小林健二展覧会」カテゴリーアーカイブ

[アートとは、人間について考える科学だよ]

ーアートとは、人間について考える科学だよ。

東京は新橋に生まれ育ったという小林さん。なくなりつつある江戸っ子気質をしっかり担う東京人の一人である。

「ぼくが子どもの頃、家の前には都電が通っていて、石畳や柳があって、道路ではみんながキャッチボールなんかしてゆったりとした時間があり、それは魅力的な街だったと思いますね。ところが物量主義的な時代の流れの中で、そう言った合理性だけでは割り切れないものがどんどん捨てられていった。ぼくらは確かに合理的で便利なものを手に入れたけど、鉛筆一本でも自分で使い込んだものは愛情が湧くというような、合理性だけでないこんな素敵な感性までも、一緒に失ってしまったんじゃないかな。」

1990年頃の小林健二のアトリエ

1990年頃の小林健二のアトリエ

アトリエを一歩入ってみる。よく使い込まれたカンナ、ノミといった伝統工具やドリルなど世界中の電動工具たちがところ狭しと並んでいる。アトリエと言うよりまるでどこかの町工場だ。それも職人のエネルギーが充満した密度の高い町工場の空気だ。彼はここであらゆる物質と向き合い、試行錯誤してそれに生命を与える。そしてここで語り、酒を飲み、自らの生命の洗濯をする。

「ぼくはいつも自分自身が信じれる人間でいたいと思う。もし自分の中にまだまだ眠っている正義みたいなものがあるとするなら、それを探してみたいと思う。好奇心を持って知らないことや人間自身について、あるいは幸福や自由について色々考えてみたいと思うし、知りたい。だから木を彫ったり、石を削ったり鉄をひん曲げたり、日常ぼくがしていること全て、もとは一つの中にあることなんだ。」

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990 会場風景

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990 会場風景

昨年10月の個展は「黄泉への誓(うけひ)」という不思議なタイトルのもとに開かれた。そこに出かけて作品に出会うということ、それはまさに一つの体験である。自然科学、歴史への深い洞察と(『古事記』に想いを得た作品もいくつかあった)、全ての生命系に対する作家の愛の形を媒介にして、私たちはまだ見ぬ世界を体験する。

「ちょっと視点をずらしてみれば何でもないことでも、人間にとって社会が今ギスギスしているんだよね。価値観が一方方向の時は人間も社会ももろいんじゃないかな。そういう意味でぼくの作品を通して別の世界へちょっと旅行してもらえたら嬉しいと思う。」

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990 会場風景

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990 会場風景

「須勢理と沼河」1990 mixed media

「離宮珀水」1990 木に油彩、樹脂他

「離宮珀水」1990 木に油彩、樹脂他

「Sealed Key」1990 木、幽閉物

「Sealed Key」1990 木、幽閉物

こうして私たちは彼から「きっかけ」という素敵なプレゼントをもらうことになる。

「アートとは作られたものの結果ではない。人間や地球にとって何が大事かを考える科学だよ。ぼくの作った箱のような作品なんかは、この中を覗こうとするものは、同時に自分の心の中を覗き込んでいるのでもあるんだ。だからぼくが一方的に発信しているんじゃなくて、観る人たち自身がそこから何かを探そうとしているんだと思う。そこに対話が生まれる。」

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990  会場風景

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990  会場風景

小林健二は夢中である。夢中で作り、発言し、そして人間としての営みを実践する。実践の場はもちろんアトリエだ。例えば七輪でサンマを焼いたり、ブラックライトで光る水晶の灯りで酒を汲み交わす時、そこに浮かび上がるのは、アーティストである前に生活を営む一人の庶民の姿であるに違いない。

*1991年のメディア記事を編集抜粋しています。画像は付加しています。

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[美術家の木工具]

「PSYRADIOX(サイラジオ)」と名付けられた1987年の作品。アンティックラジオのように見えるが、筐体はもちろんプレートやツマミに至るまで自作されている。木工技術を使った作品の中でも小さなものではあるが、小林氏は趣味的にもこのような工作は好きであると言う。ちなみにこのラジオは受信した放送の音量によってガラスドーム内の結晶が光りながら明滅氏、また色の七色に変化する。

「PSYRADIOX(サイラジオ)」と名付けられた1987年の作品。アンティックラジオのように見えるが、筐体はもちろんプレートやツマミに至るまで自作されている。木工技術を使った作品の中でも小さなものではあるが、小林氏は趣味的にもこのような工作は好きであると言う。ちなみにこのラジオは受信した放送の音量によってガラスドーム内の結晶が光りながら明滅氏、また色の七色に変化する。

ー刃物との出会い

小林さんのアトリエには数多くの道具類がありますが、まず木工の手道具に興味を覚えたきっかけというのを教えてください。

小林:ぼくは生まれが下町だったからか、周りに職人さんが多かったんですよ。それに加えて父が刀をつくっていたから、ぼくと刃物との出会いはそこにありそうに思うでしょ。でも子供の頃から工作が好きで、プラモデルに夢中だったり、自分の中では自然と工具に親しんでいたんだよね。例えばエンピツを削ったりするときのボンナイフと言われる カミソリ製の廉価な刃物やトンボ印の彫刻刀なんかが、刃物との最初の出会いと言えるかしら。砥石でそれらの刃物を研いで切れ味が良くなった時の充実感は、今でも覚えていますよ。そして子供ながらによく使いこまれた道具や工具って美しいものだなって思っていました。

実家は電気関係の修理業も営んでいたんですが、まぁ言ってみれば町工場のようなもので、いろんな道具や工具があふれていたから、その影響があったかもしれない。小学校で夏休みなんかに工作の宿題が出ると、そこにあったあらゆる道具を駆使して凝ったものを作っていったんです。ぼくの担任の先生にどうやって作ったのかを説明しても、ボール盤は丸ノミなんていう単語はわかってもらえなかった(笑)。

もちろんそのコウバに木工具も置いてあり、刀のさやなんかを作ったりするためのカンナも含まれていた。父の知り合いだった関係で、中には今では貴重ないわゆる「名人」が作った鉋も多数あり、ぼくの手元に今も残っています。とにかく小さい時から工具にとても興味があって、自分なりに工夫したものもあったり、「三つ子の魂百までも」ってとこですかね(笑)。

古い木材を彫刻して作った1991年頃の作品。大きさはおよそ40cm,長さは2m強で一人で持ち上げるのはなかなか大変である。チェーンソーなどで加工する人も多いが、小林氏は手道具だけで仕上げたとのこと。

小林健二の作品

古い木材を彫刻して作った1991年頃の作品。大きさはおよそ40cm,長さは2m強で一人で持ち上げるのはなかなか大変である。チェーンソーなどで加工する人も多いが、小林氏は手道具だけで仕上げたとのこと。

上の作品を製作した時に使用した道具。大きさの違う手釿(てぢょうな)の刃幅は左から37,76,104mmで柄は自作。中ほどの大型のノミのようなものは「スリック」と呼ばれるもので、全長80cmくらいあり、重さも3kg以上ある。その重さで突き彫る道具であるとのこと。また上のように長い球状の作品では仕上げにスリックの上に乗っているドローナイフ(左)、右の銑(せん)も使う。

上の作品を製作した時に使用した道具。大きさの違う手釿(てぢょうな)の刃幅は左から37,76,104mmで柄は自作。中ほどの大型のノミのようなものは「スリック」と呼ばれるもので、全長80cmくらいあり、重さも3kg以上ある。その重さで突き彫る道具であるとのこと。また上のように長い球状の作品では仕上げにスリックの上に乗っているドローナイフ(左)、右の銑(せん)も使う。

もちろん彫刻にはノミ(チゼル)を使うわけだが、やはり彫る対象が大きいものだと、必然的に大きめになる。この写真は国外の製品であり、中ほどの幅が広く見えるノミは、フィッシュデイルチゼルと言って、刃幅76mmのもの。

もちろん彫刻にはノミ(チゼル)を使うわけだが、やはり彫る対象が大きいものだと、必然的に大きめになる。この写真は国外の製品であり、中ほどの幅が広く見えるノミは、フィッシュデイルチゼルと言って、刃幅76mmのもの。

こちらは日本のもの。右下の三本のノミは北海道(どさんこ)ノミとも言われ、堅い木材用のもので首が太く、強打にも耐えるように作られている。また変わった形のものは、表面の効果などに使われている。

こちらは日本のもの。右下の三本のノミは北海道(どさんこ)ノミとも言われ、堅い木材用のもので首が太く、強打にも耐えるように作られている。また変わった形のものは、表面の効果などに使われている。

ー若い時代を支えた額縁製作

その後美術家を目指されたわけですが、若い頃の生活を支えたものに木工もあったのですか?

小林:絵だけで最初から生活できるというと、いつだってそれが難しいよね。だから若い頃は体を使ったバイトなんかしました。でもガスやアークでの溶接や溶断なんかはそれはそれで勉強になった。その頃、趣味も兼ねて凝って作っていた額縁がもとで、額縁を作る仕事が舞い込んできました。それこそ伝統的な古典絵画が入りそうな額です。木を彫刻して下地を塗って、金箔を貼ってみがいたり、、、その他にもオリジナルの技法をこの時結構生み出したりもしました。鏡を入れるための額縁が欲しいとか、大使館で歴代大統領の写真を入れる額縁が必要とかで需要があり、そう言ったオーダーがぼくのところに来たわけです。もともと木工は好きだから熱も入ってやりましたね。額縁製作のために面取り鉋も収集して。見たこともないような面を取れる珍しいものを道具屋で見つけると、買わずにはいられなくてね(笑)。さらに自分でも、欲しい面を取れるように考えて面取り鉋自体を作っていました。本末転倒ですが、それを使うために額の断面をデザインしたりして(笑)。自分の制作活動が忙しくなってきて額縁からは離れましたが、今でも全ての鉋はきちんと手入れして使える状態になっています。

若き日の小林氏の生活を支えた額縁作りは、いろいろな木工技術の集合とも言える。木地から作る本格的なものなどでは、木組みや接合方などの技術や、とりわけ木彫する時には、数をこなすうちに学んだことがたくさんあったとのこと。

若き日の小林氏の生活を支えた額縁作りは、いろいろな木工技術の集合とも言える。木地から作る本格的なものなどでは、木組みや接合方などの技術や、とりわけ木彫する時には、数をこなすうちに学んだことがたくさんあったとのこと。

額縁用の入子面取り鉋など。研ぎにはコツがあるとのことだが、一丁で複雑な面が取れるので重宝したそうだ。

額縁用の入子面取り鉋など。研ぎにはコツがあるとのことだが、一丁で複雑な面が取れるので重宝したそうだ。

ー現在の木を使った造形活動について

現在製作している造形作品にも、木工の技術や道具が生かされているんですか?

小林:そうですね。作品には平面もあれば立体もありますが、イメージに出来る限り忠実になろうとすると、いろいろな表現方法や技法が必要になってきて、必然的に素材もさまざまで、その中でも木工は結構使ったりするんです。例えば古く見える木の作品とかは、それこそ鉋やノミなんかがないと製作できないし、古色をかけて昔のものみたいに見せる方法は、額縁製作時代に手に入れた技法の一つですね。ぼくは基本的に手を動かすのが好きだから、図面だけ書いてあとは外注するという方法は出来たらしたくない。やっぱりつくりながらリアルになってくるイメージもあるしね。でも大きな作品なんかは先ずは模型を作って構造なんかを確認し、それから本番に取り掛かるときもあります。美術館など大きなスペースでその会場で作る場合なんかは失敗ができないからね。

「ヨモツカド」1990年製作。まさに額縁の技術も用いて製作された作品。絵の部分は油彩で描かれ、その周りの鉛箔をはった部分がそれにあたる。作品自体は2m四方ほどの大きさのため、枠の細いところでも10cm以上はある。

「ヨモツカド」1990年製作。まさに額縁の技術も用いて製作された作品。絵の部分は油彩で描かれ、その周りの鉛箔をはった部分がそれにあたる。作品自体は2m四方ほどの大きさのため、枠の細いところでも10cm以上はある。

1991年の美術館での展示の一部。左の絵の重厚なパネル、中央の塔のようなもの、手前右の大きな立体は基本的に木工技術を中心に製作されている。塔のようなもので高さ7mもあり、このくらいの大きさになると、さすがに電動工具が活躍するそうだ。

1991年の美術館での展示の一部。左の絵の重厚なパネル、中央の塔のようなもの、手前右の大きな立体は基本的に木工技術を中心に製作されている。塔のようなもので高さ7mもあり、このくらいの大きさになると、さすがに電動工具が活躍するそうだ。

ー道具に求めるもの

小林さんは道具というものについて、自分との関わりをどう考えていますか?

小林:例えば「自分勝手」って言葉ばありますよね。悪い意味で使われることが多い言葉ですが、道具の仕様を示す言葉で「左勝手」「右勝手」というのがあることを考えると、「自分勝手」というのが自分仕様にカスタマイズされた道具をさす言葉だと思えば、別の見方も生まれてきそうでしょ。道具というのは自分の手に馴染んで愛着が生まれ、それがないと落ち着かないような、人間、特につくり手にとってそんな関係にあるんじゃないかな。ぼくが手元に置いているもので、絵の具を混ぜる時に使う棒があるんですけど、これはもともとなんてことない割り箸で、気にも留めないで混ぜ棒として使っていたんですが、使い終わって捨てるのももったい無い気がして、ウエスで拭いてまた違う絵の具を混ぜるのに使ったりしていたんですね。ある時ふと気がつくと、長い間に色々な絵の具が擦り込まれて、いい感じになっていたんですよ。割り箸に、使い込まれた道具としての美を見出したわけです(笑)。こうなると絵の具の準備をしようとする時にコレがないと落ち着かなくて、まずこの棒を探すことから始めます。暇な時などには持ちやすいように工夫したり、磨き込んで手入れをしてみたりしてね(笑)。ただの木切が使い手との歴史を重ねるうち、なくてはならない道具になっていたわけです。

道具には、長い歴史の中で様々な工夫と改良がなされ、伝えられてきたものが多くあります。人間との関わりの中で熟成されてきたモノな訳ですが、最終的にその道具に命を与えるのは使い手です。それぞれがその道具の持つ歴史を知った上で、自分の最も使いやすいものに調整していくことこそ、道具への本当の理解に繋がっていくのではないでしょうか。

普段木工手道具の中で最も使用しているスタンレーの鉋。No.1の小さなものからNo.7の大きなものまで写っている。

普段木工手道具の中で最も使用しているスタンレーの鉋。No.1の小さなものからNo.7の大きなものまで写っている。

俗に言う名品と呼ばれる鉋。父親が刀匠であり、その父と親交のあった落合宇一氏、石堂輝秀氏、などなど、多数の道具を譲り受けた。ただとても合板などに使用するわけにはいかないので、大切に使っていると言う。

俗に言う名品と呼ばれる鉋。父親が刀匠であり、その父と親交のあった落合宇一氏、石堂輝秀氏、などなど、多数の道具を譲り受けた。ただとても合板などに使用するわけにはいかないので、大切に使っていると言う。

若い頃から折につけ趣味で自作した小鉋など。鉋身は購入したり古い包丁やノミの刃を利用したりしているが、台は全て自作したそうだ。

若い頃から折につけ趣味で自作した小鉋など。鉋身は購入したり古い包丁やノミの刃を利用したりしているが、台は全て自作したそうだ。

やはりお気に入りの真鍮製の洋鉋各種。目的によって各々を使い分ける。使い込んだ道具の美しさが輝いている。

やはりお気に入りの真鍮製の洋鉋各種。目的によって各々を使い分ける。使い込んだ道具の美しさが輝いている。

コンパスプレーンと言う特殊な鉋。下端を供に外反りや内反り鉋として可変して使用することができる。上記の大きな塔のような作品の横スリにも使用したとのこと。

コンパスプレーンと言う特殊な鉋。下端を供に外反りや内反り鉋として可変して使用することができる。上記の大きな塔のような作品の横スリにも使用したとのこと。

鉄製の洋鉋の一例。木の板に古典技法によって絵を描くとき、パネルに引っかき傷をつけ、その上にのる下地の定着を良くする特殊なもの(左より2つ目)も含まれている。

鉄製の洋鉋の一例。木の板に古典技法によって絵を描くとき、パネルに引っかき傷をつけ、その上にのる下地の定着を良くする特殊なもの(左より2つ目)も含まれている。

音がほとんどせず、ギヤーによって作動させることができるジグソーの一種。 バヨネットソーの作動を説明している小林氏。確かに彼のアトリエにある電動工具はみな静かな作動音である。彼に言わせると、考えながら作業するのに音が大きな工具では使いにくいからということだ。

音がほとんどせず、ギヤーによって作動させることができるジグソーの一種。 バヨネットソーの作動を説明している小林氏。確かに彼のアトリエにある電動工具はみな静かな作動音である。彼に言わせると、考えながら作業するのに音が大きな工具では使いにくいからということだ。

*2005年のメディア記事より抜粋編集しております。

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[夜]は素材になりえるか

「夜と息」Mixed Media 1991(1986年に蝋と海水によって封じ込められたエスキースの一枚から想像された風景だという。)

「夜と息」Mixed Media 1991(1986年に蝋と海水によって封じ込められたエスキースの一枚から想像された風景だという。)

ー「夜」は素材になりえるか。

例えばここに二つに分かれる石こう型があるとします。この二つをくっつけると、遠目には一つの石こうの固まりでしょう。ところが、その中に何かが入ってるということになると、見え方がずい分変わってくるでしょうね。中がより複雑な要素を持っているとなると、中の方が情報量が多いわけですよね。つまり、そのことを知ることで、逆に見え方が変わってくる。そうなってくると、「素材」は「素」として持っていたもの以外に、そこに情報量を刻み込まれたことになる。しかも 「隠されたもの」として情報がさらに増大するということがある。だから中に刻みこまれたという現象は、ある意味で「素材」に取りこめられたという風に考えられると思われますね。もう少し平たく言えば、そうすることによって、人聞は表面を目で追って焦点を合わせていたのが、不思議と中の方に焦点を合わせようとする。実は、その行為の中にもう一段ちがった意味での情報量が入ってくるんじゃないか。これを一つの方法論として 「見せかけ」として作って「誤解」として受けとられでも、実際ほんとに中に何が入っているかどうかは、観る人には分かんないですよ。ただ、ぼくは性格からすれば、何か中に入れておきたいでしょう。

「とても聞かせられないテープととても見せられない写真」1991 445X285X210(mm) 木、蝋、幽閉物(カセットテープ、写真)

「とても聞かせられないテープととても見せられない写真」1991
445X285X210(mm) 木、蝋、幽閉物(カセットテープ、写真)

「閉じ込められた”夜”」1991 360X260X35(mm) 紙、蝋、鉛、夜

「閉じ込められた”夜”」1991
360X260X35(mm) 紙、蝋、鉛、夜

1991年の個展『夜と息』で素材のマテリアルの中に「夜」という「素材を入れたんですけど、果たして「夜」は素材になり得るか否かということになりますよね。でも、「夜」は充分素材となり得るでしょう。もしも 作品を作るためにポリエステルを使ったとしますね。そうすると、素材としてポリエステルを使ったと書くレベ ルがあると思う。もう少し書くとすると、ナフテン酸コバルトという酸化を促進させる触媒が必要なんだけど、ここで触媒に注目してみて、これ自身が「素材」といえるかどうかを考えていくと、この触媒は使われはしたけど消えちゃったものに近 い。だけども、それがなければ作品はできなかったわけです。すなわち、素材としての「夜」というものを考えた場合、第一番目に「夜」Lは 気温とか湿度とか、あるいは暗さという夜の物理的な性格が素材を補助するものになりえた。第二番目に、そのものがあったからこそ、触媒のように作る上で素材となり.えた可能性があった。第三番目に、これはもっと心意的なものになりますが、「夜」というものがあったからこそ、その作品が生まれてくる場合があったとすると、もはやそれは媒材としてじゃなくて主材になりえたということになりますね。ですから、ぼくの作品においては「素材」を書く時に、「夜」というものが素材の中にかかわってきても少しもおかしくなかった。

左「蜜蝋と”夜”のシールドテキスト」1991 テキスト 245X390X20(mm),205X125X115(mm) 紙、蝋、樹脂、他 右「松脂と”息”のシールドテキスト」1991 テキスト245X390X20(mm),205X105X85(mm) 紙、蝋、樹脂、他

左「蜜蝋と”夜”のシールドテキスト」1991
テキスト 245X390X20(mm),205X125X115(mm) 紙、蝋、樹脂、他
右「松脂と”息”のシールドテキスト」1991
テキスト245X390X20(mm),205X105X85(mm) 紙、蝋、樹脂、他

そういう意味に於いて、今回の展覧会では、色々な「素材」を列挙したものがあった。例えば 「息」「 風景」「蝋」と「海水」 もちろん 「蝋」と「海水」というものも、素材」になりえるかといえば なるでしょう。でも、今までは素材として書くのはむずかしい場合がありましたね。そこを書いたという行為があった以上 、「素材」に組み入れられたと考えていいと思ったわけです。もし書かなけれ、誰も知らないたくさんの消えた触媒や石こう型と同じわけですけど、書いたことによって あくまでもそのものを作る大きな要素として存在したことを人が知ることになりますね。その知ったという情報が、今度はそのものの見え方に対して影響を示してきますよね。つまり、そのことにおいて確かに「素材」というものになりえたということですよ。ぼくのような実際にものを作る人聞が、こういうコンセプチュアルなことを言うってことは、とてもむづかしく思えるでしょうけど、ぼくのように色んな素材を使ったり、好きになったりという人聞は 頭の中にあんまりカテゴリーがないんだと思いま す。だから こういう考え方が出てくるといえるかもしれません。

「1996年3月27日午前」1991 215X115X135(mm)  水、鉛、電気、風景 家庭用100Vコンセントからこの作品に通電すると、毎日1時間だけ、1965年3月27日土曜日の午前がこの箱の中に繰り広げられる。そこでは暖かな早春の光と風の中、7歳と9歳の男の子が遊んでいるという。

「1996年3月27日午前」1991
215X115X135(mm)  水、鉛、電気、風景
家庭用100Vコンセントからこの作品に通電すると、毎日1時間だけ、1965年3月27日土曜日の午前がこの箱の中に繰り広げられる。そこでは暖かな早春の光と風の中、7歳と9歳の男の子が遊んでいるという。

(私たちは、目の前の作品を前にして「この素材は何ですか?」と素朴に質問する。しかし 作品を構成する一見自明な物質だけが 、「素材」とはかぎらない。それができあがるまでに関与しながら途中で捨てられていった物質の数々J、それも実制作者だけには知られた重要な素材であるわけだ。さらに『夜と息』における小林のユニークな素材観によれば、作品の表面の奥に隠ペイされた何ものか、つまり命名された不在、例えば「とても人に聞かせられないテープ」も「素材」として虚の実在性を獲得することになる。それは、方法としての隠ペイが 観る人間の自由な想像力を触発し、作品の内へと吸引するようでいて、実は観る者の内面へと誘う作用を意味してい る。小林はこの素材観によって 作品を通して新しい他者とのコミュニケーションの磁場と回路を聞くことを問題にしているといえるだろう。今回の展覧会を契機 として、小林は新たな造形の局面を切り拓きつつあるようだ。)

( )内は質問者であり、インタビューをまとめた十川氏のコメント

*1992年メディア記事より抜粋

「詳らかにできない夜の実況記録」1991 405X315X79(mm) 紙、蝋、カセットテープ

「詳らかにできない夜の実況記録」1991
405X315X79(mm) 紙、蝋、カセットテープ

「夜と息」(覚え書きノートより)1986,8.6

夜にとどまり 夜に生まれてゆく

移行と相対の澱を過ぎて

その涯へと流れ込む 興味と実際

息はできるかい

呼吸をしてごらん

君をおしつぶしていた

大きなものがとりはらわれてゆく

重い体もう一度

ぼくらは背負ってやってみる

朝がもうそこに

影のない足どりさがしている

領域への投擲

忽がせな泉の国

ぼくらはこの空にいったいなにをのこしておこう

「静かな夜にはもう すっかり安心していいんだね」

黙る鉄

甘い味

集まる音階

ー有機質を分解しても同時に 架橋もおこなっているー

まるでとおくの海にいるようだ

山合いの中を

一見落ち窪んだように見える

明るいところ

大きくうねってひらけている

土があって木があって水がある

前の方から少し風が吹いて

ーああ、なにか生きものが遠くで啼いたー

手をひたす 湖面は銀

夜は息を大気にひろげて

息は空でみたされている

そうかもしれない

ぼくらはゆっくりと

その方へとあるきはじめる

 

小林健二

 

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