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鉱石ラジオの回路とそのはたらき[コイルについて前編]

「超小型実験室型鉱石受信機」小林健二の自作鉱石ラジオ

これは、鉱石ラジオを設計したり実験したりするために必要なだいたいの部品や材料が組み込まれた、持ち運びできる小さな実験室といったふうのものです。上部のガラスケースはステンドグラスの技法で作り、全体は木で作ってあります。この本の板は近所の印刷屋さんの前に積んである、紙を運ぶためのパレットと呼ばれるものをわけでもらいました。プレーナーのかかっていないザラザラの本の板が妙に懐かしい感じで好きなので、見かけよりずいぶんと手をかけで作ったものです。

中には3種類の太さの導線、7種類のコイル、5種のゲルマニウムダイオード、3種のヴァリコン、 10種のコンデンサーとインダクター、 7種20個の鉱石、タンタル、ニッタル、タングステンのワイヤー、雲母板、錫およびアルミ箔、鉱石を手入れするためのアルコール、各種ネジ金具、金属素材、ナイフ、 ドライバー、小型のニッパー、回路図を書き込んだ小さなノート、クリスタルイヤフォン、ツマミ、LC周波数割り出し表、鉛筆、消しゴムなどが入っています。

中心にあるメインコイルは引き出し式になっていて、その奥には秘密データが入っています。窓はプレパラート用の薄いガラスで作り、ノブは昔からある自分の机のものを使いました。底の部分にはコイルアンテナが埋め込んであり、ローディングコイルを用いた引き出し式のアンテナも備えであります。

全体の色は自作したテンペラ絵具で、牛乳から作ったガゼインと孔雀石を粉にしたマウンテングリーンでできています。ぼく以外の人にはあまり意味のない工作に思えますが、ぼくのお気に入りの一つです。ひまがあると少しずつ手を入れたり、また取り外したりして楽しんでいます。

◎コイルができるまで

ガルヴァーニの実験

コイルcoilは日本語では「線輪」と訳されました。今ではほとんど誰も使っていない言葉ですが、まさに導線をぐるぐる巻いたものだというイメージがよくわかります。

コンデンサーのところでライデン瓶について書きましたが、そのような静電気に関する事柄は19世紀の初めのころから病気の治療などを目的としてさかんに用いられました。電気ショックによる筋肉収縮運動にも関心が集まり、医学者や生理学者たちの研究室には摩擦起電機の類が備えつけられていました。

1780年秋のある日、イタリアのボローニア大学の解剖学者ガルヴァーニLuigiGALVANI(1737-1798)の研究室で奇妙なことが起こりました。 1説によれば、彼がカエルの脚の皮をはいだまま外出したとき、彼の妻がたまたま起電機のそばにおいであったメスでその脚に触れたとたん、死んでいるはずのカエルの脚が痙攣したというのです。驚いた妻はガルヴァーニにそのことを知らせました。ガルヴァーニはこのふしぎな電気的現象の研究に没頭してさまざまな実験を繰り返したのち、それまで静電気を「樹脂電気」と名付けていたのに対し、 11年後の1791年に「動物電気」という論文を発表しました。その現象は帯電体に触れるだけでなく、 2つの異なった金属を互いに筋肉の神経に触れさせても起こることをふまえて、電気がカエルの筋肉の中にたまっているからだと結論したのでした。

この論文はある意味でとでも魅力的でした。この時代、生命の本質という謎を解くかぎと考えられていた「生命力」という大問題を扱っていたからです。同じイタリアのヴォルタもはじめはこの論文を信じていたものの、医者でもあった彼はどうも腑に落ちないと考えはじめました。これら一連の実験は何か別の方向を指しているように思われたのです。

やがてズルツァーJohann Georg SULZER (1720-1779)が発見した、亜鉛板と銅板の一端に同時に舌を接触させると刺激を感じるという事実を知り、先の現象の原因をガルヴァーニとは逆に金属の方に求められるとしたのです。やがでこれは1796年に亜鉛板と銅板、そして塩水をしみ込ませた紙とを何層にも重ねてつくられたヴォルタのパイル(堆体)に発展し、数年間実験をつづけた後で1800年に論文として発表し、俗に言うヴォルタ電池として人々に認められたのです。

ヴォルタの電堆

◎磁気作用の発見

こうして科学者たちは、それまでの摩擦などによってつくられる静電気static electricityに加え、導体の中を流れる動電気dynamic electricityを手に入れました。これによってその後30年でつぎつぎと大きな原理が発見され、これらが土台となって近代の電気学が築かれたといっても過言ではないでしょう。

特筆されるのは1820年のデンマークでの一つの発見です。

コペンハーダン大学の物理学教授だったエノンステッドHans Christian OERSTED(1777-1851)が学生たちに電気を熱に変える問題について講義をしているとき、たまたまヴォルタ電池に接続されて電流が流れていた銅線のそばに置いてあった磁針(コンパス)方位計が、通常指すはずの南北とは異なる方向を指していることに気づきました。ところが電流を切ると磁針計はふたたび正常に南北を指すのです。

不思議に思ったエルステッドは研究を始め、電流によって磁気が発生することを明らかにしたのです。

◎磁気誘導。磁界・磁力線

磁界

それは図のように1本の導線のまわりに輸のように発生する磁力線の集まりで、磁界と呼ばれています。やがてアンペールAndre Marie AMPERE(1775-1836)が電流の流れる方向に対してねじを回し入れる向きに発生することを発見し、「右ねじの法則(アンペールの法則)」と呼ばれることになります。これらの磁気に関する発見によって古代から電気と同じように不思議であった磁鉄鉱などの磁力が、電気によって人工的につくりだせることがわかりました。

磁束

1本の導線を束ねたり輪の形にぐるぐる巻いたりすると、回りに発生している磁力線が重なって磁束となり、より強くなってきます。

このような状態の線の輸がコイルであり、このようにして導体を巻いたものの中に鉄などの磁性体を入れると磁力はさらに強まり、俗に言う電磁石となります。

磁気誘導

また図のようにすでに磁石となったものの場合S極はN極とよくくっつきますし、まだ同極どうしは反発します。小さな磁石が2つあってくっつくと、くっついた面のSとN極は全体を1つの磁石とするように磁力線がはじからはじへとつながります。このようなことを磁気誘導というのです。

この磁力線の性質をまとめて書くと、以下のようになります。

1、磁力線の密なところは磁界が強く、疎になるにしたがって磁界は弱くなる。

2、磁力線はN極から出発してS極に戻る。

3、磁力線の両端には必ずS極N極がある。

4、磁力線はゴム紐のような性質があり、長さの方向には縮もうとし、それに垂直な方向には膨張しようとする。

5、同じ極の磁力線は互いに反発し合う。

◎コイルのはたらき

磁力線の量の変化

前にお話ししたように、 1本の導線に電流が流れると図のようにその導線の周囲に磁力線が生じます。導線の形を(a)のように近接して折り返した場合、流れる電流の向きが互いに反対であるので、磁力線もそれぞれ反対方向に生じて互いに打ち消し合います。しかし(b)(C)とだんだんとその中央部を膨らませていくと、線がつくる面積はしだいに大きくなってゆきます。

このようになるとこの間に生じる磁力線はおたがいに助長し合うように働くため、(a)と同じ電流を流しても磁力線がより多く発生します。 このようにコイルに電流を流したとき、それによって発生する磁力線のことをそのコイルの自己インダクタンスと言って、巻線の径が大きければ大きいほど、また巻数が多ければ多いほど、磁力線は多く発生します。

コイルのはたらきー巻く線の径や密度が大きくなるとインダクタンス量もそれにつれて大きくなる 単位はマイクロヘンリー( μH)

自己インダクタンスは通常インダクタンスと言って、記号はコイルと同じLで表します。単位は自己誘導を発見したと言われるヘンリーJoseph HENRY(1797-1878) の頭文字からとったヘンリー(H)で表します。ただ、ヘンリーはとでも大きな単位なので1000分の1のミリヘンリー(mH)あるいは100万分の1のマイクロヘンリー(μ H)などが通常使われます。

また先ほども言いましたが、コイルの中に磁性体等を入れることで磁束密度はとでも増えるので、インダクタンスも大きくなります。

またコイルはその特徴として、コンデンサーとはまったく逆な「直流は通しやすいが交流は通しづらい」という性質を持っています。なぜこのような働きをもっているのか、次に説明してみましょう。

コイルに直流の電源をつないで電流を流したとします。コイルはもともと導線を巻いたものですから、もちろん電流は流れます。ただ最初の少しの間ちょっと電流が流れづらい瞬間があるのです。これはコイルに電流が流れるときにできる磁力線の磁束が、逆にコイルに流れる電流の流れを妨げようとするはたらきがあるためでこれはまた回路の電流を切るときもそのまま流れつづけようとする性質でもあります。

たとえて言えば、重い材質でできた車輪みたいなものがあるとします。その車輪を急に回転させようと思っても重いので、最初すぐは動かないでだんだん速度を上げていくと少しずつ楽に回転するようになります。そして一定の速度を保っているとほとんど抵抗を感じなくなるはずです。ところが止めようと思ってブレーキをかけるように逆向きに力を加えても、今度はなかなか止まってくれません。これがコイルの持っている性質で、このはたらきを逆起電力といいます。ですから直流のように一方向の電流を流した場合、最初と最後にはんのわずか影響があったとしても、流れつづける電流に対してはまったくと言っていいほど影響が(もちろん導線自体が本来もっている抵抗はそれなりにあったとしても)ないように見えるのです。

反対に交流のように向きが時々刻々と変わる電流を流すと、周波数が高くなるにしたがい、だんだんとその抵抗が増してくるのです。ですから直流は通しやすくても交流、特に高い周波数ほど通りにくくなります。

このコイルの周波数によって受ける抵抗を誘導性リアクタンスと言って、記号は(XL)、単位はオームで表します。

コイルのこの性質を説明したついでに、導線などが本来持っている抵抗について少し触れてみたいと思います。銅などの良導体であっても線材や導体には多少抵抗があり、これは超電導体などの抵抗値0(ゼロ)というような特殊な状態ではない場合、コンデンサーをつなぐ線もコイルを形づくるものにもすべて存在しています。

これらは通常直流抵抗と呼ばれます。

また電気回路を設計するときに、電気の流量を制御するために回路上に抵抗体を入れたりすることもあります。抵抗は(R)の記号で表されますが、これはレジスターの略です。その値はレジスタンスという単位でオーム(Ω )で表します。また、その1000倍のキロオーム(kΩ )あるいは100万倍のメグオーム(MΩ )なども使います。

抵抗ーその導体自体が持っている抵抗分 記号R 単位Ω

◎コイルと位相

交流がコンデンサーを通ったときと同じように、交流がコイルに流れるとやはり位相は変化します。ただしこの時はコンデンサーとはまったく逆で、 1/4周期すなわち90° 位相は遅れることになるのです。

なぜそうなるかと言うと先ほど説明したように、コイルに交流の電圧を流そうとするとまったく逆方向に電圧を発生させる逆起電力というものができてしまいます。そのために逆方向の電圧の妨げが停止してから電流が流れはじめるので遅れてしまうのです。

コイルと位相

わかりやすくするために図によって説明します。

①のように交流電圧がゼロから最大までは、コイル内では点線で示すように流れを妨げようとする逆起電力もゼロから最大になるのでまだ電流は流れません。②では交流の電圧が減って、しだいにゼロになるのにともない、逆起電力もしだいにゼロになってゆくので、コイル内に電流が流れはじめます。ゼロになった時点で電流はピークとなります。③のように電圧が今度はマイナスの方へ大きくなってゆくとやはり逆起電力のためにしだいに電流は減ってゆき、しだいにゼロになってゆきます。④マイナスの電圧がピークを過ぎると、逆起電力もピークを過ぎるので、コイル中にしだいに電流が流れはじめるのです。

このようにコイルにかかる電圧よりも電流のほうが山半分すなわち4分の1ずつサイクルが遅れてしまうので、位相が90°遅れるということになるのです。

◎相互誘導

相互誘導

コイルにはもうひとつとでも大事な特徴があります。図のようにコイルが2つ(もしくはそれ以上)磁力線の方向に並んだときに、磁力線によって互いに影響し合うという性質があるのです。図のAのコイルに電流が流れることで磁力線が発生し、その磁界の中にコイルBを入れると、コイルBに磁束が通ることで、コイルBの中にも電圧が発生します。

このように2つのコイルが電気的には切れていても、磁束などによって誘導されることを相互誘導といいます。またその程度は2つのコイルが磁力線の方向で近ければ近いほど、磁界の向きがそろえばそろうほど強くなり、コイルの中を磁性体などでつないだりすれば磁束の密度はより高まり、誘導する値も大きくなります。この値を示すのが相互誘導係数(相互インダクタンス)といって、記号に(M)を用い、単位は自己インダクタンスと同じヘンリー(H)をつかいます。

*近日中にコイルについて後編はアップ予定です。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

KENJI KOBAYASHI

 

鉱石ラジオの回路とそのはたらき[コンデンサー後編]

透明ラヂオ
これは全体的に無色のラジオです。コイルは無色の石英ガラスの筒に銀の導線を使って作りました。ヴァリコンは白雲母の薄片に錫箔を貼り、セルロイドの透明な棒で回転体を作りました。検波器にはピーコックパイライトを使いました。
この鉱物標本は10年ほど前にパキスタンの業者から手に入れたもので、黄鉄鉱の表面がところどころ水色や紫色になっていて、しかも無色の水晶と共生していてとでも美しかったので使ってみたのです。鉱石の台は錫にアンチモンを加えたもので作り、支持体はガラスのカップを使いました。全体は無色の有機ガラスでできていて、有機ガラス板を曲げるのにはあらかじめ型を作る必要があります。また端子やツマミも、導体部分以外は透き通るようにポリエステルなどを使い工夫しました。この受信機を朝早くに聞くと、 とてもわくわくした気持ちになります。

固定コンデンサーの実際

ここで実際に作られたコンデンサーをいくつか見てみましょう。

マイカコンデンサー(固定コンデンサーの中でもマイカを使用したもの)

1745年に原理の発見ともいえるライデン瓶が作られて以来のコンデンサーの歴史の中でも、マイカコンデンサーはかなり古くからあったもので、およそ150年くらい前からつくられています。マイカは他の誘導体にくらべ、シビアに容量を追い込め、また湿度や高周波にも安定しているからです。

日本でも三陽社(日本通信興業KKの前身)が1915年(大正4)には生産していました。よくジャンク屋等で見かける旧式のマイカコンデンサーはいまだにその性能を高く評価され、とりわけアメリカのデュビリア社やサンガモ社製のものは高価でマニアに人気があります。

固定コンデンサーの基本的構造

ヴァリアブルコンデンサーの実際

鉱石ラジオの回路の中で、今までお話ししてきたようなコンデンサー、つまり固定コンデンサーだけではなく、その容量を変化させることができる可変容量蓄電器variable condenser通称ヴァリコンが大切な役割をするのです。コンデンサーの性質を説明したときに「その容量は対向している導体の面積とその導体の間の距離によって決まってくる」と言いました。ですから、その容量を変えたいときにはその大きな2つの要素をいろいろと変えるしくみを考えればいいということになります。

容量変化の要素
1,極板を近づけるほど→静電容量は大
2,極板を遠ぎけるはど→静電容量は小
3,極板の対向面積が大きいほど→静電容量は大
4,極板の対向面積が小さいほど→静電容量は小

まず、2枚の極板のギャップを変化させるために、ねじやスライドによってその距離を変えたり、ちょうど本を開いたり閉じたりするようにしてみたり、あるいはプラスチックのコップにアルミ箔をそれぞれの外側にはりつけ、2つのコップのギャップを変えたりするものがあります。これらは極板の距離を変化させることによって容量を変化させる考えです。

もうひとつの極板の距離を対向面積を変化させるタイプには、引き出しのように極板間に別の極板を出し入れしたりするタイプや筒状の金属パイプをスライドさせるビリーコンデンサーbilli condenserなどがあります。

可変コンデンサーの参考例1

可変コンデンサーの参考例2

初期の頃にはまだ他にいろいろなものがありました。たとえばセルロイドコンデンサーです。

金属のローラーR1と絶縁物のローラーR2とにうすいセルロイドの外側に錫箔をはったものをわたし、R1がそれをまきとったりあるいはまきもどしたりして、極板の対向面積や距離を変えるのです。要は極板の距離と対向面積を変化させればいいのです。容量を変化させるための新しい方法を工作する人がれぞれ考えてみるのも、工作の可能性を広げることにつながると思います。

セルロイドコンデンサー

エアーヴァリコン

エアーヴァリコンは絶縁物として空気を利用したもので、工業的に生産される可変コンデンサーの中で一般的に普及していきました。

それは設計のしやすさ、機械的堅牢性、安定した精度や操作性があげられます。 しかしながら初期においてはいろいろな形や特性のおもしろいものがありました。

エアーヴアリコンの構造

昔の工作の本を見ると、エアーヴァリコンを製作することはあまりないかもしれませんが、決して不可能ではないので、参考までにいくつかの代表的なエアーヴァリコンの羽の形などを図にしておきました。

エアーヴァリコンの静電容量の変化
abCのそれぞれの羽の形は回転軸(ローター)が回転していつたとき、固定軸(ステーター)と交わって作る面積の変化がどのようになるかを示したものです。aではほぼ直線的に容量が変化しますが、 bやCはそれぞれ、同調回路の中で波長なり周波数が直線を示すように容量を変化させるために設計されています。

エアーヴァリコンの羽の形

波長直線形の羽の形
波長直線型の羽の形も当時の設計者の考え方によっていろいろありました。ですからぼくらが固定コンデンサーやエアーヴァリコンを作ったりした時に各人いろいろなものができてかまわないのです。工作の時に参考にしてください。

画像のうち、大きいものは2連ヴァリコン(ギャングヴァリコンとも言う)。
右上は初期のシールドケース入りのもの。あとは単連の豆コン。

画像のうち、左上は真鍮製のため、重さのバランスをとるのにうしろにウエイトがついている。中のものは羽全体が鋳造製。右は四角い羽の変わったもの。

画像のうち、左と中は昔のエアーヴァリコンのポピュラーなもの。右はセルロイドケース入りのエアーヴァリコン。
ほこりが入りにくく安定した作動が望めます。

画像はパッディングコンデンサーpadding condenser。これは半固定コンデンサーの一種で、調整用に使用されるも
のでしたが、これを使った鉱石ラジオも比較的多くありました。まんなかのネジを締めたりゆるめたりすることで導板と絶縁板(マイカ製)の距離を可変し、必要な容量になったところで固定して使用します。

自作バリアブルコンデンサー(マイカ(雲母)と錫箔)

自作のヴァリコンのいろいろ

自作のヴァリアブルコンデンサー

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

KENJI KOBAYASHI

 

 

鉱石ラジオの回路とそのはたらき[コンデンサー中編]

”健二式鉱石受信機-Secret Voice””
秘密のささやきが鉱石のちからをかりてやってくる夜
ケネリー・ヘヴィサイト層(Kenelly Heviside layer)も安定して、ため息のような秘密をきかせる

コンセンサーについて(前回に引き続いての中編です)

静電誘導。電界・電気力線

よく理科の教科書に出てくる実験で、エボナイト棒をフランネルの布でこすると、フランネルの表面から電子がエボナイトの表面に移動してエボナイトは負に帯電し、その反対にフランネルは正に帯電すると言います。またガラス棒と絹布では、逆にガラス棒から電子が移って、ガラスは正に絹布は負に帯電するとも言います。電子がどのように移動していくのかは簡単には説明しづらいのですが、確かに実験上正(+プラス)や負(ー マイナス)に帯電している様子は認められます。この働きを合理的に示すのは電気盆と呼ばれる実験道具で、これによって先ほどのライデン瓶に電荷を集めることもできます。

電気盆の使い方No.1

電気盆の使い方No.2

電気盆の使い方No.3

電気盆の使い方No.4

プラスやマイナスの電子が集まったものを電荷と言い、その正や負の電荷を帯びていることを、正や負に帯電していると言っています。また電荷がその中を自由に動けるものを導体、動きにくいものを絶縁体と言います。金属や海水、人体などは導体で、ガラスや紙、ゴムなどは絶縁体と言われていますが、実際にははっきりと区別ができるわけではありません。絶縁体でもわずかに電荷が移動できるものもあり導体でも電荷の移動に対して抵抗がゼロではないからです。

この電荷の間に働く力(引きつけたり反発したり)の大きさは、両電荷の積に等しく両電荷間の距離の2乗に反比例します。これをクーロン(COULOMB)の法則と言います。簡単に言うと、電荷が大きいほど力が強く働き、近づけば近づくほど急激に強くなるのです。ちょうどこすった下敷きに紙片がすいよせられるとき、あるところまで近づけると急にピュッとくっつくようなことです。

静電誘導

これをもう少し説明すると、図ような導体を絶縁体によってテーブルなどから離したものに、プラスの電荷を帯電させたガラス棒を近づけると導体はガラス棒に引きよせられます。本来絶縁物である紙でも、重量が軽いのでやはり同じように引きよせられます。この時、ガラス棒に引きよせられたもののなかでガラス棒に近い部分にはガラス棒とは逆のマイナスの電荷が現われてくるのです。もともと中和されている状態にあったわけですから、ガラス棒より遠い部分には残ったプラスの電荷がたまります。

これらの正や負の電荷は、帯電体を近づければ近づけるほど強く現われ、引きつけられます。そして帯電体を遠ざけていくと、分離していた電荷は再び中和状態にもどって安定します。この帯電体を近づけたり遠ざけたりすることや、距離が変化しなくても向かい合う導体の帯電によって逆の電荷が現われたり消えたりする現象を、静電誘導と言います。またこのような電気力の働く空間を電界と呼びます。

電気力線 Electric Line of Force
上:異なる電荷は引き合い電気力線が正から出発して負へ向かう
中:ゴムのように引き合うがまた直角の方向へふくらむ性質がある
下:同じ電荷は反発する

電気のこれらの現象は目に見えないので、ファラデーは電気力線electric line offorceというものを便宜上考えていました。

これは以下のような性質があるとされますが、電気の現象を理解するのに役立つと思います。

1.電気力線は密なところは電界が強く、疎になるにしたがって電界は弱くなる

2.電気力線は正の電荷から負の電荷にむかっていると考える。

3.電気力線の両端には必ず正負の電荷がある。

4.電気力線はちょうどゴムの線のように正と負の電荷を引き付ける力を持っている。ただしゴムとは逆に近付けば近付くほどその力は増大する。

5.同じ電荷の電気力線は互いに反発しあう。

コンデンサーのはたらき

それでは、具体的なコンデンサーのはたらきを考えてみることにしてみましょう。コンデンサーとは絶縁物によってへだてられた2つの導体によって成り立っているものです。

コンデンサーの構造図

ほとんどの電気の本には、「コンデンサーは直流電気は通さないが交流電気は通

す」と書いてあります。このことを基本のところから考えてみたいと思います。まず、直流電気と交流電気とは、いったいどのようなものなのでしょうか。

直流の代表と言えば電池などの電流です。電池の中の電気がなくなるまで、15Vの電池なら15Vの電位差のまま(もちろんだんだんと電圧はさがってきますが)電流が流れるわけで、+と―の関係は変わりません。交流の代表はと言えば、いまぼくたちの家庭に来ている電源電流がそうです。

交流と直流
交流:この場合はサイン波 時(t)とともに極性が交番する
直流:+側も一側も電圧(V)が‐定で変化しない

50 Hzの交流とは1秒間に100回正と負を交番している電流のことです。しかし仮に1分に1回ずつ電池の極を換えて電気を流した電流を考えてみると、それでも定義Lは交流ということになりますが、高周波を扱うコンデンサーにとってはそのふるまいは直流とあまり変わりがなくなってしまうのです。

方形波と音声波形
電池(直流電源)の+と―を入れ替えても、 上の方形波の波形は理論上可能である。
1分の長さが1年でも理屈の上では交流であるのだが …
音声の波形は交流である。

また、容量の大きなコンデンサーになると、まったくの直流を流した場合でさえも充電が完了するまでのわずかな時間、電流は流れるわけです。ですから先ほどのコンデンサーの定義については、「直流や低い周波数の電流ほど通しづらく、周波数が上がるにしたがって電流を通しやすくなるもの」と言い直したほうが正確でしょう。ではなぜそのようになるのでしょうか。

コンデンサーのしくみ

コンデンサーの充放電

図のようにコンデンサーに電池をつなぐと、プラスの極板にはプラスの電荷がたまって、向かい合う板には静電誘導によってマイナスの電荷がたまります。

これは先ほど説明した静電誘導によるものです。これで充電ができました。充電が完了すると、もうこれ以上は電流は流れず停止します。ここでスイッチを1から2へ入れ替えてコンデンサーと豆電球をつないでみます。するとコンデンサーから充電した電子が放電し、豆電球を光らせます。もしこのコンデンサーに交流のようにプラスとマイナスが交番する電流を流すとどうなるでしょう。極性が刻々と変わる交流によってコンデンサーは充電と放電をくりかえし、2つの導体の間には絶縁体という本来電流を通さない層があるのにもかかわらず、あたかも電気が流れているように電流が認められます。

パイプの図
本来AとBの水はつながっていないが交番する水圧は互いに水流を伝達し合うー。
ゴムの膜が左からの水圧でふくれたところ
反対の水圧でふくれるだろう部分

それはちょうど上図のような感じだと思います。電流を水の流れ、導線をパイプ、電池を水の入ったプール、豆電球を水車とします。直流の場合、プールから流れ出る水流が直接水車を回していることになります。もし、このパイプの途中をゴムの膜で仕切ると、ゴムがふくらみきるまでは水流は発生してもそれ以上は流れなくなってしまいます。ところがこの水流を交番電流のように交互に向きを変えて流してあげると、水車の動きは一定方向ではありませんが、ゴムの膜によって仕切られているはずの管の中にちゃんと水流がおこっているのです。

ゴムの膜がふくらみきるまで水をためるこのしくみは、コンデンサーの働きを理解するのに役立つたとえだと思います。

このゴムの膜によってためることができる水の量を、コンデンサーが電気をためることができるキャパシティー(容量)だと考えてもらうといいでしょう。これは極板の面積が大きければ大きいほど増大し、そのすきま(ギャップ=GAP)が小さければ小さいほど静電誘導の効果によってやはり増大します。

この容量のことを静電容量といって、通常は単に容量(キャパスタンス)と言いl単位はファラッド(F)で表わします。もっともこれはとでも大きな単位なので、通常はファラッドの100万分の1のマイクロファラッド(μ F)、あるいはそのさらに100万分の1でピコファラッド(pF)という単位を使います。

以上のように、コンデンサーは、直流は通しづらく交流だと通しやすい、それも周波数が高ければ高いほど通しやすい、ということになります。ただし、コンデンサーの容量があまりに巨人である場合は充電に時間がかかりますし、また、あまりに高い周波数に対しては十分にキャパスタンスが得られないこともあるわけです。また容量を稼ぐためにそのすきまを小さくしすぎると、かける電圧が高い場合、スパ―クしたりしてしまいます。もっともそれほどの電圧も電流も使わない鉱石ラジオを製作する上では、あまり関係はありません。

コンデンサーと位相

コンデンサーと位相

コンデンサーには、もう 一つの重要なふるまいがあります。それは充電と放電をくりかえすシステムによって引きおこされます。図のようにコンデンサーに充電や放電が起こると、このコンデンサーを通過した電流のサイクルともとの交流のサイクルとの間に少しずれが生じるのです。

①のように交流電圧がゼロから最大までの間は、コンデンサーには充電のために電流が流れます。電流ははじめはたくさん流れますが、コンデンサーに電気がたまるにしたがって流れは減っていき、電圧が最大の時電流はゼロになります。そして

②では交流の電圧は減ってしだいにゼロになります。すると、コンデンサーの中の充電電圧のほうが高くなるのでしだいに放電をしてゆきます。

③のように電圧がマイナスのほうへ大きくなっていくとこんどは逆の極性で充電され、

④マイナスの電圧がピークを過ぎると充電電圧のほうが圧力が大きいので放電をするのです。

上図に示すように、この交流の1サイクルがちょうど4分の1ずつずれているとおもいます。波形がまったく反対になることを180°位相がずれる(あるいは逆相になる)と言いますが、この場合は4分の1なので90° ずれていると言い、山や谷がそれぞれ前の方にずれてきたようになるので、 90° 位相が進んでいると言います。

*後編も近日アップ予定です。次回ではコンデンサーの実際について紹介していきます。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

KENJI KOBAYASHI

 

 

鉱石ラジオの回路とそのはたらき[コンデンサーについて前編]

鉱石ラジオの構造は基本的に4つの部分に分けることができます。

1,空中線回路…アンテナとアースのことで、電波をキャッチして電流に変えるはたらきをします。(電波を電流に変える)

水の通る管のようなものでどちらが詰まっても流れない。

2,同調回路…たくさんある放送局から聞きたいと思う局の電流をよりわけます。(必要な電流を選ぶ)

低い周波数の電流はコイルから流れてしまい、高い高周波の電流はコンデンサーから流れ落ちる。

3,検波回路…声や音楽の信号を電波の中からよりわけます。(流れの中から音声の成分をよりわける)

流れの中から音声の成分をより分ける。

4,受話回路…声や音楽の信号をイヤフォンなどで耳に聞こえるようにします。

音声成分の流れを音に変える

 

銀河通信社製の鉱石ラジオキットの中でも、「銀河2型」が一番構造が見えているタイプなので、簡単に回路部分を記してみました。(この画像とコメントは「ぼくらの鉱石ラジオ」からの引用ではありません。)

自分なりに鉱石ラジオの製作を進めていこうとすると、鉱石ラジオがどのような構造で、どのようにして作動しているのか、少しでも理解している方が楽しく工作を深めていけると思います。たとえばちょっと変わったラジオを作ってみようと思ったとき、製作上具体的にどのようにして作ったらいいかをイメージしてみる上でも、原理を知っていると役に立ちます。各回路についてもっと後でお話しするとして、電気のふるまいを理解するためにまず簡単な電気の歴史とともにコンデンサーとコイルについて説明したいと思います。

[コンデンサーについて前編]

コンデンサーができるまで

コンデンサーは日本語では蓄電器といいますが、この言葉はすでに電気の世界でももうあまり使用されてはいないようです。コンデンサーcondenserとは通常、製品として作られたものを指しますが、英語でキャパシターcapacitorと言うこともあります。回路図などではCという記号で表わします。コンデンサーの構造やはたらきについては後で詳しく説明するとして、このコンデンサーはどのようにして考え出されたのでしょう。

歴史の本などによれば、古くギリシア時代から、装飾品として愛用される琥珀(樹脂などが化石化したもの)を布でこすると、小さな羽や麦わらなど小さくて軽いものを引きつけることが知られていました。琥珀=エレクトロンerektronはアラビア語で「引っぱるもの」の意で、それはまたペルシア語の「わらを盗む人」などを意味するエレクトラムelectrumに由来するとされています。この謎めいた表現は、ターレスTHALES(BC 640-546)をはじめ当時の哲学者たちの興味を引くものでした。これが歴史にのこる人間が初めにめぐりあった電気現象で、静電気と言われるものです。

下敷きで頭をこすると髪の毛が下敷きに吸いよせられたり、冬など乾燥している日にセーターを脱ぐとパチパチしたりするのもこの静電気です。やがで電磁気学を基礎付けたと言われる物理学者ギルバートWilliam GILBERT(1544-1603)が帯電するものすべてをelectrica(琥珀のようなもの)と名づけ、それがやがで電気electricityの語源となったことはよく知られています。

1660年にドイツのゲーリッケOtto von GUERICKE(1602-1686)によって摩擦起電気が発明されました。やがでこの静電気をなにかの方法で「ため込む」ことができないかと、人々は考えはじめました。1737年にデサグリエJean DESAGLIERS(1683-1744)がガラス管と真鍮によって作られたものに電気を帯電させ、 1795年にクライストEdward KLEIST(?-1748)という人が手にもった薬ビンの中の帯電したくぎにもう一方の手でふれた時につよいショックを感じたと報告しています。

これとは別に、1746年オランダのミュッセンブルークPieter van MUSSENBROECK(1692-1761)がビンの中の帯電した金属をもう一方の手で引き出そうとしたときに彼の助手とともにやはり強いショックを感じたのです。ミュッセンブルークはこのことから、電気をためることができるビンを発明しました。このビンは彼が教授をしていたライデン大学から名前を取って、「ライデン瓶」と呼ばれました。

ライデン瓶とその構造

これはガラスでできた広ロビンの内側と外側に錫の箔を貼り、それぞれから線を引き出し、帯電させたガラスや摩擦起電器から静電気を移し蓄電することができるものでした。これが蓄電器の最初です。

アメリカがまだ英国の植民地だった1752年に、あの有名なフランクリンBenjaminFRANKLIN(1706-1790)の凧上げの実験が行われました。これは雷が摩擦電気の放電現象と同じ自然界の放電現象だと考え、それを確認するためのものでした。それにより彼は翌年、避雷針を発明して落雷の多かった地方の人々を恐怖から少し遠ざけました。この実験に使われたのもライデン瓶でした。しかし、フランクリンの稲妻実験は非常に危険なもので、これにならった何人かの科学者は、この超高電圧の雷によって命を失うはめになりました。たとえばロシアのサンクトペテルスブルクのリヒマンGeorg Willhelm RICHMAN(1711-1753)は、嵐の中で電線を棒の先につけ高く掲げていたとき稲妻に打たれて亡くなりました。

またフランクリンはライデン瓶の内外2つの箔が正反対に帯電していて、放電とは正負の電気が相殺することであると考えました。

このフランクリンの正負電気論は蓄電器による放電実験を広める力となりました。しかしコンデンサーに当たる機器の名称は当時まだなく、電池で有名なヴォルタAllesandro VOLTA(1745-1827)が1782年に平行平板蓄電器を考案し、それをコンデンサーcondenserと名づけたのです。それがぼくたちが使っているコンデンサーの名の出来です。

やがてファラデーMichael FARADAY(1791-1867)が現われ、電気磁気学にとって重要な研究を多数試みました。なかでもコンデンサーとかかわりの深い誘電率や静電誘導をくわしく研究したので、コンデンサーの静電容量を表す単位にファラッドFARADとして名を残しています。ファラデーはこの他にも電磁誘導や発電現象などのたくさんの発見をしていて、日本ではクリスマスの講義をまとめた「ロウソクの科学」という本で広く知られています。

アベ ノレの実験

コラム[不思議な見世物]

当時、このライデン瓶という発明は異常なほどの興味とともに全ヨーロッパに迎えられ、不思議な見せ物として興業的価値も生じました。

たとえばアベ・ノレAbbe Jean-Antoine NOLLET (1700-1770)は、 フランス国王に供覧するためにチェイルリー公園に衛兵180人を連れていき、手をつなぎ合った兵士たちをライデン瓶によって同時に感電させたり、修道僧たちを3キロメートルにわたり 1列に並ばせて一人一人を短い針金で結び、同時に衝撃を与えました。

また、女性を起電機につないで感電させ、男性がキスをすると電気ショックを受けるものや、絶縁されたかどに人を入れて帯電させ、その人が手を近づけると紙きれや綿くずがぴょんぴょんくっついたり、さながら今の超能力手品のようなしかけで人々を驚かせたり喜ばせたりしたのです。

彼は頭がよく演出が巧みで魅力的でしたが、それはすぐれた科学者として静電気の働きをよく理解していたことをあらわしています。一般的には火をつかった手品などに使われて、ラベンダーの香水やエーテルの蒸気にライデン瓶の放電により瞬間的に点火させたりするものが多かったようです。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

KENJI KOBAYASHI

科学と魔法の境が曖昧な時期の発明

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ」筑摩書房
*カバーを外すと、中に不思議な色に発光する水晶の写真。

20世紀の初頭に生まれた鉱石ラジオは、半導体工業の原点となったものだ。原理的には電池などの電源がなくても、電波をキャッチすることができる。

「鉱石ラジオは電気工学の黎明期に誕生したもので、原理は本当には解明されていません。すぐにダイオードができて、研究が途中で放棄されたのです。それっきり、すっかり忘れられてしまいました。」

この本には鉱石ラジオの構造と作り方が実に丁寧に解説されているだけではなく、鉱石ラジオにつながる様々な電気的発見、発明の物語や、通信と社会との関わりの歴史が盛り込まれている。美しいカラー図版で収められた昔の、鉱石ラジオや小林さんのオリジナル鉱石ラジオが眺められるのも楽しい。

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ」より(小林健二の鉱石ラジオのコレクション紹介ページ、何ページかに渡り鉱石ラジオが登場する。)

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ」より(自作の鉱石ラジオの紹介ページ。自作不思議ラジオはまだまだ登場する。)

「構造さえわかってしまえば、単純なものから始めて、複雑なシステムに改良することが可能です。この本を趣味の時間、リラックスすることに生かしてもらえればと願っています。読んでくれた人が、自分の作ったラジオを孫にプレゼントできると言ってくれたのは、嬉しかったですね。」

小林さんはジャンルや技法にとらわれない表現活動を展開してきたアーティストである。人はみな得意不得意があり、たまたま美術の世界に進んだのだという。

「子供の頃から好きでやってきたことは、自分のペースで高めていけるし、関心や思いの幅が広がっていきます。人それぞれにアクセスの手段が違う、いろんな個性の人がうまく組み合わさっていくように、世の中はできているのだと思います。」

しかし、現在の社会は並列ではなく序列によって、人の関係が作られている。

「科学も田んぼの収益も、何もかもが経済原理の中に組み込まれて、弱いものは切り捨てられている。みんな一つの方向しか見ていないけれど、鉱石ラジオはもっと大事なもっと大事なものがあるかもしれないもう一つの視野、違う世界の象徴なのです。」

小林さんの表現は、そうした異なる空間に見るものを誘う。その表現を側面から支える膨大な蔵書の中には、鉱石ラジオが人々の生活の中に生きていた時代の科学雑誌や書物が、ずらりと並んでいた。

「人間と天然を結びつける本質的なものを興味津々で見直していくって、大切だと思います。自然と神秘、魔法の境がなかった時代の先人の経験なんかから、書物や話を通して学べることはたくさんあると思う。」

*1997年のメディア掲載記事から抜粋編集、画像は新たに付加しています。

小林健二自作の鉱石ラジオ

*以下に、小林健二が製作している不思議な作品たちを何点か紹介します。


「秘蜜商会」HIDDEN HONEY COMPANY
木、硝子、電気など 
230X190X220mm 1993
(1990年に制作された「秘密事業部-Secret Division」という作品を1993年に改名して発表。通電すると、窓にうっすらと人影が動き始めることがある)

「磁束界の距離」DISTANCE OF MAGNETIC FLUX FIELD
混合技法 mixed media 140X110X185mm 1993
(173-181一連の作品は、本来複雑に配線され、また多種の実験ができる装置となっており、いくつかの換算表と書物は、その実験を解説するもの)

「大気の中の隠れた電源」ELECTRICAL POWER CONCEALED IN THE ATMOSPHERE
写真、鉛 photograph,lead 650X465X30mm 1999
大気の中の隠れた電源 静かな実験室。人間による発見。 ここへはもう再びもどらないのだろうか? すばらしき変革。 本当はもうこれ以上ほしくないのです。めざましき発展。 只、静かな思いの世界にいたいのです。 1990 データ;6月1989 / 写真;1990

KENJI KOBAYASHI

 

目に見えない世界

目に見えない世界

鉱石ラジオはぼくにとって、目に見えない世界からの通信を人間の五感に伝えるためにある一種の翻訳機といえるかもしれません。鉱石ラジオを形づくる木や金属や鉱物などの物質的手続きによって不可視な意思と疎通をこころみるというわけです。

かつて人間は目に見え、手に触れることができるものを物質と名付け、その物質のないところは単なるからっぽの空間だと考えていました。だから風などのふるまいは人々を不思議がらせました。見ることのできない何かが確かにあって木立を揺らし、そして森をざわめかせる。人はそこに何かのこころを感じたのです。あるいは風を作り出せる意志の存在を感じたのかもしれません。たとえば息を吹くことで炭火を赤くし、灰をとばすことができるようにです。

日本語でも息は生きるに通じるように魂や霊とつながるものとして考えられ、ギリシア語でも息と霊はともにspiritusという同じ言葉で表現されています。

その目に見えない現象は、やがて「風の物質」のしわざとして発見されていきます。たくさんの天才や物好きがこの物質の一連のはたらきを大気層から発掘していき、風は「空気」という物質によって起きるまったく物質的な天然現象と説明されていくのです。

ぼくは今でもときどき本当に風にこころはないのだろうかと思うことがありますが、まして電波となればさらに不思議な出来事です。ぼくは本文中で電波は電気力線が電気的電磁力学的に空間に押し出されたものと説明しましたが、本当はよく分かっていません。それはきっとぼくだけではなく、電子工学が専門の人でさえ、そのふるまいや現象を実験によって確かめたり、理論的に説明することができたとしても、それがそのまま電波の実態をつかんだということになりにくいからなのです。

「音は空気を媒体として伝わるように、電磁波はエーテルを媒質として伝播する」と言われていたのは、それほど遠い昔ではありません。エーテルという言葉は「大空」という意味から出てきたものであり、また目に見えない精霊たちの住む場所のことを指します。

アインシュタインの一般相対論によってエーテル(光素)の存在を認めなくても電磁波である電波のふるまいを説明できるとしたことと、マイタルソンとモーリーの実験によってエーテルの存在が実証できなかったことによって今では否定されているのですが、米来において、あるいはぼくらの知らない天体で、エーテルやそれに準ずる何かの媒体や媒質が宇宙の本質として発見されるかもしれません。

夜になると電離層のおかげで、短波だけでなく中波でも、感度のよくない鉱石ラジオで驚くほど受信感度が上がることがあります。そしてルーズカップラーなどを使用した長波にも対応できそうな鉱石ラジオの実験をしていると、ときおり奇妙な雑音を聞くことがあります。まさかロラン(電波航法による遠距離固定局)を受信したとも思えませんが、 トラック無線や空電でないのは確かなようです。おそらく鉱石ラジオの分離特性のなせるわざで、局間ノイズやハムが重なりうねって聞こえているのでしょう。ただごくまれにそんなノイズを聞いていると、全然思いもしなかった人のことを思い出すことがあります。なぜならあまりにその音がその人の声に似ていたりするからなのです。ぼくは半分ムキになってノイズの中から言葉を聞こうとしていると、いろいろと忘れていた思い出がよみがえってきて、確かに何かの通信を受け取ったような、そんな気持ちになるのです。

小林健二

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より

[前回ご紹介した記事『不思議を感じるこころ』の後編にあたります]

検波器の歴史

1、火花検波器・生理検波器

ヘルツが実験に使用していた電波の信号を検出する装置が、いわゆる検波器の初期のものです。これは火花放電によって発生した電波を共振によって感知するもので、火花検波器と呼ばれたりもしますが、通常は共振器resonatorと言われています。

ヘルツの共振器
この輸はひとつのインダクタンスとみなすことができ、それに共振誘導した電波を高周波電流の放電として検出する。

火花検波器
これらの検波器は、火花を発するものの近くにおいては(実験室内など)電波の到来を感知しても、距離が離れ始めると急にその感度は低下します。

ヘルツが発見した電波を通信に使うことはできないか。彼を含む世界中の科学者たちがこう考えましたが、火花放電による電波と共振器では、通達距離をのばせないことは実験上よくわかっていました。だからといって、よく言われるように彼が通信の実用技術に対して消極的だったというようなことはなく、特に改良の必要のある検波器については、できる限りの実験をしたようです。

そしてかつてガルヴァーニが用いたのと同じ、カエルの脚の筋肉を用いた生理検波器なども考えだしています。

生理検波器
生理検波器は見るからに安定性が忠く、ヘルツも感度がよくまた安定した検波器が現れるまでは無線通信の実現は難しいと考えたのも仕方のないことでしょう。

2、コヒーラ検波器

ヘルツが亡くなる数年前、フランスでブランリーEdouard BRANLY(1844-1940)が金属の粉末を使った検波器を発明します。それまでにも、金属の粉末をガラス製の筒などに封じ込めたもので、そばで放電が起きるとその内部の電気抵抗が変化することは、 イギリスのヒューズDavid Edward HUGHES(1831-1900)によって確認されていました。

ブランリーは、ガラス管にニッケル粉末を入れて封じ、直接これに電流を流しても金属粉体は抵抗値が高いのであまり電流は流れないが、近くで電気花火を発生させると電気抵抗が減り、電流が流れやすくなる現象を発見したのです。

ブランリーのラジオコンダクター(1890年 フランス)

彼は、この抵抗値の高い金属粉体の接触面が、電磁波の影響を受けて変化し抵抗値を下げたためだと考えました。彼はこの検波器をラジオコンダクターradio conductorと名付け、それが今日のラジオの語源になったと考えられています。ちなみにラジオは輻射radiatonからの言葉です。

この実験のことを知ったイギリスのロッジは早速これを改良し、遠い距離からやってくる弱い電磁波を検知できるような敏感なものにして、 1894年、ヘルツの実験回路の検波器として組み込み、成功しました。

ロッジのコヒーラ (1894年イギリス)

彼はこれを金属粉体の個々が高周波電流によって密着cohere も し く は結合するこ とから起こるとして、その検波器をコヒーラcohereと名付けます。

そして、このコヒーラ検波器によってそれまで不可能とされていた無線通信は可能ではないか、という講演をします。偶然にもその講演は、このすばらしい感度の検波器の出現を待ち望んでいたはずのヘルツの追悼講演として行われました。歴史はまるでドラマのように受け継がれてきたのです。しかしもともと学者であったロッジにはそれ以上事業として進めることができないでいるうちに、ロシアにはポポフが、イタリアにはマルコーニが出現します。

3 、デコヒーラ検波器(decohere再びコヒーラな状態に戻す)

ロッジの報告を日にしたとき、ポポフAleksandr Stepanovich POPOV(1859-1905)はロシアで水雷学校の教員をしていました。彼はロッジの装置にアンテナを付け、さらに受信回路に改良を加えました。コヒーラ検波器は感度を高めて電波の到来を知らせるうえでは問題のないものでしたが、一度導通(電気を通す)してしまうと導通しっばなしになってしまい、その後の通信を受け取りません。

そこでポポフは、リレー回路(電磁石のはたらきなどで作用するもの)などによって、一度密着し導通状態になったコヒーラを物理的に叩くことで粉体をもとのバラバラの状態に戻し、再び受信可能にするよう工夫したのです。

ポポフの検波器(1895年 ロシア)

ポポフの無線電信は事業化する可能性の高いものでしたが、彼はアメリカやイギリスの企業からの特許権譲渡や提供申込みを断り、ロシア国内で実現しようとしました。しかし、当時のロシア政府はポポフの発明に対して理解を示さず結局宙に浮いてしまい、無線通信の発達は他国に譲ることとなるのです。そのような理由で、世界の年表にはイタリアのマルコーニGuglielmo MARCONI(1874-1937)が、“無線通信の父”という輝かしい栄誉で語られていても、ポポフはロシアの教科書にだけその功績を称えられています。

ポポフやマルコーニのコヒーラは基本的に新しい発見ではありませんが、マルコーニはガラス管の中の金属粉体の安定性をはかるために中の空気を抜き取ったり、銀製の電極の距離を近づけ、さらにテーパーを付けて作動を確かにする工夫をしました。

マルコーニのコヒーラ(1895年 イタリア)

そして本来科学者というより企業家であったマルコーニは、やがでその資本力によって他の特許や発明を買収し無線電信の世界を独占しようとしますが、その後登場する無線電話についてはその重要性を見誤って出遅れることになります。

4、その他の検波器

いったん密着したり、抵抗値の下がった検波管を叩くことによって元に戻す検波器は、大がかりで部品も多く、また機械的な作動のためときどき故障が起きたりしました。そのため、もっと簡単に復帰できるものとして、いくつかのタイプが考え出されました。

・水銀検波器一形はいろいろありますが、基本的には両極の間に水銀が入れてあり、水銀のまわりを油膜によって絶縁してあるものです。この油膜は非常に薄く調製されていて、電波が到来して高周波電流が発生しているときには油膜が破れて金属どうしが導通しても、電波が止まると自動的に油膜が広がって元の絶縁層になるというものです。この検波器は火花式と同じく高い電圧で受信しないと誤動作が多いので、あまり感度はよくありませんでした。

水銀検波器 ロッジ・ミアヘッド型

水銀検波器 ウォルター型

水銀検波器 カステル式オートコヒーラ

国産の水銀検波器(1904年に浅野応輛氏によって発明されたもの)

・鉄粉検波器一この検波器も自動復帰型の検波器ということになっていますが、機械的震動に弱く、感度もいまひとつだったようです。1907年に発表されました。

鉄粉検波器
1907年に佐伯美津留氏によって発明されたものでコヒーラした後も電波が止むと自動的にデコヒーラすると言われています。

・磁気検波器一ぜんまい仕掛けで動く2つのエボナイト製の滑車が、継ぎ目なく作られた柔らかい鋼のより線を一定の速度で動かしています。この線は、ガラス管強力な磁石を通してアンテナ・アース間に接続されているコイルがあって、さらにその外側に受話器のコイルがあり、その外に強力な磁石がある、 といった構造をしています。この一定の速度で移動するしなやかな鋼線は、常に磁石によって磁化されていて、アンテナ・アース間のコイルに電波の到来とともに電流が流れ、それによって発生する磁界が、線をその時だけ消磁するようになっており、受話器用のコイルがこの磁性の変化を電流に変えることで、受話器から音として検出するというものです。

また、この検出部に小さなインクのついた針と紙のテープを使い、モールス信号などを記録紙に残すことができるものも作られました。これらはマルコーニによって作られ、新しい発明というわけではありませんしまた人仕掛けでしたが、実用的で安定した作動をもっていたので、彼が電信を事業として起こすうえでとでも重要な検波器となりました。

磁気検波器

電解検波器一アメリカのフェッセンデンRunald FESSENDEN(1866-1932)によって1903年に考案された検波器で、無線電話に使用できる最初の実用検波器です。電解液のなかに金属を入れ、その単偏導性を利用したものです。感度もよかったのですが、当時船舶に使用される通信機にとって、この電解検波器は液体を使う構造のため揺れる船上で使用する場合には不都合も多かったようで、世界に普及するよりも早く、その後の鉱石検波器に置き換わってゆきました。

小林健二

電解検波器
フェッセンデン式(1903年)

電解検波器
これはいろいろな型のある電解検波器の一種で電解液がこばれにくいように設計されたものです。

不思議を感じるこころ

 

*「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より編集抜粋しています。この本では、鉱石ラジオの原理と工作編、そして『通信するこころ』という項目に主に分かれて書かれています。その中から鉱石検波器について触れている部分を抜粋し、[ ]の中はこちらで追記しています。画像は古い文献を元に筆者である小林健二が描いています。

*『目に見えない世界の不思議』は小林健二が変わらず今に至り持ち続けているこころです。作品のタイトルから今回の記事に通じると感じたものを、何点かご紹介します。

[風と霊ーWIND AND SPIRIT]
648X925X50mm 1989
oil, soft vinyl on wood

[アストラルとエーテルのヒソヒソ話ーWHISPERING OF ASTORAL AND ETHER]
2200X3000X250mm 1986
wood, cloth, synthetic resin, paper, oil

[IN TUNE WITH THE PAST]
電波石、地球溶液、結晶受話器など
1997中央の透質結晶に針を当てるとイヤフォンから過去の放送が聞こえる受信機で地球上における1920年代以降から昨日くらいのものとなる。

KENJI KOBAYASHI

不思議を感じるこころ

不思議を感じるこころ

1873年、ブラウンが鉱石に単方偏導性unidirectional conductivityを発見して、これがラジオを生み出すきっかけのひとつとなりました。同じ年、電話の発明者となるベルの助手スミスが、セレニウムを電話用の電気抵抗として実験している最中、たまたま窓からはいる太陽光線によって抵抗値が変化することに気がつきます。これはやがてテレビジョンの発明へとつながる光導電セルの最初の発見となりますが、それらはともに時期だけでなく偶然によって発見されたところにも不思議な共通性を感じさせます。

これらはやがで現代の通信事業に対し大きな役割を果たすわけですが、ガルヴァーニやエルステッドそしてヘルツたちの発見がそうだったように、偉大な発見や発明が偶然の出来事をきっかけとして生まれてきたこともまた、 とても興味深い事実ではないでしょうか。

電気や電子、電磁波を扱う世界は他のいかなる場合よりも理論的でまた実証的な側面を感じます。しかし実はこれらの世界ほど偶然によって人類と遅近してきた世界もないのです。そしてこれらの背景にはいつも不思議を感じる実験者たちのこころが存在していたことを忘れてはならないでしょう。ひとしきり姿を現し、その後再び大いなる間の中へ消えていきそうになるちょっとした偶然の出来事を注意深くすくい上げ、見つめ、そして磨き上げてゆく。彼らのその地道な日々の努力を支えていたのはきっと、ほんの一瞬別世界と出会ったという確信だったのでしょう。

子どもの頃、雨上がりの風景のなかに虹を見つけ、まるで異世界から出現したような大きなアーチは、その足下にある町からはどのように見えているのだろうと考えた人も少なくないはずです。

みなさんは最近虹を見たことがありますか? まさか酸性雨によって虹がドロップみたいに解けてしまったなんで誰もいいわけをしたりしないでしょう。

不思議な世界はきっとぼくらのすぐそばで「早く私に気がついて」そんなふうにあなたに話しかけているかもしれません。そしてその奇跡の国へのチケットは決して特権的な方法によって大手するものではなくて、あなたの心の中にいる少年少女たちが、が当たり前に持っている不思議を感じるこころによっていつでも旅立つことができるようにと用意されているのです。

 

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」の巻末に添えられた小林健二のイラスト

 

鉱石検波器[の発明者について]

鉱石のもっている単偏導性unidirectionalという奇妙な性質を最初に発見したのは、[上記しましたが、]ドイツ人のブラウンKari Ferdinand BRAUN(1850-1918)です。 1873年のこと、彼は各種の導体や不良導体の電気抵抗を研究中に、偶然にも黄銅鉱や鉛鉱などのいくつかの金属鉱物の中に、陽極と陰極の当て方の違いで抵抗値が異なるものを発見します。

これはまだ世界に「無線」という言葉ができる前のことですから、翌1874年にブラウンがこのことを発表しても、誰も無線電話に利用することができませんでしたそれから23年後の1897年、ブランリー、ロッジ、マルコーニなどの無電用の検波器はすでに開発されていましたが、無電(無線通信)以上に期待される無線電話の検波器の合理的なものを、世の中は待望していました。

ブラウンはこの年、鉱石検波器理論を発表し、 1901年には鉱石検波器を発明します。そしてその後相次いでいろいろな種類の鉱石検波器が発明、発表されていきます。

[次回に、鉱石検波器以外の検波器を紹介予定です。]

他に受信電流によって生じる熱作用を応用した熱検波器や、長い波長で一時期使用されたチッカー検波器があります。これは、モーターによって高速回転させた板に、たくさんの火花共鳴器のようなギャップを取り付けて、受信電流と同調させることで信号をとり出すものです。

あるいは受信した高周波電流を、一種の電流計(アイントーベン電流計)を通し、その振れに光を当てて壁などに反射させ拡大して、それをフィルムに感光させて記録するという光印字検波器などもありますが、いずれも大がかりであったり、感度が不十分だったりしました。やがで最も信頼性が高い真空管式(2極管)のものが登場し、鉱石検波器にとってかわることになります。

一般的な鉱石検波器

国産の初期の固定式鉱石検波器①

国産の初期の固定式鉱石検波器②
①よりも安価に出来るが安定性に欠ける。

鉱石検波器 ペリコン検波器

鉱石検波器
方鉛鉱のキャットウイスカー型(探り式)

ブランリーによる最も初期の頃の鉱石検波器
おそらくこれは金属の接点による一種のコヒーラ検波器として製作され、実験中に無線電話用の検波器としても使用できることが発見されたのではないかと思います。そしてひいてはそれがキャットウィスカーの考え方を生んだのではないかとぼくは考えています。

[鉱石検波器の]複数の発明者

鉱石検波器はいったい誰によって発明されたのでしょう。

ぼくは本文でドイツのブラウンが1901年に発明したと書きました。しかし東京の大手町にある通信博物館に展示されている年表を見ると、鉱石検波器は1908年(明治41年)日本人鳥潟右一(18831923)の発明ということになっています。確かに昔の日本の文献でもそのように書いてあります。ところがアメリカ合衆国の文献によれば、鉱石検波器はピッカードGreenleaf Whittler PICKARD(1877-1956)が1902年(明治35年)10月16日に発明し、 1906年には製造販売をはじめ、 1908年1月21日に特許を取っています。

また合衆国陸軍大将のダンウッデH.H.C.DUNW00DY(生没年不詳)は通信省を退職後、カーボランダムによる鉱石検波器を1906年に発表しています。早い話が、各国に特許の及ぶ範囲で誰がいちばん早く特許を取得したのかということでしょう。

実験室内での発見が歴史的発見になるというよりは、鉱石検波器などの電子ディバイスは誰があるいはどの国が主権を握るかというようなビッグビジネスにつながるものでしたので、特許をめぐる争いもめまぐるしいものだったと思われます。

事実、ダンウッディはピッカードに1カ月遅れで特許を逃したため、2人は光と影の人生を歩んだようですし、日本で最初に鉱石検波器を研究し、その後鳥潟右一にバトンタッチしたと思われる鯨井光太郎(1884-1935)のこともあまり触れられることはないようです。

おそらくこの1900年前後に世界で同時多発的に鉱石検波器の発明は行われたのでしょう。科学者として原理や理論を発見しまとめ上げていくことより、誰が早く実用性の高いものを発明し事業者として成功するかに、時代は移っていったようでした。

 

小林健二

 

*「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より編集抜粋しています。この本では、鉱石ラジオの原理と工作編、そして『通信するこころ』という項目に主に分かれて書かれています。その中から鉱石検波器について触れている部分を抜粋し、[ ]の中はこちらで追記しています。画像は古い文献を元に筆者である小林健二が描いています。

KENJI KOBAYASHI

現代によみがえる鉱石ラジオ

さぐり式鉱石ラジオをつくる(銀河通信社製鉱石ラジオキット『銀河1型』)

ではさぐり式とはいったいどんなタイプのものかというと、まさに鉱物結晶が目に見える形としてあって、そこに針状の接点をまさに感度の良いところをさぐりながらラジオを聴く、という式のものを言います。

今まで国産で作られたキットは、固定式鉱石検波器と言われる太さ1cm前後、長さ3-5cmくらいの筒状のものなどを使用したものもあったようです。

鉱石ラジオは、やはりこのさぐり式が鉱石ラジオたる醍醐味と言えるでしょう。

1、キットの内容は写真の通りで、サンドペーパーや小さなドライバーも入った完全キットとなっています。オマケにはゲルマニュームダイオオードが付いている説明書も入っているので、基本的にはこのままで組み上がるようになっています。しかしさらに小さめのドライバー(ブラスとマイナス)やハンダゴテ、しっかりとナットなどをしめるためのプライヤーなどがあると組み立てやすいでしょう。

2、作業はまずスパイダーコイルを巻くことから始まります。このスパイダー枠箱のキットの特性部品の一つで、まさに大正時代の製法によって黒色特殊絶縁紙を型抜後、一枚一枚高周波ニスで塗り固め田というもので、ファイバー製のものよりも手製の時代をしのばれるような感じを受けます。
手順や方法については、解説書に詳しく書いてあるので、ここではそこに書いていない部分に絞り、述べてみます。スパイダーコイルを巻くコツはとにかくゆっくりとあぜらず一巻き一巻き、きっちりとつめて巻いていく方が良いでしょう。かといって紙製の枠が壊れ流程力を入れてはいけません。回数を数えて巻くのは結構めんどうなものですが、このキットの場合、巻き切れればいいように設計されているので、お茶でも飲みながら楽しんで巻き上げていけます。方向は右回りでも左回りでもお好きな方をどうぞ。

3、中間のタップになるところは、赤と緑の線を10-15cmくらい絡めてから、また同じように同じ向きに巻いていきます。ゆっくりと同じくらいの速度と強さできっちりと写真のような感じで巻き上げましょう。この赤と緑のエナメル線も懐かしい感じがします。

4、コイルの巻き終わりは穴のある羽のところを1−2回ぐるっと線を回してから穴に通すとしっかりします。巻き始めの線、中間のタップの線、巻き終わりの線が、片方の面(同じ面)に出るようにしましょう。

5、ターミナルを付けます。これらはカラーベークのまさに鉱石ターミナルとかつて呼ばれていたものです。もうあまり見かけません。後ろから裏側で線を絡めるため、取り付けるときあまり固く締めないようにしましょう。(この画像は記事を複写しています)

6、バリコンを付けます。もしこのポリバリコンが金属製のバリコンだったら、まさに昔の鉱石ラジオのパーツが全て揃うところです。しかし今日では難しいでしょう。(銀河通信社では単連のエアーバリコンを使用したキットをいずれ発売予定とか)
ただポリバリといっても、すでに線もハンダ付けされているので工作は楽にできます。コツとしては線はいつも時計回りにターミナルに巻きつけること(締めるときに緩まない)と、線はピンと張らず少々たるむように配線することです。

7、バリコンにシャフトを付けます。この際、右にいっぱい回してしっかりネジ込みます。またネジロックや瞬間接着剤で固定した方がいいでしょう。ただ接着剤はくれぐれもはみ出さないようにしましょう。

8、ツマミを右にいっぱいに回した位置で、ツマミの後ろ側から小さなマイナスのドライバーでネジを締めて取り付けます。もっとしっかり取り付けたければさらに大きめのドライバーを用意して締めた方がいいでしょう。

9、鉱石検波器の鉱石の部分を取り付けます。裏側からナットを締めて付けます。まさにこのラジオの心臓部です。あまり鉱石の表面を素手で触るのはやめます。ここには方鉛鉱が使われていますが、方鉛鉱なら全て感度がいいという事はありません。このキットでは銀を多く含んだ特別に選んだ鉱物を使用しています。またその土台にも特殊な合金を使用して、一つ一つ手作業で仕上げています。

10、さぐり式の探る針はタングステンでできています。画像右上のように仮に取り付け、あとで調整します。

11、10の部分を裏から見たところです。S字の銅線ですでに配線されていたり、ベークのスペーサーでコイルを付ける台としているのがわかります。

12、サンドペーパーでそれぞれの線の端と、赤い線の中間部分の配線をどうするのかよく理解した上で、エナメル線のエナメルを剥がします。色のついたエナメルなので銅の色が出てきたらOKと分かりやすくなっています。

13、スパイダーコイルを取り付けようとしています。大きなワッシャーで挟み、ナットをプライヤーなどでしっかり締め、取り付けてください。

14、配線が終わった状態を裏側から見たところです。線の末はタマゴラグの穴に絡めてあるだけですが、この場合はハンダ付けが必要です。ハンダ付けしない場合は、ナットでしっかり他の線と一緒に強く締め付けてください。

15、タマゴラグの穴に線を絡め付けた後、ハンダ付けをした状態です。

 

16、鉱石ラジオ「銀河1型」完成です。

イヤフォンをつけ、アースとアンテナ(アンテナ1とアンテナ2)は感度の良い方を選んでください。鉱石の感度の良いところを探しながら、またバリコンで多少局の分離もできます。色々楽しんで作り、そしてまた本当の鉱物結晶から音が聴こえてくるような不思議な感覚を楽しんでください。(アンテナとアースについての記事を参考までに下記します)

アンテナとアース

これらは鉱石ラジオに使用される天然鉱物です。左から黄鉄鋼、方鉛鉱、黄銅鉱、紅亜鉛鉱。
ぼくは、自著の「ぼくらの鉱石ラジオ」の中で紅亜鉛鉱が一番感度が良いと説明していますが、とてもバラツキがあって実は一概に言えません。全体的に方鉛鉱が無難だと思います。しかし、このキット中のような感度の良い石ばかりではないと思います。下にあるゲルマニュームダイオードで、昔風の感じのものを選んでいます。銀河通信社の「銀河1型」キットについているものとは異なりますが、鉱石と針の部分につければ、ゲルマラジオに早変わりです。

 

*2000年のメディア掲載記事から抜粋し編集しております。

「オーディオクラフトマガジン創刊号」

KENJI KOBAYASHI

 

 

[鉱石ラジオの時代]+[不思議な鉱石ジンカイト]

[健二式鉱石受信機] 小林氏が作る歴史的には存在しなかった最も原理的な鉱石ラジオ。束ねられた二重絹巻き銅線をコイルとし、白雲母の板に錫箔を貼ったバリコン、そして検波鉱物が共生している水晶などで構成されている。

[健二式鉱石受信機]
小林健二氏が作る歴史的には存在しなかった最も原理的な鉱石ラジオ。束ねられた二重絹巻き銅線をコイルとし、白雲母の板に錫箔を貼ったバリコン、そして検波鉱物が共生している水晶などで構成されている。

[鉱石ラジオの時代]

鉱石ラジオはアンテナとアース、バリコンとイヤフォン、コイルといった、いたってシンプルな材料によって成立する。電池もいらないが、ただ検波可能な方鉛鉱、黄鉄鉱などいくつかの結晶鉱物がなければ聞こえないという、不思議なラジオ。

ー鉱石ラジオは小さいときに作ったりしてたんですか?

「ぼくが小さい頃にはすでに鉱石ラジオのキットなんてなくて、やっぱりゲルマラジオでしたね。それでさえうまく作るとこはできませんでした。歴史的に見てもラジオって無線を傍受したりできるわけだから、戦争時代には抑制されたと聞きます。しかも鉱石ラジオって電源を必要とせずに聞けるわけですから、戦争後にまた鉱石ラジオは売り出されるけど、それらは戦前戦後を通じて固定式という型で、基本的な性格はゲルマラジオをあまり変わらないものと言えるんですね。昭和30年頃からそのゲルマニューム・ラジオにとって代わられるし、テレビ放送まで始まるし、時代は段々とラジオから離れていく。そして小型でアンテナやアースを設置しなくてもよく聞こえる トランジスタ・ラジオも製品化されるわけですしね。」

[PSYRADIOX(遠方放送受信装置)] 1993年以降に登場する作品は、一見アンティークに見えるが、筐体やアンテナ、ツマミなどの各部品、およびコードに至るまで小林健二氏自作による。

[PSYRADIOX(遠方放送受信装置)]
1993年以降に登場する作品は、一見アンティークに見えるが、筐体やアンテナ、ツマミなどの各部品、およびコードに至るまで小林健二氏自作による。

[BLUE QUARTZ COMMUNICATOR(青色水晶交信機)] 内部に閃ウラン鉱(ウラニナイト)が組み込まれており、そこからでる放射線(人体には無害な微量)をガイガーミューラー菅で検知し、それを特殊なフィルターがモールス信号のように変換している。筐体には入りきらないほど大きいはずの水晶がゆっくり回転し、その音とシンクロして白く明滅する作品。

[BLUE QUARTZ COMMUNICATOR(青色水晶交信機)]
内部に閃ウラン鉱(ウラニナイト)が組み込まれており、そこからでる放射線(人体には無害な微量)をガイガーミューラー菅で検知し、それを特殊なフィルターがモールス信号のように変換している。筐体には入りきらないほど大きいはずの水晶がゆっくり回転し、その音とシンクロして白く明滅する作品。

[CRYSTAL TELEVISION(鉱石式遠方受像機)] 中央のウレキサイトの画面に映像が浮かび出る受像機。音声は遠方から聞こえてくる。エジソンが構想していた霊界ラジオならぬ霊界テレビを連想させる作品。

[CRYSTAL TELEVISION(鉱石式遠方受像機)]
中央のウレキサイトの画面に映像が浮かび出る受像機。音声は遠方から聞こえてくる。エジソンが構想していた霊界ラジオならぬ霊界テレビを連想させる作品。

ー短波やハムの世界よりマイナーな訳ですね。

Crystal-Television from Kenji Channel on Vimeo.

「今となっては短波やハムもかなりマニアックだけどね。今でも続けている人たちはいるわけだけど、さすがに鉱石ラジオを作って聞いている人はあまり知らないね(笑)。」

ーゲルマニューム・ラジオや真空管ラジオの前に、鉱石ラジオしかない時期があったんですか?

「いや、逆に真空管ラジオの方が早いんです。ただ鉱物い検波作用があることが発見されたのは放送局ができる前だから、それが後で鉱石ラジオとして使えることになったわけです。しかもその頃はクリスタル・イヤフォンなんてなくて、それはトランジスタ・ラジオの頃にできたものですから、鉱石ラジオはハイインピーダンス・ヘッドフォンを使って聞かれていました。だから、鉱石ラジオを クリスタル・イヤフォンで聞くというのは、あまり例の多いことではなかったはずです。

[不思議な鉱石ジンカイト]

「最初に作品として鉱石ラジオを作った時には、鉱石ラジオといえば何か透質な結晶でできたラジオというイメーがありました。しかも蛍石や水晶、方解石とか透明な鉱物が好きだったから、実際に電波を受信する、つまり検波に使われる方鉛鉱とかイメージできなかったわけです。水晶や蛍石でどうやってラジオができるんだろうって思ってました。

それで、調べるとだんだんと本当の鉱石ラジオというものが分かってくるわけですけど、最初のイメージが払拭されるわけではないので、透明な鉱物が頭についたラジオを考えたんです。」

鉱石ラジオという言葉のイメージから小林健二氏が製作した[PSYRADIOX]

鉱石ラジオという言葉のイメージから小林健二氏が製作した[PSYRADIOX]

ー水晶や蛍石みたいな透過性のあるものでは実際は検波できないんですか?

「実際どの鉱物が一番感度がいいんだろうって調べてみたんです。だいたい透明な鉱物に電気が通るって想像つかないですよね。基本的に絶縁体では検波はできないわけだし、電気が通るということは自由電子があるということで、大抵の場合金属光沢を持っているものですからね。

ジンカイトは、まだ ソ連がある頃、ポーランドの亜鉛精製工場の煙突に結晶化して付着していたものを一年に一回カキ落とし、西側に流通させたものだと言われています。逸話何ですけどね。ぼくが買ったのは80年だから、当時は謎の鉱物ジンカイトとして買い求めていたんです。

ジンカイトって紅亜鉛鉱(ZINCITE)と同じスペルなんですね。ジンサイト(紅亜鉛鉱)というのは、ニュージヤージーにあるフランクリン鉱山以外にはほとんど産出されない珍しい鉱物で、紅いのはマンガンが含まれているからなんです。

ジンサイト(紅亜鉛鉱)。アメリカのニュージヤージー州にあるフランクリン鉱山以外にはほとんど産出されない珍しい鉱物で、赤色部分。マンガンが含まれているためこの色になる。

ジンサイト(紅亜鉛鉱)。アメリカのニュージヤージー州にあるフランクリン鉱山以外にはほとんど産出されない珍しい鉱物で、赤色部分。マンガンが含まれているためこの色になる。

その紅亜鉛鉱は鉱石ラジオの検波に使える感度のいいものの一つなんですね。それで、ある日『まてよ、ジンサイト(紅亜鉛鉱)とスペルが同じなら、ひょっとして感度が出るんじゃないの!』と思ったわけ。透過性があって全然似てないけど同じZINCITEなら検波できるかもしれないと。ジンカイトは紅亜鉛鉱と同じ酸化亜鉛なんです。で、ちょっと実験してみると、透明なジンカイトでもちゃんと電気を通すことがわかったんです。ジンカイトは通常入手できるものの中では、唯一、透過性があって検波に使える鉱物ですね。」

透過性のある結晶ジンカイトで通電の実験をしてみる。

透過性のある結晶ジンカイトで通電の実験をしてみる。豆電球が光っているということは、電気がこの不思議な結晶鉱物の中を通っている証拠です。

オレンジ色に透き通ったジンカイトと人工ビスマス(蒼鉛)の結晶検波器。とても感度がいい。

オレンジ色に透き通ったジンカイトと人工ビスマス(蒼鉛)の結晶検波器。とても感度がいい。

赤色のジンカイトと方鉛鉱の検波器。やはり感度大。

赤色のジンカイトと方鉛鉱の検波器。やはり感度大。

 

*2002年メディア掲載記事より一部抜粋編集し、画像は上の二点は記事からの複写、そのほかは新たに付加しております。

KENJI KOBAYASHI

 

[鉱石ラジオを楽しむ]後編

*「無線と実験(1998年2月)」の記事より編集抜粋し、画像は記事を参考に付加しております。

鉱石ラジオの心臓部とも言える鉱石検波器用の鉱物。上段両端は自作のケース入り。

鉱石ラジオの心臓部とも言える鉱石検波器用の鉱物。上段両端は自作のケース入り。

3,

鉱石ラジオの心臓部は何と言っても鉱石検波器です。そして、その主人公はやはり鉱物の結晶でしょう。若い頃に鉱石受信機を作り、しかもそれがさぐり式のように鉱物を外観からも確認できるタイプのものを体験されている方なら、すぐに方鉛鉱や黄鉄鋼といった鉱物の名称が思い浮かぶでしょう。確かにこれらの鉱物は一般的に入手しやすいし、またちょっと採掘や石拾いの経験の持ち主ならば、山歩きの時などに手に入れたことがあると思います。しかしながら、例えば方鉛鉱についていえば、国産のものには銀の含有量が必ずしも多くないので、感度についてはあまり望めないというのが実情です。ただ現在は各地でミネラルショーが行われたりする関係上、かえって昔より確実に入手できるルートも開け、またずっと安価となりました。

方鉛鉱ーGALENA(ガレナ)。フランクリン鉱山(アメリカ)産。 方鉛鉱はハンマーで軽く叩くと、完全な劈開(方向性のある割れ方をする)があるので、サイコロ状に割れます。

方鉛鉱ーGALENA(ガレナ)。
方鉛鉱はハンマーで軽く叩くと、完全な劈開(方向性のある割れ方をする)があるので、このようにサイコロ状に割れます。

もし鉱石検波器を自作しようとして鉱物をお探しになり、ミネラルショーや鉱物専門店にお出かけになるなら、私としては紅亜鉛鉱(こうあえんこう)”Zincite”ジンサイトという酸化亜鉛の鉱物をオススメします。この鉱物は地球上では北アメリカのニュージャージー州のフランクリン鉱山でしか現在は産出しないものですが、安価であるばかりか、感度も飛び抜けて安定しているからです。

紅亜鉛鉱(こうあえんこう)ZINCITEZ(ジンサイト)。北アメリカのニュージャージー州のフランクリン鉱山しか現在は産出しない。

紅亜鉛鉱(こうあえんこう)ZINCITEZ(ジンサイト)。北アメリカのニュージャージー州のフランクリン鉱山しか現在は産出しない。標本の赤い部分がそうです。

もちろん一見そんな特殊な鉱物が手に入らなくても、驚くような感度を期待しなくても良いならば、サビびた針や釘でも検波はできます。ただサビといっても赤サビでは直流抵抗も高く安定しないので、俗にいう黒サビのものでなければ具合は悪いのです。黒サビのついた針はあまり正確な方法ではありませんが、コンロなどで赤く焼いて自然冷却したような方法で用意します。あるいは本当は電池と抵抗体で2ボルト以下のバイアス電圧を印加すると、古くなったカミソリと鉛筆の芯でも優れた検波器を製作できます。

カミソリと鉛筆の芯によって作られた検波器を使った鉱石受信機。1940年代の米国の記事から小林健二が復刻したもの。W148xD98xH40mm

カミソリと鉛筆の芯によって作られた検波器を使った鉱石受信機。1940年代の米国の記事から小林健二が復刻したもの。W148xD98xH40mm

少し風変わりな検波器といえば、表面に金属を蒸着して、アクセサリーの一部とした販売されている水晶やガラス製品、あるいは2本のシャープペンの芯などに縫い針を渡した構造のものでも検波できることがあるのです。検波する原理はダイオードを発明する以前よりアンダーグランドにあったことは歴史的に説明されていて、その原点となるのは鉱石検波器であることは明白なことと思います。(*現在の電気の歴史上あまり重要とされていない)

右は鉛筆の芯とその間に置かれた縫い針とで検波する変わった検波器。(小林製作) 左はおもて面に酸化チタンを蒸着メッキした水晶。小林によると使い方で検波も可能とのこと。

右は鉛筆の芯とその間に置かれた縫い針とで検波する変わった検波器。(小林健二製作)
左はおもて面に酸化チタンを蒸着メッキした水晶。小林によると使い方で検波も可能とのこと。

しかしながらその作動原理ということになると、ダイオードはまさに半導体のPN接合による理論体系の上で製作されており、正孔や自由電子の振る舞いによって淀みなく説明でき流のですが、鉱石検波器及びそれに準ずる検波器については必ずしもこの方法論だけでは説明仕切れないというところがあります。私にはそれもまた鉱石受信機の魅力の一つとなっています。

私としては鉱石受信機全体について虜になった人間として、その魅力についてもっと語りたいのですが、現在オーディオ雑誌である「MJ 無線と実験」誌上であまりくどくど説明するとかえって逆効果になりかねないのでこの辺にしておきましょう。

ゲルマニュームダイオード今昔。下方が比較的新しいもの。

ゲルマニュームダイオード今昔。下から5本目はその上のものと同じで、プラスチックのカラーを外したもの。下方の2本が比較的新しいもの。

米国シルバニア社製のゲルマニュームダイオード。1940年代の製品としてはもっとも初期のものの一つ。

米国シルバニア社製のゲルマニュームダイオード。1940年代の製品としてはもっとも初期のものの一つ。

ただ最後に鉱石ラジオの音について少し述べさせていただくと、それはまさに小さくとも透き通った音なのです。私の製作した鉱石ラジオを聴いた方は、まずみなさん開口一番このことを話されます。「もっと聴きづらいかと思った」。

確かに三球レフレックスや五球スーパーをお作りになった方はハムやフィードバックのノイズがあることを経験されているので、もっと旧式なものだからきっと聴きづらい、と類推されるようです。1987年に製作した「サイラジオ」と名付けた私のラジオにいたってはその「ピー」とか「ギャー」という一連のそれらしい音をトランジスター回路にサイリスターのノイズを入れるようにして作ったほどです。

もちろん単純にコイルとコンデンサーそして検波器だけで製作した鉱石ラジオは分離特性が悪いため、異局の混信は免れませんし、バリコンを動かしてみたところで、常に他局の放送が被っていて同調器をいじってみたところで主客が入れ替わる程度の分離状態です。

ところがどうでしょう。数分もラジオに戯れていると、少しづつ放送が聴こえてくるではありませんか。頭を冷静にして考えてみるとラジオは特に何も変化はなく、変わっていったのは自分の耳の方だと気づいたのです。無意識のうちにノイズとサウンドの主客が認識されると、自分の中の感性がラジオの足りなかった分離特性を補っていたのです。

小林の生家の全身。当時、神田にあった「蓄晃堂」

小林の生家の全身。当時、神田にあった「蓄晃堂」

これは私がかつてある日の実験中に感じた出来事の一つですが、その時私は昔母や父から聞いたいくつかのエピソードを思い出していました。それは戦争中の話にさかのぼりますが、実家はその頃、新橋で『蓄晃堂』というレコード店を営んでおりました。昭和19年から20年にかけて空襲は本土へ日ごとに多く、また激しくなっていったそんなある寒い朝、家からそう遠くない場所にある日本楽器(現ヤマハ)に直撃弾が落ちのです。その時の空襲は火災は思うほどではないのに空が暗くなったと見上げると、空一面におびただしい楽譜や譜面が飛び交っていたそうです。そしてその現場に当時貴重であったそれらの譜面を一枚でも水や火に当てまいと母たちは走っていった時、まるで嵐のように風に舞い散る現場に着くと、すでに数十人の人たちが早々と防空壕から出てきていて手分けしてそれらを拾い集めていたというのです。母は「この国には本当に音楽好きが多いんだね」と感動し、自分もすぐにその仲間に加わったとのことでした。

その頃本当に物がなくて、入手ルートから粗製のレコード針が入ってくると、空手警報の最中でも情報を知った人々が集まりすぐに売り切れになったそうです。母の自慢はそんな時でも、誰も彼もが一箱づつしか買っていかなかったということでした。ちなみに母がいつも笑って言っていたのは、そのレコード針の箱絵には『RCAのラッパと犬』ではなく「あんな時代だからラッパと招き猫だった」とのこと。まさに音楽が生きるためにあった時代だったのですね。

私がやがてバンドに夢中になった頃「全くSP盤って雑音だらけだね」というと、父はよくそれはお前の耳が悪いからだと言っていました。昔の人は何かと昔を懐かしがる、だから雑音だってここと良いんだと言わんばかりにしか思わなかった私ですが、鉱石ラジオを作るようになってから、少しづつ考えが変わりはじめるようになったのです。

確かに今までの自分はいつの間にか機器にばかり凝ってかえって音楽よりノイズばかりを気にして聴いていたのではないのではと思ったりもしたからです。それ以来、私はあえてノイズを付加したようなラジオを作らない代わりに、ノイズに対してやたら反応する耳ではなくて雑音の海の中の音楽をすくいだし、そして楽しめる耳と心を持ちたいと考え始めたのです。

そしてそれはあの命がけの音楽の時代に生きた、今は亡き父と母から一つの通信を鉱石ラジオによって受け取ったのではないかという、そんな気もしてならないのです。

小林健二

[鉱石ラジオを楽しむ]前編

KENJI KOBAYASHI