[ぼくの遊び場]

東京田端新町の中古道具店

東京田端新町の中古道具店

ぼくの遊び場

ぼくは自転車で散歩するのが好きだ。狭々とひしめいている横丁や路地の多いこの町で、その奥にある秘密や夢を散策するのにもってこいだからだ。うろつくところといえば、とかく情報誌や何々ブームにおよそもてはやされてきた街とは対象的な、一見一般的?ではない東京の深いところにある、少なくともぼくにとっては非常に魅力的な町や店なのだ。遠くから友達が来たり、東京案内することあらば、まずそれらの方面へと繰り出すわけだが、思ったよりはるかにマニアックなところばかりでも、それぞれにみんな楽しんでくれるのは、それこそ、この街ならではの風景でもあるからだろう。これを読んでくれている人にも地図など入れて説明したいところだけど、いわば秘密の聖域、探し当てる喜びを分かち合うことにしよう。神田の古本屋街辺りから、その王国への入り口は開けていて、およそ東京中に広がっている。蝶番屋、家具や引き戸の把手ばかりを扱う店、1000種は超えると思われる彫刻刀の店、砥石屋、金槌屋、提灯屋、扇屋、和紙屋・・・鋲螺屋(びょうら)はさまざまななネジを小さな引き出しに整然と並べている。いろいろな油や蝋だけを扱う店、鉱石屋、蝶や化石などの標本屋、電気のパーツやジャンクの店、プラモ屋に理化学器具や壜屋に教材屋、すべてを書き出すことは不可能な、この怪しげな僕の遊び場は、繁華で賑やかな大通りの裏通りや、古いビルの地下などで、時にあっけらかんと、時に曇ったガラス戸の中に、隠れるように息づいている。この街のイメージは、ここで生まれ育ったぼくにとっては、いつも何かごちゃごちゃした奥の方に何かまだ潜んでいる、そんな奥深さを感じさせ続けている。自転車で行ける僕のドリームランドだ。

そんな中でも田端新町の中古機械工具を扱う町は、全体が数十年くらい昔に迷い込んだのではと思ってしまうほど独特な景観を備えている。明治通りを中心にその裏のそのまた裏にまで続き、思わず「えっ?」と立ち止まってしまうことが多々ある。

東京田端新町界隈の中古道具店

ある店では何十トンを越えると思われる大きな、何に使われるかも分からない錆びた鉄のかたまり状?の機械を商い、またある店では、そこ自体がうず高く積まれたスパナ、ペンチ、などの工具の重さで完全にかしいでしまっていたりする。何がここまで詰め込ませたのかとおばさんに聞いてみれば「あたしたちがいなければ、みんなゴミになっちゃうでしょ」と明るく笑う。確かに、それらは新品など一つとて無い、行き場を失った工具ばかりだ。でもその造りの良さや、使っていた人々の気立てを思わせるほどよく使い込まれた逸品が多いことに驚かされる。値段と言えば、安物の新品の5分の1から10分の1。表向きや見せかけの生き方で疲れ切った人たちの裏で、油やほこりにまみれていても、なんと彼らは生き生きとしていることか。こんな事ばかり言っていると、ただの懐古趣味と言われそうだけど、流行という似通った価値観の中で、情報に振り回され、一辺とおりの退屈な話しかできないような人や町より、「つつましさ」「生きがい」「充実」などの言葉と正面切って向かい合えるパワーを持っているのは確かだ。この「ていねいな東京」を知った人なら、東京が庶民によって支えられてきた歴史を持った一地方都市であり、またここを故郷としている人々がいることを理解してもらえる事だろう。

東京田端新町にある中古道具店

東京田端新町にある中古道具店

東京田端新町の大工道具店

東京田端新町の大工道具店

こんな町々の20年後を想う時、何か取り返しのつかないものを失っているという気持ちになってしまう。だからこそ、この街に巡り合えて、その偽りの無い心意気や純情と同じ時代を生きられている事が、ぼくにとっての自慢と誇りなのだ。彼らとの話の途中、グッとくる感じになる事がある。「おばさんのとこいつ休み?」「そうねえ、生きているうちはいつだってあいてるよ。」まさにこの街はいつもぼくを受け入れてくれているのだ。

東京田端新町の中古道具店で道具を見る小林健二

東京田端新町の中古道具店で道具を見る小林健二

文:小林健二(1992)

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KENJI KOBAYASHI

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