カテゴリー別アーカイブ: 小林健二の技法

ネームプレートを作る

「オーロラ通信社製鉱石ラジオ(小林健二作)」プレート部分

鉱石ラジオのような工作をするときに、小さくてもネームプレートなどがついたりすると、急に本格的になったような感じがします。ネームプレートは金属の板や樹脂板に文字を彫ったりする方法もありますが、ここでは金属の板を腐食して作る方法を紹介してみたいと思います。

材料は銅、あるいは真鍮、アルミ、亜鉛などの0.5~ 2 mm厚くらいの板を硝酸、第二塩化鉄で腐食して作ることが多いのですが、ここでは1mm厚の銅板を第二塩化鉄で腐食する方法を示します。

表面をよく磨いた(商品名ピカールなどのメタルポリッシュで)1mm厚の銅板を用意します。銅板は七宝材料などを扱うお店や銅版両などの材料を扱う画材店で入手できます。

上がアクリル板などを切るのに使用するPカッター(替え刃式)・下が銅板などを切るための道具。ともに定規を当ててV字に切り込んでカットしていきます。

すでに必要な大きさに金ばさみや金鋸、あるいは鋼板切りといって銅版画材料店にあるプラスチックカッター(Pカッター)のような工具でカットしておきます。

端は少しなだらかになるようにヤスリで面を少しとっておきます。そして裏側には腐食止めをするために粘着テープかカッティングシートなどを貼っておきます。そして文字として出っ張らせたいところにはインスタントレタリングを貼り、マークや絵は油性のマジックインキを使ってなるべくしっかりと防食できるように重ね書きをしてよく乾かしておきます。自分が満足できるデザインに仕上がったらなるべく指紋や油を腐蝕する部分に付着しないようにして作業を進めます。

腐食しないように金属板の裏にはカッテイングシートを貼っておきます。

腐蝕しようと思う銅板が十分に入る大きさで2~ 3 cmくらい深さのあるプラスチックやガラス製のお皿かバットを用意して、中に第二塩化鉄の腐蝕液を入れておきます。この液はやはり画材店の銅版画のコーナーや電子工作のパーツなどを扱う店のプリント基板の製作材料コーナーで人手できます。用意ができたらその液の中にさきほどの銅板を静かに入れ、ときどき様子を見ながら自分の思う深さまで腐蝕が進んだかどうかを5~ 10分おきにみながら作業してください。もし途中でインスタントレタリングやマジックの線がはがれてくるようなら、液からあげて水洗いをし、乾かして修正をして、作業を続けてください。

このようにして何度か練習をすれば、すぐにうまく作れるようになります。

腐蝕液は何度も使えますが、そのうち腐蝕力が落ちてきて使いづらくなってきたら、そのまま下水などに流したりせずに、炭酸カルシウムで中和してから処理してください。この処理の詳しい方法は、入手するときに店の人が教えてくれるはずです。

このようにしてプレートができたら、文字をもっときわだたせるために低い部分に塗料を塗ります。黒のつや消しのスプレーなどを全体にかけて、80~ 100番くらいの粗い耐水サンドペーパーで水をつけながら磨くと、文字などの高く残ったところが浮き出てきますから、そのあとをメタルポリッシュなどで磨き、ビスや釘でプレートを取りつけるための穴をあけたりして出来上がりです。色も自分の好きなものを選んでください。

この作り方を知っておくといろいろなことに利用できると思います。また、文字や数字を刻印する方法(工具は彫金材料店で人手できます)や、写真焼き付けで字や絵の防触層を作る方法(この材料はさきほどのプリント基板の材料コーナーで入手できます)もありますので、いろいろ試してみてください。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

*小林健二の作品にも自作プレートが使われていて、その中の何点か紹介してみます。

「1965年3月27日午前」
木、鉛、電気、風景
1991
(通電すればその時だけ約一時間ほど1965年3月2日の風景が箱の中に現出するとのこと。不思議と人によっては心の中にそれが浮かんでくることもある) *プレートは鉛板にタイトルが刻印されています。

「サイラジオ-透質結晶受信機-」
木、合成樹脂、電子部品、他
1993
(透明結晶が青く光りながら回転し、同時にラジオも受信する)*金属製のプレート

KENJI KOBAYASHI

人工結晶

硫酸アンモニウムカリウムと硫酸アルミニウムクロムなどよって育成された結晶。(小林健二の結晶作品)

*「」内は小林健二談

人工結晶を作りはじめたのはいつ頃くらいですか?

「1992年くらいからですね。」

著書の『ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)』にもありましたけど、人工結晶は鉱石ラジオのクリスタル・イヤフォン用に作りはじめたんですか?

「そうですね。その時は圧電結晶を作りたくて、ロッシェル塩(酒石酸ナトリウムカリウム)を買ってきて結晶を作ってみようと思ったんです。とにかく実験ができればいいなと思っていましたから、大きいものが作りたかったですね。

その後他の物質で結晶ができないかとか、自然石を母岩として結晶がくっついていたら綺麗だろうなとか思ったりして、だんだんハマって行きました。色々研究して実験しました。でも、塊を作りたいと思っても、平べったくしかならなかったり思い通りにはならない。まあ、その平べったいのは平べったいので美しいものなんですけどね(笑)。」

母岩に結晶の素となる種のようなものを付けとくんですか?

「その場合はまず種結晶を作るところからはじめて、母岩につけ、その後育成溶液の入った深い容器におくと、大きく成長していくんですね。あるいは、容器の中に石を入れておくと、ザラザラとした母岩の表面に自然と結晶ができていたりします。その時に水溶液の成分を変えると色が変わったりするけど、それぞれの相性が合わなかったり慌ててやったりすると、大抵はシャーベット状になってダメになります。それで何度悔しい思いをしたことか(笑)。

二ヶ月ほど旅行にに行っている間に、40も50も容器の中で人工結晶を作ってたんですけど、帰ってみると一つだけ変わった色の溶液のものがあって、何も結晶ができていなかった。他のはできていたのに一滴だけ違う水溶液がポトンと落ちたから、何もできなかったんですね。それは水溶液を捨てる時にたまたま混ざって一瞬にして何もできなかった容器の水溶液と同じ色に変わったから、わかったんですけど。

そんなことの積み重ねですね。他にも温度や湿度、色々気をつけなければなりませんね。」

硫酸銅と硫酸コバルトの結晶。(小林健二の結晶作品)

クロム酸リチウムナトリウムカリの結晶。(小林健二の結晶作品)

ロッシェル塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

ー手探りの実験結果

「何でもかんでも混ぜれば結晶になるかという訳ではないんです、、、。

関係資料なんか色々調べてみました。人工結晶っていうと、人工宝石などを作るベルヌーい法やフラックス法、人工水晶などを作る熱水合成法、その他半導体結晶を製作するための資料はあるんですけど、ちゃんとした実験設備がなければ無理なものばかりです。

しかも、水成結晶育成法については、それこそイヤフォンなどの圧電結晶をつくるための資料くらいしかなくて、いかに大きなスのない単結晶のものを作るかといった内容ばかり。個人で製作するにはあまりにも大規模なものが中心になってしまいます。例えば形が美しかったり、色々な色をしたり、群晶になったりすることは本来の目的ではないわけですから、ぼくなんかが求める資料は、基本的には見つかりませんでしたね。

だから最初は圧電結晶に使えそうなものを片っ端から選んで、あれはどうだろう?これはどうだろう?と手始めに実験していきました。そうして作れる結晶を探して行ったわけです。どこにもそんな実験については載っていないから手探りです。

一つ一つの実験にどうしても時間がかかるるし、実際結果が見えてくるまで何年もかかりますよね。

でもいずれ、もっと安定した方法で結晶を育成できるようになったら、人工結晶に興味がある人に教えてあげられるかもしれない。盆栽を作るような気持ちで、好きな人には結構楽しいかもしれない。」

硫酸アルミニウムカリウムなどの結晶。(小林健二の結晶作品)

鉄系とクロム系の物質によって結晶化させたもの。(小林健二の結晶作品)

リン酸カリと黄血塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

ミョウバンと赤血塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

コバルトを含むロッシェル塩などの結晶。(小林健二の結晶作品)

蛍光性の物質を混入している硫酸アンモニウムナトリウムの結晶。(小林健二の結晶作品)

[人工結晶]

例えば水晶は、573度よりも低温で安定な低湿型と、537度から870度の間で安定な高湿型があるが、結晶が生まれるには、高圧、高温が必要とされることが多い。人工水晶には地球内部の環境を半ばシュミレートした高温・高圧によって作られたものもあるが、ここで取り上げている人工結晶は、常温で水成培養できるものである。

小林健二氏によって様々な薬品を使って、常温で人工結晶を作る実験が行われており、今回その成果もいくつかが紹介されている。

中には全長30cmほどの単結晶、直径20cm以上の結晶など、かなり大きなものも作られているし、色味としても様々な美しいが生まれ落ちている。

*2002年のメディア掲載記事より編集抜粋しております。

KENJI KOBAYASHI

現代によみがえる鉱石ラジオ

さぐり式鉱石ラジオをつくる(銀河通信社製鉱石ラジオキット『銀河1型』)

ではさぐり式とはいったいどんなタイプのものかというと、まさに鉱物結晶が目に見える形としてあって、そこに針状の接点をまさに感度の良いところをさぐりながらラジオを聴く、という式のものを言います。

今まで国産で作られたキットは、固定式鉱石検波器と言われる太さ1cm前後、長さ3-5cmくらいの筒状のものなどを使用したものもあったようです。

鉱石ラジオは、やはりこのさぐり式が鉱石ラジオたる醍醐味と言えるでしょう。

1、キットの内容は写真の通りで、サンドペーパーや小さなドライバーも入った完全キットとなっています。オマケにはゲルマニュームダイオオードが付いている説明書も入っているので、基本的にはこのままで組み上がるようになっています。しかしさらに小さめのドライバー(ブラスとマイナス)やハンダゴテ、しっかりとナットなどをしめるためのプライヤーなどがあると組み立てやすいでしょう。

2、作業はまずスパイダーコイルを巻くことから始まります。このスパイダー枠箱のキットの特性部品の一つで、まさに大正時代の製法によって黒色特殊絶縁紙を型抜後、一枚一枚高周波ニスで塗り固め田というもので、ファイバー製のものよりも手製の時代をしのばれるような感じを受けます。
手順や方法については、解説書に詳しく書いてあるので、ここではそこに書いていない部分に絞り、述べてみます。スパイダーコイルを巻くコツはとにかくゆっくりとあぜらず一巻き一巻き、きっちりとつめて巻いていく方が良いでしょう。かといって紙製の枠が壊れ流程力を入れてはいけません。回数を数えて巻くのは結構めんどうなものですが、このキットの場合、巻き切れればいいように設計されているので、お茶でも飲みながら楽しんで巻き上げていけます。方向は右回りでも左回りでもお好きな方をどうぞ。

3、中間のタップになるところは、赤と緑の線を10-15cmくらい絡めてから、また同じように同じ向きに巻いていきます。ゆっくりと同じくらいの速度と強さできっちりと写真のような感じで巻き上げましょう。この赤と緑のエナメル線も懐かしい感じがします。

4、コイルの巻き終わりは穴のある羽のところを1−2回ぐるっと線を回してから穴に通すとしっかりします。巻き始めの線、中間のタップの線、巻き終わりの線が、片方の面(同じ面)に出るようにしましょう。

5、ターミナルを付けます。これらはカラーベークのまさに鉱石ターミナルとかつて呼ばれていたものです。もうあまり見かけません。後ろから裏側で線を絡めるため、取り付けるときあまり固く締めないようにしましょう。(この画像は記事を複写しています)

6、バリコンを付けます。もしこのポリバリコンが金属製のバリコンだったら、まさに昔の鉱石ラジオのパーツが全て揃うところです。しかし今日では難しいでしょう。(銀河通信社では単連のエアーバリコンを使用したキットをいずれ発売予定とか)
ただポリバリといっても、すでに線もハンダ付けされているので工作は楽にできます。コツとしては線はいつも時計回りにターミナルに巻きつけること(締めるときに緩まない)と、線はピンと張らず少々たるむように配線することです。

7、バリコンにシャフトを付けます。この際、右にいっぱい回してしっかりネジ込みます。またネジロックや瞬間接着剤で固定した方がいいでしょう。ただ接着剤はくれぐれもはみ出さないようにしましょう。

8、ツマミを右にいっぱいに回した位置で、ツマミの後ろ側から小さなマイナスのドライバーでネジを締めて取り付けます。もっとしっかり取り付けたければさらに大きめのドライバーを用意して締めた方がいいでしょう。

9、鉱石検波器の鉱石の部分を取り付けます。裏側からナットを締めて付けます。まさにこのラジオの心臓部です。あまり鉱石の表面を素手で触るのはやめます。ここには方鉛鉱が使われていますが、方鉛鉱なら全て感度がいいという事はありません。このキットでは銀を多く含んだ特別に選んだ鉱物を使用しています。またその土台にも特殊な合金を使用して、一つ一つ手作業で仕上げています。

10、さぐり式の探る針はタングステンでできています。画像右上のように仮に取り付け、あとで調整します。

11、10の部分を裏から見たところです。S字の銅線ですでに配線されていたり、ベークのスペーサーでコイルを付ける台としているのがわかります。

12、サンドペーパーでそれぞれの線の端と、赤い線の中間部分の配線をどうするのかよく理解した上で、エナメル線のエナメルを剥がします。色のついたエナメルなので銅の色が出てきたらOKと分かりやすくなっています。

13、スパイダーコイルを取り付けようとしています。大きなワッシャーで挟み、ナットをプライヤーなどでしっかり締め、取り付けてください。

14、配線が終わった状態を裏側から見たところです。線の末はタマゴラグの穴に絡めてあるだけですが、この場合はハンダ付けが必要です。ハンダ付けしない場合は、ナットでしっかり他の線と一緒に強く締め付けてください。

15、タマゴラグの穴に線を絡め付けた後、ハンダ付けをした状態です。

 

16、鉱石ラジオ「銀河1型」完成です。

イヤフォンをつけ、アースとアンテナ(アンテナ1とアンテナ2)は感度の良い方を選んでください。鉱石の感度の良いところを探しながら、またバリコンで多少局の分離もできます。色々楽しんで作り、そしてまた本当の鉱物結晶から音が聴こえてくるような不思議な感覚を楽しんでください。(アンテナとアースについての記事を参考までに下記します)

アンテナとアース

これらは鉱石ラジオに使用される天然鉱物です。左から黄鉄鋼、方鉛鉱、黄銅鉱、紅亜鉛鉱。
ぼくは、自著の「ぼくらの鉱石ラジオ」の中で紅亜鉛鉱が一番感度が良いと説明していますが、とてもバラツキがあって実は一概に言えません。全体的に方鉛鉱が無難だと思います。しかし、このキット中のような感度の良い石ばかりではないと思います。下にあるゲルマニュームダイオードで、昔風の感じのものを選んでいます。銀河通信社の「銀河1型」キットについているものとは異なりますが、鉱石と針の部分につければ、ゲルマラジオに早変わりです。

 

*2000年のメディア掲載記事から抜粋し編集しております。

「オーディオクラフトマガジン創刊号」

KENJI KOBAYASHI

 

 

ART FURNITURE

子供の頃、家のそばに小さな町工場(まちこうば)というか、大きめの土間というか、そんな感じのところがあった。そこは、仲のいい同級生の家に向かう道の途中にあったので、まるで毎日のようにその前を行き来していた。そんなある日、その中から叫びとも掛け声ともつかぬ声とともに、やたらドカドカと音がする。好奇心に駆られて中に入ってみると、中年の男性が脚のある、どうやらイスのようなものに、スプリングや何かバンドらしきものをつけているか何かしていた。思ったよりすぐそばで目があっていたし、その汗まみれがニヤリと笑ったものだから、思わず「おじさん何作ってるの?」なんて聞いてしまった。すると男性は「カグダヨ」と言った。はっきり言って怖かったし、意味もよくわからなかったので、大急ぎで逃げるようにして家に帰った。家族に「あそこは何の家?」と尋ねたら、「あそこは自転車屋だよ」とのこと。「カグ」が「家具」とわかるのにも時間がかかった次第だし、ただの変わり者かもしれないおじさんとの出会いによって、中学の頃までイスは自転車屋が作るもtのとぼくは思っていた。

今にして思うと、気取り屋であったぼくにとっては、奇妙な建て増しや改造によってさながら妖怪屋敷の風であった我が家は、何にも増して悩みのタネであった。

そんな中では、突然3日ほどで内ブロが完成したりすることは日常茶飯事なのだが、倉庫の奥の端につくられたこれは、真昼でさえ懐中電灯を持たなければ、そこまでたどりつくことはできないと言った具合で、暑い夏の日の午後に、蝋燭を立ててそこで行水する母は、奇々迫るものがあった。

家がこんな感じだから、その中にある家具がどのようなものか想像してもらいたい。大体においてチャントシタ物、新品の物名ぢないわけだから、イスにしても机にしても小学校のうちに一通り作る機会に恵まれてしまったぼくに取って、家具を作るということは、アートとかデザインとかに関わらず、最も日常的なものになった。

小林健二製作の植物と一体化した家具。根が植えられている状態で展示されています。

小林健二製作の植物と一体化した家具。根が植えられている状態で展示されています。

小林健二の家具の部分。根のしっかりと付いた状態で水やりを忘れなければ、展示中に花も咲き実もつけた。

小林健二の家具の部分。根のしっかりと付いた状態です。水やりさえ忘れなければ、展示中に花も咲き実もつけた。

話は急に飛んで、その後美術に関係する仕事を始めてから最初に家具に関わったのは、1987年だった。”家具のオリジナリティ”という内容を持ったイベントであったので、”共存”をテーマとして植物と一体化した家具を作った。それは、テーブルやイスの中に水回りやメンテナンスを考えて、土や保水剤を使い、実際に根をはらせ、一ヶ月以上の展示の間にも枯れたりすることのないよう計らったもので、植物は花を咲かせ、小さな実もつけたりしてくれた。

しかし、製作の依頼や注文といった具体的なことになったきっかけは、ある時、期限が一ヶ月もない急ぎの仕事を友人から受けた後のことであった。その時の内容は「製品として売れること目的としながら面白いもの」というやたら漠然としたもので、一瞬ヤバイかもと思ったが、簡単な家具や照明器具ならイケルと製作に入ったものの、照明器具に凝りすぎたため、家具の方は一週間ほどしか時間が無くなってしまった。ところがかえって、それで悩んだりせずに作ることに専念でき、気分転換にまでなったりした。

その時に作ったイスやテーブルの製作工程は、まず注文が出ないように、なるべく手持ちの材料と技術でできることを念頭に置いてエスキースを描き、その中から作るものを選ぶことから始めた。次に座るという目的のために、大体の各部位の寸法を出した。基本的には鉄と木が中心になり、装飾のため、石、樹脂石膏、布、松脂を使った。鉄部の板材は4.2ミリ厚で、ガスとプラズマ・カッターで溶断し、その切断面をサンダーで整え、脚となる直径16ミリの鉄棒などを溶接し、木部や他の素材や、ノックダウン(各部剤を接着剤などで固定せずに、取り外し可能な状態にする)するところなどには8ミリ六角レンチを使用するため、あらかじめタップ(ネジで固定できるように、あらかじめネジ穴を作ること)を立てておいた。

プラズマカッターで鉄板を切断している小林健二

プラズマカッターで鉄板を切断している小林健二

また、防蝕を兼ねた表面処理は時間がなかったため、酸洗いで黒皮を取った後、簡単に黒染めをして調子を整え、その上にウレタンを塗っておいた。ただこのままでは面白くないと思ったし、錆が出ていた時の鉄の感じも好きだったので、鉄粉とPVA(ポリビニールアルコール)とで絵の具状のものを作り、部分的に塗って、その上にオキシフルをかけサビを出した後、蠟を塗って落ち着かせた。物によってはその上に溶かした松脂と蜜蝋で麻の布を張ったり、石灰の粉を漆と混ぜて塗ったりした。木の部分は木の商いをしている友人が、ワレやネヂレためにはねられ、捨てなければならない木があるからと譲ってくれたジョンコン、マコーレ(南洋材)、タモなどの木を用いた。以前より持っていた釿(ちょうな)を使い、大きくハツッタ(ハツル=木をちょうなで大まかに剥ぎ取ること)後、トクサ(トクサ科の植物、茎は珪酸を含み、堅いので細工物などを磨くのに用いる)とウズクリ(茅などを束ねて荒縄で縛ったもの。木を磨くと木目を出すことができる)で仕上げた。当初は石を彫ってつけたりしたところもあったが、その後型を作って樹脂石膏に置き換えたりした。

このようにして作られた家具が、その後70個あまりになるとは思いもよらなかった。

ぼくはこれからも仕事をしていてものが見えなくなったり、疲れてしまうことがあったら、趣味として家具は作ってみたいと思う。なぜなら、ぼくの作ったものを持っていてくれる人たちが「あれ結構愛着湧いたりして具合いいよ」なんて言ってくれる時は嬉しいし、かつて、石のテーブルに咲いた花が小さな実をつけた時に、とても感動したことがあったから。

小林健二

小林健二製作の家具。左から[ALIE] [FOUPOU] [DUMEX]。このイスたちは寝具専門店Al-jabrの依頼により製作されたもの。

小林健二製作の家具。左から[ALIE] [FOUPOU] [DUMEX]。このイスたちは寝具専門店Al-jabrの依頼により製作されたもの。

寝具専門店Al-jabrの内装や什器製作の依頼により製作された小林健二の家具たち。

寝具専門店Al-jabrの内装や什器の依頼により製作された小林健二の家具たち。

小林健二の道具の中でも、木工のための工具は多い。このイスの木の部分は、釿(ちょうな)と言われる道具使用。

小林健二の道具の中でも、木工のための工具は多い。このイスの木の部分は、釿(ちょうな)と言われる手道具を使用。

ウズクリ(茅などを束ねて荒縄で縛ったもの。木を磨くと木目を出すことができる)と小林自作の多分細い木を束ねてかtがめてある道具で堅木などは茅よりもこちらの方が強く磨ける模様。

右がウズクリ(茅などを束ねて荒縄で縛ったもの。木を磨くと木目を出すことができる)と左は小林健二自作の、多分細い木を束ねてかためてある道具で堅木などは茅よりもこちらの方が強く磨ける模様。

小林健二の手道具の中でも木工用のものは充実している。画像はその一部。

小林健二の手道具の中でも木工用のものは充実していて美しいものが多い。手入れが行き届いた道具の数々。画像はその一部。

Tools vol.3 from Kenji Channel on Vimeo.

*1990年のメディア掲載記事から編集抜粋し、画像が新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

 

[鉱石ラジオを楽しむ]後編

*「無線と実験(1998年2月)」の記事より編集抜粋し、画像は記事を参考に付加しております。

鉱石ラジオの心臓部とも言える鉱石検波器用の鉱物。上段両端は自作のケース入り。

鉱石ラジオの心臓部とも言える鉱石検波器用の鉱物。上段両端は自作のケース入り。

3,

鉱石ラジオの心臓部は何と言っても鉱石検波器です。そして、その主人公はやはり鉱物の結晶でしょう。若い頃に鉱石受信機を作り、しかもそれがさぐり式のように鉱物を外観からも確認できるタイプのものを体験されている方なら、すぐに方鉛鉱や黄鉄鋼といった鉱物の名称が思い浮かぶでしょう。確かにこれらの鉱物は一般的に入手しやすいし、またちょっと採掘や石拾いの経験の持ち主ならば、山歩きの時などに手に入れたことがあると思います。しかしながら、例えば方鉛鉱についていえば、国産のものには銀の含有量が必ずしも多くないので、感度についてはあまり望めないというのが実情です。ただ現在は各地でミネラルショーが行われたりする関係上、かえって昔より確実に入手できるルートも開け、またずっと安価となりました。

方鉛鉱ーGALENA(ガレナ)。フランクリン鉱山(アメリカ)産。 方鉛鉱はハンマーで軽く叩くと、完全な劈開(方向性のある割れ方をする)があるので、サイコロ状に割れます。

方鉛鉱ーGALENA(ガレナ)。
方鉛鉱はハンマーで軽く叩くと、完全な劈開(方向性のある割れ方をする)があるので、このようにサイコロ状に割れます。

もし鉱石検波器を自作しようとして鉱物をお探しになり、ミネラルショーや鉱物専門店にお出かけになるなら、私としては紅亜鉛鉱(こうあえんこう)”Zincite”ジンサイトという酸化亜鉛の鉱物をオススメします。この鉱物は地球上では北アメリカのニュージャージー州のフランクリン鉱山でしか現在は産出しないものですが、安価であるばかりか、感度も飛び抜けて安定しているからです。

紅亜鉛鉱(こうあえんこう)ZINCITEZ(ジンサイト)。北アメリカのニュージャージー州のフランクリン鉱山しか現在は産出しない。

紅亜鉛鉱(こうあえんこう)ZINCITEZ(ジンサイト)。北アメリカのニュージャージー州のフランクリン鉱山しか現在は産出しない。標本の赤い部分がそうです。

もちろん一見そんな特殊な鉱物が手に入らなくても、驚くような感度を期待しなくても良いならば、サビびた針や釘でも検波はできます。ただサビといっても赤サビでは直流抵抗も高く安定しないので、俗にいう黒サビのものでなければ具合は悪いのです。黒サビのついた針はあまり正確な方法ではありませんが、コンロなどで赤く焼いて自然冷却したような方法で用意します。あるいは本当は電池と抵抗体で2ボルト以下のバイアス電圧を印加すると、古くなったカミソリと鉛筆の芯でも優れた検波器を製作できます。

カミソリと鉛筆の芯によって作られた検波器を使った鉱石受信機。1940年代の米国の記事から小林健二が復刻したもの。W148xD98xH40mm

カミソリと鉛筆の芯によって作られた検波器を使った鉱石受信機。1940年代の米国の記事から小林健二が復刻したもの。W148xD98xH40mm

少し風変わりな検波器といえば、表面に金属を蒸着して、アクセサリーの一部とした販売されている水晶やガラス製品、あるいは2本のシャープペンの芯などに縫い針を渡した構造のものでも検波できることがあるのです。検波する原理はダイオードを発明する以前よりアンダーグランドにあったことは歴史的に説明されていて、その原点となるのは鉱石検波器であることは明白なことと思います。(*現在の電気の歴史上あまり重要とされていない)

右は鉛筆の芯とその間に置かれた縫い針とで検波する変わった検波器。(小林製作) 左はおもて面に酸化チタンを蒸着メッキした水晶。小林によると使い方で検波も可能とのこと。

右は鉛筆の芯とその間に置かれた縫い針とで検波する変わった検波器。(小林健二製作)
左はおもて面に酸化チタンを蒸着メッキした水晶。小林によると使い方で検波も可能とのこと。

しかしながらその作動原理ということになると、ダイオードはまさに半導体のPN接合による理論体系の上で製作されており、正孔や自由電子の振る舞いによって淀みなく説明でき流のですが、鉱石検波器及びそれに準ずる検波器については必ずしもこの方法論だけでは説明仕切れないというところがあります。私にはそれもまた鉱石受信機の魅力の一つとなっています。

私としては鉱石受信機全体について虜になった人間として、その魅力についてもっと語りたいのですが、現在オーディオ雑誌である「MJ 無線と実験」誌上であまりくどくど説明するとかえって逆効果になりかねないのでこの辺にしておきましょう。

ゲルマニュームダイオード今昔。下方が比較的新しいもの。

ゲルマニュームダイオード今昔。下から5本目はその上のものと同じで、プラスチックのカラーを外したもの。下方の2本が比較的新しいもの。

米国シルバニア社製のゲルマニュームダイオード。1940年代の製品としてはもっとも初期のものの一つ。

米国シルバニア社製のゲルマニュームダイオード。1940年代の製品としてはもっとも初期のものの一つ。

ただ最後に鉱石ラジオの音について少し述べさせていただくと、それはまさに小さくとも透き通った音なのです。私の製作した鉱石ラジオを聴いた方は、まずみなさん開口一番このことを話されます。「もっと聴きづらいかと思った」。

確かに三球レフレックスや五球スーパーをお作りになった方はハムやフィードバックのノイズがあることを経験されているので、もっと旧式なものだからきっと聴きづらい、と類推されるようです。1987年に製作した「サイラジオ」と名付けた私のラジオにいたってはその「ピー」とか「ギャー」という一連のそれらしい音をトランジスター回路にサイリスターのノイズを入れるようにして作ったほどです。

もちろん単純にコイルとコンデンサーそして検波器だけで製作した鉱石ラジオは分離特性が悪いため、異局の混信は免れませんし、バリコンを動かしてみたところで、常に他局の放送が被っていて同調器をいじってみたところで主客が入れ替わる程度の分離状態です。

ところがどうでしょう。数分もラジオに戯れていると、少しづつ放送が聴こえてくるではありませんか。頭を冷静にして考えてみるとラジオは特に何も変化はなく、変わっていったのは自分の耳の方だと気づいたのです。無意識のうちにノイズとサウンドの主客が認識されると、自分の中の感性がラジオの足りなかった分離特性を補っていたのです。

小林の生家の全身。当時、神田にあった「蓄晃堂」

小林の生家の全身。当時、神田にあった「蓄晃堂」

これは私がかつてある日の実験中に感じた出来事の一つですが、その時私は昔母や父から聞いたいくつかのエピソードを思い出していました。それは戦争中の話にさかのぼりますが、実家はその頃、新橋で『蓄晃堂』というレコード店を営んでおりました。昭和19年から20年にかけて空襲は本土へ日ごとに多く、また激しくなっていったそんなある寒い朝、家からそう遠くない場所にある日本楽器(現ヤマハ)に直撃弾が落ちのです。その時の空襲は火災は思うほどではないのに空が暗くなったと見上げると、空一面におびただしい楽譜や譜面が飛び交っていたそうです。そしてその現場に当時貴重であったそれらの譜面を一枚でも水や火に当てまいと母たちは走っていった時、まるで嵐のように風に舞い散る現場に着くと、すでに数十人の人たちが早々と防空壕から出てきていて手分けしてそれらを拾い集めていたというのです。母は「この国には本当に音楽好きが多いんだね」と感動し、自分もすぐにその仲間に加わったとのことでした。

その頃本当に物がなくて、入手ルートから粗製のレコード針が入ってくると、空手警報の最中でも情報を知った人々が集まりすぐに売り切れになったそうです。母の自慢はそんな時でも、誰も彼もが一箱づつしか買っていかなかったということでした。ちなみに母がいつも笑って言っていたのは、そのレコード針の箱絵には『RCAのラッパと犬』ではなく「あんな時代だからラッパと招き猫だった」とのこと。まさに音楽が生きるためにあった時代だったのですね。

私がやがてバンドに夢中になった頃「全くSP盤って雑音だらけだね」というと、父はよくそれはお前の耳が悪いからだと言っていました。昔の人は何かと昔を懐かしがる、だから雑音だってここと良いんだと言わんばかりにしか思わなかった私ですが、鉱石ラジオを作るようになってから、少しづつ考えが変わりはじめるようになったのです。

確かに今までの自分はいつの間にか機器にばかり凝ってかえって音楽よりノイズばかりを気にして聴いていたのではないのではと思ったりもしたからです。それ以来、私はあえてノイズを付加したようなラジオを作らない代わりに、ノイズに対してやたら反応する耳ではなくて雑音の海の中の音楽をすくいだし、そして楽しめる耳と心を持ちたいと考え始めたのです。

そしてそれはあの命がけの音楽の時代に生きた、今は亡き父と母から一つの通信を鉱石ラジオによって受け取ったのではないかという、そんな気もしてならないのです。

小林健二

[鉱石ラジオを楽しむ]前編

KENJI KOBAYASHI

絵を描きはじめた頃から

[フルヌマユ:春のみずうみ] 春のみずうみは暖かい陽気が立ちこめている。やわらかな形たちが揺れながら遊んでいるようだ。みんなとても楽しそう。夢のような場所。誰かがいつもぼくを迎えてくれる。それほど遠くない場所。ぼくは眠りについてそこへ出かける。いつもなら彼らは怪物と呼ばれている。

[フルヌマユ:春のみずうみ]
春のみずうみは暖かい陽気が立ちこめている。やわらかな形たちが揺れながら遊んでいるようだ。みんなとても楽しそう。夢のような場所。誰かがいつもぼくを迎えてくれる。それほど遠くない場所。ぼくは眠りについてそこへ出かける。いつもなら彼らは怪物と呼ばれている。

それはやっぱり、幼い頃は鉛筆やクレヨン、水彩絵の具といった、何処にでもある方法だった。

10代も半ばを過ぎてから、油絵の具を知った。それはぼくにとって厚みのある透明色を持ったものもある気に入った媒体になった。また、 タッチや盛り上げも出来るし薄く伸ばすこともできる。

やがて絵の具自身を自分で作ってみたいと思った。

20代初め頃、溶接工や工事現場で日雇いのアルバイトをしながら、夜、絵を描いた。そして時々休日には国会図書館に通ってはいろいろな画法に関する資料を読み、また洋書の絵画材料や技法書を丸善などで入手し翻訳しながら、大げさに言えば研究に熱中した。

油絵の具の他、テンペラやデトランプ、アンコスティックや水ガラスによる ステレオクロミー画法など、とりわけ透明を感じる技法は、ぼくをワクワクさせた。貴石のクズを安く購入してそれを砕いて粉にし、水簸(すいひ)をしたあと乾燥させたものを様々な媒体によって溶き、それによって心の中の風景を描くことに喜びを感じていた。

[フルヌマユ:飛行する気流] ぼくは時々彼らと出合う。中に透明でゆるやかな姿をしている。彼らはレンズや風船、そして気球のようなその姿の中に、いっぱい素敵な喜びをたずさえている。とても巨大で怪物のように見えるかもしれない。けれど、ぼくにとっては、何よりも安らぎを与えてくれる。

[フルヌマユ:飛行する気流]
ぼくは時々彼らと出合う。中に透明でゆるやかな姿をしている。彼らはレンズや風船、そして気球のようなその姿の中に、いっぱい素敵な喜びをたずさえている。とても巨大で怪物のように見えるかもしれない。けれど、ぼくにとっては、何よりも安らぎを与えてくれる。

また、「刃物研ぎマス」といった小さな看板を当時共同で借りていたアトリエのドアに気が向くと下げて、刃物を研いだりした。それらは近所の日曜大工が趣味でいる人のカンナ刃や、オクサンたちの包丁だったりしたが、そこそこお小遣いになったりした。

また、キャンバスや絵の具を作り、それが知人たちに結構好評で、生活の糧の一部になった時もあった。

その頃、友人たちから時々美術館などの展覧会のタダ券が手に入ることもあったが、あまり行ったことがなかった。つまり、ギターを弾いたり、そんな調子で絵を描いたりするのは好きだったが、「美術」というものに興味が深いかどうかは未だあやしい。

工作もとても好きであっても、本職のようになりたいと思ったことはない。だからいつもぼんやりとした世界のことばかり想っている。近代や現代と言われる言葉に形容される文脈を持った美術に、あまり関係がなく生きてきた。記憶の底でいつか垣間みたかもしれない風景や物語を、描いていたり作ったりしている。

[巨きな生き物の平原] 初夏の夢は大抵ゆっくりと、そしてうっとりとしている気がする。暖かく涼しく、そして眠い。巨きな生き物たちも霧かもやの中で穏やかでいる。青色の液状平原から光色のエネルギーを吸い上げている3対の柱を持った生命体は時々夢の平原のどこかしらに出現していたらしい。そのものは長い時間得た成分を虹のような香りや風のような音律にかえて、その上部より上方へと世界を楽しませる為に解き放っている。この次に出会った時にもっとその姿を眺めてみよう。そして出来たら少し話しかけてみよう。初夏の国の不思議な風景の中。

[巨きな生き物の平原]
初夏の夢は大抵ゆっくりと、そしてうっとりとしている気がする。暖かく涼しく、そして眠い。巨きな生き物たちも霧かもやの中で穏やかでいる。青色の液状平原から光色のエネルギーを吸い上げている3対の柱を持った生命体は時々夢の平原のどこかしらに出現していたらしい。そのものは長い時間得た成分を虹のような香りや風のような音律にかえて、その上部より上方へと世界を楽しませる為に解き放っている。この次に出会った時にもっとその姿を眺めてみよう。そして出来たら少し話しかけてみよう。初夏の国の不思議な風景の中。

でも、こんな風にして絵を描いたり、石を彫ったりして生きている人たちはきっとぼくだけではないだろう。いうならば、ぼくはそのような人たちの一人に過ぎないと思う。

若い頃からつづく日々が、星の涯(はて)の世界や心の中の見えづらい世界のことばかりに惹かれていて、外へ出歩いたり人に会ったりするのが得意ではなく、今日がいったい何月何日なのかわからないでいることが多い。

只、絵を描いたりすることが単に自己を顕すためだけの仕事であったり、上ばかり見て深さを求めないような生き方であることを願ったことはない。

ぼくのようにありふれていながらも、そしていつの時代にもいるだろう人間であっても、知らないうちにこの世に生まれ、いつかは誰かのこころの中のうっすらと浮かんだ幻のような世界の中へ、溶けて行ってしまいたいとどこかで思っているのかもしれない。

絵を描きはじめた幼い頃から今に至るまで、生きている日々の暮らしと、それらが切り離れたことはないと思う。

小林健二

小林健二作品

[観測気球のようなこころ]
高い層の青い色へと近づきたくて、いつのまにかとても大きくなってしまった。でもすごくその場所は遠そうなのでこころを観測気球のようにして、体をすてて飛んでみることとしよう。

*2008年のメディア掲載記事から抜粋編集し、画像は新たに付加しています。

KENJI KOBAYASHI

基本的なゲルマラジオの製作2

前回ご紹介した[基本的なゲルマラジオの製作]の続きです。

コア入リコイルとヴァリコンのゲルマラジオ

コア入リコイルとヴァリコンのゲルマラジオ 「ぼくらの鉱石ラジオぼくらの鉱石ラジオー小林健二著)」より

コア入リコイルとヴァリコンのゲルマラジオ
「ぼくらの鉱石ラジオぼくらの鉱石ラジオー小林健二著)」より

コア入リコイルとヴァリコンのゲルマラジオの回路図

コア入リコイルとヴァリコンのゲルマラジオの回路図

材料 コア入リコイル 1本(作例ではマックス印のPA 63Rというタップ付きインダクタンスコイルを使用しています) ポリヴァリコン(単連290 pF)1個 ヴァリコン用ツマミ 1個 ゲルマニウムダイオード 1本 抵抗1/4W(4分の1ワット)500kΩ(キロオーム)1本(この抵抗はなくてもかまいません) ターミナル、あるいはそのかわりとなるネジ等の金具 配線用エナメル線 10 cmほど クリスタルイヤフォン 1個 ケース(作例では透明のプラスチックの箱、外形4 cm× 7cm X 1 5cmを使いました)

材料
コア入リコイル 1本(作例ではマックス印のPA 63Rというタップ付きインダクタンスコイルを使用しています)
ポリヴァリコン(単連290 pF)1個
ヴァリコン用ツマミ 1個
ゲルマニウムダイオード 1本
抵抗1/4W(4分の1ワット)500kΩ(キロオーム)1本(この抵抗はなくてもかまいません)
ターミナル、あるいはそのかわりとなるネジ等の金具
配線用エナメル線 10 cmほど
クリスタルイヤフォン 1個
ケース(作例では透明のプラスチックの箱、外形4 cm× 7cm X 1 5cmを使いました)

このラジオはC(コンデンサー)同調式といいます。(詳しい原理などはおってアップ予定です)L(コイル)は動かしません。作例では実験として各タップにもアンテナをつなげられるようにしてみましたが、回路図のように黄のタップは実際には使用しません。

使用したコイルは小型ラジオを製作するために作られたもので、フェライトの磁性体をコイル筒の中央に入れることでインダクタンスを高くしているため、太さ8 mm、長さ(本体)3 cmと小型にできています。4 cmくらいの長さに出ている銅線は取り付け用のもので、ハンダ付けをしたり、途中で適当に切ったりできるものです。

なおプラスチックケースは熱に弱いので、部品は瞬間接着剤でくっつけました。

PA-63Rの取り付け方

PA-63Rの取り付け方

裏から見たところです。

裏から見たところです。

実体配線図

実体配線図

プラスチックケースの加工

プラスチックケース(スチロール製)は、アクリルや塩化ビニルやABS樹脂とくらべると加工がしづらくて、 ドリルで穴をあけようとするとかえって割れてしまったりするのですが、熱したクギなどでもすぐに穴があけられるので、いろいろと工夫してみてください。プラスチックケースがなければ、マッチ箱などを利用するのもいいと思います。

調整と聞き方

アンテナを自のタップのところにつけて、アースもつけ、ヴァリコンを動かして同調をとって聞きましょう。もし感度がアンテナが小さいことでうまくいかないようなら、黄のところにもつなぎかえたりしてみてください。

ミュー(μ )同調器を使ったゲルマラジオ

ミュー(μ )同調器を使ったゲルマラジオ 「ぼくらの鉱石ラジオー小林健二著」より

ミュー(μ )同調器を使ったゲルマラジオ
「ぼくらの鉱石ラジオー小林健二著」より

ミュー(μ )同調器を使ったゲルマラジオの回路図

ミュー(μ )同調器を使ったゲルマラジオの回路図

材料 ミュー同調器 1個 セラミックコンデンサー(100pF)1個 ターミナル 4つ ツマミ 1個 グルマニウムダイオード 1本 配線用エナメル線 10 cm クリスタルイヤフォン 1個 ケース(作例では透明のプラスチックの箱、外形4 5cm X7cmX2cmを使いました)

材料
ミュー同調器 1個
セラミックコンデンサー(100pF)1個
ターミナル 4つ
ツマミ 1個
グルマニウムダイオード 1本
配線用エナメル線 10 cm
クリスタルイヤフォン 1個
ケース(作例では透明のプラスチックの箱、外形4 5cm X7cmX2cmを使いました)

回路図中及び実体配線図中で、アンテナ 、アース 、コイル、 ダイオード、コンデンサー 、イヤフォンの関係がいろいろな位置で表してありますが、最終的にどことどこをつなぐかさえ正しければよいのです。また、コンデンサーやコイルの矢印のあるものは可変できることを表しています。

回路図中及び実体配線図中で、アンテナ 、アース 、コイル、 ダイオード、コンデンサー 、イヤフォンの関係がいろいろな位置で表してありますが、最終的にどことどこをつなぐかさえ正しければよいのです。また、コンデンサーやコイルの矢印のあるものは可変できることを表しています。

裏から見たところです。

裏から見たところです。

このラジオはL(コイル)同調式で、C(コンデンサー)は100 pFで固定されています。ミュー同調器はコイルの中のコアを動かしてLを変化させるので、コアの動くスペースを考えておかなければなりません。それ以外はあまリスペースを取らないので、作例では余ったスペースにイヤフォンを入れるようにしました。

ミュー同調器はなかなか入手しづらいかもしれませんが、参考としてあげました。コルの中のコアを出し入れするものですから、自作はそれほど難しくありません。

調整と聞き方

ミュー同調器はメカニックで動くので、組み立てる前に、スムーズに動くように油などをギヤ部にさして調整をしておき、組立て後にも再度調整をしましょう。アースとアンテナを逆につけかえたりして感度をみてください。

ミュー同調器の自作

ミュー同調器が手に入らなかったり自作したい場合のために、ダストコアと呼ばれるものを紹介します。これは直径4~10 mm長さ2~ 20 cmくらいまであるフェライトなどの磁性材料を使って棒状に作られたものです。これをミュー同調器のようにギアを使ったり、あるいは図のようにプーリとワイヤーでコイルのなかにダストコアが出入りする機構を作ってあげればいいのです。

ミュー同調器の自作

ミュー同調器の自作

ミュー同調器の自作

ミュー同調器の自作

ミュー同調器とヴァリコンを使ったゲルマラジオ

ミュー同調器とヴァリコンを使ったゲルマラジオ 「ぼくらの鉱石ラジオー小林健二著」より

ミュー同調器とヴァリコンを使ったゲルマラジオ
「ぼくらの鉱石ラジオー小林健二著」より

材料 ミュー同調器 1個 ヴァリコン単連290 pF l個(作例では古いミゼットヴァリコンを使用しています) グルマニウムダイオード 1本 ツマミ 2個 ターミナル 4個 配線用エナメル線 10 cmほど クリスタルイヤフォン 1個 ケース(作例では透明のプラスチックの箱、外形4cmX10cmX2 5cmを使いました) (写真には抵抗も1本写っていますが、今回使用しませんでした)

材料
ミュー同調器 1個
ヴァリコン単連290 pF l個(作例では古いミゼットヴァリコンを使用しています)
グルマニウムダイオード 1本
ツマミ 2個
ターミナル 4個
配線用エナメル線 10 cmほど
クリスタルイヤフォン 1個
ケース(作例では透明のプラスチックの箱、外形4cmX10cmX2 5cmを使いました)
(写真には抵抗も1本写っていますが、今回使用しませんでした)

ミュー同調器とヴァリコンを使ったゲルマラジオ の「回路図

ミュー同調器とヴァリコンを使ったゲルマラジオの回路図

実体配線図

実体配線図

ミュー同調器とヴァリコンを使ったゲルマラジオの裏

ミュー同調器とヴァリコンを使ったゲルマラジオの裏

調整と聞き方

このラジオはL、C同調式で、可動部が2つあるのでしっかり製作してください。

聞き方としては、まずヴァリコンを真ん中の位置にしてミュー同調器を動かし、感度のいいところを見つけたらヴァリコンを動かし、またミュー同調器を動かすというようにしてみてください。

 

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

KENJI KOBAYASHI

パステルをつくろう

パステル(BT増刊)1993」より画像は複写して使用しております。

パステル(BT増刊)1993」より画像は複写して使用しております。

かけがえのない小さな力で見えない電磁波を探るといった小品から、世界の広さや歴史の重みを圧縮したかのような大作まで・・・小林さんの作品はさまざまな種類の材料と技法の混合でつくられる。作品をひとつのイメージに近づけて行くためには、古典技法や画材の製法から電気的な知識までが必要だ。

アトリエに並ぶ道具や材料の数々もおびただしい。

「道具そのものにも強い関心があるけれど、ぼくの本当の興味は、それらが長い美術史の中でどのように使われてきたかということの方にある。たとえばパステルひとつ例にとっても、いつの時代の画家がどんな色で何をどのように描くために作られたのか、といった条件によって原料の調合や製法もさまざまに違う。そして、そのパステルを作っていた職人が死んでしまうと、同じパステルは2度と作られない。同時にテクニックもまた忘れ去られてしまう運命にある。だから今後、道具をきちんと未来に残して行くとともに技法も伝授する『絵画や道具の博物館』が、美術館と同じくらい必要になってくると思う。」

小林さんはこれらの道具を眠らせることなく、日常的に使いながら製作する。自然界からたまたま今私たちの手元に持ち出されてきた素材たちもまた、全て『生きている』といってもいい。

彼は顔料のもとになる岩石や鉱石の多彩な表情にも思いをはせる。

小林さんの鉱物、岩石コレクションの一部。この中から柔らかいものは顔料にすることができる。

小林さんの鉱物、岩石コレクションの一部。この中から柔らかいものは顔料にすることができる。

「絵を描くことは本来人間にとってプリミティブ(原初的)な行為だということは、古代の洞窟画を見てもわかるよね。鉱物や植物の中から顔料として色彩を探りだし操ることは、天然にある共通の現象を使ったひとつの言語、アレロパシー(物質言語)だと思うんだ。さらに生命を持っていないはずの鉱石が、実はとても有機的な結晶構造を持っていたり、ラジオの電波の検波装置になったりすることを考え併せると、『モノ』にも心があるんじゃないだろうか。」

この時自分で画材を作ることが、絵を描くことに通じる。ともに『モノ』を愛することとして・・・。どんなものとも話ができるというミラクルをファンタジーではなくアートが可能にする。

では、どんな時に、なぜパステルを自作するだろう。

「パステルは柔らかく固着性に乏しく、しかも油で粒子が包まれた油彩絵の具と違って顔料が裸に近く、デリケートに反応しやすいので、技法的に紙の上で色を混ぜるにはあまり適さない。だからたくさんの色数を用意しなければならないんだけれど、それはちょっと大変。それから同じ色を大量に欲しい時。手で持って壊れず、紙の上で粒子に砕ける硬さに固めるのも難しいけどね。」

画材を作るということは、作品を作ることにつながる。現代で失われた『モノを作る』ことの本質が、ここにはある。

「鉱石や薬品から大きな発見が生まれる瞬間は、この世界に自分が自分として生まれてきた理由を見つける旅や実験なんだ。アートやアーティストが『人工』を語源とするものならば、それはいつの世でも、『天然』に対しても対峙できる知恵を持った人でありたいと思うんだ。」

自然の神秘の囁きに耳を澄ますように。自分だけのパステル作りから広がる宇宙へ。

少しづつ買い集めてきたという小林さんのパステルやコンテ。 今では手に入らないものもあるが、日常的に使うことで、その貴重な色は今生きていると言える。お気に入りはセヌリエのiriseというパールカラーのオイルパステル21色セット。

少しづつ買い集めてきたという小林さんのパステルやコンテ。
今では手に入らないものもあるが、日常的に使うことで、その貴重な色は今生きていると言える。お気に入りはセヌリエのiriseというパールカラーのオイルパステル21色セット。

材料は大きく分けて次の三種類。 1、顔料。色の元になるもの。 2、体質顔料。パステルのボディそのものを作る。カオリン(クレーや白土といった粘土の仲間)やムードン(炭酸カルシウム)、ボローニャ石膏(天然の硫酸カルシウム)など。 3、結合材。粒子を膠着させるメディウム。アラビアゴム、トラガカントゴム、膠(ニカワ)など。 これらの材料はたいてい大きな画材店や薬局で手に入れることができる。配合比は自分の好みでブレンドしながら選ぶのが良い。難しいことではあるが、そこに自作する意義がある。

材料は大きく分けて次の三種類。
1、顔料。色の元になるもの。
2、体質顔料。パステルのボディそのものを作る。カオリン(クレーや白土といった粘土の仲間)やムードン(炭酸カルシウム)、ボローニャ石膏(天然の硫酸カルシウム)など。
3、結合材。粒子を膠着させるメディウム。アラビアゴム、トラガカントゴム、膠(ニカワ)など。
これらの材料はたいてい大きな画材店や薬局で手に入れることができる。配合比は自分の好みでブレンドしながら選ぶのが良い。うまくいかない時もあるかもしれないけど、そこに自作する意義があると思う。

1, 作りたい色の顔料と体質顔料(カオリン、ムードン、ボローニャ石膏など)の粉末を均一に混ぜる。体質顔料が多くなると白っぽくなる。

1, 作りたい色の顔料と体質顔料(カオリン、ムードン、ボローニャ石膏など)の粉末を均一に混ぜる。体質顔料が多くなると白っぽくなる。

2,柔らかく握れるくらいになるように蒸留水を混ぜる。料理に例えるならば蕎麦をうつ感覚の柔らかさと言える。

2,柔らかく握れるくらいになるように蒸留水を混ぜる。料理に例えるならば蕎麦をうつ感覚の柔らかさと言える。

3,結合材としてアラビアゴムを用意。水につければ二日で溶ける。あるいは膠の場合は水につけて膨潤させ、40-50度で湯煎して溶かす。

3,結合材としてアラビアゴムを用意。水につければ二日で溶ける。あるいは膠の場合は水につけて膨潤させ、40-50度で湯煎して溶かす。

4,2に3をほんのすこしづつ足してペースト状に。微量だとソフト、多めだとハードな物ができる。色々試して自分にあった硬さを探す。

4,2に3をほんのすこしづつ足してペースト状に。微量だとソフト、多めだとハードな物ができる。色々試して自分にあった硬さを探す。

5,スラブ(大理石の板)か厚めのガラス板の上にのせて、練り混ぜる準備をする。木や金属の板だと違う顔料やゴミが混ざったりする恐れがある。

5,スラブ(大理石の板)か厚めのガラス板の上にのせて、練り混ぜる準備をする。木や金属の板だと違う顔料やゴミが混ざったりする恐れがある。

6,モレット(ガラス製の絵の具をねる道具)かスパテラ(金属製のへら)で練る。成分的に金属を嫌う顔料もあるのでモレットが便利。

6,モレット(ガラス製の絵の具をねる道具)かスパテラ(金属製のへら)で練る。成分的に金属を嫌う顔料もあるのでモレットが便利。

7,均一に練られたパテ状のものを手でパステル一本分の大きさに固める。時間をかけすぎるとボロボロに乾いてしまうので注意。

7,均一に練られたパテ状のものを手でパステル一本分の大きさに固める。時間をかけすぎるとボロボロに乾いてしまうので注意。

8,板を使ってパステルを転がし、円筒形のかたちに整える。あまり細くしすぎると、乾いたときに折れやすいものになってしまう。

8,板を使ってパステルを転がし、円筒形のかたちに整える。あまり細くしすぎると、乾いたときに折れやすいものになってしまう。

9, さらに自作の木型で挟んで成型するのも良い。固まって木型にくっつかないように、このとき紙で手製のラベルを巻いておくと良い。

9,さらに自作の木型で挟んで成型するのも良い。固まって木型にくっつかないように、このとき紙で手製のラベルを巻いておくと良い。

10,完成です。セラドングリーンと薄めのコバルトブルーのハンドメイドのパステルが出来上がった。ホコリのない場所で24時間ほど乾かす。余ったものはラップに包めば保存もできる。

10,完成です。セラドングリーンと薄めのコバルトブルーのハンドメイドのパステルが出来上がった。ホコリのない場所で24時間ほど乾かす。余ったものはラップに包めば保存もできる。

リサイクル

a,失敗して砕けてしまったものや小さくなって使いきれなかったパステルのかけらを、色別に分けて撮っておけば再利用ができる。

a,失敗して砕けてしまったものや小さくなって使いきれなかったパステルのかけらを、色別に分けてとっておけば再利用ができる。

b,作りたい色を考慮しながら、混ぜ合わせるものを選び出し、できるだけ細かく砕いて均一な粉末にする。ホコリやゴミの混入に注意。

b,作りたい色を考慮しながら、混ぜ合わせるものを選び出し、できるだけ細かく砕いて均一な粉末にする。ホコリやゴミの混入に注意。

c,2に戻って同様に適量の水とわずかな結合材を足して、混ぜて練る。あとは同様の手順で完成させる。見事にリサイクルできる。

c,2に戻って同様に適量の水とわずかな結合材を足して、混ぜて練る。あとは同様の手順で完成させる。見事にリサイクルできる。

「眠りへの風景:脈拍」 エンコスティックによる作品(自作のパステルも使われている) 1000X1335X55mm 1992

「眠りへの風景:脈拍」
エンコスティックによる作品(自作のパステルも使われている)1000X1335X55mm 1992

*1993年「パステル(BT増刊)」より抜粋編集し、作品以外の画像は記事を複写して使用しております。

KENJI KOBAYASHI

 

 

基本的なゲルマラジオの製作

簡単な受信機がどのような作動をするのか確かめながら、かつて少年たちが夢見た受信機の製作へと少しずつ近づいていってみましょう。

基本のゲルマラジオ(プロジェクト1)

まずは鉱石ラジオの作動を確認するために、手近な材料とゲルマニウムダイオードを使ってゲルマラジオを作ってみましょう。

基本のゲルマラジオ(プロジェクト1)

基本のゲルマラジオ(プロジェクト1)

プロジェクト1の実体配線図

プロジェクト1の実体配線図

材料・ トイレットペーパーの芯 1本/ 15 cm角くらいの木の板 1枚/ 竹串 1本/ 画鋲 5つ/ エナメル線 20mほど/ クリスタルイヤフォン 1個/ グルマニウムダイオード 1本(使用する時、向きはどちらでもよい)/ サンドペーパー少々

材料・ トイレットペーパーの芯 1本/ 15 cm角くらいの木の板 1枚/ 竹串 1本/ 画鋲 5つ/ エナメル線 20mほど/ クリスタルイヤフォン 1個/ グルマニウムダイオード 1本(使用する時、向きはどちらでもよい)/ サンドペーパー少々

材料はこれでなければだめというわけではありませんので、家にある材料を利用してください。今回はハンダ付けをしないので、部品の固定や接合を安定させるために画鋲を使います。エナメル線は0.4~ 0.7mmくらいのもので、色は好きなものを使ってください(作例では0.5mmのものを使っています)。ダイオードはゲルマニウムタイプなら(lN60、 lN46、 lN34など)どれでもかまいません。

この工作では、ゲルマラジオから放送が聞こえるのを体験することがいちばんの目的ですから、接合部分さえきちんとすれば、コイルの巻き数が少々ちがったり、コイルの芯の太さが多少異なってもかまいません。

まずコイルの芯を作ります。 トイレットペーパーの芯に、焼きとり用の竹串か、割 り箸を細くしたようなものを、ボンドかセロテープで固定します。

まずコイルの芯を作ります。 トイレットペーパーの芯に、焼きとり用の竹串か、割 り箸を細くしたようなものを、ボンドかセロテープで固定します。

竹串をはさんで紙筒に2カ所穴をあけ、ちょうど竹串の下をくぐらせるように10~ 15 cmくらいエナメノン線を引き出しておいて、巻きはじめを固定します。

竹串をはさんで紙筒に2カ所穴をあけ、ちょうど竹串の下をくぐらせるように10~ 15 cmくらいエナメノン線を引き出しておいて、巻きはじめを固定します。

エナメル線はどちらでも巻きやすい方向へ、なるべくつめてしっかりと巻きます。

エナメル線はどちらでも巻きやすい方向へ、なるべくつめてしっかりと巻きます。

巻き数は120~ 150回くらいです。ひととおり巻きおわったら巻きはじめと同じようにして固定し、引き出し線を10~ 15 cmくらい残して切ります。 竹串によって出っ張った部分の被覆をサンドペーパーではがし、銅を露出させます。(作例では、見やすいように色のついた線を使用しています)

巻き数は120~ 150回くらいです。ひととおり巻きおわったら巻きはじめと同じようにして固定し、引き出し線を10~ 15 cmくらい残して切ります。
竹串によって出っ張った部分の被覆をサンドペーパーではがし、銅を露出させます。(作例では、見やすいように色のついた線を使用しています)

全体を組み立てます。

コイルの筒は画鋲で板にとめ、エナメル線の接続部分の被覆をサンドペーパーではがします。

コイルの筒は画鋲で板にとめ、エナメル線の接続部分の被覆をサンドペーパーではがします。

今回はハンダ付けをしないので、線と線をねじって接合します。ハンダ付けをするときは、下のようにハンダ付けをして出っ張りを切りますが、ねじっておけば再びはずすこともできます。

今回はハンダ付けをしないので、線と線をねじって接合します。

コイルから引き出した一方のエナメル線にクリスタルイヤフォンをつなぎます。もう一方にゲルマニウムダイオードをつなぎ、さらにダイオードを介してイヤフォンヘとつなぎます。ところどころに画鋲を打ってそれぞれの線を台に固定します。そして10 cmくらいの長さに切った銅線の両端の被覆をはがし、一方を折り曲げてねじり、コイルの被覆をはがした部分に当てる接点とし、もう一方はアンテナヘの線とからめて画鋲で留めます。コイルのダイオードとつながっていない方の端にアースヘの線をからめ、やはり画鋲で留めて出来上がりです。

アンテナやアースヘの配線については下記記事を参考にしてください。

アンテナやアース

このゲルマラジオは、分離があまりよくないので混信は多いのですが、ダイオードを使っているために失敗は少なく、アースがちゃんととれていれば、アンテナが小さくてもきっとどこかの放送は聞こえると思います。調整のしかたは、アンテナからの線とつながっているコイルの中ほどの線を被覆のあるところを持って、コイルの導体の出ているところにゆっくりと先を接して動かしていきます。いちばんよく聞こえるところを見つけたら、そこにセロテープなどで固定して放送を聞いてみてください。

コイルにタップを出して作るゲルマラジオ(プロジェクト2)

この簡単なしくみのゲルマラジオを、タップのあるコイルを使って作ってみましょう。

コイルにタップを出して作るゲルマラジオ(プロジェクト2)

コイルにタップを出して作るゲルマラジオ(プロジェクト2)

プロジェクト2の実体配線図

プロジェクト2の実体配線図

プロジェクト2 の回路図(ポリヴァリコンを取り付けた部分を取ればプロジェクト1の回路図となります。

プロジェクト2 の回路図(ポリヴァリコンを取り付けた部分を取ればプロジェクト1の回路図となります。)

材料はプロジェクト1と同じですが、必要ならばポリヴァリコン(単連290 pF)も用意しておいてください。

まずトイレットペーパーの芯に2つ穴をあけてそこにエナメル線を通し、10 cmくらい引き出して巻きはじめを固定します。10回巻いたところで竹申を横から入れて、 1回竹申をまたがせて巻き、また竹申をはずして10回巻きます。10回目、20回目、30回目と竹串をまたがせて巻くことでタップを出していきます

まずトイレットペーパーの芯に2つ穴をあけてそこにエナメル線を通し、10 cmくらい引き出して巻きはじめを固定します。10回巻いたところで竹申を横から入れて、 1回竹申をまたがせて巻き、また竹申をはずして10回巻きます。10回目、20回目、30回目と竹串をまたがせて巻くことでタップを出していきます。

初めのころはぐらぐらして巻きづらいですが、そのうちしっかりしてきます。作例では150回巻いて15カ所のタップを出してみました。

芯に穴を2つあけてエナメル線の巻きおわりを通して固定したあと、サンドペーパーでタップのところの被覆をはがしておきます。

芯に穴を2つあけてエナメル線の巻きおわりを通して固定したあと、サンドペーパーでタップのところの被覆をはがしておきます。

組み立て方はプロジェクト1と同じです。

また、写真のようなポリヴァリコンをこの回路に付加すれば、鉱石ラジオの代表 的なパーツがそろうことになります。

また、写真のようなポリヴァリコンをこの回路に付加すれば、鉱石ラジオの代表的なパーツがそろうことになります。左上は自作ツマミ、左下はポリヴァリコンにつけるシャフト、中央がポリヴァリコン、右上はシャフトをつけた状態、右下は目盛。

ハンダを使わないで配線をする場合、あらかじめ被覆をはがしたエナメル線をヴァ リコンの端子に巻きつけて、ちょうど10 cmくらいの2本の触角のように出しておいてから、コイルの両端に並列に取りつけます。この際、ヴァリコンの端子にはなるべくしっかりとつけたいのですが、端子といってもちょっと厚い箔状のものな ので、こわさないように様子を見ながら作業してください。

ハンダを使わないで配線をする場合、あらかじめ被覆をはがしたエナメル線をヴァリコンの端子に巻きつけて、ちょうど10 cmくらいの2本の触角のように出しておいてから、コイルの両端に並列に取りつけます。この際、ヴァリコンの端子にはなるべくしっかりとつけたいのですが、端子といってもちょっと厚い箔状のものなので、こわさないように様子を見ながら作業してください。

ヴァリコンをつけた場合は、ヴァリコンをちょうど中央(裏から見ると、回転する部分が半分隠れ、半分出ているところ)にセットしておいて、コイルの感度のいちばんいいタップをまず探します。そしてそこに線を固定して、ヴァリコンを動かしてみてください。選局も少しできるはずです。他のタップのところでも、いろいろ試してみてください。

*この記事は、小林健二著「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房)」より抜粋編集しております。

材料は東京秋葉原のパーツ屋さんで揃えることができますが、通販でしたら銀河通信社で「ゲルマラジオセット」が紹介されていて、基本的なパーツが手に入ります。

 

KENJI KOBAYASHI

リアリティの解明

小林さんの仕事に関して、まず特徴的なのはその活動の広さ、例えば、美術の中だけでも様々な方法を取られているし、他に音楽、映像、文章など様々な分野に渡っていますが、そのあたりご自分ではいかがですか?

「ものを作ったり表現しようとする上で、何か規則や取り決めがあると窮屈に感じてしまう。一人の人間として生きていたいと思い、その発露として何かを作りたいと思うから、方法や様式に無理に当てはめようとは考えていない。」

[ETAPHI] VIDEO WORK:KENJI KOBAYASHI(小林健二映像作品) presented by PICTURE LABEL & Music Design

[ETAPHI]
VIDEO WORK:KENJI KOBAYASHI(小林健二映像作品)
presented by PICTURE LABEL & Music Design

{SUPER DORMEN] mixed media 4500X3200X2200(mm) 1987 会場に巨大なモニュメントのような作品を製作し、その下のモニターでビデオ作品を流した。

[SUPER DORMEN]
mixed media
4500X3200X2200(mm) 1987
会場に巨大なモニュメントのような作品を製作し、その下のモニターでビデオ作品を流した。


“Erbium” written and vocal+guitar by Kenji Kobayashi from Kenji Channel on Vimeo.

*上記は中学生の時に作った音楽を2016年6月のトークショーの時に、オマケミニライブとして初披露。その時の動画です。(ライブ映像に新たに画像を足して編集)

銀水色版[みづいろ](愛蔵本) 体裁:B6変形/上製本/P136/活版印刷/函入り  装丁:小林健二 見返し及び挿入紙は、巻き見返しという技法を使い、本のノドまで自然に開くとこができます。また函は丸背の本がきれいにおさまるように、天地部分を同じような丸みでカットしてあります。全体に白くあえかな感じでありながら、しっかりとした美しい本です。 1993年に松明堂極光書房より発行されましたが、長らく品切れとなっておりました。其の後よせられた要望により、銀河通信社版として2005年に銀水色の活版印刷にで出版されました。 (これは実話にもとずき、綴られた本です。小林健二が子供の頃よりノートなどに書き留めていた「みづいろ」や「銀の水路」は、1979年に一度まとめられました。それを「夜と息」を加え1993年に「みづいろ」として出版されました。)

銀水色版[みづいろ](愛蔵本)
体裁:B6変形/上製本/P136/活版印刷/函入り 
著者+装丁:小林健二
見返し及び挿入紙は、巻き見返しという技法を使い、本のノドまで自然に開くとこができます。また函は丸背の本がきれいにおさまるように、天地部分を同じような丸みでカットしてあります。全体に白くあえかな感じでありながら、しっかりとした美しい本です。
1993年に松明堂極光書房より発行されましたが、長らく品切れとなっておりました。其の後よせられた要望により、銀河通信社版として2005年に銀水色の活版印刷にで出版されました。
(これは実話にもとずき、綴られた本です。小林健二が子供の頃よりノートなどに書き留めていた「みづいろ」や「銀の水路」は、1979年に一度まとめられました。それを「夜と息」を加え1993年に「みづいろ」として出版されました。)


CRYSTAL-ELEMENTS from Kenji Channel on Vimeo.

組曲[結晶]:suite”Crystal” composed by Kenji Kobayashi・published by RUTIL TWIN RABEL

*1980年頃よりカッセトテープなどに録音してきた小林健二の曲の数々を、2007年にCDとして編集しました。その音楽と小林の結晶作品[CRYSTAL ELEMENTS]とのコラボ動画です。

 

一人の人間として生きていたいとおっしゃいましたが、表現したいと思ったその時に、観客は小林さんにとってどんな存在なのですか?

「難しいことだから、すぐにはうまく答えられないんですが・・・まず自分の心の中に湧いてくる、それまで見たことのないヴィジョンや世界を、とにかく物質化したり具体化させて自分がまず見て見たいという欲求がある。それからきっと作り始めるけど、最終的にはそれで人や外界とのコミュニケーションの手段になるという思いがあるから、もし自分がたった一人で山の中で暮らしているとしたら、作るという必然性がぼくの中の個人的なものだけになってしまうと思う。だからぼくにとって社会との関係をはっきりさせてくれるような・・・。」

絵画技法はどう修得したのですか?

「絵画技法というとぼくの場合、どこまでか分からないけど、ぶきっちょコンプレックスが色々な道具を集めさせたり、好奇心が強いから色々調べ物をしたりすることも、結局は自分の興味のあるがままにやっているから、何においても独学になっちゃう。」

多くの作家はイメージをどう物質化するかで悩むと思うのですが、小林さんの場合はどうですか?

「それは難しいですよ。イメージと現実化した作品との間には多くの嘘も出てきてしまう。ただその「うそ」を積み重ねていかに「ほんと」に近づけるかということなんでしょう。」

作品集の中に「今あるものは、死が支えている」という小林さんの言葉が大変印象的だったのですが、このことについてもう少し説明してください。

「ぼくたちが着ている服の素材にしても、毎日食べているものにしても、ぼくたちの生活に欠かせないものはほとんど、動物や植物たちからもらったものでしょ。生きているものは、その命を投げ出してくれたものたちに、まさに支えられているんじゃないかな。だけど、スーパーに置いてあるきれいにパックされたものしか知らなかったら、その死の存在を想像できない。命が奪われるというドラスチックな光景をまのあたりにしていたら、その命への感謝は自然に生まれるだろうと思う。「死」から目を背けるような社会全体の流れがあるかな?

人間は自然を凌駕するのではなく、調和すべきだと目覚めてきた現代。

でも昔から日本人は自然や天然とともに生きて来たと思っている。それをあえて「反自然」へと生活の方向を変えて、素晴らしい過去の知恵を捨ててしまっているかのようだ。

木を切り倒すとき、木はなされるがままに、まるで拒むことなどないかのように死んでゆく。でもそんな時に木の叫びのようなものを聞いたような、そんな気持ちが人間の心の中に起こったら、やはりむやみに切り倒してはいけないんだという思いもわくかもしれない。

なぜ宇宙があるのか、終わりがあるのか、なぜ生きているのか・・・。難しい問いの前に、ぼくらの日常の流れに「死を意識することで、知ることができることがある」と、生の意味を変えてくれるように思う。」

「私たちは自分たちの故郷を鉛色に変えつつありながらも理想郷をいつも夢見ている。」 木、鉛、鉄、紙、電子部品、キャンバスに油彩(電磁石を使った特殊な仕掛けにより前にある作品の球が浮いている) 2300X1300X2000mm  1989

「私たちは自分たちの故郷を鉛色に変えつつありながらも理想郷をいつも夢見ている。」
木、鉛、鉄、紙、電子部品、キャンバスに油彩(電磁石を使った特殊な仕掛けにより前にある作品の球が浮いている)2300X1300X2000mm 1989

リアリティということに対してどのようにお考えですか?

「リアリティ・・・・その言葉の意味がちょっと分かりづらいけど・・・。でも自分の生活に強く影響を与えた体験はあります。それは中学生のころ、不眠症が続いた後、一瞬の眠りにつくことができたとき、よっぽど今のこの現実より現実的な感じというか・・・その瞬間に体験したことがものすごくリアルだったんです。

光の粒子によって自分もその中に還元されていうような気持ちになった・・・。

その後童話のような文章を書いた、それは「ひかりさえ眠る夜に」と言って、ちょうどこんな感じなんだけど。

最初光しかない宇宙があって、時間も距離もない。だけど、宇宙自身が「自分とはなんだろう?」と思った時、光の一部が物質化するために集まりだし、光の速さでさらに外側に広がるから、人にはきっとビックバンに見えた。この光量子、高分子化してゆく事象には、細胞や多細胞を過ぎて小動物や人間に至ってもその存在への疑問は残される。光としての自由なイメージは残っていても、人はなかなか自由ではない。でもいつか全ての疑問が消えて光に戻ってゆく。実は自由な光が深い物質化の眠りの中で見たものが、ぼくたちのこの現実だという内容。結構この光の最初の願望こそが、生物が共有できる感覚ではないかと今でも変わらず思っているところがあるんです。」

*1991年のメディア掲載記事より抜粋編集し、画像は新たに付加しています。また「ひかりさえ眠る夜に」という個展が福井市美術館で開催された時の会場画像と図録に書かれた小林健二の文章を同時に下記します。

[ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT-ひかりさえ眠る夜に] 2003 福井市美術館での個展

[ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT-ひかりさえ眠る夜に] 2003
福井市美術館での個展会場の一部

個展の詳しい内容はhttp://www.kenji-kobayashi.com/2003onanight.html

 

15才のときの出来事

「ひかりさえ眠る夜に」という言葉は、高校1年の頃の原稿用紙やノートに書いた童話っぽい物語から、タイトルをそのまま使ったものです。その文章を書いたきっかけと言えば当時見た「夢?」あるいは白昼夢のような一連の幻によるもので、しかしそれは夢と言ってもいつも浅い眠りの時に見るものとは大きく異なっていて、ぼくを驚かせ、印象的で、子供の頃から惹きつけられてきたすべての要素を持っていました。

その一連の経験は、何か神秘的な宗教体験とも思えないし、自分の上にだけに起こった特別な出来事とも考えませんでしたが、その鮮烈な衝撃はまるでローラーコースターに乗っているような強い興奮と、あたかも深海の中でしばらく気を失っていたかのように感じる神妙な気持ちがないまぜになって、ぼくを混乱させました。しかしながらそれは同時に、その後今に至るまでにも他には無い陶酔感をぼくに残したのです。

この客観的に観たら目立ちたがり屋の作り話に感じられるだろうことについて、自分なりにいろいろ考えたものです。

ぼくは中学の頃より不眠に悩まされ、幾種類かの薬を服用していたために、その副作用による一種の幻覚であったのかもしれないとも思え、専門医に相談したこともありました。彼は少し笑いながら「君の薬には君に夢を見させる力があるとは思いづらいけど、それが君にとって良い夢ならよかったんじゃない?」と軽くあしらわれた感じでした。

15才と言えば、楽しい事や悩みなども友人や誰かと共有したいととりわけ思う年頃だったと思います。しかし、ぼくはその「夢?」について誰かにすぐに話を聞いてもらおうとはしませんでした。

それにはわかりやすい2つの点があったからです。1つ目には「どんな友人だって他人の夢などにとても興味なんか持てないだろう」と思ったことと、2つ目に、その出来事について話すとするとぼくの表現力や語彙はあまりに稚拙だと知っていたからです。

しかし、その体験は一人のちっぽけな人間にとって、その後の生き方に確かに何がしかの影響を与えたのです。つまり幼い頃、兄からもらった望遠鏡で月や星を見て将来天文学者になろうと考えたり、タテ笛が好きだったというだけで笛吹きになろうと夢想したり、そんな風見鶏のように日々の関心で変わるそれまでの気分屋を、その出来事が何かの方向を探し続けたいと、非力ながら考えさせはじめたことは本当でした。

子供の時から絵を描く事は好きではあっても怪物やジョウロのようなへんてこなものしか描かない人間が、できるならずぅっと絵を描いていたい、そして宇宙や星の涯にある世界の事を考えたり、あるいはまだ巡り会えないでいる誰かや何処かのことを想い続けて手紙を書くような、そんな途方もないことをやり続けたいと勝手に確信してしまったのです。まさにそれほどその「夢?」はぼくにとってすばらしく、また美しかったのです。

ぼくは時々「夢見がちな人」というような評価を受けることがありますが、それはどうなのだろうと思いもします。なぜなら絵を描いたり、造形作品を作ることは思いのほか現実的です。技術的にも時には経済的にも時間的にも、あらゆる面に於いて生々しい壁は立ちはだかるものだからです。

でも、ぼくはこの仕事を通し子供の時からの内省的な自己を、外の世界と交通させたいと願ったわけですから、確かに「夢見がち」なのかも知れません。

人間にはもともと「本当の事」を探し続けようとする一種の特性のようなものがあって、それはまた人間の本質的なところでもあるとぼくには思えることがあります。でもそれによって人が担う事もたくさんあるのでしょう。「この世」と人間が感じているものが、人間のためにだけ存在しているとは思いづらく、逆に自分たち人間の社会を支えるために多数のものを犠牲にし、その上に成り立っている事を多くの人間たちは知っています。ですから人間がこの世の全体的成り立ちに就いて思考する努力を惜しんでしまったとしたら、この地球から人間がある日消え去ってしまった方がどんなにか、この星を楽にするような気がしてしまうのです。

約半世紀を生きている自分が夢のことを人生にまでふくらませて話していることが、どれほど愚かしく思われても仕方の無い事と十分にわかっているつもりです。しかし、的確なことばを見つけることはできませんが、「神」と一言で呼ぶことができない、この世を知りたいと願う「何か」によって深い眠りについた「ひかり」たちの夢の一部に、ぼくらの知る世界があり、それによって「この世」は生まれたと感じるような子供たちが世界に広がったとしたらどうなのか想像してみたいのです。この世界がすべて「ひかり」によって夢見られたものであるとしたら、いかなるすべての人の目や心にとらえ得る世界は、それこそ世界が探し続けているものであり、ひとりぼっちで風景を眺めていることも、どんなに辛さを感じている時でさえ、それはこの世が探していることの断片を常に担っているのであり、意味の無い人間は誰もいなく、またいかなる瞬間も必然性を孕んでいるということではないでしょうか。

すべての始まりはひとつのもので、あえていうなら「時間」という奇跡によって変成しているようにみえる現象であり、自も他も無く本来とても深いところで「全く同じもの」だと認識したら、その子供たちの心に宿る世界には「差別」、「戦争」、「略奪」といった、自分が自身をまるで奪い合い傷つけ合うのと同じ事が、どれほど無意味な事とその瞳に映るのではないでしょうか。

それこそ「ひかり」のもと居た場所までは、まだまだ遠いところであったとしても、そんな探すべき何かを知った子供たちや大人たちが地球人であったとしたら、それは遠メガネみたいに小さなものでも無数に集まれば巨大な望遠鏡となるように、まるで色とりどりの花々が空を見上げているように思えるでしょう。

宇宙は広く果てしなくても、きっと人間は孤独ではなく、友人たちはお互いに探し合っていていつか出会える筈だからです。

宇宙がそれぞれを発見し合い、それぞれの多くの謎を解き明かし連帯し合い、不変で永遠な最も安らいだもと居た場所へと還ってゆくようになったとしたら、それはとても素敵なことに思えるのです。

あの15才から30年以上経った今でさえ、偶然に出会った一連の夢のような出来事から与えられた記憶の方が、少しも色褪せる事もなく日々生活している日常より遥かに生き生きとしていて、表しきれない「本当の世界」のような気がしてならないのです。

小林健二

*[ひかりさえ眠る夜に-ON A NIGHT WHEN EVEN LIGHT HERSELF SLEPT]図録より

 

KENJI KOBAYASHI