月別アーカイブ: 2017年2月

鉱石ラジオの回路とそのはたらき[コンデンサー後編]

透明ラヂオ
これは全体的に無色のラジオです。コイルは無色の石英ガラスの筒に銀の導線を使って作りました。ヴァリコンは白雲母の薄片に錫箔を貼り、セルロイドの透明な棒で回転体を作りました。検波器にはピーコックパイライトを使いました。
この鉱物標本は10年ほど前にパキスタンの業者から手に入れたもので、黄鉄鉱の表面がところどころ水色や紫色になっていて、しかも無色の水晶と共生していてとでも美しかったので使ってみたのです。鉱石の台は錫にアンチモンを加えたもので作り、支持体はガラスのカップを使いました。全体は無色の有機ガラスでできていて、有機ガラス板を曲げるのにはあらかじめ型を作る必要があります。また端子やツマミも、導体部分以外は透き通るようにポリエステルなどを使い工夫しました。この受信機を朝早くに聞くと、 とてもわくわくした気持ちになります。

固定コンデンサーの実際

ここで実際に作られたコンデンサーをいくつか見てみましょう。

マイカコンデンサー(固定コンデンサーの中でもマイカを使用したもの)

1745年に原理の発見ともいえるライデン瓶が作られて以来のコンデンサーの歴史の中でも、マイカコンデンサーはかなり古くからあったもので、およそ150年くらい前からつくられています。マイカは他の誘導体にくらべ、シビアに容量を追い込め、また湿度や高周波にも安定しているからです。

日本でも三陽社(日本通信興業KKの前身)が1915年(大正4)には生産していました。よくジャンク屋等で見かける旧式のマイカコンデンサーはいまだにその性能を高く評価され、とりわけアメリカのデュビリア社やサンガモ社製のものは高価でマニアに人気があります。

固定コンデンサーの基本的構造

ヴァリアブルコンデンサーの実際

鉱石ラジオの回路の中で、今までお話ししてきたようなコンデンサー、つまり固定コンデンサーだけではなく、その容量を変化させることができる可変容量蓄電器variable condenser通称ヴァリコンが大切な役割をするのです。コンデンサーの性質を説明したときに「その容量は対向している導体の面積とその導体の間の距離によって決まってくる」と言いました。ですから、その容量を変えたいときにはその大きな2つの要素をいろいろと変えるしくみを考えればいいということになります。

容量変化の要素
1,極板を近づけるほど→静電容量は大
2,極板を遠ぎけるはど→静電容量は小
3,極板の対向面積が大きいほど→静電容量は大
4,極板の対向面積が小さいほど→静電容量は小

まず、2枚の極板のギャップを変化させるために、ねじやスライドによってその距離を変えたり、ちょうど本を開いたり閉じたりするようにしてみたり、あるいはプラスチックのコップにアルミ箔をそれぞれの外側にはりつけ、2つのコップのギャップを変えたりするものがあります。これらは極板の距離を変化させることによって容量を変化させる考えです。

もうひとつの極板の距離を対向面積を変化させるタイプには、引き出しのように極板間に別の極板を出し入れしたりするタイプや筒状の金属パイプをスライドさせるビリーコンデンサーbilli condenserなどがあります。

可変コンデンサーの参考例1

可変コンデンサーの参考例2

初期の頃にはまだ他にいろいろなものがありました。たとえばセルロイドコンデンサーです。

金属のローラーR1と絶縁物のローラーR2とにうすいセルロイドの外側に錫箔をはったものをわたし、R1がそれをまきとったりあるいはまきもどしたりして、極板の対向面積や距離を変えるのです。要は極板の距離と対向面積を変化させればいいのです。容量を変化させるための新しい方法を工作する人がれぞれ考えてみるのも、工作の可能性を広げることにつながると思います。

セルロイドコンデンサー

エアーヴァリコン

エアーヴァリコンは絶縁物として空気を利用したもので、工業的に生産される可変コンデンサーの中で一般的に普及していきました。

それは設計のしやすさ、機械的堅牢性、安定した精度や操作性があげられます。 しかしながら初期においてはいろいろな形や特性のおもしろいものがありました。

エアーヴアリコンの構造

昔の工作の本を見ると、エアーヴァリコンを製作することはあまりないかもしれませんが、決して不可能ではないので、参考までにいくつかの代表的なエアーヴァリコンの羽の形などを図にしておきました。

エアーヴァリコンの静電容量の変化
abCのそれぞれの羽の形は回転軸(ローター)が回転していつたとき、固定軸(ステーター)と交わって作る面積の変化がどのようになるかを示したものです。aではほぼ直線的に容量が変化しますが、 bやCはそれぞれ、同調回路の中で波長なり周波数が直線を示すように容量を変化させるために設計されています。

エアーヴァリコンの羽の形

波長直線形の羽の形
波長直線型の羽の形も当時の設計者の考え方によっていろいろありました。ですからぼくらが固定コンデンサーやエアーヴァリコンを作ったりした時に各人いろいろなものができてかまわないのです。工作の時に参考にしてください。

画像のうち、大きいものは2連ヴァリコン(ギャングヴァリコンとも言う)。
右上は初期のシールドケース入りのもの。あとは単連の豆コン。

画像のうち、左上は真鍮製のため、重さのバランスをとるのにうしろにウエイトがついている。中のものは羽全体が鋳造製。右は四角い羽の変わったもの。

画像のうち、左と中は昔のエアーヴァリコンのポピュラーなもの。右はセルロイドケース入りのエアーヴァリコン。
ほこりが入りにくく安定した作動が望めます。

画像はパッディングコンデンサーpadding condenser。これは半固定コンデンサーの一種で、調整用に使用されるも
のでしたが、これを使った鉱石ラジオも比較的多くありました。まんなかのネジを締めたりゆるめたりすることで導板と絶縁板(マイカ製)の距離を可変し、必要な容量になったところで固定して使用します。

自作バリアブルコンデンサー(マイカ(雲母)と錫箔)

自作のヴァリコンのいろいろ

自作のヴァリアブルコンデンサー

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

KENJI KOBAYASHI

 

 

鉱石ラジオの回路とそのはたらき[コンデンサー中編]

”健二式鉱石受信機-Secret Voice””
秘密のささやきが鉱石のちからをかりてやってくる夜
ケネリー・ヘヴィサイト層(Kenelly Heviside layer)も安定して、ため息のような秘密をきかせる

コンセンサーについて(前回に引き続いての中編です)

静電誘導。電界・電気力線

よく理科の教科書に出てくる実験で、エボナイト棒をフランネルの布でこすると、フランネルの表面から電子がエボナイトの表面に移動してエボナイトは負に帯電し、その反対にフランネルは正に帯電すると言います。またガラス棒と絹布では、逆にガラス棒から電子が移って、ガラスは正に絹布は負に帯電するとも言います。電子がどのように移動していくのかは簡単には説明しづらいのですが、確かに実験上正(+プラス)や負(ー マイナス)に帯電している様子は認められます。この働きを合理的に示すのは電気盆と呼ばれる実験道具で、これによって先ほどのライデン瓶に電荷を集めることもできます。

電気盆の使い方No.1

電気盆の使い方No.2

電気盆の使い方No.3

電気盆の使い方No.4

プラスやマイナスの電子が集まったものを電荷と言い、その正や負の電荷を帯びていることを、正や負に帯電していると言っています。また電荷がその中を自由に動けるものを導体、動きにくいものを絶縁体と言います。金属や海水、人体などは導体で、ガラスや紙、ゴムなどは絶縁体と言われていますが、実際にははっきりと区別ができるわけではありません。絶縁体でもわずかに電荷が移動できるものもあり導体でも電荷の移動に対して抵抗がゼロではないからです。

この電荷の間に働く力(引きつけたり反発したり)の大きさは、両電荷の積に等しく両電荷間の距離の2乗に反比例します。これをクーロン(COULOMB)の法則と言います。簡単に言うと、電荷が大きいほど力が強く働き、近づけば近づくほど急激に強くなるのです。ちょうどこすった下敷きに紙片がすいよせられるとき、あるところまで近づけると急にピュッとくっつくようなことです。

静電誘導

これをもう少し説明すると、図ような導体を絶縁体によってテーブルなどから離したものに、プラスの電荷を帯電させたガラス棒を近づけると導体はガラス棒に引きよせられます。本来絶縁物である紙でも、重量が軽いのでやはり同じように引きよせられます。この時、ガラス棒に引きよせられたもののなかでガラス棒に近い部分にはガラス棒とは逆のマイナスの電荷が現われてくるのです。もともと中和されている状態にあったわけですから、ガラス棒より遠い部分には残ったプラスの電荷がたまります。

これらの正や負の電荷は、帯電体を近づければ近づけるほど強く現われ、引きつけられます。そして帯電体を遠ざけていくと、分離していた電荷は再び中和状態にもどって安定します。この帯電体を近づけたり遠ざけたりすることや、距離が変化しなくても向かい合う導体の帯電によって逆の電荷が現われたり消えたりする現象を、静電誘導と言います。またこのような電気力の働く空間を電界と呼びます。

電気力線 Electric Line of Force
上:異なる電荷は引き合い電気力線が正から出発して負へ向かう
中:ゴムのように引き合うがまた直角の方向へふくらむ性質がある
下:同じ電荷は反発する

電気のこれらの現象は目に見えないので、ファラデーは電気力線electric line offorceというものを便宜上考えていました。

これは以下のような性質があるとされますが、電気の現象を理解するのに役立つと思います。

1.電気力線は密なところは電界が強く、疎になるにしたがって電界は弱くなる

2.電気力線は正の電荷から負の電荷にむかっていると考える。

3.電気力線の両端には必ず正負の電荷がある。

4.電気力線はちょうどゴムの線のように正と負の電荷を引き付ける力を持っている。ただしゴムとは逆に近付けば近付くほどその力は増大する。

5.同じ電荷の電気力線は互いに反発しあう。

コンデンサーのはたらき

それでは、具体的なコンデンサーのはたらきを考えてみることにしてみましょう。コンデンサーとは絶縁物によってへだてられた2つの導体によって成り立っているものです。

コンデンサーの構造図

ほとんどの電気の本には、「コンデンサーは直流電気は通さないが交流電気は通

す」と書いてあります。このことを基本のところから考えてみたいと思います。まず、直流電気と交流電気とは、いったいどのようなものなのでしょうか。

直流の代表と言えば電池などの電流です。電池の中の電気がなくなるまで、15Vの電池なら15Vの電位差のまま(もちろんだんだんと電圧はさがってきますが)電流が流れるわけで、+と―の関係は変わりません。交流の代表はと言えば、いまぼくたちの家庭に来ている電源電流がそうです。

交流と直流
交流:この場合はサイン波 時(t)とともに極性が交番する
直流:+側も一側も電圧(V)が‐定で変化しない

50 Hzの交流とは1秒間に100回正と負を交番している電流のことです。しかし仮に1分に1回ずつ電池の極を換えて電気を流した電流を考えてみると、それでも定義Lは交流ということになりますが、高周波を扱うコンデンサーにとってはそのふるまいは直流とあまり変わりがなくなってしまうのです。

方形波と音声波形
電池(直流電源)の+と―を入れ替えても、 上の方形波の波形は理論上可能である。
1分の長さが1年でも理屈の上では交流であるのだが …
音声の波形は交流である。

また、容量の大きなコンデンサーになると、まったくの直流を流した場合でさえも充電が完了するまでのわずかな時間、電流は流れるわけです。ですから先ほどのコンデンサーの定義については、「直流や低い周波数の電流ほど通しづらく、周波数が上がるにしたがって電流を通しやすくなるもの」と言い直したほうが正確でしょう。ではなぜそのようになるのでしょうか。

コンデンサーのしくみ

コンデンサーの充放電

図のようにコンデンサーに電池をつなぐと、プラスの極板にはプラスの電荷がたまって、向かい合う板には静電誘導によってマイナスの電荷がたまります。

これは先ほど説明した静電誘導によるものです。これで充電ができました。充電が完了すると、もうこれ以上は電流は流れず停止します。ここでスイッチを1から2へ入れ替えてコンデンサーと豆電球をつないでみます。するとコンデンサーから充電した電子が放電し、豆電球を光らせます。もしこのコンデンサーに交流のようにプラスとマイナスが交番する電流を流すとどうなるでしょう。極性が刻々と変わる交流によってコンデンサーは充電と放電をくりかえし、2つの導体の間には絶縁体という本来電流を通さない層があるのにもかかわらず、あたかも電気が流れているように電流が認められます。

パイプの図
本来AとBの水はつながっていないが交番する水圧は互いに水流を伝達し合うー。
ゴムの膜が左からの水圧でふくれたところ
反対の水圧でふくれるだろう部分

それはちょうど上図のような感じだと思います。電流を水の流れ、導線をパイプ、電池を水の入ったプール、豆電球を水車とします。直流の場合、プールから流れ出る水流が直接水車を回していることになります。もし、このパイプの途中をゴムの膜で仕切ると、ゴムがふくらみきるまでは水流は発生してもそれ以上は流れなくなってしまいます。ところがこの水流を交番電流のように交互に向きを変えて流してあげると、水車の動きは一定方向ではありませんが、ゴムの膜によって仕切られているはずの管の中にちゃんと水流がおこっているのです。

ゴムの膜がふくらみきるまで水をためるこのしくみは、コンデンサーの働きを理解するのに役立つたとえだと思います。

このゴムの膜によってためることができる水の量を、コンデンサーが電気をためることができるキャパシティー(容量)だと考えてもらうといいでしょう。これは極板の面積が大きければ大きいほど増大し、そのすきま(ギャップ=GAP)が小さければ小さいほど静電誘導の効果によってやはり増大します。

この容量のことを静電容量といって、通常は単に容量(キャパスタンス)と言いl単位はファラッド(F)で表わします。もっともこれはとでも大きな単位なので、通常はファラッドの100万分の1のマイクロファラッド(μ F)、あるいはそのさらに100万分の1でピコファラッド(pF)という単位を使います。

以上のように、コンデンサーは、直流は通しづらく交流だと通しやすい、それも周波数が高ければ高いほど通しやすい、ということになります。ただし、コンデンサーの容量があまりに巨人である場合は充電に時間がかかりますし、また、あまりに高い周波数に対しては十分にキャパスタンスが得られないこともあるわけです。また容量を稼ぐためにそのすきまを小さくしすぎると、かける電圧が高い場合、スパ―クしたりしてしまいます。もっともそれほどの電圧も電流も使わない鉱石ラジオを製作する上では、あまり関係はありません。

コンデンサーと位相

コンデンサーと位相

コンデンサーには、もう 一つの重要なふるまいがあります。それは充電と放電をくりかえすシステムによって引きおこされます。図のようにコンデンサーに充電や放電が起こると、このコンデンサーを通過した電流のサイクルともとの交流のサイクルとの間に少しずれが生じるのです。

①のように交流電圧がゼロから最大までの間は、コンデンサーには充電のために電流が流れます。電流ははじめはたくさん流れますが、コンデンサーに電気がたまるにしたがって流れは減っていき、電圧が最大の時電流はゼロになります。そして

②では交流の電圧は減ってしだいにゼロになります。すると、コンデンサーの中の充電電圧のほうが高くなるのでしだいに放電をしてゆきます。

③のように電圧がマイナスのほうへ大きくなっていくとこんどは逆の極性で充電され、

④マイナスの電圧がピークを過ぎると充電電圧のほうが圧力が大きいので放電をするのです。

上図に示すように、この交流の1サイクルがちょうど4分の1ずつずれているとおもいます。波形がまったく反対になることを180°位相がずれる(あるいは逆相になる)と言いますが、この場合は4分の1なので90° ずれていると言い、山や谷がそれぞれ前の方にずれてきたようになるので、 90° 位相が進んでいると言います。

*後編も近日アップ予定です。次回ではコンデンサーの実際について紹介していきます。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

KENJI KOBAYASHI

 

 

鉱石ラジオの回路とそのはたらき[コンデンサーについて前編]

鉱石ラジオの構造は基本的に4つの部分に分けることができます。

1,空中線回路…アンテナとアースのことで、電波をキャッチして電流に変えるはたらきをします。(電波を電流に変える)

水の通る管のようなものでどちらが詰まっても流れない。

2,同調回路…たくさんある放送局から聞きたいと思う局の電流をよりわけます。(必要な電流を選ぶ)

低い周波数の電流はコイルから流れてしまい、高い高周波の電流はコンデンサーから流れ落ちる。

3,検波回路…声や音楽の信号を電波の中からよりわけます。(流れの中から音声の成分をよりわける)

流れの中から音声の成分をより分ける。

4,受話回路…声や音楽の信号をイヤフォンなどで耳に聞こえるようにします。

音声成分の流れを音に変える

 

銀河通信社製の鉱石ラジオキットの中でも、「銀河2型」が一番構造が見えているタイプなので、簡単に回路部分を記してみました。(この画像とコメントは「ぼくらの鉱石ラジオ」からの引用ではありません。)

自分なりに鉱石ラジオの製作を進めていこうとすると、鉱石ラジオがどのような構造で、どのようにして作動しているのか、少しでも理解している方が楽しく工作を深めていけると思います。たとえばちょっと変わったラジオを作ってみようと思ったとき、製作上具体的にどのようにして作ったらいいかをイメージしてみる上でも、原理を知っていると役に立ちます。各回路についてもっと後でお話しするとして、電気のふるまいを理解するためにまず簡単な電気の歴史とともにコンデンサーとコイルについて説明したいと思います。

[コンデンサーについて前編]

コンデンサーができるまで

コンデンサーは日本語では蓄電器といいますが、この言葉はすでに電気の世界でももうあまり使用されてはいないようです。コンデンサーcondenserとは通常、製品として作られたものを指しますが、英語でキャパシターcapacitorと言うこともあります。回路図などではCという記号で表わします。コンデンサーの構造やはたらきについては後で詳しく説明するとして、このコンデンサーはどのようにして考え出されたのでしょう。

歴史の本などによれば、古くギリシア時代から、装飾品として愛用される琥珀(樹脂などが化石化したもの)を布でこすると、小さな羽や麦わらなど小さくて軽いものを引きつけることが知られていました。琥珀=エレクトロンerektronはアラビア語で「引っぱるもの」の意で、それはまたペルシア語の「わらを盗む人」などを意味するエレクトラムelectrumに由来するとされています。この謎めいた表現は、ターレスTHALES(BC 640-546)をはじめ当時の哲学者たちの興味を引くものでした。これが歴史にのこる人間が初めにめぐりあった電気現象で、静電気と言われるものです。

下敷きで頭をこすると髪の毛が下敷きに吸いよせられたり、冬など乾燥している日にセーターを脱ぐとパチパチしたりするのもこの静電気です。やがで電磁気学を基礎付けたと言われる物理学者ギルバートWilliam GILBERT(1544-1603)が帯電するものすべてをelectrica(琥珀のようなもの)と名づけ、それがやがで電気electricityの語源となったことはよく知られています。

1660年にドイツのゲーリッケOtto von GUERICKE(1602-1686)によって摩擦起電気が発明されました。やがでこの静電気をなにかの方法で「ため込む」ことができないかと、人々は考えはじめました。1737年にデサグリエJean DESAGLIERS(1683-1744)がガラス管と真鍮によって作られたものに電気を帯電させ、 1795年にクライストEdward KLEIST(?-1748)という人が手にもった薬ビンの中の帯電したくぎにもう一方の手でふれた時につよいショックを感じたと報告しています。

これとは別に、1746年オランダのミュッセンブルークPieter van MUSSENBROECK(1692-1761)がビンの中の帯電した金属をもう一方の手で引き出そうとしたときに彼の助手とともにやはり強いショックを感じたのです。ミュッセンブルークはこのことから、電気をためることができるビンを発明しました。このビンは彼が教授をしていたライデン大学から名前を取って、「ライデン瓶」と呼ばれました。

ライデン瓶とその構造

これはガラスでできた広ロビンの内側と外側に錫の箔を貼り、それぞれから線を引き出し、帯電させたガラスや摩擦起電器から静電気を移し蓄電することができるものでした。これが蓄電器の最初です。

アメリカがまだ英国の植民地だった1752年に、あの有名なフランクリンBenjaminFRANKLIN(1706-1790)の凧上げの実験が行われました。これは雷が摩擦電気の放電現象と同じ自然界の放電現象だと考え、それを確認するためのものでした。それにより彼は翌年、避雷針を発明して落雷の多かった地方の人々を恐怖から少し遠ざけました。この実験に使われたのもライデン瓶でした。しかし、フランクリンの稲妻実験は非常に危険なもので、これにならった何人かの科学者は、この超高電圧の雷によって命を失うはめになりました。たとえばロシアのサンクトペテルスブルクのリヒマンGeorg Willhelm RICHMAN(1711-1753)は、嵐の中で電線を棒の先につけ高く掲げていたとき稲妻に打たれて亡くなりました。

またフランクリンはライデン瓶の内外2つの箔が正反対に帯電していて、放電とは正負の電気が相殺することであると考えました。

このフランクリンの正負電気論は蓄電器による放電実験を広める力となりました。しかしコンデンサーに当たる機器の名称は当時まだなく、電池で有名なヴォルタAllesandro VOLTA(1745-1827)が1782年に平行平板蓄電器を考案し、それをコンデンサーcondenserと名づけたのです。それがぼくたちが使っているコンデンサーの名の出来です。

やがてファラデーMichael FARADAY(1791-1867)が現われ、電気磁気学にとって重要な研究を多数試みました。なかでもコンデンサーとかかわりの深い誘電率や静電誘導をくわしく研究したので、コンデンサーの静電容量を表す単位にファラッドFARADとして名を残しています。ファラデーはこの他にも電磁誘導や発電現象などのたくさんの発見をしていて、日本ではクリスマスの講義をまとめた「ロウソクの科学」という本で広く知られています。

アベ ノレの実験

コラム[不思議な見世物]

当時、このライデン瓶という発明は異常なほどの興味とともに全ヨーロッパに迎えられ、不思議な見せ物として興業的価値も生じました。

たとえばアベ・ノレAbbe Jean-Antoine NOLLET (1700-1770)は、 フランス国王に供覧するためにチェイルリー公園に衛兵180人を連れていき、手をつなぎ合った兵士たちをライデン瓶によって同時に感電させたり、修道僧たちを3キロメートルにわたり 1列に並ばせて一人一人を短い針金で結び、同時に衝撃を与えました。

また、女性を起電機につないで感電させ、男性がキスをすると電気ショックを受けるものや、絶縁されたかどに人を入れて帯電させ、その人が手を近づけると紙きれや綿くずがぴょんぴょんくっついたり、さながら今の超能力手品のようなしかけで人々を驚かせたり喜ばせたりしたのです。

彼は頭がよく演出が巧みで魅力的でしたが、それはすぐれた科学者として静電気の働きをよく理解していたことをあらわしています。一般的には火をつかった手品などに使われて、ラベンダーの香水やエーテルの蒸気にライデン瓶の放電により瞬間的に点火させたりするものが多かったようです。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

KENJI KOBAYASHI

科学と魔法の境が曖昧な時期の発明

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ」筑摩書房
*カバーを外すと、中に不思議な色に発光する水晶の写真。

20世紀の初頭に生まれた鉱石ラジオは、半導体工業の原点となったものだ。原理的には電池などの電源がなくても、電波をキャッチすることができる。

「鉱石ラジオは電気工学の黎明期に誕生したもので、原理は本当には解明されていません。すぐにダイオードができて、研究が途中で放棄されたのです。それっきり、すっかり忘れられてしまいました。」

この本には鉱石ラジオの構造と作り方が実に丁寧に解説されているだけではなく、鉱石ラジオにつながる様々な電気的発見、発明の物語や、通信と社会との関わりの歴史が盛り込まれている。美しいカラー図版で収められた昔の、鉱石ラジオや小林さんのオリジナル鉱石ラジオが眺められるのも楽しい。

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ」より(小林健二の鉱石ラジオのコレクション紹介ページ、何ページかに渡り鉱石ラジオが登場する。)

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ」より(自作の鉱石ラジオの紹介ページ。自作不思議ラジオはまだまだ登場する。)

「構造さえわかってしまえば、単純なものから始めて、複雑なシステムに改良することが可能です。この本を趣味の時間、リラックスすることに生かしてもらえればと願っています。読んでくれた人が、自分の作ったラジオを孫にプレゼントできると言ってくれたのは、嬉しかったですね。」

小林さんはジャンルや技法にとらわれない表現活動を展開してきたアーティストである。人はみな得意不得意があり、たまたま美術の世界に進んだのだという。

「子供の頃から好きでやってきたことは、自分のペースで高めていけるし、関心や思いの幅が広がっていきます。人それぞれにアクセスの手段が違う、いろんな個性の人がうまく組み合わさっていくように、世の中はできているのだと思います。」

しかし、現在の社会は並列ではなく序列によって、人の関係が作られている。

「科学も田んぼの収益も、何もかもが経済原理の中に組み込まれて、弱いものは切り捨てられている。みんな一つの方向しか見ていないけれど、鉱石ラジオはもっと大事なもっと大事なものがあるかもしれないもう一つの視野、違う世界の象徴なのです。」

小林さんの表現は、そうした異なる空間に見るものを誘う。その表現を側面から支える膨大な蔵書の中には、鉱石ラジオが人々の生活の中に生きていた時代の科学雑誌や書物が、ずらりと並んでいた。

「人間と天然を結びつける本質的なものを興味津々で見直していくって、大切だと思います。自然と神秘、魔法の境がなかった時代の先人の経験なんかから、書物や話を通して学べることはたくさんあると思う。」

*1997年のメディア掲載記事から抜粋編集、画像は新たに付加しています。

小林健二自作の鉱石ラジオ

*以下に、小林健二が製作している不思議な作品たちを何点か紹介します。


「秘蜜商会」HIDDEN HONEY COMPANY
木、硝子、電気など 
230X190X220mm 1993
(1990年に制作された「秘密事業部-Secret Division」という作品を1993年に改名して発表。通電すると、窓にうっすらと人影が動き始めることがある)

「磁束界の距離」DISTANCE OF MAGNETIC FLUX FIELD
混合技法 mixed media 140X110X185mm 1993
(173-181一連の作品は、本来複雑に配線され、また多種の実験ができる装置となっており、いくつかの換算表と書物は、その実験を解説するもの)

「大気の中の隠れた電源」ELECTRICAL POWER CONCEALED IN THE ATMOSPHERE
写真、鉛 photograph,lead 650X465X30mm 1999
大気の中の隠れた電源 静かな実験室。人間による発見。 ここへはもう再びもどらないのだろうか? すばらしき変革。 本当はもうこれ以上ほしくないのです。めざましき発展。 只、静かな思いの世界にいたいのです。 1990 データ;6月1989 / 写真;1990

KENJI KOBAYASHI

 

微小世界への跳躍方

小林健二個展[EXPERIMENT1] Gallery Myu (健二自作の多重焦点 プレパラートを実際に顕微鏡で来場者がのぞくことができる。また壁面には、ピンクのバックライトに光るプレパラート作品が展示された。)

小林健二の自作多重焦点プレパラートと健二の顕微鏡。この場所で来場者はプレパラートをのぞくことができる。

小林健二自作の多重焦点プレパラート

ー顕微鏡の焦点深度って、ものすごく浅くてそこが顕微鏡の扱いにくさだったりするわけですが、小林さんの発表された「多重焦点プレパラート」作品は、逆に焦点深度の浅さをうまく利用していて、大変興味深く拝見いたしました。

「ああ、それはうれしいね。」

ーそもそもプレパラートでこのような作品を制作してみようと思われたきっかけは、なんだったのでしょうか?

「きっかけは一つだけじゃないんだ。小学校の時にプレパラートの下にゴミが付いててさ、気づかす見てたら、そこに焦点があっちゃって。間違えたものを見ててね。それが面白かったんだ。・・ってまた、子供の頃から透明なものを見るのが好きで、ゼリーとかビニールとか半透明のものとかもね。次々と中に入り込んでいくんだよね。ボヤけると次のものが見え、さらに次のものが見え・・・ってなる。」

ーゼリーの中に潜っていくような感覚がある、と。

「そう。そういう楽しみや経験の積み重ねが、後に『多重焦点プレパラート』につながったのかな。」

ープレパラートを本格的に作っていかれたのは、いつぐらいなんですか?

「10代の後半くらいから。その時、染色したり、スクリーントーンを貼り付けたりして遊んでた時期があって。永久プレパラート*を作る技術もあったから、いろんな植物の断片を切り繋いでみたりしていたんだ。その時に、あるものをカバーグラスでおさえて、ステージを上げたり下げたりして見ると、焦点深度によって違うものが見えてくる。これは楽しいよね(笑)。」

ー顕微鏡だからできた『遊び』ですね。

「これのいいところは、二つの切片を比較するときに、本来であればわざわざプレパラートを変えなければならないところを、上げ下げで同時に見られるでしょ。

あとね、『ポケットに入る作品』を作りたかったってのもあるんだ。一回の展覧会に必要な作品が、プレパラートなら30点作ってもポケットに入ってしまう。それまでは何メートルもある作品を作っていたけど、逆に小さなものも作りたかったんだね。」

小林健二の自作プレパラート。顕微鏡写真も健二による。

小林健二の自作プレパラート。顕微鏡写真も健二による。

小林健二の自作プレパラート。鉱物結晶の切片、顕微鏡写真も健二による。

ー実際に小林さんの作品を見てみると、植物などの細胞の美しさに驚かされます。本に載っている写真を見るのとは違い、直接目を刺激する光は、こんなにも美しく強烈な印象を与えるものなんですね。自分の目で観察して見る重要さについて、どうお考えですか?

「まさにそのことで、自分がここにいて何か切片があって、その切片までの距離は変わらないのに、顕微鏡を通すことで急に見え方が変わってくる。ある種の翻訳機というか。」

小林健二の自作多重焦点 プレパラート。顕微鏡写真も健二による。

小林健二の自作プレパラート。顕微鏡写真も健二による。

ー同じものなのに別のもののように感じられうわけですね。

「例えば、いつも食べているタマネギを顕微鏡で見ることで、普段見えているだけじゃない、もう一つの意識・・・チャンネルが増えるっていう。それは無意味なことじゃないと思うよね。今、いろんなものが解明され、それが常識化されている部分って多いでしょ。ウイルスや血液の構造とかね。少なくともぼくらは教科書で見て、『あっ、こういうものなんだ』って思うわけだよね。」

ー実際、自分の目で見た経験をどれくらい持っているかって言われたら、ほとんどの人が持っていないですね。

「そうなんだ。だからこそ、こういうことが顕微鏡を除き始めるきっかけになって、一つでも実体験を増やしていけることにつながればいいよね。」

ー顕微鏡の発明によってミクロへの扉が開かれたわけですが、初めてミクロ世界と出会った昔の人々は、どんな気持ちで顕微鏡を覗いていたと思われますか?

「顕微鏡で何を見るのか、これは人間の生命を見ようとした一つの原形だと思うんだ。だから顕微鏡で探していたのは、人間の心の在処みたいなものだと思う。命を見れないなんて、誰でも知っているよ。だけど見たいっていう願望はある。だからこそ自分の血液、細胞を見たり、動物を解剖して見たり、それで見えるものは、日常の知覚を超えているんだよね。その先に欲するのは『命ってなぜ生きているんだろう』ということ。」

小林健二の自作プレパラート。顕微鏡写真も顕微鏡写真も健二による。

ー生命の神秘に近づきたい。その気持ちで覗いていた。

「植物であれ動物であれ、生命に対する意識っていうのは、昔は宗教の領域だった。それが顕微鏡によって、科学や日常の中に少しずつレールが敷かれて行った。顕微鏡っていうのはかつては生命との交通を、人間が試みようとしたものなんだね。逆に考えると、『顕微鏡を作りえた心』は、執念というか、この『見えないはずの世界を見ようとする機器』を発明してから、今日の顕微鏡に辿り着くまで、たくさんの人の知恵が働いているはず。そこまでして人間は顕微鏡を作って覗こうとしてきた。顕微鏡ができる前は、風邪を引いた、それだけで人が死ぬなんてことがいっぱいあったから、一人での多くの命を救いたいと思ったり、一つでも神秘的な生命原理に近づこうとした人たちが、半ば命がけでのぞいていたと思う。しかも、以前は日中でしか研究できない、晴れたからでき曇ったからできないってこともあった。その日の状態に影響される。ハイリスクは当たり前の中で、限られた時間、限られた条件の中で、やってきた人たちがいっぱいいたわけじゃん。ぼくは顕微鏡が便利で安くなれば、誰でも見られるというものじゃないと思う。見ようとする意志がどのくらいあるかっていうことによると思う。」

ー昔の人は、一瞬一瞬にものすごい執念をかけていたんですね。

「昔の人というということで言えば、顕微鏡を覗いてきた人の中には、当然、歴史に名を残すことなく終わった人も沢山いることを、忘れてはならないと思う。名前の残っていない無数の人々の努力があり、そういう積み重ねは決して無駄ではなく、その積み重ねにより進歩がある。この世は、無名に終わった人々の努力の結晶で成り立っているんだ。」

ー小林さんの言葉にある、『無名的結晶性』ですね。

「みんな、今の世の中は有名にならなければならない、立派にならなければならないっていうんもを刷り込まれている。若い人たちが『どうやったら成功できますか』とか『どやったらメジャーになれますか』って。その気持ちっていうのは、自分というものが生まれてきて、その価値を無駄にしたくないってことから出ているとは思うけど。」

ー無名で終わることを恐れている。

「でも逆にね、どんなにひっそり咲いているように見える花でさえ、咲いているっていう現象から見れば、全然堂々としているわけだよね。また、顕微鏡を覗けば、鉱物の結晶や細胞膜、ケイ藻が、誰かに見せるために美しいわけではなく、ただ存在自身がそこにあるっていうことが確認できる。それは、どんなに光の当たらない生き方をしていても、世の中には無駄なものはないんだ、とぼくたちに教えてくれているんじゃないかな。」

ーとても勇気付けられる事実ですね。

「ぼくは子供の頃から顕微鏡を覗いているけど、自分っていうものがどれくらい価値があるのか問う世界ではないんだって気がしてくるんだ。なかなか出会えない世界に触れているっていうだけで、今日一日が恵まれたような気になる。」

ーそのような満たされ方は、なかなか出来るものではないですよね。

「情報が先行しちゃうと・・情報だけが錯綜してしまうと、それを知らないと自分が取り残されている気になる。文明の恩恵にあずかれていないんじゃないか・・・そんな潜在的なコンプレックスを持ってしまっているのかな。」

ー多くの人が体験しているものは自分も体験しておかないといけないんじゃないかと、思うんですね。

「顕微鏡だけど、これは、中に集約していくものでしょ。何かを覗こうっていう意志がなければ、覗くことができない。漫然と見ることができない。深度も狭い、何をねらうか、はっきりしていなければならない。」

ー目的意識が相当はっきりしていないといけませんよね。

「タマネギの皮を見るにしたって、タマネギを買ってきて、皮をはがして、ガラス板にはって・・・と、明確な意思がないとそこまでやらない。そうすることで、何をしようとしているのか、一つ一つ認識できるわけだよね。だからと言って、タマネギの皮を見て何になるのって聞かれたって(笑)、何になるかはその人次第だと思う。

顕微鏡を通して、何かを探そうとしているのは、自分の内側にあるものになるよね。自分の目で直接見ることで、新しい自分を発見することもあるかもしれない。自分の生き方や考え方をフィードバックして考えるには、顕微鏡はいいアイテムだと思う。つまり、顕微鏡は自分を見るための、『鏡』、自分の内面を写す鏡なんじゃないかな。」

小林健二個展[EXPERIMENT1] Gallery Myu (健二自作の多重焦点 プレパラートを実際に顕微鏡で来場者がのぞくことができる。また壁面にはバックライトに光るプレパラート作品が展示された。正面に見えるのは偏光顕微鏡で、鉱物のプレパラートが映し出されている。)

*2004年のメディア掲載記事を編集抜粋し、画像は新たに付加しています。

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