小林健二の”光の詩学”

小林健二の表現領域は、タブロー、オブジェ、イベント、インテリア、ビデオ、写真、音楽、、、とジャンルを問わず活動を広げてゆく。小林のアトリエには、彼が少年時代から集めたり、自分で製作した道具類が2万点余、さながら錬金術士の工房のように詰まっている。父親が刀鍛冶だったので、子供の頃から道具は身の回りに溢れていたという。

ー道具は文化そのもの

「道具って、素材や作るものに対して自分がどう関わるか、自分なりのイメージがないと意味がないんですよ。道具を考えるということは、いわば自分を考えるということなんです。そして自分を考えるということは、結局人間を考えるということなんです。

たまに古道具屋でぼくも見たことのない道具に出会うんです。それでしばらく使っていると分かり始めてくるんです。そうすると、こういう考え方もあるんだと感じるわけです。道具を理解することは、文化そのものを理解することなんです。

今は電動工具に代表されるように道具が世界的に簡便化されてきていますよね。道具が簡略化されるのは、ある意味では目的意識がはっきりするけど、目的に対してになっていくものが少なくなっていくことですね。自分自身が手を動かし、自分自身が味わったりする一番大切な領分が簡略化されるから、結果的には作業が早く終わるし苦労も少ない。その分喜びも伴わないかもしれないから愛着もわきにくいかな。

文化というものの基本は、機能や実利や合理だけでは説明できない、人間の一番大切なものを担っていると思うんです。そういうものを基本に置かないと、美術も何もない、、、やっぱり作るという行為と人間と作られるものの関係は、太古から原理的に全然変わってないわけですよ。」

[UTENA]special edition 1984 小林健二が高校生の時に見た”光の夢”を元に作られた本(自家製本)

[UTENA]special edition  1984
小林健二が高校生の時に見た”光の夢”を元に作られた本(革装による自家製本)

[UTENA]edition of 20 1984 すべての森羅万象は光より生まれ光に還ってゆくという、小林独自の宇宙創造に対する発想による詩集。この画像は20部限定で作られた。その後2008年にIPSYLONより限定50部で再販されている。

[UTENA]edition of 20 1984
すべての森羅万象は光より生まれ光に還ってゆくという、小林独自の宇宙創造に対する発想による詩集。この画像は上の特装本と同じ内容で20部限定で作られた。その後2008年にIPSYLONより限定100部で再販されている。

小林健二のART BOOK

ー光より生まれ、光へと還る

小林は以前「UTENA」という詩画集を作ったことがある。そこには”光の詩学”とでも呼べる宇宙生成論が綴られている。

「ぼくには宇宙ビックバン(大爆発)説というのはにわかに信じられない。ぼくはこう思っている。

宇宙にはかつて光が蔓延して光しかない状態があった。そういう状態であれば、時間もなければ距離もない。そしてそういうものが自分を知りたいと思う気持ちを抱いたとします。自分とは一体なんだろう。こう言う気持ちが集まって光子化していく。やがて量子化が始まり、素粒子なども作っていく。そうやって宇宙の物質化が始まる。

人間という存在も、光が物質化して人間になった。人間が何で森羅万象に興味を抱いているかといえば、人間は宇宙が自分を知りたいと思ったから生まれた現象だからです。光というのは自由だった。なぜなら無限だから。無限であって永遠だから。ぼくたちはどんな時でも永遠の自由を求めるじゃないですか。なぜかといえば、光の残存した意識があるからだと思う。すなわち、ぼくたちが夢見ているのは光であって、逆に言うと、ぼくたちは光が見ている夢かもしれない。光の見ている夢だってことになれば、実はぼくたちがここで感じる森羅万象は「夢なのかもしれない。そして、やがて光という最も安定した形に帰着するものが、」いうならば涅槃なのかもしれない。

ぼくの思考の根底にはこういうヴィジョンもあるんですよ。」

少年時代から天文学、考古学に熱中した小林の語る”光の詩学”は、宮沢賢治やノヴァーリスと同質な世界を夢見る資質を感じさせて魅惑的だ。

小林健二掲載記事

1991年頃の取材記事の一部。

 

ー生き方で夢を与えることもできる

「今は、ぼくたちが文化や理想を考えた時、そもそも人間は何のためにいるのかを考えなければいけない時代になってきている。

歴史を学ぶとしても、なぜ人間は過ちを繰り返すのか、、、何でこんな過ちを目の前にして無力でしかないのかという苛立ちを考えなければ、すべての文化は始まらないと思う。

文化とは人間が生きるための術(すべ)ですからね。

生き方で夢を与えるってのもできると思うんです。ぼくはあと何年生きていられるかしれないけれど、生きているうちにとにかく一生懸命、イキイキと仕事をしていくこと、そういうことが唯一、自分ができることなんじゃないかなと思っています。」

小林健二という現象は、現代にとって何を意味するのだろう。膨大な道具と技術を背景に製作に励む小林の情熱は、空疎な二種に分極した工芸と芸術を新たな統合へ回帰しようとする営みにも見える。

小林が十代でみた夢の記憶は、やがて2003年、福井市美術館での個展「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」開催へと繋がってゆく。

小林が十代でみた夢の記憶は、やがて2003年、福井市美術館での個展「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」へと繋がってゆく。

「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」

「ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT」

*1989年のメディア掲載記事を抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

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