*2000年のメディア記事(小林健二へのインタビュー)からの抜粋です。
ーいつ頃から鉱物顔料に興昧をもつようになったのですか?
鉱物顔料というより鉱物自体に子どもの頃から興味があって集めていました。
絵を描くことが生活の中心になるようになって鉱物標本のなかでも色のついたものにとりわけ興味をもつようになったように思います。またティオフィルスやトンプソンを訳したり、チエンニ ーノ・チエンニ ーニ、グザヴィエ・ド・ラングレなどの本が出版されて、古典画法に輿味をもつようになりました。人聞が絵を描きはじめた頃、あるいは西洋の中世で鉱物顔料をいかにして絵具にしていたかなどを読んで興味をもち、よく通っていた鉱物標本屋で鉱物顔料を探すようになって、手の届くような廉価なものから徐々に買い集めていったのです。
シナバー(Cinnaber)
辰砂(しんしゃ)・主成分:HgS(硫化水銀)・朱、バーミリオン(Vermillion)と言う名の方が一般的でしょう。朱色と言うと不透明なイメージがあるようですが、鉱物結晶自体はたいていその表面はうすい酸化によって黒変していても光に透かして見ると美しい赤色をした透質の結晶です。最も古い赤色原料の一つで、天然の鉱物から粉体にして作った岩絵の具の辰砂などはとても高価です。写真の標本は高さが3cmほどある大きさの物です。標本産地:中国貴州銅仁鉱山
アズライト(Azurite)
岩群青(いわぐんじょう)・主成分:塩基性炭酸銅・マウンテンブルーとも呼ばれます。青く美しい結晶鉱物です。とりわけ高価な単結晶の素晴らしい標本であると裏から光をあてると濃い青色に透き通り宝石のような感じです。この鉱物は藍銅鉱と呼ばれ、粉体にすると粒子の細かいものほど明るい水色で粗くなると深い青色になります。標本産地:Touissit-mine,Oujda,Morocco
マラカイト(Marachite)
岩緑青(いわろくしょう)・主成分:含水酸基炭酸銅・マウンテングリーンとも呼ばれます。緑色の鉱物でその断面まるで孔雀の羽のような縞模様があることから孔雀石と一般的に呼ばれます。かつてクレオパトラがアイシャドウに使ったということで有名な緑色顔料です。マラカイトは彫刻をほどこしたり箱などの工芸品として加工されたりするのでその削った粉やかけらから顔料にしやすい鉱物です。・標本産地:Kolweiz,Shaba,Zaire
スギライト(Sugilite)
杉石・1977年に杉健一氏たちによって発見された石です。ぼくはこの石に1980年くらいに最初に出会い、むらさき色の顔料になるかもしれないと友人たちと試したことがありました。むらさき色の顔料は聞いたことがなかったのですが、杉石は明るいむらさき色の顔料になります。ぼくは 「スギムラサキ」と呼んでいました。標本産地:N’chwaning-mine,Hotazel,South Africa
ー鉱物標本を買って、それで実際に絵具をつくったりしたのですね?
最初にトライしたのはいまから二十三、四年ぐらい前でラピスラズリでした。
チエンニ ーノ・チエンニ ーニが樹脂などと顔料をまぜ、水中でそれをもみだして青い成分を出したという話を読んで、本当にそんなことができるのか不思議に思って、自分で実際にいろいろな文献や資料を探して顔料をつくったりしました 。当時はウィンザ ー・ニュートン社からウルトラマリン・ジエニユインと いう本物のラピスラズリからつくった絵具が売られていました。その頃の値段でおそらく一万か二 万円ぐらいでした。ウルトラマリンが出切ったあとの残り淳のようなアッシュ・ブルーというグレーの顔料も、水彩のハーフパンで飛び抜けて高い値段で売られてました。そんな時代でしたから、ラピスラズリを精製したりするのが実験的でおもしろかったのです。
その当時、ラピスラズリの原石は御徒町あたりの宝飾品屋から断ち屑がキロ五千円ぐらいで買えました。これを業者にスタンプ・ミルで砕いてもらい、さらに細かくしていくポット・ミルという機械を自分で買ってきて使用していました。ちょうどその時期、ある友人の紹介で中国産の群青を精製する仕事をバイトでやりはじめたんです。顔料を粒子の大きさで水簸という方法によって選別する仕事でしたが、このようにして鉱物を絵具にする方法を覚えていったのです。いろいろな安い鉱物の断ち屑から自分のオリジナルな絵具ができるんじゃないかなと思って、ほかにもつくるようになりました。
ラピスラズリ(Lapis Lazuli)
瑠璃(るり)
天然のウルトラマリンブルーです。ラピスは石の意でラズリは青を意味する古語で、青金石(せいきんせき)と和名では言います。この鉱物は黄鉄鉱と産出することが多くその金色と青色の対比は美しく天然結晶標本は素晴らしいものです。上質のものは青い色というよりも深い夜のような色をしています。標本産地:Bacla Khshan,Afganistan
ー鉱物顔料からつくった絵具をどういうふうに使っているんですか ?
最初のうちはさまざまな青い顔料を使って作品を描いていましたが、高価なのと手聞がかかるので、だんだん市販されていないような油絵具をつくるようになりました。たとえばデイヴイス・グレーというウインザ ー・ニュートンの透明な灰色やペイニーズ・グレーのような透明色をもっと濃いグレーにしたものだとか、セヌリエ社のブラウン・ピンクに近い色。市販されている赤や青などはっきりした色じゃなくて、透明色でかすかに紫や青みがかったものを天然の顔料でつくるとおもしろいんじゃないかなと思ってね。紫雲母や緑色の雲母を粉砕して、雲母(きらら)の粉体をつくったりしました。ふつうは白雲母を主体にして精製しますが、そうではなくすでに色が若干ついているものを粉体にしました。
ほとんど白いままで色が出てこないんですが、油絵具のように屈折率の高い展色剤といっしょに混ぜると薄い透明な紫や緑の絵具ができるんです。
ーたとえば現在でも青の顔料は高価であっても手に入れることはできるんですか?
結局、いまの時代なんでもあるでしょう。
合成顔料に人工顔料、染料からつくった顔料、あるいは有機顔料もある。人聞が絵を描きはじめて以来の歴史を振り返ると、青はとても貴重な色だったといえるでしょう。宝石ではサファイアやタンザナイトのような鉱物結晶を想像するかもしれませんが、サファイアのように硬いものを粉体にするのは大変です。しかも真っ青なのに粉体にすると白くなるんですよね。青い鉱物というのは、どこにでもあるものじゃないから、おのずと高価なものになる。それがラピスラズリやアズライトです。日本語でいう瑠璃や群青です。ほんの百年前にはとても高価で一般の人たちには手に入らない絵具がいっぱいあった。ウルトラマリン・ブルーはいまではシリーズ中最も廉価な絵具なひとつですが、金よりも高い時代がありました。ラピスラズリからつくるブルー・ドート・メール(ウルトラマリン・ブルー)があまりにも高価だったので、フランス政府がこの色を合成的につくったものに懸賞金を設けた。それで1826年にギメが発明したのですが、これが工業的合成絵具の先駆けになったのです。
クリソコラ(Chrysocolla)
桂孔雀石(けいくじゃくいし)
宝飾品としては加工しやすいがもろいというのが欠点とされますが、かえってそれは顔料にはしやすいのです。それはこの鉱物が結晶度が低いからかもしれません。ぼくはテンダー・グリーン(Tender green 軟らかくもろい緑の意)と呼んでいます。標本産地:Ray-mine,Pinal County,Arizona,USA
カイヤナイト(Kyanite)
藍晶石(らんしょうせき)・主成分:珪酸アルミニウム
この石の組成からすると粉体にするといかにも真っ白になってしまいそうですが、屈折率の高いビヒクルと混ぜると青さを取り戻します。そこでぼくはファントム・ブルー(幻青の意)と呼んでいます。標本産地:Itapeco,Goias,Brazil
ソーダライト(Sodalite)
方曹達石(ほうそうだいし)
ソーダライトは透質感のある濃い藍色をしています。安価で入手しやすいのに青色顔料として使用されないのは、粉体にすると白いガラスの粉という感じになるからです。ぼくは屈折率の高い展色剤や水ガラス等を混ぜて絵の具を作ることがありますが、そんな時にはこの上なく透明な美しい水色となるのでサイレント・ブルー(Silent blue)と名付けて使っています。標本産地:Curvelo,Minas Gerais,Brazil
ー青以外にはどういう色がありますか?
いちばん有名なものはシナバー(辰砂)ですね。真っ赤な朱、ヴァーミリオンのことです。純正の赤や黄もなかなか天然には存在しづらい色で、顔料鉱物だけでつくられているものはとても珍しいのです。シナバーは硫化水銀です。朱には印鑑を押すときの朱肉のイメージがあるけれど、岩絵具を顕微鏡で見てみると、透きとおってきれいな、まるで色ガラスを砕いたような透明度の高い絵具だとわかります。岩絵具になるような辰砂は日本でも海外でも産地が少なく、やはり貴重なものだったんですね。
赤でもうひとつ有名なものにリアルガー、日本語で鶏冠石というのがあります。群馬県下仁田の鉱山が日本で鶏冠石が出るところだといわれていて、二十歳の頃友だちに誘われていっしょに掘りにいったことがあります。鶏冠石には砒素が多く含まれ毒性が高いので鉱山は閉鎖されていましたが、 近くに転がっていた鶏冠石の塊を拾ってきました。
オーピメント、日本語で石黄も成分的に鶏冠石によく似た透明な結晶体です。コバルト系のオーレオリンのような色で 、これを粉体にするとレモン・イエローをちょっとくすませたような顔料になります。
リアルガーもオーピメントもシナバーと同じように純粋な結晶体で透明度の高い美しい標本です。どれもひじように高価なので粉にして顔料にしようと思う人はいないでしょう。
他に、黒では鉱物としてグラファイトがあります。 黒鉛のことです。アイボリー・ブラックやパイン・ブラックのように動物の骨とか植物を焼いてつくった炭なども顔料に使われている。煤もそうですよね。成分によって若干色は違いますが、白や黒はわりに天然界に多く存在しています。白なら白亜、チョークの類があるし、鉛系のものでは酢で鉛を酸化させたものもあります。緑にはアズライトとよく似ているマラカイトがあり、これにはエジプトのクレオパトラがアイシャドウにしていたという逸話があります。アズライトもマラカイトも天然鉱物ですが、銅を腐食して緑色の錆としてつくった酢酸銅やエメラルド・グリーンのように鉱物以外のものからもよく絵具をつくったのです。
たとえばアンバーという土色は一種の酸化鉄ですが、イタリアのシエナ地方の石土がロー・シエナ、これを焼いたものはバーント・シエナといいます。黒っぽい鉛を光らせたようなへマタイトを摺りつぶすとちょうどベンガラのような赤になっていく。そういうふうにつくられる色もありますね。
絵具屋がない時代には、絵を描く人間たちは、こうしてひとつひとつの色を苦労して手に入れて自分で絵具をつくっていたわけです。ネイプルス・イエロー、ナポリ黄と呼ばれる色はパピロニア時代からあるといわれているし、絵師は表現する以前にまず必要な色を入手しなければならなかったということでしょう。ある程度の財力や入手ルートのコネがないと一枚の絵を仕上げることも出来なかったかもしれません。(笑)
リアルガー(Realger)
鶏冠石(けいかんせき)・主成分:二硫化二砒素
赤色顔料として古い顔料で雄黄(ゆうおう)と言われることがあります。写真の標本は高さ8cmくらいのかたまりで赤く透明な結晶ですが、このようなものは一般的ではありません。この石より作られる鶏冠朱という色は朱より赤みの強い色で有毒です。単結晶の部分は美しいがもろく硬度がなく、顔料に適した面があっても標本としては光にも湿気にも弱く変質しやすい。標本産地:Mapdan,Macedonia,Yugoslavia
オーピメント(Orpiment)
石黄・主成分:三硫化二砒素
リアルガーを雄黄というのに対して雌黄(しおう)とも呼ばれます。とても軟らかく粉体にしやすい。この鉱物も透明な結晶をしていて金色にキラキラと輝いて美しいが、顔料にすると明るいレモン色の顔料になります。やはりとても古い顔料でオーピメントという名はauripigment(
金色絵具)という語がなまったものらしくやはり有毒です。標本産地:Getchell-mine,Humbidt Co.,Nevacla.USA
リモナイト(Limonite)
この場合黄土の一種・主成分:含水酸化鉄
一般的に言う黄土から赤土などの褐鉄鉱の一種で、写真の標本は褐鉄鉱の成分が草の根の周囲に厚い皮常に殻を生成して管のようになったもので、俗名高師小僧(たかしこぞう)と呼ばれています。これを粉体とすると黄土色と成ります。標本産地:愛知県豊橋市高師原
アズロマラカイト(Azurimalachite)
マラカイトとアズライトは混合して産出することが多く、それらをアズロマラカイトと呼んでいます。標本産地:Morenci,Arizona,USA
ヘマタイト(Hematite)
酸化鉄赤の一種・主成分:酸化鉄
外見は錆びた鉄状であったり、磨かれた黒っぽい金属のようだったりしますが、その名の示す通り (Hemaとは赤いという意味)砥石などで水をつけてゆっくりと研ぐと真っ赤な色が出てきます。写真の標本は板状に結晶していますが、このようなこのもあります。標本産地:Rio Marina,Elba,Italy
ー鉱物顔料を粉末にしたものをどうやって絵の具にしていくんですか?
砕いた粉末に膠着剤や展色剤を加え練りあわせていきます。粉自身の特性や展色剤をなににするかによっても絵具の質が決まるのです。水彩絵具と油性絵具という違いもあるし、あるいは同じ水性のアラビアゴムを使用したとしても、その中に入っているアラビアゴムの量や水分量によって水彩絵具にも、パステルにも、あるいは蝋などを加えてオイル・パステルにもできます。デトランプの技法にならって膠を加えて日本画の顔料にしたり、水ガラスを加えてステレオクローム式のものをつくったり、展色剤に卵の黄身や白身、あるいは全卵を加えてテンペラの材料をつくることもできます。
ー昔ヴァーミリオンとエメラルド・グリーンを混ぜると変色するといわれましたが実際はどうなんですか?
ヴァーミリオンには硫黄が含まれていて、エメラルド・グリーンにはそれに反応する成分が入っているという話ですね。 さっき話に出たヴァーミリオンは硫化水銀ですから硫化物が入ってますからね。エメラルド・グリーンは難しいので、鉛からつくったシルヴァー・ホワイトを例にすると、シルヴァー・ホワイトの鉛の成分と硫化物が反応して硫化鉛に変わり黒変します。ただ油絵具の場合、シルヴァー・ホワイトは塩基性炭酸鉛が主成分で、比較的遊離した硫黄分があってもそう簡単には反応しません。天然の硫化水銀からつくったものではないヴァーミリオンの場合には硫化物が安定しているので、油絵具の油が顔料のまわりをオブラートのようにくるんでますし、顔料と顔料が直接接触して反応することは少ないでしょう。ただ、顔料同士をそのまますり鉢ですったりすれば、みるみる色が変わっていくことは実際あります。
またウルトラマリン・ジェニュインをずっと水にひたしておくと、成分中の天然の硫化物が遊離して、だんだん水中に溶け出し、もとの顔料から硫黄分がどんどん抜けていってしまいます。そうすると青味がだんだん失せていくのです。顔料や鉱物結晶のもっている性質をよく理解しないと わざわざ絵具をつくっても無意味になってしまうのです。
ーいまの時代、絵具屋に行けば買えるのに自分で鉱物の顔料を使って絵具をつくることでなにか発見できたことはありますか?
ぼく自身が絵具づくりの経験から得たことがあるとすれば、簡単に手に入ると思っているものが、じつはほんの一昔前まで手に入れるのがとても大変だったのだと身をもって知ったことですね。れにコチニールからとったクリムソン・レーキとか、茜の根から抽出してつくったローズ・マダー、ローズ・ドレーのような美しい透明な有機顔料など天然界のいろんなものを人聞が利用しながら絵を描くことの必然性を考えさせられました。中世やルネサンス、あるいはそれよりはるか以前の人たちの描いた絵を見たとき、ひじように手間のかかる工程を経なければその作品は描かれなかったと思うと、また絵の見え方が変わりますね。
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