小林健二の道具」カテゴリーアーカイブ

鉱物から絵の具を作る

顔料になる鉱物の色々

この記事は岩手のミュージアムで開催された「鉱物から絵の具を作る」小林健二ワークショップをもとに編集しており、画像は新たに付加しています。

とても人気があった企画であっという間に定員に達し、地元のみならず他府県からも多数参加されたようです。「鉱物」というと、何か植物や動物とは違った、動かない、生命を感じないと思いがちで、何か日常とは無関係に思われるような気もします。しかしながら、この地球で長い時間をかけて生成され、そして今私たちの前に姿を現わしている鉱物たちは、宝飾品としてだけではなく、実にいろいろな形をとって生活のなかで生きずいているのです。その一つに、絵の具があげられるでしょう。

石と賢治のミュージアム(岩手)で開催された小林健二ワークショップのチラシです。

この時に実際に使用された鉱物は「マラカイト」と「プルプライト」です。

顔料になる鉱物に関しては下記の別記事を参考にしてください。

マラカイト(Marachite) 岩緑青(いわろくしょう)・主成分:含水酸基炭酸銅・マウンテングリーンとも呼ばれます。緑色の鉱物でその断面まるで孔雀の羽のような縞模様があることから孔雀石と一般的に呼ばれます。かつてクレオパトラがアイシャドウに使ったということで有名な緑色顔料です。マラカイトは彫刻をほどこしたり箱などの工芸品として加工されたりするのでその削った粉やかけらから顔料にしやすい鉱物です。・標本産地:Kolweiz,Shaba,Zaire
プルプライト(Purpurite) 紫石(むらさき石) 写真で見るとまさに名が示す通りのむらさき色ですが、粉体にすると、マルス・ヴィオレットのような色です。セラミックやダイヤモンド砥石で削ると顔料にすることができます。タマゴ・テンペラなどで使えるかもしれません。標本産地:Noumas pegmatite,nearcapeteun,Republic of South Africa

上の画像のような鉱物標本は美しいので顔料にしてしまうのは正直惜しいです。ですのでヤスリ掛けがしやす程度の大きさがある小ぶりな標本で、そして混じり合う他の鉱物が少なく、色彩が象徴的なものを選んぶといいかもしれません。

マラカイトをヤスリで削って顔料を作っているところ

小林健二自作の火山の形をした不思議な実験道具。

噴火口にオレンジの粉末を入れて点火すると緑色の粉体が吹き出してきました。この緑の粉末も顔料になるのです。

用意された材料はヤスリや顔料のローアンバー、テールベルト、ウルトラマリン、そして練るための溶剤となる溶液と親水性を増すための溶液、練り台と、盛り沢山。多めに用意された溶液で、持ち帰った後も工夫により新たな「自分なりの絵の具」が生まれているかも知れません。

顔料ウルトラマリンを溶剤と混ぜているところ。

この時に作った絵の具は「アブソルバンキャンバス(吸収性の支持体)」にも描くことができます。これもワークショップの記事を下記しますので参考にしてみてください。

モレットと呼ばれる絵の具を練るための道具。それぞれに小林健二自作の素敵なケースが仕立てられている。
モレットを使ってこの大理石の板の上で顔料を練って絵の具を作る。これらもまた、専用の小林健二自作のケース付き。20代の頃に作ったもので使い込まれて年季が感じられる。
硬度が低めの鉱物は、このような鉄鉢(てっぱち)で砕いて粉状にすりつぶして顔料にすることもできる。


顔料と絵の具を練る媒材を作るための樹脂などが入った瓶の棚。貴重なものもある。
ラピスラズリの顔料
絵の具を練る練り板は大理石ばかりではない。小林健二愛用のこのパレット?の上で溶剤と顔料が混ぜられ練られてキャンバスに描かれることも多い。木製だがこれもまた使い込まれていい味が出ている。

文+編集:Ipsylon

小林健二個展[IYNKUIDU TFTWONS]

小林健二個展[IYNKUIDU TFTWONS]

2017,9/9(土)ー9/30(土)日曜祭日休廊 11:00-18:30

初日9/9 17:00より小林健二在廊予定・9/16小林健二イブニングトーク:こころの中の風景(ギャラリーまで要予約・参加費500円(1ドリンク付))

ギャラリー椿(104-0031東京都中央区京橋3-3-10 第1下村ビル1F Phone : 03-3281-7808)

http://www.gallery-tsubaki.net/2017/Kenji_Kobayashi/info.htm

小林健二個展[IYNKUIDU TFTWONS]の案内状です。

小林健二個展[IYNKUIDU TFTWONS]の案内状の裏面。

東京京橋にあるギャラリー椿では9年ぶりの小林健二新作展覧会となります。

前回は2008年の[MUTANT]です。

 

型を作るために、バンドソーで木取りしている様子。(小林健二の製作風景)

型に金網をのせ、中央を押して出っ張りを作っている様子。(小林健二の製作風景)

プラスチックのハンマーでゆっくりと型に押し込んでいる様子。(小林健二の製作風景)

金属製のローラーで金網を成形している様子。(小林健二の製作風景)

コーナーはその場で自作した治具で、金網を叩き込んでいく。(小林健二の製作風景)

特殊なハンマーでコーナーをさらに内側から成形している様子。(小林健二の製作風景)

長さ2mを超える作品のパーツが揃っている。それぞれの技法で仕上がっていった3つの不思議な形状。あくまでも製作途中ですが、すでに小林健二独自の世界が現れている。(小林健二の製作風景)

これまで小林健二に愛情を持って仕立てられ、出番を待つ道具たちの助けを借り、彼の心の中にあるイメージが具現化されてゆく。

この後作品がどのような仕上がりになっていくのか、是非会場で対峙して見てください。今週の土曜の9月9日から開催されます。

http://www.kenji-kobayashi.com/2017kk-expreview.html

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小林健二の製作現場からVol.1

2017年9月9日~30日(日曜・祭日は休廊)ギャラリー椿(東京・京橋)にて小林健二個展が開かれる。

新作を製作している様子を少し紹介。(今後個展開催まで、何回かに分けてアップ予定です)

ここでも、使いやすいように整備されている様々な道具や工具が活躍しています。

小林健二の道具(US Micro-Mark社のミニパワーツール)右から、ディスクサンダー、スウォードソー、クロスソー(ジグソー)、ドリル、プレーン(電動鉋)、ベルトサンダー

小林健二の道具(US Micro mark社のミニパワーツール)ディスクサンダーを作品製作に使用しているところ

小林健二の道具(US Micro mark社のミニパワーツール)
クロスソー(ジグソー)をテーブルに固定して、ミシンのように使用している

小林健二の道具、彫刻刀など

小林健二の道具。木を削るにも、目的によって道具を使い分ける。

小林健二の木工道具

小林健二の道具。ソリ鉋など、右上はコンパスプレーン。

小林健二の道具。小林にとって西洋鉋は木材の加工に欠かせない道具の一つ。画像はスタンレー社のもの。

小林健二の道具。西洋ノミの一つ。

小林健二の道具。木の端を西洋ノミで斜めに削った後、日本のきわ鉋で整える。

小林健二の道具。カンナ屑が詰まりやすいため、台をその場でなおす。

小林健二の道具。台を直した鉋はスムーズにカンナ屑が出て、快適に使用できる。

小林健二の道具。同じ西洋ノミだが、使用方法は自在。

小林健二の製作現場。透明な素材を好んで使用する小林、多分その支持体を製作している模様。

小林健二の製作現場。透明な素材を支持するための木を加工し、サイズを合わせる。これも作品の一部になると思われる。

*2017,7/15、小林健二の仕事場にて

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木工具-鉋(その2)

東京田端にある中古道具を扱う店で道具を見る小林健二

作品を製作する上でも欠かせない道具たち。小林健二は性分としても道具好きです。

旅行先の蚤の市や国内の骨董市などで入手した道具たちは、大切に仕立てられ実際に使われています。刃が錆びてしまったり、半ば壊れてしまったような中古の鉋たちを、再び使えるようにする作業は、とても充実して気分転換にもなるそうです。

今回も引き続き、小林健二の道具から鉋をご紹介します。

典型的な西洋の鉋で、台は金属製のものです。(小林健二の道具より)

上の鉋から刃を外した画像。刃(カンナミ)の刃角や刃の出具合をネジで調節できるようになっていて、とても合理的な構造です。(小林健二の道具より)

これも古い西洋の鉋ですが、台は木製です。(小林健二の道具より)

上の鉋を分解したところ。これより刃の研ぎや調整などをして、使用できるように仕立てていきます。このような作業はとても充実すると小林健二は話します。(小林健二の道具より)

鉋にも色々な種類があります。一般的には英語でいうとplaner、つまり平面に削る道具ですが、例えばしゃくるように削るための鉋や、色々な断面に削るものなど様々で、断面の名前もついています。

平鉋に関して、日本の鉋の場合は刃の研ぎや出具合、台の調整など注意が必要です。

西洋の鉋はその辺りがネジで調節するなど合理的に出来ていて、国民性がうかがえます。

また古来から使用してきた木の種類によって道具が発展してきた経緯もあるため、民俗学的にも研究していくと面白いです。

色々な日本の鉋(小林健二の道具より)

西洋の鉋(主に断面や溝を削るもの)(小林健二の道具より)

両手で左右の柄を持ち、しゃくるように削っていきます。(小林健二の道具より)

断面を削る特殊な鉋。二丁ザシ(一番左)になっているものもあります。(小林健二の道具より)

上の鉋の裏面。このような断面に削れていきます。固定してある木を定規にして削っていくわけです。ちなみにオスメスのインロー面に削れる面取り鉋です。(小林健二の道具より)

面取り鉋の色々。(小林健二の道具より)

上の鉋の裏面で、刃の形から削れる断面がわかります。一番右の鉋は、小林健二自作の鉋です。(小林健二の道具より)

木工具ー鉋(その1)

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インタビュー:小林健二

小林健二という人間を説明することは大変に難しい。画家という肩書きはあるものの、彼は美術という領域だけでは説明できないほど幅広い世界を浮遊しているからだ。

天体、科学、動植物学、その不思議に彼の興味は注がれる。

東京・小石川にあるアトリエはおよそ画家のそれとは思えない不思議な空間である。

膨大な書物と鉱物、そして大工道具がところ狭しと並んでいる。雑然とではない。その並び方一つ取っても彼がそれらを愛していることがよくわかる。

彼の作品は、額縁に納まるモノばかりではないのだ。

「子供の頃から絵を描くのは好きでした。でも、将来絵で食えるかなんてきっと誰も考えていません。ぼくはアルバイトで溶接の仕事もしてたんです。いろんなアルバイトをしましたけどね。溶接というか溶断するんです。怖いんです、火が飛ぶし。途中で火が消えちゃうことがある。場合によっては火がホースの中を通っていく。アセボンベより酸素の方が圧が高いから。ひどい時は ボンベが爆発するんですよ。作業中、火が消えたときに吹管が熱くなって来ることがある。変だなと思って一旦バルブを切ってまたやる。すると後で言われました。『いやぁ、健ちゃん危なかったねぇ。もうちょいでカラスになるところだったよ。』って。『あのまま君がバルブ切らなかったら、アセボンベが破裂してた。』

その時は残量が少なかったからよかったんですけど、そういう時ボンベはロケットになって飛ぶという。カラスになる。一緒にやってる奴らはみんなビビッてやめちゃった。」

こういう話を楽しそうにする人なのである。

小林健二のアトリエの一角(小石川)。

小林健二のアトリエの一角(小石川)。手道具、電動工具などの棚と旋盤など。

小林健二のアトリエの一角。執筆などに使っていた小部屋の内部。

 

小林健二が使用していた吹管(スイカン)

面白くて不思議な人間が作り出すものだから、不思議なモノが出来上がる。自然の不思議がその根底にあるのだ。それは誰にも媚びない彼流の生き方にも現れる。

「東京の生まれだけど、ここも随分変わったと思う。子供の頃から比べると緑は少なくなったし、東京オリンピック前は道も石畳で、よく出かけた上野の科学博物館なんかレンガ造りでシャレていた。

でもどこにいたとしても自分の生き方で生きたいと思っている。ぼくの場合は、考え方と生き方を示すのがぼくの生きている意味だと思う。お金のためじゃなくて、やっぱり仕事をするにも信頼関係って大事じゃない。

(中略)

コミュニケーションって大切だと思う。それはその人が本当の気持ちを話しているから伝わるわけだし、ぼくだって、必死になって伝えようとしたい。それが取りもなおさずぼくの業(なりわい)でもあるわけだしね。

人間って、まずはその人であることが一番自然でいい状態なはずだよ。自分のやりたいことや出来ることをイメージして、そしてその時に出来ることから始めていく。ある程度のリスクは自分の可能性を広げていくにも必要なんじゃないかな。」

20代の小林健二。この頃は何人かの仲間と共同で文京区本駒込にアトリエを借りていた。ドアにそのアトリエの名前が見える。

アトリエアオ(フランス語で表記してある)という屋号は、今でも小林健二の仕事場の名前として使用している。この画像は小林健二が20代の頃、仲間とグループ展を銀座でした時の案内状の表面です。

この画像は小林健二の道具の一部。自作絵の具を作るためのものです。

画像は小林健二の道具の一部。キャンバスを作るためのものです。

小林健二が20代の頃に、自作のアブソルバンキャンバスと自練りの油絵具で描いた作品。

小林健二は20代の頃は溶接のバイト以外にも、額縁製作の仕事もしながら、絵を描き続けていた。これは、たまたま残っていた額縁の画像を掲載しています。

20代の頃の小林健二、絵画技法の研究に熱中していた頃です。壁には自作の変わった形の額縁がかかっています。主に額縁店などに卸していたようで、鏡などが入ったようです。

*2000年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像が新たに付加しています。

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木工具-鉋(その1)

木工具と一口にいっても、切ったり削ったり、また穴をあけたりするといった目的 によって道具を使い分けることで、安全で楽しい工作ができます。

木を加工するうえで重要なのは、切断する鋸(ノコ)、切削の鉋(カンナ)類、そ して鑿(ノミ)や小刀、罫引き(ケヒキ)などもあると作業が楽しくなるでしょう。 もちろん、金槌やドリル、砥石なども大切です。

鉋(カンナ)はご存知のように木材を平らに削るのに使用するものです。ただそれは、正確には平カンナと呼ばれるものです。他にも木の角を丸く、あるいはいろいろな形に 削るものや曲面を削ったりするためのものなど、いろいろな種類があります。

カンナは鉋身(カンナミ)といわれる鉄や鋼でできた刃が木でできた台についている構造になっていて、その刃が一枚のものと二枚のものとがあります。西洋鉋には金属製の台に刃がついているものもあります。

色々な洋鉋、右手前と一番大きいものの下にある鉋は、フランスに旅行した際に蚤の市で購入したものという。左上がコンパスプレーン。(小林健二の道具より)

画像は主に洋鉋で、右上に見えるのはコンパスプレーンです。(小林健二の道具より)

コンパスプレ-ンと言う特殊な鉋。下端を供に外ソリや内ソリ鉋として可変して使用することができる。(小林健二の道具より)

コンパスプレーン。横から見ると仕組みがわかりやすい。台が内側に反っている状態。(小林健二の道具より)

コンパスプレーン。横から見ると、台が外側に反っている状態がわかる。(小林健二の道具より)

小林健二の道具

英国スタンリー製の鉋・No.45。45通りの断面に削ることができるという意味です。(小林健二の道具より)

英国スタンリーのカタログ1929年版より(小林健二の蔵書より)

英国スタンリーのカタログ1929年版より(小林健二の蔵書より)

鉄製の洋鉋の一例。木の板に古典技法によって絵を描くとき、パネルに引っかき傷をつけ、その上にのる下地の定着を良くする特殊なもの(左より2つ目)も含まれている。(小林健二の道具より)

普段木工手道具の中で最も使用しているスタンリーの鉋。No.1の小さなものからNo.7の大きなものまで写っている。(小林健二の道具より)

お気に入りの真鍮製の洋鉋各種。目的によって各々を使い分ける。使い込んだ道具の美しさが輝いている。(小林健二の道具より)

これらは欧米でよく使用される洋鉋。上はNo.4プレーン(Lie-Nielsen)で刃幅は2インチ(約50mm)。小さいものは楽器用のものや細部用で、ソリッドモデルを作るのにはとても約立つ。米国のリー・ニールセン製の鉋はお気に入りの一つです。(小林健二の道具より)

上の画像の中でもっとも小さいもの。刃幅はわずか7mmほどだが、小さなシャクリを付けるときに便利。(小林健二の道具より)

 

*鉋について、何回かに分けてこれまでの記事からの抜粋に新たな画像を加えて紹介しています。今回は洋鉋を主にチョイスしています。

木工具ー鉋(その2)

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[XYSTUM-怪物の始まり]

小林健二個展[XUSTUM-怪物の始まり]パンフレット

怪物の始まり

ぼくは近視のせいか散歩の途中にふとビルの側帯に 隠れるようにしている巨きなものを見ることがある

よく目をこらしてみれば それらはたいてい大きな木や小さな森 あるいはビル自身の落している影であったりするのだけど・・・

やはり一瞬何かを見たような感覚は 忘れられないでいることが多い

まだ目が良かった幼い頃にも 曇りガラスに映る雲からの陰影や コップの中の水のひかり あるいはマッチ箱の小さな暗がりに何かを見たような そんな記憶を呼び起こさせる

とりわけ疲労した日の気怠るさの中で 沸き立つお湯の音などに遠く聖堂での大合唱や知らないはずの村祭のおはやしを聞いたり 大きくゆったりした風が電線をひくくハミングのように鳴らし ちょっとぞっとして でもワクワクするような夜に まるでそれらを背景曲のようにして 子供たちの夢から夢へと移り住まう不思議な怪物たちのことを想うのだ

怪物とはいっても それらは少しも恐くはなくて むしろやさしい影や霧のようにつつましく 少し涙を流していることもある気さえする

そしてぼくは思わず「いつもありがとう」と小さくこころの中でつぶやいてしまうのだ

小林健二

(*パンフレットに書かれた小林健二の文より)

小林健二個展[XUSTUM-怪物の始まり]に開催されたトーク風景

「一応、昨日今日始めたわけじゃないんで、30年以上この仕事をしていて、こういう樹脂を使って絵を描く場合、剥がれちゃまずい・・どういうものがいいのかって考える。

この半透明な部分は、メルターやホットガンとかのタマ、トランソイソプレンっていうんだけど、熱を加えるとギューンと溶けて、その原料を使っている。」

 

 

「モレット」という絵の具を練るのに使う道具の説明をする小林健二

絵画技法などに精通する小林健二。絵の具を練るためのモレットや練り板(大理石)、顔料やメデイウム、筆、パレットなど。手前には湯煎器(自作キャンバスを作るときに使用するニカワを湯煎したりする道具)、金箔など貼るための道具も見える。

今回は支持体として自作キャンバスが多く使われている。木枠にキャンバスを貼るときに使うカナヅチ(先が磁石になっていてキャンバスを固定する釘が先端につき、そのまま打ち込める)

まさに怪物のような電動工具。形が好きだと説明する小林健二。

「Zoe-ゾゥエィ-」
自作キャンバスに油彩、紙、木、他
oil, paper on canvas, wood, others 1345X1942mm 2006
Zoe 命という死への運命(さだめ)を背負っている 傷ついた永遠 
Zoe 数えきれないほど自から命を生んで また見送ってきた
Zoe その都度悲しみが生まれ この繰り返しの意味をいつも想い続けてきた 
Zoe 誰かを呼ぼうとした そして何かを話してみたいと思ったりもした 
Zoe 繰り返す果てしない世界に いつの間にか夢のくらしとの間(あわい)が消えてしまっている 
Zoe 今どこかにいて 自分を見つけようとするこころと出合える期待が生まれている 
Zoe 誰かの呼ぶ声が聞こえる そしてそれは何かを話そうとしている
Zoe それはかつてむかしに お前から生まれていた想いのひとつ 
Zoe いつの間にか世界という一つの風景の中で 錆び付いたように見送られて

「Ymil-イュミル- 」
自作キャンバスに油彩、鉛、木、他
oil. lead, on canvas, wood, others 1335X1300mm 2006
とても寒いところ 氷点下に冷却した地物に 霧のような水蒸気が昇華して 現れたと言われる霜の巨人イュミル 大気と同じくらい巨大でいながら まさに息を吹きかけるだけで 溶けてしまいそうな やさしい心の怪物 イュミルの肉は大地へと 血は川と海 頭蓋は蒼穹になっていったが イュミル自身 今どこにいるのか わからない でも その奈落へと続く入口は 風の凪いだ空のように 穏やかだった イュミルは この世を見守り続けている

「Hylco-ヒルコ- 」
自作キャンバスに油彩、樹脂蝋、木、他
oil, resin wax on canvas, wood, others 1335X1300mm 2006
ヒルコよ 悲しき怪物 神と呼ばれし美(う)まし二柱(ふたはしら)より生まれしも 醜(に)し嵶(たおや)しそなたゆえ 葦(あし)の舟で流されて その世より葬られしを 
ヒルコよ 今 おまえは 安らぎの場所にいて 巨大な風や青空とこころを同じにしている 
ヒルコよ 思い出すらなき命よ 知らぬ世界の御使(みつかい)の透明なラッパが顕われて そよ風のように奏でかける ”Vere tu es Deus absiodius!”  汝こそ まさに隠れたる神なり ゆるやかな静けさの中で

「Emeth-エメット-」
自作キャンバスに油彩、樹脂蝋、金属、木、他
oil, resine wax, metal on canvas, wood, others 1335X1300mm 2006
真実amtという名の脆弱な怪物 哀れにも人の都合のままに 数々の呪文によって この世に姿を現わすこととなった いつでさえその頭文字aを消されると 即座に死mtと変わると言う 気紛れな人の勝手とうらはらに この部屋ではいつのまにやらtの神の印が溶けはじめ 透質の結晶の堆い化合物をつくりはじめている 残ったamは 霊のこととなり すでに誰にも殺せない本当の怪物となってゆくのだ 夜はひっそりと静まりかえり 次ぎの出来事を待っている

KENJI KOBAYASHI

 

 

アーティストのアトリエと道具

小林健二に道具や材料、技法のことを語らせると、そのまま本が何冊かできてしまうほど。古道具屋や工具店をのぞくのが気分転換にもなるという。

”道具マニア”だが、ただ集めているのとは違い、実践が伴っている。使い込まれた彫刻刀、ノミ、かんな・・・懇意の職人さんから譲り受けたものもあれば、道具屋で発見した江戸のもの、自分で作ったものもある。「『藤白』と書いて”とうしろ”銘を持つ刃物もある。その洒落気が心憎い」と話す。

入り口から奥を臨む。この場所は小林健二が20代に文京区に構えた最初のアトリエとなります。

小林健二最初のアトリエ

旋盤などの機械や、金属加工用の様々な工具が置かれたアトリエにて。小林健二

金属をけずったり磨いたりするグラインダー類。「ぜひ、田端新町へ行って欲しい」と語る小林健二。明治通り沿いに、中古の電動工具を扱う店が並んでいて、いいものが格安で手に入る。新品1台の値段で写真のグラインダーが全部買えるくらいだ。「特にモーターを使った工具はいい。淘汰されている。モーターの周波数とベアリングがなじんできて、新品より音がうるさくない。」という。何台も揃えておくと、いちいち砥石を付け替えなくても済むので便利。

まるで作品のように美しい金工用のゲージ。やはり中古を購入。

絵の道具一式。絵の具を意味なく無駄にしたくないので、パレットはいつも綺麗にしておく主義。描くというより塗るに近い状態になると筆より指が活躍する。先端に曲玉のような石のついたスティックはバニッシャー(テーブルの上)。本来は金箔を磨くものでメノー棒と言われるが、小林健二は主として鉛の艶出しに使用。細いピンはブロックス社製アンバーニス(テーブルの上)。フランドル絵画の堅牢な絵肌を作ったと言われるもの。「真偽はわからないが夢があるから」と手に入れた。

小林健二の道具の引き出しの一部。かんなやノミ

小林健二の道具。彫刻刀の引き出し。

*1991年のメディア掲載記事より抜粋編集し、アトリエ全体の画像以外は記事より複写しております。現在、小林健二のアトリエにある道具の数もかなり増え、美しく手いれされた古今東西の道具たちは、今でも大切に扱われています。

記述にある田端新町に関する記事も下記にリンクしておきます。

ぼくの遊び場

現時点ではかなりお店の数も減っているようですが、興味があれば自転車などでまわってみるのも面白いかもしれません。というのは明治通り沿いに点在しているため、歩くには少々道のりがあるようです。この取材当時は、中古の機械を扱うお店が並んであったそうです。

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初めての模型用工作機械

ベルメックスのショールームを訪ねて

ベルメックスインターナショナルのショールーム内部

ベルメックスで紹介している工作の洋書。小林健二は[WORKSHOP PRACTIS SERIES]をほとんど揃えている。

ぼくがはじめてベルメックスインターナショナルへ行ったのは、かれこれ20年近く前になります。それまでは経済的事情から中古機械を入手していました。ところが仕事上どうしても棒状の挽物を作らなくてはならなくなり、いつもペンチやドリルなどを売ってもらっていたお店に「それくらいのサイズの木工旋盤なら」と日本橋のベルメックスを紹介されたのです。

ベルメックスは今も当時も高級そうな立派な工作機械が整然と並んでいて、その頃お金にあまり縁のない人間にとって、場違いな気がするほどでした。

その素人のぼくに丁寧に対応してくれたのが、何を隠そうそこの社長であったというわけです。一時間後ぼくは工作機械購入の初体験をしたのですが、それはまさに機械と呼ぶのにふさわしく、芯間1100mm、振りが350mmの鋳鉄製で、重量200k議場の木工旋盤でした。にもかかわらず、とても廉価だった記憶があり、それ以来勝手にゴヒイキという次第です。

ぼく自身その後バンドソー、グラインダー、12Vの溶接器、ベンダー、ベルトサンダー、動力用ベルトサンダー、小型高速ボール盤などなど・・・細かいものを入れると数十に及ぶ機械を購入させていただきました。

小林健二が初めて手にした大型木工旋盤。ベンダーも下に見える。

小林健二の木工旋盤が置いてある壁に設置された自作の棚に、バイトなどが使い勝手がいいように並べられている。

ここのショールームの良さは、興味ある機械や工具を直接試すことが」できるということです。まだ機械にあまり慣れていない初心者にとっては、このことはとても重要で、大抵購入した後でもう少し大きかった方が・・とか、その逆とか・・、あるいは違うタイプのものの方が良かったと気づくことがあるからです。また金工系の洋書も扱っていて、内容を確認してから買うことができるのも嬉しいことです。

多種色々なキットや小型から大型の機械もあり、廉価なので近くに行かれた折には立ち寄られるといいでしょう。なお、ホームページも充実していますから、こちらものぞいてみてください。独自オークションも行なっています。

 

ベルメックスインターナショナル

地下鉄日比谷線小伝馬町駅近く、江戸通りに面している。http://www.bellmex.com

 

*2005年のメディア掲載記事を抜粋編集し、上から2枚目までの画像は記事の複写、それ以外の画像は新たに付加しています。

 

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ART FURNITURE

子供の頃、家のそばに小さな町工場(まちこうば)というか、大きめの土間というか、そんな感じのところがあった。そこは、仲のいい同級生の家に向かう道の途中にあったので、まるで毎日のようにその前を行き来していた。そんなある日、その中から叫びとも掛け声ともつかぬ声とともに、やたらドカドカと音がする。好奇心に駆られて中に入ってみると、中年の男性が脚のある、どうやらイスのようなものに、スプリングや何かバンドらしきものをつけているか何かしていた。思ったよりすぐそばで目があっていたし、その汗まみれがニヤリと笑ったものだから、思わず「おじさん何作ってるの?」なんて聞いてしまった。すると男性は「カグダヨ」と言った。はっきり言って怖かったし、意味もよくわからなかったので、大急ぎで逃げるようにして家に帰った。家族に「あそこは何の家?」と尋ねたら、「あそこは自転車屋だよ」とのこと。「カグ」が「家具」とわかるのにも時間がかかった次第だし、ただの変わり者かもしれないおじさんとの出会いによって、中学の頃までイスは自転車屋が作るもtのとぼくは思っていた。

今にして思うと、気取り屋であったぼくにとっては、奇妙な建て増しや改造によってさながら妖怪屋敷の風であった我が家は、何にも増して悩みのタネであった。

そんな中では、突然3日ほどで内ブロが完成したりすることは日常茶飯事なのだが、倉庫の奥の端につくられたこれは、真昼でさえ懐中電灯を持たなければ、そこまでたどりつくことはできないと言った具合で、暑い夏の日の午後に、蝋燭を立ててそこで行水する母は、奇々迫るものがあった。

家がこんな感じだから、その中にある家具がどのようなものか想像してもらいたい。大体においてチャントシタ物、新品の物名ぢないわけだから、イスにしても机にしても小学校のうちに一通り作る機会に恵まれてしまったぼくに取って、家具を作るということは、アートとかデザインとかに関わらず、最も日常的なものになった。

小林健二製作の植物と一体化した家具。根が植えられている状態で展示されています。

小林健二製作の植物と一体化した家具。根が植えられている状態で展示されています。

小林健二の家具の部分。根のしっかりと付いた状態で水やりを忘れなければ、展示中に花も咲き実もつけた。

小林健二の家具の部分。根のしっかりと付いた状態です。水やりさえ忘れなければ、展示中に花も咲き実もつけた。

話は急に飛んで、その後美術に関係する仕事を始めてから最初に家具に関わったのは、1987年だった。”家具のオリジナリティ”という内容を持ったイベントであったので、”共存”をテーマとして植物と一体化した家具を作った。それは、テーブルやイスの中に水回りやメンテナンスを考えて、土や保水剤を使い、実際に根をはらせ、一ヶ月以上の展示の間にも枯れたりすることのないよう計らったもので、植物は花を咲かせ、小さな実もつけたりしてくれた。

しかし、製作の依頼や注文といった具体的なことになったきっかけは、ある時、期限が一ヶ月もない急ぎの仕事を友人から受けた後のことであった。その時の内容は「製品として売れること目的としながら面白いもの」というやたら漠然としたもので、一瞬ヤバイかもと思ったが、簡単な家具や照明器具ならイケルと製作に入ったものの、照明器具に凝りすぎたため、家具の方は一週間ほどしか時間が無くなってしまった。ところがかえって、それで悩んだりせずに作ることに専念でき、気分転換にまでなったりした。

その時に作ったイスやテーブルの製作工程は、まず注文が出ないように、なるべく手持ちの材料と技術でできることを念頭に置いてエスキースを描き、その中から作るものを選ぶことから始めた。次に座るという目的のために、大体の各部位の寸法を出した。基本的には鉄と木が中心になり、装飾のため、石、樹脂石膏、布、松脂を使った。鉄部の板材は4.2ミリ厚で、ガスとプラズマ・カッターで溶断し、その切断面をサンダーで整え、脚となる直径16ミリの鉄棒などを溶接し、木部や他の素材や、ノックダウン(各部剤を接着剤などで固定せずに、取り外し可能な状態にする)するところなどには8ミリ六角レンチを使用するため、あらかじめタップ(ネジで固定できるように、あらかじめネジ穴を作ること)を立てておいた。

プラズマカッターで鉄板を切断している小林健二

プラズマカッターで鉄板を切断している小林健二

また、防蝕を兼ねた表面処理は時間がなかったため、酸洗いで黒皮を取った後、簡単に黒染めをして調子を整え、その上にウレタンを塗っておいた。ただこのままでは面白くないと思ったし、錆が出ていた時の鉄の感じも好きだったので、鉄粉とPVA(ポリビニールアルコール)とで絵の具状のものを作り、部分的に塗って、その上にオキシフルをかけサビを出した後、蠟を塗って落ち着かせた。物によってはその上に溶かした松脂と蜜蝋で麻の布を張ったり、石灰の粉を漆と混ぜて塗ったりした。木の部分は木の商いをしている友人が、ワレやネヂレためにはねられ、捨てなければならない木があるからと譲ってくれたジョンコン、マコーレ(南洋材)、タモなどの木を用いた。以前より持っていた釿(ちょうな)を使い、大きくハツッタ(ハツル=木をちょうなで大まかに剥ぎ取ること)後、トクサ(トクサ科の植物、茎は珪酸を含み、堅いので細工物などを磨くのに用いる)とウズクリ(茅などを束ねて荒縄で縛ったもの。木を磨くと木目を出すことができる)で仕上げた。当初は石を彫ってつけたりしたところもあったが、その後型を作って樹脂石膏に置き換えたりした。

このようにして作られた家具が、その後70個あまりになるとは思いもよらなかった。

ぼくはこれからも仕事をしていてものが見えなくなったり、疲れてしまうことがあったら、趣味として家具は作ってみたいと思う。なぜなら、ぼくの作ったものを持っていてくれる人たちが「あれ結構愛着湧いたりして具合いいよ」なんて言ってくれる時は嬉しいし、かつて、石のテーブルに咲いた花が小さな実をつけた時に、とても感動したことがあったから。

小林健二

小林健二製作の家具。左から[ALIE] [FOUPOU] [DUMEX]。このイスたちは寝具専門店Al-jabrの依頼により製作されたもの。

小林健二製作の家具。左から[ALIE] [FOUPOU] [DUMEX]。このイスたちは寝具専門店Al-jabrの依頼により製作されたもの。

寝具専門店Al-jabrの内装や什器製作の依頼により製作された小林健二の家具たち。

寝具専門店Al-jabrの内装や什器の依頼により製作された小林健二の家具たち。

小林健二の道具の中でも、木工のための工具は多い。このイスの木の部分は、釿(ちょうな)と言われる道具使用。

小林健二の道具の中でも、木工のための工具は多い。このイスの木の部分は、釿(ちょうな)と言われる手道具を使用。

ウズクリ(茅などを束ねて荒縄で縛ったもの。木を磨くと木目を出すことができる)と小林自作の多分細い木を束ねてかtがめてある道具で堅木などは茅よりもこちらの方が強く磨ける模様。

右がウズクリ(茅などを束ねて荒縄で縛ったもの。木を磨くと木目を出すことができる)と左は小林健二自作の、多分細い木を束ねてかためてある道具で堅木などは茅よりもこちらの方が強く磨ける模様。

小林健二の手道具の中でも木工用のものは充実している。画像はその一部。

小林健二の手道具の中でも木工用のものは充実していて美しいものが多い。手入れが行き届いた道具の数々。画像はその一部。

Tools vol.3 from Kenji Channel on Vimeo.

*1990年のメディア掲載記事から編集抜粋し、画像が新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI