未知の世界へのパスポート
航空模型について書かれた本および雑誌は、明治40年代から昭和40年代までとてもたくさん出版されています。大戦中の啓蒙のものもあれば、戦後の科学教育的なものなどいろいろです。また昭和20年代からのプラスチックモデルについても含めると、おびただしい量になります。そこであくまでも簡単なデータと解説にとどめ、その表紙や内容の一部を図版にして少しでも多く紹介し、「模型工作世界」の雰囲気を楽しんでいただければと思います。
大空への憧れー二宮忠八と木村秀政
日本における模型飛行機といえば、二宮忠八氏に始まるのかもしれません。彼が工夫を重ねて作ったカラス型模型飛行機が、夜ひそかに丸亀練兵場で初飛行したといわれるのは、明治24年4月29日のことです。これは西暦1891年のことで、ドイツでオットー・リリエンタールが鳥の飛び方を研究してグライダーを作り、滑空に成功した年であり、アメリカのライト兄弟が「ライト自転車商会」を開く1年前のことです。二宮忠八はその後、必ずしも恵まれた生涯ではありませんでしたが、まさに純粋に飛行するこころを持ちつづけたといえるでしょう。そのように考えるともう一人、日本の航空界で忘れることができないのが、木村秀政です。彼は1904年、ライト兄弟の初飛行の1年後に生まれ、その生涯を飛行機とともに生きたといって過言ではない人生を送りました。1938年にはその設計・開発に当たった通称「航研機」航空研究所試作長距離機によって当時航続距離の世界記録を樹立したり、A-26長距離機によって1940年、その記録を更新したりしました。その後1986年に逝去されるまでYS-11や人力飛行機開発など多方面で日本の航空界とともに歩んだのです。その一方で、彼はまた多くの模型飛行機に関する著述も行っています。
初期の模型飛行機の分類
実際に飛行する模型とは違って、スケールや実感に重点をおいて作る「実体模型」という分野も、飛行機が一般的にこの世に実在するものとして定着し始める大正時代から少しづつ出始めます。たとえば大正2年刊の『新式飛行機の原理および模型製作法』(井関十二郎著)では「模型飛行機は元来二種に区別するが正当である」として、飛ばすことを中心とした「模型飛行機・モデル・オブ・エーロプレーン」と、実用飛行機をそのまま縮小した「飛行機の模型・モデル・オブ・エーロプレーン」を提唱。
また大正4年刊の『模型飛行機之研究』(中川健二著)では「模型飛行機は三種に大別される」として、それぞれ原動力を具えただ飛行するもの(甲種)、原動力を持ち飛行もするが実用飛行機の縮尺でもあるもの(乙種)、そして実用飛行機の縮尺に重点を置いて飛行の能力は具えていないもの(丙種)としています。
同時代においても、グライダーを滑空機、あるいは無発動飛行機として分類しているものもあれば、大正9年刊の『模型飛行機』(安田丈一著)では縮尺と飛行の二種であったりもします。
それらはやがて昭和16年刊『模型飛行機の理論と実際』(山崎好雄著)二おいては、用途からの分類(二種)、型からの分類(四種)、材料と作り方からの分類(六種)、動力からの分類(四種)と模型飛行機が一段と多様化していく様子がうかがえます。
なかにはキリガミ飛行機から軍用実機の試作模型や風洞および強度実験までに数十種におよぶ分類にいたるものまで出てきますが、大戦後になってからの趣味として、それぞれの分野が独立して著者の思い思いの趣向によって著されるようになってきたようです。もちろん現在では飛行機模型も、速度や距離を競うものや滞空記録の競技用やインジェクションやキャスティングによるプラスチックモデルなども考えると、枚挙にいとまはありません。
大戦中に著された銃後学童向けの本についても軍事啓蒙的前書きも多いのですが、不思議とそれらの表紙は明るく、空という未知の世界が少年たちのあこがれの的であったことを反映しているのでしょう。
戦後の模型飛行機界
戦後も昭和20年代では、飛行機模型は戦中の戦争啓蒙思想につながるものとして、しばらくの間、その存在が懸念された時期もありましたが、昭和28年刊『ぼくらの模型機』前書きのなかで「長い戦争のあと、模型飛行機を学校で作ることはいけないように思われていましたが、理科の教科書にさえ、ちゃんと模型飛行機を作ろうと書かれているほどで、どしどし作ってほしいものです。一つの模型飛行機を作ることに、理科や工作やいろいろの勉強のたいせつなもとがたくさんふくまれています。少年の夢をのせたりっぱな模型飛行機があなた方の手で作られることを楽しみにしています。」と著者の実野恒久氏も語っています。
いつのまにか便利な乗物としての飛行機となってしまった感がありますが、その昔あの無限にひろがる空を見つめながら、そんな風景のなかを鳥のように自由に飛翔したいと願った少年や少女たちのこころを喧騒から放たれたところで想ってみるのも、何かと忙しさに追われている現代人にとって無意味なことではないでしょう。
文、小林健二 2003年