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小林健二と鉱物標本

小林健二は海外に旅行するときも、必ず自然史博物館には立ち寄る。ドイツに住んでいる友人を訪ねた時におとずれたボンにある博物館の外観。

小林健二は海外に旅行するときも、必ず自然史博物館には立ち寄る。ドイツに住んでいる友人を訪ねた時におとずれたボンにある資料館の外観。

いつ頃から石を好きになったかって?

うーん、小学校に入ったくらいにすでに石みたいなものは好きで拾っていたんだ。でも、それらは大抵さざれたビンのかけらや色ガラスだったかもしれない。鉱物の標本として少しづつおこづかいを貯めて手に入れたものは、小学校4-5年生頃だったと思う。でも、その時はまだビー玉や、化石と信じていた貝殻なんかと同じように扱っていたよ(笑)。

中学になって神保町の古本屋によく出かけるようになった頃、すずらん通りの中ほどに高岡商店というのがあって、そこで水晶や蛍石なんかを見たり集めたりしていた、あと当時は、上野の国立科学博物館の売店でも鉱物標本は少しずつ充実しはじめていたと思う。でも、今の鉱物フェアのようにカラフルで誰が見ても綺麗な標本って少なかった。

小林健二が中学ー高校生の頃、集めていた鉱物を入れるために自作されたケースと標本たち。

小林健二が中学ー高校生の頃、集めていた鉱物を入れるために自作されたケースと標本たち。

18歳くらいだったと思うけど、千駄木に「凡地学研究所」というのを知人に教えらたのが鉱物標本と離れられなくなったきっかけってことかな。「凡地」は当時細い路地にあって、今にも壊れそうな、靴を脱いで上がる木の階段の2階にあった。そこはぼくにとって夢の世界だった。高価で手に入るものばかりではなかったけど、見ているだけでも許してもらえて、その後溶接のバイトなんかでお金が入ると思わず飛んで行ったりしたよ。そういえば、その頃「凡地」に、黄鉄鉱化したアンモナイトで内側がオパール化した標本があった。生物の有機体が永遠の結晶に置き換わっていたんだ。声も出せずに見つめていたことがあったっけ。

やがて古典画法に興味を持ち始め、藍銅鉱(らんどうこう)や孔雀石、石黄やラピスラズリ、辰砂(しんしゃ)などの顔料鉱物が気になった時期もあって、友人と下仁田まで鶏冠石(けいかんせき)を掘りに行ったりして、やがて13-14年前からツーソンやミュンヘンのようなミネラルショウが日本でも開かれると聞いた時にはワクワクした。

一般の人でも鉱物標本に触れる機会が多くなったのは素晴らしいことだと思う。東京では6月に新宿、12月には池袋でミネラルショウもあるし、楽しみだよね。

どんな石が好きかって?

子供の頃から透質な結晶が好きだったことは今も変わってないけれど、鉱石ラジオをつくるにあたって、元素鉱物や硫化、酸化鉱物などに触れたり、顔料鉱物と出会った時も魅了されたよね。

ぼくは思うんだ。天然の世界にあるものって、どんなものでもそれぞれの魅力を持っていて、きっと彼らを見るぼくらの方が、何かに気づけて出合えたということじゃないのかな。

小林健二

ドイツ・ボンの博物館は、昔(健二が小学ー中学生の時に通っていた頃)の上野にある国立科学博物館の鉱物標本展示室にどこか似ている、と話す。

ドイツ・ボンの資料館は、昔(健二が小学ー中学生の時に通っていた頃)の上野にある国立科学博物館の鉱物標本展示室にどこか似ている、と話す。

ドイツ・フランクフルトの鉱物標本展示室。

ドイツ・フランクフルトの鉱物標本展示室。

ドイツ・ミュンヘンの自然史科学博物館の鉱物標本展示室。

ドイツ・ミュンヘンの自然史科学博物館の鉱物標本展示室。おそらく岩塩か何かなのであろう、さらにドーム型のケースに入れられている標本もある。

ドイツ・デュッセルドルフの資料館の鉱物標本展示スペース。

ドイツ・デュッセルドルフの資料館の鉱物標本展示スペース。

イタリア・ミラノにて。シチリア産の「硫黄」は有名な標本。

イタリア・ミラノにて。シチリア産の「硫黄」は有名な標本。

*1999年のメディア掲載記事から抜粋編集し、画像は新たに付加しています。ミネラルショウに関しては最近は知名度も上がり、多くの愛好家によって画像などもアップされていると思われるので、ここでは省いています。また、文中の「高岡商店」や「凡地」は現在はお店はそこに存在していません。

[鉱物顔料の世界と小林健二]

鉱石ラジオの検波に使える鉱物のいろいろ

[地球に咲くものたち]小林健二の鉱物標本室より

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未知のマテリアルも古典材料もぼくらを豊かにしてくれる

新地球環境学UFO

未知のマテリアルも古典材料もぼくらを豊かにしてくれる

この地球の重い大気の中でさえ、スイスイと飛んでしまう飛行物体があるとしたら、その推進システムへの興味もさることながら、フィジカルな発熱や材料破壊に耐えるボディを作りあげている物質にも、ただならぬものを感じる。しばしば”その手の本”などを見ると、U.F.O.の墜落現場などには「アルミフォイルのような色や厚みで、とても強靭でハサミなどで切ることができず、折り目をつけてもすぐに戻り、跡は消えてしまう・・・。金属のようであるが、角度によっては全くの無色になり、電気的には低電圧では不導体であるが、特殊なダイオードのようにブレークポイントを越えると、急に超電導に変貌する・・・」というような、確かにどう見ても地球上には存在しえないだろうと思える物質が発見されている。しかし、その話だけで誰も見たことのないかもしれないエイリアン・クラフトが絶対アーシアン・クラフトにならないとは限らない。

なぜなら年々「新素材」と言われるものはどんどん開発され、また生産されているからだ(最もそのような特性の物質ができたとしても、それがその飛行物体にどのように関わっているかが分からなければ何にもならないわけだけど・・・)。

「新素材」その言葉は、新しい素材という意味ではあるが、何よりも天然には本来存在していないという意味もあるだろう。チタンやセラミックなどから言われ始め、形状記憶合金、マイスナーエフェクトの極低温システム、最近では、MA法アモルファス、レアアース(メタル)の酸化したイットリウム、ユーロピウム、セリウムやサマリウム、「イーソレックス」などの形状記憶樹脂、ポリサッカロイド可食性フィルム、やゴム・エストラマー、全く枚挙にいとまがない。これらのものが、本当に地球や人間を豊かにしてくれるものであって欲しいと思いたいが、全てがそうでないにしろ、コストダウンのため、とにかく大量に生産し、できてしまったものをその後さあ何に使おう的な背景がないわけではない。必ずしも必然性や、求めることによる発露からではなく、ただテクノロジーが先行し、経済機構に流されているようにも見える。

それはまるで、歩いても行けるところを、いつの間にか早く走ることだけが目的となってしまったリレーゲームのように息つく暇もなく、ただやみくもに苦しそうに走り続けている様を感じてしまう。このようなことは、アートの世界もけっして例外ではない。それがコンセンサスであるとすれば、大衆意識の反映であるのだから、否定することはできずとも、人それぞれの中にある求めるもの、知りたいもの、作りたいものという方向よりは、もうすでにできてしまった機構やシステム、見せ方や方法、というものに機械的に反応している傾向が少しずつでも増えてきているこの国の現状を、寂しく思う人もいるかもしれない。

古典材料を使うことが、内容まで古典的にする必要がないように、新しい材料に目を向けることが、即座に過去を否定することでもないはずだ。U.F.O.を作っているものも、ぼくらの知らないものばかりではないだろう。

UFOと直接に関係しているわけではないが、絵画材料の古典的なものを並べてみた。 ハイテク材料でも面白いものはたくさんあるが、それらはまたいずれご紹介予定。

左からサンダラック、エレミ、ダンマル、マスチック、トラガカントゴム、アラビアゴム、マニラコーパル、シェラック、マダガスカルコーパル、キリン血、コロフォニー、カナディアンバルサム、ベネチアンバルサム。

絵画材料として使用する樹脂のいろいろ。左からサンダラック、エレミ、ダンマル、マスチック、トラガカントゴム、アラビアゴム、マニラコーパル、シェラック、マダガスカルコーパル、キリン血、コロフォニー、カナディアンバルサム、ベネチアンバルサム。

左からドロマイト、アンチモン、リアルガー、オーピメント、アズライト、クリソコラ、シナバー、マイカ、ラピスラズリ、マラカイト。

鉱物顔料のいろいろ。左からドロマイト、アンチモン、リアルガー、オーピメント、アズライト、クリソコラ、シナバー、マイカ、ラピスラズリ、マラカイト。

小林健二

*1990年のメディア掲載記事より抜粋編集しております。

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