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鉱石の結晶を通して遠方の出来事が聞こえてくる

幻のような「鉱石ラジオ」、しかし、現代のテクノロジーの「きっかけ」でもあります。

「ほんと、あれって不思議でおもしろい」と、いつのまにか自分が「鉱石ラジオ」の宣伝マンになっているような気がする。ぼくにとって鉱石ラジオとは、そういう存在です。客観的に捉えていても、素直にほめることができる対象です。

鉱石ラジオとは、回路の一部に鉱物の結晶を用いた受信機(crystal set:結晶受信機)のこと。電池などの電源を必要とせずに、空間に満ちている電波というエネルギーを鉱石の力で感じ取って作動します。20世紀初頭(日本では大正時代の終わり頃)に現れ、我々の生活に定着する間も無く、まるで幻のであったかのように忘れ去られていきました。しかし、現代のテクノロジーを支えるICや半導体のきっかけとなったのも、実は鉱石検波器だった。そう言っても過言ではないと、ぼくは思っています。

鉱石ラジオの検波部は、鉱石に針を当てて電波の流れの中から音声の成分をより分けるというものですが、それがやがてダイオードを構想するきっかけとなり、トランジスターの開発へと繋がっていきます。ところが、そんな鉱石ラジオでも、今となってはほとんど現物に出会うことができません。

英国ブラウニーワイヤレスカンパニー社製の鉱石受信機。1920年もので、BBCマークが入っている。
小林健二「ぼくらの鉱石ラジオ」より

誰もが工作を楽しめるように、ぼくなりの方法で解説してみました。

『ぼくらの鉱石ラジオ』と題した本には、実際に欧米や日本で作られた製品の姿を紹介しつつ、自作のラジオを交えて読者がそれぞれ工作できるように方法を紹介しています。

小林健二「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」

小林健二「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」工作編

銀成硝子検波器(小林健二の自作検波器)
金属の蒸着メッキにより作られるハーフミラーを用いた検波器。銀色にまたは半透明へと移行する質感が美しい。検波できるものは我々の身近にいろいろある。

また、歴史や回路の原理研究編を設けているというのも、この本の特徴です。

例えば、受信の際に同調回路がないと、放送局を選択することができません。そこでコイルとコンデンサーによって同調回路を作る。しかしなぜ、コイルとコンデンサーにより同調し、局を選択する回路ができルノか、・・・こういうことを調べようと思うと、工学の専門書に当たらなければならなくなります。結局、ぼくは文字よりも数字の方が多いような電子工学の本を読むことになりました。読みながら、少しづつ実験していくと、今度は、もっと平易な言葉に置き換えてみたいと思い始めたのです。

もちろん、今思えば、全く見当がつかない世界ではありませんでしたが、この工作編には予想以上に時間がかかってしまいました。

よく鉱石ラジオだと思われているゲルマラジオ(検波回路に鉱物の代わりにゲルマニュームダイオードを使う)については、このぼくも工作体験者でした。ただし、細かな作業がそれほど得意ではなかったし、デンキ屋(実家)のケンちゃんとしては、「ラジオは鳴って当たり前、鳴らなければ修理に出す」という感じで、学校の授業時間でもあまり真面目に作らなかった。そんなこんなで、中学へ入ってからはサッカーに明け暮れたという次第です。

少し遠回りをしたものの、20代になって意外にも音楽の趣味から鉱石ラジオへの道が再び開けてきました。バンド仲間とエフェクター(音質等に変化を与える電子機器)を作ろうと、秋葉原の電子パーツ売り場へ。やがて失敗しながらも、連日の秋葉原参りが続くうち、ついに電気の虜になっていきました。こうした体験を手掛かりに、今回の本について書くことができたのだと思います。

初心者にもわかりやすいようにと、結構苦労して書いた工作編は、ぼくが本当に伝えたいことへの、何らかのきっかけになっているような、そんな気がしています。

 

鉱石標本式受信機(小林健二の自作鉱石ラジオ)
検波できる鉱石を探しつつ思いついた標本箱タイプの鉱石ラジオ。タンタルの金属針を鉱物に触れさせていくと、検波できるものとできない鉱物があることがわかる。

超小型実験室型鉱石受信機(小林健二の自作鉱石ラジオ)
鉱石ラジオを設計したり実験するために必要な部品や教材が組み込まれた、待ち運び可能な小さな実験室。

超小型実験室型鉱石受信機(小林健二の自作鉱石ラジオ)
フロントパネルをはずして中に入っているものを出した時の様子。

超小型実験室型鉱石受信機(小林健二の自作鉱石ラジオ)
引き出しには実験用の鉱物各種。

この世の不思議を体験するため「趣味の時間」のすすめ。

どんなに忙しい人も、ぜひ「趣味の時間」と言える一時を持って欲しい。そして工作する楽しみを知ってもらいたい。取り組んで見れば、誰にもできるんだということを体験して欲しいです。

写真や図を見ながら、擬似的に工作を体験するだけでもいいのかもしれません。それでも、結構くつろいでもらえるはずです。

聞こえるはずのないと思えるものが、聞こえてくる不思議。放送が始まる当初は、本当に「デンパ」などがこの空中を飛んでいるのか、一般の人にとっては不思議極まりないものでした。通信関係の人でも、説明するのは難しかったのかもしれません。また当時は、ラジオはたいそう高価なもので、おまけに聴取料がバカ高い。今の一般家庭に例えてみると、一軒で数万円も払う計算になります。鉱石ラジオは材料さえ手に入るなら、それぞれ工夫して自作できます。その自作のラジオから実際に放送が聞こえて来れば、得をした気分だろうし、それ以上に、すごい感動があったはずです。聞こえるはずのない遠くの声や音が、鉱物というごくありふれて見えるものによって聞こえてくる!

実際に聞いた人たちは、日常の中に何か目に見えない神秘があるのだと感じたのではないでしょうか。

本来の「通信するこころ」を感じるために、目を向けたいものがあります。

本来、通信事業というのは、そのままでは届くはずもない遠くの人に、できるだけ早く言葉や思いを届けたいという純真な心に始まりました。ところが政治や経済に取り込まれるとともに、巨大化していったのです。そして現代においては、便利とうたわれる通信ネットワークという情報の海の中に「孤独の部屋の住人」を生み出し始めているようです。

鉱石ラジオを作ることは、遠くの声をもう一度手元に取り戻し、確信しようとする手段でもあると思います。それは人によっては、果てしない宇宙とか、限りある人生の意味を考えるための、深く尽きない材料を提供してくれるでしょう。とても他愛なく、世の中の確固たる力に比べれば、希薄で壊れやすくもある一つの受信機ですが、そういうものこそ、現在のぼくたちが目を向けるべき大切なこのの一つではないのかと思います。

スピーカーから聞こえてくるはずの音が、ある時聞こえなくなったら、耳を近づけ、ラジオの具合をうかがうでしょう。正常な状態に戻るには、自分は何をすれば良いのか、どうすれば役立てるのか考える。そういう係りの象徴として、鉱石ラジオのことを考えて見てください。こちらが作用しなければ聞こえない。だけど、こちらが係わっていけば、しっかり応えてくれます。

いつか縁あって、あなたが鉱石ラジオに出会うことがあったら、そしてその手にエナメル線やハンダゴテが握られるようになると、次はきっと、今度なぜ電磁波は存在し、また電気とは一体なんなのかを考えるようになるかもしれません。

宇宙の神秘に邂逅する、そのための何らかのきっかけとなることを願って、ぼくは「鉱石ラジオ」のことを多くの人に知ってもらいたく本を書きました。

小林健二

*1998年のメディア掲載記事より抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

*この記事から想起した小林健二作品を二点紹介してみます。

 

「MUSIC IN MIND」小林健二
混合技法 mixed media 135X150X100mm 
(鉛色の箱に耳をあてると、かすかにオルゴールのような不思議な音楽が聞こえてくる)

「WIND OF MIND」小林健二
混合技法 mixed media 440X260X200mm
(上部のラッパ状の部分に耳をあてると、かすかに彼自作のオルゴールのような曲が聞こえてくる)

KENJI KOBAYASHI

鉱石検波器の作動理論

コメットゲルマラヂオ
これはツマミを動かすと中の彗星が動く小さな受信機です。もしあわただしくゲルマラジオの時代が過ぎ去っていかなければ、ブリキのおもちゃの一つとしてこのようなロボット風のラジオも作られたのではないかと思い、作ってみました。

鉱石検波器がどうして作動するのか、当時においていくつか提唱された原理はありましたが、ほとんど解明にいたったものはありませんでした。

ニュートンが万有引力説を提唱する前から、人々は高い方から低い方へとものが落ちることを知っていたように、鉱石検波器の作動理論が不確定であっても、実験的に確かめられた結果から、いろいろな鉱石検波器が作られ、改善されてゆきました。

現在、鉱石検波器の作動のしくみを最も合理的に説明するとなると、やはりゲルマラジオに使われていたダイオードの作動のしくみで説明するのがいちばん近くわかりやすいと思えるので、そのゲルマニウムダイオードについて説明してみたいと思います。

[ゲルマニウムダイオード]

ダイオードdiodeという言葉は真空管時代のなごりで、2極管(整流管)の意味であり、 トライオードtriode(3極管)、テトロードtetrode(4極管)、ペントードpentode(5極管)というように、数列の言葉とオードode(道路)という言葉の合成語です。

画像のうち、下の2本は現行のゲルマニウムダイオード、 下から5本目はその上のものと同じでプラスチックのカラーをはずしたもの。

画像は米国シルヴァニア社製のlN34で、 1940年代のゲルマニウムダイオードの製品としては最も初期のもののひとつです(このlN34は(株)荻原電子製作所の荻原栄助氏より寄贈していただきました)。

天然のゲルマニウムは多くの天然物と同じように不純物を含んでいます。それらを人工的に精製して、イレブンナイン、つまり99.999999999%というようにほとんどゲルマニウムだけと言えるような高純度のものにします。それはダイオードなどに使われる2種類の半導体は、あとから入れる不純物によってその特性を発揮すzるので、元となる元素にすでに色づけがされていると具合いが悪いからです。高度に精製されたほとんど不純物のないゲルマニウムだけの状態を真性ゲルマニウムと呼びます。

ダイオードの記号
ダイオードでは三角の形が示す方向がそのまま順方向となる

ゲルマニウムは図のような原子構造をしていると考えられています。そしてその原子核のまわりには4層の電子がまわっていると考えられ、それぞれの電子は1層目に2個、2層目に8個、3層日に18個、4層目に4個というふうで、このいちばん外の電子の4個は互いに接する原子とかかわって安定な状態をつくっています。

ゲルマニウムの原子構造図

ゲルマニウム原子構造の省略図

真性ゲルマニウムの原子配列

真性ゲルマニウム

この状態では電気を通しても流れません。ですから半導体と言われていても絶縁物と変わらないのです。ところがこのゲルマニウムを熱してゆくと中の電子が少しずつ動きはじめて、電気もそれにつれて流れはじめるようになります。

普通、金属などでは超伝導体を液体ヘリウムで冷やしたりすることからもわかるように、温度が上昇してゆくと抵抗値は高くなってゆくのに、逆にゲルマニウムなどの半導体は抵抗値が下がるのです。

半導体は温度が上がると抵抗値が下がる
半導体があたためられると電子が飛び出し、そこが電子の空席のようになります。するとそこに電子がまた飛び込んで、そこにできた空席にまた次の電子が飛び込みす。そしてBから新たに電子を迎え入れることができます。この場合、電子はB→ Aの方向に動きますが、それとは反対に正孔(ホール)はA→ Bへと移っていきます。そしてそれは電流の方向と等しくなります。このようにして半導体はあたためられると抵抗が下がる性質があるのです。

これも半導体の特徴のひとつです。電気のよく流れる銅や銀などの金属は導体で、ガラスやベークライトなどは絶縁体だから、湿った木やニクロム線のような抵抗値は高いが電気は少し流れるといったものが半導体、というわけではないと言うことです。もっとも、半導体をダイオードとして使うときは、温度を調節しているのではなく、さきほどお話したように、純粋元素に近いゲルマニウムに他の物質を混入することで、電気的性質をもった半導体として生まれ変わるというわけです。

[ゲルマニウムについて]

ゲルマン鉱(germanite)

ゲルマニウムは炭素と硼素の族での最初の金属で、同族の非金属の珪素(シリコン)に似ています。原子番号32、原子量72.59、少し灰色っぽい金属光沢があって脆いものです。南アフリカのナミビアにあるツメブ鉱山などで産出するゲルマン鉱(germanite)に約6.2%ほど含まれます。ゲルマン鉱は等軸晶系の暗赤灰色の鉱物で、

硬度3~ 4、比重4.46~ 4.59、ところどころキラキラした金属色をしています。ゲルマニウムは融点が958℃ ±5℃ で、常温で安定していますが強く熱すると酸化します。

ゲルマニウムは本来第4層の電子は4個ですが、通常は回りからも4個の電子を借りるようにして8個の電子を持つかっこうで安定しています。

ですから普段は自由に動くことができる自由電子がないので、電気を通すことができません。ところが強い光に当たったり、少し暖められたりすると、そのエネルギーによって荷電子のうちいくつかはたたき出されたり、はじかれたりして自由電子と同じ状態へと変化します。そうすることによって、本来流れないはずの電流がわずかでも流れるようになります。

この性質こそが半導体独自の性質といわれています。またゲルマニウムは有機ゲルマニウムとして人体に対する医療として研究されたり、温度によって抵抗値が変化する特性に合わせたグルマニウム抵抗温度計などにも利用されています。

[予告された元素]

炭としての炭素や、鉄や金銀銅などのように日常的に出会う元素もありますし、実験室の中の超常的な状態で一瞬だけ存在する元素もあります。

人間はさまざまな経緯で天然の世界から元素をひとつひとつ発見して名前をつけてきました。しかし中にはちょっと面白い経緯で人間世界に発見された元素もあるのです。ゲルマニウムもそのひとつで、発見される前からすでにその存在が予言されていました。

その存在を予言したのは、元素周期率表の発明で有名なメンデレーフDmitrii lvanovich MENDELEEV(1834-1907)です。彼は自分が作った元素の周期律表から、Si(シリコン)の下段の部分などに、当時まだ発見されていない元素があってそれは隣接する元素の性質と多くの点で類似しているはずだと唱え、その元素をエカケイ素eka-siliconと名づけました。エカとはサンスクリット語で「そのすぐ次にくるnext in order of one」という意味で、周期律表中でシリコンの次に来るということを示していました。確かにこの2つの元素は半導体として現代には欠かすことのできない似た性質のあることは周知のとおりです。

彼は1869年(明治2)3月に「元素の性質と原子量について」という論文で周期律表を発表し、さらに2年後「元素の自然体系と未発見元素の性質を推定するための応用」という論文の中で、 3つの米発見元素を予言したのです。そして彼はその中で、「私があえてこの論文を発表したのは、いつかこの3つの元素のうち1つでも発見されることがあったときに、私が仮定し提起した元素の体系の正しさが証明できると思ってのことである」と語りました。

そしてそれから15年後の1886年、 ドイツのフライベルク鉱山学校の教授ウインクラーClemens A.WINKLERによって発見されたのがゲルマニウムです。

予言された3つの元素は彼の存命中にすべて発見され、彼の考えが確かなものとして世界に認められました。他の2つの元素のエカホウ素eka-boronはスカンジウムSc、エカアルミニウムeka-alminiumはガリウムGaとして発見されました。この3つの元素とも、発見者のルーツと関係の深いゲルマン、スカンジナヴィア、フランスの祖ガリアからその名を取っているのは面白いことです。

[ダイオードの構造と特性]

鉱石検波器ともっと構造が近いダイオードはあるのですが、ここでは通常一般的に説明しやすいように接合型のダイオードを取り上げてみました。

AからBには電気は流しやすいが、BからAには電気を流しにくい。これがダイオードの作用の特性ですが、このようなことはいったいどうして起こるのでしょう。

N型ゲルマニウム

・N型ゲルマニウム

これは真性ゲルマニウムに5価の元素の(つなぎ合う手が5本あるような)物質を少量加えて作ります。たとえば砒素、アンチモン、リンなどがそれで、4価の原子配列の中に入った5価の元素は、どうしても1個だけ価電子が結合しきれず、余るようなかっこうになってしまいます。この余った価電子が自由電子と同じふるまいをし、不安定な電子なので、温めたりしなくても移動しやすく、はじき出されやすくなるのです。

電子は本来(― )の電荷をもっていますから、このN型ゲルマニウムは(― )の電荷が多いので、negativeのNをとってN型ゲルマニウムと呼ばれます。また、この5価の元素たちは、ゲルマニウムに対して電子を与えたわけですから、 ドナーdonor(寄贈者、寄付者)と呼ばれます。

P型ゲルマニウム

・P型ゲルマニウム

これは真性ゲルマニウムに3価の元素(つなぎ合う手が3本ある)の物質をごく少量加えて作ります。たとえば、ガリウム、インジウム、アルミニウムなどで、この3価の元素が4価の元素の中に入ると、どうしても1個分電子の空席ができてしまいます。その部分を正孔(ホール)といいます。正孔は(+)の電荷をもっていて、いつでも自由電子がそこへ入ってくれば受け入れができるような空席を作っているのです。そしてまわりにある共有結合をしているものから電子を奪って、常にホールは埋まりつづけようとしているのです。そして、バトンタッチのように次から次へとホールが移動し、それが電流の方向となります。ですから電子の移動する方向と、電流の向きはちょうど反対になっているのです。この正孔をもつ型のゲルマニウムは(+)の電荷の正孔にゆえんしているのでpositiveのPをとってP型ゲルマニウムと呼ばれます。

また、この3価の元素たちは電子を受け入れるホールをもっているので、アクセプターacceptor(受諾者、受取人)と呼ばれています。

PN接合のはたらき

・P型とN型の接合

さきほどのN型とP型のゲルマニウムを接合させるとダイオードの構造になります。ちょうど図のAのようにダイオードの両端に電圧がかかってぃない状態では、P型の中の正孔も、N型の中の自由電子も、互いにおとなしく平衡状態を保っています。BのようにP側に(+)、N側に(― )の電圧がかかると、P側の正孔は(― )の電圧に引かれてN側へ、N側の電子は(+)の電圧に引かれてP側へ、それぞれの接合部を越えて移動していきます。

この正孔や電子の移動それ自身がまさに電流であったわけですから、電流はたやすく流れることになります。これを「順方向」あるいは「順方向に電圧をかける」と言います。

ところがCのようにP側に(― )、N側に(+)の電圧をかけると、P側の正孔は(― )に引かれ、N側の電子は(+)に引かれ、 ともに反対向きに引かれて、接合部には正孔も電子もなくなってしまいます。その結果、安定した絶縁体としてゲルマニウムの層ができてしまい、電流は流れなくなってしまうのです。これを「逆方向」あるいは「逆方向に電圧をかける」と言います。これがP・N接合の半導体素子であるダイオードのP→ Nは電流が流れるが、N→ Pでは電流は流れないという整流作用のしくみです。理想的なダイオードでは、順方向では抵抗値0(ゼロ)、逆方向では抵抗値∞ (無限大)ですが、実際はそこまでの値にはならず、それぞれいろいろな特性をもったものとなります。

初期のゲルマニウムダィォード
高級なものはセラミックによって守られていたが、ものによっては蝋紙などで包まれていた。そのため外側の湿気などから完全に半導体をすることができず、少々安定性に欠けていたが、 とでも高価だった。

最近のゲルマニウムダイオード
ガラスによって湿気や外気の酸化性のガスなどから内部の半導体のペレットを完全に守っている。十側をアノード(anode 陽極)、一側をカソード(cathode 陰極)と呼ぶ。

ゲルマニウムダイオード(IN34A)の静特性

ゲルマニウムダイオードとシリコンダイオードの順方向特性

理想的ダイオードの特性

[点接触型ゲルマニウムダイオード]

実際、鉱石ラジオに近いゲルマラジオの工作によく使われるのは、点接触型のゲルマニウムダイオードです。この形状はまさに鉱石検波器のキャットウィスカーそのもので、ダイオードでもトランジスターでも今日の半導体製品の源は、まさに鉱石検波器にあり、といった感じです。

小林健二自作の探り式(キャットウイスカー)鉱石検波器

この点接触型のダイオードがなぜ、説明に使った接合型のダイオードよリラジオの検波に適しているかというと、その接点の面積がとても小さいことがあげられます。接する面が大きいと、前にお話ししたように、対向する接合面がコンデンサーとしてはたらき、高周波電流がまわりからどんどん流れ込んでしまって、整流作用がうまくはかどらなくなってしまうことが考えられます。接合型のダイオードのほうが機械的にも安定して接合面も大きいので大きな電流でも流せるのですが、そんなわけで点接触型のダイオードが使われます。

また半導体といえばシリコン製品が有名ですが、ゲルマニウム製品のほうが中波の受信機に適しています。なぜかというと、シリコン製品は逆方向の耐圧や抵抗が高く特性もいいのですが、同時に順方向でもある程度抵抗が大きいので、ゲルマニウムダイオードのほうが感度がよくなるのです。

この点接触型ダイオードが最近の生産現場でどのように生産されているのかは正確にはわかりませんが、初期においてはN型ゲルマニウムの単結晶のペレット(小片)にタングステンなどの細い線の先端を当てて、極めて短時間に大電流を流して製作したようです。

この一連の作業をフォーミング(化成)といって、N型の結晶に一部小さなP型の領城をつくった対向面積の小さいP・N接合のダイオードということになります。

ですから、鉱石に針を立てたキャットウィスカータイプの鉱石検波器とは少々その作動のしくみが違っているのかもしれません。実際、高純度に精製されドナーやアクセプターによって調製された高精度なN型やP型の半導体と比べれば、方鉛鉱や黄鉄鉱にしても、結晶構造をもっていてとでも純粋な鉱物であるようでも、まわりの環境や成分によっても複雑に影響される天然鉱石ですから、まったく同じようなわけではないはずです。

ぼく自身は、 ドイツのショットキーWalter SCHOTTKY(1886-1976)が1938年に発表した「バリア(障壁)理論」の概念と、翌年に提唱した拡散整流理論に興味があります。後者は1947年にアメリカ合衆国のバーディーンJohn BARDEEN(1908-1991)によって矛盾点を指摘され、以後適用されることはありません。しかしその後の純粋半導体はともかく鉱石検波器は、このあたりの理論によって証明できるかもしれないと考えているのです。

前者のバリア概念を簡単に説明すると、これは半導体の表面にタングステンや金などの特定の金属(導体)を接触させると、この接触を取り囲む極めて小さな範囲で、キャリア(正孔や電子など)が少なくなる領城が電位のバリア(空乏層)として現れるというもので、さらにそこに電圧を印加すると、このバリアの部分の電位が下がって電流が流れ、電圧の方向が急に反転しても、すぐには反対方向に流れることができないというものです。

原理をうまく表現することは専門的な問題をクリアしないとできそうにもありませんが、いまや電気を実際に扱う現場において、鉱石検波器がどのような理論で作動していたのかということはもはやそれほど重要ではないと思えます。

でも見ているだけでも美しい結晶が、目に見えない世界でも作用していることを考えるととても興味深く、かならずしも工学的な側面ばかりではない、むしろ詩に通じる世界を与えてくれるかもしれません。そして、それこそが科学の精神ではないかとぼくは考えます。そこから好奇心の視野が広がってゆくことは楽しく、それがまたこの結晶検波器の魅力のひとつであるのは確かなことでしょう。

事実、鉱石検波器の構造が、ダイオードやトランジスターの発想や構造に強く影響を与えたのは周知のことです。そしてそれらはやがでICやVLSIにつながっていったわけです。現代の半導体を中心としたエレクトロニクス産業も、実は急速な発展や変貌の中でいつしか忘れられてしまった鉱物の神秘から始まったといって過言ではないでしょう。

全体的に透明感のある素材で仕上げた自作ラジオ(検波器はフォックストン型のゲルマニュームダイオード使用)

ゲルマニュームダイオードを使用した固定検波器

 

 

*関連した記事を参考までに下記します。

[鉱石式送信機]と[1930年当時の鉱石検波理論]

固定式検波器

 

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

KENJI KOBAYASHI

検波回路について

ー検波回路のはたらき

検波という言葉はあまり聞き慣れない言葉です。英語のdetectという言葉は「見つける」「発見、探知する」などの意で、「検波」というのは専門用語です。「検」という字は「調べる」という意味がありますから、「波を調べる」ということでしょうか。電信の初期には「現波器(げんぱき)」という語も使われていました。

検波回路は、同調回路によってふるいにかけられ選ばれた高周波電流から、次の音声回路によって耳に届く音に変えることのできる低周波信号audio signalを取り出す回路です。そしてこの検波回路に鉱石を使用するのが、まさに鉱石ラジオなのです。「検波detection」あるいは「検波器detector」という言葉の示す内容は、初期の火花放電、無線電信、無線電話などによって必ずしも一定ではありませんが、目に見えない電波を検出して人間に感じさせたり利用したりするうえで、 とても重要なところです。

鉱石検波器のいろいろ

小林健二自作鉱石検波器(従来の鉱石検波器と違い、形状や発想がユニークなので、画像を付加しました)
[天然系検波器]

まずは鉱石の形をそのままに検波器としたものです。ぼくは鉱石の色や形をなるべくそのままに、機能を持たせたいと考えていろいろ実験をしました。実験中はよいのですが、その感度のいい状態を継続して安定させるのはけっこう難しいものでした。

もちろんさぐり式検波器の場合、いかにして針を鉱石の敏感なところにいい接触状態といい圧力をもって安定しつづけるかがいつも問題になります。このようなむき出しの鉱石を使う検波器でいちばん問題となる点は、鉱石自身と導体部分の接点抵抗をいかに小さくし、またそこにコンデンサー成分をなるべく作らないかということです。とりあえずさぐり式の鉱石を固定する方法を用いてハンダで接触面を大きくしようとしても、大きな結品の標本の場合だとどうしても温度の高い状態を長くしないとならないので、その熱が鉱石の感度を下げてしまうらしいのです。

そこでぼくが思いついたのは低融点金属でした。この金属を使うとその熱の問題をクリアできるばかりか作業性も高く、鉱石の表面によくのびてとでもよくくっつき、コンデンサー成分も作りません。なにしろ75℃ 前後で工作できるわけですから、紙などで角型やコーン型にした筒の先を切り、その先をあらかじめあたためた鉱石のうらから当て溶けたものを流し込めばよいのです。

天然系検波器1の検波器はそのようにして作りました。またこの4点のものは結晶の形がおもしろいというだけでなく、本来なら不向きのところがあるのです。たとえば中央上の磁鉄鉱とその下の赤鉄鉱です。磁鉄鉱はもともと検波器の素材のひとつに上げられるものですが、この標本のように天地5 cmくらいのわりに大きなものになるととでも直流抵抗が高くなってしまい、検波どころか電流はほとんど流れてくれません。また赤鉄鉱のほうも同じで、板状結晶のこの標本の場合、埋め込んでしまうわけにもいかないので真鍮の厚い板に低融点金属で接着してあります。

この2つのようなとても高抵抗な鉱石は導体との接着面の面積を大きくしたり、見かけの状態ではわからないように導体の部分が針の接点のところに近くまで寄ることで抵抗を低くして、大きな結晶のままや結晶状態を観察しながら検波することが可能となります。

また左に自然銅、右に入エビスマスの標本を使ったものがありますが、これらは逆にほとんど導体なので検波にはむずかしいタイプですが、このように台に付けておくと、うすい硫酸や修酸、あるいは二酸化セレン(ビスマスの場合)による弱い腐食によって、酸化もしくは亜酸化皮膜ができて、ときとしてうまい整流作用を持つのでそれによって検波をすることもできるのです。

自作鉱石検波器

ー検波器の役割

同調回路で選択された高周波電流は、このままではイヤフォンやヘッドフォンのような音声記号によって耳に聞こえるようにする部分へ直接流しても、音にはなかなかなってくれないのです。

変調された高周波電流
変調された高周波電流を整流してその中に含まれている低周波成分を取り出すことを検波という。
右に示した整流で、 ドの部分が完全にカットされているのは理想的で、鉱石検波器では順方向にも少々抵抗があり、また逆方向にも少し電流が流れるので、 上部は多少頭打ちになり、 ド部の電流によりその分オrち消され、さらに高周波がコンデンサーによって慣らされる分、全体的にさらになだらかになってしまう。
理想的な検波器(整流器)は順方向には抵抗値がゼロに近付けば近付くほど、また逆方向には無限に抵抗値が高ければ高いほど性能(この場合感度)はよくなる。

なぜなら、空中線回路のところで説明するように、電波として空間に飛ばすために音声信けは変調されていて、波形は図のように上下対照のような形になっているからです。このままでは上下の電圧が互いに打ち消し合ってしまい、音にはなりません。仮に音になったとしても、あまりに周波数が高すぎてヘッドフォンの振動板を動かすことができないばかりか、仮に動かせても人間の耳には周波数が高すぎて聞こえません。

そこで下の部分をカットして上の部分だけにして、コンデンサーでさらにそのすき間を埋めることで音声信号を取り出すのです。

[整流とは]
交流の電波を整流器(電流を一方向にしか通さないもの)に通すと下の部分がカットされる。このようなことを整流するという。

さらにコンデンサーを並列につなぐとコンデンサーがちょうどプールのように作用して、脈打つ流れをなだらかにする。コンデンサーの容量が大きければより直流の波形に近づく。

検波器がどのように作られていったのかをお話ししたいと思います。検波器は電波の発見や利用の方法によって、いろいろと変化してきました。

ー電波の発見

ファラデーの生前、「電気磁気学」は決して一般的な語にはなりませんでしたがファラデーが亡くなる少し前に、「電気磁気学」の磁力理論を数学的な裏づけによって証明しようとする人間が現れます。スコットランド生まれの物理学者、マクスウェルJames Clerk MAXWELL(1831-1879)です。

彼は天体望遠鏡で土星などを観察することが好きで、土星の輸は実は数百万の小天体の集まりだ、と結論したりしました。数学を使って1864年から約10年間ファラデーの理論を研究し、電気と磁気は互いに切り離せないもので、これらは光と同じように波となって空間を伝わる性質をもっている、と発表しました。彼はまさに電波(電磁波)の存在を予見していたのです。

マクスウェルは生前、自分が死んだときのために用意した寝棺を毎日覗き込んでいる、と近所の人々に噂をたてられたりしました。それは長さが8フィート(約2.43m)の箱を、光の実験をするのに使用していたためでした。彼はよく実験嫌いの理論家と言われますが、決してそういうわけではなかったようです。ただ、電波の存在を実験によって確かめることは難しく、彼の存命中には彼自身も含め誰もその存在の確証を得ることはできませんでした。電波が空間を伝わってゆく現象は、光の明るさのように目に見えたり、熱線のように肌に暖かかったり、音のように耳に聞こえたりはしません。ですから体験的に人間にはなかなか「感じにくい」ものでした。

やがでマクスウェルが亡くなる年、またしてもバトンタッチをするように、彼の導いた電磁波方程式に関心をもつ青年がドイツに現れます。物理学者のヘルツHeinrichRudolf HERTZ(18571894)です。

1886年、ヘルツは不思議な出来事に遭遇します。ハイデルベルクに近いカールスルーエの工業高等学校で教育に携わるかたわら放電現象を研究中だった彼は、ライデン瓶を使って電磁誘導の実験をしていました。そのときライデン瓶に高圧の電荷を帯電させていたら、過剰に帯電したライデン瓶がスパークしたのです。すると同時に、すでに帯電させて部屋の隅に置いてあったもう一つのライデン瓶がスパークしました。この2つのライデン瓶の間に何か目に見えない力が作用したのは、確かなことでした。

ヘルツの初期のライデン瓶による実験

そしてそれは、電気通信の歴史上、最も偉大な瞬間でもあったのです。

彼は実験を重ねるうちに、この放電をする側とそれを受けて共振する側の間に作用する何かが、反射、屈折、偏光性などの現象が、すべてマクスウェルが予見した理論と 一致することを証明し、 1889年にこのことが発表されると世界は初めてこの目に見えない電磁波の力を知ることになったのです。ファラデーの構想に始まり、マクスウェルの数学によって美しく組みあげられ、ヘルツによって初めて実証されたのです。

[放電とは]
放電現象は+から―に向かって一瞬にして起こるように見えるが、実は図のような
通底した2つの水位の異なる水槽の水が多いほうから少ないほうに流れ込んで何度
となく往復するうちに水位を合わせるように、あるいはまるでギターの弦がはじか
れて振動するように、中和するまでの間電荷が行き来して振動する。この振動数(周
波数)に共振する長さの導体に共振し、それが共振器(検波器)となる

鉱石検波器の作動原理

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

KENJI KOBAYASHI

 

ぼくのすすめたい本

生きていくということは、それ自体が人間にとって宇宙の真理を探っていくことになるのです。

ぼくのすすめたい本のなかに「宇宙をとく鍵」というのがあります。この本では宇宙の力や電磁力といった宇宙のニュアンスを知ることができます。そして、宇宙の真理が、実はどこにもないということに気づくのです。なぜなら、人間が生きていくこと自体が、宇宙の真理を見つけようとしていることだと思うし、人間の無意識の行動が、実は人間自身の感性や精神を探る現象だったりする。全ての謎解きの答えが書いてある本は、一つも存在しないと思います。

ただ、ぼくたちが何も考えないでいたら、地球の形成自体がなくなってしまう。歴史の意味も不必要になってしまうでしょう。BBC科学シリーズのこの本は、古本屋に行けば見つかるので、ぜひ読んでほしい。

宇宙の不思議と同じように、神秘や超能力があります。これらは、人間が本来生きるために備わってきたもののような気がする。人間は生命を維持しようとするがために、自分たちが証明できない能力を持っているはずなんです。これは、不思議でもなんでもなくて、事実、地球上に人間が存在していることからもわかる。

例えば、自分の細胞膜を全部解いていったとしても、自分というものを見つけることは非常に難しいし、感性や精神を取り出すことはできないでしょう。

宇宙というものは、人間や自然が全体の一部であってそれらがその中に存在しているということ。ぼくたちが想像できる善や悪も、この宇宙に、あるいはぼくらの中に持っていることでもあるわけだから。

自然が破壊されていくことが、今、自分には関係のないことではないとの認識も必要かもしれない。

ぼくたちの生命は、ただ単純に存在しているのではなく、過去のいろいろな積み重ねによってあるものだから、それをぼくたちだけで終わらせてしまうことは許されないでしょう。

ぼくたちがなぜ生きているか、なぜ生きようとしているのか。そう問いつづけることは、自分とは何かを探ることに他なりません。答えの出ない問いを、これから先の人たちに送り綱いでいく。それがぼくたちの生きている意味のような気がする。

小林健二(1989)

小林健二

「アンネの童話集」小学館
アンネ・フランク

ナチスの迫害を受けたアンネ・フランクの童話集。この物語には、物事に対する鋭い洞察力が含まれています。人間は、人種で感性に差があるとは思えないし、特殊な状況の中でしか、このような物語が生まれないわけではないと思う。戦争に生きた人の残した形を読み取ることは決して無駄にならないのです。

「空気の発見」角川文庫
三宅康雄

空気の疑問をわかりやすく、多角的に解き明かした科学の本。著者は科学教育が科学史と結びついてなされることを主張する三宅泰雄。本書は、空気をつかむまでに長い苦労があったことをエピソードを交えて優しい文章で語られている。空気の重さや色、窒素や酸素の発見など、40のテーマからなっている。

「星の王子さま」岩波書店
サンティク・ジュペリ
*画像はフランス版

幼い頃手にしたことがある「星の王子さま」は、意外と読んでいない人が多いかもしれません。読んでは見たけれど、感じ取れない人がいるような気がするのです。もう一度読んでみることをお勧めしたい。かつて子供だったことを忘れてしまう大人にならないために、「星の王子さま」は大切な一冊です。

「ゴジラ(初代ゴジラ)」東宝 *書籍ではないですが、小林健二に影響を多大に与えた映画です。

これは怪獣物語ではない。戦争の苦しみと憎しみと悲しみから生まれたゴジラは、実は被害者なのです。つまり「ゴジラ」は反戦の映画だった。海底に眠っていた恐竜が、水爆実験の影響で怪物と化し、東京を襲う。

*ほかにもこの記事の中では、おすすめ映画として「2001年宇宙の旅」をあげています。

*1989年のメディア掲載記事を抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

 

 

鉱石ラジオの回路とそのはたらき[コイル後編]

小林健二設計製作「火星人式交信鉱石受信機(固定L型同調)」

これは手前に件んでいる古風な火星人の腕の先にワイヤーを触れるように握手させると、メッセージが聴取できるというものです。それぞれの腕は基本的にコイルのタップで、しかも小さなインダクターによってあらかじめ局を固定してあります。

前出の蝶類標本型と同じで、これらの受信機のアンテナはあらかじめ決まったものを使用します。他のアンテナを使うとCやLの定数が合わなくなって放送が聞こえなくなることがあるからです。空飛ぶ円盤の中と台の中にコイルがあり、この2つのコイルを可動させることでヴァリオカップラーのようにある程度調整できると考えました。もっとも工作上の外観を重視したため、あまり効果は上がりませんでしたが・・・・。火星人の頭の中には固定式で作った感度のよい検波器が入っています。もし作ってみようと思う方がいたら、ダイオードを用いたほうがよい結果が出ると思います。

画像は自作コイルのいろいろ。左上・ソレノイドコイル、中上・スペース巻コイル、右・ビノキュラーコイル、左下・Dコイル、その右・ソレノイドコイルの一種。

画像は左上・芯のついたラジアルバスケットコイル、中上・ウェーヴコイル、右上・クラウンコイル(小林健二設計と製作)、左下・スポークコイル、中下・スパイダーコイル(大正時代のもの)、右下・ナローバスケットコイル。

画像は左上・シェルフィッシュコイル、右上と左下・オルタネートコイル、中下 ソリッドコイル、右下・レイヤー巻コイル。

ヴァリアブルインタクター

コンデンサーに可変型があるように、コイルにも誘導係数を変化させるものがあります。これには下の画像で示したようにいくつかのタイプがあります。

画像はL・Cチューナー(同調器)。
これはコイルとコンデンサーをあらかじめひとつに組み立てて同調器としたものです。同調する周波数によっていくつかのタイプがありました。

画像はヴァリオメーター(カップラー)の一種。

ヴァリオメーター(カップラー)の一種。
画像は初期の木製のもの。

画像はルーズカップラー。中のコイルを出し入れして相互誘導係数を変化させます。

画像はチューニングコイル。左は小林健二自作。中央は初期のもの。右は現在でも米国で売られているもの。

コイルからタップを出してそれを切り換えるしくみのもの、接点をスライドさせることで変化させるもの(スライドチューナーslide tunerと言います)、これらは主に自己インダクタンスを変化させるものです。

これとは別に相互インダクタンスを変化させるものもあります。並列につないだ2つのコイルの距離や向きを変えることでコイルの結合度を変化させるヴァリオカップラー、また形状はヴァリオカップラーと変わりませんがそれぞれのコイルを直列につないで変化の幅を多くとっているヴァリオメーターなどです。

アンテナコイル

これは本来アンテナのようにラジオのセットの外部に出したりもしますが、基本的にはコイルとして同調回路の一部として考えられるものです。ですから、アンテナコイルをラジオに取り付けた場合、ラジオ内部の同調用のコイルははぶかれることが多いわけです。ぼくが自作した鉱石標本式受信機に応用したコイルもその一種です。

「鉱石標本式受信機」小林健二設計製作

これは検波のできる鉱石を探しているときに思いついたもので、鉱石による検波の違いを確かめようと作ってみたものです。この一見すると古めかしい鉱石標本箱の中には、検波のできる鉱石や電気すら通さない鉱石がいろいろ入っていて、それらにタンタルの金属針で触れていきます。LやCはすでに箱の中の見えないところにセットされていて、 JOAKとFENが聞けるように調整されています。コイルは昔式の紙を貼り合わせシェラックニスを塗った巻枠に、昔若草色だった風に2重絹巻き線を染めて作りました。鉱石の入っている標本箱の底全体には、見えないように厚さ0.1mmの錫箔がしわを付けて敷いであります。またコンデンサーはトリマーと呼ばれる半固定のものと固定のコンデンサーを使いました。単純な発想の受信機ですが、検波を初めて体験する人たちにはとても不思議に見えるようで好評です。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

KENJI KOBAYASHI

鉱石ラジオの回路とそのはたらき[コイル中編]

小林健二の自作鉱石ラジオ「蝶類標本型鉱石式受信機」

蝶類標本型鉱石式受信機

標本の部分は一般的な方法で作ってあり、蝶たちは命を失っても美しい姿をとどめています。ここにはぼくの好きな9つの個体が標本になっていて、このうちのいくつか(全での個体に当てはまる数だけの局を分離できなかったので)は、その個体を貫いている虫ピンに導線を触れることでラジオとして聴取することができるようになっています。虫ピンの裏側には固定したコンデンサーを直列にしたり並列にしたりすることで同調点を決定しています。この構造もそして機構も簡単なものですが、虫ピンに触れながらラジオを聴いているとちょっと不思議な心持ちになります。 トーマス・エジソンが晩年に霊界通信機を構想していたと言われていますが、もしそのような通信機がほんとうにあったとしたら、こんなに儚い有機質があしらってあるかもしれません。

コイルの実際

鉱石ラジオを製作する上で、コイルを自分なりに作り上げるということは、工作上とても大きなところです。どんな形のものを設計したとしても、コイルとしてのいくつかの条件さえ満たしていれば、それなりに機能するばかりか、ときにはとでもすばらしい成績が出たりするのです。

また見た日も立派に作れたりするので、単純におもしろかったりもします。

実際ラジオ受信機の黎明のころにはさまざまな形状のコイルが登場し、中にはとても奇妙なものもあって興味がつきないところです。設計した人の名前や形状から、各人がコイルにいろいろ名前をつけたりしてみるのも一興です。昔のコイル等から代表的なものをいくつかあげてみましょう。

1 、ソレノイドコイル(solenoid-coil 筒線輪)筒状の芯の上に導線を巻いた最もポピュラーなコイルです。また、形は筒状の芯を使っていても、導線の巻き方で性能や特徴、そして名称が異なってきます。以下14までは芯としてはノレノイドコイルと同じものです。

2 、スペース巻コイル(space-wound coil 間隔巻線輪)巻線と巻線の間をあけて巻いたものです。このタイプと区別するために上記のソレノイドコイルを密巻コイル
(tight-web -coil1 密巻線輪)と言うこともあります。

3 、バンク巻コイル(bank winding coil 俵積巻線輪)俵を積むように巻いたコイルで、 2層や3層、4層などの巻き方があります。3層巻きの場合、 三重バンクコイル
(three layer banded winding coil 三層俵積巻線輪)などといいます。

4、 オルタネート巻コイル(alternate wound coil 交互巻線輪)外見はバンク巻と同じですが、 1層巻いたちょうどその上に2層目を巻くという方法で巻いたものです。

5、レイヤー巻コイル(layer winding coil 間層巻線輪)オルタネート巻コイルの層と層の間に紙や布、プラスチックなどを挟み込んで巻いたものです。

6、 逆巻ソレノイドコイル(reversed winding coil 逆巻筒線輪)導線を巻いていってちょうど半分のところから逆向きに巻いたものです。

7、ツイスト巻コイル(twisted pair winding coil 双捻巻線輪)導線を巻く前にすでに捩じっておいてから筒状のものに巻いていきます。

9 、無芯コイル(non-cored coil 無芯塞流線輪)芯を使用しないで導線だけをコイル状に巻きます。たいてい高周波ニスなどで固めてあります。

8 、無誘導式コイル(non-indutive coil 無誘導巻線輪)図に示したように逆巻きのコイルを途中でつなげた巻き方です。

10 、ディーコイル(D-coil D型巻線輪)図のように筒型の芯の中ほどを切り取り互い違いに巻いていくものです。

11、 8字コイル(figure”8″coil 8字巻線輪)図のように2本の筒型の芯にちょうど8の字になるように巻いたものです。

12 、ビノキュラーコイル(blnocular coil ビノキュラ式線輪)8字コイルの2本の芯を少し左右に離したものです。

13、 双眼コイル(double reversed solenoid-coil 双眼式線輪)2本のソレノイドコイルを逆巻きにして並べて合わせたようなものです。

14 、スケルトンコイル(skeleton-form cored coil 骨組巻枠線輪)なるべくコイルが絶縁物に接する部分を少なくするために考えられたものです。たいていスペース巻きにします。

15、 ボードコイル(slab coil 平板巻線輪)四角い板状の枠に巻いたコイル全般をいいます。

16 、スパイラルコイル(flat spiral coil 渦巻線輪)渦巻きのように導線を巻いたもので、外側に支持体をつけます。

17 、スパイダーコイル(spider-web coil 蜘蛛巻線輪)枠板に導線を放射状に、蜘蛛の巣のように巻いたものです。

 

18、 パンケーキコイル(pancake winding coil 平巻線輪)スパイダーコイルとよく似ていて区別しない場合も多いけれど、巻線が交互になっていて板厚が厚いものが多い
ようです。

19 、ラジアルバスケットコイル(radial basket web coil 放射状籠編線輪)籠を編むようにして作るので、このように呼ばれます。

20、 クラウンコイル(crown web coil 王冠巻線輪)これはバスケットコイルに近い巻き方で、ぼくが設計したコイルです。

21、 ダイアモンドコイル(diamond wave coil 大亜編線輪)図のようなコイルで、横から見るとダイアモンド型に見えるのでこの名がついています。

22 、ウェーヴコイル(web winding coil 波形巻繰輪)まるで波うっているように見えるところからつけられた名前です。

23、 スポークコイル(spoke web coil 卓輪巻線輪)車輪状に導線を巻いたコイルです。

24、 パドルコイル(paddle wheel coil 多重車輪巻線輪)図のようにある回数巻くと次の段へいくという巻き方をします。

 

25、 単ハニカムコイル(honeycomb uni lateral web coil 単蜂巣線輪)多層に蜂の巣のように巻かれるので、このように呼ばれます。

26、 複ハニカムコイル(honeycomb duo lateral web coil 複蜂巣線輪)単巻きのハニカムコイルに似たものですが、下の層の導線と上の層の導線がずれるように巻いたものです。

27、ローレンツコイル(Lorenz coil ローレンツ式線輪)デンマークの物理学者ローレンツL .V. Lorenz(1829-1891)が実験に使用したバスケット型のコイルです。

28、ナローバスケットコイフレ(narrow basket web coil 狭籠編線輪)バスケットコイルの一種で5つとばしくらいで密に巻いたものです。

29、ルーズバスケットコィル(loose basket web coil 疎籠編線輪)バスケットコイルの一種で、途中の巻きわくをはずして巻いたものです。

30、レーナンツコイル(Renaz web coil レーナッツ式線輪)レーナッツ社のパスケットコイルの一種で、太めの巻線でゆるめに、 3つとばしくらいで巻いたものです。

31、トロイダルコイル(troidal coil 環状線輪)ドーナッツ状に巻いたコイル。

32、トルソレノイドコイル(torusolenoid coil 環状反転巻線輪)トロイダルコイルを途中より反転巻きにしたもの。Ross Cunn氏の命名。

33 、ディーエックスコイル(D-X coil D-X巻線輪)考え方としてはDコイルの変種です。Dコイルではソレノイドコイルのボビンに切り込みを人れて巻いたのに対して、D-Xコイルは14本の柱の間を互い違いに線を巻いていきながら、半分の7本目からDコイルのように反対側に飛んで巻いていきます。この際、どうしても柱に線がからまない部分がでてきますが、その時は糸などで固定しながら巻き進めます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

34、 ウェーヴリングコイル(wave ling coil 波形線輪)図では偶数になってしまいましたが、実際は奇数で筒状に互い違いに巻いたものです。

このようにコイルの巻き方や作り方はさまざまあって、 一概にどれがよいということはできません。それぞれの日的によって作られているのでこのようにたくさんの形が出てくるのです。たとえばソレノイドコイルのようにぐるぐると線が巻かれてゆくと、導体自身はつながっているにもかかわらず、線と線の間にはちょうどコンデンサーと同じように容量ができてしまい、計算上の値を狂わせるだけでなく、高い周波数の交流を通してしまったりして、いろいろ問題を作る原因になったりするのです。

ですからスペース巻きのように線と線の間を離したり、バスケット巻きのように向かい合う線を少なくしたりする工夫が出てくるのです。コイルについてよく「Qを高くする」とか「Qがいい」という表現を使うのですが、Q(キュー)とはQuality factorの略でコイルの特性を表しています。すなわちコイルのなかに発生するコンデンサー分が少なければ少ないほど、また同じ巻線の長さでもインダクタンスが多ければ多いほど、「Q」は高くなると考えてよいと思います。
また8字巻きは、コイルから出る磁力線が他の回路によけいな影響を与えないように、磁力線が互いに反対方向で閉磁路にしようとしたものです。途中から逆巻きにした巻き方は、誘導する力を相殺するように考えられています。その他にもいかにして外形を小さくするかを考えたものもあります。
これは後で説明しますが、長い波長の同調回路だとラジオ全体がとても大きくなることがあるので、製品として売るために小さくしていこうという工夫もありました。たとえばスパイダー巻きとかバンク巻きも、ある意味でその考えを反映させているかもしれません。
工作するときには自分が好きな形だからというのも立派な理由になりますし、それが思ったよりも特性としていいものになったりするかもしれません。

自作クラウンコイル

*近日中にコイルについて後編はアップ予定です。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

KENJI KOBAYASHI

 

鉱石ラジオの回路とそのはたらき[コイルについて前編]

「超小型実験室型鉱石受信機」小林健二の自作鉱石ラジオ

これは、鉱石ラジオを設計したり実験したりするために必要なだいたいの部品や材料が組み込まれた、持ち運びできる小さな実験室といったふうのものです。上部のガラスケースはステンドグラスの技法で作り、全体は木で作ってあります。この本の板は近所の印刷屋さんの前に積んである、紙を運ぶためのパレットと呼ばれるものをわけでもらいました。プレーナーのかかっていないザラザラの本の板が妙に懐かしい感じで好きなので、見かけよりずいぶんと手をかけで作ったものです。

中には3種類の太さの導線、7種類のコイル、5種のゲルマニウムダイオード、3種のヴァリコン、 10種のコンデンサーとインダクター、 7種20個の鉱石、タンタル、ニッタル、タングステンのワイヤー、雲母板、錫およびアルミ箔、鉱石を手入れするためのアルコール、各種ネジ金具、金属素材、ナイフ、 ドライバー、小型のニッパー、回路図を書き込んだ小さなノート、クリスタルイヤフォン、ツマミ、LC周波数割り出し表、鉛筆、消しゴムなどが入っています。

中心にあるメインコイルは引き出し式になっていて、その奥には秘密データが入っています。窓はプレパラート用の薄いガラスで作り、ノブは昔からある自分の机のものを使いました。底の部分にはコイルアンテナが埋め込んであり、ローディングコイルを用いた引き出し式のアンテナも備えであります。

全体の色は自作したテンペラ絵具で、牛乳から作ったガゼインと孔雀石を粉にしたマウンテングリーンでできています。ぼく以外の人にはあまり意味のない工作に思えますが、ぼくのお気に入りの一つです。ひまがあると少しずつ手を入れたり、また取り外したりして楽しんでいます。

◎コイルができるまで

ガルヴァーニの実験

コイルcoilは日本語では「線輪」と訳されました。今ではほとんど誰も使っていない言葉ですが、まさに導線をぐるぐる巻いたものだというイメージがよくわかります。

コンデンサーのところでライデン瓶について書きましたが、そのような静電気に関する事柄は19世紀の初めのころから病気の治療などを目的としてさかんに用いられました。電気ショックによる筋肉収縮運動にも関心が集まり、医学者や生理学者たちの研究室には摩擦起電機の類が備えつけられていました。

1780年秋のある日、イタリアのボローニア大学の解剖学者ガルヴァーニLuigiGALVANI(1737-1798)の研究室で奇妙なことが起こりました。 1説によれば、彼がカエルの脚の皮をはいだまま外出したとき、彼の妻がたまたま起電機のそばにおいであったメスでその脚に触れたとたん、死んでいるはずのカエルの脚が痙攣したというのです。驚いた妻はガルヴァーニにそのことを知らせました。ガルヴァーニはこのふしぎな電気的現象の研究に没頭してさまざまな実験を繰り返したのち、それまで静電気を「樹脂電気」と名付けていたのに対し、 11年後の1791年に「動物電気」という論文を発表しました。その現象は帯電体に触れるだけでなく、 2つの異なった金属を互いに筋肉の神経に触れさせても起こることをふまえて、電気がカエルの筋肉の中にたまっているからだと結論したのでした。

この論文はある意味でとでも魅力的でした。この時代、生命の本質という謎を解くかぎと考えられていた「生命力」という大問題を扱っていたからです。同じイタリアのヴォルタもはじめはこの論文を信じていたものの、医者でもあった彼はどうも腑に落ちないと考えはじめました。これら一連の実験は何か別の方向を指しているように思われたのです。

やがてズルツァーJohann Georg SULZER (1720-1779)が発見した、亜鉛板と銅板の一端に同時に舌を接触させると刺激を感じるという事実を知り、先の現象の原因をガルヴァーニとは逆に金属の方に求められるとしたのです。やがでこれは1796年に亜鉛板と銅板、そして塩水をしみ込ませた紙とを何層にも重ねてつくられたヴォルタのパイル(堆体)に発展し、数年間実験をつづけた後で1800年に論文として発表し、俗に言うヴォルタ電池として人々に認められたのです。

ヴォルタの電堆

◎磁気作用の発見

こうして科学者たちは、それまでの摩擦などによってつくられる静電気static electricityに加え、導体の中を流れる動電気dynamic electricityを手に入れました。これによってその後30年でつぎつぎと大きな原理が発見され、これらが土台となって近代の電気学が築かれたといっても過言ではないでしょう。

特筆されるのは1820年のデンマークでの一つの発見です。

コペンハーダン大学の物理学教授だったエノンステッドHans Christian OERSTED(1777-1851)が学生たちに電気を熱に変える問題について講義をしているとき、たまたまヴォルタ電池に接続されて電流が流れていた銅線のそばに置いてあった磁針(コンパス)方位計が、通常指すはずの南北とは異なる方向を指していることに気づきました。ところが電流を切ると磁針計はふたたび正常に南北を指すのです。

不思議に思ったエルステッドは研究を始め、電流によって磁気が発生することを明らかにしたのです。

◎磁気誘導。磁界・磁力線

磁界

それは図のように1本の導線のまわりに輸のように発生する磁力線の集まりで、磁界と呼ばれています。やがてアンペールAndre Marie AMPERE(1775-1836)が電流の流れる方向に対してねじを回し入れる向きに発生することを発見し、「右ねじの法則(アンペールの法則)」と呼ばれることになります。これらの磁気に関する発見によって古代から電気と同じように不思議であった磁鉄鉱などの磁力が、電気によって人工的につくりだせることがわかりました。

磁束

1本の導線を束ねたり輪の形にぐるぐる巻いたりすると、回りに発生している磁力線が重なって磁束となり、より強くなってきます。

このような状態の線の輸がコイルであり、このようにして導体を巻いたものの中に鉄などの磁性体を入れると磁力はさらに強まり、俗に言う電磁石となります。

磁気誘導

また図のようにすでに磁石となったものの場合S極はN極とよくくっつきますし、まだ同極どうしは反発します。小さな磁石が2つあってくっつくと、くっついた面のSとN極は全体を1つの磁石とするように磁力線がはじからはじへとつながります。このようなことを磁気誘導というのです。

この磁力線の性質をまとめて書くと、以下のようになります。

1、磁力線の密なところは磁界が強く、疎になるにしたがって磁界は弱くなる。

2、磁力線はN極から出発してS極に戻る。

3、磁力線の両端には必ずS極N極がある。

4、磁力線はゴム紐のような性質があり、長さの方向には縮もうとし、それに垂直な方向には膨張しようとする。

5、同じ極の磁力線は互いに反発し合う。

◎コイルのはたらき

磁力線の量の変化

前にお話ししたように、 1本の導線に電流が流れると図のようにその導線の周囲に磁力線が生じます。導線の形を(a)のように近接して折り返した場合、流れる電流の向きが互いに反対であるので、磁力線もそれぞれ反対方向に生じて互いに打ち消し合います。しかし(b)(C)とだんだんとその中央部を膨らませていくと、線がつくる面積はしだいに大きくなってゆきます。

このようになるとこの間に生じる磁力線はおたがいに助長し合うように働くため、(a)と同じ電流を流しても磁力線がより多く発生します。 このようにコイルに電流を流したとき、それによって発生する磁力線のことをそのコイルの自己インダクタンスと言って、巻線の径が大きければ大きいほど、また巻数が多ければ多いほど、磁力線は多く発生します。

コイルのはたらきー巻く線の径や密度が大きくなるとインダクタンス量もそれにつれて大きくなる 単位はマイクロヘンリー( μH)

自己インダクタンスは通常インダクタンスと言って、記号はコイルと同じLで表します。単位は自己誘導を発見したと言われるヘンリーJoseph HENRY(1797-1878) の頭文字からとったヘンリー(H)で表します。ただ、ヘンリーはとでも大きな単位なので1000分の1のミリヘンリー(mH)あるいは100万分の1のマイクロヘンリー(μ H)などが通常使われます。

また先ほども言いましたが、コイルの中に磁性体等を入れることで磁束密度はとでも増えるので、インダクタンスも大きくなります。

またコイルはその特徴として、コンデンサーとはまったく逆な「直流は通しやすいが交流は通しづらい」という性質を持っています。なぜこのような働きをもっているのか、次に説明してみましょう。

コイルに直流の電源をつないで電流を流したとします。コイルはもともと導線を巻いたものですから、もちろん電流は流れます。ただ最初の少しの間ちょっと電流が流れづらい瞬間があるのです。これはコイルに電流が流れるときにできる磁力線の磁束が、逆にコイルに流れる電流の流れを妨げようとするはたらきがあるためでこれはまた回路の電流を切るときもそのまま流れつづけようとする性質でもあります。

たとえて言えば、重い材質でできた車輪みたいなものがあるとします。その車輪を急に回転させようと思っても重いので、最初すぐは動かないでだんだん速度を上げていくと少しずつ楽に回転するようになります。そして一定の速度を保っているとほとんど抵抗を感じなくなるはずです。ところが止めようと思ってブレーキをかけるように逆向きに力を加えても、今度はなかなか止まってくれません。これがコイルの持っている性質で、このはたらきを逆起電力といいます。ですから直流のように一方向の電流を流した場合、最初と最後にはんのわずか影響があったとしても、流れつづける電流に対してはまったくと言っていいほど影響が(もちろん導線自体が本来もっている抵抗はそれなりにあったとしても)ないように見えるのです。

反対に交流のように向きが時々刻々と変わる電流を流すと、周波数が高くなるにしたがい、だんだんとその抵抗が増してくるのです。ですから直流は通しやすくても交流、特に高い周波数ほど通りにくくなります。

このコイルの周波数によって受ける抵抗を誘導性リアクタンスと言って、記号は(XL)、単位はオームで表します。

コイルのこの性質を説明したついでに、導線などが本来持っている抵抗について少し触れてみたいと思います。銅などの良導体であっても線材や導体には多少抵抗があり、これは超電導体などの抵抗値0(ゼロ)というような特殊な状態ではない場合、コンデンサーをつなぐ線もコイルを形づくるものにもすべて存在しています。

これらは通常直流抵抗と呼ばれます。

また電気回路を設計するときに、電気の流量を制御するために回路上に抵抗体を入れたりすることもあります。抵抗は(R)の記号で表されますが、これはレジスターの略です。その値はレジスタンスという単位でオーム(Ω )で表します。また、その1000倍のキロオーム(kΩ )あるいは100万倍のメグオーム(MΩ )なども使います。

抵抗ーその導体自体が持っている抵抗分 記号R 単位Ω

◎コイルと位相

交流がコンデンサーを通ったときと同じように、交流がコイルに流れるとやはり位相は変化します。ただしこの時はコンデンサーとはまったく逆で、 1/4周期すなわち90° 位相は遅れることになるのです。

なぜそうなるかと言うと先ほど説明したように、コイルに交流の電圧を流そうとするとまったく逆方向に電圧を発生させる逆起電力というものができてしまいます。そのために逆方向の電圧の妨げが停止してから電流が流れはじめるので遅れてしまうのです。

コイルと位相

わかりやすくするために図によって説明します。

①のように交流電圧がゼロから最大までは、コイル内では点線で示すように流れを妨げようとする逆起電力もゼロから最大になるのでまだ電流は流れません。②では交流の電圧が減って、しだいにゼロになるのにともない、逆起電力もしだいにゼロになってゆくので、コイル内に電流が流れはじめます。ゼロになった時点で電流はピークとなります。③のように電圧が今度はマイナスの方へ大きくなってゆくとやはり逆起電力のためにしだいに電流は減ってゆき、しだいにゼロになってゆきます。④マイナスの電圧がピークを過ぎると、逆起電力もピークを過ぎるので、コイル中にしだいに電流が流れはじめるのです。

このようにコイルにかかる電圧よりも電流のほうが山半分すなわち4分の1ずつサイクルが遅れてしまうので、位相が90°遅れるということになるのです。

◎相互誘導

相互誘導

コイルにはもうひとつとでも大事な特徴があります。図のようにコイルが2つ(もしくはそれ以上)磁力線の方向に並んだときに、磁力線によって互いに影響し合うという性質があるのです。図のAのコイルに電流が流れることで磁力線が発生し、その磁界の中にコイルBを入れると、コイルBに磁束が通ることで、コイルBの中にも電圧が発生します。

このように2つのコイルが電気的には切れていても、磁束などによって誘導されることを相互誘導といいます。またその程度は2つのコイルが磁力線の方向で近ければ近いほど、磁界の向きがそろえばそろうほど強くなり、コイルの中を磁性体などでつないだりすれば磁束の密度はより高まり、誘導する値も大きくなります。この値を示すのが相互誘導係数(相互インダクタンス)といって、記号に(M)を用い、単位は自己インダクタンスと同じヘンリー(H)をつかいます。

*近日中にコイルについて後編はアップ予定です。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

KENJI KOBAYASHI

 

[TOYAMA ART NOW inner and outer ’99]より

[TOYAMA ART NOW inner and outer ’99]より(富山県立近代美術館発行)

子供の頃読んだ本の中に、片方の目にだけ、ある不思議な薬を塗ると普段なら見えにくいたくさんの宝石が見える、というような内容のものがありました。結局その主人公は、もっとよく見ようとして両目に塗ってしまい、何も見えなくなってしまうのですが、その本の挿絵の一つに片方にだけ薬を塗った人が、地中や空中にいろいろな色で輝く水晶のような美しい鉱物を見てはしゃいでいるのがありました。ぼくはとりわけその絵が好きでした。

ぼくはまた、古代の世界やそんな時代に書かれたかもしれない書物とはいかなるものかと考えたり、ある日机の引き出しを開けるとその中で青い発光体が静かに浮かんでいるといった幻について、想ったりしていることが好きです。

ぼくはそのような隠れたところや見えにくい場所に、何か素敵な宝物があるような気がしてなりません。そして、そんな目に見えない透明な通信でかわせる世界があることを信じているのです。

小林健二

Of the book I read when I was a child, there was one about the story of one person, who, by painting only one of his eyes with some mysterious medicine, was able to see many jewels and gems that could not normally be seen. But in the end when the protagonist painted both of his eyes to try to see more, he ended up not being able to see anything.

I especially liked one illustration on the book: it showed the person with only one of his eyes painted who was ecstatically looking at beautiful gems and stones scattered on the ground and floating in the air glittering like crystals awash in a rainbow of colors.

I also used to think about the ancient world and what kind of books might have been written then, and I liked to fantasize that one day I would open a drawer in my desk and there would be a blue luminescent object quietly lying there.

I have really felt that some beautiful treasures can be found in such hidden and unexpected places. I believe that there is such a world that we can communicate with through some unseen, transparent means.

Kenji Kobayashi

[TOYAMA ART NOW inner and outer ’99]より

 

*以下は実際に展示された作品に加え、上記の小林健二の文章を想起するような彼の作品を何点か選んでみました。

「夜光結晶」 LUCIFERITE
水晶、電子回路、他 
(水晶が光を受けてゆっくりと七色に発光を繰り返す。洞窟の中でのインスタレーションとして制作された。)

 

「FORAMINIFERA CONODONT BOOK OF AZOTH 」
混合技法

「九一式土星望遠鏡」 SATURN TELESCOPE TYPE 91
混合技法
(1991年に構想し19年後に完成した作品。レンズには全体像を表す土星が見え、青く光りながら回転する)

「CRYSTAL OF AZOTH WITH AURA TRIGGER 」
1992-1994

[CRYSTAL OF AZOTH(霊の鉱石)]とは本来セファイドの水の結晶です。その結晶の左側に陽性起電微子を、その右側に陰性消失微子を発生着帯します。アレフ(空あるいは風)、メム(水あるいは海)、シン(火あるいは熱)のそれおぞれ緑、青、赤の色彩成分をアゾト(霊あるいは意識)によって封じられた結晶なのです。この結晶はアルプス地方に産する明るい煙水晶で、その中に極めてわずかに見つけられる古代セファイドの水を含有したものを使用します。その左側に手をかざすと陽性起電微子ーAZOTHIN(アゾシン)の一種によって発光する場ができ、右側においてはその反対の作用が起ります。

(左の柱に手をかざすと水晶内部にゆっくりと光が現れはじめ静かに色彩が変化する。右の柱に手をかざすとまたゆっくりと消える)

crystal-of-azoth from Kenji Channel on Vimeo.

 

KENJI KOBAYASHI

 

目に見えない世界

目に見えない世界

鉱石ラジオはぼくにとって、目に見えない世界からの通信を人間の五感に伝えるためにある一種の翻訳機といえるかもしれません。鉱石ラジオを形づくる木や金属や鉱物などの物質的手続きによって不可視な意思と疎通をこころみるというわけです。

かつて人間は目に見え、手に触れることができるものを物質と名付け、その物質のないところは単なるからっぽの空間だと考えていました。だから風などのふるまいは人々を不思議がらせました。見ることのできない何かが確かにあって木立を揺らし、そして森をざわめかせる。人はそこに何かのこころを感じたのです。あるいは風を作り出せる意志の存在を感じたのかもしれません。たとえば息を吹くことで炭火を赤くし、灰をとばすことができるようにです。

日本語でも息は生きるに通じるように魂や霊とつながるものとして考えられ、ギリシア語でも息と霊はともにspiritusという同じ言葉で表現されています。

その目に見えない現象は、やがて「風の物質」のしわざとして発見されていきます。たくさんの天才や物好きがこの物質の一連のはたらきを大気層から発掘していき、風は「空気」という物質によって起きるまったく物質的な天然現象と説明されていくのです。

ぼくは今でもときどき本当に風にこころはないのだろうかと思うことがありますが、まして電波となればさらに不思議な出来事です。ぼくは本文中で電波は電気力線が電気的電磁力学的に空間に押し出されたものと説明しましたが、本当はよく分かっていません。それはきっとぼくだけではなく、電子工学が専門の人でさえ、そのふるまいや現象を実験によって確かめたり、理論的に説明することができたとしても、それがそのまま電波の実態をつかんだということになりにくいからなのです。

「音は空気を媒体として伝わるように、電磁波はエーテルを媒質として伝播する」と言われていたのは、それほど遠い昔ではありません。エーテルという言葉は「大空」という意味から出てきたものであり、また目に見えない精霊たちの住む場所のことを指します。

アインシュタインの一般相対論によってエーテル(光素)の存在を認めなくても電磁波である電波のふるまいを説明できるとしたことと、マイタルソンとモーリーの実験によってエーテルの存在が実証できなかったことによって今では否定されているのですが、米来において、あるいはぼくらの知らない天体で、エーテルやそれに準ずる何かの媒体や媒質が宇宙の本質として発見されるかもしれません。

夜になると電離層のおかげで、短波だけでなく中波でも、感度のよくない鉱石ラジオで驚くほど受信感度が上がることがあります。そしてルーズカップラーなどを使用した長波にも対応できそうな鉱石ラジオの実験をしていると、ときおり奇妙な雑音を聞くことがあります。まさかロラン(電波航法による遠距離固定局)を受信したとも思えませんが、 トラック無線や空電でないのは確かなようです。おそらく鉱石ラジオの分離特性のなせるわざで、局間ノイズやハムが重なりうねって聞こえているのでしょう。ただごくまれにそんなノイズを聞いていると、全然思いもしなかった人のことを思い出すことがあります。なぜならあまりにその音がその人の声に似ていたりするからなのです。ぼくは半分ムキになってノイズの中から言葉を聞こうとしていると、いろいろと忘れていた思い出がよみがえってきて、確かに何かの通信を受け取ったような、そんな気持ちになるのです。

小林健二

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より

[前回ご紹介した記事『不思議を感じるこころ』の後編にあたります]

検波器の歴史

1、火花検波器・生理検波器

ヘルツが実験に使用していた電波の信号を検出する装置が、いわゆる検波器の初期のものです。これは火花放電によって発生した電波を共振によって感知するもので、火花検波器と呼ばれたりもしますが、通常は共振器resonatorと言われています。

ヘルツの共振器
この輸はひとつのインダクタンスとみなすことができ、それに共振誘導した電波を高周波電流の放電として検出する。

火花検波器
これらの検波器は、火花を発するものの近くにおいては(実験室内など)電波の到来を感知しても、距離が離れ始めると急にその感度は低下します。

ヘルツが発見した電波を通信に使うことはできないか。彼を含む世界中の科学者たちがこう考えましたが、火花放電による電波と共振器では、通達距離をのばせないことは実験上よくわかっていました。だからといって、よく言われるように彼が通信の実用技術に対して消極的だったというようなことはなく、特に改良の必要のある検波器については、できる限りの実験をしたようです。

そしてかつてガルヴァーニが用いたのと同じ、カエルの脚の筋肉を用いた生理検波器なども考えだしています。

生理検波器
生理検波器は見るからに安定性が忠く、ヘルツも感度がよくまた安定した検波器が現れるまでは無線通信の実現は難しいと考えたのも仕方のないことでしょう。

2、コヒーラ検波器

ヘルツが亡くなる数年前、フランスでブランリーEdouard BRANLY(1844-1940)が金属の粉末を使った検波器を発明します。それまでにも、金属の粉末をガラス製の筒などに封じ込めたもので、そばで放電が起きるとその内部の電気抵抗が変化することは、 イギリスのヒューズDavid Edward HUGHES(1831-1900)によって確認されていました。

ブランリーは、ガラス管にニッケル粉末を入れて封じ、直接これに電流を流しても金属粉体は抵抗値が高いのであまり電流は流れないが、近くで電気花火を発生させると電気抵抗が減り、電流が流れやすくなる現象を発見したのです。

ブランリーのラジオコンダクター(1890年 フランス)

彼は、この抵抗値の高い金属粉体の接触面が、電磁波の影響を受けて変化し抵抗値を下げたためだと考えました。彼はこの検波器をラジオコンダクターradio conductorと名付け、それが今日のラジオの語源になったと考えられています。ちなみにラジオは輻射radiatonからの言葉です。

この実験のことを知ったイギリスのロッジは早速これを改良し、遠い距離からやってくる弱い電磁波を検知できるような敏感なものにして、 1894年、ヘルツの実験回路の検波器として組み込み、成功しました。

ロッジのコヒーラ (1894年イギリス)

彼はこれを金属粉体の個々が高周波電流によって密着cohere も し く は結合するこ とから起こるとして、その検波器をコヒーラcohereと名付けます。

そして、このコヒーラ検波器によってそれまで不可能とされていた無線通信は可能ではないか、という講演をします。偶然にもその講演は、このすばらしい感度の検波器の出現を待ち望んでいたはずのヘルツの追悼講演として行われました。歴史はまるでドラマのように受け継がれてきたのです。しかしもともと学者であったロッジにはそれ以上事業として進めることができないでいるうちに、ロシアにはポポフが、イタリアにはマルコーニが出現します。

3 、デコヒーラ検波器(decohere再びコヒーラな状態に戻す)

ロッジの報告を日にしたとき、ポポフAleksandr Stepanovich POPOV(1859-1905)はロシアで水雷学校の教員をしていました。彼はロッジの装置にアンテナを付け、さらに受信回路に改良を加えました。コヒーラ検波器は感度を高めて電波の到来を知らせるうえでは問題のないものでしたが、一度導通(電気を通す)してしまうと導通しっばなしになってしまい、その後の通信を受け取りません。

そこでポポフは、リレー回路(電磁石のはたらきなどで作用するもの)などによって、一度密着し導通状態になったコヒーラを物理的に叩くことで粉体をもとのバラバラの状態に戻し、再び受信可能にするよう工夫したのです。

ポポフの検波器(1895年 ロシア)

ポポフの無線電信は事業化する可能性の高いものでしたが、彼はアメリカやイギリスの企業からの特許権譲渡や提供申込みを断り、ロシア国内で実現しようとしました。しかし、当時のロシア政府はポポフの発明に対して理解を示さず結局宙に浮いてしまい、無線通信の発達は他国に譲ることとなるのです。そのような理由で、世界の年表にはイタリアのマルコーニGuglielmo MARCONI(1874-1937)が、“無線通信の父”という輝かしい栄誉で語られていても、ポポフはロシアの教科書にだけその功績を称えられています。

ポポフやマルコーニのコヒーラは基本的に新しい発見ではありませんが、マルコーニはガラス管の中の金属粉体の安定性をはかるために中の空気を抜き取ったり、銀製の電極の距離を近づけ、さらにテーパーを付けて作動を確かにする工夫をしました。

マルコーニのコヒーラ(1895年 イタリア)

そして本来科学者というより企業家であったマルコーニは、やがでその資本力によって他の特許や発明を買収し無線電信の世界を独占しようとしますが、その後登場する無線電話についてはその重要性を見誤って出遅れることになります。

4、その他の検波器

いったん密着したり、抵抗値の下がった検波管を叩くことによって元に戻す検波器は、大がかりで部品も多く、また機械的な作動のためときどき故障が起きたりしました。そのため、もっと簡単に復帰できるものとして、いくつかのタイプが考え出されました。

・水銀検波器一形はいろいろありますが、基本的には両極の間に水銀が入れてあり、水銀のまわりを油膜によって絶縁してあるものです。この油膜は非常に薄く調製されていて、電波が到来して高周波電流が発生しているときには油膜が破れて金属どうしが導通しても、電波が止まると自動的に油膜が広がって元の絶縁層になるというものです。この検波器は火花式と同じく高い電圧で受信しないと誤動作が多いので、あまり感度はよくありませんでした。

水銀検波器 ロッジ・ミアヘッド型

水銀検波器 ウォルター型

水銀検波器 カステル式オートコヒーラ

国産の水銀検波器(1904年に浅野応輛氏によって発明されたもの)

・鉄粉検波器一この検波器も自動復帰型の検波器ということになっていますが、機械的震動に弱く、感度もいまひとつだったようです。1907年に発表されました。

鉄粉検波器
1907年に佐伯美津留氏によって発明されたものでコヒーラした後も電波が止むと自動的にデコヒーラすると言われています。

・磁気検波器一ぜんまい仕掛けで動く2つのエボナイト製の滑車が、継ぎ目なく作られた柔らかい鋼のより線を一定の速度で動かしています。この線は、ガラス管強力な磁石を通してアンテナ・アース間に接続されているコイルがあって、さらにその外側に受話器のコイルがあり、その外に強力な磁石がある、 といった構造をしています。この一定の速度で移動するしなやかな鋼線は、常に磁石によって磁化されていて、アンテナ・アース間のコイルに電波の到来とともに電流が流れ、それによって発生する磁界が、線をその時だけ消磁するようになっており、受話器用のコイルがこの磁性の変化を電流に変えることで、受話器から音として検出するというものです。

また、この検出部に小さなインクのついた針と紙のテープを使い、モールス信号などを記録紙に残すことができるものも作られました。これらはマルコーニによって作られ、新しい発明というわけではありませんしまた人仕掛けでしたが、実用的で安定した作動をもっていたので、彼が電信を事業として起こすうえでとでも重要な検波器となりました。

磁気検波器

電解検波器一アメリカのフェッセンデンRunald FESSENDEN(1866-1932)によって1903年に考案された検波器で、無線電話に使用できる最初の実用検波器です。電解液のなかに金属を入れ、その単偏導性を利用したものです。感度もよかったのですが、当時船舶に使用される通信機にとって、この電解検波器は液体を使う構造のため揺れる船上で使用する場合には不都合も多かったようで、世界に普及するよりも早く、その後の鉱石検波器に置き換わってゆきました。

小林健二

電解検波器
フェッセンデン式(1903年)

電解検波器
これはいろいろな型のある電解検波器の一種で電解液がこばれにくいように設計されたものです。

不思議を感じるこころ

 

*「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より編集抜粋しています。この本では、鉱石ラジオの原理と工作編、そして『通信するこころ』という項目に主に分かれて書かれています。その中から鉱石検波器について触れている部分を抜粋し、[ ]の中はこちらで追記しています。画像は古い文献を元に筆者である小林健二が描いています。

*『目に見えない世界の不思議』は小林健二が変わらず今に至り持ち続けているこころです。作品のタイトルから今回の記事に通じると感じたものを、何点かご紹介します。

[風と霊ーWIND AND SPIRIT]
648X925X50mm 1989
oil, soft vinyl on wood

[アストラルとエーテルのヒソヒソ話ーWHISPERING OF ASTORAL AND ETHER]
2200X3000X250mm 1986
wood, cloth, synthetic resin, paper, oil

[IN TUNE WITH THE PAST]
電波石、地球溶液、結晶受話器など
1997中央の透質結晶に針を当てるとイヤフォンから過去の放送が聞こえる受信機で地球上における1920年代以降から昨日くらいのものとなる。

KENJI KOBAYASHI

不思議を感じるこころ

不思議を感じるこころ

1873年、ブラウンが鉱石に単方偏導性unidirectional conductivityを発見して、これがラジオを生み出すきっかけのひとつとなりました。同じ年、電話の発明者となるベルの助手スミスが、セレニウムを電話用の電気抵抗として実験している最中、たまたま窓からはいる太陽光線によって抵抗値が変化することに気がつきます。これはやがてテレビジョンの発明へとつながる光導電セルの最初の発見となりますが、それらはともに時期だけでなく偶然によって発見されたところにも不思議な共通性を感じさせます。

これらはやがで現代の通信事業に対し大きな役割を果たすわけですが、ガルヴァーニやエルステッドそしてヘルツたちの発見がそうだったように、偉大な発見や発明が偶然の出来事をきっかけとして生まれてきたこともまた、 とても興味深い事実ではないでしょうか。

電気や電子、電磁波を扱う世界は他のいかなる場合よりも理論的でまた実証的な側面を感じます。しかし実はこれらの世界ほど偶然によって人類と遅近してきた世界もないのです。そしてこれらの背景にはいつも不思議を感じる実験者たちのこころが存在していたことを忘れてはならないでしょう。ひとしきり姿を現し、その後再び大いなる間の中へ消えていきそうになるちょっとした偶然の出来事を注意深くすくい上げ、見つめ、そして磨き上げてゆく。彼らのその地道な日々の努力を支えていたのはきっと、ほんの一瞬別世界と出会ったという確信だったのでしょう。

子どもの頃、雨上がりの風景のなかに虹を見つけ、まるで異世界から出現したような大きなアーチは、その足下にある町からはどのように見えているのだろうと考えた人も少なくないはずです。

みなさんは最近虹を見たことがありますか? まさか酸性雨によって虹がドロップみたいに解けてしまったなんで誰もいいわけをしたりしないでしょう。

不思議な世界はきっとぼくらのすぐそばで「早く私に気がついて」そんなふうにあなたに話しかけているかもしれません。そしてその奇跡の国へのチケットは決して特権的な方法によって大手するものではなくて、あなたの心の中にいる少年少女たちが、が当たり前に持っている不思議を感じるこころによっていつでも旅立つことができるようにと用意されているのです。

 

小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」の巻末に添えられた小林健二のイラスト

 

鉱石検波器[の発明者について]

鉱石のもっている単偏導性unidirectionalという奇妙な性質を最初に発見したのは、[上記しましたが、]ドイツ人のブラウンKari Ferdinand BRAUN(1850-1918)です。 1873年のこと、彼は各種の導体や不良導体の電気抵抗を研究中に、偶然にも黄銅鉱や鉛鉱などのいくつかの金属鉱物の中に、陽極と陰極の当て方の違いで抵抗値が異なるものを発見します。

これはまだ世界に「無線」という言葉ができる前のことですから、翌1874年にブラウンがこのことを発表しても、誰も無線電話に利用することができませんでしたそれから23年後の1897年、ブランリー、ロッジ、マルコーニなどの無電用の検波器はすでに開発されていましたが、無電(無線通信)以上に期待される無線電話の検波器の合理的なものを、世の中は待望していました。

ブラウンはこの年、鉱石検波器理論を発表し、 1901年には鉱石検波器を発明します。そしてその後相次いでいろいろな種類の鉱石検波器が発明、発表されていきます。

[次回に、鉱石検波器以外の検波器を紹介予定です。]

他に受信電流によって生じる熱作用を応用した熱検波器や、長い波長で一時期使用されたチッカー検波器があります。これは、モーターによって高速回転させた板に、たくさんの火花共鳴器のようなギャップを取り付けて、受信電流と同調させることで信号をとり出すものです。

あるいは受信した高周波電流を、一種の電流計(アイントーベン電流計)を通し、その振れに光を当てて壁などに反射させ拡大して、それをフィルムに感光させて記録するという光印字検波器などもありますが、いずれも大がかりであったり、感度が不十分だったりしました。やがで最も信頼性が高い真空管式(2極管)のものが登場し、鉱石検波器にとってかわることになります。

一般的な鉱石検波器

国産の初期の固定式鉱石検波器①

国産の初期の固定式鉱石検波器②
①よりも安価に出来るが安定性に欠ける。

鉱石検波器 ペリコン検波器

鉱石検波器
方鉛鉱のキャットウイスカー型(探り式)

ブランリーによる最も初期の頃の鉱石検波器
おそらくこれは金属の接点による一種のコヒーラ検波器として製作され、実験中に無線電話用の検波器としても使用できることが発見されたのではないかと思います。そしてひいてはそれがキャットウィスカーの考え方を生んだのではないかとぼくは考えています。

[鉱石検波器の]複数の発明者

鉱石検波器はいったい誰によって発明されたのでしょう。

ぼくは本文でドイツのブラウンが1901年に発明したと書きました。しかし東京の大手町にある通信博物館に展示されている年表を見ると、鉱石検波器は1908年(明治41年)日本人鳥潟右一(18831923)の発明ということになっています。確かに昔の日本の文献でもそのように書いてあります。ところがアメリカ合衆国の文献によれば、鉱石検波器はピッカードGreenleaf Whittler PICKARD(1877-1956)が1902年(明治35年)10月16日に発明し、 1906年には製造販売をはじめ、 1908年1月21日に特許を取っています。

また合衆国陸軍大将のダンウッデH.H.C.DUNW00DY(生没年不詳)は通信省を退職後、カーボランダムによる鉱石検波器を1906年に発表しています。早い話が、各国に特許の及ぶ範囲で誰がいちばん早く特許を取得したのかということでしょう。

実験室内での発見が歴史的発見になるというよりは、鉱石検波器などの電子ディバイスは誰があるいはどの国が主権を握るかというようなビッグビジネスにつながるものでしたので、特許をめぐる争いもめまぐるしいものだったと思われます。

事実、ダンウッディはピッカードに1カ月遅れで特許を逃したため、2人は光と影の人生を歩んだようですし、日本で最初に鉱石検波器を研究し、その後鳥潟右一にバトンタッチしたと思われる鯨井光太郎(1884-1935)のこともあまり触れられることはないようです。

おそらくこの1900年前後に世界で同時多発的に鉱石検波器の発明は行われたのでしょう。科学者として原理や理論を発見しまとめ上げていくことより、誰が早く実用性の高いものを発明し事業者として成功するかに、時代は移っていったようでした。

 

小林健二

 

*「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より編集抜粋しています。この本では、鉱石ラジオの原理と工作編、そして『通信するこころ』という項目に主に分かれて書かれています。その中から鉱石検波器について触れている部分を抜粋し、[ ]の中はこちらで追記しています。画像は古い文献を元に筆者である小林健二が描いています。

KENJI KOBAYASHI