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パステルをつくろう

パステル(BT増刊)1993」より画像は複写して使用しております。

パステル(BT増刊)1993」より画像は複写して使用しております。

かけがえのない小さな力で見えない電磁波を探るといった小品から、世界の広さや歴史の重みを圧縮したかのような大作まで・・・小林さんの作品はさまざまな種類の材料と技法の混合でつくられる。作品をひとつのイメージに近づけて行くためには、古典技法や画材の製法から電気的な知識までが必要だ。

アトリエに並ぶ道具や材料の数々もおびただしい。

「道具そのものにも強い関心があるけれど、ぼくの本当の興味は、それらが長い美術史の中でどのように使われてきたかということの方にある。たとえばパステルひとつ例にとっても、いつの時代の画家がどんな色で何をどのように描くために作られたのか、といった条件によって原料の調合や製法もさまざまに違う。そして、そのパステルを作っていた職人が死んでしまうと、同じパステルは2度と作られない。同時にテクニックもまた忘れ去られてしまう運命にある。だから今後、道具をきちんと未来に残して行くとともに技法も伝授する『絵画や道具の博物館』が、美術館と同じくらい必要になってくると思う。」

小林さんはこれらの道具を眠らせることなく、日常的に使いながら製作する。自然界からたまたま今私たちの手元に持ち出されてきた素材たちもまた、全て『生きている』といってもいい。

彼は顔料のもとになる岩石や鉱石の多彩な表情にも思いをはせる。

小林さんの鉱物、岩石コレクションの一部。この中から柔らかいものは顔料にすることができる。

小林さんの鉱物、岩石コレクションの一部。この中から柔らかいものは顔料にすることができる。

「絵を描くことは本来人間にとってプリミティブ(原初的)な行為だということは、古代の洞窟画を見てもわかるよね。鉱物や植物の中から顔料として色彩を探りだし操ることは、天然にある共通の現象を使ったひとつの言語、アレロパシー(物質言語)だと思うんだ。さらに生命を持っていないはずの鉱石が、実はとても有機的な結晶構造を持っていたり、ラジオの電波の検波装置になったりすることを考え併せると、『モノ』にも心があるんじゃないだろうか。」

この時自分で画材を作ることが、絵を描くことに通じる。ともに『モノ』を愛することとして・・・。どんなものとも話ができるというミラクルをファンタジーではなくアートが可能にする。

では、どんな時に、なぜパステルを自作するだろう。

「パステルは柔らかく固着性に乏しく、しかも油で粒子が包まれた油彩絵の具と違って顔料が裸に近く、デリケートに反応しやすいので、技法的に紙の上で色を混ぜるにはあまり適さない。だからたくさんの色数を用意しなければならないんだけれど、それはちょっと大変。それから同じ色を大量に欲しい時。手で持って壊れず、紙の上で粒子に砕ける硬さに固めるのも難しいけどね。」

画材を作るということは、作品を作ることにつながる。現代で失われた『モノを作る』ことの本質が、ここにはある。

「鉱石や薬品から大きな発見が生まれる瞬間は、この世界に自分が自分として生まれてきた理由を見つける旅や実験なんだ。アートやアーティストが『人工』を語源とするものならば、それはいつの世でも、『天然』に対しても対峙できる知恵を持った人でありたいと思うんだ。」

自然の神秘の囁きに耳を澄ますように。自分だけのパステル作りから広がる宇宙へ。

少しづつ買い集めてきたという小林さんのパステルやコンテ。 今では手に入らないものもあるが、日常的に使うことで、その貴重な色は今生きていると言える。お気に入りはセヌリエのiriseというパールカラーのオイルパステル21色セット。

少しづつ買い集めてきたという小林さんのパステルやコンテ。
今では手に入らないものもあるが、日常的に使うことで、その貴重な色は今生きていると言える。お気に入りはセヌリエのiriseというパールカラーのオイルパステル21色セット。

材料は大きく分けて次の三種類。 1、顔料。色の元になるもの。 2、体質顔料。パステルのボディそのものを作る。カオリン(クレーや白土といった粘土の仲間)やムードン(炭酸カルシウム)、ボローニャ石膏(天然の硫酸カルシウム)など。 3、結合材。粒子を膠着させるメディウム。アラビアゴム、トラガカントゴム、膠(ニカワ)など。 これらの材料はたいてい大きな画材店や薬局で手に入れることができる。配合比は自分の好みでブレンドしながら選ぶのが良い。難しいことではあるが、そこに自作する意義がある。

材料は大きく分けて次の三種類。
1、顔料。色の元になるもの。
2、体質顔料。パステルのボディそのものを作る。カオリン(クレーや白土といった粘土の仲間)やムードン(炭酸カルシウム)、ボローニャ石膏(天然の硫酸カルシウム)など。
3、結合材。粒子を膠着させるメディウム。アラビアゴム、トラガカントゴム、膠(ニカワ)など。
これらの材料はたいてい大きな画材店や薬局で手に入れることができる。配合比は自分の好みでブレンドしながら選ぶのが良い。うまくいかない時もあるかもしれないけど、そこに自作する意義があると思う。

1, 作りたい色の顔料と体質顔料(カオリン、ムードン、ボローニャ石膏など)の粉末を均一に混ぜる。体質顔料が多くなると白っぽくなる。

1, 作りたい色の顔料と体質顔料(カオリン、ムードン、ボローニャ石膏など)の粉末を均一に混ぜる。体質顔料が多くなると白っぽくなる。

2,柔らかく握れるくらいになるように蒸留水を混ぜる。料理に例えるならば蕎麦をうつ感覚の柔らかさと言える。

2,柔らかく握れるくらいになるように蒸留水を混ぜる。料理に例えるならば蕎麦をうつ感覚の柔らかさと言える。

3,結合材としてアラビアゴムを用意。水につければ二日で溶ける。あるいは膠の場合は水につけて膨潤させ、40-50度で湯煎して溶かす。

3,結合材としてアラビアゴムを用意。水につければ二日で溶ける。あるいは膠の場合は水につけて膨潤させ、40-50度で湯煎して溶かす。

4,2に3をほんのすこしづつ足してペースト状に。微量だとソフト、多めだとハードな物ができる。色々試して自分にあった硬さを探す。

4,2に3をほんのすこしづつ足してペースト状に。微量だとソフト、多めだとハードな物ができる。色々試して自分にあった硬さを探す。

5,スラブ(大理石の板)か厚めのガラス板の上にのせて、練り混ぜる準備をする。木や金属の板だと違う顔料やゴミが混ざったりする恐れがある。

5,スラブ(大理石の板)か厚めのガラス板の上にのせて、練り混ぜる準備をする。木や金属の板だと違う顔料やゴミが混ざったりする恐れがある。

6,モレット(ガラス製の絵の具をねる道具)かスパテラ(金属製のへら)で練る。成分的に金属を嫌う顔料もあるのでモレットが便利。

6,モレット(ガラス製の絵の具をねる道具)かスパテラ(金属製のへら)で練る。成分的に金属を嫌う顔料もあるのでモレットが便利。

7,均一に練られたパテ状のものを手でパステル一本分の大きさに固める。時間をかけすぎるとボロボロに乾いてしまうので注意。

7,均一に練られたパテ状のものを手でパステル一本分の大きさに固める。時間をかけすぎるとボロボロに乾いてしまうので注意。

8,板を使ってパステルを転がし、円筒形のかたちに整える。あまり細くしすぎると、乾いたときに折れやすいものになってしまう。

8,板を使ってパステルを転がし、円筒形のかたちに整える。あまり細くしすぎると、乾いたときに折れやすいものになってしまう。

9, さらに自作の木型で挟んで成型するのも良い。固まって木型にくっつかないように、このとき紙で手製のラベルを巻いておくと良い。

9,さらに自作の木型で挟んで成型するのも良い。固まって木型にくっつかないように、このとき紙で手製のラベルを巻いておくと良い。

10,完成です。セラドングリーンと薄めのコバルトブルーのハンドメイドのパステルが出来上がった。ホコリのない場所で24時間ほど乾かす。余ったものはラップに包めば保存もできる。

10,完成です。セラドングリーンと薄めのコバルトブルーのハンドメイドのパステルが出来上がった。ホコリのない場所で24時間ほど乾かす。余ったものはラップに包めば保存もできる。

リサイクル

a,失敗して砕けてしまったものや小さくなって使いきれなかったパステルのかけらを、色別に分けて撮っておけば再利用ができる。

a,失敗して砕けてしまったものや小さくなって使いきれなかったパステルのかけらを、色別に分けてとっておけば再利用ができる。

b,作りたい色を考慮しながら、混ぜ合わせるものを選び出し、できるだけ細かく砕いて均一な粉末にする。ホコリやゴミの混入に注意。

b,作りたい色を考慮しながら、混ぜ合わせるものを選び出し、できるだけ細かく砕いて均一な粉末にする。ホコリやゴミの混入に注意。

c,2に戻って同様に適量の水とわずかな結合材を足して、混ぜて練る。あとは同様の手順で完成させる。見事にリサイクルできる。

c,2に戻って同様に適量の水とわずかな結合材を足して、混ぜて練る。あとは同様の手順で完成させる。見事にリサイクルできる。

「眠りへの風景:脈拍」 エンコスティックによる作品(自作のパステルも使われている) 1000X1335X55mm 1992

「眠りへの風景:脈拍」
エンコスティックによる作品(自作のパステルも使われている)1000X1335X55mm 1992

*1993年「パステル(BT増刊)」より抜粋編集し、作品以外の画像は記事を複写して使用しております。

KENJI KOBAYASHI

 

 

遠方からの映像ーもうひとつのテレ・ビジョン

「テレビ=テレビジョンには、二つの意味がある。一つは1928年に放送が始まり、今ではどこの家庭にもある放送を受信する機械。もう一つは、もっと広い意味の、テレ(遠隔)ビジョン(画像)」

アーティスト小林健二氏は、そんな遠方からの映像を結晶させたような美しい作品をたくさん作っている。氏のアトリエはまるで錬金術の工房のようで、鉱物の標本や、使い込まれたヨーロッパの工具、天井まで旧仮名遣いの本がぎっしり並ぶ本棚、などなどがあり、暗がりには猫が潜んでいた。そこで、4つの作品を見せてもらった。

2004年頃の小林健二のアトリエ。小学生の頃から鉱物は好きで少しづつ集めてきた。仕事場にも随所に鉱物を飾っている。画像はアンモナイトの化石のクリーニングをしているところ。

2004年頃の小林健二のアトリエ。小学生の頃から鉱物は好きで少しづつ集めてきた。仕事場にも随所に鉱物を飾っている。画像はアンモナイトの化石のクリーニングをしているところ。

小林健二の道具から、ヨーロッパの工具の中でも、大きさが手ごろで気に入っているものから何点か選んだもの。見ているだけでも美しい。

小林健二の道具から、ヨーロッパの工具の中でも、大きさが手ごろで気に入っているものから何点か選んだもの。見ているだけでも美しい。

[IN TUNE WITH THE INFINITE-無限への同調]

レトロなデザインの箱の中に青い土星がゆっくり回転し浮かんでいる作品。土星の輪の傾きも変化する。

「癒しという言葉はそんなに意識していないけれど、ひっそり部屋の中において、これを見ていると何か安心するという話を何回か聞いたことがある。」

[IN TUNE WITH THE INFINITE-無限への同調]

[IN TUNE WITH THE INFINITE-無限への同調]

[青色水晶交信機-Blue Quartz Communicator]

スイッチを入れると、モールス信号のようなツツツーという音が聞こえ、箱の中のクリスタルの内部に灯る光も同調して明滅する。

「ここに(箱の中を開けて)微量な放射線を放出する小さなウラニナイトがあって、ガイガーカウンターの音を信号に変換して鳴らしている。耳がモールス信号に慣れている人だと、音の中に意味がわかる組み合わせを聴くこともある。」

何万年も昔に生まれた石のつぶやきが通信されてくるみたいだ。

「あと(パタンと箱を閉じて)、箱の中に機械の部分があったけど、、クリスタルは見えなかったね。でも閉じると、機械ではなくクリスタルしか見えないでしょう?」

作品上部の窓からは見えない機械部分が、箱を開けると見える。

[青色水晶交信機-Blue Quartz Communicator]

[青色水晶交信機-Blue Quartz Communicator]


Blue-Quartz-Communicator from Kenji Channel on Vimeo.

[鉱石式遠方受像機-Crystal Television]

箱の中に納められたユーレキサイト(通称テレビ石)という鉱物の表面に、映像が写しだされる。ボウッと霞む白い石の表面に映ると、いつの時代の映像かわからなくなる。作品全体、アンテナといい箱の形といい、最も古いテレビのスタイルを踏襲している。音もエフェクトされている。

「なんとなく過去からの放送を見ているみたいでしょう。ぼくなんかもそうだけど、昔のテレビを知っている人なら、子供の頃見ていた放送が見えるかもしれない。」

[鉱石式遠方受像機-Crystal Television]

[鉱石式遠方受像機-Crystal Television]


Crystal-Television from Kenji Channel on Vimeo.

[遠方結晶交信機-Crystal Channel Communicator]

2台で一対になっている。展覧会では離れた二つの会場を結んで、お互いに映像を映し出す。テレビ電話みたいなものだが、映像がクリスタルに投影されているのではなく、クリスタル内部に結像しているのが美しい。未来を映す魔法の水晶のよう。通信や放送の専門家ほど首をひねるという。

「H・G・ウエルズの小説『卵型の水晶球』のようなものを作りたかったんだ。」

「昔のテレビもそうだけど、たとえ情報量が少なくても、映像を注視する、気持ちを近づけて交信する。そういうことが、いろんなビジョンを見せてくれたりする。遠くの世界が何かの箱を通じて見える、結像する面白さがテレ・ビジョンの魅力だね。」

[遠方結晶交信機-Crystal Channel Communicator]

[遠方結晶交信機-Crystal Channel Communicator]


Crystal-Channel-Communicator from Kenji Channel on Vimeo.

*2004年のメディア掲載記事を抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

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KENJI KOBAYASHI

[手の宇宙]

小林健二さんは、何をしている人なのか一言で説明するのは難しい。絵も描く、家具も作る、本も書く。最近の仕事では「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」を著した。この本を書くにあたって、もちろん鉱石ラジオも作った。

東京・小石川にある工房は、天井の高い広くて白い空間だ。壁面には茶色の試薬瓶が並び、木工機械や大工道具、角材、石などが、どれも使いやすそうに整理されて、出番を待っている。中でも大工道具は、日本のものだけでなく世界各国の古いものから新しいものまで、珍しいものがたくさんある。

1997年頃の小林健二アトリエ

1997年頃の小林健二アトリエ

1997年頃の小林健二アトリエ

1997年頃の小林健二アトリエ

小林健二の道具

イングランドのコンパスプレーン(鉋)。削るものの曲面に合わせて、ネジで反り具合を調節できる。

小林健二の道具

これもイングランドのコンパスプレーン。プレーンは日本語で鉋のこと。桶などを作る時など、曲面に合わせて反りを調節して削る。

海外の珍しい鉋など

海外の珍しい鉋など。

小林さんが道具に興味を持ち始めたのは20年くらい前からだという。

絵を描くのは子供の頃から好きだった。でももっと色々作ってみたい・・・本棚一つでも、作るとなれば鋸とか道具があれば便利だと思った。そうやって必要な道具を買い足していくと、もっと道具のことが知りたくなって、大工道具屋に足を運んだ。鉋といってもいろんな種類があることを知る。世の中にはいろんな工具があって、使い方、考え方、物へのアプローチの仕方、みんな違うことがわかる。

友達になった欧米人に工具のことなんか聞くと、意外にもみんな結構詳しい。自分の家の中のことくらいは自分で直したり、作ったりする習慣が根付いているからだ。

「日本でも昭和40年頃までは、みんなそうでしたよね。いつの間にかその感覚を忘れているような気がする。」と小林さんは言う。

東京田端新町の中古道具店にて、工具を探す小林健二。

東京田端新町の中古道具店にて、工具を探す小林健二。

骨董市などでも道具を専門に出している店がある。そこで中古の道具をみる小林健二。

骨董市などでも道具を専門に出している店がある。そこで中古の道具をみる小林健二。

20年前、小林さんが工具に興味を持ち始めた頃、それはちょうど電動工具が台頭してくる時代だ。通っていた大工道具屋が『どうせ売れないから』と、鉋なんかの手道具を安く出していたこともあったという。

「無くなってしまうものは残しておきたいんです。証を残したいというか、一つの道具が持っている背景を考えただけでも、それがあるのとないのとでは失うものが全然違うでしょう。」

小林さんはこうして集めたものが自分の持ち物という意識はあんまりないという。自分がたまたま出会って、預かっているような気がする。

「生活のことを考えたら、結構高価な道具も買っていたりした。でもなくなっちゃうかと思ったら、何とかしたくなる。」

もちろん実際に使っている。全部というわけではないけれど、用途に合わせて取り出して使う。他にも日常的に使う工具には独自の加工をして使いやすくしてある。そして仕事をしていない時でも、小林さんは常に何かしらの道具を手に持って触っているという。触れなれていると、怪我をしない。道具への接し方を、手が自然に覚えていく。

今、少年工作模型のキット作りとその本の出版を計画中だそうだ。小林さんがやっている様々なことを、何かの分野でくくろうとするのは難しい。けれど願いは一つ「人間の暮らしが、自分なりに手作りできる範囲の中に戻ってきてほしい。」ということだ。

*1997年のメディア掲載記事を抜粋編集し、画像を新たに付加しています。

Kenji-Kobayashi-Tools from Kenji Channel on Vimeo.

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KENJI KOBAYASHI

[アートとは、人間について考える科学だよ]

ーアートとは、人間について考える科学だよ。

東京は新橋に生まれ育ったという小林さん。なくなりつつある江戸っ子気質をしっかり担う東京人の一人である。

「ぼくが子どもの頃、家の前には都電が通っていて、石畳や柳があって、道路ではみんながキャッチボールなんかしてゆったりとした時間があり、それは魅力的な街だったと思いますね。ところが物量主義的な時代の流れの中で、そう言った合理性だけでは割り切れないものがどんどん捨てられていった。ぼくらは確かに合理的で便利なものを手に入れたけど、鉛筆一本でも自分で使い込んだものは愛情が湧くというような、合理性だけでないこんな素敵な感性までも、一緒に失ってしまったんじゃないかな。」

1990年頃の小林健二のアトリエ

1990年頃の小林健二のアトリエ

アトリエを一歩入ってみる。よく使い込まれたカンナ、ノミといった伝統工具やドリルなど世界中の電動工具たちがところ狭しと並んでいる。アトリエと言うよりまるでどこかの町工場だ。それも職人のエネルギーが充満した密度の高い町工場の空気だ。彼はここであらゆる物質と向き合い、試行錯誤してそれに生命を与える。そしてここで語り、酒を飲み、自らの生命の洗濯をする。

「ぼくはいつも自分自身が信じれる人間でいたいと思う。もし自分の中にまだまだ眠っている正義みたいなものがあるとするなら、それを探してみたいと思う。好奇心を持って知らないことや人間自身について、あるいは幸福や自由について色々考えてみたいと思うし、知りたい。だから木を彫ったり、石を削ったり鉄をひん曲げたり、日常ぼくがしていること全て、もとは一つの中にあることなんだ。」

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990 会場風景

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990 会場風景

昨年10月の個展は「黄泉への誓(うけひ)」という不思議なタイトルのもとに開かれた。そこに出かけて作品に出会うということ、それはまさに一つの体験である。自然科学、歴史への深い洞察と(『古事記』に想いを得た作品もいくつかあった)、全ての生命系に対する作家の愛の形を媒介にして、私たちはまだ見ぬ世界を体験する。

「ちょっと視点をずらしてみれば何でもないことでも、人間にとって社会が今ギスギスしているんだよね。価値観が一方方向の時は人間も社会ももろいんじゃないかな。そういう意味でぼくの作品を通して別の世界へちょっと旅行してもらえたら嬉しいと思う。」

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990 会場風景

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990 会場風景

「須勢理と沼河」1990 mixed media

「離宮珀水」1990 木に油彩、樹脂他

「離宮珀水」1990 木に油彩、樹脂他

「Sealed Key」1990 木、幽閉物

「Sealed Key」1990 木、幽閉物

こうして私たちは彼から「きっかけ」という素敵なプレゼントをもらうことになる。

「アートとは作られたものの結果ではない。人間や地球にとって何が大事かを考える科学だよ。ぼくの作った箱のような作品なんかは、この中を覗こうとするものは、同時に自分の心の中を覗き込んでいるのでもあるんだ。だからぼくが一方的に発信しているんじゃなくて、観る人たち自身がそこから何かを探そうとしているんだと思う。そこに対話が生まれる。」

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990  会場風景

小林健二個展『黄泉への誓(うけい)』1990  会場風景

小林健二は夢中である。夢中で作り、発言し、そして人間としての営みを実践する。実践の場はもちろんアトリエだ。例えば七輪でサンマを焼いたり、ブラックライトで光る水晶の灯りで酒を汲み交わす時、そこに浮かび上がるのは、アーティストである前に生活を営む一人の庶民の姿であるに違いない。

*1991年のメディア記事を編集抜粋しています。画像は付加しています。

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6/11[小林健二Talk+WET]

小林健二 Talk [工作のヒント]+[不思議な世界]+[結晶育成] 会場:メガラニカ(Magallanica)

小林健二 Talk [工作のヒント]+[不思議な世界]+[結晶育成]
会場:メガラニカ(Magallanica)

6/11の小林健二トーク+WETは昨日で終了しました。

トークの風景

トークの風景

今回はガラス切りの工具の紹介からはじまり、実際にガラスをカットしてみます。そして小林によってよく仕立てられた鉋やノコギリ、ケヒキなど数点を説明しながらの作業実演です。ガラス切りといってもいろいろな形や種類があるものですね。

その後ドリンクや近所のイタリアレストランに注文したピザなどが届いた後は前回同様に歓談です。WETでは参加者同士の会話も弾み、形式的な取り決めが無い集いですので、各々のペースで残ったり、会場を後にしたりと自由に楽しまれていったのが印象的でした。

 

[夜たちの受信機 晶洞よりの呼びかけ 紅玉庭園 そしてサファイヤの書物] を見せているところ。

小林健二作品[夜たちの受信機 晶洞よりの呼びかけ 紅玉庭園そしてサファイヤの書物]を見せているところ。電気を使った作品の解説になると不思議なものばかりで、自然と身を乗り出していく参加者たち。

[夜たちの受信機 晶洞よりの呼びかけ 紅玉庭園 そしてサファイヤの書物] 「鉱石ラジオ」という言葉のイメージから製作された作品の一つ。音声に同調して部分的に結晶が白く明滅し、レンズに映る鉱物のみがゆっくりと回りながら赤く輝く。

[夜たちの受信機 晶洞よりの呼びかけ 紅玉庭園 そしてサファイヤの書物]
「鉱石ラジオ」という言葉のイメージから製作された作品の一つ。音声に同調して部分的に結晶が白く明滅し、レンズに映る鉱物のみがゆっくりと回りながら赤く輝く。

WET風景

WET風景

次回6/19は最終日です。 WETでは小林健二が中学高校生時代に自作した曲をギター演奏で歌うという、ミニミニオマケライブも追加されました。

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直接結合回路鉱石受信機の製作(筐体+仕上げ編)

以前自作パーツ(クラウンコイル+探り式鉱石検波器+ヴァリコン)でご紹介した記事の筐体(ケース)を作ります。

クラウンコイルの製作

さぐり式鉱石検波器の製作

ヴァリコンの製作

ここではアンティークラジオのような形のものを木工によって作ってみました。まずケースの本体の木取りから始めます。

自作[直接結合回路鉱石受信機] 寸法はW155× D135× H200(mm)です(検波器端子は含まない)。

自作[直接結合回路鉱石受信機]
寸法はW155× D135× H200(mm)です(検波器端子は含まない)。

ケース前面、背面、底面、そして前面と背面をつなぐ木の棒です。板材は12mm厚のラワンベニヤで作り、断面が五角形のような棒は4cm×4cmの角材から作りました。

ケース前面、背面、底面、そして前面と背面をつなぐ木の棒です。板材は12mm厚のラワンベニヤで作り、断面が五角形のような棒は4cm×4cmの角材から作りました。

これらをボンドで接着します。頭の角材には工作途中でかなりの力をかけるので、くぎも打っておきます。

右に見えるのは、次の工程で側に曲げながら貼りつけるベニヤの板です。これは幅を本体の枠に合わせ、長さを多めにしてあります。 十分に水につけたあと、ラップにくるみ電子レンジで温めておくと曲げやすくなりま す。この作例が小さいため曲率が高いので大事をとったのですが、もっと大きなものなら水で湿す必要もないでしょう。

右に見えるのは、次の工程で側に曲げながら貼りつけるベニヤの板です。これは幅を本体の枠に合わせ、長さを多めにしてあります。十分に水につけたあと、ラップにくるみ電子レンジで温めておくと曲げやすくなります。この作例が小さいため曲率が高いので大事をとったのですが、もっと大きなものなら水で湿す必要もないでしょう。

作例は3mmのブナのベニヤを使いましたが、27mmのラワンベニヤか3mmのシナベニヤあたりが人手しやすいと思います。

本体の片側にボンドを塗って、下部の端をしっかりと合わせ、くぎで軽く仮止めします。そして徐々に上のほうへ向かって押しつけるようにして側板を密着させてゆきます。途中どうしてもすき間があいてしまうなら、そのつどくぎで仮止めをします。仮止めとは、細いくぎを半分くらい打ち込んでおき、ボンドが固まったあとでプライヤーやペンチで抜き取ってしまうやり方です。

写真13ではクリップやクランプで止めてありますが、実際はもっと簡単に、太い輪ゴムやひもでも固定できるでしょう。 このようにして片側を貼りおえたら、完全に乾くのを見計らい、上部に余っている ベニヤを切り取って、はみ出したボンドをきれいに削り取ります。そのあともう片側へ同じことを繰り返します。写真13の左のほうにもう片側に使うベニヤが筒に巻かれ、巻きぐせがつくようにしてあるのが見えます。

写真ではクリップやクランプで止めてありますが、実際はもっと簡単に、太い輪ゴムやひもでも固定できるでしょう。
このようにして片側を貼りおえたら、完全に乾くのを見計らい、上部に余っているベニヤを切り取って、はみ出したボンドをきれいに削り取ります。そのあともう片側へ同じことを繰り返します。写真左のほうにもう片側に使うベニヤが筒に巻かれ、巻きぐせがつくようにしてあるのが見えます。

写真14は両側の板を貼り乾かし、そしてサンドペーパーで仕上げた本体です。右側には本体からトレースしてベニヤを切り取って作りはじめたパネルが見えます。また本体の下のところの出っ張りは、あとでつけるパネルの厚み分の本片が接着されています。パネルがついたとき、同じ高さにするためです。パネルは3mmのベニヤを2枚貼り合わせるので、木片は6mmの厚みにしてあります。

写真は両側の板を貼り乾かし、そしてサンドペーパーで仕上げた本体です。右側には本体からトレースしてベニヤを切り取って作りはじめたパネルが見えます。また本体の下のところの出っ張りは、あとでつけるパネルの厚み分の本片が接着されています。パネルがついたとき、同じ高さにするためです。パネルは3mmのベニヤを2枚貼り合わせるので、木片は6mmの厚みにしてあります。

正面のパネルを作ります(写真15)。パネルのレイアウトをよく確かめて補強と装飾を兼ねてパネルの縁を二重にします。まずパネルと同寸の板をもう一枚切って、縁から一定の幅(作例では12mm)にケヒキなどでしるしをつけて、弓ノコなどで切り抜きます(写真16)。

正面のパネルを作ります。パネルのレイアウトをよく確かめて補強と装飾を兼ねてパネルの縁を二重にします。まずパネルと同寸の板をもう一枚切って、縁から一定の幅(作例では12mm)にケヒキなどでしるしをつけます。

小林健二の技法

ケヒキで印をつけたところを弓ノコなどで切り抜き、パネルには所定の位置に穴をあけます。

彫刻刀の丸刀などで面を取り、貼りつけます。

彫刻刀の丸刀などで面を取り、貼りつけます。

写真18のようにいろいろな断面をすでに削りだして棒状に形成した製品も面縁として売られています。

写真のようにいろいろな断面をすでに削りだして棒状に形成した製品も面縁として売られています。

写真19のようないろいろな面取り飽もまだ大工道具を売っているお店の隅に残っていることもあり、 1つ2つあるとなにかと楽しく工作ができるでしょう。

写真のようないろいろな面取り飽もまだ大工道具を売っているお店の隅に残っていることもあり、 1つ2つあるとなにかと楽しく工作ができるでしょう。

写真20は仕上げ前の本体とパネルです。本体下部の額縁のように面を取った部分は、工作材を彫刻刀で彫ったあと貼りつけたものです。本体にあいた穴の形がちがうのは、 パーツを仮に組んでみたらコイルが人らないので、設計変更をしたためです。

写真20は仕上げ前の本体とパネルです。本体下部の額縁のように面を取った部分は、工作材を彫刻刀で彫ったあと貼りつけたものです。本体にあいた穴の形がちがうのは、パーツを仮に組んでみたらコイルが人らないので、設計変更をしたためです。

写真52は全体のパーツが仕上がったところです。ヴァリコンはパネルにヴァーニャダイヤルであらかじめ取り付けておきます。ディテクターもついてます。背面パネルにはヘッドフォン用のターミナル2個とアンテナ用とアース用にそれぞれひとつずつのターミナルがつけであります。

写真は全体のパーツが仕上がったところです。ヴァリコンはパネルにヴァーニャダイヤルであらかじめ取り付けておきます。ディテクターもついてます。背面パネルにはヘッドフォン用のターミナル2個とアンテナ用とアース用にそれぞれひとつずつのターミナルがつけであります。

回路図と実体配線図を載せておきますので、参考に組み込んでください。

[直接結合回路鉱石受信機]回路図

[直接結合回路鉱石受信機]回路図

[直接結合回路鉱石受信機]実体配線図

[直接結合回路鉱石受信機]実体配線図

調整と聞き方

組み上がったあとの調整は、内部配線の接続を確かめ、アース線やアンテナ、ヘッドフォンの接続を確かめたあと、さぐり式の鉱石検波器の針を鉱石からはずしておいて、そこにダイオードを足を曲げて仮に取り付けておきます。コイルからヘッドフォンにつながるロータリースイッチをいちばん右(巻き数をいちばん小)にして、アースにつながるロータリースイッチは左から3番目くらいにして、ヴァリコンを動かしていちばん音が大きなところに合わせます。そしてそれぞれのロータリースイッチを動かしさらに分離がよく聞こえやすいところを探し、ふたたびヴァリコンを動かします。これを繰り返し、最もいいところを見つけたら、ダイオードを取り去り、さぐり用の針を鉱石にあてながら放送が最もよく聞こえるポイントを見つけます。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

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小林健二 Talk [工作のヒント]+[不思議な世界]

小林健二 Talk [工作のヒント]+[不思議な世界]+[結晶育成]

2016年6月4日(土)・11日(土)・19日(日) 14:00-16:00(13:30開場)

*6/4・6/11・6/19は終了しました。

会費2,000円(1ドリンク付)

要予約(高校生以上)先着順にて定員(少人数を予定)に達した時点で締め切ります。

会場:メガラニカ(Magallanica)

ご予約はメールにて受け付けております。

magallanica@kenji-kobayashi.com

*小林健二の作品はいろいろな素材や技法で表現されています。今回はそれらの技法に関しての質問コーナーに多く時間を割く予定です。また、素材のひとつでもある電気を使用した作品の紹介や化学実験なども時間内で行う予定です。工作に興味のある方や、実際に工作をしている方々は是非ご参加いただければ幸いです。

同時に会場には珍しい和洋のカンナを中心に展示し、解説などをトークの中に盛り込めればと考えております。

6/4,11(土)トーク終了の16:00より約一時間、WET(ウイークエンド・イブニング・トーク)としてみなさんといろいろお話できる機会をつくりたいと考えております。

WETには[工作のヒント]にご参加いただいた方が引き続いてご希望によりお残りいただくようにしておりますので、WETのみの参加は受け付けておりません。

尚、WET参加費は無料とさせていただきます。

6/4,11,19は程同じ内容となります。ご都合のいい日程をWET参加あるいは否も含めてお知らせ下さい。こちらからの返信によりご予約が確定いたします。

3日間通してのご参加をご希望の場合は、3回分会費4,000円(初日にいただきますが、キャンセルの場合、返金できませんのでご了承ください)とさせていただきます。

以上宜しくお願い致します。

画像は小林健二作品[EUINFINIS(無極放電管の作品)]の一部

画像は小林健二作品[EUINFINIS(無極放電管の作品)]の一部

トークの時に展示予定の道具の一部

トークの時に展示予定の道具の一部

[美術家の木工具]

「PSYRADIOX(サイラジオ)」と名付けられた1987年の作品。アンティックラジオのように見えるが、筐体はもちろんプレートやツマミに至るまで自作されている。木工技術を使った作品の中でも小さなものではあるが、小林氏は趣味的にもこのような工作は好きであると言う。ちなみにこのラジオは受信した放送の音量によってガラスドーム内の結晶が光りながら明滅氏、また色の七色に変化する。

「PSYRADIOX(サイラジオ)」と名付けられた1987年の作品。アンティックラジオのように見えるが、筐体はもちろんプレートやツマミに至るまで自作されている。木工技術を使った作品の中でも小さなものではあるが、小林氏は趣味的にもこのような工作は好きであると言う。ちなみにこのラジオは受信した放送の音量によってガラスドーム内の結晶が光りながら明滅氏、また色の七色に変化する。

ー刃物との出会い

小林さんのアトリエには数多くの道具類がありますが、まず木工の手道具に興味を覚えたきっかけというのを教えてください。

小林:ぼくは生まれが下町だったからか、周りに職人さんが多かったんですよ。それに加えて父が刀をつくっていたから、ぼくと刃物との出会いはそこにありそうに思うでしょ。でも子供の頃から工作が好きで、プラモデルに夢中だったり、自分の中では自然と工具に親しんでいたんだよね。例えばエンピツを削ったりするときのボンナイフと言われる カミソリ製の廉価な刃物やトンボ印の彫刻刀なんかが、刃物との最初の出会いと言えるかしら。砥石でそれらの刃物を研いで切れ味が良くなった時の充実感は、今でも覚えていますよ。そして子供ながらによく使いこまれた道具や工具って美しいものだなって思っていました。

実家は電気関係の修理業も営んでいたんですが、まぁ言ってみれば町工場のようなもので、いろんな道具や工具があふれていたから、その影響があったかもしれない。小学校で夏休みなんかに工作の宿題が出ると、そこにあったあらゆる道具を駆使して凝ったものを作っていったんです。ぼくの担任の先生にどうやって作ったのかを説明しても、ボール盤は丸ノミなんていう単語はわかってもらえなかった(笑)。

もちろんそのコウバに木工具も置いてあり、刀のさやなんかを作ったりするためのカンナも含まれていた。父の知り合いだった関係で、中には今では貴重ないわゆる「名人」が作った鉋も多数あり、ぼくの手元に今も残っています。とにかく小さい時から工具にとても興味があって、自分なりに工夫したものもあったり、「三つ子の魂百までも」ってとこですかね(笑)。

古い木材を彫刻して作った1991年頃の作品。大きさはおよそ40cm,長さは2m強で一人で持ち上げるのはなかなか大変である。チェーンソーなどで加工する人も多いが、小林氏は手道具だけで仕上げたとのこと。

小林健二の作品

古い木材を彫刻して作った1991年頃の作品。大きさはおよそ40cm,長さは2m強で一人で持ち上げるのはなかなか大変である。チェーンソーなどで加工する人も多いが、小林氏は手道具だけで仕上げたとのこと。

上の作品を製作した時に使用した道具。大きさの違う手釿(てぢょうな)の刃幅は左から37,76,104mmで柄は自作。中ほどの大型のノミのようなものは「スリック」と呼ばれるもので、全長80cmくらいあり、重さも3kg以上ある。その重さで突き彫る道具であるとのこと。また上のように長い球状の作品では仕上げにスリックの上に乗っているドローナイフ(左)、右の銑(せん)も使う。

上の作品を製作した時に使用した道具。大きさの違う手釿(てぢょうな)の刃幅は左から37,76,104mmで柄は自作。中ほどの大型のノミのようなものは「スリック」と呼ばれるもので、全長80cmくらいあり、重さも3kg以上ある。その重さで突き彫る道具であるとのこと。また上のように長い球状の作品では仕上げにスリックの上に乗っているドローナイフ(左)、右の銑(せん)も使う。

もちろん彫刻にはノミ(チゼル)を使うわけだが、やはり彫る対象が大きいものだと、必然的に大きめになる。この写真は国外の製品であり、中ほどの幅が広く見えるノミは、フィッシュデイルチゼルと言って、刃幅76mmのもの。

もちろん彫刻にはノミ(チゼル)を使うわけだが、やはり彫る対象が大きいものだと、必然的に大きめになる。この写真は国外の製品であり、中ほどの幅が広く見えるノミは、フィッシュデイルチゼルと言って、刃幅76mmのもの。

こちらは日本のもの。右下の三本のノミは北海道(どさんこ)ノミとも言われ、堅い木材用のもので首が太く、強打にも耐えるように作られている。また変わった形のものは、表面の効果などに使われている。

こちらは日本のもの。右下の三本のノミは北海道(どさんこ)ノミとも言われ、堅い木材用のもので首が太く、強打にも耐えるように作られている。また変わった形のものは、表面の効果などに使われている。

ー若い時代を支えた額縁製作

その後美術家を目指されたわけですが、若い頃の生活を支えたものに木工もあったのですか?

小林:絵だけで最初から生活できるというと、いつだってそれが難しいよね。だから若い頃は体を使ったバイトなんかしました。でもガスやアークでの溶接や溶断なんかはそれはそれで勉強になった。その頃、趣味も兼ねて凝って作っていた額縁がもとで、額縁を作る仕事が舞い込んできました。それこそ伝統的な古典絵画が入りそうな額です。木を彫刻して下地を塗って、金箔を貼ってみがいたり、、、その他にもオリジナルの技法をこの時結構生み出したりもしました。鏡を入れるための額縁が欲しいとか、大使館で歴代大統領の写真を入れる額縁が必要とかで需要があり、そう言ったオーダーがぼくのところに来たわけです。もともと木工は好きだから熱も入ってやりましたね。額縁製作のために面取り鉋も収集して。見たこともないような面を取れる珍しいものを道具屋で見つけると、買わずにはいられなくてね(笑)。さらに自分でも、欲しい面を取れるように考えて面取り鉋自体を作っていました。本末転倒ですが、それを使うために額の断面をデザインしたりして(笑)。自分の制作活動が忙しくなってきて額縁からは離れましたが、今でも全ての鉋はきちんと手入れして使える状態になっています。

若き日の小林氏の生活を支えた額縁作りは、いろいろな木工技術の集合とも言える。木地から作る本格的なものなどでは、木組みや接合方などの技術や、とりわけ木彫する時には、数をこなすうちに学んだことがたくさんあったとのこと。

若き日の小林氏の生活を支えた額縁作りは、いろいろな木工技術の集合とも言える。木地から作る本格的なものなどでは、木組みや接合方などの技術や、とりわけ木彫する時には、数をこなすうちに学んだことがたくさんあったとのこと。

額縁用の入子面取り鉋など。研ぎにはコツがあるとのことだが、一丁で複雑な面が取れるので重宝したそうだ。

額縁用の入子面取り鉋など。研ぎにはコツがあるとのことだが、一丁で複雑な面が取れるので重宝したそうだ。

ー現在の木を使った造形活動について

現在製作している造形作品にも、木工の技術や道具が生かされているんですか?

小林:そうですね。作品には平面もあれば立体もありますが、イメージに出来る限り忠実になろうとすると、いろいろな表現方法や技法が必要になってきて、必然的に素材もさまざまで、その中でも木工は結構使ったりするんです。例えば古く見える木の作品とかは、それこそ鉋やノミなんかがないと製作できないし、古色をかけて昔のものみたいに見せる方法は、額縁製作時代に手に入れた技法の一つですね。ぼくは基本的に手を動かすのが好きだから、図面だけ書いてあとは外注するという方法は出来たらしたくない。やっぱりつくりながらリアルになってくるイメージもあるしね。でも大きな作品なんかは先ずは模型を作って構造なんかを確認し、それから本番に取り掛かるときもあります。美術館など大きなスペースでその会場で作る場合なんかは失敗ができないからね。

「ヨモツカド」1990年製作。まさに額縁の技術も用いて製作された作品。絵の部分は油彩で描かれ、その周りの鉛箔をはった部分がそれにあたる。作品自体は2m四方ほどの大きさのため、枠の細いところでも10cm以上はある。

「ヨモツカド」1990年製作。まさに額縁の技術も用いて製作された作品。絵の部分は油彩で描かれ、その周りの鉛箔をはった部分がそれにあたる。作品自体は2m四方ほどの大きさのため、枠の細いところでも10cm以上はある。

1991年の美術館での展示の一部。左の絵の重厚なパネル、中央の塔のようなもの、手前右の大きな立体は基本的に木工技術を中心に製作されている。塔のようなもので高さ7mもあり、このくらいの大きさになると、さすがに電動工具が活躍するそうだ。

1991年の美術館での展示の一部。左の絵の重厚なパネル、中央の塔のようなもの、手前右の大きな立体は基本的に木工技術を中心に製作されている。塔のようなもので高さ7mもあり、このくらいの大きさになると、さすがに電動工具が活躍するそうだ。

ー道具に求めるもの

小林さんは道具というものについて、自分との関わりをどう考えていますか?

小林:例えば「自分勝手」って言葉ばありますよね。悪い意味で使われることが多い言葉ですが、道具の仕様を示す言葉で「左勝手」「右勝手」というのがあることを考えると、「自分勝手」というのが自分仕様にカスタマイズされた道具をさす言葉だと思えば、別の見方も生まれてきそうでしょ。道具というのは自分の手に馴染んで愛着が生まれ、それがないと落ち着かないような、人間、特につくり手にとってそんな関係にあるんじゃないかな。ぼくが手元に置いているもので、絵の具を混ぜる時に使う棒があるんですけど、これはもともとなんてことない割り箸で、気にも留めないで混ぜ棒として使っていたんですが、使い終わって捨てるのももったい無い気がして、ウエスで拭いてまた違う絵の具を混ぜるのに使ったりしていたんですね。ある時ふと気がつくと、長い間に色々な絵の具が擦り込まれて、いい感じになっていたんですよ。割り箸に、使い込まれた道具としての美を見出したわけです(笑)。こうなると絵の具の準備をしようとする時にコレがないと落ち着かなくて、まずこの棒を探すことから始めます。暇な時などには持ちやすいように工夫したり、磨き込んで手入れをしてみたりしてね(笑)。ただの木切が使い手との歴史を重ねるうち、なくてはならない道具になっていたわけです。

道具には、長い歴史の中で様々な工夫と改良がなされ、伝えられてきたものが多くあります。人間との関わりの中で熟成されてきたモノな訳ですが、最終的にその道具に命を与えるのは使い手です。それぞれがその道具の持つ歴史を知った上で、自分の最も使いやすいものに調整していくことこそ、道具への本当の理解に繋がっていくのではないでしょうか。

普段木工手道具の中で最も使用しているスタンレーの鉋。No.1の小さなものからNo.7の大きなものまで写っている。

普段木工手道具の中で最も使用しているスタンレーの鉋。No.1の小さなものからNo.7の大きなものまで写っている。

俗に言う名品と呼ばれる鉋。父親が刀匠であり、その父と親交のあった落合宇一氏、石堂輝秀氏、などなど、多数の道具を譲り受けた。ただとても合板などに使用するわけにはいかないので、大切に使っていると言う。

俗に言う名品と呼ばれる鉋。父親が刀匠であり、その父と親交のあった落合宇一氏、石堂輝秀氏、などなど、多数の道具を譲り受けた。ただとても合板などに使用するわけにはいかないので、大切に使っていると言う。

若い頃から折につけ趣味で自作した小鉋など。鉋身は購入したり古い包丁やノミの刃を利用したりしているが、台は全て自作したそうだ。

若い頃から折につけ趣味で自作した小鉋など。鉋身は購入したり古い包丁やノミの刃を利用したりしているが、台は全て自作したそうだ。

やはりお気に入りの真鍮製の洋鉋各種。目的によって各々を使い分ける。使い込んだ道具の美しさが輝いている。

やはりお気に入りの真鍮製の洋鉋各種。目的によって各々を使い分ける。使い込んだ道具の美しさが輝いている。

コンパスプレーンと言う特殊な鉋。下端を供に外反りや内反り鉋として可変して使用することができる。上記の大きな塔のような作品の横スリにも使用したとのこと。

コンパスプレーンと言う特殊な鉋。下端を供に外反りや内反り鉋として可変して使用することができる。上記の大きな塔のような作品の横スリにも使用したとのこと。

鉄製の洋鉋の一例。木の板に古典技法によって絵を描くとき、パネルに引っかき傷をつけ、その上にのる下地の定着を良くする特殊なもの(左より2つ目)も含まれている。

鉄製の洋鉋の一例。木の板に古典技法によって絵を描くとき、パネルに引っかき傷をつけ、その上にのる下地の定着を良くする特殊なもの(左より2つ目)も含まれている。

音がほとんどせず、ギヤーによって作動させることができるジグソーの一種。 バヨネットソーの作動を説明している小林氏。確かに彼のアトリエにある電動工具はみな静かな作動音である。彼に言わせると、考えながら作業するのに音が大きな工具では使いにくいからということだ。

音がほとんどせず、ギヤーによって作動させることができるジグソーの一種。 バヨネットソーの作動を説明している小林氏。確かに彼のアトリエにある電動工具はみな静かな作動音である。彼に言わせると、考えながら作業するのに音が大きな工具では使いにくいからということだ。

*2005年のメディア記事より抜粋編集しております。

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小林健二の造形世界ー素材・道具・技法をめぐって

ーイメージとして求めるものによって、 結果もプロセスも全部が変わる。

(小林のアトリエで 小林自身が工夫して作ったり、中古て買い集めたおびただしい道具を見たり、道具にまつわる話を聞くのは興味が尽きないものがある。)

木工旋盤や中型のベルトサンダーが見える。

木工旋盤や中型のベルトサンダーが見える。1992年頃の小林のアトリエ(一角)。

道具や工具というのは色々ある 。それぞれの適材・適所・適性で使ってやれば、とにかく色々なこ とをしてくれる。何をしてくれるかといえば、やっぱりその人のイメージをより具体化し、現実化することによって 頭の芯にしかなかった何かわけの分からないものを自分にも、自分以外の人にも見せることができる言葉に置き換える翻訳機械である、そういう感じがしてますね。

パレットや絵の具を練るためのガラスの棒(モレット)や大理石の板(スラブ)、あるいは特殊な画溶液など。

パレットや絵の具を練るためのガラスの棒(モレット)や大理石の板(スラブ)、あるいは特殊な画溶液など。

めのう棒のいろいろ。油絵やテンペラでツヤを出したいところや、金や銀や錫、鉛などの箔をみがいたりするのに使う。

めのう棒のいろいろ。油絵やテンペラでツヤを出したいところや、金や銀や錫、鉛などの箔をみがいたりするのに使う。

ただ 道具についていえば、ここに世界中から百人の人を呼んで、例えば30センチ角の同じ木を与え、3センチ角の深さ10センチの穴をあけるのに自分の好きな道具を選んでやりなさいと言った時 みんな同じものを選ぶわけじゃないよね。

生活のスピードや手の大きさ、経験や老若男女でもちがってくると思う。色んな要素があるから、逆に道具の方がそれに合わせようとして増えていくわけでしょう。そうすると極端なことをいえば、人の数だけ道具があるって考えてまちがいないんですよ。もっと話を進めれば、素材と道具と技法、この三つは本当に深く結びついている。例えばここに一つの石を切ることを考えたら、それをとにかく速く切断したいか、ゆっくり自分の思った形にしたいか、それだけで道具も技法も変わってくる。

すなわち、イメージとして求めるものによって、結果もプロセスも全部が変わる。だから素材・道具・技法というものを短絡的に目的というか、イメージも考えずに並べれば、この素材を切る時はこの道具でこんな方法でってことが言えても実際の場では必ずしもそれで説明したことにはなりえないことがあるわけですね。なぜなら、実際作る上で一番大きいのは、ものを作る間でも実は学習しつつあるということなんです。もし機械製品を作る会社で、製品も数量も何もかも決まった行為の中て成り立つなら、それでいいんですけど 、ぼくは今 あくまで個人的なレベルてものを作る人聞のことを頭において話してますから、それは決定事項にはならない.。

いろいろな筆。サイズ、材質がまちまちである。

いろいろな筆。サイズ、材質がまちまちである。

これも例の一つですけど、自分はザラザラした表面のものを最終的に作りたかったとしますね。それで何か工具を使って作ったんですけど、その工具で切削したら、きれいな切削面ができた。そして、その切削面が きれいだというそのこと で、これまた二つに道が分かれるわけです。

「ああ こんなにきれいに切れる 、こんなにきれいな切削面がすごくいいんだな」って思って、それで新しい発見をしたこともあるでしょ う。でも 逆にその発見に流されてしまって、最終的に自分の思っていたイメージよりも、切削面がきれいだったが故に全部をツルツルにしてしまって、作ったものが自分の最初のイメージと全然かけ離れたものになるってこともあるわけですね。ただ それがかえっていいこともありますけど、途中で学習したことは学習したこととして一つ抑えといて、最終的に自分の作るものは、最初に作りたかったものに導いていくってことも あるわけですよ。だから 道具に使われてしまうってことも、どちらがいい悪いの問題じゃなくて、そういう要素がものを作っていくと多分に出てくるでしょう。それを自分の中でうまく振り分りて、自分が最初にやりたかったことをそれなりに見ていく。ただ 最初にやりたかったこと以上に意にそうものであれば、そっちを選択すればいいわけだけど、結局  ぼくみたいな有機的な作品を作る人聞は、機械の作る機械的な肌に最初一瞬ひかれることもあるわけですね。でも、それに行ってしまって、最終的にできあがったものが自分の作りたかったものと全然ちがってしまえば、イメー ジの意味がなくなってしまうわけですね。だから、途中なら途中で、切削面がピシっとしたいと思うときは、この機械はいいんだなって分かるわけだから、後々のためには大事なわけですよ。

石や木や金属などのサンディング(磨き、削り)などに使われる工具。このほかに切断や穴あけなどの工具もある。

石や木や金属などのサンディング(磨き、削り)などに使われる工具。このほかに切断や穴あけなどの工具もある。

いろいろな電動工具。騒音を嫌う小林は、ほとんどが特殊なモーターやシステムによって、とても静かにドライブできる電動工具を取り揃えている。

いろいろな電動工具。騒音を嫌う小林は、ほとんどが特殊なモーターやシステムによって、とても静かにドライブできる電動工具を取り揃えている。

それと道具を選ぶ場合など、最初からあまり切れないノコギリで、コリゴリやって苦痛を感じた人と、気持ちよく切れた人とでは、その後に与える影響はずいぶんちがう。確かに道具の問題だけではないけど、決して小さくないことだと思う。いいノコギリは無頓着に使えば、折れもするし歯もこぼれる。大事にしないとならないけど 安くはないという理由だけじゃなく、少しずつわいて来る愛着は素敵なものです。あくまでもぼくの考えですが、最初からいい道具を買って、それをずっと大切に長く使おうってことの方が無駄がなく、またその道具に対する接し方なんかも変わってくる。ケースにもよるけどね。だからその場合はいい道具とは何かを知らなければいけない。そのためには、それを知ろうとする行為もまた出てくるわけですよ。それだから、ぼくみたいに大ざっぱで掃除もしない人間がね、カンナ研いだり、刃物調整したりとか、工具の手入れをほんとにやりますよ。メンテしてやるのは、そりゃ一生懸命働いてくれたから、ホコリとってあげたりね。だから、ぼくの使ってる道具は みんなきれいだと思う 。使いこまれていくからね。手入れはほんとに好きだよね。

(ものを作る行為 が、 個人のレベ ルで問題にされるかぎり、道具も当然個別化される。自分の目的に合わせて、その都度、その局面での道具が具体的に必要とされるということだ。それは、作る喜びと苦しみの中で出会える道具とのかかわり方と言えるかもしれない 。小林の道具論からは、精神と物質をとり結ぶ 道具に注がれた愛情あふれる連帯感が伝わってくる。)

( )内は質問者であり、インタビューをまとめた十川氏のコメント

*1992年メディア記事より抜粋(画像は掲載された写真の中より一部を紹介しています)

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[ぼくの遊び場]

東京田端新町の中古道具店

東京田端新町の中古道具店

ぼくの遊び場

ぼくは自転車で散歩するのが好きだ。狭々とひしめいている横丁や路地の多いこの町で、その奥にある秘密や夢を散策するのにもってこいだからだ。うろつくところといえば、とかく情報誌や何々ブームにおよそもてはやされてきた街とは対象的な、一見一般的?ではない東京の深いところにある、少なくともぼくにとっては非常に魅力的な町や店なのだ。遠くから友達が来たり、東京案内することあらば、まずそれらの方面へと繰り出すわけだが、思ったよりはるかにマニアックなところばかりでも、それぞれにみんな楽しんでくれるのは、それこそ、この街ならではの風景でもあるからだろう。これを読んでくれている人にも地図など入れて説明したいところだけど、いわば秘密の聖域、探し当てる喜びを分かち合うことにしよう。神田の古本屋街辺りから、その王国への入り口は開けていて、およそ東京中に広がっている。蝶番屋、家具や引き戸の把手ばかりを扱う店、1000種は超えると思われる彫刻刀の店、砥石屋、金槌屋、提灯屋、扇屋、和紙屋・・・鋲螺屋(びょうら)はさまざまななネジを小さな引き出しに整然と並べている。いろいろな油や蝋だけを扱う店、鉱石屋、蝶や化石などの標本屋、電気のパーツやジャンクの店、プラモ屋に理化学器具や壜屋に教材屋、すべてを書き出すことは不可能な、この怪しげな僕の遊び場は、繁華で賑やかな大通りの裏通りや、古いビルの地下などで、時にあっけらかんと、時に曇ったガラス戸の中に、隠れるように息づいている。この街のイメージは、ここで生まれ育ったぼくにとっては、いつも何かごちゃごちゃした奥の方に何かまだ潜んでいる、そんな奥深さを感じさせ続けている。自転車で行ける僕のドリームランドだ。

そんな中でも田端新町の中古機械工具を扱う町は、全体が数十年くらい昔に迷い込んだのではと思ってしまうほど独特な景観を備えている。明治通りを中心にその裏のそのまた裏にまで続き、思わず「えっ?」と立ち止まってしまうことが多々ある。

東京田端新町界隈の中古道具店

ある店では何十トンを越えると思われる大きな、何に使われるかも分からない錆びた鉄のかたまり状?の機械を商い、またある店では、そこ自体がうず高く積まれたスパナ、ペンチ、などの工具の重さで完全にかしいでしまっていたりする。何がここまで詰め込ませたのかとおばさんに聞いてみれば「あたしたちがいなければ、みんなゴミになっちゃうでしょ」と明るく笑う。確かに、それらは新品など一つとて無い、行き場を失った工具ばかりだ。でもその造りの良さや、使っていた人々の気立てを思わせるほどよく使い込まれた逸品が多いことに驚かされる。値段と言えば、安物の新品の5分の1から10分の1。表向きや見せかけの生き方で疲れ切った人たちの裏で、油やほこりにまみれていても、なんと彼らは生き生きとしていることか。こんな事ばかり言っていると、ただの懐古趣味と言われそうだけど、流行という似通った価値観の中で、情報に振り回され、一辺とおりの退屈な話しかできないような人や町より、「つつましさ」「生きがい」「充実」などの言葉と正面切って向かい合えるパワーを持っているのは確かだ。この「ていねいな東京」を知った人なら、東京が庶民によって支えられてきた歴史を持った一地方都市であり、またここを故郷としている人々がいることを理解してもらえる事だろう。

東京田端新町にある中古道具店

東京田端新町にある中古道具店

東京田端新町の大工道具店

東京田端新町の大工道具店

こんな町々の20年後を想う時、何か取り返しのつかないものを失っているという気持ちになってしまう。だからこそ、この街に巡り合えて、その偽りの無い心意気や純情と同じ時代を生きられている事が、ぼくにとっての自慢と誇りなのだ。彼らとの話の途中、グッとくる感じになる事がある。「おばさんのとこいつ休み?」「そうねえ、生きているうちはいつだってあいてるよ。」まさにこの街はいつもぼくを受け入れてくれているのだ。

東京田端新町の中古道具店で道具を見る小林健二

東京田端新町の中古道具店で道具を見る小林健二

文:小林健二(1992)

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