[惑星のこころ、日常のかたち]

ー小林さんの作品は、多種の素材によってあらゆる形態を現しています。視覚的イメージにとどまらず、言葉や音(音楽)というふうに、接する者の五感すべてに訴えかけてくる。作品のイメージの源泉についてまず聞かせてください。例えば一番最初に「かたち」にしようと思ったものは何だったのでしょう。

ぼくは子供の頃、人と交わることが苦手だったんです。どちらかといえば非社会的な性癖だった。遊びといえば博物館に行くのが日常的な行為でしたね。今でこそアンモナイトの化石などが平然と街で展示されているけれど、昔はそれこそ非日常的なものだった。その頃から変わったものが好きで、近所の子みたいに自動車のオモチャを貰っても喜べなかった。好みといえばゴムホースやら管のようなものといった具合で、大人からは何しろ奇妙な目で見られました。そういう意味での疎外感というのは幼い頃からありましたね。

 

生まれた東京新橋界隈で、大好きなゴムホースで遊ぶ子供の頃の小林健二。

生まれた東京新橋界隈で、大好きなゴムホースで遊ぶ子供の頃の小林健二。

展覧会図録[紫の安息-ASTEROID ATARAXIA]の中で小林健二のバックグラウンドが紹介されている。

展覧会図録[紫の安息-ASTEROID ATARAXIA]の中で小林健二のバックグラウンドが紹介されている。小学校低学年頃の小林健二のバイブル。

展覧会図録[紫の安息-ASTEROID ATARAXIA]より。出版:オネビオン現代美術ギャラリー

展覧会図録[紫の安息-ASTEROID ATARAXIA]より。出版:オネビオン現代美術ギャラリー

ところが成長すれば必然的に人と交わらざるをえない。ましてや展覧会など開けばそこはすでに公の場ですからね。当然ながら、かつて親しんだ不思議な時間や空間に接することが稀になってくる。するとそれがまるで故郷のように感じられてくるんです。そんな感覚を表現したいと思っていました。ただし一つのイメージが湧いた時、音楽のようなもの、あるいは言葉、さらに造形の視覚的なイメージが同時に現れてしまうことがよくあるんですが、そうなった時が大変です。非常な苦労を強いられる。

それでも充電と放電でいうなら、ぼくの場合はいつだって放電の状態です。

具体的な「かたち」ですが、単純に子供の頃の記憶をたぐれば、描きたかったのは怪獣や恐竜でした。理由は釈然としませんが、幼い頃の体験で思い当たることはある。ぼくは新橋で生まれたから湾岸で遊ぶことが多く、芝浦まで ザリガニ捕りに行って日の暮れることもあった。入江の沖に島というか中洲があってね。そこだけ海が盛り上がったようで足がすくむほど怖かった。しかし反面、非常に興味をそそる対象として見てもいたんです。恐いと言ってしまうと少し違うかもしれない。得体の知れない、強力な力で引きずり込まれるような感覚だったかな。

ーすると「怪獣」といっても既成のイメージではなく、むしろもっと漠然とした不気味なお化け的物体を指すわけですね。

そうですね。実際の怪獣としては、3歳の頃、日劇で再上映された映画「ゴジラ」を観た時の湧き立つような興奮も鮮明な記憶として残っています。幼かったから、架空の恐竜として姿自体にも惹かれましたが、もう少し突っ込んで考えれば、それも結局はゴジラの背景を形作っているものーゴジラとは、原水爆、つまり人間の作った膨大なエネルギーの落とし子と言う設定ですがー人類の抱える様々な矛盾、人間の奥底に潜む得体の知れないものへの関心や追及心だったのでしょう。

小林健二が3歳の頃、日劇で再上映された映画「ゴジラ」は、彼の創作活動に大きな影響を与えているようだ。

小林健二が3歳の頃、日劇で再上映された映画「ゴジラ」を観たことが、その後彼の創作活動に少なからず影響を与えているようだ。

ー小林さんの場合、素材への物質的な興味が根本的にあったのではないですか?あるいは元来道具好きでそれが高じて作品化されたとか・・・・

素材があるから作ったのか、作りたいイメージのために素材が出てくるのか、これは道具に関しても同様で、いつでもそれは同時です。お互いが引き合うように。だからと言ってすべてうまくいくとは限らない。時間や予算、あらゆる物理的条件の相違に左右されることが多いから。ぼくがたくさんの道具や工具を持っているといっても、石や鉄を切る時には物質と物質との軋轢(あつれき)が必ず生じるものです。しかしその無理を押してまで目的の形にしたいという欲求があれば、肉体というのはその力に引っ張られていくんです。ぼくは嫌というほどそれを味わってきました。

ー小林さんにとってかけがえのないもの、また作品を製作する上での揺るぎない価値観について聞かせてください。

今では街灯のおかげで目を凝らさなければ夜空の星は見えないけれど、かつて夜の風景に星しかない時代があったはずです。その時代の人々がその星空を見上げながら話していたことがやがて神話になった。そして古来の根元的な神秘を証かそうという欲求から生まれたのが科学です。神話と科学が別個のものだというのは、それぞれを単独の学問としてだけ捉えている人の考えかただと思いますね。科学というのは知りたいという欲求とほんの小さな実験から始まることですよね。それを疑うことから出発するものではなく、まずは信じようとする行為の中から生まれるものだと思うんです。ぼくの製作の根底にも、いうまでもなくそういう考えが流れています。ぼくにとってかけがえのないこととは、まずは信じること、そして疑うことなくその遂行に向かうことです。そこにこそ価値が生まれるのだと思います。それとぼくにとって一番大切なのは日常ということです。自分の日常でないものを人に伝えられるとは思わないから。

1993年のメディア記事を抜粋編集しています。

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KENJI KOBAYASHI

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