夢のなかで目がさめると、そこは光だけの世界だった。
明るくて、心安らいで、時間も距離も存在しない。
永遠が支配する、とてもくつろげる素晴らしいところだ。
ある時、強い意識のトリガーによって一つの均衡が破られ、まるで窓についた水蒸気が水滴へと徐々に大きくなるように、光が集まり始めた。
外側から見たら何かが爆発したように思われそうなくらい、どんどんその領域が広がっていった。
小さな光でできた粒が気が遠くなるほどたくさん集まった時、何かとても小さな量子の単位になった。それが集まって再び何かの単位になり、落ち着くとまた集まって何かになる。
これを何度も繰り返すうちに、ゆっくりと時間が流れはじめてゆく。
光はだんだんと物質化し、そしてニュートリノやクオークのように重い物質へと変化してゆく。
これは原子核だろうか。全体がきらめいている。ゆっくり震えながら回転しているかと思うと、すごい早さで回ったりする。
よく見ると原子模型のようではなく、まるで天の川が丸まったようにきらきらしている。
やがてその回りに、月にかかる雲のような発光する雲があるのに気づく。きっとこれが電子なんだ。もっと引いて見ると、綺麗に並んだ分子が見えた。
ところで、なぜ原子核はもっと大きくならないのか?
きっと、核と電子の雲とのバランスで、それ以上重くなれないのだろう。
無機の世界の純粋結晶が迷いのない機構となり、もうこれ以上変化できないと、もっと別のものに方法を探るかのように、今度は、有機的な高分子を作り出し始めた。
高分子によって結合した単位が有機的に自己増殖をはじめる。
より複雑な構造である生命がこれから生まれて来るために、自己自身を記憶し、自他を識別するための新たな回路が発生したのだろう。
いつの間にか、綺麗な遠浅の水辺、糸くずのようなものが漂っているような風景。
どこからか来た薄紫色の領域に、その糸くずがくっつきはじめた。
それらはまるで、巨大な古代の建築物かデッキのようで、雲みたいな形の船が出入りしている。
精密で密度があり、不思議な空港の有機的な美しさにあふれていて、ゆるやかにうねったり、細かく振動したりしている。
離れて見ると、細い部分をまるで電飾のようにいろんな色が照らしていて、さらに視界に大きなサボテンのような島が見えて来た。
どうやらそれらは染色体や染色糸みたいだ。
すると、あのたくさんの有機的な船やデッキは、アデニンやシトシン、グアニンやチミンなどのような核酸基やATPにあたるものなのだろうか。
液体の中で、とても楽に呼吸して、身を任せていられる。
あたたかく、素敵に泳げる。あたりは原形質の海のようなところだ。
クラゲみたいなものが飛んでるようにも見える。
ゆっくり揺れて、眠くなるような感じ。
細胞がそれぞれの効果的な交わりをするために集まって来ている。
多細胞の領域があたりを囲んでいる。
セルが宮殿のように並んでいる。
きっと、見慣れない生き物の中の一部なんだろう。
その生き物はほとんど動かなくて、内部には透明な薄い青色のゼリーのような膜がある。
それが突然、まるでナメクジのように動きはじめたかと思うと、さらにすごい勢いで集まりはじめて、大きな生き物になった。
これはきっと動物で、おそらく動物的進化を繰り返して来た一つの形象、人間のようなもの、もしくは社会になぞらえられるのだろう。
歩くとか、見つめる、考えるといったことに目覚めはじめ、活発に動いて、何かを探し回っている。
そうした動く生き物たちの中に、やがて自分や宇宙の存在している理由に対して、漠然とした疑問を持つものが出て来た。
彼らは、自分の領域の中で、ただ存在しつづけるだけでなく、さらに何かないか、他の星を見たり、自分の生きている環境を探検したり、冒険したりしはじめた。
自分が生命で、しかも思考があることを知っていて、さらに何かを解明したいと思えば、もっと先に進みたいと思うものだ。
でも、その生命自身が、自然発生的に生まれた自分のからだに限界を感じるようになった。
からだの生体生理的進化が、思考的進化に追いつけないんだ。
「私はだれだろう」という疑問について、純粋に思考するには、一個体の寿命はあまりに短い。
やがて、知りたい思いに従順でいたいために、自分自身を変化させる試みがはじめられた。
それまでの生命活動を維持させる捕食や消化器などの重い器官からのがれるための、遺伝子や生命原理に基づく研究なのだろう。
ある日、植物のような生物組織の移植によって、光を直接的にからだに取り入れ、自分の中で生命力に変換する方法が発見された。
それはさらに具体化され、行動的生活に耐えられる力を必要路するため、表面積を広げ、やがて孔雀の羽根のようなからだになってしまう。
しかしながら、からだ自体が動きづらいので、だんだん光の当たるところでじっとして、まさに瞑想しているようだ。
動きが減り、エネルギーも使わないので、羽がからだのまわりに巻き付き、だんだんさなぎのような形に変わっていった。
この思考する生命体は、何ものにも妨げられることなく、より深い自己存在の理由を古い樹木のように思い続ける。
彼らは星や天体の現象を見て、お互いの心の中で交信しあったようだけど、やがて目すら閉じてしまう。
いつの間にか天体の表面には、おびただしい数のさなぎ状の物体が現れ、精神だけが交信しあって、思考のネットワークが生まれた。
そして、それらがそこにとどまる必要すらなくなって、思考の孵化がはじまり、精神の領域だけが塊のような肉体から抜け出て、より自由な状態へと解き放たれてゆく。
天体の表面をそれらはどんどん覆い、まるで海のように広がってゆく。たくさんの星から、たくさんの輝く雲が、その宇宙の中のかつてその出来事がはじまったあたりへと集まってゆく。
彼らはそこではじめて、自分たちや宇宙がなぜ存在しているのかを全て理解してゆく。
自分たちは光からはじまり、連綿とした時間を生きて来た。
宇宙自身の、自分は何かを知りたいと思う気持ちが発端となって、光が物質化し、時間という軸が生まれ、さらにいろんな物質化がおこり、生物が生まれ、やがて自分たちを見つめ直し、宇宙そのものを知った。
そうしてようやく、「私」自身を発見して、自分自身の気持ちを安堵させることができた。
全ての理由を分かち合えた一つの思考の力量は、ふたたび、破裂するような勢いで、光の速度によって広がっていった。
もはやすごい力で物質を結びつけていた核力は消え失せ、原子も分子も高質量も重力もどんどん解体し、最終的に、光だけの状態にかえってゆく。
もはや広がることをやめた宇宙に、内側からの領域が追いついてゆく。
何段階かの光の物質化の変化が、細かい層に分かれて内側から解かれ、明るくて軽い光の世界へ戻ってゆく。
どんどん宇宙の空間がせばまると、その間にたくさんの輪からなるすごく綺麗な干渉縞ができた。いろいろな色で光ってとても綺麗なその中に、物質であった時の風景や思い出が交錯して、巨大な幻燈会のように空間に現れては消えてゆく。
とても懐かしくて、ちょっと寂しいような気持ちと、安定した世界への移行の中での複雑な心の時間が流れている。
そして、だんだん輝きを増し、最終的に統合し、永遠の光だけの世界に完了してゆく。
もはや、失うものはなく、傷つくことも別れることもない。
みんなが一緒になって、争うことも競うこともなくなった。
宇宙の「私」探しの旅は終わったのだ。
かつて光が物質化しはじめ、時間の闇の中へ質量として落ちていった・・・
ぼくらが感じているこの現実の世界も、永い光の見ている夢の中の一幕かもしれない。
光であった時の自由と合一感を、心のどこかでぼくらは探しているのだろう。
光さえ眠るこの深い夜に・・・。
小林健二
*1995年のメディア掲載記事「光の夢を夢に見てー『光さえ眠る夜に』をめぐる覚書」より。小林健二15歳の時の体験の一端がまとめられ、そのために描かれた絵と文章で構成しています。絵のキャンプションは絵に添えられている文章を書き出しているため、キャプションと文章の内容がダブル場合もあります。2003年に福井市美術館で「ひかりさえ眠る夜に」小林健二個展が開催されました。