ぼくの家の前身はレコード屋だった。戦争中、近所の日本楽器(今のヤマハ)に爆弾が落ちた時には、舞い散るたくさんの楽譜で空が暗くなったって母が言っていた。悲しい風景だったけど、そんな空襲の最中でも鉄製のレコード針が飛ぶように売れたんだって・・・戦中だから蓄音機のヨコで犬じゃなく猫が聞いているパッケージだったらしいけど。みんな音楽がなかったら、生きていけなかったんだね。
やがてぼくも生まれた頃、家は電気屋になって、よくやってくるおじさんが、「ケンボー、ラジオの中の真空管にゃあ小せえ人がいるらしい」なんてこと言っちゃうわけ。別に騙そうって気は無いんだろうが、こっちは子供だから真に受けちゃってねぇ。今思えば勿体無いことしたけど、その頃たくさんあった真空管をよく投げて遊んだりしては、さてどのあたりに人がいるのかってマジに探しちゃったよね。
ギタリストになりたかった父だから、家にはいつも音楽が流れていた。父が「イイ音だろう!」なんて言うと、「ハハァン、するとヴァイオリンの人の球はどれ?」なんて聞いちゃったりね・・・。
真空管は明かりがつくと働くけど、消えている時には中の人は寝ているってわけ。すると回りがガラスなのは窓だなっと・・・だからトーメイなものには人がいるかも!とか思って、水晶なんかにも?って思っちゃうわけでしょ、子供は。それで1日中見ていたり、耳あてて聞いてみたり、そりゃ大変。変な話かもしれないけど、本当にドキドキハラハラ。
あの気持ちが蘇る時には、周りの世界がとても不思議に見えてワクワクするよ、今でさえね。そんな時、ぼくは思う。実態も掴みきれない大きな地球や宇宙なんかと、意識を同じにしている瞬間があるって。この世が初めて自分を知った時のように恋する気持ちみたいにね。そして、かつて命がけでレコードを聞いていたあの人たちの、爆音やノイズの彼方にとぎれとぎれに、でも確かに聞こえていた生きることへの希望や情熱、ぼくらはきっとそれを音楽って呼んでいるんだね。(談)
*1992年のメディア掲載記事より編集抜粋し、画像は付加しています。また、「真空管の中に小さな人がいるんだ」という逸話から、下記のような作品へとつながる経緯も感じられ、追記しています。
夜、散歩しながら考えことなんかしていると、不意に思いつくことってあるでしょ。そんな感じである晴れた夜、妙に「人は死ぬと星になる」とか「深い眠りは死に近づいている」なんて言葉が気になることがあったんだよね。夜にちょうどコンデンサーみたいに、記憶を蓄えていて、静かな日には雪がゆっくりと舞い降りてくるように、いろいろな思想を運んでくるのかもしれないね。「ひょっとすると眠りについた家の中では、人は半分星になっているのかな?」なんて具合に。でも夜中に人の家を覗くなんてちょっとまずいから、そのことを調べてみるために、ぼくはまず小さな家を作ってみた。花の蜜でも用意しておいたら、ひと月もすれば本当に妖精たち?がすみついちゃったりしてくれて・・・。
やがて小さな家の中の不思議な出来事も、一部始終観察できたという次第。いやはや、今じゃ彼らとも親友同士。毎日楽しい日々なんだけど、人間ってまだまだ知らないことってたくさんあるよね。
小林健二
*1993年のメディア掲載記事を編集、画像は付加しています。