小林健二という人間を説明することは大変に難しい。画家という肩書きはあるものの、彼は美術という領域だけでは説明できないほど幅広い世界を浮遊しているからだ。
天体、科学、動植物学、その不思議に彼の興味は注がれる。
東京・小石川にあるアトリエはおよそ画家のそれとは思えない不思議な空間である。
膨大な書物と鉱物、そして大工道具がところ狭しと並んでいる。雑然とではない。その並び方一つ取っても彼がそれらを愛していることがよくわかる。
彼の作品は、額縁に納まるモノばかりではないのだ。
「子供の頃から絵を描くのは好きでした。でも、将来絵で食えるかなんてきっと誰も考えていません。ぼくはアルバイトで溶接の仕事もしてたんです。いろんなアルバイトをしましたけどね。溶接というか溶断するんです。怖いんです、火が飛ぶし。途中で火が消えちゃうことがある。場合によっては火がホースの中を通っていく。アセボンベより酸素の方が圧が高いから。ひどい時は ボンベが爆発するんですよ。作業中、火が消えたときに吹管が熱くなって来ることがある。変だなと思って一旦バルブを切ってまたやる。すると後で言われました。『いやぁ、健ちゃん危なかったねぇ。もうちょいでカラスになるところだったよ。』って。『あのまま君がバルブ切らなかったら、アセボンベが破裂してた。』
その時は残量が少なかったからよかったんですけど、そういう時ボンベはロケットになって飛ぶという。カラスになる。一緒にやってる奴らはみんなビビッてやめちゃった。」
こういう話を楽しそうにする人なのである。
面白くて不思議な人間が作り出すものだから、不思議なモノが出来上がる。自然の不思議がその根底にあるのだ。それは誰にも媚びない彼流の生き方にも現れる。
「東京の生まれだけど、ここも随分変わったと思う。子供の頃から比べると緑は少なくなったし、東京オリンピック前は道も石畳で、よく出かけた上野の科学博物館なんかレンガ造りでシャレていた。
でもどこにいたとしても自分の生き方で生きたいと思っている。ぼくの場合は、考え方と生き方を示すのがぼくの生きている意味だと思う。お金のためじゃなくて、やっぱり仕事をするにも信頼関係って大事じゃない。
(中略)
コミュニケーションって大切だと思う。それはその人が本当の気持ちを話しているから伝わるわけだし、ぼくだって、必死になって伝えようとしたい。それが取りもなおさずぼくの業(なりわい)でもあるわけだしね。
人間って、まずはその人であることが一番自然でいい状態なはずだよ。自分のやりたいことや出来ることをイメージして、そしてその時に出来ることから始めていく。ある程度のリスクは自分の可能性を広げていくにも必要なんじゃないかな。」
*2000年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像が新たに付加しています。