奇妙な出土品

ぼくはこれまで自著で、人間と電気の歴史を簡単に書きました。何冊も本を読み、ぼくなりにまとめてみたものです。しかしこれだけが本当の事実かどうか決定してしまうのはむずかしいところもあるのです。

ぼくはここで、現在アメリカはピッツバーグのバークシャー博物館やドイツのベルリンにある博物館に展示されている奇妙な発掘品についてふれてみたいと思います。 1936年から翌年にかけて、オーストラリア人でドイツ国籍を持つケーニッヒはイラクの首都バグダッドの南西郊外クジュト・ラブアで発掘された花瓶に似た小壷をイラク国立博物館の研究所地下室で気にとめます。それはどのようなものなのか確定することができずに、展示されることなく放置された格好でおかれていました。

わかっていることといえば、クジュド・ラブアの丘にあるパルティア国遺跡(約B.C.250-A.C.650)から出土し、そのもの自体は今からおよそ4500年前までさかのばることができるということでした。

小林健二「ぼくらの鉱石ラジオ」

注意深く観察すると、それらは3つの部分より構成されていました。

高さ15 cmほどの明るい黄色の粘土によって作られた部分と、長さ12.5 cm、直径3.8 cmの銅製の円筒状部分、そして長さ8 cmくらいの激しく腐食した鉄製の棒です。そしてこれらはそれぞれアスファルトによって固定され、銅筒はまさに現代のハンダと同じ錫6:鉛4のものを使用して作られ、その内部の壁には電解液が人っていたと思われる酸化物が発見できました。彼はこれらの事実からこの土製の小壺は電池であったと結論します。その後、この奇妙な出土品は先の出土地から遠くないテル・オマールの古代都市セレウキア遺跡からも出上し、それまで以前にもこれに似たものはやはり付近にあるケシフォンでも出土していたことが確かめられます。

ケーニッヒの一見信じがたいこの推論は世界大戦の後、アメリカのゼネラル・エレクトリック社高圧研究所の電気技師ウィラード・グレイと科学史家ウィリー・レイによって確かに認められ、謎はいっそうの深まりを見せたのです。

ぼくは本文で1796年のヴォルタの電堆が電池のはじめと紹介しました。このことはきっと電気の歴史の教科書にみんな同じように書いであると思えます。そしてそのヴォルタの電池の発明によって電気の世界は魔法から科学へと大きく飛躍を遂げたことも確かなことです。

ですからこの4500年前の電池はめまいのするような物語をぼくらに感じさせてくれるはずです。なぜならそれはその時代に電気を扱うことができるシステムが存在したことを暗に示しているからです。確かにやはり古代エジプトのピラミッドについても、光の全く当たらないその内部の壁から照明に使われたはずの明りの煤が少しも発見されていないことや、 8世紀ころピラミッドに盗掘に入った他国の墓泥棒のリストに装飾品としては奇妙な「長い曲げることのできる透明なガラスの管に束ねた金の糸が入っているもの」があるのは謎のひとつとされています。

これらはいったいなにを意味していたのでしょう。

ぼくたち現代に生きる人間はなにもかも知っているような錯覚をしてしまっているのかもしれないと思うことがあります。そしてその中で可能性を見いだすことより、いろいろな限界を感じ始めているようにさえ見受けられます。

でもどうでしょう。この字宙のどこかでは、ぼくらが全く想像もしていない哲学や美学、科学や自由によって、暮らしを営む知性系が存在するかもしれません。あるいはまたいつかぼくたちも何かの拍子にそんなシステムと遭遇するかもしれません。ぼくはそんなときがきたら彼らの世界に驚くばかりではなく、小さなプレゼントを彼らのために携えておきたいと考えています。

そう、それはもちろん鉱石ラジオです。ぼくはかれらにおもちゃみたいな工作物を手渡して、こんなふうに言うのです。

「ぼくらの世界ではこんな小さな鉱物で電磁波に乗ってくる仲間の心をキャッチするんだよ。信じられるかい?」

ルーマニアKAVNIC産の鉱物を用いた鉱石ラジオ(小林健二自作) W70XD50XH120mm

ルーマニアKAVNIC産の鉱物を用いた鉱石ラジオ(小林健二自作)
W70XD50XH120mm

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

KENJI KOBAYASHI

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