悼講演として行われました。歴史はまるでドラマのように受け継がれてきたのです。しかしもともと学者であったロッジにはそれ以上事業として進めることができないでいるうちに、ロシアにはポポフが、イタリアにはマルコーニが出現します。

3 、デコヒーラ検波器(decohere再びコヒーラな状態に戻す)

ロッジの報告を日にしたとき、ポポフAleksandr Stepanovich POPOV(1859-1905)はロシアで水雷学校の教員をしていました。彼はロッジの装置にアンテナを付け、さらに受信回路に改良を加えました。コヒーラ検波器は感度を高めて電波の到来を知らせるうえでは問題のないものでしたが、一度導通(電気を通す)してしまうと導通しっばなしになってしまい、その後の通信を受け取りません。

そこでポポフは、リレー回路(電磁石のはたらきなどで作用するもの)などによって、一度密着し導通状態になったコヒーラを物理的に叩くことで粉体をもとのバラバラの状態に戻し、再び受信可能にするよう工夫したのです。

ポポフの検波器(1895年 ロシア)

ポポフの無線電信は事業化する可能性の高いものでしたが、彼はアメリカやイギリスの企業からの特許権譲渡や提供申込みを断り、ロシア国内で実現しようとしました。しかし、当時のロシア政府はポポフの発明に対して理解を示さず結局宙に浮いてしまい、無線通信の発達は他国に譲ることとなるのです。そのような理由で、世界の年表にはイタリアのマルコーニGuglielmo MARCONI(1874-1937)が、“無線通信の父”という輝かしい栄誉で語られていても、ポポフはロシアの教科書にだけその功績を称えられています。

ポポフやマルコーニのコヒーラは基本的に新しい発見ではありませんが、マルコーニはガラス管の中の金属粉体の安定性をはかるために中の空気を抜き取ったり、銀製の電極の距離を近づけ、さらにテーパーを付けて作動を確かにする工夫をしました。

マルコーニのコヒーラ(1895年 イタリア)

そして本来科学者というより企業家であったマルコーニは、やがでその資本力によって他の特許や発明を買収し無線電信の世界を独占しようとしますが、その後登場する無線電話についてはその重要性を見誤って出遅れることになります。

4、その他の検波器

いったん密着したり、抵抗値の下がった検波管を叩くことによって元に戻す検波器は、大がかりで部品も多く、また機械的な作動のためときどき故障が起きたりしました。そのため、もっと簡単に復帰できるものとして、いくつかのタイプが考え出されました。

・水銀検波器一形はいろいろありますが、基本的には両極の間に水銀が入れてあり、水銀のまわりを油膜によって絶縁してあるものです。この油膜は非常に薄く調製されていて、電波が到来して高周波電流が発生しているときには油膜が破れて金属どうしが導通しても、電波が止まると自動的に油膜が広がって元の絶縁層になるというものです。この検波器は火花式と同じく高い電圧で受信しないと誤動作が多いので、あまり感度はよくありませんでした。

水銀検波器 ロッジ・ミアヘッド型

水銀検波器 ウォルター型

水銀検波器 カステル式オートコヒーラ

国産の水銀検波器(1904年に浅野応輛氏によって発明されたもの)

・鉄粉検波器一この検波器も自動復帰型の検波器ということになっていますが、機械的震動に弱く、感度もいまひとつだったようです。1907年に発表されました。

鉄粉検波器
1907年に佐伯美津留氏によって発明されたものでコヒーラした後も電波が止むと自動的にデコヒーラすると言われています。

・磁気検波器一ぜんまい仕掛けで動く2つのエボナイト製の滑車が、継ぎ目なく作られた柔らかい鋼のより線を一定の速度で動かしています。この線は、ガラス管強力な磁石を通してアンテナ・アース間に接続されているコイルがあって、さらにその外側に受話器のコイルがあり、その外に強力な磁石がある、 といった構造をしています。この一定の速度で移動するしなやかな鋼線は、常に磁石によって磁化されていて、アンテナ・アース間のコイルに電波の到来とともに電流が流れ、それによって発生する磁界が、線をその時だけ消磁するようになっており、受話器用のコイルがこの磁性の変化を電流に変えることで、受話器から音として検出するというものです。

また、この検出部に小さなインクのついた針と紙のテープを使い、モールス信号などを記録紙に残すことができるものも作られました。これらはマルコーニによって作られ、新しい発明というわけではありませんしまた人仕掛けでしたが、実用的で安定した作動をもっていたので、彼が電信を事業として起こすうえでとでも重要な検波器となりました。

磁気検波器

電解検波器一アメリカのフェッセンデンRunald FESSENDEN(1866-1932)によって1903年に考案された検波器で、無線電話に使用できる最初の実用検波器です。電解液のなかに金属を入れ、その単偏導性を利用したものです。感度もよかったのですが、当時船舶に使用される通信機にとって、この電解検波器は液体を使う構造のため揺れる船上で使用する場合には不都合も多かったようで、世界に普及するよりも早く、その後の鉱石検波器に置き換わってゆきました。

小林健二

電解検波器
フェッセンデン式(1903年)

電解検波器
これはいろいろな型のある電解検波器の一種で電解液がこばれにくいように設計されたものです。

不思議を感じるこころ

 

*「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より編集抜粋しています。この本では、鉱石ラジオの原理と工作編、そして『通信するこころ』という項目に主に分かれて書かれています。その中から鉱石検波器について触れている部分を抜粋し、[ ]の中はこちらで追記しています。画像は古い文献を元に筆者である小林健二が描いています。

*『目に見えない世界の不思議』は小林健二が変わらず今に至り持ち続けているこころです。作品のタイトルから今回の記事に通じると感じたものを、何点かご紹介します。

[風と霊ーWIND AND SPIRIT]
648X925X50mm 1989
oil, soft vinyl on wood

[アストラルとエーテルのヒソヒソ話ーWHISPERING OF ASTORAL AND ETHER]
2200X3000X250mm 1986
wood, cloth, synthetic resin, paper, oil

[IN TUNE WITH THE PAST]
電波石、地球溶液、結晶受話器など
1997中央の透質結晶に針を当てるとイヤフォンから過去の放送が聞こえる受信機で地球上における1920年代以降から昨日くらいのものとなる。

KENJI KOBAYASHI

不思議を感じるこころ

不思議を感じるこころ

1873年、ブラウンが鉱石に単方偏導性unidirectional conductivityを発見して、これがラジオを生み出すきっかけのひとつとなりました。同じ年、電話の発明者となるベルの助手スミスが、セレニウムを電話用の電気抵抗として実験している最中、たまたま窓からはいる太陽光線によって抵抗値が変化することに気がつきます。これはやがてテレビジョンの発明へとつながる光導電セルの最初の発見となりますが、それらはともに時期だけでなく偶然によって発見されたところにも不思議な共通性を感じさせます。

これらはやがで現代の通信事業に対し大きな役割を果たすわけですが、ガルヴァーニやエルステッドそしてヘルツたちの発見がそうだったように、偉大な発見や発明が偶然の出来事をきっかけとして生まれてきたこともまた、 とても興味深い事実ではないでしょうか。

電気や電子、電磁波を扱う世界は他のいかなる場合よりも理論的でまた実証的な側面を感じます。しかし実はこれらの世界ほど偶然によって人類と遅近してきた世界もないのです。そしてこれらの背景にはいつも不思議を感じる実験者たちのこころが存在していたことを忘れてはならないでしょう。ひとしきり姿を現し、その後再び大いなる間の中へ消えていきそうになるちょっとした偶然の出来事を注意深くすくい上げ、見つめ、そして磨き上げてゆく。彼らのその地道な日々の努力を支えていたのはきっと、ほんの一瞬別世界と出会ったという確信だったのでしょう。

子どもの頃、雨上がりの風景のなかに虹を見つけ、まるで異世界から出現したような大きなアーチは、その足下にある町からはどのように見えているのだろうと考えた人も少なくないはずです。

みなさんは最近虹を見たことがありますか? まさか酸性雨によって虹がドロップみたいに解けてしまったなんで誰もいいわけをしたりしないでしょう。

不思議な世界はきっとぼくらのすぐそばで「早く私に気がついて」そんなふうにあなたに話しかけているかもしれません。そしてその奇跡の国へのチケットは決して特権的な方法によって大手するものではなくて、あなたの心の中にいる少年少女たちが、が当たり前に持っている不思議を感じるこころによっていつでも旅立つことができるようにと用意されているのです。

 

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」の巻末に添えられた小林健二のイラスト

 

鉱石検波器[の発明者について]

鉱石のもっている単偏導性unidirectionalという奇妙な性質を最初に発見したのは、[上記しましたが、]ドイツ人のブラウンKari Ferdinand BRAUN(1850-1918)です。 1873年のこと、彼は各種の導体や不良導体の電気抵抗を研究中に、偶然にも黄銅鉱や鉛鉱などのいくつかの金属鉱物の中に、陽極と陰極の当て方の違いで抵抗値が異なるものを発見します。

これはまだ世界に「無線」という言葉ができる前のことですから、翌1874年にブラウンがこのことを発表しても、誰も無線電話に利用することができませんでしたそれから23年後の1897年、ブランリー、ロッジ、マルコーニなどの無電用の検波器はすでに開発されていましたが、無電(無線通信)以上に期待される無線電話の検波器の合理的なものを、世の中は待望していました。

ブラウンはこの年、鉱石検波器理論を発表し、 1901年には鉱石検波器を発明します。そしてその後相次いでいろいろな種類の鉱石検波器が発明、発表されていきます。

[次回に、鉱石検波器以外の検波器を紹介予定です。]

他に受信電流によって生じる熱作用を応用した熱検波器や、長い波長で一時期使用されたチッカー検波器があります。これは、モーターによって高速回転させた板に、たくさんの火花共鳴器のようなギャップを取り付けて、受信電流と同調させることで信号をとり出すものです。

あるいは受信した高周波電流を、一種の電流計(アイントーベン電流計)を通し、その振れに光を当てて壁などに反射させ拡大して、それをフィルムに感光させて記録するという光印字検波器などもありますが、いずれも大がかりであったり、感度が不十分だったりしました。やがで最も信頼性が高い真空管式(2極管)のものが登場し、鉱石検波器にとってかわることになります。

一般的な鉱石検波器

国産の初期の固定式鉱石検波器①

国産の初期の固定式鉱石検波器②
①よりも安価に出来るが安定性に欠ける。

鉱石検波器 ペリコン検波器

鉱石検波器
方鉛鉱のキャットウイスカー型(探り式)

ブランリーによる最も初期の頃の鉱石検波器
おそらくこれは金属の接点による一種のコヒーラ検波器として製作され、実験中に無線電話用の検波器としても使用できることが発見されたのではないかと思います。そしてひいてはそれがキャットウィスカーの考え方を生んだのではないかとぼくは考えています。

[鉱石検波器の]複数の発明者

鉱石検波器はいったい誰によって発明されたのでしょう。

ぼくは本文でドイツのブラウンが1901年に発明したと書きました。しかし東京の大手町にある通信博物館に展示されている年表を見ると、鉱石検波器は1908年(明治41年)日本人鳥潟右一(18831923)の発明ということになっています。確かに昔の日本の文献でもそのように書いてあります。ところがアメリカ合衆国の文献によれば、鉱石検波器はピッカードGreenleaf Whittler PICKARD(1877-1956)が1902年(明治35年)10月16日に発明し、 1906年には製造販売をはじめ、 1908年1月21日に特許を取っています。

また合衆国陸軍大将のダンウッデH.H.C.DUNW00DY(生没年不詳)は通信省を退職後、カーボランダムによる鉱石検波器を1906年に発表しています。早い話が、各国に特許の及ぶ範囲で誰がいちばん早く特許を取得したのかということでしょう。

実験室内での発見が歴史的発見になるというよりは、鉱石検波器などの電子ディバイスは誰があるいはどの国が主権を握るかというようなビッグビジネスにつながるものでしたので、特許をめぐる争いもめまぐるしいものだったと思われます。

事実、ダンウッディはピッカードに1カ月遅れで特許を逃したため、2人は光と影の人生を歩んだようですし、日本で最初に鉱石検波器を研究し、その後鳥潟右一にバトンタッチしたと思われる鯨井光太郎(1884-1935)のこともあまり触れられることはないようです。

おそらくこの1900年前後に世界で同時多発的に鉱石検波器の発明は行われたのでしょう。科学者として原理や理論を発見しまとめ上げていくことより、誰が早く実用性の高いものを発明し事業者として成功するかに、時代は移っていったようでした。

 

小林健二

 

*「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より編集抜粋しています。この本では、鉱石ラジオの原理と工作編、そして『通信するこころ』という項目に主に分かれて書かれています。その中から鉱石検波器について触れている部分を抜粋し、[ ]の中はこちらで追記しています。画像は古い文献を元に筆者である小林健二が描いています。

KENJI KOBAYASHI

”不思議”にこだわる小林健二さん

静かな町並みを通って、彼のアトリエに一歩入ってビックリ。

ノミ、カンナ、ヤスリ、絵の具など、いろんな道具が所狭しと並んでいました。

作品を自分の手で生み出すことにこだわっているうちに、自然に集まったものだとか。

「人間と作られたものとの関係って、永遠に変わらないような気がする。千年以上前に作られたものでも、手で彫られた彫刻は、訴えてくるものがある(円空を小林は好きだと以前語っていたのを思い出す)」

「道具っていうのは、それが作られた国の文化を反映しているんだよね。もっと日本のことをよく知れば、インターナショナルになれるって気がする」

彼の今回の出品作品には「古事記」からテーマをとったものもあります。展覧会のタイトルである「黄泉への誓(うけ)い」と不思議な響きをもつ。

「黄泉への誓(うけ)い」会場写真

「ぼくは下町育ちだから、どちらかというと気が短い方かも・・それでも今の色々なことが進むスピードは異常な気がする。

喉がカラカラに乾いた時に飲む水のうまさを味わう暇さえないような・・・ほんとうに美味しい水を飲む時間を奪われているよう。それってある意味不幸だよね。」

それで時間のゆっくり流れていた昔を取り戻そう、って意味合いの「古事記」ですか?

「古代に帰りたいって意味ではないです。「黄泉の国」ってどうして黄色い泉って書くんだろう?とか、不思議なことを考えるのはとっても面白い。例えば「ヨモツカド」って作品では白い空を描いたんだ。空が白い曇りの日に、影が一つもできないことを発見して、そこで”存在する”っていうのはどういうことかな?って考えたりする。ぼくは”不思議”っていうことに興味があるんだよね。いろんな不思議に興味を持って、それをゆっくり考えることに。」

「ヨモツカド」1990
木に油彩、鉛
2230X2250X160mm

「ヨモツヘグイ」1990
木、合成樹脂、幽閉物、松ヤニ、鉛
112X177X90mm

「KRAKEN- 魚の日」1990 木に混合技法、鉛 1800X4050mm

「離宮珀水」1990
木、油彩、アクリル、合成樹脂、他
1120X1420X390mm

そういえば私たち、いろんなことに追われて”不思議”を考えることってなかなかしない。感覚を研ぎ澄ませて身の回りの不思議に敏感になれば、もっと豊かな時間を過ごしていけるかも知れません。

「アートって人同士理解したい、理解されたいって気持ちから起こったものじゃないかな?だから自分を見直すきっかけにもなってくれたりする。」

下町に生活する人々の元気で温かい雰囲気をそのまま呼吸して大人になったような小林健二さんだった。

*1990年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

 

現代によみがえる鉱石ラジオ

さぐり式鉱石ラジオをつくる(銀河通信社製鉱石ラジオキット『銀河1型』)

ではさぐり式とはいったいどんなタイプのものかというと、まさに鉱物結晶が目に見える形としてあって、そこに針状の接点をまさに感度の良いところをさぐりながらラジオを聴く、という式のものを言います。

今まで国産で作られたキットは、固定式鉱石検波器と言われる太さ1cm前後、長さ3-5cmくらいの筒状のものなどを使用したものもあったようです。

鉱石ラジオは、やはりこのさぐり式が鉱石ラジオたる醍醐味と言えるでしょう。

1、キットの内容は写真の通りで、サンドペーパーや小さなドライバーも入った完全キットとなっています。オマケにはゲルマニュームダイオオードが付いている説明書も入っているので、基本的にはこのままで組み上がるようになっています。しかしさらに小さめのドライバー(ブラスとマイナス)やハンダゴテ、しっかりとナットなどをしめるためのプライヤーなどがあると組み立てやすいでしょう。

2、作業はまずスパイダーコイルを巻くことから始まります。このスパイダー枠箱のキットの特性部品の一つで、まさに大正時代の製法によって黒色特殊絶縁紙を型抜後、一枚一枚高周波ニスで塗り固め田というもので、ファイバー製のものよりも手製の時代をしのばれるような感じを受けます。
手順や方法については、解説書に詳しく書いてあるので、ここではそこに書いていない部分に絞り、述べてみます。スパイダーコイルを巻くコツはとにかくゆっくりとあぜらず一巻き一巻き、きっちりとつめて巻いていく方が良いでしょう。かといって紙製の枠が壊れ流程力を入れてはいけません。回数を数えて巻くのは結構めんどうなものですが、このキットの場合、巻き切れればいいように設計されているので、お茶でも飲みながら楽しんで巻き上げていけます。方向は右回りでも左回りでもお好きな方をどうぞ。

3、中間のタップになるところは、赤と緑の線を10-15cmくらい絡めてから、また同じように同じ向きに巻いていきます。ゆっくりと同じくらいの速度と強さできっちりと写真のような感じで巻き上げましょう。この赤と緑のエナメル線も懐かしい感じがします。

4、コイルの巻き終わりは穴のある羽のところを1−2回ぐるっと線を回してから穴に通すとしっかりします。巻き始めの線、中間のタップの線、巻き終わりの線が、片方の面(同じ面)に出るようにしましょう。

5、ターミナルを付けます。これらはカラーベークのまさに鉱石ターミナルとかつて呼ばれていたものです。もうあまり見かけません。後ろから裏側で線を絡めるため、取り付けるときあまり固く締めないようにしましょう。(この画像は記事を複写しています)

6、バリコンを付けます。もしこのポリバリコンが金属製のバリコンだったら、まさに昔の鉱石ラジオのパーツが全て揃うところです。しかし今日では難しいでしょう。(銀河通信社では単連のエアーバリコンを使用したキットをいずれ発売予定とか)
ただポリバリといっても、すでに線もハンダ付けされているので工作は楽にできます。コツとしては線はいつも時計回りにターミナルに巻きつけること(締めるときに緩まない)と、線はピンと張らず少々たるむように配線することです。

7、バリコンにシャフトを付けます。この際、右にいっぱい回してしっかりネジ込みます。またネジロックや瞬間接着剤で固定した方がいいでしょう。ただ接着剤はくれぐれもはみ出さないようにしましょう。

8、ツマミを右にいっぱいに回した位置で、ツマミの後ろ側から小さなマイナスのドライバーでネジを締めて取り付けます。もっとしっかり取り付けたければさらに大きめのドライバーを用意して締めた方がいいでしょう。

9、鉱石検波器の鉱石の部分を取り付けます。裏側からナットを締めて付けます。まさにこのラジオの心臓部です。あまり鉱石の表面を素手で触るのはやめます。ここには方鉛鉱が使われていますが、方鉛鉱なら全て感度がいいという事はありません。このキットでは銀を多く含んだ特別に選んだ鉱物を使用しています。またその土台にも特殊な合金を使用して、一つ一つ手作業で仕上げています。

10、さぐり式の探る針はタングステンでできています。画像右上のように仮に取り付け、あとで調整します。

11、10の部分を裏から見たところです。S字の銅線ですでに配線されていたり、ベークのスペーサーでコイルを付ける台としているのがわかります。

12、サンドペーパーでそれぞれの線の端と、赤い線の中間部分の配線をどうするのかよく理解した上で、エナメル線のエナメルを剥がします。色のついたエナメルなので銅の色が出てきたらOKと分かりやすくなっています。

13、スパイダーコイルを取り付けようとしています。大きなワッシャーで挟み、ナットをプライヤーなどでしっかり締め、取り付けてください。

14、配線が終わった状態を裏側から見たところです。線の末はタマゴラグの穴に絡めてあるだけですが、この場合はハンダ付けが必要です。ハンダ付けしない場合は、ナットでしっかり他の線と一緒に強く締め付けてください。

15、タマゴラグの穴に線を絡め付けた後、ハンダ付けをした状態です。

 

16、鉱石ラジオ「銀河1型」完成です。

イヤフォンをつけ、アースとアンテナ(アンテナ1とアンテナ2)は感度の良い方を選んでください。鉱石の感度の良いところを探しながら、またバリコンで多少局の分離もできます。色々楽しんで作り、そしてまた本当の鉱物結晶から音が聴こえてくるような不思議な感覚を楽しんでください。(アンテナとアースについての記事を参考までに下記します)

アンテナとアース

これらは鉱石ラジオに使用される天然鉱物です。左から黄鉄鋼、方鉛鉱、黄銅鉱、紅亜鉛鉱。
ぼくは、自著の「ぼくらの鉱石ラジオ」の中で紅亜鉛鉱が一番感度が良いと説明していますが、とてもバラツキがあって実は一概に言えません。全体的に方鉛鉱が無難だと思います。しかし、このキット中のような感度の良い石ばかりではないと思います。下にあるゲルマニュームダイオードで、昔風の感じのものを選んでいます。銀河通信社の「銀河1型」キットについているものとは異なりますが、鉱石と針の部分につければ、ゲルマラジオに早変わりです。

 

*2000年のメディア掲載記事から抜粋し編集しております。

「オーディオクラフトマガジン創刊号」

KENJI KOBAYASHI