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小林健二個展「Miale(ミアレ)-観測する魂-」

小林健二作品
2025,9/6-26(11:30-19:00)水曜休廊 gallery echo-ann

9/6(土)16:00-ギャラリートーク+オープニング(要予約)¥1,000(1ドリンク付)

104-0061東京都中央区銀座3-3-12銀座ビルディング7-8 F ギャラリー枝香庵

ご予約はお電話かメールでギャラリーまで

echo-ann@tune.ocn.ne.jp

0335678110

*ギャラリー7Fはトーク準備のため観覧は15:00までとなります。

「Miale(ミアレ)

この島国では古えより人格や名を持つ神など求めなかった。

原生林やヒモロキ、立ち入れない山、磐座、渡れない島、深い澪。それらを通路としてナニゴトかのおはす自然のはたらきを敬っていた。

途方ないこの世を生きて行くために、また心の安寧を願い拝殿などのない場所でさえ無垢な祈りを捧げていた。ただ時には簡易な祠をヤシロとして奉ったりはしていた。

 そのヤシロはもともと空っぽで、その全体は透明なのだ。

 ときおり雲の切れ間からひかりがさしたり、前方から涼しい風が吹くような確信が、あえかであってもこころに届いてその命を支えたのだ。

 いつしか人はそれをミアレと呼んだ。」

                                    小林健二

以下は今回の個展に関するギャラリーディレクター:Mと小林健二:Kの対談です。

小林健二さんへのインタビュー

Mギャラリー枝香庵では初めて小林健二さんをお迎えします。大変貴重な機会をいただき感謝しています。1993年に小林さんと初めてお会いして、30年以上の月日が流れました。その間の長い時間を俯瞰した時、変わってきたこと、変わらないことがあるとしたら、それはご自身のことでも、世の中のことでもいいのですが、今、どんなことを思われているか、お聞きしてよろしいでしょうか。

Kまぁ いちばんは歳とった事ですかね(笑)

そして前世紀のような力尽くの戦争がいろいろ起きた事も驚いていますね。

M今回の展覧会のタイトル「miale」につきまして。

調べてみますと、「miale」は日本の言葉でした。

みあれ「御阿礼」とは、神や貴人が誕生すること、または現れることを意味し、特に、神事においては、神が依り代に降り立つこと、つまり神霊の出現や降臨を指すことが多い、とのことでした。小林さんはどのようにこの言葉を受け取り、感じとられていらっしゃるのでしょうか?

Kぼくはひと口に言えませんが、日本のおだやかで、姿をもたず、それでいて尊く、人格神のように争うこともできてしまう支配的は要素をもっていて、絶対的に君臨するような存在が、ある意味世界の状況を混乱させている1つの要因にもなっていると思っているんです。

M沖縄に行ったとき、海岸そばのただ筋だけのような細い路を進むと、小さな祠の中に小さな石が積まれていました。ただそれだけの祈りの場所でしたが、とても神聖な気持ちになりました。はるか昔から多くの人が通った祈りの路。

いつの時代でも、多くの人が閉塞感を感じ、何かを求めていると思います。小林さんの作品は結果的に常にその問いに寄り添ってきたように思います。その源には何があるのでしょうか?

現代は戦争がつづき、解決されない問題が積まれています。私たちはこれからどのように考え、進んでいったらいいのでしょうか?

K今はまだ本当に祈るしかできないような気がします。そして戦争で生まれた憎しみの連鎖はそう簡単に癒えるものではないですしね。でもまさに先程言われた小さな石が積まれている一見なにもないような場所こそぼくも感じるまさに神聖なところなんです。たとえばヤシロということばがあって、日本人ならみんなみんな知っていますが、その中に神体があったり、なにかの像があったりするわけじゃなくて、ヤシロの中はカラッポなんですよね。

縄文以前の古代から山や岩、森、林や木、その他あらゆる自然世界そのものを崇拝し信仰してきている人々がいて、この国の深いところにあるメンタリティにいまだ潜んでいると思うんです。

雲の切れ間から地上に差し込む光、山頂にかかる笠のような雲、輝く虹の架け橋や輪。それらは諭しもしないし、袖の下も受け取らない(笑)

つまり人間の思惑とはある意味において懸け離れているところもあると思います。

M今回だけに限ったことではないのですが、時に小林さんは「日本」を強く意識していらっしゃるように思います。日本の祈りの形や想いにはどのような特徴があると思われているでしょうか?またどのような時にそのことを強く感じられるでしょうか?

小林さんが感じられている日本にいる私たちへのメッセージ何かありましたら。

Kそうなんです。ナショナリストではないですが(笑)

この国の無心に手を合わせ祈る姿が、老いも若きも清潔なやさしさを感じて心が和むんです。宗教という頑なものよりひたむきな祈りのような信仰するこころ。

それが教義や経典に雁字搦めの状況ではないと思うんです。

M今回の作品には、黄色の画面に青色の不思議な形をした太い線が何本も横切り、中央に印象的な白いオブジェが置かれている作品があります。不思議な色と形が物語を語り、鑑賞した人それぞれがそれぞれ何かを持帰るように思います。その自由さ、深さはどこからくるのでしょうか?

Kあまりありていに言ってしまうとどうかとは思いますが、神饌(しんせん)や御饌(みけ)、つまりおそなえとか幣(ぬさ)とか山とかイワサカやヒモロキとか山とかいろいろなものからですね。日本は昔から災害の多い国でしたから、不可抗力なものに抗うだけではどうにもならない事を知っていたと思います。そんな中で可愛らしい色のお供物をあしらったり、彩りのあるものを添えたり、それがなんとも綺麗で可愛くいじらしく、子供のころから日本的なものが好きでした。

M多くの人に小林さんの作品を見ていただきたいと思っています。作品の中に現れる言葉も重要なメッセージになっています。形と言葉は一緒に現れるのでしょうか?作品に言葉はどんな役割をしているのでしょうか?

Kとくに今回は、日本のことばは文字があとから付いてきているものが多く、もともとは音として有ったものと、理解しています。ですからどうしても、音としての響きとかの中に日本語らしさを感じて、そこからイメージをふくらませたりします。